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2018年1月13日土曜日

池坊保子氏「モンゴル人は狩猟民族のDNA」発言の見識―【私の論評】相撲界こそ真のマネジメントを学びそれを運用すべき(゚д゚)!

池坊保子氏「モンゴル人は狩猟民族のDNA」発言の見識

池坊保子 日本相撲協会・評議員会議長
「(モンゴル人は)狩猟民族だからね。勝ってもダメ押ししないと殺されちゃう。良い悪いは別にして、DNAかもしれないわ」

『週刊文春』1月18日号

年始からの名言、珍言、問題発言を振り返る。年をまたいでも一向に収束する気配がない大相撲に関する騒動。そんな中、日本相撲協会の中でも強い権限を持ち、貴乃花親方を批判し続けてきた池坊保子氏が問題発言をぶっ放した。
日本相撲協会の臨時評議員会後、記者会見する池坊保子議長
池坊氏は『週刊文春』の取材で、張り手やかち上げなどを繰り返す横綱白鵬の取り口を「(ルールが)ある以上は『張り手した』と、ガーガー(批判を)言わないで。理事会で取り上げてほしい」と擁護。その上で、「(モンゴル人は)狩猟民族だからね。勝ってもダメ押ししないと殺されちゃう。良い悪いは別にして、DNAかもしれないわ」と語った。

池坊氏の発言に対して、評論家の荻上チキ氏は「どの地域にもいろんな農耕のスタイルがあり、いろんな放牧のスタイルもあり、いろんな狩猟のスタイルなどなどもあるわけですね。なのになぜ、日本人は狩猟ではなく農耕民族で、たとえば○○は狩猟で……みたいな分け方をした上で、だからこういう風な行動になるんだ、みたいな一括りにする議論がいまだに生存しているのかがわからない」と強く批判(TBSラジオ『荻上チキ・Session-22』1月10日)。さらに「『民族』と『DNA』ってどんな関係があるんだ?」「早くそういった文明論は滅びてほしいなと思っている」とも語った。

理事解任の処分を受けた貴乃花親方
 なお、池坊氏は第一次安倍政権下で相撲協会の監督官庁でもある文科省の副大臣を務めていた。こんなに見解の浅い人が日本の教育をつかさどる省庁の要職を務めていたとは信じられない。

【私の論評】相撲界こそ真のマネジメントを学びそれを運用すべき(゚д゚)!

(モンゴル人は)狩猟民族という発言には、本当に驚きました。モンゴル人というと、私はが一番先に思い浮かべるのは、遊牧であり、遊牧をなりわいとしてきた多くのモンゴル人は遊牧民族というのならわかりますが、どう考えても狩猟民族ではないと思います。これは、はっきりとした間違いです。

その珍妙な知識から、「勝ってもダメ押ししないと殺されちゃう。良い悪いは別にして、DNAかもしれない」として、「張り手」を擁護するというのもどうもわかりません。

これじゃ血液型性格診断などと何も変わりないではありませんか。むしろ、「張り手」を禁止するとか、あるいはその逆に「張り手」を解禁にするなどのことでもしたほうがまだましです。

そもそも、モンゴル人に対する理解が最初から間違っています。以下の動画をご覧いただくと、モンゴル人のことがある程度理解できます。



この動画で、宮脇淳子先生は、「遊牧民であるモンゴル人は、人と同じことをしない。人と同じことをしていては、餌である草原がなくなった場所にしか行くことしかできなくなる。人が来ていないところにの良い所に行くには、人と同じことをしていてはできない」と述べています。日本のモンゴル専門家がそういうのですから、やはりモンゴル人は狩猟民族とはいえないと思います。

元々は遊牧民でったモンゴル人の住居「ゲル」
なお、モンゴルについて詳細を知りたいかたは、是非宮脇先生の著書をご覧になってください。以下のサイトも参考になります。


相撲界については、以前もこのブログに掲載しました。その記事のリンクを以下に掲載します。
貴乃花親方を公開説教、笑う白鵬と緊張感ない力士たち 暴力問題の再発防止研修のはずが…―【私の論評】まともな「組織の精神」を根付けなければ抜本的解決にはならない(゚д゚)!
日馬富士
詳細は、この記事をご覧いただくものとして、この記事では、相撲界は組織としてみた場合、健全な「組織の精神」を保っているとはいえないようであることを掲載しました。相撲界全体、そうして理事会、評議員会も組織です。いかなる組織もマネジメントの原則を適用することができます。

詳細は、この記事をご覧いただくものとして、「組織の精神」について一部この記事から引用します。

"
組織は以下の4点を満たさなければ健全な精神を持っているとは言えません。
①組織の焦点は成果に合わせなければならない 
②組織の焦点は機会に合わせなければならない
人事に関わる意思決定は組織の信条と価値観に沿って行わなければならない
④真摯さこそが唯一絶対の条件である
これだけだと、何のことかわからないと思いますので、以下に簡単に説明します。

