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2015年3月11日水曜日

日本と過去:消化されていない歴史―【私の論評】多くの日本人が、虚心坦懐に過去を評価しないから金融政策でも、震災復興でも、歴史問題でも間違いがいつまでも続くのだと心得よ(゚д゚)!


2015.03.11(水) The Economist

(英エコノミスト誌 2015年3月7日号)

昭和天皇が被災地視察 東京大空襲の深川 写真はブログ管理人挿入 以下同じ
 1945(昭和20)年3月18日、昭和天皇が東京大空襲で焼け野原となった深川地域の富岡八幡宮境内などを視察した。10日未明、米爆撃機B29約300機による2時間半にわたる焼夷弾の投下で、江東、墨田、台東の下町地区を中心に約27万戸が焼失し、10万人以上が死亡したとされる。(写真ならびにこの説明文はブログ管理人挿入)
被害者としても侵略者としても、日本はなかなか過去と向き合えずにいる。

東京で眠っていた多くの人は、米国のB29爆撃機の轟音を聞いていなかった。下町に住む早乙女勝元さんが父親に体を揺すって起こされた時には、自宅周辺が炎に包まれていた。

東京大空襲による犠牲者 以下同じ

運河は逃げ場にならなかった。ゼリー状になった爆弾のパラフィンが水を炎に変えていたからだ。一度パラフィンがくっつくと、体が「骨まで」燃え続けたと早乙女さんは言う。

東京大空襲の惨禍


現在83歳の早乙女さんは、1945年の東京大空襲の記念日を迎えようとしていた。3月9日から10日にかけて、一晩で約10万人が亡くなった。多くの男性が(破滅的な方向に向かっていた)戦争で東京を離れていたため、犠牲者の大部分は女性と子供、老人だった。

その夜の犠牲者の数は、1945年8月6日の広島の原爆投下による犠牲者よりはいくぶん少なかったが、その3日後に長崎に落とされた原爆による犠牲者より多かった。

焼夷弾を用いた空襲を受けたのは、東京だけではなかった。1944年11月から1945年8月にかけて、70近い都市が瓦礫と化し、民間人を中心に恐らく30万人が死亡した。一連の空襲は欧州で行われたどんな軍事行動よりもはるかに破壊的なものだった(下表参照)。



横網町公園の一角にある記念館が、数千人の死者の灰が入り混じった納骨堂の隣で犠牲者の証人になっているが、死者を文書に記録する公式な試みは2009年に始まったばかりで、まだ不完全だ(横網町公園は、1923年の関東大震災の犠牲者も追悼している)。

1945年の東京大空襲を題材にした小説を書いたブレット・フィスク氏は、戦争の後、東京には犠牲者を適切に悼む感情的、財政的な余力がなかったと言う。日本には、冷戦下の新たな同盟国になった米国と事を構える意欲もなかった。1990年代には、博物館新設計画が頓挫した。保守派は、戦争犯罪の描写を含むプロジェクトは愛国心に欠け、「自虐的」だと言った。


民間人の苦しみを認めるのが難しいとすれば、日本のナショナリストたちが日本帝国陸軍によってアジアの至るところで行われた残虐行為を受け入れるのはもっと難しい。

注目の戦後70年談話

今では、現職の首相が8月15日の終戦記念日の10年ごとの節目に、戦争に関する談話を発表するのが慣例になっている。1995年には、社会党の村山富市首相が最も踏み込んだ発言をし、日本の「植民地支配と侵略」に対する「痛切な反省」を表明した。戦後ほぼ一貫して日本を支配した自民党の出身で、ナショナリストの小泉純一郎氏は2005年に、村山談話の主要な言い回しをほぼ一字一句繰り返した。
安倍総理 戦後70年談話で何を語るのか注目されている

現首相の安倍晋三氏が70周年記念に際して何を言うかが、目下、多くの憶測を呼ぶ話題になっている。

安倍氏は、村山談話を「全体として」踏襲すると述べている。だが、最近の兆候は、日本と先の戦争に関する極めて重要な表現が変更される可能性があることを示唆している。

安倍氏は間違いなく、平和と繁栄を促進してきた戦後日本の模範的な実績と、それが今後どのように続くかを強調したいと思っている。だが、自民党のあるベテラン議員が先月要請したように、首相が日本の明るい未来を強調する最も確実な方法は、逃げずに、過去に関するこれまでの談話を引き継ぐことだ。

【私の論評】多くの日本人が、虚心坦懐に過去を評価しないから金融政策でも、震災復興でも、歴史問題でも間違いがいつまでも続くのだと心得よ(゚д゚)!

