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2018年8月4日土曜日

文科省汚職の「もう一つの真実」 黙る左派マスコミ…ダブルスタンダード「ここに極まれり」―【私の論評】悪しき忖度を除去し、良き忖度を助長することが官僚組織を改革する(゚д゚)!

文科省汚職の「もう一つの真実」 黙る左派マスコミ…ダブルスタンダード「ここに極まれり」

長谷川幸洋「ニュースの核心」

文科省の腐敗は底なしだ=東京・霞が関

文部科学省の汚職が止まらない。息子の医学部合格と引き換えに、国の補助金給付で便宜を図っていた前科学技術・学術政策局長にはあきれたが、次に逮捕された前国際統括官(局長級)には、もっと驚かされた。

 一部報道によると、高級風俗店や高級クラブで接待漬けだったという。「いまどき、そんな絵に描いたような汚職とは」と、びっくりする。

 本人たちが刑事責任を問われるのは当然として、事件の本質はむしろ「本人たちに『後ろめたさ』があったかどうか」ではないか。もしもあったなら、まだ救いはある。組織の腐敗というより、本人たちの甘さが問われるからだ。

 だが、事態は深刻だ。本人たちは「これくらいは当然だ」と思っていたフシがある。

 なぜ、そうみるか。

 最初に逮捕され、受託収賄罪で起訴された前科学技術・学術政策局長については、贈賄側との会話を録音した音声が報じられた。流出元は不明だが、これを聞くと裏口入学を依頼して恥じ入る様子もない。実に平然としているのだ。

 前統括官に至っては、風俗店に行く途中で「ヤバイ」と思わなかったのだろうか。女性関係の接待はカネの受け渡しなどと違って、第3者が介在するから、完全に自分の弱みになってしまう。

 言い換えれば、この2人は贈賄側と「毒を喰らわば皿までも」、ズブズブの関係だったのだ。

 さて、局長級が2人も捕まったとなると、これはもう特異な2人の事件とは言えない。文科省という組織にこそ根本的な問題がある。

 そこで思い出すのは、あの前川喜平前文科事務次官である。よく知られているように、前川氏は天下り問題で次官を辞職した人物だ。文科省の報告書を読むと、前川氏は官房長、文部科学審議官時代を通じて、一貫して天下り斡旋(あっせん)に深く関わっていた。

 天下り斡旋も贈収賄も、根本にある違法性は同じである。天下りは再就職できれば、見返りに相手企業や団体に便宜を図る。一方、贈収賄は相手から金銭やサービスを得て、あるいは裏口入学を認めてもらって、見返りに補助金給付や契約で利益を与える。

 天下り斡旋は、まさに「文科省ぐるみ」だった。そんな組織の腐敗体質が、そのまま今回の汚職事件の底流にある、とみて間違いない。

 首相官邸は「モリカケ問題」で政権批判を繰り返してきた前川氏に加えて、今回の連続汚職事件で文科省には怒り心頭だ。折から、人事シーズンである。文科省は解体的出直しを迫られるに違いない。この際、中枢幹部はごっそり他省庁と入れ替えてはどうか。

 「霞が関ブローカー」といわれた贈賄側のコンサルタント会社元役員は、野党議員2人と懇意にしていたという。うち1人については、元役員に「政策顧問」という肩書を与え、ブローカーはその名刺を永田町や霞が関で持ち歩いていた、と報じられた。

 野党議員に説明責任が求められるのは当然だが、左派系マスコミが野党議員との関係を報じないのは、どういう訳か。前川氏を「政権追及のスター」扱いする一方、野党に都合の悪い話は一切、目をつぶる。

 正義を掲げる彼らのダブルスタンダード(二重基準)も「ここに極まれり」になってきた。文科省汚職の「もう一つの真実」である。

 ■長谷川幸洋(はせがわ・ゆきひろ) ジャーナリスト。1953年、千葉県生まれ。慶大経済卒、ジョンズホプキンス大学大学院(SAIS)修了。政治や経済、外交・安全保障の問題について、独自情報に基づく解説に定評がある。政府の規制改革推進会議委員などの公職も務める。著書『日本国の正体 政治家・官僚・メディア-本当の権力者は誰か』(講談社)で山本七平賞受賞。最新刊に『ケント&幸洋の大放言!』(ビジネス社)がある。

【私の論評】悪しき忖度を除去し、良き忖度を助長することが官僚組織を改革する(゚д゚)!

