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2012年7月28日土曜日

「幼児期の体罰が社会的協調性を発達させ得る」と脳科学者―【私の論評】現代の教育は、知らず知らずのうちに子供達から機会を奪っているどころか、弱体化している!!


吉田松陰像(自賛)[吉田家本]
幕末の志士たちに大きな影響を与えた吉田松陰。10才で兵学書『武教全書』を藩主の前で講義するなど、知能指数(IQ)が高かったといわれている。そんな吉田松陰について、『ホンマでっか!?TV』でお馴染みの脳科学者・澤口俊之氏が、脳科学的観点から分析する。

脳科学者・澤口俊之氏
* * *
松陰は、長州藩士・杉百合之助の次男として誕生し、6才のとき、叔父で兵学師範である吉田大助の養子となりました。その後、養父が他界したため、同じく叔父の玉木文之進が創立した松下村塾で教育を受けました。そこで受けた教育は、彼の実母が「いっそ死んでしまったほうがこの子は幸せ」と嘆くほど厳しく、し烈を極めたといいます。体罰の嵐ともいえる幼児教育だったそうですが、この逸話がいまでも語り継がれているのは、その「し烈な幼児教育」が特筆すべきことであり、当時でも珍しかったことを示唆しています。

虐待に近い過酷な教育を受けたのに脳の発達に悪影響がなかった松陰は、体罰を伴った厳しい幼児教育に耐えられる性質を遺伝的(MAOA遺伝子型という)に持っていた可能性があります。それでし烈な幼児教育に耐えられたうえ、痛み神経回路が発達したのではないでしょうか。

かくして吉田松陰の社会的協調性が発達し、「特殊脳」ではないのに、歴史に残る人物としていまに語り継がれる存在になったのだと思います。

※女性セブン2012年8月9日号

この記事の詳細はこちらから!!

【私の論評】現代の教育は、知らず知らずのうちに子供達から機会を奪っているどころか、弱体化している!!

吉田 松陰(よしだ しょういん)は、日本の武士(長州藩士)、思想家、教育者、兵学者、地域研究家です。一般的に明治維新の精神的指導者・理論者として知られます。このブログでも、吉田松陰のことはいく度が掲載していますが、吉田松陰のすごさは、松下村塾で、明治維新の立役者を数多く輩出したことです。あれだけ多くの人にあれだけ多くの影響を与えた人は稀有な存在です。そうして、おどろくことに享年29歳という若さでなくなっているということです。人の影響力とは、決して時間で測れるものではないという格好の事例だと思います。

吉田松陰が受けた教育、それに吉田松陰が若者たちに授けた教育、現代のものとは随分違います。その大きな違いの一つとして、幼少期からの厳しい詰め込み教育です。上の記事では、虐待に近いなどとしていますが、決して虐待ではなかったと思います。虐待は、相手に対する憎しみや、からかいなどがあるだけですが、し列を極めた厳しい教育には、その根底には愛があったと思います。それも、母性による愛ではなく、父性による愛があったと思います。そうして、ここでいう愛とは、相手を思いやる心という意味です。


「至誠にして動かざる者は未だこれ有らざるなり」松陰直筆の書。
(写真)高杉晋作、吉田松陰、久坂玄瑞の像(萩往還公園)
教育を施す側には、子どもをまともにするという、責任感があったと思います。特に幼少期は、個性などということは、微塵も考えずに徹底的に武士の鋳型にはめ込む教育をしました。現代の教育は、それこそ、養老孟司氏が指摘しているように、個性を伸ばすなどという全く愚かな陥穽におちいっています。

生まれたばかりの子どもは、すべからく、個性的です。しかし、個性のまま、自由にしておくのは、個性を伸ばすことにはなりません。それどころか、人間とはなりません。人間として、一人前になるためには、まずは、社会性という鋳型にはめ込まなければ、その子どもは、まともな大人には育ちません。私も、子どもころ、箸の持ち方から、食事の仕方から、勉強の時の姿勢、本を読む時の姿勢はもとより、書籍から目までの距離にいたるまで、細かく躾けられました。そんな厳しい躾のせいでしょうか、今にいたるまで、目は悪くありません。この躾は、相当厳しく母は、昔和裁に良く用いられていた鯨尺という、いまでいうところの、竹製の定規で、私が粗相をするごとに、手などを叩かれました。