まさしく、日本は逃げずに過去の歴史をしっかりと見直すべきです。

さて、上のエコノミストの記事は、全くイギリスの歴史観からしかものを語っていません。日本の歴史観からすれば、大東亜戦争は、まったく別次元の出来事となります。

下の地図をご覧になって下さい。これは大東亜戦争始まる少し前のアジアの地図です。この地図でみると独立国は、何と日本と、タイ国だけです。この状況からすれば、日本もうかうかしていれば、欧米列挙に飲み込まれるおそれが十分にありました。

大東亜戦争以前(80年前)のアジアの実像ー
ブログの冒頭の記事を掲載したイギリスは、アジアで最大の植民地を運営していたではありませんか。それも、当時の日本の朝鮮や、台湾などの統治と異なり、徹底的に搾取の対象とした植民地経営をしていたではありませんか。ロシアも、フランスも、オランダそうしてアメリカもアジアに広大な植民地を持っていたではありませんか。

これらの国々の植民地支配は苛烈なものでした。日本のように、朝鮮や、台湾に優秀な人材を派遣して、総督府を設立して、学校・病院・郵便制度その他文明化をするなどとは程遠い、全く搾取の対象でした。

日本は、特に当時のロシアの南下に脅威を抱いていたので、まずは日露戦争でロシアを屈服させましたが、その後のロシアの脅威は続き、朝鮮王朝の希望もあったので、朝鮮を併合し、その後満州国を傀儡として独立させ、ロシア南下を阻止することにしました。

とにかくこの時代では、アジアに西欧の列強が次々の侵攻してくるものですから、日本としては、自己防衛のためにこのようなことをせざるを得ませんでした。

これについては、マッカーサーがアメリカに帰国した、マッカーサーが、日本の戦争は防衛戦争だったとして、公聴会で証言しています。

さて、大東亜戦争が終了したときには、日本が満州に傀儡国家である満州国を樹立していました。しかしながら、ここはもともと少数民族の地域であり、国家として成立していてもおかしくはない地域でした。

そうこうするうちに、日本は、ABCD包囲網(米英中蘭)を構築され、ハル・ノートをつきつけられため、日本としては、石油などの資源を求めて、南方に進出せざるを得ない状況に追い込まれました。そうして、日本は南方に侵攻し、アメリカとも戦うことになりました。

そうして、今日大東亜戦争は無謀な戦争だったといわれていますが、これこそ、米国のGHQに植え付けられた全く誤った考えであり、大東亜戦争は十分に勝つ見込みのある戦争でした。それに、欧米列強の植民地政策にあえいでいた植民地の人民の多くは、日本の侵攻をアジアの開放として歓迎しました。

これについては以前このブログにも掲載したことがあるので、その記事のURLを以下に掲載します。

これだけではなく、現在ですと、倉山満氏氏の以下の、書籍をご覧いただけると良くご理解いただけるものと思います。

現状の北朝鮮、韓国、中国などの日本侵略説など、全く後世のつくり話です。しかも、北朝鮮、韓国、中国と日本とは一度も戦争したこともありません。なぜなら、北朝鮮・韓国は、当時日本領であり、当時中国を支配していて、日本と交戦したのは、中華民国であり、現在の中華人未共和国ではないからです。

大東亜戦争終了直後の中国の版図は以下のようなものでした。中華人民共和国設立直後の中国の版図は以下の赤い部分のみでした。そこから、中国は侵略を開始し、満州国、東トルキスタン国、チベット国に対して侵略を開始し、現在の中国の版図にまで拡張しました。



