ラベル 中国と延々と渡り合ってきたベトナム の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 中国と延々と渡り合ってきたベトナム の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2018年2月20日火曜日

中国と延々と渡り合ってきたベトナムに日本は学べ もしも尖閣で紛争が起きたら日本はどうすべきか―【私の論評】緒戦での大勝利と、国際政治のパラドックスを迅速に最大限に活用せよ(゚д゚)!

中国と延々と渡り合ってきたベトナムに日本は学べ もしも尖閣で紛争が起きたら日本はどうすべきか


 ベトナムは中国と国境を接し、有史以来、何度も戦火を交えてきた。昨今の日中関係を考える時、その歴史から学ぶところは多い。

 ベトナムは長い間中国の支配下にあった。その支配は漢の武帝(前141~前87年)の頃に始まり、約1000年間続いた、しかし、唐が滅びて五代十国と言われる混乱の時代を迎えると、その隙をついてベトナムは独立した。938年のことである。

 ただ、その後も、宋が中国大陸を統一するとベトナムに攻め入った。その際は、今でもベトナムの英雄である李常傑(1019~1105年:リ・トゥオーン・キエット、ベトナムでは漢字が用いられてきた)の活躍により、なんとか独立を保つことができた。ただ、独立を保ったと言っても冊封体制の中での独立。ベトナムは中国の朝貢国であった。

李常傑
 中国大陸に新たな政権が生れるたびに、新政権はベトナムに攻め込んだ。朝貢していても安全ではない。相手の都合で攻めて来る。

 日本を攻めた元は、ベトナムにも船を使って攻め込んだ。たが、元は船を使った戦いは得意ではなかったようだ。日本に勝つことができなかったように、ベトナムにも勝つことができなかった。

 そんなベトナムが大きな危機を迎えたのは、明の永楽帝(1360~1424年)の時代。靖難の変によって甥から政権を簒奪(さんだつ)した永楽帝はなかなか勇猛な皇帝であり、武力による対外膨張政策を実行した。コロンブスよりも早く大洋に乗り出したとされる鄭和(ていわ)の南海遠征も永楽帝の時代に行われている。

永楽帝
 永楽帝の時代にベトナムは再び明の統治下に置かれる。しかし、永楽帝の死後、これもベトナムの英雄である黎利(レ・ロイ、1385~1433年)の活躍によって独立を回復している。

 その後、乾隆帝(1711~1799年)の時代に清がベトナムに攻め込むが、ベトナムは現在のハノイ・ドンダー区で行われたドンダーの戦い(1788~89年)において、大勝することができた。これは中国との戦いにおいて、ベトナム史上最大の勝利とされる。しかしながら、戦いに勝利したベトナムは直ちに使者を送って、清の冊封体制の下で生きることを約束している。

 中国とベトナムは1989年にもベトナムのカンボジア侵攻を巡って戦火を交えている。この戦争は、社会主義国同士の戦争として日本の進歩的文化人を困惑させたが、社会主義国の間では戦争が起こらないなどという話は神話だろう。歴史を振り返ってみると、ベトナムと中国は基本的に仲が悪い。

「中国は平和主義の国」は全くのウソ

 ベトナムの歴史から、以下のような教訓を引き出すことができるだろう。

(1)中国は新たな政権ができるたびに、冊封下にあるベトナムに攻め込んでいる。冊封体制の下にあるといっても安心ではない。「中国は平和主義の国であり、外国に攻め入ったことがない」などという話は全くのウソである。

(2)強い皇帝が現れた時に対外侵略が行われる。漢の武帝、明の永楽帝、そして清の乾隆帝の時に、大規模な侵略が行われた。そして、明の永楽帝が亡くなるとベトナムが独立を回復したことからも分かるように、中国との関係を考える際には「強い皇帝」がキーワードになる。

(3)実は中国軍は弱い。小国ベトナムを相手にして、ここ1000年ほど負けっぱなしである。特に船を用いた戦いに弱い。大陸国であるために、船を乗りこなすのが苦手だ。現在のハロン湾周辺の河口域で行われた戦において、ベトナム側の同じような戦法に引っかかって何度も負けている。

(4)小国ベトナムは、勝利した後に素早く使者を送って、へり下る形で和睦している。冊封体制の下で生きることを選んだと言える。冊封体制下で生きることはメンツを失うことになるが、中国から派遣された代官の暴政にさらされることはなくなる。朝貢しなければいけないが、お土産を持って行けばそれに倍するお返しをもらえたことから、名を捨てて実を取る選択と言ってよい。

