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2018年7月31日火曜日

日銀官僚の理不尽な行動原理 金融機関重視する裏に天下り…政策に悪影響なら本末転倒だ―【私の論評】日銀は銀行ではなく日本国民のために、金融政策に集中すべき(゚д゚)!

日銀官僚の理不尽な行動原理 金融機関重視する裏に天下り…政策に悪影響なら本末転倒だ

高橋洋一 日本の解き方

日銀は31日の金融政策決定会合で、「0%程度」としている長期金利の
誘導目標の柔軟化を正式決定した。一定の金利上昇を容認する。写真は
記者会見する黒田東彦総裁=同日午後、日銀本店

日銀は30、31日の金融決定政策会合で、「金融政策を柔軟化する」「緩和長期化が金融機関に与える副作用の対策を検討する」などと報じられた。マスコミ報道で「副作用」といっても、「市場機能の低下」「金融機関経営に及ぼす影響」など抽象的な表現しか出てこないことがほとんどだ。

 「金融機関経営に及ぼす影響」とは、マイナス金利になっていることで、この運用金利では調達金利との利ざやが小さく、金融機関は儲からないということだ。

 「市場機能の低下」と、もっともらしいことをいうが、これも金融機関の儲けがなくなると、金融資本市場がうまく回らないという市場関係者の思い込み(自己保身)に過ぎない。

 実際には、日銀が金融機関から「この金利水準では儲からないから何とかしてくれ」と常日頃、愚痴を聞かされているので、それを「副作用」と表現しているだけだ。「市場機能の低下」は付け足しでしかないのだが、日銀としては金融機関のために金融政策を行うとは言えない建前があるので、市場機能の問題を前面に出して「副作用」を説明してきた。こうした複雑な背景があるので、一般の人には日銀が何を言っているのか理解できないだろう。

 日銀が金融機関を重視するのは、金融政策を行う主体であるとともに、金融機関の監督という準行政的な機能もあるからだ。前者をマネタリー、後者をプルーデンスという。

 実は、日銀内の仕事としてはマネタリーの部分はごくわずかで、多くは「銀行の中の銀行」として金融機関との各種取引を通じたプルーデンスである。プルーデンスは「日銀官僚」が天下るときにも有用であるため、日銀マンの行動に金融機関重視がビルトインされているとみたほうがいい。

 筆者は役人時代、プルーデンスは金融庁に任せればいいという考え方であったが、日銀はプルーデンス重視だった。銀行の収益悪化は、人工知能(AI)対応が遅れたという構造的な側面もあり、必ずしも低金利だけが原因とはいえない。

 プルーデンス重視が、マネタリーに悪影響を与えては本末転倒だ。マネタリーではマクロの物価と雇用だけをみていればよく、ミクロの金融機関経営は考慮されるべきではない。

 報道では副作用対策で日銀内に温度差というが、日銀プロパーはプルーデンスばかり見ているので、外部から日銀に来た人とプロパーの間でマネタリーに対する意見の差があるだけではないか。日銀は「副作用」という言葉で金融機関を支援するのはやめたほうがいい。

 現在でも、日銀は金融機関向けの当座預金に付利している。金融機関による一般事業者向けの当座預金は、臨時金利調整法により無利息であるにもかかわらずだ。日銀の付利により、金融機関は2000億円ほどの小遣いをもらっていることになる。これは、政府特権である通貨発行益の一部を金融機関に移転していることであり、国会での議論が必要だ。いずれにしても、日銀はマネタリーに特化すべきである。(元内閣参事官・嘉悦大教授、高橋洋一)

【私の論評】日銀は銀行ではなく日本国民のために、金融政策に集中すべき(゚д゚)!

日銀は、本日の金融決定政策会合の結果を受けて以下の文章を公表しています。以下にその文書のリンクを掲載します。
強力な金融緩和継続のための枠組み強化
この日銀公表文を全部読むと、消費増税もあり物価が上がりそうにないから金利引き上げを(準備)するというふうに見えます。しかしこれでは、ロジックが真逆です。日銀の金融機関擁護の金利引き上げと増税擁護の姿勢を変えなければ、これからも物価がこれからも上がりそうもありません。

物価が上がったから、金利を引き上げるというのが当たり前でというか、これが常道です。日銀は、これからも常道を踏まないつもりなのでしょうか。

ブログ冒頭の記事で、高橋洋一氏は、マネタリーではマクロの物価と雇用だけをみていればよく、ミクロの金融機関経営は考慮されるべきではない。日銀はプルーデンスではなく、マネタリーに特化すべきとしています。