組織の目的は、凡人をして非凡なことを行わせることにある。天才に頼ることはできない。天才はまれである。あてにできない。凡人から強みを引き出し、他の者の助けとすることができるか否かが、組織の良否を決定する。同時に、組織の役目は人の弱みを無意味にすることである。要するに、組織の良否は、そこに成果中心の精神があるかどうかによって決まる。(『マネジメント──基本と原則[エッセンシャル版]』)
人間は多様です。しかも、でこぼこした存在です。あることを得意とし、あることは不得意とします。得意なことを伸ばすのは簡単ですが、不得意なことを直すのは至難です。そこで不得意なことを意味のないものとし、得意なものを引き出して組み合わせることが必要になります。
ところが、組織の中に、何事も成果を中心に考え、行動するという成果中心の精神が根付いているならば、人びとの得意なことだけを組み合わせるという手品が、いとも簡単に行えます。
成果中心の精神を持つための方法は簡単です。第1に、あらゆることの焦点を成果に合わせることです。第2に、あらゆることの焦点を機会に合わせることです。第3に、人事は真摯さを絶対の条件として行うことです。
ドラッカーは、実例をもって教えています。かつての帳簿係が組織の成長に伴い、50歳で経理担当役員になったものの、仕事をこなせなくなりました。人は変わらないのに、仕事が変わったのです。だが、彼はずっと真摯に働いてきました。
ドラッカー氏は、そのような真摯さに対しては、真摯さをもって報いなければならないといいます。ただし、彼を担当役員のままにしておいてはならないのです。仕事上差し支えがあるだけではありません。士気を低下させ、マネジメントへの不信をもたらすことになります。
しかし、退職させるのも間違いです。正義と礼節にもとることになります。
成果中心の精神を高く維持するには、配置、昇給、昇進、降級、解雇など人事に関わる意思決定こそ、最大の管理手段であることを認識する必要がある。それらの決定は、人間行動に対して数字や報告よりもはるかに影響を与える。組織の中の人間に対して、マネジメントが本当に欲し、重視し、報いようとしているものが何であるかを知らせる。(『マネジメント[エッセンシャル版]』)
「組織の精神」について、詳細を知りたいかたは、当該記事をご覧いただくか、これは元々ドラッカーのマネジメントの原則ですので、ドラッカーの書籍を御覧ください。

「組織の精神」など、マネジメントの原則を知りそれをまともに運用できなければ、組織は腐ります。ドラッカー流のマネジメントは、非常に優れていると思うのですが、まだ経験の浅い若手の企業人などに、ドラッカーの書籍を読ませて、意見などを聴くと、字面は追いかけてわかったようなつもりになっているようですが、その実ほとんど理解しない人も結構います。

また、企業の経営者の中には、ドラッカーの書籍など一度読んだこともないのに、おどろくほどドラッカー的な考え方をして、経験的にマネジメントの原則を身につけている人もいます。

上記のような錯誤を公然と口にしたり、昨年の研修会の発言などから、おそらく池坊氏はマネジメントなどとは程遠い人物であるように思います。

ドラッカー氏は、マネジメントには3つの役割と2つの次元があるとしています。

3つの役割とは、以下のようなものです。
(1)組織は、組織に特有の使命、すなわちそれぞれの目的を果たすために存在する。 
(2)仕事を通じて働く人を生かす。組織こそ自己実現を図る手段である。 
(3)自らの組織が社会に与える影響を処理するとともに、社会の問題の解決に貢献する。
2つの次元とは以下のようなものです。
(1)時間の要素が介在する。存続と健全さを犠牲にして、目先の利益を手にすることに価値はない。しかし未来は現在からしか到達できないので、基礎をしっかりさせなければならない。 
(2)マネジメントは管理する。成果の小さな、縮小しつつある分野から、成果の大きな、増大する分野に資源を向けなければならない。そのために昨日を捨て、明日を創造しなければならない。
しかし、ドラッカー氏は、マネジメントは絶対かつ無条件のものではなく、果たすべき役割によって決定されるべきだとしています。

ドラッカーのマネジメントの定義は、「目的を果たす」、「人を生かす」、「社会貢献」、「未来を見据える」、「昨日を捨て、明日を創造する」、しかも「果たすべき役割」で変化するという柔軟性を主張する内容であり、まさに「戦略的」で、「人を生かし」、「能動的」に「変革」し、変化にも柔軟に対応するという包括的な意味を持っているのです。

いわゆる、多くの人が誤解している「マネジメント=管理」あるいはせいぜい「PDCAサイクル」ではないことが、良くご理解いただけるものと思います。

これを良く知れば、池坊氏はドラッカー氏の説くところの真の意味のマネジメントについてあまりにも無知なのでしょう。そもそも、人の強みを活かすことの重要性などあまり認識していないかもしれません。管理することだけが、マネジメントであると思い込んでいる節があります。

これは、評議会や理事会も多くの人がそうなのでしょう。彼らは、ドラッカーのマネジメントの定義を肝に銘じて、日頃実行している己のマネジメントを大いに恥じ、反省して、真のマネジメントを実行するよう努力しなければならないでしょう。何よりも自分たちは、マネジメントをする主体であることを理解すべきです。

そのためには、まず自らを厳しく反省し、マネジメントの真に意味するところを厳しく学ぶべきなのです。

では、どのようにして学ぶか。トップはマネジメントの真の意味を、あらゆる機会を通じて理事や親方に知らしめ、学ばさなければならないのです。そうして、池坊氏は本来その役割を果たすべきなのです。

そうして、これには手法が重要です。馬を水場に引いてきても、水を欲さない馬は水を飲まないです。馬に水を飲ませるには、運動をさせたり、炎天下に放置したりして喉を乾かすようにすればよいのです。

同じように、理事や親方に水を飲むように諭す必要がありますが、諭しても飲まない場合は喉を乾かせばよいわけです。例えば会議の席上や力士たちの面前で、「マネジメント」に対する無知さ加減を暴き、大恥をかかせるという手もあります。

これはひとつの方法ですが、一旦恥をかけばそれを契機にドラッカーなどの経営書をひもとくとか、一見全く関係ないようにみえる外の組織のマネジメントに関する講義を受講するとか、仲間と勉強会を開いて議論をするとかを始めるきっかけになります。その他に、喉を乾かすようにする方法はいくらでもあります。

日本相撲協会は昨年12月「暴力問題の再発防止について」と題した研修会を、東京・両国国技館で開いていましたが、これは非常にお粗末なものでした。

相撲界の講習などでも、ドラッカーの主張する真のマネジメントを習得するコースを組み込むべきです。それらのきっかけを作るのは、組織のトップに他ならないです。彼ら自身が、まず気づき、厳しく学ばなければならないのです。そこがスタートです。トップがそのことに気づかない場合は、相撲界も悲劇の道を歩まざるを得ないです。

相撲界の評議会や理事会にも、「組織の精神」を健全に保つためにも、真のマネジメントについて学んで、実行すべきことが充用でることを一刻も早くそれに気づいて欲しいものです。

そうして、これは無論相撲界だけではなく、あらゆる組織にあてはまることでもあります。

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2017年9月15日金曜日

山尾氏、男女関係ウソばれた!文春第2砲で「証拠」写真 「1人で宿泊」「政策の打ち合わせ」に反論―【私の論評】組織人は真摯さの欠如と、そのような人物を選ぶマネジメントだけは許さない(゚д゚)!

