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2016年9月17日土曜日

「尖閣は台湾のもの?」“二重国籍”蓮舫新代表が知っておくべき日本と台湾の対立点―【私の論評】南京・尖閣問題で台湾は決して親日ではない(゚д゚)!


民進党代表決定の名前を呼ばれる直前にハンカチで目頭を押さえる 蓮舫新代表=9月15日
■二重国籍の問題点とは?

  「二重国籍」という批判を浴びながらも蓮舫参議院議員は民進党の新代表に就任した。「生まれてからずっと日本人」という意識を持つという蓮舫氏からすれば、不本意だろうが、二重国籍が問題視される理由の一つは、「利益相反」の問題があるからだ。

たしかに台湾には親日的な方が多い。東日本大震災のあとなどに温かい支援をしてくれたことへの感謝の念を日本人は忘れてはいけない。

しかし一方で、日本と台湾には対立点も存在する。

尖閣諸島である。

台湾は、戦後のある時期から「尖閣諸島は我々のものだ」と主張をしており、今もその立場を変えていない。

尖閣問題というと、対中国(中華人民共和国)のことを想定しがちだが、台湾もまたこの問題に絡んでいるのだ。

彼らはいかなる主張をしているのか。

それはどのくらいの「無理筋」なのか。

公文書研究の第一人者である有馬哲夫氏が、第一次資料をもとに歴史問題の真実を解き明かした新著『歴史問題の正解』の「第11章 尖閣諸島は間違いなく日本の領土である」から一部を抜粋、引用してみよう。

***

■尖閣諸島問題の起源

考資料:[出典]防衛省のレポート「尖閣諸島について」(2015年3月)

アメリカは、沖縄を日本に復帰させるにあたって次の二つの選択を求められた。尖閣諸島を沖縄の一部と認め、日本に復帰させるのか、それとも沖縄の一部とは認めず、保留し、帰属のことは日本と台湾の間の議論に任せるのか。ここにおいて、尖閣諸島の議論は、沖縄復帰と直接的に結びついていた。

テレビなどでは、尖閣諸島が1895年から日本領とされて、所有者もいることをしばしば指摘し、それをもって尖閣諸島が日本の領土だと報じている。

だが、日本は第二次世界大戦に敗れてポツダム宣言を受諾し、さらにサンフランシスコ講和条約によって沖縄をアメリカの統治に委ねたのだから、沖縄復帰のときに、これらの島々が日本に復帰させるべき領土とされていなければ、それ以前の領有や所有の実態は、あまり意味を持たない。それは、ポツダム宣言によって日本が放棄させられた千島列島(ただし北方四島は除く)などの場合と同じだ。

したがって尖閣諸島をめぐる議論は、やはり沖縄復帰に関するものとして考えるべきである。そして、以下で見ていく文書の内容からしても、日本―アメリカ―台湾の間のものだったといえる。たしかに、中国も日本とアメリカが沖縄復帰で合意したあとの1970年12月3日になって初めて尖閣諸島の領有権を主張しているが、これについてはアメリカはなんら考慮に値する根拠が挙げられていないと判断している。したがって、台湾の主張を退けることができれば、「尖閣諸島は台湾のものであり、台湾は中国のもので、したがって尖閣諸島は中国のものだ」という中国の三段論法も退けることができる。

■歴史無視の主張

歴史問題の正解 (新潮新書)


そこで、まず、台湾側が沖縄復帰のときにアメリカ側に対してどんな申し入れを行っていたのか、その主張の根拠がどのようなものだったかを見てみよう。

台湾はアメリカに対しどのような根拠でこのような申し入れをおこなったのか。それを示すのが1971年3月15日に駐米の台湾大使がアメリカ国務省に赴き、口頭で台湾の尖閣諸島に対する要求を伝えたうえで渡した文書(尖閣文書)だ。以下はその要旨である。

(1)15世紀の明の時代から琉球に冊封使を送っているが、その使節団の旅行記にとくに釣魚台(魚釣島)、黄尾嶼(久場島)、赤尾嶼(大正島)の3島のことが詳しく記されている。その記述によれば、これらの島々は台湾と琉球の境界線と考えられてきた。

