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2017年5月11日木曜日

小泉進次郎が「こども保険」にこだわるホントの理由はアレしかない―【私の論評】経済における清貧思想が生み出した緊縮脳こそが社会の害悪(゚д゚)!

小泉進次郎が「こども保険」にこだわるホントの理由はアレしかない

田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授)

毎年、3月11日になると、2011年3月にどんなことが起きたのか、当時の記録が掲載されている自分のブログを見て思い出すことがある。もちろん東日本大震災の悲惨な被害、そして失われた多くの命、さらには「人間的価値の毀損(きそん)」という事態の前では、いまだ復興への道のりが遠いことに思いを強くしている。だが、今日書きたいのは、当時の「非人道的」ともいえる動きである。

2011年6月、党首討論で発言する自民党の谷垣禎一総裁(左)と、菅直人首相
 それは2011年3月13日、当時の民主党政権の菅直人首相と自民党の谷垣禎一総裁の会談において、復興政策の一番手として増税政策があげられたことだ。その時点では、被害の実態も把握できず、復興自体よりも人命救助に努力を傾注すべきときだった。もちろん福島第二原発の状況は予断を一切許さない緊迫したものであった。

 さらにこの増税政策は、後に設置された政府の「復興構想会議」などでも最初の具体的提案として、議長や委員から提起されている。実際に復興政策として何を行うかさえもはっきりしない段階において、である。

 この復興構想会議では、事実上、後に「復興特別税」となる増税構想だけが具体的に決まったといっていい。当時、複数の復興構想会議の委員に会ったが、いまでも印象に残るのは、「僕らは経済のことはわからないから」という発言だった。経済のことを理解していない人たちが、なぜか増税だけを最優先にかつ具体的に決めたというのはどういったことなんだろうか。

 さらに時間が経過していくにつれてわかったことだが、この復興特別税での当時の与野党の連携は、民主党・自民党・公明党による「社会保障と税の一体改革」、つまりは今日の消費税増税のための「政治的架け橋」になっていたことだ。

 つまりは、大震災で救命対策が必要とされる中、消費増税にむけた動きが震災後わずか2日後には本格化していたことになる。つまりは震災を人質にしたかのような増税シフトである。これが冒頭で書いた「非人道的な動き」の内実である。

 実際、民主党政権はその政治公約(マニフェスト)の中には、消費増税のことは一切書かれていなかった。だが、この震災以降の増税シフトが本格化する中で、当時の野田佳彦首相(民主党、現在の民進党幹事長)は、自民党と公明党とともに消費増税を決定した。日本では社会と経済の低迷と混乱が続いていたにもかかわらず、ともかく消費増税だけは異様ともいえるスピードと与野党の連携で決まったのである。この消費増税は後に法制化され、第2次安倍政権のもと、日本経済を再び引きずり下ろす役割を果たした。その意味でも本当に「非人道的」であった。

 さてこの動きと類似した消費増税シフトをいまの政治の世界でも見ることができる。自民党の小泉進次郎議員が主導する「2020年以降の経済財政構想小委員会」が発表した、いわゆる「こども保険」だ。現在の社会保険料に定率の増加分をのせて、それで教育の無償化を狙うスキームである。「こども保険」と呼ばれているが、実体はただの「こども増税」である。以下でも詐称を控えるためにも、「こども保険」ではなく、正しく「こども増税」と表記する。

自民党の小泉進次郎衆院議員
 小泉議員らの主張によれば、高齢者に偏重する社会保障体系を、若年層向けに正す効果があるという。この一見するとあらがうことが難しいようなスローガンではある。だが、これがくせ者であることは、冒頭のエピソードを読まれた読者はピンとくるはずだ。

 消費増税シフトは、そもそも震災復興を契機に仕込まれ、そして社会保障の充実という名目で選挙公約を無視してまで導入された。この経緯を踏まえると、小泉議員らの「こども増税」は、消費税増税シフトを狙う政治勢力の思惑ではないか、と推察することは可能だろう。

 もちろん「こども増税」自体が消費増税ではない。「こども増税」は、消費増税をより実現しやすくするための、政治勢力の結集に使われる可能性があるのだ。小泉議員は国民の人気が高い。いわば「ポスト安倍」候補の一人であろう。

