2022年1月31日月曜日

一行目から馬脚をあらわした 岸田首相の『文藝春秋』寄稿の笑止―【私の論評】岸田首相の経済政策は、財務省による遠大な計画を実現するための持ち駒にすぎない(゚д゚)!

一行目から馬脚をあらわした 岸田首相の『文藝春秋』寄稿の笑止

「新しい資本主義」は「新しい社会主義」か?








もう、お里が知れる

 本コラムでは、これまで岸田政権のグダグダ、モタモタを散々と書いてきた。

  2021年12月13日付の「この一ヵ月で岸田政権が間違えた3つのこと」、同27日付の「年の瀬までグダグダ・モタモタの岸田政権 いったいどこに向かうのか?」など, いくら書いても書き足りないくらいだ。これほど「とろこい」政権はひさしぶりだ。 

  筆者は、岸田政権の本質を「左派」だと見てきた。そこで新年早々に出版したのが『岸田政権の新しい資本主義で無理心中させられる日本経済』(宝島社)である。

  岸田首相は、『文藝春秋』2022年2月号に「新しい資本主義」を寄稿した。本コラムの読者であれば、昨年、矢野財務次官が寄稿した『文藝春秋』11月号の原稿について、筆者が会計学的・金融工学的観点から「落第」判定をしたのを覚えているだろう(2021年10月11日付「財務事務次官『異例の論考』に思わず失笑…もはや隠蔽工作レベルの『財政再建論』」)。またも同じ『文藝春秋』上の出来事なので、苦笑せざるを得なかった。


  岸田首相の寄稿を、筆者も早速読んでみた。この種の雑誌寄稿は、実際は首相の首相のブレーンが執筆するものだが、当然岸田首相が了解済みのものだ。

  失笑ものの矢野氏の寄稿を、岸田氏は容認した。それだけでも問題だと思うが、今度は一応本人名義の寄稿である。  総字数は1万をやや超える程度であるが、はじめの1節を読んでみて、さっそく「お里」が知れてしまった。

  はじめの1節は、問題意識や検討対象を述べる重要な箇所だ。そこではこう書かれている。  〈市場や競争に任せれば全てがうまくいくという考え方が新自由主義ですが、このような考え方は、1980年代以降、世界の主流となり、世界経済の成長の原動力となりました。他方で、新自由主義の広がりとともに資本主義のグローバル化が進むに伴い、弊害も顕著になってきました。〉

霞が関の必殺技「真空切り」

 はっきり言えば、これから後は読む必要のないほどの馬脚を露わしている。「新自由主義」なるものを糺していきたいという意気込みがわかるが、問題は「新自由主義」の定義である。岸田首相は、新自由主義を「市場や競争に任せれば全てがうまくいくという考え方」というのだ。

 どのような経済学者に聞いても、市場や競争に任せれば全てがうまくいくと考える人はいない。どのような経済学テキストでも、市場の失敗も政府の失敗の可能性も示される。市場や競争に任せればすべてうまくいくことはないし、政府に任せたからといってすべてうまくいくとは限らない。市場・競争と政府のバランスの問題なのだ。

 ところが岸田首相は、はじめの定義の段階で誤っている。無意味な定義からスタートすれば、それ以降の議論はまったくナンセンスになる。論理学ではよく知られた話ではあるが、どんなデタラメを言おうと形式論としては「正しい論法」となるから、これは最強論法だ。

 こうした論法は、官僚の世界では「真空切り」と言われる。真空切りは、たとえば予算査定においてとんでもなく大きく減額しておいて、補正で手当をしなければいけないような「あり得ない」予算査定のことを指していた。

 しかし、他の場面でもよく使われる。

 第一次安倍政権時代、筆者の仕事で、国会公務員法を改正して天下り斡旋を禁止しようとした。職業選択の自由に反する建前があるため、国家公務員の天下りそのもは規制しづらかった。しかし天下りは役所の人事の一環なので、役所(国家公務員)による斡旋が重要な構成要素となる。天下りの斡旋自体を禁止しようとしたのだ。