さて、官僚の腐敗がまたぞろ頭をもたげてきています。これに関して、ブログ冒頭の長谷川氏の記事では、左派系マスコミと野党議員のダブルスタンダードの問題をあげています。確かにこうした側面があるのは事実です。こうしたダブルスタンダードが存在すること自体が問題の本質を覆い隠しています。

それは、さておき、官僚の腐敗ということになれば、官僚人事に問題はないのかということになると思います。

経営学の大家ドラッカー氏は人事に関して次のように語っています。
 貢献させたいのならば、貢献する人たちに報いなければならない。つまるところ、企業の精神は、どのような人たちを昇進させるかによって決まる。(『創造する経営者』)
ドラッカー氏は、組織において真に力のあるコントロール手段は、人事の意思決定、特に昇進の決定だといいます

それは組織が信じているもの、望んでいるもの、大事にしているものを明らかにします。

人事は、いかなる言葉よりも雄弁に語り、いかなる数字よりも明確に真意を明らかにします。

組織内の全員が、息を潜めて人事を見ています。小さな人事の意味まで理解しています。意味のないものにまで意味を付けます。組織の構成員は、この組織では、本当は何をすれば良いのか、それとも上司気に入られることが大事なのかを嗅ぎ分けます。これって、最近良く聴きますが、「忖度」そのものです。

そうです。組織において良い意味での「忖度」は本当は重要なのです。いくら言葉で「何をせよ、これをせよ」と力強く幹部が説いたとしても、実際の人事でその「何をして、これをした」人が昇進・昇格、昇格などされて報いられていなければ、誰も幹部の言うことなど聴かなくなるのです。

そんなことよりも、いかなる組織の構成員も、実際に行われた人事をみて、その人事で報われた人物が何について熱心に行ったのかをみて、その組織の本当の価値観を知るのです。

仮に幹部の語っている価値観と、人事によって示された価値感が同じだった場合でも、人事の結果のほうが、幹部の語ることや、他の情報などのコントロール手段よりもさらに大きな影響力を持つのです。だからこそ、人事こそ組織のなかで最大のコントロール手段であるといわれるのです。

 “業績への貢献”を企業の精神とするためには、誤ると致命的になりかねない“重要な昇進”の決定において、真摯さとともに、経済的な業績を上げる能力を重視しなければならないです。これは、直接的に経済的な業績ではなく「国民の幸福を増進する」能力とでもすれば、政府という組織でも、同じことです。

致命的になりかねない“重要な昇進”とは、明日のトップマネジメントが選び出される母集団への昇進のことです。それは、組織のピラミッドが急激に狭くなる段階への昇進の決定です。

そこから先の人事は状況が決定していきます。しかし、そこへの人事は、もっぱら組織としての価値観に基づいて行なわれるべきなのです。
 重要な地位を補充するにあたっては、目標と成果に対する貢献の実績、証明済みの能力、全体のために働く意欲を重視し、報いなければならない。(『創造する経営者』)
では、政府における官僚の致命的になりかねない"重要な昇進"を決定するのはどの機関になるかといえば、それは内閣人事局です。そうして、この内閣人事局が官僚の「忖度」を有無として問題を指摘するむきもあります。ただし、上記で指摘したように良い意味での「忖度」は組織にとって必要不可欠なものでもあります。だから、ここでは単に「忖度」とするのではなく、「悪しき忖度」とします。


内閣人事局は、平成26年の第186回国会(常会)において可決・成立した国家公務員法等の一部を改正する法律において規定され、同年5月に設立された国家公務員の人事制度を所管する機関です。

「人事」とその組織名に付いてはいますが、民間企業の人事部のように一括採用を行うわけではなく(採用試験は人事院、採用は各府省)、国家公務員の人事制度の根幹である国家公務員法を所管して制度の企画立案を行う他、幹部公務員の人事の一元的管理や、公務員の給与制度、行政機関の組織や定員管理といったことを担っています。

簡単に言えば、各府省の幹部人事、それに組織やその在り方、職員の数をどうするのか、給与の在り方をどうするのかといったことを一手に引き受け、担っている「強大な権限」を持つ組織ということです。

少し補足すると、まず幹部人事。この幹部というのは本省の部長や審議官以上の、指定職と言われる官職のことで、上は事務次官クラスや長官まで。その人事をどうするかをこの内閣人事局が担っているのです。

