- 世界はすでに「決断を前提に動く段階」に入っている。経済は中立な市場ではなく、資源・技術・供給網・情報が国家間競争そのものになった。決断できる国だけが枠内に残り、迷い続ける国は敵視される前に「相手にされなくなる」現実が始まっている。
- 日本は立ち遅れているのではない。だが、前提が社会全体で共有されていない。政策中枢では経済安保への対応が進み、リスクは確実に下がっている。一方で、世論や報道は旧来の前提に引きずられがちだ。この認識の段差が、次の判断を誤らせる最大の要因になっている。
- 来るべき選挙で問われるのは、政策の細部ではなく前提の理解だ。給付か減税かではない。経済が戦場になった世界を前提に判断できるかどうかである。決断しない国が淘汰される時代に、有権者自身の認識が、そのまま国家の進路を決める。
それでも、あらためてこのテーマを取り上げる理由は一つしかない。ここ数日の世界の動きですら、それまで「警告」として受け止められていたものを、各国が実際に行動を決めるための前提条件へと明確に押し上げてしまったからだ。世界は今、前提を切り替えた国と、切り替えられない国を、静かに選別し始めている。
1️⃣経済はすでに戦場になった──トランプ発言と世界の前提転換
その象徴が、ドナルド・トランプ大統領によるグリーンランドをめぐる発言である。米国大統領が、同盟国デンマーク領であるグリーンランドに対し、安全保障と資源の観点から強い関心を示した。この発言を、日本の多くの報道は「突飛」「過激」と片付けた。しかし世界は違う受け止め方をしている。
グリーンランドには、レアアース、ウラン、北極航路、米軍基地がある。これは領土欲ではない。資源・供給・軍事拠点を一体で押さえるという、現代国家戦略が露骨な形で言語化された瞬間である。この一言で、「資源は市場で買えばいい」「経済と安全保障は別物だ」という前提は、事実上崩壊した。
この変化を裏付けたのが、世界経済フォーラムの年次リスク評価である。短期的に世界へ最も深刻な影響を与える最大のリスクとして挙げられたのは、戦争でも気候変動でもない。大国間の経済対立だった。英米欧では、これは分析材料ではない。政策立案と投資判断の前提として、すでに共有されている認識である。
一方、日本ではどうか。「国際会議の一報告」「そういう見方もある」という扱いにとどまり、前提が切り替わったという自覚は乏しい。この温度差が、国家の行動速度を決定的に分けている。
2️⃣日本は本当に遅れているのか──高市氏の先見性と、伝えられない前提
| 高市早苗氏は経済安保を書籍を執筆していた |
ここで一つ、修正しておかなければならない誤解がある。
日本は「最近になって慌てて経済安全保障を語り始めた国」ではない。
高市早苗氏は、政権発足以前から一貫して、経済・技術・供給網・情報保全を国家安全保障の中核に据えるべきだと主張してきた。半導体、エネルギー、先端技術、研究情報、対中依存リスクに関する発言を振り返れば、その一貫性は明白である。現在の政策転換は、場当たり的な対応ではない。従来からの問題意識が、世界の前提転換によって政策として表に出ただけだ。
この点で、従来の政権と現在を同列に論じるのは正確ではない。少なくとも政策中枢レベルでは、経済安全保障に関するリスクは明確に低減している。経済安保は周辺論点から政策の中核へ移動し、理念ではなく「継続できるか」「制御できるか」という基準で評価されるようになった。これは、何もしていない国と、最低限の前提更新を終えた国との差である。
にもかかわらず、日本社会全体ではその変化が十分に共有されていない。その大きな要因が、日本のマスコミ報道の構造にある。日本の報道は出来事を伝えることには長けているが、「前提そのものが変わった」という変化を扱う設計になっていない。誰が何を言ったか、何が起きたか、賛否はどうか。そこまでは伝える。しかし、なぜその判断が不可避になったのかという前提は、あまり語られない。
その結果、日本では「経済安保は規制強化だ」「自由貿易への逆行だ」といった表層的な理解が先行する。政権中枢では前提が更新されているのに、社会全体では共有されない。この認識の段差こそが、現在の日本の不安定さの正体である。
3️⃣制度としての守りと、有権者が示し始めた分岐点
経済が戦場になった世界では、技術、研究成果、企業内部情報、データはすべて戦略資産である。それにもかかわらず、これらを海外勢力による流出から守る制度が弱ければ、産業政策は必ず空洞化する。
ここで核心をはっきりさせる。スパイ防止法は「あれば望ましい制度」ではない。経済が戦場になった世界では、不可欠な国家インフラである。研究所や大学、企業からの技術流出、サプライチェーン内部情報、重要インフラの設計データ。これらは、戦車やミサイルと同じく国家の競争力そのものだ。守れない国は、同盟からも投資からも、静かに外される。
では、有権者はこの前提を理解しているのか。
必ずしも悲観する必要はない。その根拠の一つが、昨年の石丸慎二氏の敗北(都議選全敗、参院選議席獲得ならず)である。
石丸氏の政治姿勢は、極めて純化されたグローバリズムに立脚していた。市場原理と制度改革を万能視し、国家主権や経済安全保障を前面に出さない。一方で、供給網断絶や技術流出といった現実的リスクに対する制度論は乏しかった。これは人物評価の問題ではない。前提がすでに崩れた世界観に立っていたことが決定的だった。
広範な支持を得られなかった背景には、有権者が「その前提では国は持たない」と直感的に理解し始めていた現実がある。他方で、グローバリズムを単純に善と信じる層が消えたわけではない。その象徴が鈴木直道北海道知事である。理念先行の国際協調や外資依存を疑わない姿勢は、旧来の前提がなお一定の支持を持つことを示している。
日本社会は今、前提を更新した層と、更新できていない層が併存する分岐点に立っている。
結論──問われているのは新たな覚悟ではなく、整理である
日本が捨てるべきなのは、「曖昧でいることが安全だ」という幻想である。この世界で曖昧な国は、敵にも味方にもならない。ただ、計画から外されるだけだ。一方、日本が取り戻すべきものは新しくない。約束を守る制度、政策の連続性、技術と現場を尊重する文化。これらは、すでに日本が持っているものだ。
問われているのは、新たな覚悟ではない。
すでにある覚悟を、現実に耐える形へと鍛え直すことである。
世界はすでに前提を切り替えた。有権者もまた、その現実をかなりの程度まで理解し始めている。問題は、それを制度として完成させるかどうかだ。
来るべき衆院選は、過去の前提に投票するのか、それとも現実の前提を定着させるのかを問う選挙になる。
条件は、すでに揃っている。
覚悟も、すでにある。
あとは、それを使い切るかどうかだけだ。
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