- 今回の解散が問うているのは、政局でも人気でもない。争点は多い。しかしその核心は、来年度の予算を「誰の思想」で執行するかにある。選挙をしなければ、高市政権は事実上、石破政権の予算を一年間引き継ぐことになる。今回の解散は、国家の財政と政策の主導権を誰に委ねるかを決める選挙なのである。
- 多くの人は、解散は停滞を招くと考えるだろう。しかし今回は逆だ。制度の制約の下では、解散しなければ改革はできない。改革のために解散するという逆説が、いま現実になっている。
- そして、これは国内政治だけの話ではない。世界はすでに次の秩序へ進んでいる。日本だけが、なお過去の幻想に取り残されている。今回の選挙は政権選択ではない。現実の世界に戻るかどうかを決める選挙である。
今回の解散は、単なる政局ではない。政策転換、予算転換、そして国際秩序の転換を、国民の信任として最終確認するための選挙である。この点を見誤った瞬間、議論は根本から歪む。
まず「大義なき解散」という言葉が独り歩きしている。しかし海外の通信社や主要紙を読めば、今回の選挙の争点はきわめて明確である。食料品の消費税を時限的に停止するのか、歳出を拡大して物価と成長をどう両立させるのか、防衛力をどの水準まで引き上げるのか。いずれも税制、財政、安全保障という国家の根幹にかかわる政策であり、国民に信を問うに十分な争点である。
「大義がない」という断定は、事実ではない。それは単なる価値判断である。争点が存在しないのではない。争点から目を背けているだけだ。
次に語られるのが「独断専行」「根回しなし」という物語である。しかし実際には、解散日程は与党幹部や連立相手と共有され、公示日と投票日まで調整されたうえで発表されている。衝動的な解散ではない。「周囲が何も知らなかった」という描写は、事実ではなく演出である。
財源論も同様だ。政策発表後に長期金利が上昇したことは事実である。だがそれは、市場が財政拡張シグナルに反応したという範囲にとどまる。危機でもなければ、信認崩壊でもない。しかも今回の減税は恒久措置ではなく時限措置である。物価高局面への限定的な対策であり、財政放棄とは性質がまったく異なる。
「国会軽視」という言葉も、政治的スローガンにすぎない。選挙は国会を回避する行為ではない。むしろ税制、財政、防衛という最重要政策を、国会の外に出し、主権者に直接判断してもらうための最も正統な政治手続きである。
結局のところ、今回の解散批判の多くは、事実の指摘ではなく、評価語を事実のように語っているにすぎない。その瞬間、議論は政策から逸れ、印象論へと変質する。
| 現状の新年度予算は、石破政権のカラーが色濃く出たものである |
今回の解散の意味を理解するうえで、最も重要で、しかも多くの報道が意図的に触れない論点がある。それは、選挙の有無が来年度予算の性格を決定的に左右するという事実である。
現在編成が進んでいる2026年度予算案は、石破政権時代の政策思想を色濃く反映した内容である。財政健全化を優先し、給付と補助金を中心に物価対策を行い、防衛増額と同時に歳出抑制をかける。これが、いわゆる「石破カラー」の強い予算である。
問題は、この予算をいま国会で本予算として成立させてしまえば、高市政権は来年度1年間、この路線をそのまま執行しなければならなくなるという点にある。予算は一度成立すれば、政権が変わっても原則として1年間は動かせない。高市政権が自らの政策色を反映できるのは、早くても次の年度予算からになる。
つまり、選挙を行わずに国会日程を通常通り進めれば、高市政権は事実上1年間、「石破カラーの予算」をそのまま執行する政権になる。
ここで決定的に重要なのは、この状態が何を意味するかである。
予算を石破カラーのまま執行するということは、スローガンだけが変わっても、実際にやっていることは石破政権と同じになるということである。減税を掲げても給付中心の構造は変えられない。防衛を語っても歳出配分は旧来路線のままである。エネルギーや産業を語っても、予算が動かなければ政策は動かない。
つまり選挙をしなければ、高市政権は名前だけが変わった石破政権として1年間を過ごすことになる。
しかも制度上の制約はさらに厳しい。現在の政権は、昨年10月21日に発足したばかりである。年度途中に誕生した政権が、前政権の「骨太の方針」を根本から書き換え、それを反映した予算を通常国会の審議だけで成立させることは、制度上ほぼ不可能である。各省の概算要求はすでに前政権の枠組みで作られている。限られた審議時間でこれを全面的に組み替えることは、現実にはできない。