また、政策の企画立案、そして執行には予算とともに人と組織が不可欠ですが、国の行政機関については、組織や組織の定員は法令で定められていて、簡単に部や課といった組織を作ることもできなければ、人を増やすこともできません。

新しい組織を作る場合や定員を増やす場合は、根拠となる法令の改正によって手当てすることになりますが、その前提として内閣人事局による査定を経なければならず、ここで認められなければ、そもそも新しい組織を作ることも定員を増やすこともできません。

内閣人事局は「人と組織の主計局」と言ってもいい側面も持っているのです。

また、内閣人事局はゼロからいきなりできた組織というわけではありません。その前身は、人事院の一部、総務省行政管理局の査定(組織や定員の管理)部門、人事・恩給局の旧人事局関係部門であり、幹部人事に関する事務等が新たに設けられてはいるものの、基本的にはこれらが統合されてできたと言って良いです。

別の言い方をすれば、分散していた国家公務員人事制度に関する組織および権限を、一つの組織に集中させ、強化したということです。

これだけ読むと、単に役人が権限を強化しただけで、官邸への「悪しき忖度」とはなんら関係ないかのように思われてしまうかもしれません。

ところが「悪しき忖度」、それも過剰な「悪しき忖度」を生む原因とされているのは、内閣人事局と内閣、特に内閣総理大臣や官房長官との関係のようです。

幹部職員となるためには内閣総理大臣による適格性審査を経ることとされており、その結果、幹部職員として必要な「標準職務遂行能力」を有していると判断されれば、幹部候補者名簿に掲載されます。

この名簿から各府省の幹部が任命されることになります。「適格性審査」は随時行われるので、場合によっては幹部候補者名簿から外されるということも起こりえます。

こうした内閣総理大臣の権限は内閣官房長官に委任することができます。各府省の人事権者は各大臣ですが、幹部職員の人事については内閣総理大臣および内閣官房長官と協議した上で行うこととされており、幹部人事は大臣の一存で決められない仕組みになっています。

このように国家公務員の幹部人事については、微に入り細に入りと言っていいほど、内閣総理大臣や内閣官房長官が関与するようになっています。

そして、こうした事務を司るのが内閣人事局なのですが、彼らが内閣総理大臣や内閣官房長官の意を汲み取って、ある意味「忖度」して業務を進めることはあったとしても、内閣人事局という「組織の存在自体」が幹部職員を含む国家公務員における「悪しき忖度」を生んでいるというのは、こうした仕組みを正しく押さえた上で考えれば、「議論の飛躍」です。

むしろ問題とすべきは、内閣人事局という組織そのものではなく、国家公務員の幹部職員人事における内閣総理大臣等の「権限の在り方」であり、幹部職員の「位置付け」でしょう。

そもそも、組織の名称や在り方はともかく、国家公務員人事制度を担当する部局や行政機関の機構・定員の査定を担当する部局を、一つにまとめようという動きは過去に何度かありました。それが紆余曲折を経てなんとかカタチになったのが内閣人事局なのです。

国家公務員の立場からすると、指定職への昇任を考えれば、そのためには幹部候補者名簿に掲載されることが必要となれば、その判断をする内閣総理大臣や官房長官の目を気にするというのはある種当然のことである。

ただし、国家公務員が「上の目」を気にするというのは今に始まった話ではなく、昔からある話で、「公務員の習性」のようなものです。民間企業でも当然のことです。さらに「悪しき忖度」を気にするあまり、良い意味で「忖度」まで否定されるようでは、そもそも組織が成り立ちません。

現状での幹部職員人事への内閣総理大臣等の関与は、そうした「公務員の習性」を逆手に取ったものと言えるかもしれないですが、標準職務遂行能力なるものをメルクマールとして、「幹部職員として職責を担うのにふさわしいか否か」の判断まで内閣総理大臣の権限に係らしめるのは、「やりすぎである」との批判は免れえないでしょう。

もっとも、内閣人事局の設置を含む国家公務員制度改革は、元々は内閣としての政策の企画立案から執行までを効率的に行うのみならず、その効果を最大限発揮させることを企図して検討が進められてきたものであり、国家公務員の幹部職員人事について、内閣総理大臣がある程度強い権限を持つことについては、否定されるべきものではありません。

一方で、内閣とのある種の一体性を考えるのであれば、幹部職員はこれまでどおりの一般職ではなく、身分保障のない、各府省の人事から切り離された「特別職」とすべきであり、そうなれば職員自らがリスクを取ってその職に就くことになるため、「悪しき忖度」による弊害の生じる余地は限りなく小さくなるはずです。

