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2018年1月13日土曜日

池坊保子氏「モンゴル人は狩猟民族のDNA」発言の見識―【私の論評】相撲界こそ真のマネジメントを学びそれを運用すべき(゚д゚)!

池坊保子氏「モンゴル人は狩猟民族のDNA」発言の見識

池坊保子 日本相撲協会・評議員会議長
「(モンゴル人は)狩猟民族だからね。勝ってもダメ押ししないと殺されちゃう。良い悪いは別にして、DNAかもしれないわ」

『週刊文春』1月18日号

年始からの名言、珍言、問題発言を振り返る。年をまたいでも一向に収束する気配がない大相撲に関する騒動。そんな中、日本相撲協会の中でも強い権限を持ち、貴乃花親方を批判し続けてきた池坊保子氏が問題発言をぶっ放した。
日本相撲協会の臨時評議員会後、記者会見する池坊保子議長
池坊氏は『週刊文春』の取材で、張り手やかち上げなどを繰り返す横綱白鵬の取り口を「(ルールが)ある以上は『張り手した』と、ガーガー(批判を)言わないで。理事会で取り上げてほしい」と擁護。その上で、「(モンゴル人は)狩猟民族だからね。勝ってもダメ押ししないと殺されちゃう。良い悪いは別にして、DNAかもしれないわ」と語った。

池坊氏の発言に対して、評論家の荻上チキ氏は「どの地域にもいろんな農耕のスタイルがあり、いろんな放牧のスタイルもあり、いろんな狩猟のスタイルなどなどもあるわけですね。なのになぜ、日本人は狩猟ではなく農耕民族で、たとえば○○は狩猟で……みたいな分け方をした上で、だからこういう風な行動になるんだ、みたいな一括りにする議論がいまだに生存しているのかがわからない」と強く批判(TBSラジオ『荻上チキ・Session-22』1月10日)。さらに「『民族』と『DNA』ってどんな関係があるんだ?」「早くそういった文明論は滅びてほしいなと思っている」とも語った。

理事解任の処分を受けた貴乃花親方
 なお、池坊氏は第一次安倍政権下で相撲協会の監督官庁でもある文科省の副大臣を務めていた。こんなに見解の浅い人が日本の教育をつかさどる省庁の要職を務めていたとは信じられない。

【私の論評】相撲界こそ真のマネジメントを学びそれを運用すべき(゚д゚)!

(モンゴル人は)狩猟民族という発言には、本当に驚きました。モンゴル人というと、私はが一番先に思い浮かべるのは、遊牧であり、遊牧をなりわいとしてきた多くのモンゴル人は遊牧民族というのならわかりますが、どう考えても狩猟民族ではないと思います。これは、はっきりとした間違いです。

その珍妙な知識から、「勝ってもダメ押ししないと殺されちゃう。良い悪いは別にして、DNAかもしれない」として、「張り手」を擁護するというのもどうもわかりません。

これじゃ血液型性格診断などと何も変わりないではありませんか。むしろ、「張り手」を禁止するとか、あるいはその逆に「張り手」を解禁にするなどのことでもしたほうがまだましです。

そもそも、モンゴル人に対する理解が最初から間違っています。以下の動画をご覧いただくと、モンゴル人のことがある程度理解できます。



この動画で、宮脇淳子先生は、「遊牧民であるモンゴル人は、人と同じことをしない。人と同じことをしていては、餌である草原がなくなった場所にしか行くことしかできなくなる。人が来ていないところにの良い所に行くには、人と同じことをしていてはできない」と述べています。日本のモンゴル専門家がそういうのですから、やはりモンゴル人は狩猟民族とはいえないと思います。

