まとめ
- 今回のポイントは、中国のサンフランシスコ講和条約無効論が、台湾から日本国憲法まで巻き込みながら、結局は“中国自身を追い詰める矛盾”を露呈した点である。
- 日本にとっての利益は、この構造的な矛盾を正確に把握し、国際社会へ明瞭に示すことで、歴史戦で中国に対抗する“論理と正当性の主導権”を握れることである。
- 次に備えるべきは、歴史戦・情報戦の本格化を見据え、事実と整合性を武器とする日本の発信体制を強化し、“揺るがない国家”として立ち続ける準備である。
サンフランシスコ講和条約の調印。首席全権の吉田茂首相が最後に署名=1951年9月8日 |
普通なら安全な橋を渡ればいいところを、わざわざほつれた綱の上で走り出し、
「我々こそ歴史の正義だ」と声を張り上げる。その奇妙な芸の代表が、
「サンフランシスコ講和条約は無効だ」という主張である。
サンフランシスコ講和条約は1951年に調印され、翌52年に発効した。
日本はこれによって正式に主権を回復し、台湾・朝鮮半島・千島列島などの戦後処理が国際法上整理された。戦後アジアの秩序を支える“基礎杭”のような存在だ。これを抜けば、アジアの戦後秩序はたちまち傾く。
では、なぜ中国はこの条約を嫌うのか。
理由の一つは、自分がこの条約の場にいなかったという歴史的事情だ。当時は中華人民共和国と中華民国が並び立ち、国際社会はどちらを正統政府と認めるか決められなかった。宴会の席に「佐藤」が二人来て、どちらも本物だと言い張るような状況である。どちらか片方を呼べば大騒ぎになる。結局アメリカは「両方呼ばない」という判断をしたまでだ。
しかし本当の理由は別にある。
中国共産党は、戦後の国際秩序そのものを気に入っていない。
戦後秩序はアメリカを中心とした自由主義陣営がつくったもので、中国は“後から入った新参者”として、その枠に収まる気などさらさらない。だから習近平は2021年の国連演説で「国際秩序は特定の国が作ったルールであってはならない」と述べた。
言い換えれば、「今ある秩序は嫌だ。中国の都合のいいように作り直したい」という宣言である。
サンフランシスコ講和条約は、その戦後秩序の象徴だ。
だから中国は、何としてもこの条約を否定したいのである。
しかしここで重大な勘違いがある。
日本国憲法は明治憲法の改正として成立し、その後の主権回復はサンフランシスコ講和条約によって国際的に確認された。つまり、戦後日本の国家体制は、国内の憲法と、対外的な講和条約という両輪で成立している。
サンフランシスコ講和条約を無効と言い出すことは、日本の戦後国家の正統性そのものに難癖をつける行為だ。
まるで他人の家の基礎を壊そうとして、自分の足元が抜け落ちるようなものだ。その危険に気づかないまま、中国は綱渡りを続けている。
2️⃣無効論の破壊力
台湾も、朝鮮半島も、北方領土も、日本国憲法も巻き込んでしまう
では、中国が主張するようにサンフランシスコ講和条約が“無効”ならどうなるのか。
その帰結は想像以上に破壊的である。
まず台湾だ。
日本が台湾を放棄した法的根拠は、この条約にしかない。
ということは、条約が無効なら、
「日本は台湾を一度も正式に手放していない」
という、極めて皮肉な結論にたどり着く。
中国から見れば悪夢以外の何ものでもない。
| かつて日本総督府だった現在の台湾総統府 |
次に朝鮮半島だ。
日本が朝鮮の独立を明確に承認したのもこの条約である。
もし条約が消えるなら、戦後処理の法的枠組みは出発点から揺らぐ。
もちろん韓国が日本に戻るなどという話にはならないが、
国際法上の整理が崩れれば議論そのものが混乱する。
さらに北方領土や千島列島、南樺太も同じ枠組みの中で扱われている。
条約無効論は、領土問題の前提を丸ごと吹き飛ばすことになる。
そして最も深刻なのは、日本国憲法だ。
日本国憲法は明治憲法の改正という形で成立したが、
その憲法を持つ日本が主権国家として正式に承認されたのは、
サンフランシスコ講和条約の発効による。
ここが抜ければ、
戦後日本の主権回復が曖昧になり
日本国憲法の国際法上の位置づけが揺らぎ
日本の法体系そのものの連続性が危うくなる
という、誰も望まない混乱が生じる。
中国は、日本を追い詰めているつもりで、
実は台湾、朝鮮半島、北方領土、さらには日本国憲法を巻き込んだ“大爆発”の導火線に火をつけているのだ。
これはもはや歴史戦でも外交戦でもない。
歴史事故である。
3️⃣ 歴史を弄べば歴史に殴られる
だが、事実が勝つとは限らないからこそ、日本は退いてはならない
中国は歴史戦を仕掛けるたびに「日本の軍国主義復活だ」と声を上げるが、
実際のところ、中国が相手にしているのは日本ではなく、戦後の国際秩序そのものだ。
その秩序を壊し、自分たちが主役になれる世界を作りたい――その野心が透けて見える。
しかし、歴史とはそんな都合よく書き換えられるものではない。
弄べば、最後に殴り返される。
ただし、ここで勘違いしてはいけない。
事実が必ずしも勝つとは限らない。
国際政治の世界では、嘘が繰り返され、宣伝が続けば、それが“常識”として定着してしまうことがある。
歴史のねつ造が、いつの間にか教科書に載ってしまうこともある。
だからこそ、日本は今回の中国の主張を甘く見てはならない。
サンフランシスコ条約無効論は、単なる戯れ言ではなく、
放置すれば日本の主権、領土、憲法、戦後秩序に深刻な影響を及ぼす。
日本は堂々と言うべきである。
「歴史は力ではなく、整合性によって立つ。日本は揺るがない」
それを国際社会に向けてはっきり示すことこそ、
歴史の歪曲を防ぎ、日本の立場を守る唯一の道である。
そして何より――
歴史の事実が生き残るかどうかは、事実を守る者が退かずに立ち続けるかで決まる。
サンフランシスコ講和条約を壊したがる中国の主張は、
その真実を逆説的に浮かび上がらせている。
日本は退いてはならない。
この一点に、日本の未来がかかっているのである。
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