韓国で生まれ、生後3日で道端に捨てられ孤児となり、その後
フランス人夫婦の養女となってパリにわたり、エリート官僚、
大臣にまで登りつめたフルール・ペルラン氏

実際、例えばフランスの大臣官房の幹部職員はそうですし、日本でも、これまでに退路を絶って政務の総理秘書官や大臣秘書官(いずれも特別職)に自ら転じた例はあります。

さらに、フランスには事務次官は存在しません。アメリカなどでも次官はますが、次官補などに対して序列で一位だというだけです。中国の官僚機構でもそうです。日本のように、大臣が会長であるのに対して社長だというような事務次官は普通ありません。人事などは総務局長が担当しています。

フランスでは、大臣の手足になるのは、大臣官房です。いわば補佐官室で、官房長は首席補佐官というべき存在で、大臣の代理人です。政治任命なので、経歴は問わないのですが、普通は官僚出身者です。

その省の官僚が多いですが、他省庁からも来ることがあります。とくに、フランスではマクロンのような財政監察院、フィリップ首相のような国務院、オランド前大統領のような会計検査院というグランコールと呼ばれる三つの組織の人間がスーパー・キャリア官僚となっており、官房長の供給源になっています。

そして、官房のメンバーは10人くらいからなりますが、だいたい、官僚が半分強といったところです。

局長などは、大臣が官房長の補佐を受けて任命しますが、大統領や首相の助言もされます。実務能力がないと困るのは大臣なので、それほど極端な政治任命がされることはありません。

野党や大臣の政敵に近い幹部はどうするかといえば、中枢から離れたポストに待避します。それが省内ということもありますし、外郭団体のこともあります。ただし、降格や肩たたきで辞職を強いられることはありません。

このようなシステムのお陰で、野党のブレーンとなっている官僚も多いし、それが、円滑な政権交代を可能にしています。このような官房(補佐官)システムは地方自治体にあっても適用可能だと思います。

いずれにしても、幹部職員は特別職とするのが妥当であると考えます。そうして、幹部職員を特別職とすることを含む国家公務員法の改正案を立案し、国会に提出したのはかつての民主党です。

しかし、日本の国家公務員の幹部職員の人事制度では幹部職員は一般職であり、これまでの人事に内閣総理大臣等が強く関与するようになっただけのような形であれば、今後の自らの人事、処遇を懸念して、過剰な「悪しき忖度」や「悪しき忖度」による弊害が生じることも十分あり得ることです。

それにしても、「特定の組織」を悪者に仕立て上げるというのは世の常のようなところもありますが、つまるところ、「内閣人事局悪玉論」は的外れで、元凶ではないということであり、そこだけをあげつらっても国家公務員の「悪しき忖度」問題、過剰な「悪しき忖度」による弊害は解決しないでしょう。

そもそも、それらを完全になくすことは不可能です。それに良い意味での「忖度」までなくしてしまえば、そもそも組織は成り立たず本末転倒です。そうした前提に立って、現実的な視点から「悪しき忖度」による弊害が極力起こらないようにするためには、主要な幹部職員の特別職化や、特別職である幹部職員の人事を対象にした内閣総理大臣の権限の在り方の適正化等、国家公務員制度自体の見直しを考えるべきでしょう。



ドラッカー氏は人事の手続きについて以下のように語っています。
人事に関する手順は、多くはない。しかも簡単である。仕事の内容を考える、候補者を複数用意する、実績から強みを知る、一緒に働いたことのある者に聞く、仕事の内容を理解させる。(『プロフェッショナルの原点』)
第一は、仕事の内容を徹底的に検討することです。仕事の求めるものが明らかでなくては、人事は失敗して当然です。しかも、同じポストでも、要求される仕事は、時とともに変わっていきます。仕事が変われば、求められる人材も異なるものとなります。

第二は、候補者を複数用意することです。人事において重要なことは、適材適所です。ありがたいことに、人間は多種多様です。したがって、適所に適材を持ってくるには、候補者は複数用意しておかなければならないです。異なる仕事は異なる人材を要求します。

第三は、候補者それぞれの強みを知ることです。それぞれの強みをそれぞれの実績から知らなければならないです。その強みは、仕事が求めているものであるかをチェックする。何事かを成し遂げられるのは、強みによってでなのです。

