まとめ
- 日本経済は「狂乱物価のバブル崩壊」で壊れたのではない。実際の物価は低インフレで推移しており、当時は異常だったのではなく、単に景気が良かっただけである。長期停滞の引き金となったのは、資産価格を誤認して行われた「日銀ショック」とでも形容すべき金融引き締めだった。
- 「日銀ショック」とは、誰かを断罪する言葉ではない。経済が止まった原因を自然現象ではなく、政策判断という人為として捉え直すための整理である。神話として語られてきた歴史を、構造として読み替える試みだ。
- いま起きているのは、金利の是非ではなく、国家経営における意思決定のズレである。政府が成長を見据えて動く一方、日銀は帳簿を整える論理に傾く。このままでは、国家として一つの判断を下し、その結果に責任を負う覚悟があるのかが、あらためて問われることになる。
ここで問うべきは国債の額そのものではない。
問題の核心は、我が国の政策が同じ方向を向いているかどうかである。
1️⃣政府は支え、日銀は締める──噛み合わない国家運営
| 日銀植田総裁と高市首相 |
現実を見よう。政府は財政で経済を下支えしようとしている。一方で日銀は、利上げによって経済の動きを抑えようとしている。これは健全な役割分担ではない。同じ国家を、正反対の方針で経営している状態だ。
日銀は利上げの理由としてインフレを挙げる。しかし、現在の物価上昇は、景気が良くなり需要が過熱した結果ではない。エネルギー価格や輸入物価の上昇による、外から持ち込まれたコスト増である。賃金が持続的に上がり、消費が力強く伸び、企業が自信をもって投資を拡大しているとは言い難い。
それでも日銀は「正常化」という言葉を掲げ、利上げを急ごうとする。
分かりにくいが、ここが最も重要な点だ。日銀が前のめりになる背景には、経済の強さとは別の論理がある。長年続けてきた異例の金融政策を、「特別な時代の措置だった」と位置づけ、制度として一度きれいに畳んでしまいたいという内部の論理である。
2️⃣「バブル崩壊」という神話と、見過ごされた事実
| 常識を疑え!いわゆるバブルの象徴とされた「ジュリアナ東京」、実はバブル崩壊後にオーブン |
ここで、日本社会に深く刷り込まれてきた「バブル崩壊」という言葉を、一度疑う必要がある。1980年代後半の日本は、狂乱物価の時代であり、異常な過熱が自然に崩壊した。そう説明されてきた。
しかし、事実は違う。
消費者物価指数(CPI)を見ると、1985年を100とした場合、1988年は101前後、1990年でも102〜103程度にすぎない。5年間で数%、年率にして1%台の低インフレである。生活物価が制御不能に暴騰した時代ではなかった。
この状況は、いわゆる「バブル」ではなく、単に景気が良く、経済が素直に拡大していただけの局面と見るのが妥当である。
確かに株価と地価は大きく上昇した。しかしそれは資産価格の上昇であり、一般物価の暴騰ではない。にもかかわらず日銀は、資産価格の動きを過熱と誤認し、1989年から1990年にかけて急激な金融引き締めに踏み切った。政府はその後追い討ちをかけるように緊縮財政に走った。失われた30年の始まりである。
これは自然にバブルが弾けたのではない。金融政策によって、意図的に強いブレーキが踏み込まれた結果である。それでも日本では、その後の深刻な不況と長期停滞を、「バブルが崩壊したのだから仕方がなかった」という物語で説明し続けてきた。
だが因果関係を正確にたどれば、不況の主因はバブルそのものではなく、日銀の誤った金融引き締めである。この意味で、1990年代以降の日本経済を決定づけた出来事は、「バブル崩壊」ではない。「日銀ショック」と呼ぶ方が、実態に近い。
3️⃣企業経営にたとえると見える、日銀の立ち位置
この「日銀ショック」という言葉に違和感を覚える読者が多いのは当然である。長年、「バブルが異常だった」「崩壊は避けられなかった」という説明が繰り返されてきたからだ。株価と地価が急騰し、その後に急落した。だからバブルが弾けた。この説明は直感的で分かりやすく、多くの人に受け入れられてきた。
