いま最も求められるのは、「機能する政治」:
上の動画では、「機能する政治」に関して上田 勇氏が語っています。
また、以下の記事でも、「機能する政治」に関して扱っています。
臨時国会が閉幕したが、補正予算が成立しただけで、重要法案は軒並み未成立に終わった。与野党協議も不発、参議院で2閣僚が問責決議を受け、このままで次の通常国会に臨めるのかという問題が横たわる。一方、予算編成の壁が立ちはだかり、財政難の下で...(続きは当該記事へ)
【私の論評】現在大転換期にあることを認識している政治家、企業経営者は少ない!!
今求められているのは、上の動画や記事のように、まさしく、「機能する政治」です。現在の政府は確かに機能しているとは思えません。これに関して、本日もTVタックルにて、政治家や評論家がいろいろ話しをしていましたが、結局誰も、決定打となるような発言をしている人はいませんでした。
TVタックル(本日放映の番組の画像ではありません) |
しかし、参考になる考え方などは、示すことができます。それは、何かといえば、ドラッカーの現在は転換期にあるという考え方です。それに関して、以下に、いくつかの書籍から現在に関するドラッカーの考え方を掲載しておきます。
「1913年(第一次大戦の前年)の数字と、1968年の数字を見るならば、その間に起こった二つの大戦、ロシアと中国の革命、ヒトラーのごとき変事に気づかなくとも不思議ではない。それらの変事は、1968年の数字にはいかなる痕跡も残していない。たしかに戦後の経済発展は急速だった。だが、それは第一次大戦前の産業によるものだった」(ドラッカー名著集(7)『断絶の時代』)
ところが、この一見平穏な20世紀も3分の2を経た頃、地震の群発のように、激動が先進社会を襲い始めた。ドラッカーはこの地殻変動を、グローバル化の時代、多元化の時代、知識の時代、企業家の時代としてとらえた。
英国首相のサッチャーが、ドラッカーによるものとして推進し、やがて世界中に広がった政府現業部門民営化の構想が発表されたのも、この『断絶の時代』においてだった。ドラッカーは、“再民間化”(日本では民間化の歴史がないため民営化)と名づけた。手を広げ過ぎて疲れ果て、弛緩して不能になった中年疲れの政府に元気を取り戻させるには、社会のための仕事の実行の部分、すなわち政府現業部門を再民間化しなければならない。
現在、いわゆるハコモノ行政の問題にしても、有用でないから廃止すべきなのではない。現業を苦手とする政府や自治体がやるべきではないから廃止すべきなのだ。
その断絶の時代がまだ続いている。ドラッカーは『断絶の時代』の20年後の1989年、『新しい現実』において、歴史にも峠があると書き、さらにその4年後の93年には、『ポスト資本主義社会』において、この大転換期は2020年まで続くといった。
「今や、経済も技術も断絶の時代に入っている。われわれは、この時代をさらに偉大な発展の時代にすることができる。ここで明らかなことは、技術、経済、産業、ガバナンス、マネジメントのすべてが、断絶の時代に入るということである。つまり、偉大な一九世紀の経済的建造物の完成に精を出している間に、まさにその土台そのものが変化を始めたのである」(『断絶の時代』)上記でドラッカーが言いたかったことは、現在からみれば、実はわずか、30年ほど前までは、世の中のほとんどのものが、エリザベス朝のイギリス等に範をとったものや、システムで継続してきたし、その枠の中に収まっており、その枠組みの中で、継続的に考えれば何とかできたのが、今から、30年ほど前から序々に変わり、今や、新しい枠組みが必要になっているということで、新しい枠組みをつくりあげるには、2020年まではかかるということです。
イギリス大蔵省 |
そうして、今の政治システム、社会システムの大部分が、大転換期にあるにもかかわらず、エリザベス朝からあまり変わっていません。特に、政治システムなど、根本的には、そこから一歩も進んでいないようです。実際、日本の政治システムは、当時のイギリスのシステムを取り入れたものであり、根本的にはほとんど変わりありません。
たとえば、財務省は、昔大蔵省といわれ、財務省になってからは、大蔵省よりは、中央銀行(日銀)の独立性が確保されたくらいのものであり、根本的には変わっておらず、この大蔵省は、明治時代にイギリスのそれを範として日本に取り入れたれたものです。他の政治システムもそうです。
この大転換期において変わった グローバル化の時代に関しては、あまり説明しなくても、多くの人が認識しているでしょう。ただし、ドラッカーが強調するのは、企業に限らずあらゆる組織が、世界のリーダーが事実上設定した基準に照らして、自らのマネジメントを評価していかなければならないということです。
多元化の時代の時代に関しては、数多くの組織が、各々の価値観を持って動くようになったため、この多元的な価値を一つに束ねる必要があるのに、そうした社会的機関は、まだ存在していません。無論、政府もそれに十分対応しているとはいえません。
また、多元化した社会では、組織のそれぞれが社会的な機関として社会的な機能を果たすことが求められます。組織には特定の目的と使命があり、その目的と使命において成果をあげなければ組織として存在する意味がありません。したがって、その組織の成果とは何かについての明確な定義が必要となります。その組織が目指していることは何かについて明確なメッセージがなければ、そこで働く者は自分があげるべき成果を知ることができないからです。働く者が成果をあげることができなければ、組織は成果をあげることはありません。
知識の時代とは、 富の源泉が知識である、知識社会に突入したことを意味します。これは、アメリカは、1990年代に突入していたのですが、今や、日本も他の先進国も完璧に突入しました。そうして、知識の意味も変わっています。今の知識社会の知識とは、昔のように百科事典に掲載されているような静的なそれではなく、応用物理学とか、医学のように仕事に適用できるものをいいます。
企業家の時代とは、産業構造や技術が過去からの延長線上にあった「継続の時代」(参考記事)に企業が成長するには、「マネジメント能力」が重要でした。それが、「断絶の時代」に入り、再び「発明・創造」が重要になってきました。
産業構造や技術が過去からの延長線上にあった「継続の時代」に企業が成長するには、「マネジメント能力」が重要でした。それが、「断絶の時代」に入り、再び「発明・創造」が重要になってきました。
そうして、上記の文章では掲載しませんでしたが、社会が以前と比較して、異質な社会になったにもかかわらず、従来の社会システムのままでいるということです。産業においては、一部は、転換期を終えつつあるものもあります。たとえば、製薬業界における、バイオテクノロジーなどです。
今や、社会が根本的に変わってしまったので、エリザベス朝に範をとったシステムはことごとく機能しなくなっています。しかしながら、今の政治家は既存の枠組みで物を考え、その枠内で、変革をしようとしているため、結局全く機能しないのです。そうして、これは、何も日本だけの現象ではありません。先進国、新興国のすべての政府が機能不全に至っています。
今や、政治家も、企業経営者なども、現在は大転換期にあることを認識しなければならないのです。従来の枠組みの中でものを考えていては、機能不全から脱することはできないのです。
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