岸田文雄首相は「佐渡島の金山」(新潟県)をめぐる韓国との「歴史戦」に挑むにあたり、さまざまな情報の間で揺れ動いた。国連教育科学文化機関(ユネスコ)に推薦する覚悟を決めたのは27日だった。「最後は俺が決める」。そう周囲に語る言葉は自身を鼓舞するようでもあった。
「世界遺産に登録できるように、冷静で丁寧な議論をやろう。米国や韓国をはじめ、関係国にしっかりと説明してくれ」
首相は28日午後、官邸の首相執務室に林芳正外相や末松信介文部科学相ら関係閣僚を集め、こう指示した。
首相は、昨年末に佐渡金山が世界遺産の推薦候補に選ばれてから、推薦の可否を慎重に探ってきた。
外務省からは、韓国が3月に大統領選を控え、佐渡金山を「日本たたき」に利用する懸念が伝えられた。ウクライナ危機を抱える米国は日韓間の対立が深まることを憂慮しているとの見立てもあった。「簡単には通らないな」「今年やるのが良いのかどうか」。そんな慎重な思いが広がっていた。
外務省などが推薦見送りの調整に動き、自民党重鎮議員らへの根回しに入っていた。これに対し自民党内からは「来年に先送りして登録の可能性が高まるのか」(安倍晋三元首相)、「誤ったメッセージを国際社会に発信することになりかねない」(高市早苗政調会長)などの声が強まった。
推薦論と見送り論の板挟みになったが、首相は平成27年に長崎市の端島炭坑(通称・軍艦島)を含む「明治日本の産業革命遺産」が登録された際の外相だ。当時は、韓国の主張を一部認めることで登録を実現させたが、韓国はその後も問題を蒸し返しており、軍艦島は今も韓国との歴史戦の最中にある。
首相は佐渡金山の推薦を見送っても、韓国を相手に登録への道が開ける保証はないとの判断に傾いていった。地元・新潟の強い希望も踏まえた。
「安倍政権のときのような『歴史戦チーム』を復活させたい」
首相は22日、安倍氏にそう打ち明けた。韓国から疑義が呈された場合、一つ一つ証拠を挙げて反論する態勢を整えるためだった。外務省、文科省を中心に省庁一体で取り組むタスクフォースを早期に発足させるという。「登録に向けて早く議論を始めるべきだ」と語る首相の韓国との「歴史戦」が始まった。(永原慎吾)
「世界遺産に登録できるように、冷静で丁寧な議論をやろう。米国や韓国をはじめ、関係国にしっかりと説明してくれ」
首相は28日午後、官邸の首相執務室に林芳正外相や末松信介文部科学相ら関係閣僚を集め、こう指示した。
首相は、昨年末に佐渡金山が世界遺産の推薦候補に選ばれてから、推薦の可否を慎重に探ってきた。
外務省からは、韓国が3月に大統領選を控え、佐渡金山を「日本たたき」に利用する懸念が伝えられた。ウクライナ危機を抱える米国は日韓間の対立が深まることを憂慮しているとの見立てもあった。「簡単には通らないな」「今年やるのが良いのかどうか」。そんな慎重な思いが広がっていた。
外務省などが推薦見送りの調整に動き、自民党重鎮議員らへの根回しに入っていた。これに対し自民党内からは「来年に先送りして登録の可能性が高まるのか」(安倍晋三元首相)、「誤ったメッセージを国際社会に発信することになりかねない」(高市早苗政調会長)などの声が強まった。
推薦論と見送り論の板挟みになったが、首相は平成27年に長崎市の端島炭坑(通称・軍艦島)を含む「明治日本の産業革命遺産」が登録された際の外相だ。当時は、韓国の主張を一部認めることで登録を実現させたが、韓国はその後も問題を蒸し返しており、軍艦島は今も韓国との歴史戦の最中にある。
首相は佐渡金山の推薦を見送っても、韓国を相手に登録への道が開ける保証はないとの判断に傾いていった。地元・新潟の強い希望も踏まえた。
「安倍政権のときのような『歴史戦チーム』を復活させたい」
首相は22日、安倍氏にそう打ち明けた。韓国から疑義が呈された場合、一つ一つ証拠を挙げて反論する態勢を整えるためだった。外務省、文科省を中心に省庁一体で取り組むタスクフォースを早期に発足させるという。「登録に向けて早く議論を始めるべきだ」と語る首相の韓国との「歴史戦」が始まった。(永原慎吾)
【私の論評】今回のちゃぶ台返しは評価できる!岸田首相はこれからもどんどんちゃぶ台返しを(゚д゚)!