つまり、選挙をしなければ、高市政権は必然的に、石破カラーの強い予算を執行せざるを得なくなる。
ここに、今回の解散の本質がある。
選挙を行えば審議時間は足りなくなり、暫定予算が組まれ、選挙後に本予算を編成し直す余地が生まれる。これは制度上まったく正当な手続きである。今回の解散は、「石破カラーの予算を固定するのか」、それとも「高市政権の思想を来年度予算から反映させるのか」を国民に直接問う選挙なのである。
3️⃣グローバリズムの終焉と我が国──世界は現実に目を向け、日本だけがまだ幻想に縛られている
今年のダボス会議でトランプが主役になる──世界秩序は、すでに次の段階へ移っていた詳細はそちらに譲るが、ここで確認すべきなのは、世界の実務者たちがすでにグローバリズムの終焉を前提に思考を切り替えているという事実である。
会議に先立って公表された世界経済フォーラムのリスク評価では、最大のリスクは戦争でも感染症でもなく、大国間の経済対立と国際秩序の分断であると明記された。これは予測ではない。すでに起きた現実を総括した結論である。
世界の実務者たちは、市場万能論も自由貿易万能論も、すでに捨てている。エネルギー、食料、半導体、防衛、金融、通貨。すべてが国家の生存条件であり、国家が責任を持って確保すべき対象であると受け入れている。
そして彼らは、グローバリズムが善意の理想として終わったのではなく、中国やロシアによって制度ごと悪用され、自壊したという現実を共有している。
この世界の変化の前で、日本だけがいまだに過去の幻想から抜け出せていない。親中という名の思考停止が、与野党を問わず、財界にも官僚機構にもそうしてマスコミに蔓延している。
技術は奪われ、市場は閉ざされ、資源は人質に取られ、安全保障は空洞化し、主権は静かに侵食されてきた。それでも彼らは言い続ける。関係を壊すな、摩擦を避けろ、現実より空気を読め。
これは外交ではない。国家に対する怠慢であり、背信であり、思考放棄である。
今回の選挙は、単なる政権選択ではない。こうした勢力と訣別するための選挙でもある。
以上を総合すれば、今回の解散を党利党略や支持率頼みと片づける論調が、いかに浅薄かは明らかである。予算はまだ決まっていない。税制と財政の思想はいま選択の分岐点にある。国際秩序はすでに次の段階に入っている。
いま我が国が問われているのは、内閣の人気ではない。
国家として、現実の世界を生き抜く覚悟があるのかどうかである。
それを決めるのは評論家ではない。新聞社でもない。
決めるのは、選挙において意思を示す、我が国の国民である。
今年のダボス会議でトランプが主役になる──世界秩序は、すでに次の段階へ移っていた 2026年1月19日
「グローバリズムの総本山」と見なされてきたダボスで、反グローバリズムの象徴が主役になる。この“ねじれ”が意味するのは人物ニュースではなく、秩序そのものの更新だ。
世界経済フォーラムの警告 ──グローバリズムが壊れた世界でこそ日本が必要とされる 2026年1月15日
ダボス会議前に出されるリスク評価を手がかりに、「世界の実務者が何を最大リスクと見ているか」を真正面から整理した。理想論ではなく、現実の座標軸で世界を見直した。
なぜ冒頭解散すべきなのか──岸田・石破が残した「決めない政治文化」との決別 2026年1月11日
「政局ではない」という言い回しが、ただの決め台詞ではなくなる。国が動けなくなった理由を“政治文化”という根にまで掘り下げ、親中や増税の空気がなぜ強くなるのかまで繋げた。
「対中ファラ法」強化で中国の影響力を封じ込めろ──米国の世論はすでに“戦場”だ、日本は? 2025年7月23日
「グローバリズムが悪用される」とは何かを、抽象論ではなく制度と実例で明らかにした。米国が透明化と防波堤づくりへ動く一方、我が国が無防備である現実が浮かび上がる。
衆参同日選で激動!石破政権の終焉と保守再編の未来 2025年6月8日
解散・選挙が「権力闘争」ではなく「政治の方向を切り替える装置」になり得ることを、ダイナミックに描いた。今回記事の“予算と制度”の論点を、より大きな政治の地殻変動として描いた。
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