 しかし、役所は猛反対した。そのときに、役所側が提示してきた案の一つに「営利法人による斡旋」の禁止があった。役所の人事の一環である天下りを斡旋するのは役所(国家公務員)だから、ありえない前提だ。営利法人を規制しても意味がない。

 ありえない前提を持ち出すことで、規制をまったく骨抜きにする手法だ。これも霞が関における「真空切り」である。

 真空切りで始まる岸田氏の寄稿は、岸田政権のブレーンが書いたにしろ、あまりにもお粗末だ。この「新自由主義」への前提を読めば、その後は読まなくても、デタラメのオンパレードというのは容易に想像できる。

所信表明演説では触れていない

 なお、その他の各論については、長谷川幸洋氏と原英史氏にと私による鼎談(「長谷川幸洋と高橋洋一のNEWSチャンネル 【岸田政権】『新しい資本主義 徹底分析』」)をご覧いただきたい。



 霞が関文学における「真空切り」論法では、しばしば荒唐無稽な「反対解釈」へと誘導されることが多い。岸田首相の場合も、「市場や競争に任せれば全てがうまくいくという考え方」を否定することで、あたかも「政府に任せれば全てがうまくいく」と思っているかのようだ。

 その一例について、先述した鼎談の中でも触れた。岸田首相は寄稿で「メインバンクの判断で債務軽減できる法整備」を主張している。債権者平等という民法原則に挑む野心策であるが、世界の資本主義国では聞いたことがない手法だ。誰かの一存により他の債権者の権利侵害を平気で行えるとは、まるで全体主義のようだ。

  筆者の周りの経営者の中にも、岸田政権の「新しい資本主義」は「新しい社会主義」ではないかと懸念する人は多い。

  岸田首相のこうした野心的な政策は、所信表明や施政方針演説では、当然ながら言及されていない。一方で、それ以外の政策については、「10兆円規模の大学ファンド」のように、これまで安倍・菅政権でやってきたことをあたかも「新しい」ことにように看板替えしただけだ。

  最後に、本コラム(2022年1月10日付「オミクロン株対策を迷走させる『岸田の鉄砲、官僚の逃亡、メディアの沈黙』」)でも指摘してきた岸田政権の「ちゃぶ台返し」について触れておこう。 

 佐渡金山の世界遺産登録の推薦で、岸田首相はまた「ちゃぶ台返し」をやった。岸田首相は外相時代に「軍艦島」の遺産登録で大トラブルになった経験もある。外務省も文科省も、佐渡金山の推薦見送りを事前説明したはずで、そのつもりだったはずだ。

  だが先々週あたりから安倍元首相を含めた自民党保守系議員から、推薦見送りはおかしいという意見が出始めた。先週1月24日の国会では、高市政調会長の質問に岸田首相はタジタジになった。翌25日の首相動静を眺めていると、関係役人を官邸に呼んでいることがわかったので、一転して推薦すると直感した私は、ツイートし、私のチャンネルでも推薦の見通しを述べた。案の定、28日、岸田首相は、佐渡金山の遺産登録推薦を表明した。 

 この調子で、新型コロナについても「ちゃぶ台返し」で感染症法上第2類相当から第5類への引き下げを期待したいところだが、当分はありそうにない。仮にあったとしても新型コロナが落ち着いてからになるだろう。

髙橋 洋一(経済学者)

【私の論評】岸田首相の経済政策は、財務省による遠大な計画を実現するための持ち駒にすぎない(゚д゚)!

岸田総理大臣は1月25日の衆議院予算委員会のなかで国民民主党の前原氏の質問に対して答えるかたちで、看板に掲げた「新しい資本主義」の分配政策面に関し、株主利益の最大化を重視する「株主資本主義」の弊害を是正したいとの考えを示しました。


「株主資本主義からの転換は重要な考え方の1つだ。政府の立場からさまざまな環境整備をしなければいけないという問題意識を持っている」と述べました。 

これは、一体何を意味するかといえば、「株主資本主義ではなくて株主社会主義を」目指すということでしょうか。そうして、このなかには「財務省の遠大な戦略」があるようですが、それについてはなぜか誰も解説しません。本日はそれについて解説しようと思います。 