第四は、一緒に働いたことのある者から、直接話を聞くことです。しかも数人から聞かなければならないです。人は人の評価において客観的にはなれないことを知らなければならないです。それぞれの人が、それぞれの人に、それぞれの印象を持つものです。

第五は、このようにして人事に万全を尽くした後において行なうべきことです。すなわち、本人に仕事の内容を理解させることです。仕事の内容を理解したことを確認することなく、人事の失敗を本人のせいにしてはならないのです。

具体的には、何が求められていると思うかを聞きます。3ヵ月後にはそれを書き出させます。新しいポストの要求するものを考えさせないことが、昇進人事の最大の失敗の原因でです。ドラッカーは、「新しい仕事が新しいやり方を要求しているということは、ほとんどの者にとって、自明の理ではない」といいます。
追従や立ち回りのうまい者が昇進するのであれば、組織そのものが業績のあがらない追従の世界となる。人事に全力を尽くさないトップは、業績を損なうリスクを冒すだけでなく、組織そのものへの敬意を損なう。(『プロフェッショナルの原点』)
私自身は、内閣人事局が「悪しき忖度」を誘発しているという見方は全く間違いだと思います。それよりも、内閣人事局は長年公務員改革の要として重要な組織として設立されたのですから、良い意味での「忖度」を助長し、ドラッカーのいうところの、人事の手順がスムーズにできるように、官庁組織を変えていくべきでしょう。

特に、すべての官庁において、すべての官庁がが本来の官邸の統治部分に直接かかわるのは禁忌とすべきです。さらにすべての官庁において、外部の利害関係者と直接折衝をする部門と、企画を立案する部門はしっかりと分離すべきです。これを同一にするのは、政府に限らず、あらゆる組織において腐敗の源となります。

これなしに、腐敗した官僚を批判したとしても、一時は収まるかもしれませんが、ときが経てばまた同じような問題が繰り返し起こるようになるだけです。

左派系マスコミと野党議員は本来こうしたことを主張するべきであって、ダブルスタンダードで、政府批判をするだけでは、何の解決にもなりません。

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2011年9月24日土曜日

セシウムが瞬時に取り除かれた 放射線対策に夢の吸着装置―【私の論評】今日の私たち日本には、とてつもない技術力がある!!今回の震災、原発事故を契機として、さらに強いとてつもない日本を目指すべきだ!!(その2)

セシウムが瞬時に取り除かれた 放射線対策に夢の吸着装置 
2尾のバルーン魚ロボットが空中遊泳している様子、イノベーション・ジャパン2011にて

福島第一原子力発電所の事故で放射線対策に関心が高まっている中、2011年9月21、22の両日、東京で開かれた大学の研究見本市「イノベーション・ジャパン2011」では画期的な発見や工夫が注目を集めた。

海水や血液などの液体成分から半減期の長いセシウムを瞬時に取り除く技術を発表したのは、東京慈恵会医科大学臨床医学研究所の並木禎尚講師ら。直径70~80ナノメートルの磁性微粒子にセシウム吸着材 (プルシアンブルーやゼオライト粉末) をくっつけた。こうしてできた微粒子をセシウムの溶けた海水に混ぜて磁石を近づけると、微粒子がセシウムを吸着して集まり、数秒から数十秒で99.9%のセシウムを回収できた。牛乳、牛の血清にセシウムを入れた場合の回収率も同様だった。

従来のゼオライト粉末などによる吸着は、自然の沈殿を待つために数時間かかった。並木さんらは磁石を利用して、抗がん剤をがんに集めるDDS(薬剤送達システム)を研究していて、原発事故に応用できることに気づいた。海水や被曝した人の血液からの回収装置として利用可能という。

被曝後に飲んで効果のある薬も

福岡大学薬学部の高田二郎教授らは、放射線被曝後に飲んだり注射したりすることで、放射線の害を減らせる可能性がある「急性放射能症」薬を発見した。マウスの全身にX線を照射する実験では、なにもしないと30日後にはほとんどが死ぬ。ところが、「ビタミンEの前駆物質」であるこの薬を使えば、被曝1時間後の投与で90%、10時間後で75%、24時間後でも40%が生き続けた。粉末で長期間保存でき、原子力事故や核テロ対策などに対応できる。米国でもこうした薬剤を探索中で、FDA(食品医薬品局)は、人への安全性と動物への効果を確認すれば、臨床試験抜きで承認する方針を決めている。