映画「武士の家計簿」より、元服の日のシーン
また、父に殴られたのも、一度や二度ではありません。無論、手加減して殴っているのでしょから、怪我をするほどではありませんが、痛いし、怖いし、恐ろしかったものです。

学校でも先生に叩かれたり、廊下に立たされたりすることもありました。中学、高校では、課外活動などしていれば、監督などに小突かれることもままありました。でも、親や教師などを恨んだことは一度もありません。会社に入ってからも厳しく叱責されたことは何度もあります。しかしそれは、すべて自分がその時々でいたらなかったからであり、仕方のないことであり、それを咎めた人たちを恨んだことは一度もありません。そうして、こうした人たちがいなければ、今の私は、存在していなかったと思い感謝の気持ちで一杯です。


幼少期の教育といえば、今では、家庭によるものと、幼稚園、保育園によるものになると思いますが、今では、松蔭の頃のような教育をするところは皆無でしよう。それどころか、最近では、親に一度も殴られたことがないなどという親とまるで友達関係であるかのような若者も珍しくはありません。

松蔭の頃は、幼少の教育に続いて、今でいえば大学に入る前の年頃に、徹底的な詰め込み教育が行われました。その中には、実利的なもののほか、無論のこと道徳とか、物の考え方を含んだものがかなりありました。とにかく、こうした道徳や、物の考え方を徹底的に叩きこみました。その伝統は残念ながら、昔はある程度は残っていましたが、大東亜戦争後は、日本からほとんど消えてしまいました。


今の教育ではこういうことはほとんど教えません。それこそ、算数・数学、理科、国語など実利的な教育が中心です。それどころか、最近では、個性の尊重とか、誤った個人主義とか、もっと酷くなると、自己主張のための人権擁護教育などがほどこされます。これでは、弱い人間、バックボーンがはっきりしない人間をつくるだけです。


本来、若い時期の教育は、物の考え方、価値観、道徳など今でいうところの大学に入る前の時期に徹底的に叩きこみ鋳型に押し込めてしまうことが重要です。多くの愚かな人々は、そんなことをすれば、子供の自主性が失われるとか、独創性が失われるとか、自由に反するなどと批判します。それは、全く逆です。

鋳型などというと、最近の親や先生は、どの鋳型にはまるかは、子供の自主性によるなどと馬鹿なことをいいますが、鋳型は、反社会的でない限りどのようなものでも構わないのです。ただし、歴史の波に洗われて残った、多少古いくらいのものほうが、新しくて、その真価がまだ十分に明らかになっていないものより、良いのです。だから、武士道であってもかまいません、商人道でも良いのです。とにかく、はっきり理屈の通る、誰もが人の道として正しいことと考えられていること、道理、物の考え方の道筋を教えこむのだけでなく、そのとおりの考え方ができるまで、徹底して鋳型にはめ込むことが重要なのです。だらか、厳しくしなければならないのです。厳しくしなければ、人はもともと、鋳型にはまるのを嫌うため、徹底できないのです。

鋳型
とにかく人として、徹底的に人の原点になるべきことを叩きこむべきなのです。そうして、それが十分に出来上がった段階になってから、今度は大学に入て、はじめて専門分野を学んだって、職場に入って、さらに実利的なことを学んでも遅くはないのです。こういう原型ができあがっていない人は、残念ながら、原型がないため、何が正しくと、何が間違いか、何が新しくて、何が古いのかもわからなくなってしまい、創造性は育まれないのです。おそらく、何か学問をしても、上っ面をなぞるだけば、その本当の根本的なことを学び取ることはできないでしょう。

