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2012年7月11日水曜日

現代の経済界を引っ張るのは? リーダー探しの旅―【私の論評】小説、伝聞に惑わされず本当の歴史を知ろう!!

現代の経済界を引っ張るのは? リーダー探しの旅



企業や経済官庁を舞台にした城山三郎さんの経済小説には、熱いドラマがあり、生き生きと輝く実在のモデルがいた。城山さんの筆力や登場人物にあこがれて新聞記者を志したのは、もう20年以上も前のことだ。先輩記者には「松下幸之助氏(松下電器産業=現パナソニック創業者)と本田宗一郎氏(ホンダ創業者)に会いたくて新聞社に入った」という人もいた。こうした一流経済人の多くは、昭和史の中の人になってしまったが、ぜひ、経営の神様といわれる幸之助氏の世界観に直接触れてみたかった。

年明けから連載している「The リーダー」の前回のシリーズ(第4部 指導者はつくれるか)では、幸之助氏が創設した松下政経塾を取り上げ、その人物像にも迫った。今もなお、「リーダー」として高い評価を受ける理由は何か。戦後や高度成長期に、国民に夢を与える家電製品を次々と世に送り出した経営者だったからか、でっち奉公から世界企業を起こした成功者だったからか。

中国の改革開放を進めた最高実力者、、トウ小平氏は、松下電器本社を訪れて幸之助氏と会談し、工場を熱心に見学した。晩年に開塾した政経塾には多くの人材が集まり、後の首相まで輩出した。

この記事の続きはこちらから!!

【私の論評】小説、伝聞に惑わされず本当の歴史を知ろう!!

上の記事、書いた記者(後で気づいたのですが、記者じゃないんですね!!驚き!!)の勉強不足がありありと伝わってきます。まずは、城山三郎氏の書いた経済小説では、歴史的事実ではないものも多数あります。ファンの方には、申し訳ありませんが、それが真実です。それに、この手の時代小説など、所詮つくりものにすぎないことを認識すべきと思います。

このことに関しては、憲政史研究家の倉山 満のブログより以下に転載させていただきます。


城山三郎が美化する官僚とはカテゴリー:
 - kurayama @ 14時16分59秒
ふとしたきっかけで読んだ『官僚たちの夏』であるが、血も凍った。 我、件の友人に伝えて曰く、「あれが理想の官僚なのか?城山三郎は、佐橋滋に個人的恨みがあって、手の込んだ意趣返しとして、ああいう作品を書いたのか?」と。 友人答えて曰く、「素直に感動したけどなあ。城山さんの作風から考えてないでしょう。」と。 私、暗然となった。なぜあれに感動できるのだ? 以下、城山三郎が美化しているらしい主人公、風越信吾の特徴を挙げよう。1. とりあえず、社会人として礼儀知らず2. 政治家に対する矩を超える3. 大臣の政治介入(=自分が次官になれず)に激怒4. 業者に対して居丈高5. とにかく権限が大好き6. とにかく出世が大好き7. 労組の委員長として上司の首切りに協力8. 職務権限を使ってコネを使う9. 頭を下げるのは嫌いだが、結局は大蔵省主計局に弱い10.お役所差別の格付け主義者すべて城山三郎が美化している点なのだが、これらのどこが美徳なのか。世の勤め人に城山作品が受けるとはどういうことなのか。 『官僚たちの夏』をまじめに読んでみてそれなりに調べてみたが、城山三郎という人の影響力、かなり大きいではないか。しかも、彼の主張が、特定の人たちの既得権益にとって非常に都合が良いと言うことも見えてきた。それは、まじめに大学で勉強して、まじめに社会で働いているだけでは絶対にわからないことでもあるのである。(つづく)


特に、『落日燃ゆ』と『官僚たちの夏』は、史実とはかなり異なります。登場人物たちの扱いが史実とは正反対といっても良いくらいです。

落日燃ゆで、広田弘毅役をした北大路欣也氏
これは、倉山氏も語っていたことですが、これに似たこととしては、池田理代子の「ベルサイユの薔薇」についても同じことがいえます。