(2)釣魚台列嶼(尖閣諸島のこと)の地質学的構造は台湾のものと似ていて、地理的にも台湾と隣接している。だが、沖縄からは200マイル以上も離れている。

(3)釣魚台列嶼(尖閣諸島)は、長年に渡って台湾漁民の漁場だった。彼らはこれらの島を、嵐を避けるためや船や漁具を修理するために使ってきた。

(4)日本政府は釣魚台列嶼(尖閣諸島)を1894年以前(つまり日清戦争以前)には沖縄県に編入していなかった。この編入は日清戦争のあと中国による台湾と澎湖島の割譲の結果起こっている。

第二次世界大戦の終結後、サンフランシスコ講和条約によって、釣魚台列嶼(尖閣諸島)もアメリカの軍事的占領下に入った。中華民国政府は、この地域の安全保障への配慮から、これまでアメリカの軍事的占領に異議を唱えなかった。だが、これは釣魚台列嶼(尖閣諸島)が琉球の一部であることを中華民国政府が黙認したと解釈されるべきではない。

これら歴史、地質、地理、使用実態、国際法上の理由により、釣魚台列嶼(尖閣諸島)は台湾と関係が深く、台湾に付属する、あるいは帰属するものとして扱われるべきである。

1972年にアメリカによる琉球諸島の占領が終結するにあたり、アメリカ政府は中華民国の釣魚台列嶼(尖閣諸島)に対する主権を尊重し、これらの島々を中華民国のために留保すべきである。

以上が、台湾がアメリカ政府に対して行った申し入れの要約である。筆者は、主旨を歪めるような夾雑物は一切入れていないし、日本側にとって不利な点を隠すこともしていない。したがって、この内容が理にかなっていないとすれば、台湾の領有権の主張そのものが理にかなっていないことになる。そして、この要約からも、これまで政府関係者やマスコミから私たちが知らされていた以上におかしなことを台湾が述べていたことがわかる。

■台湾の主張のどこがおかしいか

(1)冊封使の旅行記にしばしば登場し、彼らによって沖縄と台湾の境界線の島々だと考えられていたからといって、尖閣諸島が台湾の一部であるということにはならない。統治とも実効支配ともなんら関係がないからだ。

(2)大陸棚条約などを意識したものだろうが、1895年以降日本が領有していた歴史的事実がある以上、地質学的に台湾に近似していても、地理的に台湾に近くても、それは主権とは関係のない議論だといわざるを得ない。

(3)島々で嵐を避けたり、船や漁具を修理したりしたから(アメリカの沖縄統治時代のことをいっていると思われる)といってそれが実効支配の実績とはならない。そもそも、日本はそれを不法行為として取り締まるよう琉球列島アメリカ民政府に再三要求している。

(4)日清戦争を終結させた下関条約には、尖閣諸島を日本に割譲するとは記されていない。もし、割譲したのなら、カイロ宣言の条項(日本は台湾と澎湖島を中華民国に返還する)を履行すべしとしたポツダム宣言第8条に基づき、日本は尖閣諸島を、中華民国(つまり現在の台湾)に返還しなければならないが、そうではなかった。

尖閣諸島は日本が清から台湾の一部として割譲を受けて沖縄県に編入されたのではなく、日清戦争以前から実効支配していたものを日清戦争と同じ時期に沖縄県に編入したのに過ぎない。

***

同書では、より細かい日、米、台の主張について検討されているが、ここでは割愛する。

結論からいえば、当然のことながら、アメリカはこうした主張を相手にしなかった。

1970年9月10日、アメリカ国務省のスポークスマンは、記者団の質問に答える形で、「佐藤・ニクソン合意に沿って尖閣諸島を日本に復帰させる」と言明している。

また、ヒラリー・クリントン国務長官が「改めてはっきりいいたい。尖閣諸島は日米安全保障条約第5条の範囲に入る。日本国民を守る義務を重視している」と述べたのも記憶に新しいところだ(2010年10月27日)

蓮舫氏が、彼女に懐疑的な目を向ける人たちから信頼を得るには、こうした歴史問題の「正解」を学んだうえで、高い説明能力を活用して主張していくのは有効な手となりうるだろう。ただし、それは彼女に向けられている「経歴詐称」という批判に対してはあまり意味を持たないかもしれないが。

【私の論評】南京・尖閣問題で台湾は決して親日ではない(゚д゚)!