 現在の安倍政権は、首相の決断によって過去2回消費増税が先送りされた。さまざまな情報を総合すると、安倍首相の財務省への懐疑心はいまも根深いとみられる。なぜなら財務省は2013年の消費増税の決定時期において、「消費増税は経済に悪影響はない。むしろ将来不安が解消されて景気は上向く」と説明していたからだ。もちろんそのようなトンデモ経済論は見事に外れた。日本経済がいま一段の安定経路に入れないのは、この消費増税の悪影響である、と首相は固く信じているようだ。そのための二度の消費増税延期である。

 このような首相の決断は、財務省を中心とする消費増税派からすれば脅威に思えるだろう。今後の消費増税は本当に実施されるのか、また10%引き上げ後も財務省が現段階で狙っていると噂される15%以上への引き上げの道筋が早期にめどがつくのかどうか、彼らは不安であろう。

 ある意味で、ポスト安倍の有力候補としての力の結集、または現段階で安倍首相を与党の中で牽制(けんせい)する「消費増税勢力」が誕生した方が得策である、と消費増税派は踏んでいるのかもしれない。もちろん「こども増税は、消費増税を確実にするための前ふりですよね」と、小泉議員らにいっても即座に否定するだろう。だが、同時に思い出されるのは、数年前に復興構想会議のメンバーに「この増税路線は消費増税路線の一環ではないか」とただしたとき、「そんなことはない」と一笑にふされたことだ。今回はだまされたくはないものである。

【私の論評】経済における清貧思想が生み出した緊縮脳こそが社会の害悪(゚д゚)!

上の記事、簡単に言ってしまうと、小泉進次郎議員は大増税と緊縮財政で財政再建すると、まだ若いのに老害議員と同じ事を言っているということです。

この小泉進次郎氏はたびたびこのようなことを提言しています。実際昨年の4月にも、高齢者に偏った社会保障の見直しを目指して「65歳からは高齢者はもうやめよう」などとする提言を発表しました。

記者会見で小泉進次郎氏は以下のような発言をしていました。

「今、労働力が減る減ると言われている。このままだったら2045年には52%にまで減少するが、仮に18歳から74歳という年齢幅を、私の中ではより今の社会にフィットしている(と考えるが)、生産年齢人口として見てみると、意外に平気じゃないか、景色が違うぞと」

「65歳が高齢者の時代ではない。15歳から64歳までの生産年齢人口労働力、現役世代だという定義も 100年時代ではこのままではいかない。国の形をかえるという発想につながる」

「“65歳からは高齢者”はもうやめよう」「現役世代の定義そのものから変えていく」、そして、「それは働き方、生き方、教育の位置づけ、そして社会保障を見直すことにつながる」などと訴えています。提言のタイトルは、「レールからの解放」となっていました。


この発言そのものは、さほど悪いとは思わないのです。実際米国では州によっては定年制がないところもあります。定年がないということは、日本では考えられないことでしょうが、実際定年制が廃止になっている州も米国にはかなりあります。

そのような州では、人を雇用する際に年齢を理由に採用しないとか、年齢を理由として人を解雇することはできません。高齢者を解雇する場合でも、年齢ではなく他の理由がないと解雇できません。多くの場合、定年は被用者自らが決めます。要するに、自分が辞めたいときに辞めるということです。

かなり前からそうなっているのですが、結局社会保障費などの財源が不足することから、そのようなことにならざるを得ないということもあります。

そうして、経済学の大家ドラッカー氏も以下のように語っています。
高年者が働くのは、怠けているよりも働きたいからである。仲間が欲しいからであり、依存したくないからである。これらの欲求が、経済的な理由と同じように、あるいはそれ以上に、彼らの労働力市場への参入を促している。(『変貌する経営者の世界』)
96歳を迎える直前まで活躍していたドラッカーにしてみれば、65歳の定年退職が間違っていることは当然だったのかもしれません。

定年が65歳に定められたのは、ビスマルク時代のドイツにおいてです。これが米国に導入されたのが第一次世界大戦時で、今日の平均寿命と高年齢者の健康状態から計算すれば、当時の65歳は今日の75歳に相当します。

