上記は、小麦の値上げを伝えるテレビ番組の動画
最近、バイオエタノールの話題が巷を賑わせています。特に、小麦・トウモロコシの値段の上昇の一環がバイオエタノールによる影響であり今後も穀物相場が値上がりを続けるかもしれない、それどころか全世界的に食料不足に陥るのではという懸念を心配している人も多いのでは?しかし、私としてはこの騒ぎは空騒ぎで、おそらく早くて1年、遅くても2年後あたりには終息するものと考えています。本日はその根拠など掲載させていただきます。
⇒そもそもバイオエタノールとは?
バイオエタノール自体については、ほとんどの人がご存知でしょうし、ここで再び論ずることは論点からはずれいたずらに文章を長くするので、割愛させていただきます。
⇒バイオエタノールの現状
バイオエタノールの現状としては、現在アメリカで強力にバイオエタノール燃料の開発が推進されており、従来食用や飼料にまわされていたものも、バイオエタノール工場に回されるようになり、穀物相場をあげています。アメリカでは、強力なファンドがこれらに投資し、さらに大規模工場をいくつも設立する計画があります。これに対して、賛否両面いろいろ入り乱れて論戦が繰り広げられています。
このあたりについては、皆さんもご存知でしょうから、これ以上あまり掲載しません。興味のある方は、他の人のブログなどを見ていただきたいと思います。
⇒バイオエタノールの明日(ここ1から2年)
バイオエタノールが今後どうなっていくか。ここに簡単に結論を述べておきます。ただし、高邁な思想や、難解で高騰な理論など述べるわけではありません。あまりにあっけなくて、何だということになると思います。これは、最近のサブプライムローン問題と同じことです。
サブプライムローンの本質は、金貸しが貧乏な人にいろいろな屁理屈をつけて、高金利で住宅用のお金を貸し付けて、貧乏な人が借金を払えれば払ってもらい、払えなければ貧乏人から家をとりあげて、他のもっと裕福な人に格安で売って、それでも損しないようにしただけです。ところが、裕福な人に格安で売れない事態が生じてしまったので、売れなくで焦げ付きが生じたというだけの話です。
この問題への簡単や対処方は、そもそも無理な金貸しはすべきでないという、小学生にでもわかる方法です。この責任は、無理な金貸しをした金融機関が負うべきものです。
さて、話が長くなってしまいましたが、バイオエタノールの問題も簡単です。確かにバイオエタノールはだんだん使われていくようになっていくかもしれません。
しかし、ここ当面大勢を揺るがすほどにはなりません。なぜなら、それを決めるのは、消費者だからです。消費者の行動はなかなか、国や企業が思っているように簡単に動かすことはできません。
ちなみに、あなたはバイオエタノール車を買いたいと思いますか?私は今の時点なら、絶対に買いたくありません。
なせなら、バイオエタノールを給油する施設が近くありません。仮に給油施設があったとして、すぐに買い換えるでしょうか?バイオエタノールにして、何が変わるでしょうか?確かに環境問題には、寄与するかもしれませんが、現状であなたの生活を根本から変えるような何かを期待できるでしょうか?
私くらいの年代以上の人なら、かろうじて石炭から石油へのエネルギー転換をかろうじて知っているかもしれません。
私が小学校にあがったばかりの時には、学校の冬の暖房は石炭でした。それが、3年生のときに他の学校に転校したら、そこでは重油のボイラーで暖房をしていました。
家庭でも似たようなものでした。小学校低学年のときは、まだ石炭だったと思います。石炭のストーブは管理が大変でした。定期的に煙突掃除を依頼する必要がありました。そもそも、火をつけるのにも、スイッチ一つというわけにはいかず、手間がかかりました。
私の子供の頃の家のストーブは、貯炭式といって、石炭をストーブの中にある程度蓄えることができましたので、しょっちゅう石炭を継ぎ足す必要はありませんでしたが、それてでも一日数回は継ぎ足す必要がありしまた。だから、外から石炭を一日一回運んでくる必要がありました。これがかなりの手間でした。
ところが、石油になってから、これらの手間は一挙に解消されました。外の石油のタンクに燃料屋さんが灯油を入れてくれれば、あとはスイッチ一つで暖房ができます。石油はこうして、多く消費者の支持を得られたため、信じられないほどの速さで、一般家庭、事業所へ浸透していきました。
これに比較して、バイオエタノールはどうでしょうか?バイオエタノールに変えたからといって、石炭から石油へ変換したようなドラスティックなメリットは期待できません。
車でも、暖房でも同じことです。メリットとしては、地球環境に間接的に寄与できるということです。これだけのことで、急速に普及することなど考えられません。考えられるとすれば、価格でしょう、バイオエタノールが原油より、価格が2/3とか、半分になるような事態が発生したり、あるいは予測されるようになったとき初めて普及すると思われます。
こうしたことから、バイオエタノール熱は急速に冷めると考えます。アイスランドは、バイオエタノールを強力に推進していますが、アイスランドが完全に化石燃料と決別するのは、40年後としています。
