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自民党の衛藤晟一参院議員が24日、党本部で開かれた外交部会で、説明のため出席していた外務省幹部の態度が悪いと憤り、コップの水を掛ける騒動があった。出席者によると、衛藤氏らが韓国国会議員の北方領土訪問に際して中止を働きかけたかたずねていた際、この幹部が答えず横を向いたことに激怒、水を掛けたという。
衛藤氏は記者団に「質問に対し調査中で遺憾だというばかりだった。外交だから報告できないというのはおかしいというと、(同僚に向かって)ニヤニヤ笑っていて『何バカなことをいっているんだ』みたいな感じだったからだ」と説明。ただ、直後に幹部から「大変申し訳なかった」と謝罪があったといい、「(距離が離れていたため)水は掛かっていないと思う」と話した。
一方、松本剛明外相は同日の記者会見で「物理的な力の行使ということは遺憾だ。自民党側には何らかの形ではしっかり申し入れをさせてもらいたい」と述べた。
自民党の石破茂政調会長は国会内で記者団に「物理的な力を加えることはあってはならないことだが、(外務省側が)これまで適切な説明をしてこなかったことに憤りを感じている」とコメント。逢沢一郎国対委員長は「わが党の正式な会議で適切でない行為があったとすれば、大変残念で遺憾なことだ」と述べた。(産経ニュース)
【私の論評】気持は痛いほど判る!!
衛藤氏のことを知らない人も多いと思いますので、下に略歴など掲載しておきます。
参議院議員 衛藤 晟一 | |
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生年月日 | 1947年10月1日(63歳) |
出身地 | 大分県大分市 |
出身校 | 大分大学 |
学位・資格 | 経済学士 |
前職 | 大分県議会議員 |
所属委員会 | 予算委員会 |
世襲 | 無 |
選出選挙区 | 比例区 |
当選回数 | 1回(衆4回) |
所属党派 | 自由民主党(伊吹派) |
会館部屋番号 | 参議院議員会館1216号室 |
ウェブサイト | 公式ウェブサイト |
大分大学在学中、別府大学の井脇ノブ子と共に全国学生自治体連絡協議会を結成。自身も大分大で右派の「学生協議会」を率いた。“学園の正常化”を掲げて全日本学生自治会総連合と対峙。
政治家としての活動 [編集]
1973年、大分市議会議員に当選。1979年には大分県議会議員に当選し、障害者の自立を促す福祉政策や、家族と地域社会を護る政策を推進する。また、子供の教育政策にも取り組んだ。
1986年7月、第38回衆議院議員総選挙に出馬するも落選。
1990年2月、第39回衆議院議員総選挙に初当選。3期連続当選するが、2000年6月の第42回衆議院議員総選挙では民主党の釘宮磐に敗れ落選。
2003年11月の第43回衆議院議員総選挙では小選挙区で落選するも重複立候補制度の適用により1996年同様に復活当選。
国政においても、障害者自立支援、家族政策、教育政策、教育政策の延長としての歴史問題、拉致問題に取り組む。夫婦別姓法案には、「家族の解体を進める法案」だとして反対運動に立ち、与党による国会提出を複数回に渡って阻止した。人権擁護法案に対しても、人権の名の下に言論の自由や表現の自由を抑圧し、ひいては「人権ファシズム」を惹き起す恐れがあるとして、古賀誠元自由民主党幹事長ら推進派に激しく対峙し、国会提出を阻止した。拉致問題にも、重大な人権侵害であるとともに日本の国の主権侵害であるとし、2004年4月に結成された「拉致議連」にも結成と同時に加入する。拉致議連では事務局長を努め、関係省庁や家族会をはじめとした各種団体とのやりとりや、政府による対北朝鮮政策の策定に裏方として関わった。教育問題では、2004年10月、イギリスでの歴史教科書問題を時のサッチャー政権が教育基本法を改正することで「自虐偏向」を「正常化」したとされる事例を現地調査するための、与野党合同の「イギリス教育改革調査団」を設立。
2005年4月に、PHP研究所から中西輝政監修、安倍晋三幹事長代理らと共著で『サッチャー改革に学ぶ教育正常化への道』を上梓する。教育問題の一環として、教科書問題にも取り組み、従軍慰安婦に関しては、1997年に中学校の教科書に掲載されることからその存在の是非に疑問を抱き、「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」を結成し(同会・幹事長に就任)、存在肯定派と否定派の両派の有識者を招いて意見を聞く勉強会を主催し、その成果を1997年12月に『歴史教科書への疑問』(展転社)を発刊した。