ドラッカーは、65歳定年は、元気な人たちをゴミ箱へ捨てているようなものだといいます。なぜななら、現在では昔と違い、多くの人の仕事が肉体労働ではなく知識労働に変わっているからです。一昔前の肉体労働者なら、55歳も過ぎれば、もう働きたいと思うのが普通でした。しかし、知識労働者は違います。彼らの反撃は当然です。しかも、65歳定年は、年金制度にとっても耐えがたい負担の原因となっています。

これも踏まえて、ドラッカー氏は定年の延長は当然であるとしたのです。実際ドラッカー氏がこのような主張してから間もなく、米国などでは定年をなくしたり延長するようになりました。

しかも彼ら高年齢者は、自らの主張を通すだけのパワーを持ちつつあります。ドラッカーは、この高年齢パワーを「パーマネント・マジョリティ」と呼びました。先進国では、彼らの人口は増える一方であり、選挙での投票率も高いです。

定年延長ないし定年制廃止は、政治的にも、経済的にも、不可避です。いまや、年齢による強制退職は差別といつても良いくらいです。残された問題は、高年齢者自身が納得する退職基準の構築だけです。
かつては、年齢の故に退職する者などいなかった。高齢者そのものがいなかった。(『変貌する経営者の世界』)
このドラッカー氏の主張は、私も正しいとは思います。 しかし、日本では現在では大企業の定年が60歳から65歳に延長されたばかりであり、このような主張を受け入れる素地はなかったとみえ、この小泉進次郎氏の発言は多くの人の共感は得られなかったようです。

そうして、小泉進次郎氏の発言などを分析してみると、結局65歳定年は、「年金制度にとっても耐えがたい負担の原因」となっていることに主眼が置かれているようです。だから、増税するか、定年延長をするしかないということです。

これは、とにかくどんな場合でも増税したい財務省からすれば、都合の良い話です。要するに増税が駄目なら、定年を延長したり、なくしたりすれば、今まで働いていなかった人が税金を支払うようになるため、増税したのと同じ結果になります。

さらには、小泉進次郎氏の主張は、「年金制度にとっても耐えがたい負担の原因」となっていることをアピールしやすくなり、増税に対する理解を得やすくなります。

そうです。とにかく、小泉進次郎氏の主張は、増税を促すことなのです。小泉進次郎氏はこの他にも「増税」すべきであるとの発言行っています。それについては、このブログでも以前何度か掲載したことがあります。その記事のリンクを以下に掲載します。
総裁任期「3期9年」に延長=26日に全体会合へ提示―自民―【私の論評】財務省とわたりあえる人材が出てくるまでは安倍総裁とすべき(゚д゚)!
野田元総理の増税狂発言。おまけ、安住元財務省の増税狂発言。
詳細は、この記事をご覧いただくものとして、一部分を以下に引用します。
現在の民進党の議員のほとんどは、増税推進派で、経済や財政について語るときは、まるで財務省のスポークスマンのようです。民主党政権だったときの、民主党は上記の事実でもわかるように、財務省の使い捨て政党です。その性質は昔から変わらず、現在もそうであり、将来も継承続けていくことでしょう。

一方自民党はどうかというと、これも民進党と同じように、財務省の影響下にあったのは間違いないです。というより、自民党でも安倍総理が、衆院を解散してまで、財務省に反旗を翻して増税を阻止して、真正面からわたりあった最初の総裁ということになります。

自民党も民進党の財務省の使い捨て政党というところまではいかないものの、同じように財務省の影響下にあって、財務省にはなかなか正面切って逆らえなかったというのが実体です。

ただし、今の自民党は、安倍総理と一部の安倍総理に近いブレーンが財務省と渡り合っているだけであって、他の自民党議員はなかなか財務省に諜略されているか、諜略されないまでも正面切って逆らえないというのが実体です。

例えばかって小泉純一郎元首相は在任時に「景気が回復すると構造改革ができなくなる」と明言していました。これは、平たくいうと、構造改革をするためには、金融緩和や積極財政はしてはならないということです。これでは、まるで財務省のスポークスマンのようです。

実際に8%増税は、大失敗だったことは統計数値をみれば明らかなのに、民進党は先ほど述べたように、ほとんどが増税狂です。

しかし、自民党でも安倍総理とこれに近いブレーンは別として、ほとんどの議員は金融政策の意味や、財政政策の正しい運用の仕方を理解してないか、理解していたとしても、財務省に正面切って逆らえないでいるようです。