「ベル薔薇」に登場するマリー・アントワネットは、「ベル薔薇」の中では、以下の様な扱いです。
マリー・アントワネットは、甘やかされて育った為、少々わがままな所もあるが、素直で明るく、活発な性格ゆえ周りの人々から愛されていた。勉強嫌いで読書は一番苦手だったという。しかし…ダンスだけは誰もが驚くほど上手だったという。
14歳の時、フランスへと嫁ぐ。あまりにも美しく、可憐な王太子妃の姿に皆、夢中になったという。 
1774年、ルイ15世の逝去に伴い、18歳で王妃となる。ちょうどこの年、フェルゼンと仮装舞踏会で出会う。 
王妃となってからというもの、ドレス、宝石、賭博などで浪費三昧・・何もかもが思い通りなる日々を満喫しているうちに、国の内情は悪化していった。 
そして、マリー・アントワネットは子どもを三人産む。(男子2人に女子2人)そして、子どもを宝物のように、愛情深く育て、とても良き母親だったという。 
しかし、フランス革命が起こり、投獄される際に、子ども達とは引き離されてしまう。
どちらかというと、悲劇のヒロインのような描きかたですが、私が、「ベル薔薇」をはじめて読んだ時は、フランスのこの時期の歴史を学んだ直後であったので、非常に違和感を覚えました。


なにしろ、マリー・アントワネットといえば、圧政の権化のような人物であり、悪鬼のごとき人物という認識をもっていたからです。実際、大方のフランス人は、そのような考えを持っています。

ここでは、本題ではないので、マリー・アントワネットに関する史実は、wikipediaのURLを以下に掲載しますので、詳細を知りたい方は、こちらをご参照下さい。

http://goo.gl/u6Rf

それにしても、私自身城山三郎氏とは、直接お話をしたこともあり、何かの仕事の関係で、原稿をいただいたこともあります。だから、あまり深く考えたことはなかったのですが、ただし、「官僚たちの夏」に関しては、大方の人が読んで感動したなどしているのですが、私はどうも素直に感動できませんでした。それに、テレビ化されたときも、あれを見て感動したということはありませんでした。

これは、このブログにも掲載したことのある、ドラッカー氏による、日本の官僚についての記述を読んでいたからかもしれません。ただし、ドラッカー氏は、日本の官僚を擁護していたものですが、それにしても、特に通産省など「通産省主導でかかわったことはすべて失敗」「先延ばし戦術は成功」という内容を読んでいて、それが、頭に入っていたので、「官僚たちの夏」に関しては、全く感動できず、絵空事に見えました。

ボンクラ養成学校「松下政経塾」

それに、上の記事、「松下政経塾」に関しても、評価が高いようですが、これも違います。現在、あまりに、この塾の出身者が、野田総理を含めて、ボンクラばかりなので、批判が高まっています。

このブログでも、「松下製家塾」からは、リーダーが出ないことの理由を掲載したことがあります。その詳細については、以下の【関連記事】のところに掲載しておきますので、そちらをご覧になって下さい。

さて、このようなことは、他にもあります。それは、中国や、北朝鮮、韓国などの酷い歴史の歪曲です。韓国の歴史など、このブログにも、歪曲されていることを掲載したことがありますが、特に、テレビで放映されている韓国王朝の話など、デタラメもいいとろです。

中国では、明の時代の高句麗を部隊とした韓国歴史ドラマ「朱豪(チュモン)」
高句麗の時代などのことも、出てきますが、この時代の朝鮮は、明国の領土であり、明からみればたんなる、辺境の地に過ぎず、あまり重要視していなかったためか、歴史にもほとんど残っていません。歴史も、わずか、三行くらいしかでてきません。その三行と、当時の明国の歴史や、風俗などから、韓国の監督が、想像を膨らませて、作成したというのが事実で、ほとんどが作り事、絵空事です。これにたいして、日本の場合は、この時代も歴史としてきちんと残されており、史実を確かめることができます。