アメリカでは、強力にバイオエタノール化を推進していて、農家なども飼料などよりは、バイオエタノール工場に大豆やトウモロコシを出荷するというところが増えてきています。
しかし、このアメリカという国は1970年代に度量衡をメートル法にかえるとの政策を打ち出しましたが、未だに変更されていません。そんなアメリカの消費者に、いくら政府が音頭をとったからといって、余程のことがない限りバイオエタノールが普及するとは考えられません。
日本国内では、タクシーのほとんどがプロパン車です。このプロパン車、排気ガスはガソリン車よりキレイ、燃料も安いのになぜ自家所有が少ないのでしょう?また、最近原油が高騰しているのに、多くの消費者は燃料高騰を嘆いているだけで、プロパン車に大挙して変更したなどという話しは聞きません。 消費者に普及しないものが、いくらバイオエタノール工場を設置したり、給油所を用意してからといって急速に普及することは考えられません。
最近、大油田がブラジルで発見されたとも言われいます。おそらく、投資熱も急速にさめて、2年後には供給過剰となり、閉鎖される工場も出てくるかもしれません。サブプライムローンほどひどくはないですが、焦げ付きが発生して、似たような問題が発生してくると思います。
⇒環境問題に対する対処のあるべき姿
今のバイオエタノールの問題は、アメリカのファンドや、穀物メジャーや、アメリカの穀物、燃料戦略などに左右されている面がかなりあると思います。でもどんなに大きな力だとしても、消費者を自分たちの都合の良いように制御することには、限界があります。いずれ、穀物相場も原油相場も安定します。
こんなことに、首をつっこんだり、変に関心を持ったり、心配してみたりするなら、もっと地道に環境問題なとに取り組むべきだと思います。
バイオエタノールに関して、否定的なことばかり書いてしまいましたが、いずれ必要になる時代は来ると思います。
研究者の方は、そういう時代が必ず来ると信じて研究を続けて頂きたいと思います。
それから、環境問題、地球温暖化に関するブログなどを見ていると、多くの内容が「国がどうした、どこの企業が何をしている、何について、どう思う、こうすべきだ。政治の貧困だとか、政治家の誰の発言がどうだとか、世界がどうだ。地球がどうだ。誰はこういっているが、あれは間違いでこれが正しい」などの第三者的な論調が多すぎだと思います。
実際に実施してるというと、「マイ箸」がどうのこう「エコバッグ」がどうのこうのというものが多いです。第三者的で人事(ひとごと)的な内容が多いと思います。
自分がどうしたとか、自分の会社でどういう取り組みを行ったとか、自分の職場ではどうしているとか、自分の職場でこうして成功したとか、こういう問題で悩んでいる、あるいは自分のコミュニティーではどうしているなどという、いわゆる自分の問題として書かれているものは少ないです。
このブログにも前に掲載したことがありますが、少なくともピザ・テンフォーの会社である「オーディンフーズ」では、具体的な行動や取り組みをしています(紙のピザボックスをなくす活動)。さらには、セブンイレブンのような企業も真摯に取り組んでいます(過剰包装の廃止)。さらに、日清でもエコ・カップヌードルなどを開発しています。
ピザ宅配業や、コンビニは、もともとエネルギー消費型の権化のような業態です。だからこそ、今からわずかでも取り組んでいます。そうして、時がくれば、もっとできるようにさまざまな準備を整えつつあります。
このような試みこそ重要だと思います。他にも地道に活動している企業が多数あります。コミュニティーもあります。
しかし、現実にはマスコミでも、ブログなどでも、いわゆる行動は伴わず、頭で考えたことだけ掲載しているものが多すぎると思います。
無論こうしたものを全否定するつもりはありません。特にブログなどは、ほとんどのものが害のないものですし。頭で考えたことも、限界を突破するときに必要になるときはあります。しかし、マスコミに関しては、より警戒を必要とします。警戒程度では適当ではないかもしれません。猜疑心をもって真偽を確かめてから自分のものとすべきだと思います。
ただし危惧することはあります。それは、いわゆる過去の進歩的文化人というものの存在です。いわゆる左翼思想ですが、今から思えば、無責任な人達です。昔は、少し左がかった発言をすれば、自らは実質的に何も行動せず進歩的文化人とマスコミからもてはやされ、お金儲けができる時代があり、そう呼ばれる人達も多数存在していました。
環境問題は、とてつもなく大きくて、複雑な地球が対象であるということ、それに比して人間の知識や経験などまだ、微々たるものに過ぎないことなどから、どれが正しいとか、どれが間違いなどと割り切るれるものは少ないです。これを私は環境問題の落とし穴と呼んでいます。より慎重に対処していく必要があります。エコを語る人達の中に、昔のいわゆる進歩的文化人のような人達が増えてきて、無責任な発言や論評をして、お金儲けのために混乱と誤謬と思考の退化、退廃をもたらすことがないように、願うばかりです。