2023年4月15日土曜日

警護計画を事前に警察庁が確認 首相演説会場で筒投げ爆発―【私の論評】左翼リベラル系メデイアや言論人は最低限、暗殺、大量殺人、自殺を政治利用するな(゚д゚)!

警護計画を事前に警察庁が確認 首相演説会場で筒投げ爆発

取り押さえられてもなおカメラ目線であるのが不思議で不気味な犯人

 衆院和歌山1区補欠選挙の応援で、和歌山市の雑賀崎漁港を訪れた岸田文雄首相の近くに爆発物のようなものが投げ込まれた事件で、警護計画を事前に警察庁が確認していたことが15日、和歌山県警への取材で分かった。

 昨年7月の安倍晋三元首相銃撃事件を受け、警察庁は警護要則を全面的に改正。都道府県警が行う全ての警護計画を警察庁が事前審査し、必要があれば計画を修正する仕組みに改められた。

 県警によると、威力業務妨害容疑で逮捕された職業不詳、木村隆二容疑者(24)=兵庫県川西市=は調べに対して「弁護士が来てからお話しします」と供述。事件について黙秘しており、県警が動機や経緯を調べている。

 事件は15日午前11時25分ごろ発生。岸田首相が雑賀崎漁港でエビなどの地元海産物の試食を終え、聴衆の前に移動して演説を始めようとしたところ、銀色の筒状のものが投げ込まれ、爆発した。

 首相にけがはなかったが、現場にいた県警の男性警察官1人が軽傷を負った。木村容疑者はその場で取り押さえられた。首相は演説会場を車で離れ避難し、和歌山市内の県警本部へ移動。同日午後にJR和歌山駅前で街頭演説を再開した。

【私の論評】左翼リベラル系メデイアや言論人は最低限、暗殺、大量殺人、自殺を政治利用するな(゚д゚)!

まずは、岸田首相がご無事で良かったです。

安倍元総理、暗殺事件では、メディアや活動家がテロリストを擁護し、神格化し、その利益に資する主張を繰り返し、犠牲者をあたかも犯罪者のように罵り、一部野党とメディアが執拗に政府を悪魔化し続けていました。これでは、このようなテロリズムがいつ発生しても不思議ではありませんでした。

今回の事件は、まだ動機などの解明がされていないため、詳細はわかりませんが、模倣犯である可能性はかなり高いです。

模倣というと、「ウェルテル効果」と呼ばれている現象があります。社会学者のデヴィッド・フィリップスが1970年代に実証しました。

名称は1774年にゲーテが著した小説『若きウェルテルの悩み』に由来します。主人公の自殺という結末に誘発された当時の若者が、同様の方法で自殺を試みた例が多発したからでした。

日本での先駆けは1903年(明治36年)のエリート学生、藤村操の華厳滝への投身自殺に伴う自殺の連鎖です。「人生は不可解である」という謎めいた言葉を残した遺書「巌頭之感」などが大々的に報じられました。


藤村操と木に彫られた遺書『巌頭之感』

これは「模倣自殺(copycat suicide)」とも言われ、ソーシャルメディアが普及し有名人をより身近な存在として感じる現在では、急速に広範囲に作用することが懸念されています。

2021年12月17日に、大阪市北区の雑居ビルで25人が死亡した放火殺人事件が起きたことは覚えておられる方も多いでしょう。雑居ビルに入っていた心療内科クリニックに60代の男性が放火し、職員や患者らが犠牲になった事件です。大阪府警は、計画的な犯行との見方を強めていました。

恐るべきことにここでもウェルテル効果と似た「模倣」の疑いが影を落としています。36人の犠牲者を出した京都アニメーションの放火殺人事件に関する新聞記事などが男性の住居から見つかったからです。男性の死亡により動機の解明は困難になったものの、新聞記事は単に放火の手段の参考として使われただけではないことも考えられます。


米国頻発している銃乱射事件について、社会科学雑誌「ニュー・アトランティス」の編集者アリ・N・シュルマンは、大量殺人が模倣行為であり、犯人は模倣者であるとの見解がここ数年で確立したと述べました。

「アリゾナ州立大学の数学者シェリー・タワーズ氏の研究によると、銃乱射事件が発生する確率は、直前に別の銃乱射事件が起きた場合に大幅に高まることが判明。発生確率が高まる期間は平均で13日間であることも分かった」という。

また、「特定の銃撃犯がそれ以前の銃撃犯を称賛したり、そこから学習したりした具体的証拠」もあるとしました(銃乱射事件、連鎖のわけ 世間の注目が引き金に/2017年11月24日/WSJ)。要するに強く影響されることは、あり得るのです。

