まとめ
- 日米「2+2」会談は、米国の防衛費増額要求と政権側の選挙戦略上の判断により、直前で見送られた。
- その背後には、日米が“核兵器使用シナリオ”を極秘協議していた事実の露見を恐れる政権の懸念があったと見られる。
- この会談中止が繰り返されれば、米国側の信頼を損ない、同盟関係の根幹が揺らぐ可能性がある。
- 日本は「核の傘の受益者」から「抑止戦略の共同設計者」へと立場を転換しつつあり、タブー視を超えた議論が始まっている。
- 今、日本は“理想に殉じるか現実に立ち向かうか”という戦後最大の国家選択を迫られている。
2025年7月1日、東京で開催予定だった日米の「2+2」安全保障会合――日本の外務・防衛閣僚と、アメリカの国務・国防長官が一堂に会する同盟最重要の戦略対話――が突如として見送られた。(ロイター)米国側が日本に対し、GDP比3.5〜5%という異例の防衛費増額を要求し、日本側がこれを拒否したという報道が事の発端である。
この会合は、トランプ政権再登場後そうして、石破政権登場後、初の「2+2」となるはずだった。つまり、対中・対北朝鮮政策を含む同盟の戦略調整において極めて重要な節目であった。ところが、アメリカから突きつけられた要求は、すでに日本政府が掲げていた「2027年までにGDP比2%」の目標を大きく上回る水準である。当然、国内の政権運営にとっては爆弾のような話だった。
この会合は、トランプ政権再登場後そうして、石破政権登場後、初の「2+2」となるはずだった。つまり、対中・対北朝鮮政策を含む同盟の戦略調整において極めて重要な節目であった。ところが、アメリカから突きつけられた要求は、すでに日本政府が掲げていた「2027年までにGDP比2%」の目標を大きく上回る水準である。当然、国内の政権運営にとっては爆弾のような話だった。
昨年7月の2+2会議 岸田政権時 |
加えて、日本は7月20日に参議院選挙を控えていた。対米追従と見なされる譲歩をすれば、国民の不信を招くのは必至だった。だが、それ以上に政権が恐れたのは、別の火種だったのである。それが、「日米両政府が“核兵器使用のシナリオ”について協議していた」という極秘情報の露見である。
2025年7月26日、共同通信が英語版で報じた内容は衝撃的だった。これについては、当ブログにも掲載したが、日本とアメリカの防衛・外交当局が、東アジア有事を想定し、米軍による核使用を含むシナリオを非公開協議していたというのだ。この報道が参院選前に表沙汰になれば、有権者の強い反発を招くのは避けられない。とりわけ、日本が被爆国であるという歴史的背景を踏まえれば、「核兵器使用を前提にした協議を日本が主導的に行っていた」と受け止められるだけで、政権にとっては致命傷となりかねない。
石破政権は、対米関係の戦略的安定と選挙への悪影響の狭間で、極めて難しい判断を迫られていた。最終的に、表向きは会談延期という体裁をとりつつ、実際には米側の要求を呑めず、また核協議の露見を恐れて「逃げた」と言ってよい。だが、逃げることで失ったものも大きい。
米国との信頼関係が揺らぎ始めた
問題は、単に「延期」されたという事実にとどまらない。参院選に続く政局の混乱、与党内の足並みの乱れ、そして石破政権の求心力低下――こうした要因が続けば、今後も同様の高レベル会談の開催を見送る事態が常態化する。もし日本が、選挙や内政を理由に重要な会議を繰り返し回避するのであれば、米国側の不信は確実に高まる。日米同盟において、政治的な足踏みは抑止力の低下に直結する。それは敵国への“招待状”となりかねない。
問題の核心は、ただの延期ではない。日米同盟の信頼そのものが問われているのである。
さらに、この異例の会合見送りと同時期に、日米間での“核兵器使用協議”の実態が明るみに出た。2024年12月に策定された「拡大抑止ガイドライン」に基づき、日米は北朝鮮による戦術核の使用や、中国の台湾侵攻に伴う核威嚇といった現実的なシナリオを想定し、具体的な対応を協議していた。
この協議は、単なる理論演習ではない。日本政府が、米軍の核使用の決断に対し、どのように関与し、国民に説明責任を果たすかという現実的な訓練である。日本はもはや「核の傘の受益者」ではなく、「抑止戦略の共同設計者」として動き始めているのだ。
「理想か、現実か」国家の命運を分ける選択
これまでなら政治的タブーとして封印されてきたテーマである。しかし、中国は極超音速兵器と多弾頭ミサイルを配備し、ロシアは核の恫喝を日常的に用いている。北朝鮮は「核の先制使用も辞さず」と公言している。そんな現実の前で、「理想」を語るだけでは国家は守れない。
もちろん、国内の左派勢力や反核団体は激しく反発するだろう。だが、それはもはや“空理空論”に過ぎない。戦争を防ぐ最大の手段は、「こちらは本気だ」と敵に思わせる抑止力である。その抑止の中核に核兵器の存在があるのは、今さら議論の余地はない。
日本は今、戦後最大の岐路に立たされている。「理想に殉じて滅びるか、現実と向き合って生き残るか」。その答えを出す責任は、他の誰でもない、日本国民とその代表にある。そして、その選択を誤れば、次の世代が命をもって代償を払うことになるだろう。
日本は今こそ、「核」という言葉をタブー扱いするのではなく、現実的に捉え、真剣に議論すべき時に来ている。それが、この国を守るということの、本当の意味である。
【関連記事】
日米が極秘協議──日本が“核使用シナリオ”に踏み込んだ歴史的転換点(2025年7月27日)
中国・北朝鮮の核恫喝に備え、日本が米国と具体的戦略を検討。非核三原則から“現実主義”への歴史的転換が始まった。
日本の防衛費増額とNATOの新戦略:米国圧力下での未来の安全保障(2025年7月12日)
日米協力深化と防衛費拡大を通じ、拡大抑止と核の傘の現実化を分析。
米国原潜アイスランドへ歴史的初寄港:北極海の新時代と日本の安全保障への波及(2025年7月10日)
米原潜の戦略的展開を通じて、米国核抑止力が日本との防衛協力に影響する構図を解説。
ウクライナの「クモの巣」作戦がロシアを直撃:戦略爆撃機41機喪失と核抑止への影響(2025年6月)
ロシアの空軍力と核抑止戦力がウクライナの攻撃で深刻損傷した事例。抑止力の実効性と弱点を示す。
米海軍がグアムに初のバージニア級原潜を派遣、印太地域情勢に対応(2024年11月)
グアムへの原潜配備が核抑止態勢として機能し、日本の安全保障環境にも寄与する。
0 件のコメント:
コメントを投稿