山尾氏、男女関係ウソばれた!文春第2砲で「証拠」写真 「1人で宿泊」「政策の打ち合わせ」に反論

山尾氏は「ホテルに1人で泊まった」と主張したが…
9歳下の妻子ある弁護士との「禁断愛」が週刊文春に報じられ、民進党を離党した山尾志桜里衆院議員(43)に新たな打撃となるのは確実だ。「ホテルには1人で宿泊」「男女関係はなく、政策立案などの打ち合わせや作業」という釈明に、14日発売の同誌で詳細な反論記事が掲載されたのだ。発言の信憑(しんぴょう)性に疑問が生じる事態で、法曹関係者は「政治家としても資質を問われることになる」と指摘する。

 同誌の先週号では、山尾氏と倉持麟太郎弁護士(34)が9月2日夜、東京都品川区のホテルに時間差で入る様子を写真付きで掲載。お互いに配偶者も子供もいる立場ながら、週に4回密会を重ねていたとも報じられた。

 「保育園落ちた日本死ね」というブログを国会で取り上げて注目され、自民党議員の不倫についても鋭く批判していた山尾氏だけに、「W不倫」を疑われる報道のショックは大きかった。ただ、山尾氏は離党した一方、「ホテルには私1人で宿泊した」と明言、「男女関係はなく、政策立案などの打ち合わせと作業だった」と釈明した。

 報道を否定された形の文春は今週号で第2弾を投じた。品川のホテル36階のエレベーターホールに姿を見せた倉持氏が、ある部屋の前に立ち、《内側から静かにドアが開かれると、倉持氏は中へと静かに足を踏み入れた》として、その瞬間の写真も掲載。そして、《この20分前には山尾志桜里衆院議員がチェックインを済ませ、一足早く入室していた》としたのだ。

9月2日夜山尾氏が宿泊したとされるダブルルーム
 部屋はダブルルームで、スペースの大半をダブルベッドが占め、背もたれのある椅子は一脚しかなく、《とても「政策立案や質問作成などの打ち合わせ」ができるとは思えない》と皮肉たっぷりに記している。そして《2人が翌朝5時までホテルに滞在していたことを確認している》とダメ押しした。

 男女問題に詳しい弁護士の高橋裕樹氏は、「倉持氏は自分のスーツケースを持って山尾氏のもとへ向かっているようだ。部屋を別にとってあるなら一度、荷物を置いてくるはずだ。性行為があったかどうかは当人同士にしか分からないが、部屋は事実上ラブホテルと同じような構造であり、ここで『政策立案』していたという説明はかなり苦しくなった」と指摘する。

 高橋氏は「証拠を小出しにされたことで、山尾氏はほころびをみせた。裁判に限ったことではないが、一度言ったことは簡単には撤回できない。政治家としても資質を問われることになるのではないか」と話している。

 山尾氏は7日の記者会見以降、14日朝の時点で公の場に姿を見せず、ブログやツイッターも更新していない。「説明責任」はどこへ行ったのか。

【私の論評】組織人は真摯さの欠如と、そのような人物を選ぶマネジメントだけは許さない(゚д゚)!

ブログ冒頭の記事で、弁護士の高橋氏は、山尾氏のことを政治家としても資質を問われるのではないかということを主張しています。政治の世界は複雑で、さらには外からはうかがい知れないことも多数あります。しかし、そのようなことに惑わされずに、今回はこの問題をマネジメントの観点から分析してみます。では、政治家としての資質とは一体何なのでしょう。嘘をつかないということでしょうか。


そのような単純なものではないと思います。以下にいわゆる組織人としての資質について以下に経営学の大家である、ドラッカー氏の考えを掲載します。
日頃言っていることを昇格人事に反映させなければ、 優れた組織をつくることはできない。 本気なことを示す決定打は、人事において、 断固、人格的な真摯さを評価することである。 なぜなら、リーダシップが発揮されるのは、 人格においてだからである。(『現代の経営』[上])
ドラッカーによれば、人間のすばらしさは、 強みと弱みを含め、多様性にあります。 同時に、組織のすばらしさは、その多様な人間一人ひとりの強みを フルに発揮させ、弱みを意味のないものにすることにあるといいます。

