飛行するB29(1945年、米空軍撮影/パブリックドメイン) |
「ついに出たか」というのが私の実感だった。日本国憲法がどのように作られたのかをここまで現実通りに描いた作品は、映画に留まらずテレビドラマ、歴史書、学術論文など、どの分野を見渡しても日本ではまずないだろう、と感じた。最近、封切られた日本映画『日本独立』(2020年12月18日公開)を見ての率直な感想である。
今、あえてこの映画について報告するのは、決して作品の宣伝をするためではない。戦後の日本にとって最も重要といえる憲法についての歴史の展開が、これほど簡明に実際の歴史どおりに報告されることは、私の知る限りまずなかったと思えるからだ。だからその歴史の現実を伝え、知るには、この映画の紹介が好材料だと感じた次第である。
映画「日本独立」のチラシ |
❙米軍の将校十数人が一気に起草
日本の憲法が、占領下の1946年(昭和21年)2月に米軍総司令部(GHQ)の米軍人たちによっていかにあわただしく作成されたか、私はその経緯を、作成にあたった当事者から詳しく聞いた数少ない日本人の1人である。その当事者が語った実際の歴史は、今回の映画で描かれた経緯とほぼ同じだった。
実際の歴史をこれほど正確に伝えた表現や描写の記録を私は知らない。つまり日本国憲法の草案作りの実態は、歴史として正確に語られることがほとんどなかったのだ。
ただし、その骨子はすでに多方面で多様な資料によって明確となっている。日本国憲法は、日本がアメリカをはじめとする連合国の占領下にあった1946年2月3日からの10日ほどの期間に、米軍の将校十数人により一気に書き上げられた。この将校団は連合国軍総司令部(GHQ)の民政局次長だったチャールズ・ケーディス米陸軍大佐を実務責任者としていた。「連合国軍」といっても主体は米軍だったのだ。
ケーディス大佐の直属の上官は民政局の局長のコートニー・ホイットニー准将、さらにその上官は連合軍最高司令官のダグラス・マッカーサー元帥だった。
日本の新憲法を作成するにあたって、GHQは当初、日本側にその起草を命じた。命を受けた時の幣原喜重郎内閣は松本烝治国務大臣にその起草を任せた。まもなくその草案ができたが、GHQは一蹴してしまった。「内容が十分に民主主義的ではない」という理由だった。その結果、GHQ自身が日本の新憲法を書くことを急遽決定した。そしてその実務がケーディス大佐に委ねられたのだ。
その結果、書き上げられた日本国憲法案は、3月13日に日本側の幣原内閣に提示された。日本側は内容を不満だとして抵抗を試みたが、しょせんは戦争の勝者と敗者の関係である。ふつうの独立国家であれば、考えられない戦力の不保持や戦争の放棄、さらには自衛の放棄までをうたうような憲法案を受け入れざるをえなかった。
米国側の意図はもちろん日本を二度と軍事強国にさせないということだった。そのためには、たとえ自国を守るためでも「戦力」や「戦争」は禁止するという意図だったのだ。
❙反論の余地なく押し付けられた
映画『日本独立』は、その米国製の憲法案を押しつけられた日本側の責任者たちの米国との交渉、苦闘を描いている。
その筋書きは歴史どおり、米国のGHQが独断で書いた憲法草案を、「日本政府が自主的に書いた」という虚構とともに日本側にそのまま受け入れることを強制する、という展開だった。
出演は浅野忠信、小林薫、宮沢りえ、松重豊、柄本明、浅田美代子といったスターたちだ。監督は、かつて東条英機にユニークな光をあてた映画『プライド・運命の瞬間』を作った超ベテランの伊藤俊也である。
映画のストーリーは、幣原内閣の外相の吉田茂、そしてその知己の国際派実業家だった白洲次郎に焦点を合わせ、「日本を独立国ではなく、まったくの隷属国として扱っている」(白洲次郎の言葉)米国への反発を追っていく。だが、結局は米国の命令どおりに事態は進んでいく。
この映画の展開は、私にとってきわめて新鮮に感じられた。なぜならこれまでの日本では、憲法をめぐる論議がこれほど長く、これほど広く進められてきても、憲法草案が占領軍の米軍によってすべて作られ、日本側にはなんの反論の余地もないまま、そのとおりに受け入れさせられたという事実が明示されることはまずなかったからだ。
その意味で、この映画は重要だといえる。改憲にしても、護憲にしても、まず現在の日本の憲法がどんな経緯で、どんな環境下で作成されたかを客観的に知ることは、憲法問題への取り組みの第一歩だからである。これまでの日本の憲法論議では、その事実認定の第一歩がきちんと踏み出されていないのだ。
