まとめ
- 本稿ではまず、『24』と『テヘラン』を対比し、娯楽が「正しさ」を先に置いたとき、物語がどこで死ぬのかを明らかにする。
- 次に、Apple TV+とVision Proを通して、「思想を先に置く経営」が、いかに企業の創造力と商品力を同時に衰えさせるかを論じる。
- そして最後に、iPhone 3GSと初代iPadから使い続けてきた一人のユーザーとして、次の時代のワクワクを、日本企業に託したい理由を語る。
そうした構造が一度見えると、緊張は薄れ、意外性は溶け、物語は「予定調和の確認作業」に変わってしまう。私は『テヘラン』をきっかけに、なぜApple TV+の多くが面白く感じにくいのか、その輪郭をはっきり意識するようになった。そして同じ癖が、Appleという企業の製品や経営の空気にも、静かに入り込みつつあるのではないかと考えるに至った。
1️⃣娯楽は、どこで死んだのか
『テヘラン』は、イスラエルで制作され、のちにApple TV+で世界展開されたスパイドラマである。題材は刺激的だ。潜入、裏切り、追跡、工作。第一話を見たとき、私もそれなりの緊張感を覚えた。ところが二話、三話と進むにつれて、別のものが前に出てくる。物語の骨格が、驚くほど早い段階で透けるのだ。
イスラエル側は一貫して「組織」として描かれ、イラン側は一貫して「個人」に寄せて描かれる。国家は冷酷で、体制は非人間的で、個人は常に被害者である。この配置が早々に固定されると、視聴者の関心は「次に何が起きるか」から、「どう収束するか」へ移る。これは致命的である。娯楽は未知によって駆動される。結末が早く見えた瞬間、物語のエンジンは止まる。
ここで、どうしても思い出す作品がある。『24 -TWENTY FOUR-』である。『24』は配信時代の作品ではない。2001年、アメリカのFOXで放送が始まり、視聴率という冷酷な競争の中で鍛えられた。面白くなければ次週はない。引き込めなければ打ち切りだ。だから『24』は、思想より先に「続きが見たい」を作る。極限状況を置き、決断を迫り、その決断が誰かを傷つけ、世界を汚し、それでも止まれない。その連鎖が視聴者を離さない。
『24』は、国家を善悪で裁かない。現場は常に薄汚れ、正しさは毎回揺れる。視聴者は教えられるのではなく、迷わされる。そこにしか、本物の緊張は生まれない。
「昔の『24』のほうが圧倒的に面白かった」という感想は、単なる懐古ではないと思う。娯楽が思想に侵食されたとき、物語が何を失うのかを、最も正確に言い当てている。
2️⃣思想は、いつ企業を老いさせるのか
私が『テヘラン』を見た理由は単純だった。作品が最初に作られた時期が古いにもかかわらず、Apple TV+のトップ10に入り続け、最近は2位、少し前には1位にまで上がっていたからだ。Apple TV+はどれを見ても面白く感じなかった私が、「ひょっとしてこれは例外かもしれない」と思った。第一話は悪くなかった。だが回を追うごとに、物語は「起伏」ではなく「方針」を見せ始める。誰が被害者で、誰が加害者で、誰が救われ、誰が切り捨てられるか。その配列が固定され、驚きが減り、見どころが減る。最後に残るのは、丁寧な作りと、強い思想だけである。
もう一つ、見過ごしてはならない点がある。
『テヘラン』のこの構造は、偶然ではない。
本作の制作されたのはイスラエルである。制作者たちは、それまで公然と、モサドやイスラエルの対イラン強硬路線に批判的な立場を表明してきた人物たちである。彼らは、イスラエル国家を英雄として描くことよりも、体制の暴力性と、個人の被害性を前に出す作風で知られてきた。私はこの事実を知ったとき、『テヘラン』で感じた予定調和の正体が、ようやく腑に落ちた。
つまり本作は、スパイドラマの皮をかぶった「偶然の物語」ではない。
最初から、描くべき結論が決まっている思想物語なのである。
イスラエルは冷酷な組織として描かれ、イラン側は傷つきやすい個人として描かれる。善悪の配置は初めから固定され、物語はその配置を確認するために進んでいく。観客は驚かされるのではなく、正しい場所へ導かれる。
私はここに、現代の娯楽が抱え込んだ最大の病理を見る。
物語が、発見の装置ではなく、思想の運搬装置に変わった瞬間である。もちろん『テヘラン』は失敗作ではない。国際的な評価もあり、Appleは看板作品として扱っている。だが、数字があることと、観客の胸に火が残ることは別だ。数字は残る。だが熱が残らないどころか回を重ねるごとに倦怠感すら覚える。これが、Apple TV+作品にしばしば漂う違和感の正体だと思う。
