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P.F.ドラッカー教授のマネジメント理論のエッセンスをまとめた『マネジメント[エッセンシャル版]』の累計発行部数が、この8月5日に100万部を突破した。累計270万部突破の『もしドラ』の主人公・川島みなみのバイブルとして、にわかに脚光を浴びた形だ。
2001年の発行から8年間で既に10万部売れていたが、2009年の『もしドラ』発売以降、たった2年でさらに90万部伸びたことになる。おそるべし、『もしドラ』効果。
長らくビジネス書を担当している紀伊國屋書店新宿本店の水上紗央里さんは、「経営書では初のミリオンセラーではないでしょうか」と驚く。「『もしドラ』の爆発的な売れ行きをトレースするように、ぐんぐん伸びていきました」
100万部ということは、ビジネスパーソン以外の層にも広がっているということになる。実際に店頭でも、大学生はもちろん、制服を着た高校生が『マネジメント[エッセンシャル版]』を買っている姿が見られるという。
ただし、ビジネスパーソンにとっても読み応えのある本ゆえに、学生さんが最後まで読み通すのは難しいかもしれない。
「でもいつか、自分のしていることとのつじつまが合う時が来るはずです。もう一度この本にトライして、征服できたら、きっと喜びもひとしおだと思います」(水上さん)
ドラッカー教授の妻であり、先日100歳の誕生日を迎えたドリス夫人は、100万部突破の報せに対し、このようなコメントを寄せている。
「夫は日本の歴史、芸術、文化に深い敬意をいだき、日本の友人たちとのつながりに喜びと誇りをおぼえていました。日本と夫との深いつながりは、エッセンシャル版が100万部に達したことによって、さらに確たるものとなりました」
その日本はいま、リーダーシップ不在の混迷状態にある。だからこそ、いつの時代にも通用する、マネジメントの普遍的な教えが求められているのであろう。
はたしてドラッカー教授ご本人は、この現象をどう受け取るだろうか?
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『マネジメント[エッセンシャル版]――基本と原則』
P.F.ドラッカー著、上田惇生訳
46判、並製、302ページ
2001年12月13日初版発行
ダイヤモンド社刊
<目次>
Part1 マネジメントの使命
第1章 企業の成果
第2章 公的機関の成果
第3章 仕事と人間
第4章 社会的責任
Part2 マネジメントの方法
第5章 マネジャー
第6章 マネジメントの技能
第7章 マネジメントの組織
Part3 マネジメントの戦略
第8章 トップマネジメント
第9章 マネジメントの戦略
付章 マネジメントのパラダイムが変わった
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http://diamond.jp/articles/-/13459
【私の論評】マネジメントには、原理原則がある!!
私は、このブログには、ドラッカーに関して、何回も掲載してきました。むろん、『もしドラ』のことも、『もしドラ』の映画のことも、ドラッカーの様々な書籍に書かれていたマネジメントの原則など、種々様々です。
その私からすれば、今回のこの出来事は望外の喜びです。それだけ、現在の多くの人が、関心をもっているということだと思います。
自分が学生時代に読み、そこから、さらに今に至るまで何回も読み返した書籍を、さらに多くの人の目に触れているということは、本当に嬉しい限りです。
さて、このドラッカーの『マネジメント』エッセンシャル版が売れるようになったきっかけともなった『もしドラ』がなぜ、売れるようになったかについて、自分なりの推論をし、以前このブログでに掲載したことがあります。以下にその部分をコピペしておきます。少し長いですが、是非ご覧になってください。
