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2011年11月28日月曜日

「家政婦のミタ」の視聴率がキムタクをあっさり抜き去ったわけ - マーケットが見える!人のココロをつかむセオリー―【私の論評】新たなストーリーとコンテクストによる父性と日本こそが、時代感覚にあっている?!



「家政婦のミタ」の視聴率がキムタクをあっさり抜き去ったわけ - マーケットが見える!人のココロをつかむセオリー:(ダイヤモンド・オンライン)


家政婦のミタより
「南極大陸」「家政婦のミタ」という二つのドラマの視聴率の“明暗”を分けた原因は何か。話題のマーケティング企業CEOである藤田康人氏が、世相と視聴者の指向変化からマスメディアの転換期を検証します。

さて、詳細は、ダイヤモンド・オンラインを御覧いただくものとして、結論部分がなければ、論評しようもないので、以下に掲載しておきます。
閉塞感が強く、政治も経済も混迷を極める今の日本においては、夢と希望を熱く語るドラマである「南極大陸」よりも、自分の身近にも起こりそうな、リアリティがあり、かつセンセーショナルなテーマを扱った「家政婦のミタ」のほうが多くの人々の興味関心を引き付けているのです。 
とくに今の若い世代は、高度成長時代やバブル期の日本が熱気にあふれていた時代を経験することなく成長してきました。そんな彼らにとっては、将来への夢を熱く語る「南極大陸」の主人公たちの姿が、もしかしたら、非現実的で嘘っぽく見えてしまうのかもしれません。
それよりも不倫、自殺、いじめなどある意味“どぎつい”テーマに正面から取り組み、ターミネーターのようにクールな松嶋が演じる「家政婦のミタ」のキワモノ感が、この時代にはフィットしているのでしょう。 
価値観が多様化した現代社会においては、以前のような統一的なマス文化が形成されにくく、マスメディアに頼ることなく、個人がいつでも自分の必要な情報を得ることができるようになった結果、多くの人々が一つの話題を共有するのはかえって難しくなりました。 
デジタルマーケティングの時代を迎えて、新しいメディアや、テクノロジー、デバイス(情報機器)の登場が話題に上ることが多い最近のマーケティングの業界でも、やはり人の心を動かすのは時代の感覚に合ったストーリーと、コンテクスト(文脈)を持ったコンテンツであることが改めて見直されてきています。 
そのコンテクスト(文脈)とは何なのか? どうしたらそれを見つけられるのか?

【私の論評】新たなストーリーとコンテクストによる父性と日本こそが、時代感覚にあっている?!

南極大陸をみていて、非常に違和感を覚えるのは、私だけでしょうか?このドラマを見ていて、いわゆる韓国くささを感じてしまうのは、私だけでしょうか?時代背景からいって、絶対にありえないことが、このドラマにはあります。このドラマの舞台となっているのは、昭和30年代の日本です。戦争には、負けたとはいえ、まだまだ、戦中や戦前の価値観が幅を利かせていた時代です。


この時代の男たちの価値観として、多少のことがあったとしても、人前で、完全オープンに感情を出しまくり、泣いたり、わめいたりはしないということです。上の記事でも、非現実的で嘘っぽく見えてしまうという部分は、このあたりではないかと思います。

とにかく、「南極大陸」では、感情の浮き沈みが激しく、まるで、韓国ドラマの主人公のような男たちばかりです。現実には、あのようなことはなかったでしょう。随分前に、高倉健さん主演の歴史上の事実としては、同じ背景の「南極物語」という映画がありましたが、あの映画での高倉健さんは、ドラマの中で、ひたすら耐えていて、涙を流すとか、激昂して叫ぶなどということありませんでした。最後の最後で生き残ったタロとジロに対面した時には、さすがに感極まって涙ぐむシーンは、ありましたが、あくまでも涙ぐむというものでした。

ただし、心の綾を示すようなシーンはいくつかありました。それが、共感を呼べるものだったと思います。私は、最近の日本人は、日本人らしくなく、ニッポン人とも呼びたくなる人も多く、それこそ、現実世界においては、「南極大陸」にでてくる、男たちと同じように、過酷な環境において、泣いてしまったり、激昂したりということはあると思います。

しかし、価値観としては、未だに、完璧に我を忘れて、感情の赴くままは、激昂したり、人前を全くはばからず、ワンワン泣いたりという所業は、なじまないものだと思います。しかしながら、現実世界と、理想とには、落差というものがあります。テレビの世界の中まで、現実世界と似た同じ世界になってしまえば、テレビの中の虚構の世界の価値も落ちていまうのではないかと思います。だから、あのドラマ、どうしても作り物、作為的なものに見えてしまうのだと思います。


そうして、どんなときでも、泣きっ面はみせず、もくもくと勤めを果たすという、寡黙な高倉健さんのようなキャラクター、これすなわち、今ではすっかり、姿を消してしまったようにもみえる、"父性"ともいえるものではないかと思います。

"父性"といえば、以前のこのブログに掲載した「家政婦のミタ」で、あのドラマは"父性"のクライシス描いていると掲載しました。詳細は、その内容をみていただくものとして、私は、NHKの朝連ドラの「カーネーション」との対比で、以下のような結論を掲載しています。
最近では、そのこと(父性の権威)がさっぱり理解できない、未熟な大人になりきれていない大人が増えています。この二つのドラマは、アプローチは違いますが、こうしたことに対する警鐘でもあると思います。特に、「家政婦のミタ」のほうは、松嶋奈々子のようなキャラクターを登場させることにより、友達関係である親子がいかに危険で異様でグロテスクなものかを、説教じみた演出で提示するのではなく、誰にでも直感的に理解できる独自の手法で、明確に提示できたということで、秀逸だと思います。
今の日本、確かに"母性"に関しても欠如している面がありますが、、"父性"のほうは危機的なくらい欠如していると思います。欠如しているからこそ、こうしたものへの憧れや、ノスタルジーを感じるのが、今の時代感覚なのではないかと思います。そうして、「家政婦のミタ」では、その"父性"のクライシスが、誰でも身近に思えるような斬新な手法をとっています。だからこそ、"父性"のかけらも感じさせない、男たちが、泣き叫び、何のてらいもなく、人前で涙を流す「南極大陸」は、製作に巨費を投じ、有名キャラクターを配置しても、「家政婦のミタ」に及ばないのだと思います。

それから"父性"というと、今の日本人にとっては、何か縁遠いかけ離れたもののようにみえますが、あのカーネーションでは、主人公の父親が、ある意味、だらしなく、小心者で、理不尽で、本当に商売の才覚のない、一介の小市民なのですが、時代背景もあって、何とか、"父性"の権威をたもっていて、人々に安心観を与えるのだと思います。あの親父ができるなら、自分のだんなもできると、朝ドラを見る、家庭の主婦にも安心感を与えているのだと思います。


私は、このことを考え合わせると、時代のストーリーのキーワードは、「父性」と「日本」なのではないかと思います。ただし、「父性」だからといって、押し付けがましくただ単純に昔の融通のきかない頑固親父を表現するのではなく、創意工夫が必要なのだと思います。それが、時代が求めている、ストーリーとコンテクストなのだと思います。さて、上の記事には、続きがあるようですが、これについて、どのような結論を出すのでしょうか?結論がでたら、また、このブログに掲載して、私なりの分析をしてみたいと思います。

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