2024年9月7日土曜日

小泉進次郎氏、未熟さ指摘され…「肝に銘じる」「過去同様の質問記者は花束くれる関係に」―【私の論評】小泉進次郎氏の政策を統治論から評価:ドラッカーの教えに学ぶリーダーシップの真髄


まとめ
  • 小泉進次郎元環境相は、自民党総裁選への立候補を表明し、自身の経験不足を認めつつ、チーム作りでそれを補うと述べました。
  • 会見では、年配のフリーランス記者からの挑発的な質問に対しても、成長を誓い、過去の環境相在任時の評価を引き合いに出しました。
  • 小泉氏は、政治の刷新を求める党内の空気を反映し、若さと改革の象徴として立候補を決意しました。


 小泉進次郎元環境相は、自民党総裁選への立候補を正式に表明しました。彼の会見では、自身の経験不足や未熟さを指摘する声に対して、チーム作りでそれを補完する考えを示しました。また、年配のフリーランス記者からの挑発的な質問に対しても、自身の成長を誓い、過去の環境相在任時と同様に評価を得られるよう努力する意向を述べました。

 小泉氏は、政治の刷新を求める党内の空気を意識し、43歳という若さをアピールしつつ、「改革」を56回も連呼しました。これは、古い自民党からの脱却を目指す姿勢を強調したものです。彼の政策には、解雇規制の緩和、ライドシェアの全面解禁、選択的夫婦別姓の法案提出、憲法改正による自衛隊明記、政策活動費の廃止などが含まれています。

 また、小泉氏は総理となった場合、早期の衆議院解散を示唆し、国民の信を問う意向を明らかにしました。これらの政策や行動は、彼が「時代の変化に取り残された日本の政治を変えたい」という強い意志を示すものであり、父である小泉純一郎元総理の「郵政民営化」に倣った「農政」への改革も示唆しています。

 このような背景から、彼の立候補は、若さと改革の象徴として注目を集めています。

 この記事は、元記事の要約です。詳細は、元記事をご覧になって下さい。

【私の論評】小泉進次郎氏の政策を統治論から評価:ドラッカーの教えに学ぶリーダーシップの真髄

まとめ
  • 統治の重要性:政府の役割は社会の方向を示し、全体のビジョンを持って統治することにあるが、現代の政府は実行に偏りがちであり、統治の役割が曖昧になっている。
  • ドラッカーの統治論:統治と実行は両立せず、政府は統治に専念すべきである。
  • 小泉進次郎氏の政策評価:小泉氏の政策は具体性と実行力を強調しているが、統治にかかわる国家のビジョンや国民との対話、政策の長期的影響についての洞察が不足している。
  • 真の統治者の条件:統治者はビジョンを示し、国民との対話を通じて合意を形成し、政策の公正さを保証する必要がある。
  • リーダーシップと真摯さ:リーダーとして重要なのは経験や能力よりも「真摯さ」であり、会見における記者はこれに関する質問をすべきであった。
上記の記事は、小泉進次郎氏が自民党総裁選への立候補の意向を表明した会見の報道です。これは、日本のメディア報道の典型例といえるでしょう。無論他の報道では、政策も示されていますが、重点は、このようなことに置かれている記事が多いです。この種の報道を見るたびに、私は違和感を覚えます。

自民党の総裁になることは、通常、内閣総理大臣に就任することを意味します。内閣総理大臣は政府のトップであり、政府の役割は日本国の統治です。これはどう考えても正しいことです。

しかし、「統治」という言葉の意味があまり理解されていないように思います。統治は英語でガバナンスといいますが、日本でも一時期ガバナンス論が盛んに議論されていました。それにもかかわらず、統治という言葉の意味は曖昧なまま使用されることが多いようです。