まず、岸田氏は、「労働者の利益のため」と語っていますが、それにはは撒き餌というか見せ金があって、それが「賃上げ税制」なのです。岸田政権でも賃上げ税制による税収効果がわかるのですが、せいぜい1000億円程度過ぎません。

そうして、その次に、「資本家の方から金を取る」という意味合いで、配当課税の強化ということになるのです。岸田総理の「新自由主義」発言は、これを糊塗するためのものに過ぎません。配当課税の強化が本命で、こちらは数千億円~1兆円規模のの増収になります。

「配当課税の強化」と「賃上げ税制」をセットにし、「撒き餌」としての賃上げ税制があり、その後に配当課税の強化を実施する腹積もりでしょう。そういう財務省による遠大な計画があって、岸田氏の「新自由主義」発言は、それに則っているだけなのです。

体よく「労働者のために」という言い方をしますが、逆に言うと経営者、資本家の方から金を取るという政策です。 

配当課税の強化とは、分離課税を見直しの一環であり、今回の「株主資本主義」という言葉は、その布石のためのものです。労働者の賃上げをするふりを見せて撒き餌を行い、最後に配当課税の方に持って行くというシナリオです。

これは、すでに総裁選のときに岸田氏から少し出ていたのですが、批判があまりに多くて一旦うやむやになったものです。あまり考えずに 言ってしまったのが、大きな反発をくらってしまったので、うやむやにしたということです。


そのため今回は「株主資本主義」などと遠回しに言っているのでしょう。質問されたときは当面、賃上げ税制の話をしておくわけです。賃上げ税制は、せいぜい1000億円程度のものであり、全く効果がないですし無意味ですから、いくら語っても良いと考えているのでしょう。

そのうち頃合いを見て、配当課税の話に行くでしょう。そうなると、勤労者からすれば、賃上げはほとんどなく、そうして配当課税の方で「ドカン」と増税ということになります。配当課税方がはるかに税収も大きいから、そこを狙っているのでしょう。要するに平たく言えば大増税です。

 分離課税をする理由は、日本でも広く一般に投資をやってもらおうという、NISAやiDeCoと同じ流れのように見えるのですが、そこに政府が手を入れたいとことなのでしょう。資本家の懐の方に手を入れると成長の元手がなくなるのですが、今回の岸田政権には成長戦略がないこととも符号します。それと表裏一体です。 

成長戦略がなく、パイを大きくせずに、パイの切り分け方だけを考えているということです。岸田首相の背後には財務省がいて、取りやすいところに手を突っ込むという戦略の一環です。

財務省にとっても、本来はパイを大きくしてからの方が財政再建になるのではとも見えるのですが、 財務省は本当は財政再建を考えていないのです。考えているように見せかけるのは、先の戦略を成就させるために過ぎません。

はっきり言えば、元々政府には資産を考慮に入れたり、統合政府(政府と日銀を含めた連結決算ベース)でみれば、財政赤字などはなく、財政再建は必要ないですから、そのことを財務官僚は知っており、財政再建は先の戦略を成就するための隠れ蓑にすぎないわけです。そのために言うだけで本当は、必要ないのです。

岸田首相の経済政策は、財務省による遠大な計画を実現するための持ち駒にすぎないようです。このようなことを実行して、政権支持率が急降下しても、財務省は岸田政権を助けるようなことはしないでしょう。

財務省は、自分たちの省益を追求しているだけなので、岸田政権が存続しようが、短期政権で終わろうが、どうでも良いわけで、とにかく少しでも税金を多く徴収し、それによって各省庁を差配できる幅を増やし、自らの権力基盤を強化し、優雅な天下り生活をすることだけしか考えていないのです。

岸田政権が崩壊しても、国民経済が落ち込もうが、次の政権でまた増税ができて、国家・天下などどうでもよく、とにかくとびきり優雅な天下り生活に一歩でも早く近づければれば、それだけで満足であり、理念も哲学も、矜持も、品性も何もないのです。彼らは、そのためだけに日々邁進しているのです。

岸田首相はそのことにはやく気づくべきです。気づかないようなら、短期政権で終わらせるべきです。

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