だから、ドラッカー氏は、弱みは気にしません。 山あれば谷あり。むしろ、まん丸の人間には魅力を感じないようです。 ところが、ひとつだけ気にせざるをえない弱みというものがあるようです。 それが真摯さの欠如です。 真摯さが欠如した者だけは高い地位につけてはならないといいくます。 ドラッカーは、この点に関しては恐ろしく具体的です。
人の強みでなく、弱みに焦点を合わせる者をマネジメントの地位につけてはならない。 人のできることはなにも見ず、できないことはすべて知っているという者は 組織の文化を損なう。 何が正しいかよりも、誰が正しいかに関心を持つ者も昇格させてはならない。 仕事よりも人を問題にすることは堕落である。
真摯さよりも、頭脳を重視する者を昇進させてはならない。そのような者は未熟である。 有能な部下を恐れる者を昇進させてもならない。そのような者は弱い。 
仕事に高い基準を設けない者も昇進させてはならない。 仕事や能力に対する侮りの風潮を招く。 
判断力が不足していても、害をもたらさないことはある。しかし、真摯さに欠けていたのでは、いかに知識があり、 才気があり、仕事ができようとも、組織を腐敗させ、業績を低下させる。 真摯さは習得できない。仕事についたときにもっていなければ、 あとで身につけることはできない。 真摯さはごまかしがきかない。 一緒に働けば、その者が真摯であるかどうかは数週間でわかる。 部下たちは、無能、無知、頼りなさ、無作法など、 ほとんどのことは許す。しかし、真摯さの欠如だけは許さない。 そして、そのような者を選ぶマネジメントを許さない。(『現代の経営』[上])
この"真摯さ"というキーワドに関しては、ドラッカーの書籍を読み始めた頃から疑問に感じていました。

真摯という言葉をヤフーの辞書検索(大辞林)で調べると、「まじめで熱心なこと」と出てきました。よく「皆様のお言葉を真摯に受け止め……」という言い方をしますので、「まじめ」とか「純粋」とか、そういう意味かなと前々から思っていました。 ドラッカーの言う「真摯さ」とは、どういうものなのでしょう。

この真摯さとは英語のどの言葉を訳しているかが気になって、ドラッカーの英語の原書をみてみました。その結果、「integrity」という単語が「真摯さ」と訳されていることが分かりました。 
"They may forgive a person for a great deal: incompetence, ignorance, insecurity, or bad manners. But they will not forgive a lack of integrity in that person.(無知や無能、態度の悪さや頼りなさには、寛大たりうる。だが、真摯さの欠如は許さない)"
integrityをヤフーの辞書(プログレッシブ英和中辞典)で調べると、「正直、誠実、高潔、廉直」という、やはりそうかといった訳が出てきました。英和ではなく、英英辞書(Longman)で調べたところ、以下のような説明が出てきました。
"the quality of being honest and strong about what you believe to be right"(あなたが「正しい」と信じていることに関する正直さと強さの質)
つまり、integrityとは、「正直さ」や「誠実さ」が一貫している、という意味なのではないかと思います。

これだけ重要なintegrityとは何なのでしょうか。ドラッカー氏でさえ「定義が難しい」と自身の書籍で書いています。ただしドラッカー氏は「真摯さの欠如は、定義が難しいということはない」とも書いています。ドラッカーが『現代の経営』で挙げている、integrityが欠如した人の例は以下の通りです。
・人の強みではなく、弱みに焦点を合わせる者
・冷笑家
・「何が正しいか」よりも、「だれが正しいか」に関心をもつ者
・人格よりも頭脳を重視する者
・有能な部下を恐れる者
・自らの仕事に高い基準を定めない者
米国企業の経営方針や社員が持つべき価値観を示した文書を読んでいると、integrityが実に頻繁に出て来ます。ある経営者を“He was known particularly for his integrity”と称したら、これは最高の誉めことばになるようです。

経営手腕があり、しかも清廉潔白な経営トップがいれば素晴らしいことですが、なかなかそうはいかないようです。斬新な戦略を立案して遂行する力は十二分だが、叩くと少々ほこりが出る経営者と、身綺麗で家庭円満だが何も決められない経営者がいたとしたら、上半身を比較し、前者に軍配を上げ、後者に無能の烙印を押すことになります。

結局、「一貫した正直さと誠実さ」とを持って組織に貢献することが「真摯さ」なのだと思います。

この"真摯さ"の欠けている人間は確かに問題です。民進党という組織の中で、そうして、政治家として、この観点から、山尾志桜里氏はどうだったのでしょうか。

私自身は、確かに不倫は良いことではありませんが、それは家庭人や社会人として良くないことであると思います。

はっきりいえば、組織の中の組織人として、あるいは政治家として、不倫をするしないということは、"真摯さ"に欠る欠けないかということとは直接関係はないと思います。

しかし、ブログ冒頭の記事にもあるように、たとえ組織に直接関係はなく個人のことであったにしても一度言ったこと、それも記者会見などの公の場で言ったことは簡単には撤回できません。結局山尾氏は記者会見で嘘を言ったと思われても仕方ありません。これは、明らかに"真摯さ"に欠ける行為だといえると思います。

むしろ記者会見では、男女の関係を認めた上で、謝罪するべきところは謝罪すべきでした。そのほうかよほど政治家として"真摯さ"を多くの人々に訴求できたと思います。

ドラッカーの主張するように、"部下たちは、無能、無知、頼りなさ、無作法など、 ほとんどのことは許す。しかし、真摯さの欠如だけは許さない。 そして、そのような者を選ぶマネジメントを許さない"のです。だからこそ、この事件をきっかけに、民進党を離党す人たちがでてきたのです。

そうして、山尾氏は7日の記者会見以降、現在まで公の場に姿を見せず、ブログやツイッターも更新していません。明らかに嘘と思われる発言に対して未だ「説明責任」を果たしていいませんしこれから果たすという様子もありません。

山尾氏はいわゆる「保育園落ちた、日本死ね」と書かれた主婦のブログを国会でとりあげ、一躍有名になりました。そうして、山尾氏はこのことで、安倍政権を舌鋒鋭く批判しました。山尾氏の政治家としての仕事といえば、いままでのところは、目立ったものはこれだけだと思います。