政府の統治に関しては、このブログでも何度か紹介したドラッカー氏(写真下)の定義が最も分かりやすいと思います。


経営学の大家であるドラッカー氏は、政府の役割について次のように述べています。
政府の役割は、社会のために意味ある決定と方向付けを行うこと、社会のエネルギーを結集すること、問題を浮かび上がらせること、選択肢を提示することである。(ドラッカー名著集(7)『断絶の時代』)。
ドラッカー氏はこれらの役割を体系化し、政府が行うべき「統治」と位置付けましたが、同時に実行とは両立しないと述べています。
統治と実行を両立させようとすれば、統治の能力が麻痺する。決定のための機関に実行させても、貧弱な実行しかできない。それらの機関は、実行に焦点を合わせていない。そもそも関心が薄い。
としています。ここでいう実行とは、現在各省庁やその委託先などが行っている統治に関わる事柄以外のすべてを指します。現状では、政府は中途半端に実行に関わっており、各省庁などは中途半端に統治に関わっています。これが、政府の統治能力を著しく低下させています。

統治とは細部にこだわるのではなく、全体の流れや大きな目標を設定し、それに向かって社会全体を導くことです。これは、大船団の船団長が船団の進む方向を決め、個々の船の船長や乗組員がその方向に向かって進むように力を合わせることと似ています。

各々の船は、指定された方向に向かうだけでなく、他の船とぶつからないようにしなければなりません。自らの操船を優先して、他の船の航行を邪魔することはできません。また、自分の船だけが速度をはやめて、目的地に速くつくのではなく、許容の範囲で足並みを揃えなければなりません。

これは、個々の船が操船して、勝手に目的地に付けば良いというものではなく、船団の航行には目的や目標があり、そのために各々船や、その乗組員は協力しあわなければなりません。しかし、そもそも船団の目的地や航路がはっきりしていなければ、船団は大混乱に至ることになります。この船団長の役割のように、国家や社会全体をリードする役割を果たすのが統治です。

連合艦隊を再現したCG

かつての政府は「小さな政府」として統治に専念せざるを得ませんでした。たとえば、リンカーン政権は閣僚と通信士を合わせてわずか7人だったと言われています。この小さな政府でリンカーンは統治に専念し、実行は他の組織に任せ、多くのことを成し遂げたのです。

このように、かつての政府は小さく、統治に専念していました。実行は政府以外の組織に任せ、それにより多くのことを成し遂げることができたのです。そうした政府の効率性を注目し、巨大化した民間企業も取り入れ始めました。最初に大々的に取り入れたのはオランダの東インド会社でした。

多くの国々で植民地経営は失敗しましたが、オランダだけは例外でした。しかし後にオランダも東インド会社を政府に取り込み、植民地経営も失敗することになりました。ただし、民間巨大企業はその後も統治機構を本社・本部に作り、成功を収めています。

しかし、現代の政府は肥大化し、統治よりも実行に関わる役割が増大しています。今日、政府は民間企業のように統治に専念する体制を作り出すべきです。

そうして、日本国の統治の責任者が日本国総理大臣なのです。ここで、小泉進次郎氏の会見の内容を振り返ってみましょう。

小泉進次郎議員は自民党総裁選に出馬し、総理となった場合、速やかに解散総選挙を行うと表明しました。彼の政策要点は以下の通りです:
  • 政治資金規正法の改革:政策活動費や調査研究広報滞在費の使途を即時公開。
  • 裏金議員の公認審査:新執行部が審査。
  • 実力主義:いかなるグループからの推薦も受け付けない。
  • 官僚の国会張り付きの廃止:質問提出期限の厳守と深夜残業の減少。
  • 新産業創出:自動車一本足打法からの脱却。
  • 解雇規制の改革:企業に職業訓練や再就職支援を義務付ける。
  • ライドシェアの全面解禁。
  • 年収の壁の撤廃。
  • 労働時間規制の見直し:残業時間の柔軟化。
  • 選択的夫婦別姓の導入。
  • 憲法改正:自衛隊明記、緊急事態条項を含む国民投票の実施。
また、中長期的な課題として、国際環境への対応、教育改革、低所得者支援、防衛力強化、日米関係の強化、経済安全保障の強化、中国や北朝鮮との対話、拉致問題の解決を掲げています。

