自民党 二階俊博 元幹事長
「電報を打ってくれって言われりゃ打つんですよ。『応援してやろう』と言ってくれたら『よろしくお願いします』っていうのは、もうこれは合言葉ですよ。モノ買いに来てくれたら『毎度ありがとうございます』って商売人が言うのと同じなんですよね。究明し修正をしてやっていくべきだと思いますが、自民党はビクともしないよ」
二階氏は講演で自身と旧統一教会との関係を否定したうえで、「応援してくれる人たちをこっちが選択する権利はほとんどない」、支援者が旧統一教会関係者かどうか「すぐ瞬時にわかるわけがない」と述べました。
また、政府が決定した安倍元総理の国葬の実施については「当たり前のことで、やらなかったら馬鹿だ」と述べました。
【私の論評】国会議員やメディアは、憲法20条を良く理解した上で、旧統一教会問題を論じないと、大火傷する(゚д゚)!
自民党の二階俊博元幹事長は24日、「世界平和統一家庭連合(旧統一教会)」関連の催しに祝電を送った自民党議員が相次いでいることに関し、「電報を打ってくれと言われりゃ打つ」と語っています。理由について「『応援してやろう』と言ってくれたら『よろしくお願いします』と言うのは『毎度ありがとうございます』と商売人がいうのと同じ」などと語ました。
政治解説者の篠原文也氏が主催する会合で講演し、質疑応答の中で言及しました。
自民党の茂木敏充幹事長は「社会的に問題が指摘されている団体との関係は一切持たない」としていますが、二階氏は「応援してくれる人たちを選択する権利ってのはそんなに無い」と主張。
「『この人は良い』とか『悪い』とか、瞬時に分かるわけがない。できるだけ気を付けてやったらいい」と述べました。そのうえで、問題が分かった場合に「見直していくということで良いんじゃないですか」としました。また「問題があればどんどん出して究明していくべきだ。自民党はびくともしない」とも述べました。
私自身は、二階氏は好きではないのですが、この発言は直截で、非常に良いと思います。現在1議員であり、閣僚でも、党内の要職にもついていないということで、言いやすい立場であることは間違いはないと思いますが、それにしても事実をはっきり発言しているところは、評価したいです。
立憲民主党は8月23日、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)と党所属議員の関係を調査した結果、新たに枝野幸男前代表ら7人が教団側と接点を持っていたと公表しました。接点が確認された立民議員は計14人となりました。そのなかには枝野前代表の名前もありました。岡田氏は既に報じられていました。
「旧統一教会側と“接触”したのは」と言う言い方は、まるでコロナのような言い方です。これは、濃厚接触者と一緒ではないですか。新型コロナもそうですが、濃厚接触者になった人が悪いわけでもないはずです。
旧統一教会の人々と接触してはいけないということになると、これはもう行き過ぎです。
接触しているというなら、マスコミも、接触しています。会報誌のバックナンバーを調べる方がいらっしゃって、「マスコミの広告が出ている」ということも言われています。
会報誌には、マスコミの広告は多く出ていますし、キャンペーン記事などで旧統一教会を持ち上げているものもあります。接触ということに限っていえば、マスコミのほうがはるか接触していると思います。
良く政教分離ということがいわれますが、この考えはどこの国にもあります。しかし、宗教の方からすれば、どんな政党を支持しても自由です。政治家も、いずれかの宗教に入信しても良いはずです。
政治家の接触が良くないというならば支持者全員に「あなたの宗教は何ですか?」と聞かなければならないことになり、内面の自由に反することになります。
唯一決まりがあるのは、「国が特定の宗教を助成してはいけない」ということだけです。だから「接触がダメだ」と言うのなら、政治家は事前に支持者一人ひとりに「あなたの宗教は何ですか?」と聞かなければならないことになります。これは、「内面の自由」に反します。
これは、憲法問題となる可能性があります。だから聞いてはいけないのです。内面の自由は尊重しなければいけないですから、「あなたの宗教は何ですか?」などと面接で聞いたら法律違反になります。
霊感商法は違法だが、宗教の自由、内面の自由には触れられないのです。他方、霊感商法と呼ばれるような問題は、30年ほど前からありました。これに関しては、さまざまな法整備等々が進められてきました。
霊感商法に関しては宗教とは関係なく、消費者契約法の問題なのです。そこで違法行為をしていたら法律違反です。宗教とは関係なく、消費者契約法によれば、取り消しができますが、消費者契約法ができる前は詐欺や公序良俗などの法的措置で対応していたのです。
違法の部分に関しては、法的に対応すれば良いですが、宗教の自由、内面の自由があるので、そこに触れるようなことは、すべきではないです。
政教分離に関しては、フランスで行われている「ライシテ」と呼ばれるような、かなり厳格なことを日本も実施するか否かというのが問題の本質です。
ロンドンのフランス大使館前でフランスのブルキニ禁止令に抗議する人々(2016年) |
立法論でそういうものはあり得ますが、日本ではかなり難しいです。公共の場でスカーフを巻いてはいけないという事例も出てきて、「ここまでいくとやりすぎだろう」と意見がフランスのなかでも出ています。
人にとっては、内面の自由は重要ですから、要はルールをはっきり決めた上で、対応しなければいけない問題です。