尖閣諸島をめぐる争いは緒戦が重要

 幸いにして、中国と日本の間には海があったために、中国大陸に新たな王朝ができるたびに攻め込まれるなどということはなかった。だが、近年は尖閣諸島を巡って対立が続いている。

 そんな日本にとって、ベトナムの歴史から学べる最も重要な教訓は、中国の攻勢は長期間続かないということである。強い皇帝が出現して対外強硬政策を採用しても、代が変われば政策は変更される。せいぜい30年ほど時間を稼げばよい。

 中国は大国、ベトナムは小国。だから、一度や二度、中国が部分的な戦いに負けたとしても、再度大軍を派遣すればベトナムを打ち破ることができたはずだ。しかし、中国は負けた際に再度大軍を派遣することはなかった。対外戦争に一度でも敗れると内政が不安定化して、大軍を派遣することが難しくなるためと考えられる。

 ベトナムはそこをよく見ていた。だから、ここ一番の戦いに全力を挙げて部分的な勝利を納めると、それ以上中国を追い込むことはしなかった。戦いに勝利するとすぐに和平の使者を派遣して、朝貢体制の下で生きることを選択した。

 面白いのは清の乾隆帝である。清がベトナムと戦ったドンダーの戦いは、ベトナムではベトナム史上最大の戦勝と言われている。しかし、先にも書いたようにベトナムが戦勝の直後に和平の使者を派遣して冊封下で生きることを約束したために、清はその戦いを乾隆帝の十大武功の1つとしている。清は、国内にはベトナムに勝ったと宣伝したのだ。ベトナムは乾隆帝のメンツを立てることによって、それ以降の戦いを避けた。

ドンターの戦いの錦絵
 尖閣諸島をめぐる争いでも、緒戦が重要になる。日本は緒戦に勝てるように十分に準備しておく必要がある。中国は緒戦に負けると、戦争を続けることが難しくなる。その機運を素早く読み取り、中国のメンツが立つようにして、和平に持ち込み実利を取るのが有効な対処法であろう。

 中国は秦の始皇帝以来、約2300年にわたり東アジアに君臨してきた大国であるが、大き過ぎるために、内政の取りまとめが難しい。そのため、国を挙げて他国と戦いを続けることができない。緒戦でちょっと負けると不満分子が政権を揺さぶるからだ。一方で、東アジアの歴史において常に大国であったために、メンツをとても重視する。そんな中国とは対峙するには、軍事的に隙を見せることなく、なおかつ中国のメンツが立つような外交を心がけるべきであろう。

 過去約1000年間にわたり、小国ベトナムは中国と陸続きで対峙しながら、その間、実際に中国に占領されたのは20年間という短い時間であった。その歴史から、学ぶところは多い。

【私の論評】緒戦での大勝利と、国際政治のパラドックスを迅速に最大限に活用せよ(゚д゚)!

米国の戦略家ルトワック氏は、そもそも昔から大国は、小国に勝てないということを主張しています。確かに、そういわれてみればそうです。米国もベトナムには勝てませんでした。

ルトワック氏は、そもそも中国は「大国は小国に勝てない」という「戦略の論理」を十分に理解していないと主張しています。

ある大国がはるかに国力に乏しい小国に対して攻撃的な態度に出たとします。その次に起こることは何でしょうか。

周辺の国々が、大国の「次の標的」となることを恐れ、また地域のパワーバランスが崩れるのを警戒して、その小国を助けに回るという現象があらわれるのです。その理由は、小国は他の国にとっては脅威とはならないのですが、大国はつねに潜在的な脅威だからであす。

米国はベトナム戦争に負けましたが、ベトナムは小国だったがために中国とソ連の支援を受けることができたのです。

しかも共産国だけではなく資本主義国からも間接的に支援を受けています。たとえば英国は朝鮮戦争で米国側を支援したのですが、ベトナム戦争での参戦を拒否しています。

米国が小さな村をナパーム弾で空爆する状況を見て、小国をいじめているというイメージが生まれ、最終的には米国民でさえ、戦争を拒絶するようになってしまいました。

『戦争の恐怖』1972年6月8日、AP通信ベトナム人カメラマンだった、ニック・ウット氏撮影。
南ベトナム軍のナパーム弾で、火傷を負った子供らが逃げてくる場面を捉えたもの
つまり国というものは、強くなったら弱くなるのです。戦略の世界は、普通の生活とは違ったメカニズムが働いているのです。

近年、中国は香港で民主化運動に弾圧を加え続け、さらには激しい言論統制を行っています。北京側が今回、香港で誘拐したり投獄したりと極めて乱暴に振舞ったことで台湾国内の親北京派の力を削いでしまいました。