このような決断をしなかった場合、韓国側の主張を認めるような流れのなかで推薦を見送るということになり、諸外国から「日本には後ろめたいところがあるのだろう」と疑われることになったはずです。
韓国は「安倍晋三政権とは違って、岸田文雄政権はイチャモンをつければ折れてくる」と見て、あらゆる分野で対日攻勢をかけてきたでしょう。というよりは、私は文在寅は、岸田政権を値踏みしていたのだと思います。
推薦を見送った場合、慰安婦問題に関する「河野談話」に匹敵する大失政になりかねない状況だったと思います。
ちなみに 「佐渡島の金山」への韓国側のイチャモンは、「強制動員労働の現場だった」というものです。そんな場所を「日本政府は世界遺産に推薦してはならない」と主張しています。
本当に「強制動員労働の現場」だったのでしょうかか。 朝鮮日報(2022年1月20日)に、佐渡島の強制動員労働の被害者の娘2人(82歳と77歳)の話を掲載しました(下写真)。 2人の父が佐渡島に入ったのは1940年のことでした。
つまり、徴用令が朝鮮人に適用される(44年9月)前のことです。父は生まれたばかりの長女ともに佐渡島へなどの話をしていますが、ここからして疑問です。そうして、勘違いされないように年のため付け加えておくと、徴用=強制労働ではありません。韓国では、両者を同じように語る人もいるようですが、これがそもそも大きな間違いです。
大戦中は、日本で日本人(当時は朝鮮は日本領だったので、当然のことながら、朝鮮人もふくまれる)が徴用されるのはごく普通のことでした。いや、世界中の他の国々でも、戦争で人手が足りなかったので、米英豪でも、フランス、ドイツでもイタリアでも、当時のソ連でも徴用はありました。
世界中の国々で、男性だけではなく、多くの女性も徴用されました。下の写真は、第2次世界大戦中の女性の徴用工の写真です。
戦時徴用され航空機づくりの作業に従事しているアメリカ人女性 |
そうして、徴用といった場合、給料を支払われました。強制労働ではありません。
ただ、実際に強制労働をさせた国はありました。それは、どこかといえば、ソ連です。いわゆるソ連によるシベリア抑留です。これは、第二次世界大戦の終戦後、武装解除され投降した日本軍捕虜らが、ソビエト連邦(ソ連)によって主にシベリアなどへ労働力として移送隔離され、長期にわたる抑留生活と奴隷的強制労働により多数の人的被害を生じたことに対する、日本側の呼称です。
ソ連によって戦後に抑留された日本人は約57万5千人に上ります。厳寒環境下で満足な食事や休養も与えられず、苛烈な労働を強要させられたことにより、約5万8千人が死亡しました。このうち氏名など個人が特定された数は2019年12月時点で4万1362人です。
ソ連によって戦後に抑留された日本人は約57万5千人に上ります。厳寒環境下で満足な食事や休養も与えられず、苛烈な労働を強要させられたことにより、約5万8千人が死亡しました。このうち氏名など個人が特定された数は2019年12月時点で4万1362人です。
朝鮮人もシベリア抑留された事実も2010年に明らかになっています。しかし、韓国は当時のソ連の非道ぶりを批判するのではなく、この事実を日本への攻撃材料として用いています。
このソ連の行為は、武装解除した日本兵(当然のことながら朝鮮人も含めて)の家庭への復帰を保証したポツダム宣言に反するものでした。ロシアのエリツィン大統領は1993年(平成5年)10月に訪日した際、「非人間的な行為」として謝罪の意を表しました。ただし、現在ロシア側は、移送した日本軍将兵は戦闘継続中に合法的に拘束した「捕虜」であり、戦争終結後に不当に留め置いた「抑留者」には該当しないとしています。