ちなみに自民党の中の「ポスト安倍」と目されている人たち、たとえば、稲田朋美防衛大臣、小泉進次郎衆議院議員、石破茂衆議院議員らの過去の発言をみれば、消費増税ありきの財政再建主義か、もしくは金融政策中心のデフレ脱却への懐疑的であったり批判的であることが明瞭です。
稲田大臣は、先の再延期の前には「消費税をまず1%引き上げる」案をだしていましたが、そもそも消費増税を経済が低迷しているときになぜ増税にそこまでこだわるのか、その背景についての説明は全くありませんでした。最初から消費引き上げ自体を目的とした発言としか思えません。
そうして、小泉議員はより深刻です。先の再延期のときの報道を読むかぎりでは、消費増税先送りへの懐疑的な態度にくわえて、親譲りなのでしょうか、とにかく社会保障の見直しなどで、倹約という視点しかありません。景気循環的な発想が全くありません。増税延期が決まった直後の、「延期するけれども決まっていた(社会保障)充実策はやるというなら、こんなおいしい話はない。 そんなおいしい話に若い人たちはだまされない」と発言にはほんとうに驚いてしまいました。これでは、まるで財務省のスポークスマンであり、経済・財政などに関しては、民主党議員とほとんど変わりありません。
「(増税)延期するけれども決まっていた(社会保障)充実策はやるというなら、こんなおいしい話はない。 そんなおいしい話に若い人たちはだまされない」、「65歳からは高齢者はもうやめよう」、「こども増税」などの発言をみれば、小泉進次郎議員は明らかに増税推進派です。

口を開けば「増税すれば税収は増える」と言い、過去においては増税すればするほど財政悪化した事実はみようともしない。このような「緊縮脳」の政治家にはうんざりするのですが、小泉進次郎議員のような若手議員にもこんなボケ老人みないな人が大勢居るのです。それも自民党の中にさえいるのです。

小泉進次郎議員は、小渕優子議員とともに過去にはマスコミから「次期総理大臣候補」と呼ばれていました。

2012年12月に始まった第2期安倍政権は当時マスコミなどからは「持って1年か2年」と思われていたようで、これは過去の20年を振り返れば妥当な予想でした。

1987年の中曽根康弘以降、2年以上続いた総理は橋本龍太郎と小泉純一郎の2人しか居ませんでした。1年か2年後には次の総理を立てる必要があるので、早々と次期総理候補については多くの国民も関心があるであろうということで、マスコミも取り扱ったのでしょう。

名前が挙がったのは2人の他に石破茂や河野太郎、「女性の時代だ」というので野田聖子や小池百合子らも候補になっていました。その後は、稲田朋美も候補と言われるようになりまた。これらの人たちは人柄はともかく、経済を良くするための政策は特に考えていない人が多いです。

「経済の事はこれから勉強します」と昔大臣の就任会見で言った人がいましたが、日本での政治家はだいたいこのレベルです。経済の細かなことは知らなくても良いですが、不景気になったりデフレになった場合には、どのような財政政策や金融政策をとるかくらいは知っているべきです。知らないというのなら、政治家になるべきではありません。

政治家の言う経済の勉強とはそのほとんどが自ら学ぶというよりは、財務官僚によるレクチャーのようですが、実際には財務官僚は「経済」ではほとんどが素人です。

財務省はお金の使い方を制限する役所で、企業の財務担当者と同じような事をしています。これは、大企業では財務と経理と明確に区分されているから理解しやすいでしょうが、中小企業以下の企業でいえば、いわゆる「経理」です。

財務の人は「電気は消灯してください」「エアコンは28度」「エンピツやボールペンは最後まで使う」などうるさいです。

だがボールペンのインクを最後の一滴まで使いきっても、恐らくその会社の売上は1円も増えないのではないでしょうか。

これは、無論全部の財務部門の人にあてはまるわけではありませんが、よく見られがちな弊害として、売上を増やす事にはまったくの素人で、ひたすら支出を減らす事だけを考えます。

こんな人間が出世して社長になったら、社員に「エアコン禁止令」を出したり、幹部の秘書を廃止したりして、幹部の雑用を増やすようなことをし、だいたいその会社は売上が減って倒産しまいかねないことになります。