しかし、この行動は"真摯"なものといえるでしょうか。私はにとても、そうとは思えません。

これについては、以前このブログにも掲載したことがあります。その記事のリンクを以下に掲載します。
【流行語大賞トップ10】俵万智さん「『死ね』が世の中動かした」「こんな言葉を使わなくて良い社会に」―【私の論評】「日本死ね」を正当化する人々には「日本から出て行け」と言いたい(゚д゚)!
俵万智
詳細は、この記事をご覧いただくものとして、この記事の結論部分のみ以下に掲載します。
国会での審議など、多くの国民の規範にもなるべきものと思います。そんなところで、平気で「死ね」などという言葉を審議過程で用いられ、あまつさえ流行語大賞になってしまえば、小学校などでも、「死ね」「殺す」が当たり前になってしまうのではないでしょうか。 
そうして、「死ね」「殺す」よりはまだましであると思われるような、「菌」などという言葉、何のてらいもなく大声で話される言葉になってしまいかねません。

国会議員、マスコミなどが、どんな文脈であれ、このような言葉を平気で使う日本社会は狂っているとしか思えません。
「死ね」などという言葉横行する組織は、学校であれ企業であれ、「いじめ」が横行しかねない 
国会議員や、マスコミなどが駄目なら、少なくとも私たちの日々過ごす組織の中では、こういうことは禁忌とすべきと思います。というより、国会議員やマスコミが狂っていても、日本の多くの組織の中では、このようなことは元々禁忌となっていると思います。だから、国会議員やマスコミが狂っていても、日本の社会は安定しているのです。 
組織の中では、禁忌とされることをしでかしてしまったものは、たとえ一見それが正しいことのために行われたようにみえても、いずれ懲罰を受けます。いつまでたっても、出世しないとか、給料が上がらないとか、禁忌を破った直後か、そうではなくとも、何年かたったあと左遷されたり、減給されたり、降格されたりします。そのとき、はじめて禁忌を破ったことの重大性に気づく愚か者も存在します。最近では、気づかいない人もいるです。しかし、これは組織の秩序を保つため当然のことです。 
国会議員やマスコミなども、今のままでは、さらに増長しとんでもないことになってしまいかねません。山尾志桜里のような議員には、選挙では票を入れないことです。マスコミは新聞・テレビなどの購読や視聴をやめることです。
とにかく、この狂った社会風潮は何十年かけてでも、是正すべきです。
「日本死ね」などというブログの内容を国会で平気で審議の過程で用いる議員など、とても"真摯"であるとは私には思えません。これは、まさに真摯さに欠ける行為であり"人の強みではなく、弱みに焦点を合わせる者"、"「何が正しいか」よりも、「だれが正しいか」に関心をもつ者"の所業といわれても仕方ないと思います。

そうして、民進党そのものが、政策論争(何が正しいか)ではなく、安倍政権や安倍総理個人を貶めること(誰が正しいか)を重視しているという点で、まさに「真摯さ」に欠けます。

今回の山尾氏の騒動に関しては、山尾氏の不倫問題ばかりがクローズアップされていますが、私はそれ自体はさして重要なことではないと思います。

それより重要なことは、もともと「真摯さ」に欠けた山尾氏を幹事長にしようとする人事が、さすがに民進党内部でも不興を招いたことだと思います。

まさに、「 部下たちは、無能、無知、頼りなさ、無作法など、 ほとんどのことは許す。しかし、真摯さの欠如だけは許さない。 そして、そのような者を選ぶマネジメントを許さない」のです。

それと、他人を不倫を厳しく批判しながら、自分もひそかに同じことをやる「ダブルスタンダードの偽善」も"真摯さの欠如"であることは言うまでもありません。

国民は、政治家の「真摯さの欠如」だけは許さないのです。

これは、政治の世界だけではなく、あらゆる組織にあてはまる原理であることを肝に銘じるべきです。

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2013年3月29日金曜日

[注意] 「学生時代は遊んでおけ」というアドバイスは真っ赤な嘘―【私の論評】イケダハヤト氏言う「ポータブルなスキル」が必要だという指摘は本当だ!!ドラッカー先生も言っている!!

[注意] 「学生時代は遊んでおけ」というアドバイスは真っ赤な嘘

イケダ・ハヤト


社会人の中には未だに「学生時代は遊んでおけ!」みたいなアドバイスを与える人がいますが、あれは嘘です。

ポータブルなスキルを身につけろ

学生時代に遊んでいてもよかったのは、企業が新卒人材を育成する余裕があった、幸せな時代の話です。

企業の体力がなくなってきていること、長期雇用が一般的ではなくなりつつあることなどを要因に、企業は新卒学生にも「即戦力」を求めるように変化してきています。

    このため文科省は11月、経済同友会などの企業側と大学側が参加する懇話会を設置し、この席で企業側から 「大学教育の中で、即戦力となる人材を育ててほしい」と要望が出されていた。

    経済同友会の担当者は「長引く不況で研修費を削らざるを得ず、研修が最低限ですむ即戦力を求める傾向が強くなった」と分析している。 


 この記事の続きはこちらから!!



【私の論評】イケダハヤト氏言う「ポータブルなスキル」が必要だという指摘は本当だ!!ドラッカー先生も言っている!!


さて、上のイケダ・ハヤト氏の意見は、本当です。私も、最初は特に「ポータブルなスキル」というフレーズがよくわからなかつたのですが、これは知識ということです。知識ということで考えると、イケダ・ハヤトさんの言っていることは何も、新しいことでも何でもなく、ドラッカー氏がそれこそ、何十年も前から言っていることです。

しかし、知識と言ってもピンとこない方もいらっしゃるかもしれません。なぜなら、まだまだ多くの人達に知識のことが理解されていないからです。本日は、それも含めて掲載させていただきます。

まずは、ドラッカーの言う知識とは何かということを理解しなければ、イケダ・ハヤト氏のいう「ポータルなスキル」を理解できないと思います。

ドラッカー氏


ドラッカー氏の言う知識とは? 