ブログ冒頭の記事に掲載されている台湾の主張は、台湾の蔡英文・民進党政権になっても基本的に引き継がれているものです。ブログ冒頭の記事にも掲載されているように、確かに台湾には親日的な人も多いことは事実です。しかし、台湾と日本とは利益が相反しているのも事実です。

昨年の台湾で挙行された「対日戦争勝利パレード」
台湾は昨年は大々的に「対日戦争勝利パレード」を挙行しました。中華人民共和国も、「抗日戦争勝利軍事パレード」を行ったことはこのブログにも掲載したことがあります。

そうして、その記事の中では、現在の中華人民共和国は日本と一度も戦争をしたことなどなく、戦争したのは、後に台湾に逃げ込んた、蒋介石率いる中華民国の国民党軍であることを示し、そもそも中華人民共和国が「抗日戦争勝利軍事パレード」を催すこと自体が噴飯ものであることを掲載しました。

そうして、台湾による「対日戦争勝利パレード」を台湾が挙行するのも、同じく噴飯ものと言って良いです。なぜなら、中華民国の国民党軍は、日本と戦争して負け続けていました。その日本は、大東亜戦争に破れ日本軍は中国大陸からも、台湾からも退きました。

その後、国民党軍は、毛沢東率いる共産党軍と戦うことになったのですが、これに惨敗して台湾に逃れました。だから、台湾も「対日戦争勝利パレード」を祝うこと事態が、全くおかしなことなのです。

この記事では、中華人民共和国が、わざわざ噴飯ものの「抗日戦争勝利軍事パレード」を挙行するのは、中国共産党政府の統治の正当性が脆弱なので、歴史を修正して、日本を悪者に仕立て、人民の怒りを日本に向けて、自分たちの統治の正当性を強調するためであることを掲載しました。

台湾における軍事パレードも似たようものであり、国民党軍は一度も日本軍に勝利をしたことなどありません。現実は、日本軍に負け、中国共産党軍に負け、台湾に逃れたのであり、断じて日本と戦争をして勝ったわけではありません。

結局のところ、台湾も中華人民共和国と同じく、日本を悪者に仕立てて、統治の正当性を高めるためにこのような軍事パレードを挙行するのです。

蒋介石が率いた中華民国国民党軍

蔡英文総統は、本省人だからなのでしょうか、今年は大々的な「軍事パレード」はなかったようです。台湾では9月3日が、軍人節です。政府が同日を休日として対日勝利を祝ったことが起源です。1946年に抗日戦争勝利記念日に定められた後、1955年に現在の軍人節に改称されています。

ちなみに、本省人とは戦前から台湾に移住して住んでいる人達の事です。本省人には2種類あり、福建系(ほとんど)と客家系(少数)にわかれます。本省人(福建)は台湾語を話し、本省人(客家)は客家語を話します。

台湾は日本などとは異なり、多民族国家です。本省人の他に、外省人とは戦後に中国大陸からやってきて台湾に移住した人達のことです。

当時中国大陸で国民党と共産党の内戦があり、国民党は負けたので台湾に逃れました。元々は大陸に戻るつもりでしたが、大陸の中国共産党政府が強大になったため、その機会はなくなり、今でもその子孫も含めて台湾に残っています。彼らは、中国語を話し、台湾語は話せません。本省人と外省人の他に、元々台湾に住んでいた現地人もいます。

毛沢東の紅軍、後に人民解放軍と改名
台湾といえばネット等では「親日的」とされるのが常ですが、すべての人がそうではなく、特に外省人などは大陸中国に近い反日的な人間も多いです。また、本省人や現地人の中には、親日的な人も多いようですが、心からそう思っている訳ではなく一種の処世術でそうしている人も多いようです。しかし、そうはいっても、ある一定数の親日的な人々は確実に存在します。また、日本に無関心な人も多いです。これは、否定できません。

現在の台湾は国連に加盟しておらず国家として承認しているのはごく少数に留まっています。戦後すぐに急速な経済成長を遂げた台湾に対して、中国は大躍進・文化大革命の相次ぐ失敗で荒廃しいました。