2005年7月5日の郵政国会では反対票を投じたため副大臣を罷免される。2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙では自民党の公認を得られず無所属で大分1区から出馬したが民主党の吉良州司に3927票差で落選。
2007年7月の第21回参議院議員通常選挙で比例区からの立候補を希望し、自民党に公認を申請したことが引き金となって前年末に続く郵政造反組復党問題が起こる。党内では前年末の「造反組議員」復党で内閣の支持率が下がったことなどから根強い反対意見も有ったが、かつての盟友安倍晋三総裁(内閣総理大臣)が自民党の総裁推薦候補(自民党には比例代表選挙に際して総裁が自らの推薦候補を1名だけ指名できる慣例がある)を衛藤にすることに強い意志を表明した。
自民党党紀委員会では賛成10票、反対7票という異例の多数決となったが、復党が実現して比例代表候補となった。元々地盤が狭い元衆院議員が参議院比例区に立候補する場合、通常は地元の票固めをするのが常道であるが、衛藤の地元大分では衛藤への支持層を比例区で取り込もうと考えていた公明党から反発の声があがった。選挙区と比例代表のバーターによる自公協力を維持するため、自民党本部は復党にあたって地元大分での選挙活動を認めないなどの厳しい制約を課した。衛藤は大分の選挙事務所を閉鎖し、福岡県に選挙事務所を置こうとしたが、公明党はそれについても「九州内では意味がない」と反発したため、最終的に東京・渋谷に選挙事務所を置くことになった。大分では、長年の支援者が地元での選挙活動を容認するように自民党本部に働きかける。
また衛藤事務所も「大分を捨てたわけではない」というメッセージを伝えるべく、地元の約300人の支持者が福岡市で開催した決起集会に衛藤本人の出席を予定していたが、「九州内での活動禁止」と自公協力の優先により取り止めとなった。衛藤は「本当に予想外の制約であった。全国を回ってカバーするしかない」と述べ、九州を除く全国の支持者回りをして当選を目指すことになった。一方、6月11日に東京で開かれた「えとうせいいち君を激励する会」では、伊吹文明文部科学大臣や自民党の中川秀直幹事長、中川昭一政調会長なども駆けつけ、それぞれ、「逆風の中の厳しい選挙だが、なんとしても衛藤氏を国会に復帰させていただきたい」(伊吹文明)、「安倍総理が必要としている政治家、それが衛藤氏だ」(中川秀直)、「安倍総理と衛藤氏とは、教科書問題でともに活動してきた仲間同士、衛藤氏が国政に復帰すればこんなに心強いことはない」(中川昭一)などの支援を表明している。
また、家族会の横田夫妻も駆けつけ「衛藤先生は、まるで自分ごとのように親身に、誠実に、拉致問題に取り組んでいただいてきた。皆で応援してください」とのメッセージを送っている[要出典]。また、ソプラノ歌手の森敬惠が「衛藤晟一応援歌」を作詞・作曲している。12月12日、参議院本会議において野党提出の郵政民営化凍結法案の採決では棄権した。そのため、自民党参議院議員会長である尾辻秀久から厳重注意処分を受けた。
2008年4月14日、自民党大分県連により、県連復帰が承認された。これに対して、公明党大分県本部の竹中万寿夫代表が同日の自民党県連年次大会出席を急遽取り止めた。竹中は衛藤の県連復帰により、「自公の信頼関係が崩れ、今後の自公協力が厳しくなる」と述べた。
2010年1月、議員グループのぞみに参加。現在、自民党障害者特別委員長を務めている。さて、こうした経歴の人です。韓国国会議員の北方領土訪問に関しては、いくら野党の議員だからといって、菅さんは、李明博大統領が、日本を訪れた際にそのことにやんわれとでも、苦言を呈さなかったことは全くおかしなことです。
それに、中国の温家宝首相に対しても、尖閣問題に対しても、苦言を呈すべきでした。特に、外交としては、はっきりけじめをつけなければ、これからの領土問題に関して、不利益になるのは眼に見えています。
このような時期に、外務省の官僚がニヤニヤでは、その見識を疑います。私でも、この議員と同じ立場におかれれば、似た様なことしたと思います。少なくとも、罵倒くらいはしたでしょう。特に、今の政治家と、マスコミなど、あまりにマクロ経済に反したことを信じこんで、とんでもない発言ばかりするので、そのような場面に接したら、私も罵倒以上のことをするかもしれません。このことについては、以前ありもしない「国の借金」という言葉の使い方をめぐって、このブログにも掲載したことがあります。
これに関しては、マスコミの経済関連や、政治家などが、平気で「国の借金」などという表現を私の目の前でした場合には、私もこれらを罵倒することでしょう。一般の人がこんなことを言ったり、いわゆる金儲けだけしたい金融馬鹿などがいうのならまだしも、マスコミの経済関連の者や、政治家、財務関連の官僚がこのようなことをいうことだけは断じて許すことはできません。