しかし、無論のこと、日本だって、この時代を小説や、映画や、テレビドラマにすれば、史実としてはある程度事実だとしても、いくら時代考証をしたからといっても、ストーリーは、その監督が特定の目的があって、脚色しているものとみるべきです。こんなことから、同じ歴史を描いたドラマや、映画でも、ある特定の人物が、あるものでは、良い人物に描かれ、他で、悪人として描かれていることもあります。ただし、最近では、恥知らずな監督などもいて、あの視聴率が異常に低いNHKの大河ドラマ「平清盛」のような、最初から、時代考証も史実も間違いなどというもののでてきています。


それに、歴史も、原点を丹念に調べたというのならともかく、意外と教科書に掲載されていることでも、デタラメなこともあります。たとえば、中学の歴史教科書の一部には、信じられないことに教科書検定を受けているにもかかわらず、唯物論的歴史観により、構成されているものもあり、このような歴史を学んだ子供たちは、考えが歪んてしまうと思います。城山三郎の小説を読んで、素直に感動する人は、自分の子供がこのような教科書で学んでいても、何も気にもとめないかもしれません。末恐ろしいことです。


ちなみに、唯物論的歴史観とは、「人間社会にも自然と同様に客観的な法則が存在しており、無階級社会から階級社会へ、階級社会から無階級社会へと、生産力の発展に照応して生産関係が移行していくとする歴史発展観」。平たくいうと、いわゆる左翼思想です。ソ連が崩壊した今、唯物論的歴史観によって、歴史教育をするなど、日本だけだと思います。


また、私達が、子供の頃、教えられた歴史も、後には、違うことがわかり、訂正されていることもあります。その大きなものが、江戸時代の鎖国です。鎖国というので、多くの人は、今でも、江戸時代の日本は、外国と全くやり取りがなかったものと信じこんでいる人もいます。しかし、それは、全く異なります。確かに、民間人は、交易などできませんでしたが、外国とのやりとりを一切しないということではなく、幕府が一手に引き受けていたということです。だから、交易も、人の交流も行なってました。ただ、民間が参入していなかったので、確かに、量的にも質的にも少なかったということは事実です。

鎖国の象徴 長崎出島
それにしても、城山三郎の小説を史実として信じこんでしまう人が大勢いるわけですから、韓国、北朝鮮、中国などの歪曲された歴史観をみても、そのまま信じこむ人がいるのも無理もないのかもしれません。しかし、そんなことで、自虐的歴史観を刷り込まれてしまっては、とんでもないことになりす。それにしても、上の記事を書いた人、勉強不足も甚だしいです。困ったものです。

やはり、私たちは、普段から外国のものであろうが、日本のものであろうが、小説、伝聞に惑わされず本当の歴史を知るように努力すべきです。特に、日本の歴史はそうです。そう思うのは、私だけでしょうか?


【関連記事】

クリエイティブなアイデアが出やすくなる、ワーキングメモリを鍛える方法―【私の論評】ワーキングメモリを増やすには、記憶そのものを増やすことだ!!しかも、若いうちに!!(松下政経塾がリーダー養成校になり得ない背景を掲載してあります)





2012年5月30日水曜日

クリエイティブなアイデアが出やすくなる、ワーキングメモリを鍛える方法―【私の論評】ワーキングメモリを増やすには、記憶そのものを増やすことだ!!しかも、若いうちに!!

クリエイティブなアイデアが出やすくなる、ワーキングメモリを鍛える方法:


作業記憶(ワーキングメモリー)の容量、もしくは一度に記憶できる情報量というのは脳内で簡単にアクセスできる場所にある量だけ、というわけではないようです。 心理学者のArt Markman博士が「Psychology Today」に書いていた記事によると、作業記憶が良くなればなるほどクリエイティブなアイデアが生まれる容量も増えるとありました。

さて、この記事の結論、以下のようなものです。

では、作業記憶の容量を増やすにはどうすればいいのでしょう? 確実な方法というのはありませんが、効果があると言われている方法はいくつかあります。たとえば読書量を増やしたり、頻繁に本を読むようにしたり、読んでいるものに関する理解を深めて読解力を身につけるというのも一つの方法です。一時的な記憶でもいいので、すべての文章をあとで思い出せるようにしてみましょう。この練習をすれば違いが表れます。