この日銀は、プルーデンスに注力するあまり、過去においてはマネタリーで大失敗をしています。

GDPの伸び率がゼロだった「失われた20年」

日本はバブル崩壊後、長らくデフレに悩まされ、経済成長率も他の先進国と比して著しく低く「一人負けの状態」が続き、また失業率も高く「失われた20年」とも呼ばれてきました。その要因は何であったかといえば、結論からいえば、バブルという羹に懲りてデフレを長引かせた日銀の誤りによるものです。

①日本のバブル期は、一般的に1987(昭和62)年から1990(平成2)年までを言います。
 この間の経済指標は 経済成長率(実質)が4~5%、失業率が2~2.7%、インフレ率が0.5~3.3%とまったく問題ないレベルであり、「失業する人も少ないし、給与も上がり、みんながハッピー」の「理想的な経済」でした。

東京株式市場は1989年12月29日に3万8916円という過去最高値を付けた

②一方、資産価格である株や土地の価格だけが異常に上昇しました。

バブルとは、「資産価格の上昇」と定義できます。株価は89年末がピーク、地価はタイムラグがあり91年頃がピークとなりました。

③インフレ率が上がらず、株や土地という資産価格だけが上がる場合は、金融政策で見ると何か別の理由があると考えられます。

④その頃、証券会社は税制の抜け穴を利用した「財テク」の営業を行い、株価が異常に上昇していました

当時、大蔵省証券局は、証券会社が損失補填する財テクを営業自粛(事実上の禁止措置)させる大蔵省証券局通達を89年12月26日に出しました。これにより、その年の大納会で3万8915円となった株価は、1990年の終わりにかけて2万3000円くらいまでに下がりました

⑤他方、1990年3月に大蔵省銀行局長通達「土地関連融資の抑制について」が出されました。

これは、不動産向け融資の伸び率を総貸出の伸び率以下に抑える措置(いわゆる総量規制)でした。これにより地価は、その後、下落しました。

上記の④と⑤によりバブルは沈静化していきました。ところが、一方で日本銀行が同じ時期に金融引き締めをしてしまったのです。

今から考えれば、これがバブル処理における最大の失敗でした。この致命的な間違いにわってバブルの後遺症が大きくなったのです。そもそもバブルの原因は金融緩和ではありませんでした。

だから、バブルつぶしのために金融引き締めすることが正しかったはずもありません。資産バブルを生んだ原因は、法の不備を突いた営業特金や土地転がしなどによる資産売買の回転率の高さでしたが、日銀は原因分析を間違え、利上げという策を実施してしまったのです。

日銀は物価の番人ですが、物価に株や土地の資産価格は含まれていません。本来、日銀は消費者物価指数のような一般物価を眺めながら対策を講じていれば良いのですが、株価の値上がりが自分たちの金融緩和のせいだと思ってしまったのです。
ここで公定歩合と日銀の金融引き締めの経緯を辿ってみます。

公定歩合は、1980(昭和55)年8月に日銀が9%から8.25%に引き下げて以来、87年2月に3%から2.5%に引き下げるまで10回にわたり引き下げられました。これは、多分に大蔵省の要請(実態は指示に近い)によるものです。

しかし日銀は、バブル当時の1989年5月に公定歩合を2.5%から3.25%に引き上げ、同年10月も引き上げました。さらに、バブル退治の「平成の鬼平」と言われた三重野康氏が同年12月に日銀総裁となり、就任直後の12月に引き上げ、さらに90年3月にも引き上げました。バブルがほぼ沈静化した8月にも引き上げ、公定歩合は6%となりました。

バブル退治の「平成の鬼平」と言われた三重野康氏

一般物価ではなく、株や土地の値上がりに対しては、日銀ではなく大蔵省や国土庁(現・国土交通省)がまず対応すべきものです。少なくとも、90年8月の利上げは不要だったと言わざるを得ないですが、さらに大きな問題は91年7月に6%から5.5%に下げるまでに時間がかかったことです。

下げのタイミングが遅れると、その後の引き下げは後追いとなって景気が回復に寄与することはありません。このように大蔵省との対抗心から、バブル期に日銀は金融引き締めという間違った金融政策をしました。このような経緯から、かつては大蔵省は金融緩和が好き、日銀は金融引き締めが好き、という本当にバカげた話が語られるようになってしまいいました。