このソ連の行為は、武装解除した日本兵(当然のことながら朝鮮人も含めて)の家庭への復帰を保証したポツダム宣言に反するものでした。ロシアのエリツィン大統領は1993年(平成5年)10月に訪日した際、「非人間的な行為」として謝罪の意を表しました。ただし、現在ロシア側は、移送した日本軍将兵は戦闘継続中に合法的に拘束した「捕虜」であり、戦争終結後に不当に留め置いた「抑留者」には該当しないとしています。
少し話が横道にそれたので、朝鮮日報の話に戻ります。記事に書いてあることから推測できるのは、「日本の強制動員労働」とは、妻子も一緒に連行するばすもなく、この記事の二人の父親は、高給目当ての「押しかけ応募工」だった可能性が高いです。 長女は「奴隷のような待遇だった」という話を具体的に述べています。小学生前の見聞を、82歳になっても鮮明に記憶しているとは俄に信じがたいです。
それよりも、そうした環境にいた父親が、佐渡島で2女と3女をもうけた事実に着目せざるを得ないです。奴隷のような待遇にあったとは思えません。
戦時の混乱で、朝鮮人を含む労働者に月給が支払われなかった一時期があったことは確かにあります。しかし、その金額が後に供託された証拠が日本には残っています。供託するにあたっては、賃金台帳がなければできませんが、それも残っています。その一例が下の写真です。
「強制動員労働させられた奴隷」が月給をもらっていたというのは理屈にあいません。しかも、 日本に来たために奴隷のようなひどい目に遭ったというのに、戦後も日本に住み続け、現に娘たちも日本にいるのは、日本人の感覚からすると、どうにも不可解すぎます。
韓国が慰安婦関連資料のユネスコ登録を目指した際、日本は「関係国が合意しない限り申請しない」という制度導入に中心的役割を果たしました。このため、外務省は「佐渡島の金山」の推薦に消極的だと日韓双方のマスコミは伝えています。
しかし、慰安婦関連資料が登録を目指したのは「世界記憶遺産」(Memory of the World)Mであり、「佐渡島の金山」が登録を目指すのは「世界文化遺産」(World Heritage)です。基本的性格が異なるものです。
岸田首相周辺からは「日本政府が推薦すると、韓国が日本に対する悪宣伝を展開しかねない」との見方が伝えられています。甘い見方です。 イチャモンを付けられることを恐れて推薦を見送れば、「悪罵の大国」はますます図に乗って、世界中で対日悪宣伝を進めるでしょう。
今さら官房副長官が「韓国の主張は受け入れられない」と述べたところで、日本が韓国のイチャモンに屈したとの見方を、どうして払拭できるでしょう。
宮沢喜一首相と河野洋平官房長官(ともに当時)の〝宏池会コンビ〟が1993年、簡単にだまされて(=もしかしたら、だまされたふりをして)犯した大失策を想起しなくてはならないです。「ケンカするのは怖いから嫌だよ」 岸田首相と林外相のコンビは、同じ轍をもう少しで踏むところでした。
今後も、高市政調会長や安倍元総理なども含めて、まともな自民党国会議員は今後も岸田政権の動向に注目して、今回のような事態が起こりそうなれば、国会で追求したり、忠告をしたりして阻止していただきたいです。
そうして、岸田首相はこれからもどんどんちゃぶ台返しをしてください。外務省、財務省、厚生労働省、その他の官僚達をきりきり舞いさせて欲しいものです。
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