今の日本は、歴代の政府の対応のまずさもあって、失われた20年ともいわれた状況が変わることなく、今も続いています。現在の30歳未満の人たちは、物心ついてから一度も、それに現在の40歳未満の人々は、社会人になってから独り立ちした頃から、ただの一度も本格的に景気が良いといわれる状況になったことがないということです。これは、全くといっていいほど異常なことです。米国でも、他の先進国でも、過去20年の間に景気の循環が何度かあり、比較的良い時期もありました。日本だけが、この20年間多少良い時期もありましたが、それでも本格的な景気の上昇はなく、停滞し続けました。
私としては、日本人は20年ものこうした、閉塞感にどっぷりとつかって、日本人の意識もようやって変わってきたのが、この1年間てはなかったのではないかと思っています。それまでは、右肩上がりの経済が当たり前で、多くの人が何も考えなくても、個人でも、企業でも、明日は経済が成長しているものとの確信がありました。
こうした事態に始めて直面した日本人は、なすすべもなく、流れに身をまかせる受動的な行動をしてきたのだと思います。日本人の多くは、節約に走り、節約は多くの日本人の基本的な行動様式となりました。そうして、ここ2~3年その傾向はさらに強化され、いわゆる巣ごもりがライフスタイルの中心を占めるようにさえなりました。実際、2007年までは、年末年始を海外で過ごすという人の割合がかなり多かったのですが、2008年から激減しているというデータもあります。
まさに、失われた20年で、企業も、銀行も節約し、それに引続き多くの人々が節約に走ったのです。というより、多くの人々が節約するしか、この失われた20年に対処する術を知らなかったという事だと思います。
そのような中で、人々の将来への希望といえば、政権交代でした。今の世の中が悪いのは、政府が悪いのであって政府が変わりさえすれば、世の中が良くなるという人々が多かったのだと思います。だからこそ、民主党が昨年の衆院選で大勝利して、政権交代が実現しました。ところが、昨年実際に政権交代をしてみたところ、民主党も単なる自民党の焼き直しの政党どころか、経験不足のためもあり、さらに落ちるくらいのどうしようもない政党であることがだんだんと明らかになってきました。
昨年中は、それでも、まだ交代したばかりということで、まだ、期待半ばというところもあったのだと思います。しかし、今年に入ってからは、普天間の問題や、最近では大きなところで尖閣の問題などがあり、もう政府には期待できないということが、はっきりして来たのだと思います。
世界的な見地からみれば、他の多くの特に先進国では、戦後何度も何政権交代が行われてきたため、国民の間に、終戦直後にはどこの国にもあった、個人や企業にはできないことでも、「政府ならできる」という幻想、いわゆる「政府による社会救済の幻想」があったものが、とっくの昔にその期待は打ち破られて、いわゆる政治に対する成熟化が醸成されていたものが、日本では、昨年はじめてなされたわけです。
その前までは、政権交代という切り札というものがあると、多くの国民は思いこんでいましたが、その切り札も全く役にたたないことが理解されたのだと思います。
こうした、環境にさらされて、日本人はようやっと気づきつつあるのかもしれません。政府に期待しても、もともと無駄であることを・・・・。もともと、政府は「社会救済のための機関」ではないことを・・・。このことについては、私は、このブログで前々から掲載してきまし、今日のテーマに関係のあるドラッカー氏も、政府はもともと自ら「社会救済をする機関」ではなく、「基盤を整備する機関」でありその基盤の上で活動するのが「民間営利企業であり、民間非営利企業」であるとしています。多くの日本人が、昨年の政権交代の直前までこのことを理解できなかったのだと思います。
しかし、さすがに日本人です、他の発展途上国なら、政権交代をしても、わだかまりが残り、激しい対立や酷い場合には、内乱まで発展するとか、先進国でも何度か政権交代をしなければ、多くの国民が理解できなったのとは対照的に、多くの日本人が1年くらいで、「政府は社会的救済をする機関」ではないしそれは幻想にすぎないことを悟ったのだと思います。
それとともに、国民の中に特に年度末になって明らかにいわゆるマスコミがいうところの、「節約疲れ」の傾向が見られています。これは、一見上記のこととは関係ないように見えながら、私は多いに関係があると思います。