過去にこのような大失敗をした日銀です。銀行に泣付かれてまたまた、マネタリーを間違えるということもなきにしもあらずです。マネタリーは雇用と物価、特に物価の上昇・下降速度をみていれば、間違いようがありません。少なくとも上記のような、とりかえしのつかない「失われた20年」を招いてしまうようなことはあり得ません。

にもかかわらず、日銀は、間違えってしまったのですから、いかに日銀のマネタリーの部分に、プルーデンスの部分が大きく影響していたかを示すものです。

二兎を追う者は一兎も得ずという諺もあります。もともとの日銀官僚は、まともに数字も読めず、20年間も金融政策を間違えてきたのですから、日銀にはそういう体質が深く染み付いていると考えるべきです。政治家や国民がぼんやりしていると、日銀はまた「失われた20年」どころか、「失われた40年」を招いてしまうかもしれません。

これから、ふたたび誤った金融政策が行われないためにも何とかして、日銀を金融政策に集中させ、過去の間違いを繰り返させるべきではありません。

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2018年7月21日土曜日

【日本の解き方】リーマン危機前の日銀「議事録」 引き締めが必要との姿勢強調、金融機関重視で国民生活軽視―【私の論評】物価目標2%を達成前に量的緩和をやめれば、旧白川日銀のように中国を利し米国からの反発は必至(゚д゚)!

【日本の解き方】リーマン危機前の日銀「議事録」 引き締めが必要との姿勢強調、金融機関重視で国民生活軽視

日銀元総裁 白川氏

 日銀の2008年1~6月の議事録が公開された。リーマン・ショック直前の日銀内でどのような議論が行われていたのか。危機への備えは適切だったのだろうか。

 この時期、日銀人事は混乱していた。08年3月19日には福井俊彦総裁の任期が終了したが、ねじれ国会の与野党の対立により、総裁が約3週間不在になる異例の事態もあった。

 4月上旬には、副総裁に就いたばかりの白川方明(まさあき)氏を総裁に昇格させる案が国会に提示され、4月30日の決定会合から総裁不在は解消された。

 そして、白川氏は6月会合で「たぶん、危機、最悪期は去ったのだろうと思う」と発言した。これは、大手の金融機関が突然破綻するという意味での「最悪」であり、白川氏が金融機関ばかりを見ていたことを示している。

 筆者は、白川氏が同年9月のリーマン危機を想定していなかったことを問題とするつもりはない。あのような数十年に1度のことを予想するのは難しいからだ。

 かつてアラン・グリーンスパン元米連邦準備制度理事会(FRB)議長も「バブルは崩壊して初めてわかる」という名言を残している。

 重要なのは事前の予想ではなく、事後の対応だったが、白川日銀はそれに失敗し、リーマン・ショック後大規模な金融緩和を怠った。その萌芽(ほうが)も1~6月の議事録に見られる。

 この間、FRBは1月に緊急利下げを行ったが、日銀は政策金利を据え置いた。1月の会合で当時の福井総裁は「物価安定のもとでの成長軌道をたどるのであれば、金利水準を徐々に引き上げていく方向にある」と、金融引き締めが必要との立場だった。

 このスタンスは白川日銀にも引き継がれ、4月下旬の会合で須田美矢子委員は「持続的な成長軌道をたどる蓋然性が高い場合は利上げという考えに変わりがない」としている。このほかにも、資源高に伴うインフレ懸念から利上げを検討すべきだとの声すら出ていた。

 白川日銀は、金融引き締めが必要との予断があったために、その真逆の大規模な金融緩和に思い至らなかったのだろう。

 また、白川日銀は金融機関を重視していた。白川氏が、金融機関を見て、「最悪を過ぎた」と発言したとの議事録は既に紹介したが、リーマン・ショック後、日本の金融機関がそれほど打撃を受けていないことが分かると、リーマン・ショックを過小評価したことにつながっている。これは当時の与謝野馨経済財政担当相が「蜂に刺された程度」と述べたことからもうかがえる。与謝野氏は白川日銀の執行部との距離感が近かったので、この発言は日銀の状況を表している。

リーマンショックを「蜂に刺された程度」と述べた与謝野馨経済財政担当相(当時)

 楽観論を戒める場合でも、「金融機関のサドン・デスが重なるとかなり大きなことになるので、十分注意しないといけない」(西村清彦副総裁)というように、金融機関が対象であり、円高などの国民生活への影響は顧みられなかった。(元内閣参事官・嘉悦大教授、高橋洋一)

【私の論評】物価目標2%を達成前に量的緩和をやめれば、旧白川日銀のように中国を利し米国からの反発は必至(゚д゚)!