そうして、中国の侵略を除くと、他の多くの国々は、元々あった自国の版図を取り戻しています。それが、以下地図に示したの今日のアジアです。

終戦から70年、現在のアジアの地図

さて、上記が日本側から見た、大東亜戦争のあらましです。このようなことは、世界中の人々が周知していることです。このように歴史を振り返ってみると、英国のエコノミスト紙の記事がいかに偏ったものであるか理解できます。

しかし、そうはいっても、確かに日本人も多くの人びとが、様々な理由からなかなか過去の歴史に向き合うことができていません。

特に、終戦後アメリカのGHQが日本を占領して以来、上で述べたような明らかな日本側からみた、アジアの歴史がないがしろにされ、修正されてきました。

歴史修正の一つとして、バターンの死の行進なるものがあります。大東亜戦争中、フィリピンで、日本軍の捕虜になった7万人のアメリカ兵が、「バターン死の行進」で、大勢死んだことになっています。

ところが、ジャーナリストの笹幸恵(ささゆきえ、もちろん、女性)が、実際に同じ道を同じ季節に歩いたところ、簡単に歩けてしまったそうですそうです。良く考えてみると、わずか80キロです。800kmではありません。

笹幸恵さん
多くの皆さんは、「フィリピンは、さぞ暑いだろう」と思うかもしれませんが、実は東南アジアは、日本の夏より、ずっと、涼しいのです。日本は、湿度がかなり高くて、東南アジアより、体感温度は、ずっと暑いのです。

”日本歩け歩け協会”(私も、一時期、会員でした)の会員は、毎月のように、日本や外国のどこかで、ウォーキングの大会をやっています。

1日~4日くらい(大会によって違う)の期間でやりますが、1日に歩く距離は、20キロ~50キロです。
80キロなら、わずか2日で歩けます。

ねつぞうされたバターン死の行軍

「健脚だからできるんだろう」と言われそうですが、歩いていたら、健脚になるんであって、はじめから、健脚の人はいません。

しかも、この”歩け歩け協会”の会員の方々は、「寝たきりになりたくない!」とがんばっている高齢者(年金生活者)の方が多いです。

平均年齢は、65歳を超えていて、80歳を超えている人もいます。

「日本の高齢者が歩けるのに、アメリカの若者が歩けない」なんてことは、ありえません。「バターン死の行進」は、日本軍を貶(おとし)めるための、でっちあげとしか思えません。

これ以外にも、とんでもない歴史の修正が多数なされています。これは、西欧諸国によるものだけではなく、何と、韓国、北朝鮮、中国などこの時代には歴史に刻まれてもいないような国々の捏造も多数あります。

慰安婦募集のチラシ

韓国は、日本軍は、従軍慰安婦20万を強制的に徴用して死に至らしめたなどというとんでもない歴史修正を行いました。上の写真は、当時の朝鮮での慰安婦募集のチラシです。従軍慰安婦は、強制連行・日本兵による強姦というのは全くの嘘であり、従軍慰安婦は捏造された歴史である何よりの証拠です。

この当時の巡査の初任給が45円だった時代、月収300円というのは現在の価値に換算すると月収133万円以上の高給であり、軍の高級将校の給与に匹敵します。慰安婦の募集内容からして、誰が読んでも 「売春の仕事だ」と分かります。

それに20万ものおびただしい女性が、強制連行されたというのであれば、東京大空襲の犠牲者よりも多いわけですから、各地に写真やその他の証拠がいくつもみつかるはずです。にもかかわらず、韓国が出す証拠は嘘偽りだらけのものばかりです。

中国は、中国で南京虐殺20万などと途方もないことを言い出し、こちらも、当然のことながら史実ではないので、まともなし証拠などあげられた試しはありません。彼らの証拠は、まるで玉ねぎの皮のようなものであり、まともに受けて、真剣に玉ねぎの皮をむくように、むいていくと最後には、何もなくなってしまうような代物ばかりです。