ドラッカー氏は、知識は、本の中にはないと言います。本の中にあるのは情報のみであると・・・・・。知識とは、それらの情報を仕事や成果に結びつける能力のことです。そして知識は、人間、すなわちその頭脳と技能のうちのみに存在するというのがドラッカー氏の主張で。さらにドラッカーは「知識は事業でもある」とも指摘し、物やサービスは、企業が持つ知識と、顧客が持つ購買力との交換の媒体であるにすぎないということも見抜いていました
 

そして企業は、人間の質いかんによって、つくられも壊されもする人間組織だとしています。労働はいつの日か、完全にオートメ化されるところまで機械によって行われるようになるかもしれません。しかし、「知識は、すぐれて人間的な資源である」と知識の重要性トコトン強調しています
 

また、人間能力に関しては、ほかの者と同じ能力を持つだけでは十分ではなく、そのような能力では、事業の成功に不可欠な市場におけるリーダーの地位を手に入れることはできないとしています。そこで、他に抜きん出ること、すなわち、卓越性だけが利益をもたらすとし、さらに純粋の利益は、こうしたエクセレントな力でイノベーションを果たす革新者の利益だけであるとも言っています





しかも経済的な業績は、すべて差別化の結果であるとしています。したがって、差別化の源泉、および事業の存続と成長の源泉は、企業の中の人たちが保有する圧倒的に優れた独自の知識であるとしています。
 

こういう文脈でいうと、ドラッカーの言う「知識」とは、イケダハヤト氏の言う、「ポータルブルなスキル」そのものであり、それをさらに超える概念であることがわかります。とはいいながら、現代人にとっては「ポータブルなスキル」という表現はわかりやすいです。知識とは、知識労働者の頭の中にだけ存在するものです。知識労働者が、他の会社に移動したとしても、その知識を持っていれば、他の会社で十分通用します。しかし、日本の会社のように、会社独自の慣行があり、その会社の中でしか通用しない知識は、知識とも呼べないものだと思います。

 「知識労働者自身」に上下はない

かねてから知識労働者(ノウレッジ・ワーカー)の台頭を重視してきたドラッカーは、その本質やあり方について、しばしば随所で言及しているが、特に「知識労働者自身」に上下はないと語っています
 

この言葉に続いてドラッカーは、高級な知識、低級な知識というものはないからだと、この発言の理由を説明しています。知識の評価については与えられた仕事に関して適切か適切でないかがあるだけだと喝破し、しかも課題解決自体によって必要とされる経験や予算によって、その従事者の組織内のランクは決まるといっていっています。


よく様々の事柄を医者にたとえるのが好きなドラッカーは、さらに、眼病には眼科医が適切であり、胆嚢の切除にあたるのは腹部専門の外科医だとも述べています。したがってドラッカーは、知識労働を中心とした組織は、権威や権力志向の組織ではなくて、課題解決や目的によって規定されるべき業績志向組織を必要とすると結論づけています
 

さて、ドラッカーは知識労働者について、もう一つ大事なことを説いています。それは、優れた仕事をするためには、常に努力をしなければならないという点についてで
 

「ようやくできた」とか「辛うじて成し遂げた」などという言い方は、知識労働では物の役に立たないと厳しく突き放しています。いつも腕の冴えを示せることが、卓越した知識労働者のあり方だとしています。そして、仕事への貢献度の向上を絶えず意識の最先端へおいて、腕を磨くことを片時も忘れないでいるべきだとしています。

 
 

したがって知識労働者の動機づけは、その効果性に―――つまり、どれだけ効果をあげることができるかということに依存するところが大きいとしています。だから、もしその仕事が十分効果的でない場合には、知識労働者自身の働く意欲も、組織目的に貢献する意欲もやがて枯渇し、午前九時から午後五時まで、期待された動作をただ単に繰り返すご都合主義者に堕してしまうと訴えています。
 

ということは、マネジメントする立場からいえば、その努力と成果に対して、厳しい要求をすべきことを意味しますが、他方、知識労働者のほうも自らの職務上の充足感と刺激の有無に対して高い要求をすべきであるとドラッカーは述べています




しかも知識労働者自身に当を得た意思決定をさせるには、課題での成果と、どういうやり方でその達成をすべきかをよく知らせておかねばならないとしています。自分の知識と技能と作業が、いかに企業全体に寄与するのかがわからなければ、自分自身をマネジメントしたりモーティベートし得ないとしています
 

したがって、知識労働者が非常に立派な業績をあげている組織では、どこでもトップが一定の規則的なスケジュールに従って、特に時間をさいて知識労働者たちとテーブルを囲んで座り、寛いで話し合うことをしていると指摘しています。
 

これを欠くような場合は、知識労働者は働く意欲を失って、上述したような単に時間に縛られて働く人間になり下がるか、その精力と関心をごく狭い専門分野にのみ向けてしまって、組織自体の持つ機会や要求するところからは、ますます離れていってしまうかのどちらかになってしまうとしています。  

イケダハヤト氏にもドラッカーを是非読んでいただきたい 
イケダハヤト氏の論考など、このブログでも時々掲載させていただいています。それは、表現が今風でありながら、ドラッカー氏のマネジメントの原理・原則を踏まえているからです。今まで、私が読んだイケダハヤト氏の論考は、この原理・原則から離れているものはほとんどありません。

だから、少々残念な気がします。イケダハヤト氏は、おそらく、ドラッカーは読んでいないか、読み込んでいないと思うのです。もし、読み込でいたら、ドラッカーの知識という文脈と「ポータブルなスキル」に関して、さらに深い論考と、考察ができるのではないかと思います。

それにしても、彼の論考は、非常に今風なので、非常にわかりやすく、現代のマネジメントを考える上で、かなり役にたちそうです。本日の例でも、特に若い世代に対しては、「知識」などというよりは、最初は「ポータブルなスキル」と言ったほうが、ドンピシャとわかってもらえるのではないか思います。確かに、新卒などどこの会社での、「ポータブルなスキル」をいくつか持っていてほしいものです。


これから、若い世代に「知識」の重要性を語るときに、「ポータブルなスキル」という言葉も使っていこうと思います。

こうした若い世代の言葉、論考もよく熟知しておけば、特に若い世代に対して話をするときに、互いに理解が深まると思います。そう思うのは、私だけでしょうか?皆さんは、どう思われますか?