サイコロジー・トゥディの表紙
さらに、「二重Nバック課題」という聴覚と視覚を同時に使う練習をすることで、実際に脳が作業により集中しやすくなり、作業記憶を強化することになります。まずは手始めに、無料のゲーム「Brain Workshop」(英語)で練習してみてはいかがでしょう。集中力が増すと覚えたい情報を細分化され、物事を覚えやすくなります。単純な情報というのは常に覚えやすいのです。

研究はまだ継続中で明確な答えというのはありませんが、作業記憶の容量を増やして鍛えることはどんなことを考えるにおいても重要になります。練習を何度か繰り返せば、良いアイデアが浮かびやすくなるかもしれません。アイデアが出ずに行き詰まりがちな人は、ぜひ試してみてください。


【私の論評】ワーキングメモリを増やすには、記憶そのものを増やすことだ!!しかも、若いうちに!!

皆さん、上の記事をどう思われますか。このような心理学実験、わざわざやらなくても、ほとんど結論が出ているような気がするのは、私だけでしょうか。ワーキング・メモリがどうのこうのと言っていますが、結局のところ、創造性のことだと思います。創造性は、どこから出てくるのかといえば、日本の愚かな教育学者や、多くの人が語るように、個性の尊重などからは生まれるものではありません。



上の結果では、結局、ゲーム以外のことでは、読書ということを語っています。読書といえば、結局は、何のためにやるかといえば、体系的にかかれた文章を読んで、記憶にとどめるということだと思います。そうなんです。結局人間の頭は、コンピュータのメモリのように、機会的に増やすということはできませんが、いわゆる、記憶がより多ければ記憶容量や、いわゆる、ワーキングメモリが増えるということだと思います。


こんなことは、昔からいわれていて、それを実際に査証するようなことは、心理学実験などしなくても、以前から多くの人に知られているところです。本日は、まずは、その査証となる事柄をあげておきます。

ボンクラ養成学校?

その事例として、昨日のスパイ事件でも、スパイが入り込んでいたといわれる、松下政経塾と、海外の優秀なリーダー養成校の比較をしてみたいと思います。無論、松下政経塾は、昨日の「松下政経塾出身の主な政府与党幹部」というリストに、12人もの人間が名前を連ねているにもかかわらず、一人の例外もなく全員ボンクラであるということから、この塾はリーダー養成には、完全に失敗しています。

松下幸之助氏を囲む松下政経塾塾生たち

しかし、昔から、西欧では、優秀なリーダー養成学校があります。こんなことを言うと、皆さん、MBSや、ハーバード・ビジネススクールなどを思い浮かべるかもしれませんが、そうではありません。大学院で、本当の意味でのリーダーを育てているわけではありません。リーダーたる器は、その前に形作られます。大学院などでは、手遅れです。大学院では、器は形成しませんが、実際に社会で活躍するために、必要な行動様式などを教えているわけであり、リーダーを養成しているわけではありません。こんなことでは、すでに手遅れなのです。



では、西欧のリーダー養成学校とはどのようなものか、掲載します。これについては、私自身は、以前から良く知っていたことなのですが、実際に、これらの学校に行ったことのない私よりも、それを良く知り抜いている人の記事などが参照になると思い、探してみたところ、ぴったりの記事がありましたので、以下に紹介します。

現代イギリスのボーディングスクールの寮
詰め込み教育復活を!世界のリーダー養成校から学べ

詳細は、上の記事をご覧いただくものとして、以下に一部分をコピペしておきます。

アメリカでいえば、エリート教育は中高一貫のボーディングスクール(全寮制・寄宿制学校)から始まる。ボーディングスクールの特徴は、
・進学の準備校ではない
・全寮制
・少人数
・留学生も1~2割
・田舎にある
・教師も住み込み
・図書館から体育施設まで充実
というものです。
とにかく中高一貫教育、全寮制というところが、世界のエリート養成学校に共通しているとろです。この記事を書いた人は、たまたま、アメリカを例に出していますが、私は、おそらく、アメリカのボーディンクスクールの原型になっているのは、イギリスのパブリックスクールだと思います。

イートンスクールのユニフォーム

さて、boarding とは、本来は「寄宿、下宿生活」のことで、寄宿学校が原義。両親の家を離れての団体生活の中で心身ともに鍛えられ、学業のみならず、生活も指導されることで、規則と自分に対する克己の態度が育まれるといわれています。