今の世界は、このような偽りの日本の歴史が世界中に満ち満ちています。

日本軍による南京虐殺の証拠写真だといわれた写真 後に捏造であることがはっきりした
このような様々な虚偽の歴史が喧伝され、蔓延していたので、多くの日本人は、過去の出来事、特に大東亜戦争前後の歴史に関して、まるで腫れ物に触るように、避けてきたという面は否めません。

まさに、こういう点では、日本人は過去の歴史に真剣に真正面から取り組んでこなかったという指摘は、正しいです。

そうして、この期間の歴史をあまり振り返らないということが、その後の日本に多くの災いをもたらしました。

それは、今日2つの大きな問題を日本にもたらしています。

まずは、20年にも及ぶ長い、デフレの放置です。いわゆる世界恐慌の原因は今日はっきりしており、それはデフレでした。日本も、大東亜戦争の直前には、深刻なデフレに見舞われて、とんでもない状況に陥っていました。ちなみに、日本のこのデフレを日本では、昭和恐慌と呼んでいました。

しかし、これは当時の大蔵大臣に高橋是清により、今でいうところの、金融緩和策と積極財政により、立ち直ることができました。そうして、これによって日本は世界で最もはやく、世界恐慌から脱却することができました。

こうした輝かしい歴史も、日本人が歴史を真摯に振り返らないという姿勢があったせいか、政治家や、官僚、マスコミでさえも、振り返ることもなく、最近の日本のデフレは、放置され、結果として20年もデフレというとんでもない結果を招いてしまいました。

これなど、高橋是清のデフレ政策を虚心坦懐に振り返っていれば、こんなに長期にわたって、デフレ・円高政策が執拗に繰り返されるというような愚の骨頂のようなことは防げたはずてす。

そうして、もう一つの馬鹿げた珍事もありました。それは、東日本大震災の復興に際して、復興税なるとんでもない代物が出来上がったことです。

これなど、過去の関東大震災の歴史や、戦後の復興などの歴史を振り返っていれば、こんな馬鹿真似はしなかったはずです。復興に増税とは、まったく開いた口がふさがりませんでした。

これについては、高橋洋一は、震災復興当時の記事を以下のようにツイートしています。
古今東西、大規模な自然災害などや戦災の復興に関して、増税するなどという馬鹿真似をした国はありません。あったとしたら、東日本大震災時の復興にあった当時の民主党政権の日本しかありません。これは、事実です。疑問に思われた方は、史実をお調べ下さい。

この馬鹿さ加減については、経済学者の田中秀臣氏も以下のようにツイートで痛罵しています。
とにかく、復興を増税で賄おうなどという発想は、ほとんどあり得ません。東日本大震災のような大災害の復興途上では、日本国全体の経済が悪化しているのが当然ですから、そこで増税などという発想には普通なりません。

しかも、当時の日本はデフレの真っ最中ですから、さらに始末におえません。増税してしまえば、デフレ・スパイラルのどん底に再度突入するのははっきりしていましたし、それに復興のためただでさえ円の需要が増えるにもかかわらず、金融緩和もしないという有り様では、超円高になるのは当たり前のど真ん中でした。

しかし、当時の政権はもとより、その当時は野党であった自民党までが、復興税に賛成して、とんでもない、歴史上の最大の汚点でもある、復興財源としてての増税をしてしまいました。本当にとんでもないです。

もし、この頃にまともな人間が政府内にいて、復興と金融緩和、復興債を大量刷るような政策をとっていたら、日本はかなりはなくデフレから脱却することができました。

以上みてきたように、確かにエコノミスト紙がいうのとは全く別の次元で、日本人はもっと過去の歴史、特に近現代史を真摯に見直すべきです。

なぜなら、欧米諸国に対して、正しい歴史認識をさせ今後の世界で無用な対立を避けるためにも、日本自身のためにも、過去を虚心坦懐に振り返る必要があるからです。

まさに、多くの日本人が、虚心坦懐に過去を評価しないから金融政策でも、震災復興でも、歴史問題でもま間違いがいつまでも続くのです。私達日本人は、過去に遡れば素晴らしい歴史があるわけですから、それを正しく評価して、新たなことに立ち向かえば、たいてのことは正しく判断できるはずです。

私は、そう思います。皆さんは、どう思わますか?

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