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2013年3月26日火曜日

「マルチタスク習慣」は日常生活にどう影響するか―【私の論評】レストランはマルチタスクの一大決戦場だ!!これなしに成り立たない!!

「マルチタスク習慣」は日常生活にどう影響するか:



心理学の研究ではこれまで、マルチタスク人間を肯定する結果が出ていませんでした。ほとんどどんな場合でも、2つのことを同時にやろうとすればパフォーマンスが低下します。例外とされているのは、音楽を聴きながら別のタスクをするケースですが、その人の性格や音楽の種類によっては、やはりほかのタスクの妨げになるようです。ところが最新の研究で、場合によってはマルチタスク派が実生活で有利になる可能性が浮上しました。

この記事の続きはこちらから!!



【私の論評】日本のレストランはマルチタスクの一大決戦場だ!!これなしに成り立たないし、心理学のマネジメントへの適用は弊害のあることもある!!


上の記事、結びに「例えば、書類作成の最中などであっても、音に気がつきやすい傾向のある人がいたとしましょう。この人は、騒がしいオフィス環境であっても、メールの受信音を聞き逃す可能性が低いでしょう。また、運転中に、警察車両のサイレンやランプに気づきやすいのではないでしょうか。このような仮説は成り立つものの、筆者の知る限りでは、それを検証した実験はまだ行われていません」とありますが、検証した実験はないというのは本当でしょうか?これは、実験で実証されていないというだけで実は世の中にゴマンとあるのではないかと思います。

上の記事ある意味、はっきり言ってつまらないです。マルチタスクについては、以前からライフハックにはいろいろな形で掲載されてきました。そのたびに思ったのですが、本当のマルチタスクは百害あって一利なしです。しかし、実質上のマルチタスクが効果をあげている場合もあるし、マルチタスクなしには、競争に勝てない現場もあります。心理学者はもとより、こんな当たり前のことになぜ多くの人々が気づかないのかとかねてから思ったので、本日はそのことについて掲載させていただきます。

ものを考えるときは、一度に二つ以上のことを考えるのは不可能です。考えているように思っても、そうてはありません。しかし、ものを考える以外の事柄、特に作業については複数を並列して行うことは十分可能です。それをマルチタスクと呼ぶことができるなら、その典型事例は、レストランです。

リストランテ・ル・ブォンの厨房

以前、私は100席以上もあるレストランを担当していたときもあります。このブログの昔からの読者の皆様であれば、イタリアン・レストランである、リストランテ・ル・ブォンのことは覚えていらっしゃると思います。そのレストランを担当していたときの経験から、レストランはマルチタスクで動いているということができます。というより、マルチタスクでなければ、成り立ちません。競争に負けてしまいます。

昔、タイに長期滞在していた同僚が、その頃のタイのマクドナルドのことを語っていたことがあります。それは、タイのマクドナルドの従業員はそれこそ、完璧にシングルタスクをしていたということです。たとえば、コーラなど清涼飲料水を注ぐ係りの人は、そればかりやっていて、レジ係はレジ係で、常に同じ行動を繰り返していたというものです。その同僚も当時レストランを担当していましたが、その光景は実にコミカルに見えたことを語っていました。

タイのマクドナルド
その頃のタイは、人件費も安かったので、そのようなことができたのだと思います。現在では、そのようなことはないと思います。そうして、その同僚が語っていたことの背景には、昔から日本のレストランの厨房はマルチタスクであったことがあったと思います。

私自身もレストランを担当したときに、厨房の中を点検したときなど、まさにマルチタスクができなければ、レストランは成り立たないことを身を持って知りました。そんなこと当然ですね。1人や、1卓だけのお客様のためにだけコックが料理を作っていたら非効率この上ないことになります。

注!!リストランテ・ル・ブォンにはこんなセクシーなウエイトレスはいませんでした(笑)!!以下同じ

複数の卓の料理を数人で一度につくることはいうまでもありません。厨房では、仕込み作業がありますが、それを開店前に実施して、とにかくお客様がきたらすぐに、料理ができる状態にしておきます。ローストビーフなど、早いうちに大量に焼成しておいて、保温器に入れるなどのこともします。それに、スープのもととなる、フォンド・ボーなど一日中に煮込んでいます。そうして厨房にも役割分担がありますが、洗い場などは別にして、役割分担をしていても、注文が立てこんでくれば、全員が複数の作業を並行して行うのは当たり前になります。

こんなことは、家庭でも同じだと思います。たとえば、ご飯を炊いたり、オーブンで何かを焼きながら、フライパンで他の付け合せなどを調理したり、サラダを作ったりと同時並行でマルチタスクで料理をするのは全く当たり前のことと思います。


レストランで、こうしたマルチタスクを行わなければ、レストランそのものが成り立ちません。これは、厨房のことなのですが、ホール係だって同じことです。余程の最高級レストランの個室でのお客様などは別にして、普通のレストランなら、複数の卓を担当します。コースメニューの場合は、複数の卓の水を出したり、ワインを出したり、皿を下げたり、新たな料理を出したり、最後にはデザートを出したりと、複数の卓の複数のお客様の様子をうかがいながら、肉の焼き加減などのお客様の要望を厨房に伝えなければなりません。これって、立派なマルチタスクではありませんか?