❙真の主役、第9条を書いたケーディス大佐
映画『日本独立』では、米国側のマッカーサー、ホイットニー、ケーディスという重要人物たちも頻繁に登場し、日本側代表と衝突する。だが当然ながら戦争の勝者の占領軍はほぼ100パーセント、その意思を押し通していった。この映画では、そのやり取りがわかりやすく、ドラマティックに活写されていた。
その米側の多数の登場人物たちの間でも、真の主役はやはりケーディス大佐である。GHQでの肩書は民政局の次長だった。
ケーディスは当時39歳、コーネル大学、ハーバード大学の出身で、戦前からすでに弁護士として活動していた。1941年12月に米国が日本やドイツとの戦争に入ると、陸軍に入り、参謀本部で勤務した後、フランス戦線で活動した。日本には1945年8月の日本の降伏後すぐに赴任して、GHQで働くようになった。そして赴任の翌年の2月に憲法草案作成の実務責任者となった。
私はそのケーディスに1981年4月、面会し、日本国憲法作成の経緯を詳しく聞く機会を得た。場所は、当時75歳の彼が勤務していたニューヨークのウォール街の大手法律事務所だった。
私の質問に、彼は時には用意した資料をみながら、なんでもためらわずに答えてくれた。結局4時間近くの質疑応答となった。
私は彼の話から日本国憲法作成の状況の異様さに衝撃を受け続けた。なにしろ手続きがあまりに大ざっぱだったからだ。日本側への対処があまりに一方的な押しつけに徹していたからでもあった。そもそも戦勝国が占領中の旧敵国に受け入れを強制した憲法なのだから当然なのかもしれないが、それにしても、なんと粗雑な点が多かったのかと驚かされた。
彼の言によれば、起草は都内の各大学図書館から他の諸国の憲法内容を集めることから始まり、後に「マッカーサー・ノート」と呼ばれる黄色の用紙に殴り書きされた天皇の地位や戦争の放棄など簡単な基本指針だけが盛り込むべき内容として指示されていた。
「私自身が書くことになった第9条の目的は、日本を永久に非武装にしておくことでした。しかも上司からのノートでは、戦争の放棄は『自国の安全保障のためでも』となっていました。この部分は私の一存で削りました。どの国も固有の自衛の権利は有しているからです」
ケーディスは後に日本側から「芦田修正案」が出されたときも、自分の判断だけでOKを与えたという。この修正案は9条の第2項の冒頭に「前項の目的を達するため」という字句を挿入することで、固有の自衛権を認め、自衛隊保持の根拠を供した。
憲法草案のこうした枢要な部分は、上司のホイットニー民政局長やマッカーサー元帥の承認を事後に得てはいるが、ケーディスの判断だけでも済んだという。
このインタビューでケーディス元大佐が私に語った内容の主要点は以下のとおりであった。
・憲法草案の最大の目的は日本を永久に非武装にしておくことだった。
・草案の指針は日本の自国防衛の権利までを否定する意図だったが、自分の一存でその部分を削った。上司の了解は事後に得た。
・「天皇は日本国の象徴」という表現もアメリカ政府の事前の指示にはなく、ケーディスら実務担当者が思いついた。
・第9条の発案者はマッカーサー元帥か、幣原喜重郎首相か、天皇か、あるいは他のだれかなのか、自分にもいまだにわからないままである。
・アメリカ側は、日本政府が新憲法を受け入れない場合は国民投票にかけるという圧力をかけたが、日本側の受け入れには選択の余地はないとみていた。
以上の5点からも、現在の日本国憲法は日本の占領下に米軍によって書かれ、なおかつ押しつけられたことがあまりにも明白である。しかも日本を永久に非武装にして自国の防衛の能力や意思をも奪おうとしたのだ。戦後の日本は、自国の防衛という主権行為の権利さえも制約された「半国家」にされたと言っても過言ではない。
日本国憲法は、あまりにも異常な条件下で、占領する側が一方的に作成した憲法だった。その実態が、憲法案作成から75年近くが過ぎたいま、映画のなかでやっと正確に再現されるようになったというわけである。これも令和という新時代になったからこそ、なのだろうか。
2016年8月15日にクリントン大統領候補を応援する演説をするバイデン氏 |
核武装を禁止した日本国憲法を我々が書いたことを、彼は理解してないのではないか。彼は学校で習わなかったのか。トランプ氏は判断力が欠如しており、信用できない。核兵器を使用するための暗号を知る資格はない