そのため、中国人が海峡を渡って台湾に亡命する事も多かったものです。ところが、80年代にニクソン訪中をきっかけに急速な経済成長が始まり、あっという間に台湾を抜き去りました。とはいっても、それは全体のGDPだけの話ではあります。

日本、台湾、中国の一人あたりGDPは以下のような状況です。(単位:USドル)
日本   32,485.55 
台湾   22,287.56 
中国    7,989.72
それにしても、国全体では大陸中国は、台湾を圧倒するようになりました。それまで日本に好意的では無かった台湾が急に「親日的」になったのは、この頃からであり、苦境を乗り切るための国家戦略とも取れます。これは、大陸中国の脅威もありやむを得ないことであったかもしれません。

80年代以前の台湾は韓国や大陸中国と同じく、従軍慰安婦や日本の侵略を非難していました。ただし、その当時の反日活動は、今日の韓国や大陸中国のように、執拗で質の悪いものではありませんでしたが、当時は大陸中国も、韓国も、台湾も反日的であったのは事実です。

台湾には大きく分けて台湾独立を志向する政党と、中国による台湾統一を志向する政党、台湾による中国統一を志向する政党が存在します。

国民の考えもほぼこの3通りに集約されています。

1945年から1989年まで台湾を乗っ取っていた軍事独裁政権は台湾による中国統一を目指していましたが、最早これは非現実的です。

1989年から台湾では野党の存在が認められ、政権交代が起きるようになりました。独裁政権から民主的な制度に移行し、政治が混乱しました。同じようなことは、フィリピン、韓国でも発生しました。

台湾では、国民党の単独政権が終わってから、ネコの目のように政権がクルクル変わり、その度に極度に混乱しました。これは、皆さんがご存知の、日本における民主党の整形交代以上のものでした。

1990年代を通じて国民党の力は衰えていき、2000年の総統選挙では民進党の陳水扁が当選し、一党支配が終わりました。

民進党は台湾独立を掲げる左派政党で人気が高かったのですが、政権掌握後の政治腐敗から2008年総統選挙で負け在野しました。

代わって返り咲いたのが「中国との統一」を掲げる国民党でしたが、「中国に統一される事」を志向していました。今年は政権交代があって、5月20日に蔡英文主席率いる民進党政権が発足したのです。

蔡英文総統
台湾による中国統一、あるいは台湾独立派が政権に就いている間、日本との関係を重視する姿勢が見られました。

中国と台湾は人口比で約60倍もあり、経済力は20倍なのでアメリカの後ろ盾と、日本の支援が絶対必要である。

だが台湾が中国に統一され「祖国復帰」を果たすなら、中国と敵対する日本は敵であり、アメリカも敵ということになります。

統一を志向する国民党の政権の時代は、このように微妙で不安定な立場にあり、常に言動が揺れ動いていました。

例えば台湾は、対立している筈の中国が創設した「アジアインフラ投資銀行」(AIIB)に真っ先に参加を表明して断られていました。

なお台湾は日本が創設した「アジア開発銀行」(ADB)には1966年の発足時から加盟しています。

民進党の前の国民党政権の馬英九総統は中国の習近平政権に近い立場を取っており、結びつきを深めようとしていました。

中国は過去には日中戦争や日華事変で台湾軍(中華民国軍)が果たした役割りを絶対に認めませんでしたが、馬英九政権のときには「中国軍の一部として」認めるようになっていました。これは、先に述べたように、歴史の修正であり、全くの詭弁なのですが、台湾が果たした抗日戦争を評価したのです。

しかし、台湾は中国への対抗意識からこの論法を受け入れず、日本軍と第二次大戦で戦ったのは台湾軍であると鼓舞していました。

昨年の軍事パレードには戦闘機に日本軍機を撃墜した事を示す、撃墜マークを描いた機体を並べて対日戦勝パレードを開催しました。

そうして、日本と台湾には決して親密になれない理由があります。それは現在も大陸中国と台湾が「30万人(100万人とも言っている)の南京市民が犠牲になった」と主張する南京事件があるからです。

『南京事件』は当時の新聞に、国民党軍(現在の台湾軍)が南京を去るとき8万人の市民を犠牲にした、と記載しています。南京虐殺の真実は、南京では通常の戦闘ではなく、異常な戦闘が行われたということです。

