ベラルーシの作家、スベトラーナ・アレクシエービッチ氏 |
授賞理由では「私たちの時代の人々の困難や勇気を、聞き書きを通じて多層的に描き出した」などと評価した。
賞金は800万クローナ(約1億1600万円)。授賞式は12月10日、ストックホルムで行われる。
有力候補と目された村上春樹氏(66)は受賞を逃した。
【私の論評】村上氏、日本でなくても成り立つ小説の舞台がアダとなっているのかも?
スベトラーナ・アレクシェービッチ氏に関しては、私はこの方の書籍を一度も読んだことはないですし、どんな人なのか全く知りません。以下にウィキペディアより引用します。
スヴェトラーナ・アレクサンドローブナ・アレクシエーヴィッチ(ロシア語: Светлана Алексиевич, 英語: Svetlana Alexievich、1948年5月31日 - )は、ベラルーシの作家、ジャーナリスト。「スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ」、「スベトラーナ・アレクシエービッチ」表記もある。2015年にジャーナリストとして初めてノーベル文学賞を受賞した。
ウクライナ・ソビエト社会主義共和国に生まれる。ベラルーシ人の父とウクライナ人の母をもつ。父親が第二次世界大戦後に軍隊を除隊すると、ベラルーシ・ソビエト社会主義共和国に移住し、両親は教師となった。スヴェトラーナはベラルーシ大学でジャーナリズムを専攻し、卒業後はジャーナリストとして活動。聞き書きを通して、大事件や社会問題を描く。
第1作『戦争は女の顔をしていない』では、第二次世界大戦に従軍した女性や関係者を取材。第2作『ボタン穴から見た戦争』では、第二次世界大戦のドイツ軍侵攻当時に子供だった人々の体験談を集めた。1988年にはソヴィエト連邦の介入下にあるアフガニスタンを取材し、『アフガン帰還兵の証言』でアフガニスタン侵攻に従軍した人々や家族の証言を集めたが、一般のソヴィエト国民に隠されていた事実が次々と明らかにされ、軍や共産党の新聞はアレクシエーヴィッチを一斉に攻撃した。『チェルノブイリの祈り』では、チェルノブイリ原子力発電所事故に遭遇した人々の証言を取り上げているが、ベラルーシでは未だに事故に対する言論統制が敷かれている。2003年に来日し、チェルノブイリを主題に講演を行なった。
『戦争は女の顔をしていない』は舞台化や映画化をされており、劇はソ連各地で上演され、映画はソヴィエト連邦国家賞、ライプツィヒ国際ドキュメンタリー映画祭の銀の鳩賞を受賞した。『チェルノブイリの祈り』は、講談師の神田香織によって講談作品となっている。
1992年には『アフガン帰還兵の証言』の内容をめぐり、一部の帰還兵やその母親から、戦争に従軍した兵士の英雄的名誉を毀損したとして政治裁判に訴えられたが、海外の著名知識人の弁護により一時中断となった。『死に魅入られた人びと』ではソ連崩壊からの急激な体制転換期に生きる支えを失って自殺を試みた人々を取材している。
『チェルノブイリの祈り』は、ロシアの大勝利賞、ライプツィヒのヨーロッパ相互理解賞、ドイツの最優秀政治書籍賞を受賞したが、ベラルーシでの出版は独裁政権による言論統制のために取り消された。1996年スウェーデンPENクラブよりクルト・トゥホルスキー賞受賞。2013年ドイツ・ブックトレード平和賞受賞。
ルカシェンコ独裁政権の圧力や言論統制を避けるため、2000年にベラルーシを脱出し、西ヨーロッパを転々としたが、2011年には帰国した。
一方、村上春樹氏は、今まで何度も受賞の候補にあがっていましたが、今年も逃しました。 あれだけ候補にのぼりながら、その都度のがしているにはそれなりの背景があると思います。
村上春樹氏 |
それに関しては、中央大学文学部の宇佐美毅教授の論評を掲載したウォールストリト・ジャーナルの記事を以下に引用します。この論評は、2013年のものです。
村上氏は、これまで何度も候補に挙がったが、受賞を逃してきた。2012年にも、最も有力な候補者と見られたが、受賞したのは中国の莫言氏であっ た。
ウォール・ストリート・ジャーナル紙は、中央大学文学部の宇佐美毅教授による、過去の日本人文学賞受賞者(1968年受賞の川端康成氏や1994年受賞の大江健三郎氏)との比較を紹介している。
同教授(写真左)は、例えば大江氏の作品では、社会の中で少数派の人々の葛藤や原子力問題など、政治的・社会的問題が扱われるのに比べ、村上氏の作品はあまりそういう要素がみられない、と指摘している。このため、同氏の作品は強力なテーマや目的が欠けているとみられており、それがノーベル賞をいまだに受賞できない理由のひとつだろう、とみているようだ。
実際、村上氏はこれまで、公の場に姿を現すことはあまりなく、政治的な発言もほとんどしてこなかった。しかし、2012年、日本と中国の領土問題に関する緊張の高まりを受け、朝日新聞に寄稿している。同氏はその中で、日本が中国と対立し国家主義の傾向を強めることは、安酒を飲むようなもので、酔が回るのは早いが、ひどい二日酔いになる、と冷静な対処を求める意見を述べた。
また2009年には、エルサレム賞授賞式で、イスラエルによるパレスチナ人の扱いを非難した。
評論家の一部は、これらはノーベル賞を意識しての政治的発言ではないか、と幾分皮肉な見方をしているようだ。確かに、今年の受賞者の作品は、ウイキペディアにあるように、政治的・社会的問題を真正面から取り上げているようですが、村上氏の作品には、そのような部分は希薄なところがあります。