人類学者のエリオット・レイトンは、犯人は大量殺人が世間に大きな衝撃をもたらすことに意識的だと指摘しています。

「凶暴な文化的英雄というアイデンティティの抜け道は、殺人者に称賛や愛情はほとんどもたらさないだろうが、大衆の敬意とマスコミの注目は確実に約束されている。それによって称賛や愛情の欠如は十分に償われるだろう。この特殊な意味において、殺人の価値と行動は、主流文化と完全な調和を保っているのである」(「大量殺人者の誕生」中野真紀子訳、人文書院)。

レイトンは、同書で以下のようにも語っています。

「むしろ彼らは、殺人という社会的発言が一種の不滅性をもたらすのを承知した上で、一息に続く爆発的行動によって復讐を果たし、死にたいと願っているのである」。

殺人者は、社会に永久に消えない傷を残すことによって、自らの存在の報われなさを癒やすのです。しかし、社会とは概念上のものではありながらも、厳然と存在し、実体は強靭でしなやかであり、変幻自在に変わっていくものです。

そもそも、人間は社会的な生き物であり、どのような社会にも、それが緩いか、きついかは別にして、規範や序列があります。それがなくなれば、社会は崩壊します。それが嫌なら、無人島で一人で生活するしかありませんが、無人島であっても、複数の人間が生活することになれば、そこには自然と規範や序列ができあがり、小さいなが社会が構築されるのです。

そうして社会そのものを個人が破壊するのは至難の業です。よって、暗殺者や大量殺人者が、社会を傷つけようと企てても、実際に傷付けられるのは社会そのものではなく、たまたま居合わせた人や通りすがりの人ということになります。あるいは、安倍元首相など社会を代表するとみられる人ということになります。

アリ・N・シュルマンは、2017年、ジャーナリズム研究機関のポインター・インスティテュートが承認した伝播効果を避けることを目的とするベストプラクティス(最良慣行)指針を紹介しています。

「犯人の名前は必要な場合に限って伝える、イメージが美化される可能性を避ける、『史上最悪の』などの最上級表現を控える」といった内容です。

ニュージーランドでは、現地時間2019年3月15日13時40分にクライストチャーチにある2つのモスクで銃撃事件が発生しました。

当時のニュージーランドのジャシンダ・アーダーン首相は、銃撃犯の名前を一切口にしないと誓ったのですが、これはレイトンのいう「不滅性」を少しでも骨抜きにしようとする試みの一つといえます。

ニュージーランドのジャシンダ・アーダーン元首相

アーダーン首相は議会で、「男はこのテロ行為を通じて色々なことを手に入れようとした。そのひとつが、悪名だ。だからこそ、私は今後一切、この男の名前を口にしない」「皆さんは、大勢の命を奪った男の名前ではなく、命を失った大勢の人たちの名前を語ってください」と演説しました(ニュージーランド首相、銃撃犯の名前は今後一切口にしないと誓う/2019年3月19日/BBC)。

この言葉の後段の言葉は非常に重いです。

わたしたちは、メディア通じて多くの悲劇を目の当たりにし、またそこから模倣という恐るべき学びを得る事態もあり得るからです。

まさに、安倍元首相の暗殺犯に関して、憎むべきテロを讃えた左翼メディアや言論人たちは、これを助長したのです。それどころか、暗殺犯をモデルとした映画まで上映される始末です。

大量殺人と同じく、安倍元首相暗殺犯や今回の犯人も、社会の不滅性、メディアの不滅性を疑うどころか強く信じているのでしょう。それらを意義あるものと感じているからこそ、破壊に値するとの発想を呼び込んでしまうのでしょう。

しかし、彼らは勘違いしています。結局のところ社会とは概念であり、直接コミュニケーションできる具体的な対象ではないからです。しかし、概念であっても社会は厳然と存在しており、その社会はもともと永遠不滅なものではなく、時を経て変幻自在に姿を変えていきます。小さな社会は、他の社会と統合したり、大きな社会は分裂したりします。

米国においては、トランプ氏が社会を分断したなどと批判されていますが、そもそも社会は異なる価値観、規範、序列によって規定されるコミュニティーにより構成されており、米国社会も他の国々の社会も、もともと分断されているともいえます。それが、社会問題化するまでに分断されるか、されないかが問題であって、社会とはもともとそういうものです。

暗殺者や大量殺人犯等が思っている以上に、多くの社会は強靭であり、しなやかです。実際、日本社会は、第二次世界大戦の惨禍を経ても、立ち直り経済発展をやり遂げました。かなり大きな自然災害にあっても多くの人は、一時は悲しみに打ちひしがれていても、また立ち上がり悲しみを乗り越え、生活をしていきます。

私は、福島県の相馬町で、震災で子ども孫や親など多くの人がなくなってしまった人が、周りの人たちに支えられて相馬野馬追に参加する姿や様をテレビで視聴しましたが、感動を覚えるとともに、社会の強靭さや靭やかさについて改めて知ることができました。