元々は遊牧民でったモンゴル人の住居「ゲル」
なお、モンゴルについて詳細を知りたいかたは、是非宮脇先生の著書をご覧になってください。以下のサイトも参考になります。


相撲界については、以前もこのブログに掲載しました。その記事のリンクを以下に掲載します。
貴乃花親方を公開説教、笑う白鵬と緊張感ない力士たち 暴力問題の再発防止研修のはずが…―【私の論評】まともな「組織の精神」を根付けなければ抜本的解決にはならない(゚д゚)!
日馬富士
詳細は、この記事をご覧いただくものとして、この記事では、相撲界は組織としてみた場合、健全な「組織の精神」を保っているとはいえないようであることを掲載しました。相撲界全体、そうして理事会、評議員会も組織です。いかなる組織もマネジメントの原則を適用することができます。

詳細は、この記事をご覧いただくものとして、「組織の精神」について一部この記事から引用します。

"
組織は以下の4点を満たさなければ健全な精神を持っているとは言えません。
①組織の焦点は成果に合わせなければならない 
②組織の焦点は機会に合わせなければならない
人事に関わる意思決定は組織の信条と価値観に沿って行わなければならない
④真摯さこそが唯一絶対の条件である
これだけだと、何のことかわからないと思いますので、以下に簡単に説明します。

組織の目的は、凡人をして非凡なことを行わせることにある。天才に頼ることはできない。天才はまれである。あてにできない。凡人から強みを引き出し、他の者の助けとすることができるか否かが、組織の良否を決定する。同時に、組織の役目は人の弱みを無意味にすることである。要するに、組織の良否は、そこに成果中心の精神があるかどうかによって決まる。(『マネジメント──基本と原則[エッセンシャル版]』)
人間は多様です。しかも、でこぼこした存在です。あることを得意とし、あることは不得意とします。得意なことを伸ばすのは簡単ですが、不得意なことを直すのは至難です。そこで不得意なことを意味のないものとし、得意なものを引き出して組み合わせることが必要になります。
ところが、組織の中に、何事も成果を中心に考え、行動するという成果中心の精神が根付いているならば、人びとの得意なことだけを組み合わせるという手品が、いとも簡単に行えます。
成果中心の精神を持つための方法は簡単です。第1に、あらゆることの焦点を成果に合わせることです。第2に、あらゆることの焦点を機会に合わせることです。第3に、人事は真摯さを絶対の条件として行うことです。
ドラッカーは、実例をもって教えています。かつての帳簿係が組織の成長に伴い、50歳で経理担当役員になったものの、仕事をこなせなくなりました。人は変わらないのに、仕事が変わったのです。だが、彼はずっと真摯に働いてきました。
ドラッカー氏は、そのような真摯さに対しては、真摯さをもって報いなければならないといいます。ただし、彼を担当役員のままにしておいてはならないのです。仕事上差し支えがあるだけではありません。士気を低下させ、マネジメントへの不信をもたらすことになります。
しかし、退職させるのも間違いです。正義と礼節にもとることになります。
成果中心の精神を高く維持するには、配置、昇給、昇進、降級、解雇など人事に関わる意思決定こそ、最大の管理手段であることを認識する必要がある。それらの決定は、人間行動に対して数字や報告よりもはるかに影響を与える。組織の中の人間に対して、マネジメントが本当に欲し、重視し、報いようとしているものが何であるかを知らせる。(『マネジメント[エッセンシャル版]』)
「組織の精神」について、詳細を知りたいかたは、当該記事をご覧いただくか、これは元々ドラッカーのマネジメントの原則ですので、ドラッカーの書籍を御覧ください。

「組織の精神」など、マネジメントの原則を知りそれをまともに運用できなければ、組織は腐ります。ドラッカー流のマネジメントは、非常に優れていると思うのですが、まだ経験の浅い若手の企業人などに、ドラッカーの書籍を読ませて、意見などを聴くと、字面は追いかけてわかったようなつもりになっているようですが、その実ほとんど理解しない人も結構います。

また、企業の経営者の中には、ドラッカーの書籍など一度読んだこともないのに、おどろくほどドラッカー的な考え方をして、経験的にマネジメントの原則を身につけている人もいます。