第二次大戦後の1946年に交付された日本国憲法は、第9条で「戦力の不保持」を定めている。朝日新聞2014年5月2日朝刊によると、日本国憲法は連合国軍総司令部(GHQ)の最高司令官マッカーサー元帥から指示を受けた日本政府が、GHQと折衝を重ねて草案を作成。議会が修正を加えたことになっています。
憲法9条に関しては、当時の幣原喜重郎首相とマッカーサー元帥のどちらが発案したかについて諸説ある。拓殖大学のワシーリー・モロジャコフ教授によると、マッカーサー元帥は「幣原首相の発案」と証言している一方で、マッカーサー元帥の全面的なイニシアチブによるものという説もあるといいます。
しかし、現実は上の記事の内容であったのはほぼ間違いないでしょう。バイデン発言は、大統領選挙の渦中での副大統領発言ではあったのですが、言外には(日本を無力化させるために)という意味合いがしかり込められていたものと思います。
国の根幹に関わる事項での発言であり、独立国家に対して侮蔑的態度です。普通のまともな副大統領・常識的政治家なら、たとえそれが世界常識的真実であっても、日本の国体への「配慮」はあるべきでした。
占領した側がこうも馬鹿正直に告白しているのに、しかし当の日本国内では中国や北朝鮮など周辺隣国から脅威を仕掛けられているのに「他国の善意を信頼して」無防備とする憲法9条を金科玉条とする勢力が根強く存在しています。
日本の国防研究を妨害し続ける学術会議も、こうした日本無力化のひとつの仕掛けです。バイデンはまさに正直に、戦後一貫した米民主党左派の対日無力化戦略を語ったのです。
この発言について、日本政府は発言の真意を確認する必要があると思います。ましてや、バイデンが大統領になるかもしれない現在の状況ではそうだと思います。
これは、占領国による国際法違反の暴挙を自白ともいえるものです。占領国が相手国に憲法を押しつけるのは普遍法「民族自決」への国際法違反です。
そして現状では米国自身のパワーが衰退していく一方で、このドクトリンは未だに堅持されに自縛的憲法を日本はいまだに克服できていないのです。
この呪縛憲法により、我が国は中国・北朝鮮・韓国に未だになめられ続けている状況です。ただ、かれらからすれば、「日本はなにをやっても反撃してこない。米軍にさえ配慮すればいい」という具合になっているのでしょう。
日本には、未だに米民主党政権・軍による占領からいまに引き続く米軍駐留の現実があり、日本社会の裏表に米国統治コントロールシステムの残滓が残り、未だに日本を縛っているのです。
ケーディスといえば、彼が実質的に率いる民政局は、憲法改正、農地改革に次ぐ大事業として、戦争協力者の追放問題に取り組みました。チャールズ・L・ケーディス |
民政局が作成した『望ましからざる人物の公職罷免排除に関する覚書』では、次のような人物が追放の対象とされました。
1、戦争犯罪人。ケーディスたちの公職追放政策は、これだけではおさまりませんでした。翌22年1月4日からは、中央政界だけでなく、地方政界、自治体、経済界にまで、追放範囲が拡大されたのです。日本中に粛清の嵐が吹きまくったのです。
2、職業軍人。
3、大政翼賛会、翼賛政治会、大日本政治会や、その協力団体メンバー。
4、極端な国家主義団体、テロ団体の有力メンバー。
5、旧植民地の占領地に関係した開発機関、有力企業、金融機関の幹部。
6、旧植民地、占領地の行政機関などの幹部。
しかしこれは、決して過去の話ではありません。たとえば最近でも、話題となった日本学術会議のありようを通じて、米民主党左派が作った占領システムが実質的に日本社会を支配し続けていることが暴露されたのです。現在に至るまで日本メディアの基本的ありようもこのシステムの一環なのです。
上の記事にもみられるように、過去には明かされなかった日本の構造、戦後世界の秩序がさまざまに暴露されつつあります。
無論こういう社会秩序のなかでもわれわれは日本の「平和」を確保し自立を探ることを冷静に追究しなければならないです。
しかし、占領・米民主党左派の日本永久支配を自白したバイデンは前言をどうするのでしょうか。バイデンの発言当時から同じく外交上なかったことにし続けるのでしょうか。
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