中国指導層にとって、香港は攻撃可能な「弱い」相手でもありました。それが台湾という「周辺国」の反発を生んだのです。

このあたりの詳しいことはルトワック氏の『戦争にチャンスを与えよ』をご覧になってください。

日本とベトナムとを比較すると、当然のことながら、経済でも軍事でも日本が大国であることは間違いありません。であれば、日本はベトナムから学べるところと、学べないところがあるということになると思います。

以下にルトワックの提唱する中国の戦略を振り返ってみます。

中国は、2000年代に入ってすぐに『平和的台頭』という戦略を採用しました。これは、他国と余計な摩擦や衝突を起こさずに国力を上げるという戦略です。これは、大成功を収めました。これをルトワックは「チャイナ1.0」と呼称しています。

しかし世界を震撼させた2008年のリーマン・ショックを機に「チャイナ2.0」へと大きくシフトした。これは、中国はもはや小国でなく、大国として積極的に攻勢に出るべきだという圧力が国内に充満したのを受けて、それを国家戦略にしたものです。

これは、明らかに大きな誤りでした。その後2014年になり、習近平政権が再び中国の戦略を変更しました。それが「中国 3.0」です。この戦略は選択的攻撃というものです。

戦略を変更するきっかけとなったのは、南シナ海で中国に対して強い抵抗を示したベトナムと、東シナ海で断固とした姿勢を貫いた日本だったとルトワックは指摘しています。

中国は、ベトナム、フィリピン、韓国などに対し、宥和政策を積極的に展開するとともに、日本には尖閣諸島付近で挑発を繰り返すなどの行動に出て、対中包囲網そのものに手を突っ込み、包囲網の分断を図ってきました。

中国は大国戦略をとって強く外にでたのですが、抵抗にあうことで立場が弱くなってしまったのです。このような国際政治において発生する「逆説的」なメカニズムを、ルトワックは「パラドックス」と名づけています。

プレイヤーが競合関係にある場では、このようなメカニズムが常に発生しているのですが、中国はいまだそれを理解できておらず、不安定な国です。

そうして、ルトワックが提唱する「中国4.0」に関しては、習近平はそのような戦略はとれないとしていますので、ここでは解説しません。

いずれにせよ、当面日本は「中国3.0」の戦略をとり続ける中国と対峙しなければならなのです。

そこで、参考になるのがベトナムです。特に、「中国は大国、ベトナムは小国。だから、一度や二度、中国が部分的な戦いに負けたとしても、再度大軍を派遣すればベトナムを打ち破ることができたはずだ。しかし、中国は負けた際に再度大軍を派遣することはなかった。対外戦争に一度でも敗れると内政が不安定化して、大軍を派遣することが難しくなるためと考えられる」というところは参考になります。

緒戦で圧倒的な勝利を収めることが重要なのです。だから、尖閣諸島をめぐる争いでも、緒戦が重要になるのです。日本は緒戦に勝てるように十分に準備しておく必要があるのです。中国は緒戦に負けると、戦争を続けることが難しくなるのです。

これは、今でも同じでしょう。尖閣でも、緒戦の段階で日本が圧倒的な勝利を収めれば、未だ国内で権力闘争を継続している中国はその後戦争を続けることが難しくなるのです。

そうして、この緒戦の勝ち方については、ここでは詳細は述べませんが、これについてはルトワック氏も詳細を述べていて、このブログでも何度か紹介したことがあります。その記事のリンクを以下に掲載します。
日本の“海軍力”はアジア最強 海外メディアが評価する海自の実力とは―【私の論評】日本は独力で尖閣の中国を撃退できる(゚д゚)!
尖閣は自分で守れと主張するルトワック氏
詳細は、この記事をご覧いただくものとして、ルトワック氏も緒戦で勝利を収めるべきことを主張しています。以下にこの記事から一部引用します。

"
人民解放軍がある日、尖閣に上陸した。それを知った安倍総理は、自衛隊トップに電話をし、「尖閣を今すぐ奪回してきてください!」という。自衛隊トップは、「わかりました。行ってきます」といい、尖閣を奪回してきた。

