- ダボス会議が称揚した強欲なグローバリズムは、世界を安定させるどころか国家の土台を壊した。その最大の損害を被っているのは、実は中露であるという逆説を、供給網・人口・エネルギーの現実から示す。
- 欧米が理念と金融に傾く中、日本は製造の核心と現場、さらにLNGを軸としたエネルギー体制を手放さなかった。この「壊し切らなかった選択」が、今なぜ効いているのかを明らかにする。
- 協調幻想が終わった世界で、秩序は再び工場と人間の手から生まれる。中露でも欧米でもない中で、日本はどこに立ち、何を担うべきなのか。その現実的な位置を示す。
だが結論から言えば、この構想は失敗したのではない。最初から無理があったのである。それでも止まらなかった理由は単純だ。そこに理想ではなく、強欲があったからだ。
国家は経済合理性だけで動かない。安全保障、権力、体制維持、国内統治、歴史的経験が絡み合って意思決定を行う。それにもかかわらず、ダボスが称揚してきたのは「繁栄が広がれば国家は理性的に振る舞い、対立は消える」という都合のよい物語だった。その危険性を分かっていてそれを無視したのである。ゆえにこれは稚拙な誤解ではない。強欲なグローバリズムである。
1️⃣強欲なグローバリズムが壊した国家の土台
最初に壊されたのは、国家の目に見えない骨格だ。危機対応能力、供給網の冗長性、技術主権、意思決定の速度、そして抑止力である。平時の効率だけを追い、在庫は削られ、供給網は細く長く引き延ばされ、代替ルートは無駄として切り捨てられた。これは偶然ではない。利益を最大化するために意図的に選ばれた道である。
2020年のパンデミックは、その帰結を誰の目にも明らかにした。米国も欧州も日本も、医療用マスクや手袋、基本的な医療資材を十分に確保できなかった。資金はあった。市場もあった。それでも物は届かなかった。高性能マスクの中核素材であるメルトブローン不織布の生産が、特定地域に極端に集中していたからだ。これは市場の失敗ではない。国家が冗長性を捨てた結果である。
同じ現象は軍事分野でも起きている。ウクライナ戦争は、兵器そのものよりも弾薬と生産能力が戦争の持続性を左右する現実を突きつけた。155ミリ砲弾、ミサイル部品、推進剤。西側諸国は、在庫だけでは戦争を続けられず、生産ラインの再構築に年単位の時間がかかることを思い知らされた。
秩序は、金融や理念からは生まれない。工場と人間の手からしか生まれない。
この単純な事実が、ようやく共有され始めたのである。
欧州連合は、相互依存があれば戦争は起きないという幻想の下、ロシアへのエネルギー依存を深めた。だがエネルギーが武器化された瞬間、欧州は選択肢を失い、産業は疲弊し、国民負担は急増した。市場は安さを与えたが、安全と自由は与えなかった。
中国はこの秩序の最大の受益者となった。西側が効率を理由に生産を委ねる中で、中国は世界の工場となり、やがて供給網と国際標準を押さえる側に回った。しかし強欲は必ず自壊する。不動産バブル、地方債務、人口減少、若年失業。現実を無視した成長は、内側から制度を壊し始めている。
2️⃣我が国は何を失い、何を失わなかったのか
強欲なグローバリズムは、我が国にも影響を与えた。しかし、その負のレガシーを最も重く引き受けている国ではない。中露が内側から歪み、次いで欧米が国家基盤を削り過ぎたのに対し、日本はその外側に踏みとどまった国である。
我が国は自由貿易を信じ、国際分業に深く組み込まれた。その過程で、食料や一部供給網への依存を高め、国家戦略としての言語化を怠った。これは弱点である。
しかし同時に、我が国は製造の核心を差し出さなかった。
多くの産業で、設計だけを残し生産を全面的に外注する道を選ばず、工程と現場を国内に残してきた。内製率を極端に落とさず、素材、精密部品、製造装置、工程技術といった分野で独壇場を維持しているのは、その結果である。効率は犠牲になったが、技術の連続性は守られた。
エネルギー分野でも同様だ。我が国は資源国ではない。しかしその制約を逆手に取り、LNGを軸に、長期契約、輸送、受入基地、再ガス化、需要調整を一体で運用する世界最大級のガス供給ネットワークを築いた。特定国に過度に依存しない分散型の体制は、欧州とは対照的である。これは偶然ではない。エネルギーを安全保障として扱ってきた結果だ。
問題は、これらの強みを戦略として束ね切れていない点にある。能力はある。現場もある。だが「何を国家として最優先で守るのか」を明確に示してこなかった。そのため、作れるが、作らせてもらえない局面が生じている。
それでも事実は変わらない。我が国は、強欲なグローバリズムに参加しながら、核心部分を壊し切らなかった国である。傷は負った。しかし致命傷ではない。
3️⃣理論はどう歪められ、ダボスで何が終わったのか
強欲なグローバリズムは、理論によってまともに見えるように装われてきた。比較優位や自由市場といった概念の一部が切り取られ、国家と安全保障という前提を外したまま拡張された。
しばしば名前が挙げられるのが ミルトン・フリードマン である。しかし、彼の自由市場論は本来、主権国家と安全保障の存在を前提とした国内経済論だ。国家の消滅や、相互依存による平和を説いたわけではない。
問題は、ダボス的エリートがその思想を都合よく単純化し、国際政治を捨象した形で誤用したことにある。
| ミルトン・フリードマン |
誤用が止まらなかった理由は単純だ。儲かったからである。
多国籍企業と金融資本は、利益を最大化し、コストとリスクを国家と国民に押し付けた。これは無知ではない。計算された選択だ。
この流れに決定的な区切りを打ったのが、ダボス会議で示された今回のドナルド・トランプ の発言である。経済的繁栄は安全保障の代替にならない。相互依存は抑止にならない。多国間合意は行動の前提ではない。同盟国であっても例外はない。必要とあれば、単独でも動く。これは挑発ではない。行動原則の宣言だ。
その言葉が 世界経済フォーラム の壇上で語られた意味は大きい。この瞬間、ダボスは世界を決める場ではなく、世界がどう動くかを確認する舞台へと変わった。秩序は修正されたのではない。前提ごと終わったのである。
結論 日本は「立て直し役」に立てる国だ
世界を誤らせたのは理論ではない。強欲である。その代償を最も重く引き受けているのは中露であり、次いで欧米だ。日本はその外側に踏みとどまり、製造とエネルギーという現実資産を保持している。
これからの世界秩序は、強欲ではなく抑止によって、正しさを装う理念ではなく実装によって支えられる。秩序は、高邁に見える理想からではない。農場や工場や軍隊、そして人間の手から生まれる。
その条件を、我が国はまだ失っていない。
日本は被害者ではない。
立て直し役になれる国である。
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