さて、これらの政策を「統治」の観点から評価してみます。

小泉進次郎氏の政策は、具体的な施策や改革への強い意志を示しています。しかし、その背後にある国家のビジョンや目指すべき社会像が明確に描かれていません。先ほどの船団の例でいえば、各々の船はどのように動くべきかにかかわることは語っても、船団自体がどこに向かうのかは語っていません。具体的な政策を述べる前に、国家としての方向性を明らかにすべきです。

これは、政策が国民の未来像や価値観とどう結びつくのかが不明確であることを意味します。また、政策決定における国民参加や合意形成のプロセスが十分ではないようです。特に困難な問題に対して、国民との対話や理解を得るための努力が不足しています。

さらに、政策の具体性と革新性においても、その実行が社会全体の公正さや安定にどのように寄与するのか、またどのようなリスクを孕むのかについての深い洞察が欠けているようです。これらは、政策がどのように機能し、どのような影響を及ぼすかを考慮する統治の側面を無視していることを示しています。

ドラッカーの哲学に基づけば、統治とは単に政策を実行することではなく、国民の幸福と貢献を目指すものです。そのため、小泉氏は自身の政策がどのように「人間の幸せ」と「貢献」に繋がるかを明確にする必要があります。これにより、政策が単なる手段ではなく、国家の方向性や価値観を反映するものであることを示すことができます。

以上の観点から、小泉進次郎氏の政策は、実行力と革新性を強調し、それ自体を何のためらいもなく「善」として表明しているようですが、統治の観点から見ると、「どこへ向かうべきか」「国民とどう向き合うべきか」という根本的な問いに対する答えが不足していることが浮き彫りになっています。

これらの要素を無視することで、政策は一時的な変革をもたらすかもしれませんが、長期的な国家の安定や国民の信頼を築く基盤を揺るがす可能性があります。真の統治者は、ビジョンを示し、国民との対話を通じて合意を形成し、政策の実効性と公正さを保証する必要があります。

統治という観点から見ると、ビジョンや国民との対話、政策の実効性と公正さの保証が欠けている点は、他の自民党総裁選候補者にも共通しています。例外は高市早苗氏と青山繁晴氏、過去においては安倍晋三氏くらいです。

自民党、あるいは日本の政治家は、政府の役割について一度真剣に考えていただきたいものです。

最後に、小泉氏は会見で「経験不足や未熟さ」を指摘されていますが、ドラッカーはこれに関して次のように述べています。「真摯さはごまかせない。共に働く者、特に部下は、上司が真摯であるかどうかを数週間で見抜く。無能、無知、頼りなさ、態度の悪さには寛大かもしれないが、真摯さの欠如は許されない。このことは特にトップに当てはまる。組織の精神はトップから生まれるからである」(『マネジメント』)。

真摯さ:誰も見ていない時に正しいことをする

真摯さとは、英語の「integrity」を日本語に訳したもので、ドラッカーは次のように述べています。「真摯さを定義することは難しい。しかし、真摯さの欠如は、マネジメントの地位にあることを不適とするほどに重大である。人の強みよりも弱みに目がいく者をマネジメントの地位につけてはならない」(『マネジメント』)。

リーダーとして、無能や無知、頼りなさ、態度の悪さはさほど問題ではありません。小泉氏の「経験不足や未熟さ」も同様です。それよりも「真摯さ」こそが重要です。しかし、ドラッカーも語るように「真摯さ」の定義は難しいものです。

ただし、統治に関わる「ビジョン」や「国民との対話」、「政策の実効性と公正さの保証」に関する議論には、真摯さを垣間見るヒントが含まれているはずです。新聞記者らは、小泉氏に対して、これらに関連する質問をもっとすべきだったと思います。

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