上記のような錯誤を公然と口にしたり、昨年の研修会の発言などから、おそらく池坊氏はマネジメントなどとは程遠い人物であるように思います。

ドラッカー氏は、マネジメントには3つの役割と2つの次元があるとしています。

3つの役割とは、以下のようなものです。
(1)組織は、組織に特有の使命、すなわちそれぞれの目的を果たすために存在する。 
(2)仕事を通じて働く人を生かす。組織こそ自己実現を図る手段である。 
(3)自らの組織が社会に与える影響を処理するとともに、社会の問題の解決に貢献する。
2つの次元とは以下のようなものです。
(1)時間の要素が介在する。存続と健全さを犠牲にして、目先の利益を手にすることに価値はない。しかし未来は現在からしか到達できないので、基礎をしっかりさせなければならない。 
(2)マネジメントは管理する。成果の小さな、縮小しつつある分野から、成果の大きな、増大する分野に資源を向けなければならない。そのために昨日を捨て、明日を創造しなければならない。
しかし、ドラッカー氏は、マネジメントは絶対かつ無条件のものではなく、果たすべき役割によって決定されるべきだとしています。

ドラッカーのマネジメントの定義は、「目的を果たす」、「人を生かす」、「社会貢献」、「未来を見据える」、「昨日を捨て、明日を創造する」、しかも「果たすべき役割」で変化するという柔軟性を主張する内容であり、まさに「戦略的」で、「人を生かし」、「能動的」に「変革」し、変化にも柔軟に対応するという包括的な意味を持っているのです。

いわゆる、多くの人が誤解している「マネジメント=管理」あるいはせいぜい「PDCAサイクル」ではないことが、良くご理解いただけるものと思います。

これを良く知れば、池坊氏はドラッカー氏の説くところの真の意味のマネジメントについてあまりにも無知なのでしょう。そもそも、人の強みを活かすことの重要性などあまり認識していないかもしれません。管理することだけが、マネジメントであると思い込んでいる節があります。

これは、評議会や理事会も多くの人がそうなのでしょう。彼らは、ドラッカーのマネジメントの定義を肝に銘じて、日頃実行している己のマネジメントを大いに恥じ、反省して、真のマネジメントを実行するよう努力しなければならないでしょう。何よりも自分たちは、マネジメントをする主体であることを理解すべきです。

そのためには、まず自らを厳しく反省し、マネジメントの真に意味するところを厳しく学ぶべきなのです。

では、どのようにして学ぶか。トップはマネジメントの真の意味を、あらゆる機会を通じて理事や親方に知らしめ、学ばさなければならないのです。そうして、池坊氏は本来その役割を果たすべきなのです。

そうして、これには手法が重要です。馬を水場に引いてきても、水を欲さない馬は水を飲まないです。馬に水を飲ませるには、運動をさせたり、炎天下に放置したりして喉を乾かすようにすればよいのです。

同じように、理事や親方に水を飲むように諭す必要がありますが、諭しても飲まない場合は喉を乾かせばよいわけです。例えば会議の席上や力士たちの面前で、「マネジメント」に対する無知さ加減を暴き、大恥をかかせるという手もあります。

これはひとつの方法ですが、一旦恥をかけばそれを契機にドラッカーなどの経営書をひもとくとか、一見全く関係ないようにみえる外の組織のマネジメントに関する講義を受講するとか、仲間と勉強会を開いて議論をするとかを始めるきっかけになります。その他に、喉を乾かすようにする方法はいくらでもあります。

日本相撲協会は昨年12月「暴力問題の再発防止について」と題した研修会を、東京・両国国技館で開いていましたが、これは非常にお粗末なものでした。

相撲界の講習などでも、ドラッカーの主張する真のマネジメントを習得するコースを組み込むべきです。それらのきっかけを作るのは、組織のトップに他ならないです。彼ら自身が、まず気づき、厳しく学ばなければならないのです。そこがスタートです。トップがそのことに気づかない場合は、相撲界も悲劇の道を歩まざるを得ないです。

相撲界の評議会や理事会にも、「組織の精神」を健全に保つためにも、真のマネジメントについて学んで、実行すべきことが充用でることを一刻も早くそれに気づいて欲しいものです。

そうして、これは無論相撲界だけではなく、あらゆる組織にあてはまることでもあります。

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