この当時の日銀の明らかな失策については、過去のこのブログにも何度となく掲載してきました。

それらを簡単に以下にまとめます。

97年には、日銀法が改正され、98年間より、日銀はデフレの中での金融引き締め政府を実施し、日本はこの年から、完璧にデフレに陥りました。この年から、自殺者が前の年まで、2万人台だったものが、3万人台に膨れ上がりました。

バブル期に判断ミスをした日銀の金融政策は、その後もずっと間違い続きとなり、第一次安部内閣のときには、もう少しで、日本経済がデフレから脱却できそうだったにもかかわらず、バブルの最中に金融引き締め転じ、日本をデフレ・スパイラルの泥沼に再びひきずり下ろし、その後第一次安部内閣は、崩壊しました。

過去ほとんど金融緩和をしなかった日銀

リーマンショックのときには、日本を除く欧米先進国などすべてが、大規模な金融緩和を行ったにもかかわらず、日銀はほとんど実施せず、その結果、ショックの震源地であるアメリカや、直接の影響をかなりこうむったEU諸国などが、すぱやく立ち直ったにもかかわらず、本来ほとんど影響のなかった日本が、大きな影響をこうむり一人負けの状況でした。こうした意味では、日本におけるリーマンショックは実は、日銀の不手際によるものであって、日銀ショックと呼んでも差し支えないものでした。

実際リーマンショック震源地の米国よりも、2008、2009年の実質落ち込みは激しいものでした。それは以下の表をご覧いただければご理解いただけるものと思います。



その後も日銀の不手際は続きます。なにやら、おかしげな基金を設置して、短期の国債(短期の国債を買い取っても現金を現金に替えているようなもので、ほとんど金融緩和の効果はない)などを買取るようなことをして、いかにも金融緩和をやっているようにみせかけつつ、実質的に金融引き締めを続けていた日銀は、東日本大震災が発生したときでさえ、基本的には金融引き締めを実施し、緩和はしませんでした。


そのためにどういうことになったかといえば、震災などの大規模な自然災害が発生すれば、救援活動や復興活動で、当然のこととして円の需要が高まります。にもかかわらず、日銀は、金融引き締めをしたままので、その結果として、当然円の需要はますます高まり、かなりの円高となりました。

どの国でもまとも国であれば大規模な自然災害が発生すると、多少通貨高になるのが普通ではあります。確かに、東日本大震災の前の年にあった、オーストラリアの水害のときも、オーストラリアドルが高くはなりました。しかし、日本の場合は、高くなりすぎただけでなく、長期間続きました。やはり、日銀歩が金融引き締めばかりに実施して、円を市場に投下しなかったためです。

この馬鹿な日銀による、金融政策の失敗続きは、2014年の4月に黒田体制となってから、異次元の包括的金融緩和が実施されて以来、終止符が打たれたわけです。

それにしても、日銀はなぜこのようなデフレ円高誘導をしてきたのか疑問が残ります。白川総裁を始め、その前の福井俊彦総裁、さらにその前の速水優総裁はとにかく頑なにお札を刷りませんでした。

デフレ脱却議連が当時の民主党政権に抵抗して『白川、お札刷れ!』と言っても、そのたびに中国人民銀行の周小川(しゅうそうせん)総裁が『お札するなよ』と命令をしてくるので、実行しなかったのでしょうか。

周小川は2013当時『日本の金融緩和は許せない』などと語っていました。なぜあんなことを言えたのかと、冷静に考えれば、周は白川の上司だったと考えれば納得がいきます。無論白川氏が本当に周の部下だったのかどうかはわかりませんが、白川氏が総裁だったこの日銀が実行していることをみれば、そういわれても無理はないです。

現在も中国自民銀行のトップである周小川

日本銀行は日本の銀行ではなかった、というこかもしれません。当時日銀が金融緩和をしなかったため、中国はかなり緩和をしても、インフレになる心配がない状況になりました。

デフレ円高によってほぼ固定相場制のごとく元安が約束されますから、中国は元安で貿易黒字が続きました。その当時は、日本に工場があると、同じものを製造しても中国で製造するよりも高くなるので売れなくなりました。