なぜ、異常な戦闘になったかといえば、国民党政府軍軍事委員長・蒋介石が戦いの途中で麾下の数万の兵士を置き去りにして高級将校とともに南京から逃げたからです。この時蒋は督戦隊を残して逃亡しています。

督戦隊とは、逃げる兵士を撃ち殺す部隊のことです。そのため、南京市内の国民党軍兵士は逃げるに逃げられなかったのです。

1937年(昭和12年)12月13日に日本軍は南京城に入城しました。当時毛沢東の共産党軍は南京にはおらず、大陸中国の奥地を逃げまわっていました。日本軍は開城を勧告したが応じなかったというか、司令官も存在せず督戦隊が存在したので、国民党軍兵士は降伏することができませんせんでしたので攻城戦となりました。

そうして、日本軍に包囲され、指揮官を失い、逃げ道を失った彼らは、投降するより軍服を脱ぎ捨てて便衣を着て民間人になりすましたのです。南京入した日本軍は、脱ぎ捨てられたおびたたしい数の国民党軍の軍服を発見しました。

日本軍は当惑しました。南京市内には一般市民がいる。彼らと便衣を着て、一般市民になりすましている便衣兵とを見分けるのは難しいです。

結局当時の中支那方面軍司令官の松井石根大将は、便衣兵の掃蕩作戦を行わざるを得ませんでした。そうして、掃蕩した便衣兵の中には、一般中国人が含まれていた可能性は否定できません。ただし、この人数が20万人〜30万人というのは、虚構にすぎません。

日本軍の南京入場
松井石根大将は、この事件のため戦後に極東軍事裁判において死刑になっています。しかし、この事件の大元の責任者である、蒋介石と高級将校たちには、いっさい何の罪にも問われていません。

南京に蒋介石が残っていたら、あるい蒋介石ではなくとも、高級将校が一人でも残っていて、日本軍に降伏していたら、あるいは南京の国民党軍がはやめに全員が南京から逃れていたら事態は混乱せず、日本軍が便衣兵を処刑する必要もなかったはずです。

この所業は、どこの国においても、とんでもない敵前逃亡です。国民党としては、この事実を隠蔽したかったのでしょう。すべての責任を日本軍押し付け「日本軍による市民大量虐殺」という虚構を作り出し、今に至っています。

これが南京事件です、後に台湾に逃げ込んだ蒋介石や国民党軍の幹部としては、南京の敵前逃亡を台湾の国民に知られてしまえば、それこそ統治の正当性が疑われしまいます。たでから、自分たちの卑怯な敵前逃亡を有耶無耶にするため、南京大虐殺という虚妄を作り出し、自分たちの所業を隠蔽したのです。

現在の外省人で、特に国民党関係者や国民党だった人々を先祖に持つ人達は、このような事実を明るみだされるのは、自分たちにとって都合が悪いのでしょう。結局、大陸中国と同じく「南京大虐殺」という虚妄を虚妄とは認めません。

そして現在まで台湾、中国ともに「日本軍が南京事件を起こした最高責任者」という歴史の修正を改めようとはしていません。日本が台湾を国家として正式に認めない本当の理由は、おそらくこの辺にあると思います。

重ねて言いますが、台湾に親日派の人が大勢いることは事実です。しかし、そうではない人も大勢いるというのも事実です。

さて、先に述べたように、台湾では今年は政権交代があって、5月20日に蔡英文総統率いる民進党政権が発足しました。

しかしながら、この政権も、尖閣は台湾領であるとする主張は変えていません。それに、南京虐殺に関しても、その主張は今でも大陸中国と変わりません。

ブログ冒頭の記事と同じく、台湾には、尖閣の領有と南京虐殺に関しては、日本と「利益が相反」する層が少なからず存在するのは間違いありません。それも、一般国民だけではなく、国会議員、司法関係、その他枢要な地位にある人々の中にも存在するのです。

このような国である、台湾籍を持った蓮舫氏が日本の野党第一党である、民進党の代表になったのです。

これは、本当に信じがたい出来事です。利益相反する外国籍を持っていることがはっきりわかっているのに何の対処もせず蓮舫氏を代表に選んでしまった民進党。危機管理能力ゼロの謗りは免れません。

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