しかし、日本の厚生労働省の現行基準では人への効果確認が必要なため、基準が変わらない限り日本での製品化は不可能という。高田さんは「倫理面から人への効果確認はできない薬だが、日本もぜひ米国基準を採用してほしい」と訴えていた。

「イノベーション・ジャパン」は独立行政法人の科学技術振興機構、新エネルギー・産業技術総合開発機構が主催、大学発の最新技術を産業界に紹介し、産学連携で新産業を起こそうという国家的戦略的な催しで今年が8回目になる。

【私の論評】  今日の私たち日本には、とてつもない技術力がある!!今回の震災、原発事故を契機として、さらに強いとてつもない日本を目指すべきだ!!(その2)
わたしは、以前にもこれと同じような記事を掲載して、解説をしたことがあります。それに関しては、以下のURLをご覧になってください。


放射性セシウム:土壌からほぼ全量回収可能…新技術を開発―【私の論評】今日の私たち日本には、とてつもない技術力がある!!今回の震災、原発事故を契機として、さらに強いとてつもない日本を目指すべきだ!!


今回また、新たな技術のニュースです。原発事故など、起こってしまったことは、もうもとには戻りません。しかし、だからといって、ただ大変だといって、閉塞感に苛まされることなど真っ平御免です。だからこそ、前回あのような記事を書きました。詳細は、当該記事をみていただくものとして、以下にその記事の結論部分をあげておきます。
今は、ドラッカーのいうように、パラダイムがすでに、シフトしているわけですから、既存の考えだけにとらわれて、閉塞感にさいなまされるだけというのではなく、とてつもない新たな技術を生み出すこと、さらに、とてつもない技術などを前提として、新たな社会を築くことなどに、注力すべき時と思います。震災、原発事故に対して、ただ手を拱いて、絶望しているのではなく、これを新たな産業の芽とすることに多くの人が挑戦していただき、さらに、強い、日本を創出していくべきと思います。
ドラッカーのいうパラダイムシフトとは、今や、ある産業の新技術は、その産業の中からでてくるのではなく、全く別の分野から出てくるということです。たとえば、現在製薬の分野での最新の成果は、従来のように、化学、生化学によるものではなく、バイオテクノロジーによるものがほとんどです。

このようなことは、例をあげればきりがないくらいです。最近の、高速インターネットの光通信は、従来の銅線を生み出す技術などとは、全く関係のない、ガラスによる、グラスファイバーによってもたらされたものです。昔、車はあくまで、機械であり、エレクトロニクスとはあまり関係なかったのですが、今や、半導体をはじめ、エレクトロニクスがなければ、なりたちません。

磁性微粒子にセシウム吸着材 (プルシアンブルーやゼオライト粉末) をくっつけた微粒子は、まさに、現在のナノテクノロジーのたまものです。これは、当然のことながら、従来の放射線に関する技術などからうまれてきたものではありません。これは、今までの東電などの電気会社の研究開発や、従来の放射能にかかわる技術などからは生まれるような技術ではありません。

今回のこのニュースも、ドラッカーの言っていることが正しいことを実証していると思います。それよりも、何よりも、私たちの日本では、様々なハイテクノロジーが存在しており、その裾野もかなり広いし、厚いです。

今回のように、運悪く原発事故がおこってしまったにしても、今までの常識や、枠組みからは考えられないような、新技術がでてきていますし、これからも続々とでてきます。それらの技術は、日本国内では、もちろんのこと、世界に福音をもたらすはずです。今回のように、実際に、放射能が多量に漏れ出すなどということは滅多にないことです。確かに、この事故は不幸なことでしたが、これをチャンスとして、様々な技術が生まれ、生まれるだけではなく、実用化される可能性が飛躍的に高まったということです。

まざに、禍転じて福となす、という考え方により、さらに強いとてつもない日本を目指すべき時だと思います。

現在の政権など、歴史の悠久の流れの中に咲いた一時の徒花に過ぎません。1,000年に一度の震災や津波、原発事故でさえ、悠久の歴史を持つ我が国の歴史からみれば、ほんの一時のことに過ぎません。朝廷をはじめとする私たち日本人の日本の伝統文化、それに勤勉で実直な国民性は、古から今に至るまで、継承されてきましたが、これからも悠久の歴史の中に燦然として輝き続けるどころか、さらに輝きを増すことでしょう。そうして、こうした勤勉と実直さを強く継承してきた東日本の人々も近いうちに、復興をなしとげ、悠久の歴史の中で共に燦然と輝くことになることでしょう。

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