しかし、資産価格の調整と、日本経済が長期にわたって停滞することは同義ではない。資産価格が下がっても、賃金と雇用と消費が保たれていれば、経済は回復する。他国では実際にそうなってきた。それでも日本だけが例外的な長期停滞に陥った。この事実は、「バブルがあったから不況になった」という説明だけでは説明しきれない。
ここで、企業経営にたとえてみると分かりやすい。
業績が回復しかけている局面で、財務担当取締役が「これ以上の借り入れは危険だ」と主張し、経理担当取締役が「帳簿上の数字を引き締めるべきだ」と言い出す。本来であれば、取締役会は企業全体の成長と将来を見据え、これらの意見を踏まえつつ最終判断を下す立場にある。
ところが、取締役会が責任を回避し、財務や経理の論理に過度に依存してしまえばどうなるか。数字は一時的に整うかもしれないが、投資は抑えられ、人材は育たず、企業の体力と成長力は確実に削がれていく。これは経営の失敗である。
日本経済が経験してきた長期停滞も、この構図と重なる。金融引き締めという判断は、単独で経済を壊したのではない。しかし、その判断が回復の芽を摘み、その後の対応を誤らせる出発点となった。その意味で、これは「失われた30年」の方向性を決定付けた政策判断であった。
その結果、日本経済は十分な回復局面を持てないまま下押しを繰り返し、2009年3月10日には日経平均株価が7054円98銭と、いわゆるバブル崩壊後の最安値を記録するに至った。これは一過性の危機ではなく、長期停滞が累積した帰結である。
| 2009年3月10日 日経平均7054円98銭、いわゆるバブル崩壊後最安値を記録 |
いま我が国で起きている状況は、この構図と一点を除いてよく似ている。違いは、現在の政府は、取締役会に相当する立場として、財務や経理の論理に全面的に迎合せず、雇用と成長を見据えて経済を動かそうとしている点だ。
一方で日銀は、財務・経理の立場から、過去の政策、とりわけ安倍政権時代の包括的金融緩和を「例外的な措置だった」と整理し、帳簿をきれいにする方向へと傾きつつある。問題は、その整理が経済の実態よりも、制度の都合を優先した判断になっていないかという点である。
「日銀ショック」という言葉は、誰かを断罪するためのレッテルではない。出来事の因果関係を、神話ではなく構造として捉え直すための言葉である。資産価格をどう解釈し、どの時点で、どの程度のブレーキを踏んだのか。その政策判断の重みを、正面から示すための表現だ。
この見方は、決して一個人の思いつきではない。「日銀ショック」という言葉自体は使っていないが、多くの識者が同じ本質を指摘してきた。高橋洋一(たかはしよういち)氏は、バブル期の一般物価は安定しており、長期停滞の出発点は日銀の金融引き締めにあると繰り返し指摘している。原田泰(はらだゆたか)氏も、「バブル後処理が原因で停滞した」という説明を否定し、金融政策の失敗こそが本質だと論じてきた。さらに岩田規久男(いわたきくお)氏は、物価安定目標を軽視した過去の政策運営が、日本経済を長期停滞に導いたことを理論的に明らかにしている。
彼らに共通する認識は明確である。
日本はバブルの後始末に失敗したのではない。最初から金融政策の判断を誤ったのである。
中央銀行に独立性が与えられている理由は、責任から逃れるためではない。独立性とは、自らの判断に対して最後まで説明責任を負う覚悟と一体の制度である。過去の誤りを総括せず、「特殊な時代だった」という言葉で処理し、その延長線上で再び経済を冷やすなら、それは中央銀行としての使命を放棄するに等しい。
説明責任なき独立は、独立ではない。それは自己保身である。
結語
問われているのは、国債の額でも、金利の水準でもない。
我が国は、国家として一つの経営判断を下し、その判断に政治も中央銀行も責任を負う覚悟があるのか。
それができないなら、停滞は過去ではなく、これからも続く。
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