こうした強靭でしなやかな社会を暴力によって自らが変えられるという妄想でしか、自らの心を奮い立たせることができなくなったことこそ、彼らの地獄です。

このような妄想を助長するメディアも、最近ではかなり弱体化してきしまた。

今後メディアは、暗殺や大量殺人があったときには、あるいは著名人の自殺などがあったときには、犠牲者や遺族とともに苦しみ、哀悼の意を表すプロセスの中に、他者との死別や、自身の死について、事件に巻き込まれた人と同じような感覚を呼び起こすような報道をすべきです。

また、人によっては今回のような極端な行為には至らないまでも、自他を傷付ける言動を取っていた可能性を思い返し、その危うい巡り合わせを他人事として片付けられず深く省みさせるような報道、世界の不条理についてどのような姿勢向き合うのか考えざるを得なくするような報道をすべきです。

そうでないと、今のままではメデイアは大量殺人や暗殺、自殺を助長する存在になってしまいかねません。私は、メディアは昔からその傾向があったと思うのですが、最近その傾向に拍車がかかってきたように思われてなりません。

それは、いつの頃なのかといえば、「保育園落ちた日本死ね!!!」の発言あたりからだと私は思うのです。

この発言は、2016年2月15日にはてな匿名ダイアリーに投稿された、待機児童問題を強烈に批判する内容の記事でした。それをそのまま以下に掲載します。

何なんだよ日本。

一億総活躍社会じゃねーのかよ。

昨日見事に保育園落ちたわ。

どうすんだよ私活躍出来ねーじゃねーか。

子供を産んで子育てして社会に出て働いて税金納めてやるって言ってるのに日本は何が不満なんだ?何が少子化だよクソ。
— 匿名(Twitterアカウント名:保育園落ちた人)、保育園落ちた日本死ね!!!

このように投稿したくなる気持ちはわからないでもないです。それにしても、匿名の「保育園落ちた日本死ね!!!」は酷いと思います。

これだけなら、さほど問題にはならなかったと思うのですが、民進党の山尾志桜里衆議院議員(当時)は、2016年2月29日にこの記事を国会で取り上げ、安倍晋三首相(当時)は、匿名であり「本当か確かめようがない」と答弁したとの報道があったあたりからおかしくなってきました。

この記事と安倍の国会答弁に触発される形で、国会周辺で待機児童問題への抗議運動が行われました。さらに、「保育園落ちた日本死ね」が2016年の新語・流行語大賞のトップテンに入ったのです。

選考委員会は「このフレーズが先導するようにして大きな社会問題を現出させた」と評価し、受賞者は、記事の投稿者が匿名のために、国会でこの言葉を初めて取り上げた山尾が選ばれたのです。

これに対して、左翼リベラル系の人々は称賛する人が多かったです。

一方、タレントで5人の子を持つつるの剛士氏は、「こんな汚い言葉に国会議員が満面の笑みで登壇、授与って。なんだか日本人としても親としても僕はとても悲しい気持ちになりました。きっともっと選ばれるべき言葉や、神ってる流行あったよね。。」などとTwitterに投稿。

この投稿には賛否の声が上がり、その後「『綺麗な言葉を使おうね』なんて一言も言ってないです」、「ただ、死ねが流行語?? と。そんな声に国会議員が満面の笑みで登壇に違和感を覚えたというイチ視聴者の感想ツイートでした。。すいませんでした」などと投稿しました。

石平氏は、Twitterに「普通の日本人の間では、『日本死ね』のような言葉が流行った気配はないし、流行るはずもないのであろう。むしろ、それをわざと流行らせたい人がいる」と批判ツイートを投稿しました。

2ちゃんねる元幹部の山本一郎氏は、朝日新聞系のネットメディアであるハフポストが特定の野党と協力して広めた運動と主張していました。

いずれにせよ「死ね」という言葉がどのような形であれ使われることになったことには非常に違和感と危機感を覚えました。それは当時のブログ記事にも書いています。

私としては、「日本死ね」あたりから、メデイアなどが変遷していったように思えます。その後、ネットなどでは「アベ死ね」などの言葉がみられるようになりましたし、「アベ政治を許さない」というポスターを見かけるようになり、さらには私自身も、ご高齢の御婦人がスーパーで「アベ政治を許さない」というストラップを財布につけているのを見かけました。

このあたりから、「アベや政権などに対しては何を言っても構わない」という風潮が一気に一部の人にではありますが、広まったように思います。最近のコニタン騒動もその傍系かもしれません。

それが安倍元総理の暗殺や今回の暗殺未遂に繋がったかは、わかりませんが、メディアや左翼リベラル系言論人は、その可能性は全く否定はできないことを認識し、大量殺人や暗殺や自殺に対する報道や言論の姿勢を変えるべきです。

少なくとも、暗殺、大量殺人、自殺などを政治利用するのだけはやめていただきたいです。

変える気がないというのなら、いずれ自ら消えていくしかなくなるでしょう。実際、高橋洋一氏は新聞の発行部数の減り具合から、昨年10年後新聞は消えるだとろうと予測しています。

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