私は、娯楽の空気が企業の空気と無縁ではないと思っている。規制、政治、価値観闘争、AI競争。そうした圧力が強まるほど、企業は慎重になる。慎重になればなるほど、角が取れ、毒が抜け、面白みも薄れる。『テヘラン』で私が感じた予定調和の匂いは、大企業が抱えがちな安全志向の表れにも見える。
製品でも同じことが起きる。新しい試みは必要だ。だが、市場が本当に欲しているものと、企業が「こうあるべきだ」と描いた未来がズレたとき、製品は熱狂ではなく困惑を生む。私がVision Proに感じたのは、そのズレの匂いだった。技術は認める。だが、あれが世界を一斉に沸かせる方向だったかと問われれば、私はまだ首をかしげる。
ティム・クック退任説が静かに囁かれているのも、単なる人事の話ではない。Appleという企業そのものが、いま一つの時代の終点に差しかかっていることの、無意識の反映に見える。
3️⃣私は、なぜそれでもAppleに賭けているのか
ここで一つ、私自身の立場を明確にしておきたい。私はiPhoneとiPadを長年使い続けてきたユーザーである。とくにiPhoneは3GSの時代から使い始めた。当時、私の周囲でiPhoneを使っている人はほとんどおらず、多くはまだガラケーを使っていた。それでも私は、この小さな端末に「何かが変わる」と直感し、使い続けてきた。
ここで一つ、私自身の立場を明確にしておきたい。私はiPhoneとiPadを長年使い続けてきたユーザーである。とくにiPhoneは3GSの時代から使い始めた。当時、私の周囲でiPhoneを使っている人はほとんどおらず、多くはまだガラケーを使っていた。それでも私は、この小さな端末に「何かが変わる」と直感し、使い続けてきた。
| iPhone3GS 日本でiPhoneが普及し出したのは、Iphone4か4Sあたりだった |
一方、iPadについては初代モデルの発売直後から使ってきた。iPhoneとは対照的に、iPadは 日本でも初代の時点で一気に社会に浸透し、周囲でも爆発的に使われ始めた製品である。少数派として始まったiPhoneと、最初から大ブレークしたiPadの両方を、私はユーザーとして同時に体験してきた。
パソコンについては長くWindowsやChromebook中心だったが、昨年四月からMac mini M4を導入し、日常的に使っている。私はAppleを外から批判している人間ではない。紛れもなく、初期からこの企業の製品に賭けてきたファンの一人である。
だからこそ、いまのAppleに望むことがある。かつてのように、「次は何を出してくるのか」と胸が高鳴る企業に、もう一度、戻ってほしい。本稿はAppleを貶めるための批判ではない。「好きだった企業に、もう一度ワクワクさせてほしい」という、内側からの失望と期待の記録である。
私はiPhone 3GSの時代に感じた、「これは何かが変わる」という予感を、いまも覚えている。iPad初代が一気に広がっていった、あの熱気も覚えている。あの時代のAppleは、確かに世界を一度、変えた。
だから私は、いまもこの企業に期待している。
もう一度、
「次は何が来るのか」
と胸が高鳴る瞬間を、
見せてほしい。
結語 日本から、次のワクワクは生まれるか
最後に、一つだけ付け加えておきたい。
私は、Appleがもう一度ワクワクする企業に戻ってほしいと願っているが、それと同時に、かつてのAppleが体現していたあの「時代を動かすワクワク感」を、日本企業の中からこそ生み出してほしいとも思っている。
新しい製品が出るだけで社会の空気が変わり、人々が未来を語り始める。
技術が理念ではなく実装によって世界を変え、企業がスローガンではなく製品で語る。
あの時代のAppleが示したのは、単なる成功物語ではなく、「企業はまだ社会を驚かせることができる」という希望そのものであった。
このようなことを語ると、かつてのソニーやパナソニックがそうだったという人もいるが、それは移り変わりの激しい現代において、すでに大昔の物語である。現代の中堅層の人々ももうその時代を全く知らないか、物心がつく前の話である。ソニーの初代ウォークマンの発売は、1979年7月1日である。それを語っても今はあまり意味はない。
もし、次の時代に、
日本からそうした企業が現れるなら、
それはAppleの後継者ではない。
一つの文明の継承者である。
私は、日本企業に、その役割を諦めてほしくない。
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