イギリスの寄宿教育は19世紀末にドイツに影響を与え、ヘルマン・リーツが田園教育舎と呼ばれる数多くの寄宿学校を立ち上げた。第二次大戦後、ソ連軍により、その多くは廃校に追い込まれたが、オーデンヴァルトシューレやスイスエコール・ド・ユマニテなどは現在も存続しています。

こうした実践を範とした学校がアメリカやオーストラリアなどにもいくつかあります。中でも伝統と実績のある世界各地の学校が、共通の教育理念で連帯したものに、クルト・ハーンがその設立を推進した「ラウンドスクエア」と呼ばれる団体があります。盟主となるイギリスのゴードン・ストウン校の建物が、ローマ風の円形競技場と四角い建物からなるのにちなんだものです。



同じ寄宿学校でもフィニッシングスクールは、良家の女子が社交界デビューに備える行儀作法のための学校で、これとは区別しなくてはならないです。

女の子のフィニシッングスクール

ボーディングスクールは王侯貴族が通う学校でもあり、スウェーデン王室のプリンスたちが卒業名簿に載るスウェーデンの「Lundsbergs skola」、ベルギー王室やルクセンブルク公国やモナコ公国のプリンスたちが卒業名簿に載るスイスの「ル・ロゼ校」、イギリス王室のプリンスたちが卒業名簿に載るイギリスのイートン校などがあります。
中高一貫とはいえ、ボーディングスクールの敷地は東大キャンパスの5倍から15倍くらいある。東大の10分の1くらいの生徒数でそうなのだ。そこには陸上トラック、プールはもちろん、ゴルフコース、アイスホッケーリンク、テニス・スカッシュのコート、ジムまである。立派な音楽堂や美術館もある。勉強の合間はスポーツや芸術活動を徹底的にやる。その合間にボランティア活動。超多忙な中で子供たちは時間管理術を学び、自らの適性を知っていく。こういう詰め込みの中でこそ本当の個性や適性がわかってくるのだ。
アップルの共同創業者、スティーブ・ジョブズは「創造とは結びつけること」と話しているが、創造力とはつながっていない知識をつなげることで違う考えを発見することだ。アイシュタインも「創造的思考とは組み合わせ遊び」と言っていた。世界的な発見は知識の出合いから始まっている。それを歴史家はメディチ効果という。ルネサンス期のフィレンツェ、そしてメディチ家。ここに世界を探検する最高の学者が集まり、斬新なアイデアが合体してイノベーションを引き起こした。生まれたのが、口紅、日焼け止めローション、温度計、デオドラント、歯の漂白、魚雷、防火服、慈善信託など。
メディチ家礼拝堂
多様な人材に幅広い教養を詰め込み共同生活させることでメディチ効果も生まれるのだ。世界中の古典から始まる多様な知識を詰め込まれ、運動から音楽からボランティア活動まで徹底的にやらされ、24時間他人と暮らす。若いうちから、いろんな知識をつなげる思考ができていくだろう。 
さて、筆者は、ここで、松下政経塾の大失敗と、ゆとり教育の間違いを語ります。
松下政経塾もこれを狙ったのだろうが、間違っている。一つは時期。大学を出た者では遅い。実務経験の期間が無くなり頭でっかちになるだけ。先生のレベルも違う。世界のエリート教育を受けた人でないとエリート教育はできない。いまどき日本語でやっているから多様性もない。松下さんの最大の失敗策であることは今の内閣をみれば一目瞭然。 
今の日本の若者の多くは日本の教育制度の犠牲者である。ゆとり教育と大学全入時代のせいで、“極度の詰め込みによる受験戦争”を勝ち抜くという経験をした者が、昔に比べて極端に少ない。知識が詰め込まれていないところに創造力も個性もない。芸術や音楽やスポーツだって知識の詰め込みが脳や肉体にないといいパフォーマンスはできないし、いいものかどうかの評価さえできない。
 さて、以上のようなことから、本題に戻ります。このような、詰め込み教育をされた人たちの頭の中は、どうなっているかといえば、それこそ、本日の本題となる、ウォーキング・メモリが増えているのだと思います。この状態で、さらに、新たな知識や経験をつめば、かなりクリエーティブな思考の持ち主になれるのだと思います。