さて、この議員、実は、今月の3日も、姑息な菅首相の延命策に対して、首相に向かって直接厳しい発言をしています。その内容の産経ニュースの内容を下にコピペしておきます。
首相が姑息な延命策 6・22閉会を画策 与野党の不信ますます
そもそも自民、公明両党が1次補正への賛成に転じた契機は、民主党が29日に子ども手当などマニフェスト(政権公約)の見直しに着手することで3党合意に応じたからだ。
ところが、これが罠(わな)だった。合意文には年金財源の欠損に関し「2次補正予算案編成の際、見直しも含め検討する」との文言が練り込まれていた。つまり2次補正の財源に関する与野党協議は「合意済み」とも読み取れるのだ。
首相はもともと、今国会を大幅延長し、2次補正まで成立させる算段だった。10兆円規模の復興策をちらつかせれば自公両党は与野党協議のテーブルにつくと考えたからだ。
ところが、東京電力福島第1原発事故対応での迷走を受け、自公両党で「2次補正編成は『菅抜き』が前提」との声が高まった。
「このままでは連休明けにも退陣を迫られかねない」。そう考えた首相は、2次補正を先送りし、財源に関する与野党協議で時間稼ぎを画策した。その最中に国会を閉じてしまえば内閣不信任案を回避できると考えたわけだ。
だが、この姑息さが野党の反発を強めた。
「政府が責任を果たさないまま会期を終え、2次補正を出さないことは許されない。会期中に出すかが一つの試金石になる」
国会閉会シナリオを知った公明党の山口那津男代表は2日、記者団を前に語気を強めた。自民党の衛藤晟一(せいいち)参院議員は参院本会議で首相にこう迫った。それにしても、このような記事をみると、以前私がこのブログに書いた台湾議会のことを思い出してしまいます。台湾の議会は、しばしば、下の写真のように荒れることがあります。与野党入り乱れて、大乱闘になることもあります。このような状況をみて、私は、やはり、台湾は遅れているのかなどとも思っていましたが、最近は、この大乱闘も悪くはないのではないかと思っています。
「あなたは復興にとり有害無益だ。一刻も早く退場してもらいたい。首相退陣が復興の第一歩だ!」
それに関しては、以前のブログにも書いていますので、詳細は、元記事を読んでいただくこととして、その一部分だけ、以下にコピペしておきます。
それにしても、台湾の国会は活気がありますね、あの暴力沙汰すごいですね。でも、見方を変えれば、それだけ熱いものを持っているという事だと思います。日本の政治家、政局ばかり追いかけて、台湾の政治家のような熱いものを見失っていると思います。
暴力はいただけませんが、政治家など人の上にたつ立場の人は、熱い心を持っていないものには勤まらないと思います。そういう意味では、日本の政治家も台湾を見習うべきと思います。
少なくとも、衛藤氏は熱いものを持っている政治家なのだと思います。だからこそ、水をかけるなどのことをしたのだと思います。
演説する池田勇人 |
吉田はこの時の恥辱を後々まで根に持って、カメラマンには良い感情を持っていなかったのでした。ただし小りんとの関係が公表されてしまったおかげでかえって世間体を気にする必要もなくなり、1944年(昭和19年)には晴れて彼女と再婚しています。
先日は、台湾の政治家が、とんでもない悪女と結婚し、議員をやめてアメリカにその女性と逃避行をしたという内容がテレビで報道されていました。この議員結局、その女性とはわかれて、元の鞘に収まり、台湾に戻り、また政治家として復帰しました。なんと、この悪女、その政治家に抗議しようとして、国会に乱入しようとしたというではありませんか。酷い話です。
しかし、いずれにせよ、人の上に立つ人は、頭が良いとか、論理的とか、それだけではつとまらないと思います。とにかく、上の例では、仕事も、私生活も懸命に頑張っていますね。そうして、本当に熱い心があるようです。
衛藤晟さんは、コップの水を投げつけたり、本音を言っただけです。つい熱くなったという事だと思います。この程度のことで、咎められたり、他の人から非難されたりするようなことはしていないと思います。そんなことより、本当に国政に真摯に取り組んでいただきたいです。今の国政をみていると、ほとんどの議員が、政局ばかりに翻弄されているようで、本来の国政など二の次のようです。多くの、議員が、熱い心で、本当に日本という国が良くなるように粉骨砕身して欲しいと思うのは、私だけでしょうか?
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