Sinking of Prince of Wales and Repulse (マレー沖海戦)
上は、第二次世界大戦中マレー沖会戦で、日本の爆撃機がイギリスの戦艦プリンス・オブ・ウェールズと、レパルスを撃沈する模様の動画。この会戦によって、不沈戦艦、大鑑巨砲主義の神話は打ち砕かれ航空戦力の優位性が確立された。
プリンス・オブ・ウェールズはチャーチル首相のお気に入りであり、就役直後は「世界最強」と彼に言わせた戦艦でした。
太平洋戦争開戦直後の1941年12月10日、日本軍の上陸を阻止するため出撃したプリンス・オブ・ウェールズは日本海軍航空機(九六式陸攻、一式陸攻)の雷撃及び爆撃により、僚艦レパルスと共にマレー沖にて沈没しました(マレー沖海戦)。
これ以前のタラントや真珠湾で は「停泊中」の戦艦が航空攻撃により沈められたが、港に停泊中を奇襲され充分な対応ができないうちに被害を受けた結果でした。しかし、マレー沖では充分 な装備を持ち、万全の準備を行っていた「行動中」の戦艦が航空機の攻撃だけで撃沈されました。対空砲多数を装備した新式戦艦でも、航空機の攻撃には勝てない事 が明らかになりました。この戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ(ウェールズの王子)」は、イギリスの皇太子の名称を持ち、イギリスの力を誇示する象徴的な戦艦でした。その戦艦がやすやすと撃沈されてしまったのですから、そのショックは大きかったでしょう。
この撃沈の報告を聞いた首相チャーチルは、「あの艦が!」と絶句し、「戦争全体で(その報告以外、)私に直接的な衝撃を与えたことはなかった」と著書の第二次世界大戦回顧録で語っています。
当時のイギリスは、オーストラリアの旧宗主国であり、かなり近い関係にありました。イギリス軍とともに、オーストラリアも参戦しており、このチャーチルに大打撃を与えた、大ショックは、オーストラリアにとっても、さらに大きな衝撃だったでしょう。マレー沖というと、イギリスからははるかに遠くですから、オーストラリアからは眼と鼻の先です。かなりの脅威だったと思います。
ポートダーウィン空襲
上は、ポートダーウィンの爆撃を伝える当時のドイツのニュース映画の動画。
日豪両国は第一次世界大戦中は共に連合国側で参戦しました。日本海軍の船、イブキはオーストラリアの軍隊をエジプトまで護衛しました。しかし、1941年末からの第二次大戦では敵対関係に入り、アジアやニューギニアのジャングルで3年半に及ぶ交戦状態が続きました。
マレーシア全土に進撃した日本軍は、1942年にシンガポールの英国軍基地を攻略し、13万人以上を捕虜にしました。このうちの1万5000人はオーストラリア兵で、ほとんどが東南アジア地域の日本軍収容所へ移送されました。収容所での捕虜に対する扱いはひどく、第二次大戦中を通して日本軍に捕らえられたオーストラリア人2万2000人のうち、3分の1は日本軍の捕虜収容所で死亡しました。この他に3095人のオーストラリア人兵が、不成功に終わったシンガポール防衛作戦中に戦死、あるいは負傷しました。さらに、このシンガポールでの戦闘直後、日本軍は北部準州(ノーザンテリトリー)のダーウィンと、西オーストラリア州のブルームで空爆を始めました。
それから1年半の間に渡り、ダーウィンには64回の空襲があり、54機の爆撃機が襲来したこともありました。また、オーストラリアの東海岸は、日本軍の潜水艦による攻撃を受け、シドニー湾に小型潜航艇(せんこうてい)が来襲、ニューカッスル沖で、医療船のセントールが撃沈されるなどの事件がありました。オーストラリアの本土を爆撃したのは、今に至るまで日本だけです。ここでは、本筋ではないので詳細は述べませんが、オーストラリア側では、日本人を不当に捕虜収容所で拘禁するなどのことを行いました。この空襲もオーストラリアにとっては、かなりの脅威だったでしょう。さらに、日本軍によるオーストラリア本土上陸、侵攻も予想され、国中にパニックが起こりました。
オーストラリアにとっては、当時は後進国であるはずの日本が、強大な軍事力で間近に迫っているという事実は受け入れがたいものだったと思います。また、実際に地上戦では、オーストラリア本土ではない外国の土地ですが、砲火を交えて、被害者も多数出しています。もし、ガダルカナルで日本が大敗しなければ、日本は間違いなくオーストラリアに侵攻したものと思います。
こうしたことから、オーストラリアでも70歳以上の人々には、この脅威についての記憶があり、中年層の人々にも語り継がれていると思います。ある日気がついたら、良くわからない、富士山と浮世絵の日本が、旧宗主国イギリスよりもはるかに強大な軍事力を蓄え、自分の国に迫りつつあるなどということは、本当に脅威どころか悪夢だったと思います。中高年層以上の人達にとって、日本の脅威に関しては、顕在的にせよ潜在的にしろぬぐい去れない影響を及ぼしているものと思います。だから、こそ反捕鯨のキャンペーンにものりやすいということも言えると思います。
こうしたことに対処するには、もうオーストラリアと日本とは、二度と戦争をすることは考えられないし、貿易などを通じてかなり大きな交流をしていることから、過去のいきさつは別にして、お互いのために友好な関係を築いてく旨を訴えれば、十分理解してもらえると思います。まずは、両国の過去の歴史を知っているということが、友好親善の第一歩になるものと思います。
オーストラリアが捕鯨に反対する理由に関しては、昨日の『「捕鯨反対」落書き? 旭川のカムイスキーリンクスゴンドラの半数以上』の後半部分からの続きです。これから数回にわたって連載する予定です。特に商売上などでオーストラリアの人と会ったり、話をする人は、背景として知っておくと良いと思います。
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