吉田松陰肖像
そうして、日本だって、昔はそうでした。それこそ、今でいえば、特に武家では、丁度今でいえば、中高という時期に、徹底的に書物を読まされたり、武術の鍛錬などをやらされました。

室町時代の武家の教育について、参考になる記述がお伽草子の『筆結物語』にあります。

この内容がどの程度一般化できるのかわからないのですが、簡単に以下に掲載しておきます。
【読書】
1)孝経…忠臣は孝門から出るので
2)四書五経…孝経の後に読んで、仁義道徳を学ぶ
3)武七書…兵法を学ぶ
4)東坡・山谷詩・三体詩・詩学大成…詩・聯句の座での詩作のため
5)三代集・源氏物語・伊勢物語…歌・連歌の便りに
1)2)は修身道徳、3)は専門、4)5)は教養といったところでしょうか。 
しかし、読書=学文(学問)だけではだめで、しっかり体を使うことも必要だといいます。
いわば【体育】ですね。
飛越・早技・力技・荒馬・強弓・山を走る・水練
これが具体的な内容です。
面白いのは、山を走って鍛錬するのに鷹を使うこと、それから水練(水泳)をするのに鵜を使うことです。
こういった、伝統は、無論江戸時代にも引き継がれ、江戸時代には、藩校というものが各地につくられました。内容や規模は多様ですが、藩士の子弟は皆強制的に入学させ、庶民の子弟は入学できませんでした。後に、庶民に開放された藩校もあります。広義では医学校・洋学校・皇学校(国学校)・郷学校・女学校など、藩が設立したあらゆる教育機関を含みます。

全国的な傾向として、藩校では「文武兼備」を掲げ、7〜8歳で入学して第一に文を習い、後に武芸を学び、14〜15歳から20歳くらいで卒業する。教育内容は、四書五経の素読と習字を中心として、江戸後期には蘭学や、武芸として剣術・槍術・柔術・射術・砲術・馬術などが加わりました。

会津藩藩校 日新館
藩校は、全寮制ではありませんでしたが、若い時期に徹底的に詰め込みをするということでは、ボーディングスクールに似ています。江戸時代には、藩校のほかに、私塾も多くつくられました。その中で、一番成功したのは、吉田松陰の松下村塾です。これは、松下政経塾とは、対照的に明治維新の立役者を多数輩出しました。

とにかく、いわゆる、リーダーを育てるような学校は、古今東西をとわず、若い時期に詰め込みをするということでは共通点があります。そうして、日本では、近代的ないわゆる大学や、大学院という教育機関がなかったにもかかわらず、幕末、明治維新には、多くの傑出した人物が現れました。やはり、日本では、伝統的な若い時代の詰め込み教育が、藩校などにも引き継がれていて、だからこそ、未曾有の転換期にも対応できたのだと思います。だからこそ、明治の先達は、世界でも稀有ともいわれる、無血大革命に成功し、日露戦争に勝利するという大偉業を達成できたのだと思います。

萩藩校 明倫館跡
やはり、頭の中に知識がある程度詰まっていなければ、クリエーティブにもなれないし、クリエーティブさが欠けていたては、リーダーたるものの器ではなく、そんなものに、国の政治など司ることなど到底不可能であるため、自然とこうした形が出来上がったのだと思います。

日新館での学習風景(再現)
若いうちに、頭の中に様々な知識を詰め込むというということが、やがて、大人になったときに、知識と知識をつなげるクリエーティブな頭になれるということです。だから、最近の教育は、「ゆとりの教育」などといって、中高あたりで詰め込みをやらせないため、クリエーティブではなく、リーダーとしての器の欠ける人間をつくりだしてきたということで罪深いことだと思います。

そうして、松下政経塾もその例外ではないということです。どうして、こんなことになったのか、本当に理解に苦しみます。

今からでも、遅くはないので、詰め込み教育を再開すべきです。松下政経塾も、やり方を改めるべきと思います。



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