ただ、そもそも論として、現行の憲法論として、宗教団体を教義等を理由に規制する事はできないです。教義に踏み込むには憲法20条(信教の自由に関する条項)の改正が必要ですが、それは同時に宗教弾圧のリスクも伴います。だから、宗教という枠組みでない「消費者契約法」実態規制ということになるのです。
このあたりの状況を二階元幹事長は、しっかり理解しているのでしょう。だから、明瞭に意見を述べる事ができたのだと思います。
日本国憲法第20条は、次のような条文です。
1 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。
第20条は「信教の自由」を定めたものです。その「信教の自由」を実質的に支えるために、国家および公権力が宗教や個人の信仰に介入することを禁じています(政教分離原則)。
なぜなら大日本帝国憲法でも、文言のうえでは「信教の自由」は謳われていたのですが、
伝統的な法学の世界で使われる「政教分離」という用語は、英語では「Separation of Church and State」と表現され、文字どおり「教会と国家の分離」を意味します。「政」は「政治」や「政党」ではなく「国家」なのです。
国家に対して〝宗教への国家の中立性〟を求めるものであって、国民に対して〝宗教者の政治参加〟を禁じたものではありません。
最高裁判例でも、「政教分離原則」とは「国家の非宗教性ないし宗教的中立性」を意味すると示され、これらは日本の憲法学界の通説(多数説)として定着しています(「最高裁判所判例集」)。
このことは、日本国憲法の草案が帝国議会で議論された際、すでに確認されています。
これは、1946年7月16日の衆議院の「帝国憲法改正案委員会」における、松沢兼人議員(日本社会党)の質問と金森徳次郎・国務大臣の答弁の議事録をご覧いただければご理解いただけると思います。以下に議事録を現代語に直したものを掲載します。
なぜなら大日本帝国憲法でも、文言のうえでは「信教の自由」は謳われていたのですが、
安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ(国家の安全と秩序を妨げず、国民の義務に反しない限りにおいて)という条件付きなのです。
伝統的な法学の世界で使われる「政教分離」という用語は、英語では「Separation of Church and State」と表現され、文字どおり「教会と国家の分離」を意味します。「政」は「政治」や「政党」ではなく「国家」なのです。
国家に対して〝宗教への国家の中立性〟を求めるものであって、国民に対して〝宗教者の政治参加〟を禁じたものではありません。
最高裁判例でも、「政教分離原則」とは「国家の非宗教性ないし宗教的中立性」を意味すると示され、これらは日本の憲法学界の通説(多数説)として定着しています(「最高裁判所判例集」)。
このことは、日本国憲法の草案が帝国議会で議論された際、すでに確認されています。
これは、1946年7月16日の衆議院の「帝国憲法改正案委員会」における、松沢兼人議員(日本社会党)の質問と金森徳次郎・国務大臣の答弁の議事録をご覧いただければご理解いただけると思います。以下に議事録を現代語に直したものを掲載します。
松沢委員 「いかなる宗教団体も…政治上の権力を行使してはならない」と書いてあるのであります。これは外国によくありますように、国教というような制度を我が国においては認めない、そういう趣旨の規定でありまして、寺院やあるいは神社関係者が、特定の政党に加わり、政治上の権利を行使するということはさしつかえがないと了解するのでありますが、いかがでございますか。
金森国務大臣 宗教団体そのものが政党に加わるということがあり得るかどうかは、にわかには断言できませんけれども、政党としてその関係者が政治上の行動をするということを禁止する趣旨ではございません。(「帝国議会議事録」)
「帝国議会議事録」の原文より |
ここで松沢議員は、「いかなる宗教団体も――」の条文が、特定の教団やその関係者が特定の政党に参画して政治上の権力を行使することを禁じていないことを政府に確認している。これに対し、政府(金森大臣)も「禁止する趣旨ではない」と明言しています。
この解釈によれば、創価学会のような、宗教団体が政治に関与することは、そもそも違憲ではないということになります。ましてや、旧統一教会が選挙運動の応援をすることも違憲ではないということになります。
22日、“統一教会”がホームページで、「異常な過熱報道に対する注意喚起」として文書を公表しました。現在の報道について、「不当に当法人等を貶(おとし)める報道に対しては、法的手段を講じて厳重に対処させていただく」と批判しました。法的手段も辞さないとの考えを示したのです。
統一教会のメディアに対する訴訟でメディア側が敗訴すれば、メディアの浄化も進むでしょう。さらに、問題発言した出演者はとんでもないことになるかもしれません。メディアは責任をとらず、出演者に責任を押し付けることになるかもしれません。
国会においても、野党議員などが、憲法20条の信仰の自由を無視した、問題発言をすれば、自滅するということにもなりかねません。
国会議員や、メディアはまずは、日本国憲法20条の内容を良く理解した上で、旧統一教会問題を論じるべきです。そうでないと、メディアや野党、識者、コメンテーターの中にも大やけどをする人がでてくるかもしれません。野党も半端な気分で、旧統一教会と自民党の議員の関係など国会でつついていると「内閣法制局」あたりにピシャリとやられ、大赤恥をかくことになるかもしれません。
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