1Q84は、社会問題を扱っているようにも思いますが、そこはかとない不安は煽るものの、そこから深く切り込むという部分は希薄でした。
そもそも、村上氏の書籍をあまり読んだことのない私ですが、その読んだ範囲内では、村上氏の作品は、特定の国をあまり意識させるものではありません。小説の舞台が、日本のどこの地方だろうが、それどころか他の外国であろうが、どこであろうが、成り立ってしまうようなストーリーでした。
そのためでしょうか、文章が平易であることもあいまって、世界中に多くのファンが存在
するようです。一度、テレビで台湾などの熱狂的なファンなどが紹介されていたのを覚えています。
するようです。一度、テレビで台湾などの熱狂的なファンなどが紹介されていたのを覚えています。
無論、数冊しか読んだことのない私が、村上氏の作品全体がそうだとも言い切れるわけもないのですが、読ませていただいた範囲ではそのような感想を持ちました。
このようなことから、上の中央大学文学部の宇佐美毅教授の論評は的を射ているように思います。
ノーベル文学賞の受賞には、政治的・社会的問題を扱うことが不可欠なのだとすれば、確かに村上氏の作品にはそれが希薄です。
村上氏の小説には料理よく料理がでてくる上は『ねじまき鳥クロニクル』 という小説に掲載されていた「トマトとチーズをはさんだサンドウィッチ」 |
そもそも、外国であろうが、どこてあろうが成り立ってしまうようなストーリーの小説であれば、政治・社会問題を深く掘り下げられるわけもないです。
もし掘り下げるとすれば、日本人の作家であれば、最も長く住んだ自分の国、日本を舞台として作品を書くことが近道であると思います。そうでなければ、政治はもとより、社会問題への深い関与など不可能です。日本の社会を理解するだけでも、長い年月と深い観察眼が必要なのに、それがどの社会でも成り立ってしまうような小説では、その社会特有の社会問題など掘り下げることはできません。
これに比較すると、ベラルーシの作家、スベトラーナ・アレクシエービッチ氏の作品は、確かに、彼女が住んだ国である、かつてのソ連や、ベラルーシのチェルノブイリ等を舞台としています。
村上氏のように、どこの国でも成り立つストーリーの小説は、結局政治・社会問題に深く切り込むことはできないのだと思います。村上氏は、これからも自分の知り抜いた日本を舞台としたもので、政治・社会に深く切り込んだ小説をものにしなければ、今後も受賞することはないのかも知れません。
それと、私は思うのですが、ノーベル賞の受賞に影響力を与えるとされているようである、政治・社会問題ですが、対象者が、政治的に左翼的とか、右翼的とかなどとは関係ないように私は思います。
そんなことよりも、より本質的な社会的な問題をとりあげたほうがが普遍的で、より深く切り込むことができる受賞に近づくのではないかと思います。おそらく、社会問題は、政治的な問題にも深く影響を受けていることが多いので、政治的な問題も関係しているというだけなのではないかと私は思います。
だとすれば、村上氏がかつて、竹島・尖閣問題で、領土を主張する日本の政治家や論客に対し「せっかく、これから良い関係を築いていけそうな中韓に対し、領土問題で揉める事をするな」と読み取れる主張を、彼らをヒトラーとか安酒に例えて揶揄する文章にし、朝日新聞に載せたように、左翼的発言をしたとしても、受賞には何も影響しないのだと思います。
そのようなことよりも、今私達が普通に暮らしているこの社会の大きくて深い問題を数十年後の人たちからすれば、誰もが容易に理解できることなのに、現在の私達が当たり前過ぎて気づかないような社会に深く根ざす問題を提起し、さらにそれに対する指針のようなものをテーマとした小説などを村上氏が書いていればかなり受賞に近づいたのではないかと思います。
それと、私は思うのですが、ノーベル賞の受賞に影響力を与えるとされているようである、政治・社会問題ですが、対象者が、政治的に左翼的とか、右翼的とかなどとは関係ないように私は思います。
そんなことよりも、より本質的な社会的な問題をとりあげたほうがが普遍的で、より深く切り込むことができる受賞に近づくのではないかと思います。おそらく、社会問題は、政治的な問題にも深く影響を受けていることが多いので、政治的な問題も関係しているというだけなのではないかと私は思います。
だとすれば、村上氏がかつて、竹島・尖閣問題で、領土を主張する日本の政治家や論客に対し「せっかく、これから良い関係を築いていけそうな中韓に対し、領土問題で揉める事をするな」と読み取れる主張を、彼らをヒトラーとか安酒に例えて揶揄する文章にし、朝日新聞に載せたように、左翼的発言をしたとしても、受賞には何も影響しないのだと思います。
そのようなことよりも、今私達が普通に暮らしているこの社会の大きくて深い問題を数十年後の人たちからすれば、誰もが容易に理解できることなのに、現在の私達が当たり前過ぎて気づかないような社会に深く根ざす問題を提起し、さらにそれに対する指針のようなものをテーマとした小説などを村上氏が書いていればかなり受賞に近づいたのではないかと思います。
勝手な私の思い込みかもしれませんが、私は、そう思います。皆さんは、どう思われますか?
【関連記事】
【関連図書】
スベトラーナ・アレクシエービッチ
岩波書店
売り上げランキング: 313
岩波書店
売り上げランキング: 313
村上 春樹
文藝春秋 (2012-09-04)
売り上げランキング: 2,841
文藝春秋 (2012-09-04)
売り上げランキング: 2,841