そのため、産業が空洞化しました。それを一気に逆転する方法が安部総理の『日銀をとるのは天王山』だったわけです。日銀が中国の手先だとわかった以上は、戦うしかないわけです。ただし、戦うとはいっても無論武力で戦うわけではありません。

金融というのは非常に重要で、日銀を動かすことができれば、これは中国に対しては、核武装に匹敵するくらいの威力があります。だから安倍総理は日銀にこだわったのです。日銀を手中にすれば、中国を『滅ぼす』ことは容易なのです。
15年間デフレで安倍さんが日銀に金融緩和しろといった途端に、景気が回復軌道に入りました。東京から10大都市に向けて順々に派遣やフリーターの時給が上がり始めました。

誰がデフレ不況の元凶だったかは明らかです。安倍総理が前の日銀総裁の白川方明に『お札刷れ!』と言ったら、なぜか、あくまでなぜかですが、尖閣諸島に戦闘機とか軍艦が押し寄せてきました。しかし、いまや中国バブルは崩壊寸前です。

日銀が文字通り日本の銀行になったことで中国は別の手を打ってくる可能性もあります。中国が打つ手は三つあります。一つはチャイナ系ヘッジファンドが株価の操作を試みることです。アベノミクスそのものをひっくり返そうとすることです。

いまも疑わしき状況があって、円安要因しかない局面でなぜか円高株安に触れています。何かきな臭いところがあります。

もう一つは、尖閣抱きつき作戦です。中国の得意技にプロパガンダがあります。特に歴史問題を持ち出すのが大得意。だから尖閣でさんざん日本を挑発して、日本が殴ったら、『ああ、日本に殴られた。昔と同じようにいじめられた』みたいなことを世界中にプロパガンダして、『歴史問題、頑張るアルヨ』とばかりに、バカなアメリカ人を騙して、他人の力を使って日本を制裁させるといシナリオです。

三つ目の作戦としては、安倍晋三の暗殺です。これは本気でやりかねません。中国の理想的なシナリオ、これは中国に限らず、日本を滅ぼしたい勢力の理想は、今年秋の総裁選で安倍総理が、『自民党は盤石政権』だと言ったあとに安倍さんがなくなることです。

なぜなら、安倍さんがいなくなれば、自民党の政治家は、残念ながら一部を除いて能力が低いです。いかようにでもなるからです。これは本当に困ります。チャイナ系ヘッジファンドの株価操作、尖閣抱きつき作戦、三つ目はちょっと特殊な話ですけど、これらに対して打つ手はいくらでもあります。結論からいうと、安倍さんが生きているかぎり大丈夫です。

そうして、この3つの作戦は、オバマ政権のときにはかなりやりやすかったのですが、トランプ政権になってからがらりと風向きが変わりました。そもそも、オバマ政権のときには、「戦略的忍耐」としてオバマは中国のすることを実質的に見逃してきました。

ところがトランプ大統領は大統領選挙のときから、中国と対峙することを公約としていました。安倍総理は安倍政権成立の直前の2012年12月に、海外のサイトに「安全保障のダイヤモンド」という論文を寄稿して、対中国封じ込め戦略を提唱していました。

そのためこの二人が最初から馬が合うのは当然といえば当然でした。そうして、日米は対中国封じ込めで強力し合うようになりました。

そうして、現在ではトランプ政権は対中国貿易戦争を開始し、本格的に中国を潰しにかかっています。この戦争は、中国が国内市場を開放したり、元を完璧に変動相場制に移行するだけですむことはありません。

トランプ政権としては、現在のところはっきりと中国には言っていませんが、究極的には民主化、政治と経済の分離、法治国家化をせまるものと思います。しかし、これを中国が実行すれば、おのずと中国の現状の体制は崩壊するというか、させることになります。

それは、中国としてはできないと判断することでしょう。であれば、米国としては中国が二度と米国を頂点とする戦後の国際秩序を維持するため、中国がこれに対抗することができないように、経済的にかなり弱体させることを目的とするでしょう。実際、米国はこれを目的として今後、貿易戦争、金融制裁をエスカレートさせていくことでしょう。

このような状況のときに、日本が金融緩和を中途半端にやめてしまえば、白川日銀のときにのように中国を利するだけであり、米国の対中国は貿易戦争の勢いを削ぐことになり、米国からかなり反発されることになるでしょう。

とにかく、日本は物価目標2%を達成するまで、デフレから完全脱却するために、量的緩和を継続し、間違っても中国を利することのないようにすべきです。

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