楽器でいえば、12音階がはっきり最初決まっているピアノなどを習った人が後で、トランペットなどを学ぶと、自分の音が外れているとか、合っているとか、あるいは、新しい音であるとか、新しい音楽であるとか、単なる変形であるとかが良く理解できるというのと同じ理屈です。このようなことをぜすに、最初から現代音楽をやってしまったとしたら、そのような人は永遠に音楽そのものを理解できないでしょう。


松蔭が、後に創造的な仕事や、多くの人にかなりの影響を与えるようになったのは、この原型がかなりはっきりしていたからです。原型がはっきりしているからこそ、そこを座標軸の原点として、自分で学びさらに、自分が見聞きしたことを、正しい、間違い、新しい、古い、何が時流で、何が時流でないかを正しくしかも自信を持って判断できたのです。

松下村塾
吉田松蔭の例でいえば、松蔭は、天保5年(1834年)6歳の時に叔父で山鹿流兵学師範である吉田大助の養子となるが、天保6年(1835年)に大助が死去したため、同じく叔父の玉木文之進が開いた松下村塾で指導を受けました。


しかし松蔭はアヘン戦争で清が西洋列強に大敗したことを知って山鹿流兵学が時代遅れになったことを痛感すると、西洋兵学を学ぶために嘉永3年(1850年)に九州に遊学しました。ついで、江戸に出て佐久間象山に師事しました。

佐久間象山
もし、松蔭が、山鹿流兵学をきちんと学んで、その本質を学んでいなければ、山鹿流が時代遅れであることにも気付かなかったかもしれません。あるいは、そこまでいかなくとも、西洋兵学を学ぼうとまでは思わなかったかもしれません。そうして、その後西洋兵学を学ぶにしても、兵法に関する原型や、座標軸を持っていなければ、十分学ぶ事ができなかったかもしれません。山鹿流という考え方が根底にあったからこそ、西欧兵学との違い、利点、その他を素早く学ぶことができたのです。

山鹿流兵法の開祖山鹿素行
明治維新の立役者となった人たちは、こうしたものの考え方の道筋の基本、道理を子供の頃から徹底的に叩きこまれたからこそ、あの偉大な革命をなし得たのです。


これに比較すると、現在の教育は、人が人たる所以、日本人が日本人たる所以などには触れず、誤った個人主義、自己主張、あとは、実利的な教育、酷い場合には、いわゆる受験教育だけや、ゆとり教育などで歪められ、バックボーンのない弱い人間を再生するだけになっているのです。このような教育は根本的に改めていく必要があると思うのはわたしだけでしょうか?松蔭自身は、実学を重んじることを説いていましたが、それにしても、こうした背景があることを前提としてそのようなことを語っていたと思います。まずは、人が人たる所以、日本人が日本人たる所以を知らない人、よって、物事を判断する道筋がわからない人、世の中の判断する上での座標軸、原型を知らない人が実学を即学んでも、上っ面しか捉えられず、学問の本質など会得できません。数ある、松蔭の残されている言葉から、それを見て取ることができます。

以下に吉田松陰の言葉ランキングを掲載します。

1位

身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ぬとも 留置まし 大和魂
遺書「留魂録」より、冒頭にある辞世の句。)

2位

かくすれば かくなるものと 知りながら やむにやまれぬ 大和魂
泉岳寺にて、赤穂浪士仇討ちと自分の下田踏海の心境を重ねた歌。)

3位

世の人は 良し悪し事も 言はば言へ 賤(しず)が誠は 神ぞ知るらん
(中公クラシックス「講孟余話ほか」所収「回顧録」より)

4位

至誠にして動かざる者は未だ之れ有らざるなり。
(「孟子」の一節。誠とは、「已むことを得ざる、これを誠といふ」(山鹿素行「聖教要録」)つまり、本心であり、どうしてもこうせねばならぬということ。)

5位

親思う 心にまさる 親心 けふのおとずれ 何ときくらん
(確か「留魂録」ではない、家族宛の遺書にある辞世の一つ。)

6位

凡そ生れて人たらば、宜しく人の禽獣に異なる所以を知るべし。蓋し人には五倫あり、而して君臣父子を最も大なりと為す。故に人の人たる所以は忠孝を本と為す。
(「士規七則」より)