たとえば、JTBは、この年末年始に旅行をする人が前年比で0.7%増と、4年ぶりに前年を上回ると見込んでいます。プランタン銀座の調査では、女性がクリスマスに期待するプレゼントの価格は4万3620円と昨年より1万3000円以上も高いとしています。さらに、全国の百貨店売上高も10月、2年8か月ぶりに前年同月を上回り始めました。
これは、節約疲れなどと簡単に片付けられることではないのかもしれません。
人々の間には、「安物買いの銭失い」のような状況を打ち破りたいとか、「人生を充実するとか高めていくようなことにお金を使いたい」とか、せっかく節約して、「ムダ金を使わない!」という習慣がついたので、今度は自分の人生のために生きたお金を使いたくなりうずうずしているのかもしれません。
地デジ対策でTVを変えたら、部屋が広くなり、TVの画面も綺麗になり、快適になっただけではなく、節約にもなっているとか、二重窓にしたら、音が静かになり、暖かくなり、快適になり節約にもなったとか。
どうせお金を使うなら、せっかく節約の習慣が身について、無駄遣いをしなくなったのだから、生活の快適さのレベルを引き上げたいとか、一点豪華主義のようなたまの贅沢は頑張った自分へのご褒美としても良いのではないかとか、自らの人生を質的に豊にしたい、というふうに変わってきたのだと思います。とにかく、せっかく節約したお金を昔のように、ブランドモノなどの価格の高いモノに費やすだけでではなく、意義あるものに遣いたいというように変わってきており、それが、マスコミなどで報道するように表面的にはいわゆる「節約疲れ」という風潮につながっているのではないかと思います。
そうして、今までのように節約一辺倒に走るだけではなく、政府による社会的救済や、企業レベルの救済など当てにしていては、どうしようもないということに気づきはじめて、何とか自分でも何かやりたいとか、何かに取り組み少しでも、自分の身の回りから良くしていきたい、変えていきたいという気持ちに変わってきているのだと思います。ただし、多くの人が自分にはできるのかどうか疑心暗鬼なのだと思います。
そんなところに、「一見非力に見える女子高生でも、闇雲に頑張るだけではなく、ドラッカーのマネジメント理論に従い正しい努力をすることによって、とてつもなく大きな成果をあげることができる」ことをテーマとした「もしドラ」が出てきたわけです。
「もしドラ」はまさしく、そのような空気の世の中に、ぴたりと当てはまったのだと思います。ドラッカーのもともとの書籍だと、イメージ的に、経営者ということで、一般の人からすれば並外れた能力などをイメージさせて、とっつきにくく自分の身近な存在として考えられなかったものが、「もしドラ」の主人公は女子高生であり、しかもAKB48のメンバーということで、多くの人に親しみやすかったに違いありません。
また、ドラッカーは知っていても、読んだことがないとか、読んだとしても、事例などが自分からは程遠いので、ピンとこなかった人たちが、いわゆる、ドラッカーの入門書として読みだしたということが重なって、このようなベストセラーになったのだと思います。まさに、ドラッカーのいうところの、マネジメント普遍性(政府や大企業だけではなく、家庭、学校、自分の会社、NPO、すべての組織で役立つし、アメリカでも日本でもどこの国の組織でも役立つという意味)が多くの人々に理解され始めたのだと思います。
私は、この「もしドラ」現象が、一過性に終わらないで、さらに日本人の成熟化や、もっと言えば、多くの日本人が自分の二本の足で立って、独立した個人を主張し、それも、裏付けのある主張、正しい努力をするようになってほしいと思います。戦後の誤った民主主義教育や、個人主義教育の殻を打ち破り、自分のことだけを考えているのではなく、社会に貢献する、社会を良くする、社会を高めることに大きな意義を見出すべきと思います。ドラッカーが指摘しているように、営利企業も、非営利企業も社会の機関であることを強く認識すべきと思います。そのためには、ドラッカーのマネジメント理論はかなり役にたつと思います。個々人が、政府や、会社に頼るのではなく、まずは、独立独歩の自分が世の中を社会を変えていくのだという気構えを持って、新たな素晴らしい日本をつくっていくようになればと期待しています。上記の推論があたっているとすれば、それは、そのまま最近の『マネジメント』エッセンシャル版がなぜ売れるのかの背景ともなっていると思います。そうして、『もしドラ』が先鞭をつけなければ、これほどには売れなかったと思います。