会社全体を良くするには、鉛筆を最後まで無駄なく使うことを絶対善とする「緊縮脳的」発想だけではダメで、むしろ一見浪費に見えるようなことでも出費してでも売上を増やすタイプが社長に向いています。

そうして、残念ながら現在の財務省は「緊縮脳」の集まりで、財務省の左遷先の経済省も似たようなものです。実際、財務省は確かに東大卒は多いのですが、経済学部出身者はあまりいません。一番多いのは法学部出身者です。

これは、財政は予算という法形式で規律される行政方式であり、さら予算があっても関連法律が通らないと実施できないですし、また税金の徴収も法律に則り行われるので、やはり法律に疎いと仕事にならないという面もあるとは思います。

しかし、経済とは法律で割り切れるようなものではない社会現象です。財務自体は、法律により執行されるものですが、それ以前に社会現象としての経済を正確に捉える力量が問われます。間違った経済認識のもとで、正しく迅速に法律を執行したとしても無意味です。 

さらには、大学院卒もほとんどいません。大学院で経済学を選考した人などは皆無に近いです。これは、経済学を大学院で選考した人も多い他国の財務省の官僚と比較するとかなり奇異なことです。言い方は、悪いかもしれませんが、他の先進国と比較すると低学歴と言ってもよいのかもしれません。

そうして、彼ら財務官僚は、どんな場合にも出費を少なくする事が善であるというような、何というか経済における清貧思想に染まっているとしか思えません。このような経済省の官僚から経済を教わった国会議員の多くもまた、救いがたい「緊縮脳」になるのです。

例えば財政再建といえば増税しか考えず、増税すれば税収が増えると考えているようです。実際には消費税創設、消費増税によって過去25年間税収が減り続けているのですが、都合が悪いデータを見ないのか、財務官僚に見せてもらっていないようです。

自民党の麻生太郎財務大臣、谷垣幹事長はその筆頭ですが、小泉進次郎議員のように若手のほとんども「緊縮脳」になっています。民進党では、現在では馬淵議員一人だけが「緊縮脳」ではないようです。実はももう一人、金子洋一参議院議員がもその一人だったのですが、誠に残念ながら昨年の参議院議員選挙で落選してましまいした。

2016年6月31日に消費増税延期について質問された小泉進次郎議員は先にも述べたように、「増税延期は無責任だ。若者は騙されない」と増税を主張しました。内容は財務省の官僚と同じで、増税をやれば税収が増え、財政再建できるという事です。

こういう「緊縮脳」の人でも、発言がしっかりして堂々と見えるから始末が悪いのです。過去4回の消費税創設と増税で、その後には必ず税収が減ったのは見ようとせず、ひたすら自分の意見だけを自信たっぷりに言うのです。

彼らの自信の根拠は結局のところ「東大卒のエリート財務官僚が間違っている筈がない」という事で、自分で頭で考えてはいないのでないでしょうか。

ちなみに最近も「緊縮脳」の暗躍で日本は結局のところ緊縮財政に傾いています。以下にグラフを掲載します。

上のグラフは一般会計の前年比の推移です。緊縮度は予算総額の前年比増減額から税収増減額を差し引いて算出したものです。税収が増えても、財政支出を通じて民間に還元しないと、民間の所得が奪われます。安倍政権はアベノミクスを本格的に作動させた2013年度、緊縮度はゼロに近かったのですが、14年度には消費税増税と歳出削減の超大型緊縮財政に踏み切りました。

15年度も緊縮を続け、16年度も当初予算でさらに緊縮を継続。すると消費は不振に陥ったままで、物価は下落し、デフレ局面に舞い戻りました。税収も減り始めました。そこで2、3次の補正予算を組んだ結果、拡張型に転じましたた。
ところが、17年度当初予算はトランプ効果による円安・株高の陰に隠れて目立たないのですが、補正後の16年度予算に比べてかなりの緊縮になっています。円高、株安に反転しようものなら、またもやあわてて補正という図式がみえみえです。

これほどの経済大国でありながら、「緊縮脳」の官僚の采配に国家予算が委ねられる先進国はほかにあるのでしょうか。

私たちは、緊縮脳こそが社会の害悪であるといい加減悟るべきです。経済における清貧思想はなんの解決ももたらさないのです。


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