7位

士の道は義より大なるはなし。義は勇に因りて行はれ、勇は義に因りて長ず。
(「士規七則」より)

8位

死は好むものではなく、また憎むべきでもない。世の中には生きながらえながら心の死んでいる者がいるかと思えば、その身は滅んでも魂の存する者もいる。死して不朽の見込みあらば、いつ死んでもよいし、生きて大業をなしとげる見込みあらば、いつまでも生きたらよいのである。つまり私の見るところでは、人間というものは、生死を度外視して、要するになすべきことをなす心構えこそが大切なのだ。
遺書「留魂録」の一節で、古川薫による現代語訳。)

9位

死而後已(死して後已む)の四字は言簡にして義広し。堅忍果決、確乎として抜くべからざるものは、是れを舎(お)きて術なきなり。
(「士規七則」より)

10位

身、皇国に生れて、皇国の皇国たる所以を知らず、何を以て天地に立たむ。
平泉澄「物語日本史」下巻より。水戸遊学時の言葉。)


そうして、一番最後は、上のランキングには含まれていませんが、以前にもこのブログに掲載した、私が大好きな吉田松蔭の言葉で、皆さんにも知っておいていただきたい言葉を掲載して締めくくります。

夢なき者に理想なし、 
理想なき者に計画なし、 
計画なき者に実行なし、 
実行なき者に成功なし。 
故に、夢なき者に成功なし。



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2012年3月5日月曜日

政府有識者会議の議事録なし 秘密保全法案を提言ー【私の論評】民主党は、記録をとるということは、歴史を紡ぐという簡単な理屈を知らない!!

政府有識者会議の議事録なし 秘密保全法案を提言(北海道新聞)


藤村修官房長官(写真上)は5日午前の記者会見で、外交や防衛に関する重要情報を漏らした公務員らに対する厳罰化を提言した政府の「秘密保全のための法制の在り方に関する有識者会議」の議事録が作成されていないことを明らかにした。提言は、政府が今国会提出を目指す秘密保全法案のたたき台となっており、法案の策定経緯が不透明との批判が広がる可能性がある。

公文書管理法は法案の制定過程を検証できるよう、重要会議などの「決定や了解、経緯」の文書化を政府機関に求めている。藤村氏は「公開の議事要旨と配布資料で会議の経緯は十分把握できる。必ずしも法に抵触しない」と述べた。

【私の論評】民主党は、記録をとるということは、歴史を紡ぐという簡単な理屈を知らない!!

これに関する新聞報道他の新聞にもいろいろあったのですが、この有識者会議の議事録がないことを報道したのは、北海道新聞だけだったと思います。北海道新聞にしては、珍しいことだと思います。

しかし、北海道新聞からみてさえ、議事録がないということはおかしなことであるということです。公文書管理法では、「決定や了解、経緯」の文書化ということを言っています。公開の議事要旨と配布資料だけでは不十分であることは、常識の範囲だと思います。これに関しては、左、右、上下関係なく、非常識なことだと思います。そう思うのは私だけでしょうか?

そもそも、「秘密保全のための法制の在り方に関する有識者会議」とはどんな会議なのでしょうか?

どんな会議なのか、その詳細(そもそも議事録もないそうなので、とまではいかませんが概要)は、以下のURLをご覧になって下さい。これは、首相官邸のサイトの中の「政策会議」に掲載されているものです。