私は、映画化された『もしドラ』と、スタジオジブリの『コクリコ坂から』について、両者とも、女子高生が主人公という共通点はあるものの、何かと対比的であることを掲載しました。『もしドラ』は、一見非力に見える現代の女子高生が、マネジメントの原則によって、高校野球のチームを甲子園まで導くというストーリーですが、『コクリコ』は、時代背景が1960年代の高度成長期の日本であり、その時代の女子高生が健気に生きていくというストーリーです。この映画まだ、見ていないので、内容そのものは、詳しくはありませんが、スタジオジブリは、「時代の応援歌」という位置づけをしていました。
『コクリコ』はあくまでも時代の応援歌であり、『マネジメン』のように、今の時代に対応するための指針とは成り得ないということで、上記の推論、もし映画『もしドラ』が『コクリコ』に比較して、かなり興行成績が良かった場合、上記の推論はかなりあたっており、日本人は、単なる応援歌にはあきたらず、マネジメントの原則を学び自分の身の回りを本気で変えたいと考えているに違いなく、こうした背景から、これらの映画の興行成績などを比較することによって、今の時流を見極めることができるかもしれないということを以前のブログに掲載しました。
これに関しては、今回は、本題ではないので、ここに詳細を記載はしません。詳細を知りたい方は、この文章の最後のほうに掲載してある【関連記事】に掲載しておきますので、是非こちらをご覧になってください。
しかし、『コクリコ』との比較などとは関係なして、私は、本日、『マネジメント』そのものが、100万部以上になったという上の記事に接して、上の私の推論は、正しいのではないかという確信を強く持つことができました。少なくとも、部分的にはあてはまっているのではないかと思います。
上記のような推論がある程度でも、あたっていなければ、このように『マネジメント』が破格の売上を記録することはあり得ないと思います。
マネジメントがこれからも、多くの人に読まれることは、本当に望外の喜びです。自分が、若い頃から、何回も読んだ同じ書籍が時代を超えて、今も読み継がれるのは素晴らしいことだと思います。
特に、若い世代の人には、是非読んでいただきたいものと思います。マネジメントがこのように長い間読み継がれるのは、やはり、「マネジメント」の原則を掲載したからだと思います。それに、ドラッカー自身も語っているように、今や、マネジメントは、企業組織などに適用されるものではなく、すべからく、組織に適用されることが多くの人に認識されるになった体と思います。その中でも、マネジメントは、時代背景などとは関係なく、本当に基本的な原則に貫かれているからだと思います。だからこそ、多くの人に読み継がれてきて、これからも読み継がれていくのだ思います。
最後に、若い世代の人々に私からアドバイスをしたいと思います。若い時、特に、学生時代などに『マネジメント』読むと、書いている内容の事例が、企業組織のものが多く、多くの学生にとっては、無論、会社勤めの経験もなく、会社のことは観念的にしか理解できず、読んだとしても、十分に理解することは不可能だと思います。しかし、若いうちに読んで、繰り返し読むと良いと思います。年齢を経たり、会社勤めをしたり、会社勤めが長くなると、最初わからなかった部分が、だんだん判るようになってきます。まさに、自分が成長したという証になります。
私自身も、昔読んで、わかったつもりになっていたことが、最近になって理解できたなどということもあり、今でも新しい発見があります。これは、『マネジメン』に限らずドラッカーの著書では、すべてそのようなことを体験することができます。
まだ、読まれていないかたは、是非ともこれを機会に読まれると良いと思います。ドラッカーの書籍は、どれも、読んでおいて損はないと思います。
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