こういう迅速さが必要だというのです。なぜ? ぐずぐずしていたら、「手遅れ」になるからです。ここで肝に銘じておくべきなのは、
「ああ、危機が発生してしまった。まずアメリカや国連に相談しよう」
などと言っていたら、島はもう戻ってこないということだ。ウクライナがそのようにしてクリミア半島を失ったことは記憶に新しい。(p152)
安倍総理は、「人民解放軍が尖閣に上陸した」と報告を受けたとします。「どうしよう…」と悩んだ総理は、いつもの癖で、アメリカに相談することにしました。そして、「国連安保理で話し合ってもらおう」と決めました。そうこうしているうちに3日過ぎてしまいました。尖閣周辺は中国の軍艦で埋め尽くされ、誰も手出しできません。
"
このような状況になってしまっては、もうどうしようもありません。中国はさらに後続部隊を送ってくることでしょう。そのうち、工科部隊を送り込み、基礎工事をして、その後には本格的に業者を送り込み、尖閣諸島を軍事基地化することになり、南シナ海と同じような状況になることでしょう。

だからこそ、緒戦が大事なのです。緒戦で明らかに日本が大勝利という形をつくってしまえば、習近平も国内で面子を失い、反対派が勢いづきその後、尖閣に兵を出し続けることは困難になります。

そうして、その後ですが、その後はベトナムの中国対応は参考になりません。特に「戦いに勝利するとすぐに和平の使者を派遣して、朝貢体制の下で生きることを選択した」というようなことは日本はできませんし、決してやってはいけないことです。

これは、小国であるベトナムだから通用してきた手であって、小国ではない日本などの国がとる手ではありません。このような手を打てば、中国は錯誤するだけです。

なぜなら、中国は巨大国家であるがゆえの「内向き」な思考を持っており、しかも古代からの漢民族の「戦略の知恵」を優れたものであると勘違いしており、それを漢民族の「同一文化内」ではなく、「他文化」に過剰に使用することによって信頼を失っているからです。

そうして、中国が尖閣を攻めた途端に、国際政治において発生する「逆説的」なメカニズムである「パラドックス」が生じているからです。

中国が大きくなり、日本の領土を攻撃したということにでもなれば、それに対抗しようとする同盟も大きくなります。中国が日本に対して本格的に圧力をかけようとすると、アメリカが助けに来るし、べトナム、フィリピン、それにインドネシアなども次々と日本の支持にまわり、この流れの帰結として、中国は最初の時点よりも弱い立場追い込まれことになります。これが中国の錯誤の核心です。

日本は、このパラドックスを最大限に利用すべきだし、利用すべくすぐに行動すべきなのです。これを実行するためには、過去のベトナムのようにすぐに和平に走ってはならないのです。

さらに、同盟を強化して、日本だけではなく同盟により中国に圧力をかけ、さらに中国を追い込み強力に包囲するのです。これによって、習近平の面子が潰れても全く気にする必要はありません。これにより、中国国内では、習近平反対派が勢いづき、再び権力闘争が激化します。


中国では、昨年の党大会までは、権力闘争が激化していましたが、現在は沈静化の方向にあります。しかし、習近平が尖閣奪取の挙にでて、それが大失敗したとなれば、習近平の面子は丸つぶれとなり、中国内では反習近平派(江沢民派など)が勢いづくことになります。

これは、主席が誰であろうと、尖閣を奪取しようとして、緒戦で大失敗すれば、同じことになります。

そうなれば、習近平は尖閣どころではなく、国内政治にエネルギーを割くことになります。中国の権力闘争は、日本などとは異なり、熾烈を極めます。下手をすれば、命を失います。そうなれば、尖閣の危機は遠のきます。

ここで、過去のベトナムのようにすぐに和平に走れば、習近平が国内政治を御しやすくするだけであり、再び尖閣どころか、今度は沖縄まで危機にされされることになりかねません。

日本は中国が尖閣を奪取しにきた場合は、当然緒戦で大勝利を収めるべきですし、それは日本にとっては十分可能なことです。ただし、そのために法整備などをしておく必要があります。私は、これは憲法を改正しなくてもできると思っています。

そうして、それだけに甘んずることなく、中国が尖閣を攻めた途端に、国際政治において発生する「逆説的」なメカニズムである「パラドックス」を迅速にそうして、最大限に利用すべく普段から準備しておくべきなのです。

【関連記事】

トランプ氏「シリアでトルコが鍵握る」、強力な軍隊保有―【私の論評】トランプ政権トルコのシリア介入許容:中東地政学の新たな局面

トランプ氏「シリアでトルコが鍵握る」、強力な軍隊保有 まとめ トランプ次期大統領は、アサド政権崩壊後のシリアでトルコが鍵を握るとの見解を示した。 トルコの軍事力は「戦争で疲弊していない」とし、エルドアン大統領との良好な関係を強調した。 米国はシリア東部に約900人の部隊を駐留させ...