http://www.kantei.go.jp/jp/singi/jouhouhozen/housei_kaigi/kaisai.html


これだけみれば、一見別に問題がないようようにもみえます。しかし、問題はあります。なぜ「議事録」がないことが問題になるかといえば、実は、この会議では、国会議員はもとより、様々な人たちに意見を聴いたりします。実際に韓国系の国会議員の白真勲氏のサイトをみたところ、この会議に出席して質問したことなとが、掲載されています。その会議に白真勲氏が出席し質問したとされる写真が上の写真です。そのサイトには、その模様が以下のように掲載されていました。(下は、白真勲氏の写真)
・「秘密保全のための法制の在り方に関する有識者会議」について政府よりご説明いただき、質疑応答を行いました。私からはこれまでの秘密漏洩事件に関する反省がこれまでの検討の中でどう反映されているか、また秘密漏洩がなされた後で政府が否定した場合の扱いについてお聞きしました。またこれまで秘密扱いする必要のない事まで秘密扱いすることで秘密慣れしているのではないか、メリハリの必要性について要望いたしました。
これらの人々の発言や、質問内容など、全く何も掲載されていません。さらに、議論の過程で委員や政府側の誰がどのような発言をしたかもほとんど記載されていません。これは、本当にまずいことだと思います。それに、たとえば、委員とされる人々の経歴や、そもそも、委員としてふさわしいのかふさわしくないのかも、資料を見ているだけでは良くわかりません。



こんなやり方をする有識者会議など全く信用できません。公開の議事要旨と配布資料で会議の経緯は十分把握できません。完全に法に抵触しています。これでは、そもそも、誰が最終的に決まった案を最初に言い出したのか、それに対して反対した人はいたのか、そもそも、全会一致で決まったのか、最終的に決まった案は多数決なのか、さらには、いずれの案に決まったにしてもその案を定めるために、委員以外の人による考えや情報などどのように影響を与えたのかが、さっぱりわかりません。

先日政府の主だった会議のほとんどが議事録がとられていないとか、今回の有識者会議の議事録がないなど、本当に民主党はいいかげんだと思います。政府の政策にかかわる、文書など、これは必ず残すべきです。民主党は、野党時代から議事録をとるという習慣がないのだと思います。それだけ、デタラメだということです。とにかく、誰も責任をとりたくない、無責任政党だということです。



上の二つの動画をみていると、全く野田はバカで低脳ですね。前言を翻すなら、その理由や背景をきちんと説明してはっきり釈明すべきと思いますが、そんなことも何もありません。本当に国民を愚弄しています。この動画をみて、腹のたたない人は、よほどのお人よしかバカだと思います。政治がどうのこうのという前に、自己の言葉に責任をもたない典型的な無責任男です。これって、まともな会社でこんなことをやったり、個人同志のつきあいでこんなことをやってしまえば、完璧に信頼を失います。本当に鉄面皮、厚顔無恥とは、このことです。

なぜ、こんなことになるかといえは、やはり、上記でも述べたように、記録をとるという習慣が全くないからです。とにかく、記録をとらなないから、自分の言ったことでも、2年もすればどんな重要なことでも、忘れてしまって、前言を翻すことなど抵抗もなく何とも思わないのだと思います。

そうして、なぜこうなってしまったのかといえば、かなり根の深いところに、原因があります。それは、彼らは、歴史を顧みないということです。まともな為政者というものは、どんな時代にあっても、歴史を重んじるし、どんなに体制がかわろうが、誰が為政者のトップになろうが、連綿として歴史の悠久の流れの中で、たまたま自分たちが政治を任せていただいているという感覚があるのが普通です。そうして、その歴史は、未来につながっているという認識を持っているのが当たり前です。しかし、彼らには未来をつくっているなどという感覚が全くないので、歴史の基礎となる記録をとることや、記録をとることの意味など全くわかっていないのです。



それは、日本国という国柄や、日本人が日本人であることの意味もわかっていないということです。このまま、彼らに国政をまかせておけば、ただただ、日本国の歴史を壊し、断絶させ、いずれ大多数の日本人をニッポン人に変え、日本や日本人を過去の断絶した、歴史のかなたに葬り去ることになります。歴史のわからない、彼らはこんなことも意識していないでしょう。だからこそ、記録をとるという行為に価値をみいだすことができないのです。このようなバックボーンのない人間は、人間本来が持っている強さを発揮できないと思います。だからこそ、民主党はいずれ近いうちにみずから瓦解していくと思います。

もう、こんな無責任な総理大臣が率いる無責任政党民主党は、一刻もはやくこの世から消えてもらいたいと思うのは、私だけでしょうか?自民党の西田参議院議員が来年5月20日は、総選挙になるだろうと、予測していましたが、私は、もっと早まっても良いと思います。

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