このようなマルチタスクは、別レストランでなくても、宅配ビザでも同じことです。店舗のチーフは、作業しつつも、現在の宅配車がもどってくる時間も計算にいれながら、各方面の注文をまとめます。同じ方向の注文をいくつかまとめて、車両に搭載できるようにすれば効率的です。しかし、それにも限界があります。その限界を計算しながら、注文をまとめて作成します。そうして、2件、3件とまとめてドライバーが配達します。こうすることによって、効率の良い宅配が可能になります。

リストランテ・ル・ブォンのロースト・ビーフ調理教室の一コマ
また、うちのビザ宅配テンフォーでは、ピザを作る人、配達する人、受注をする人(ただし、受注は現在は、コールセンターがすべて行なっています、コールセンターから店に伝票が発信される仕組みになっています)というような役割分担はしていません。誰もがどの作業もできるように教育訓練しています。だから、手が少しでも手が空いていれば、何かの作業をします。そう考えると、ピザ宅配だってマルチタスクです。

ライフハック系の、心理学関係の記事はつまらないことも多いです。最近心理学で、発見されたことなどが発表されたりしますが、わざわざ実験しなくても、常識的に判ることが多いです。それに実証されていなくても、マネジメントでは、大昔から経験上知られていることも多々あります。場合によっては、マネジメント上悪い心理学の応用もあります。


心理学とマネジメントというと、有名なのが、「X理論」と「Y理論」です。これは、ダラス・マクレガーという人が、提唱したものです。これについては、詳細は、以下のURLをご覧になってください。

ダグラス・マグレガーX理論とY理論


この理論の詳細は、上のURLをご覧いただくものとして、以下に簡単に説明します。
X理論では、人間は本来仕事をするのが嫌いであり、強制や命令がないと働かないと捉える。Y理論では、仕事をするのは人間の本性であり、自ら設定した目標に対しては、その報酬により積極的に働くと捉える。

現実的には、この2種類のどちらかにすべての人を明確に分類することは難しく、この両極端のX-Yを結ぶ範囲のどこかに、すべての人が位置していると考えるべきである。

自己尊厳欲求の強い部下組織に対しては、リーダーの部下に対する認知や信頼、つまり、Y理論に基づく意識や行動が大きな魅力となる。

リーダーとしては、部下組織の自己尊厳欲求に対応して、意識的にY理論型行動を実践することが、X理論・Y理論の現実的な活用法となる。 
 ドラッカーは、この理論をマネジメント的な側面から否定しています。
X理論は人を未熟な存在とし、Y理論は人を成熟することを欲する存在であるとする。 エターナルコレクション版『マネジメント』(1973年) P.286
X理論は、人は怠惰で仕事を嫌い、自らの責任を負うことのできない存在だとします。したがって仕事を強制させるためにアメとムチによるコントロールが必要だとします。これに対してY理論は、人を働く欲求を持ち、仕事を通じて自己実現と責任を欲する存在だとします。そのために必要なものは、主として動機づけです。

以下非常に理解しやすいので、「ドラッカー図解」というサイトから引用させていただきます。
ドラッカーは、ダグラス・マグレガーのX理論とY理論はどちらもマネジメントではなく、「支配」が基礎になっていると言います。

X理論とY理論とはどんなものか、それから、それらに代わるものは何なのか、図解してみます。

図39: 人と労働のマネジメント

ドラッカー「マネジメント」図解39

ドラッカーはY理論は「心理操作による支配」だと言っています。
極端かもしれませんが、Y理論は「人は意欲的」と定義することで、人を心理的に追いつめます。「機会」を与えたのだから、それを活かせないのは君の問題だよ、と。
たとえば、ある人に権限や予算を与えたなら、あとは良い方向に進めてくれるはずだ、悪い方向に進むとすればそれはその人に欠陥がある、マネジメントは悪くない、と思えるのがY理論で、ドラッカーはY理論の見方は「根本において人をばかにしている」と表現しています。
X理論も同様で、「人は怠惰」と定義し、人を「ばか」にしています。
そこでドラッカーは人を「ばか」にするのではなく、「尊敬」を基礎とすべきだと述べています。
仕事のうえの人間関係は、尊敬に基礎を置かなければならない。

図40: 尊敬に基礎を置いたマネジメント

ドラッカー「マネジメント」図解40
Y理論との違いは、「尊敬」と「責任の組織化」です。
上の図から「尊敬」が抜けたり、「責任の組織化」ではなく「権限の組織化」を目指したのであれば、「Y理論」よりも不完全なものとなります。
 そもそも、ドラッカーは、X理論、Y理論は、心理的先制であり、病理心理学の応用であり、マネジメントの対象である健康な労働者を最初から弱者として扱っているとして否定しています。

確かにそうだと思います。労働者をすべからく最初から精神的弱者であるという論理は成り立ちません。そのように見る経営者は尊大だと思います。X理論、Y理論という考え方ではなくても、性悪説、性善説を語る経営者もいます。これも、同じ間違いを犯していると思います。

フーターズのウエイトレス

これに対して、性弱説をとる経営者もいます。要するに、人間は、悪くも良くもないが、弱い存在であるという見方です。しかし、これも間違いです。そもそも、最初から自分は強い存在であり、労働者を弱い存在とみているからです。 やはり、「仕事のうえの人間関係は、尊敬に基礎を置かなければならない」のです。責任にもとづき、現場に職務を編成させることにより、マネジメントが成り立つのです。

それをしないで、X理論、Y理論や性悪説にもとづきマネジメントをしても、マネジメントが育たないか、混乱をもたらすだけです。

以上のように、心理学の適用が間違うと、かえって現場に混乱を招く場合もあります。心理学関係の記事を読むときには、このことを念頭に置き、取り入れるものは取り入れれば良いですし、そうでなければ、取り入れないようにすべきです。私は、そう思います。皆さんは、どう思いますか?

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2012年8月19日日曜日

他人の行動をしっかり評価できない人は、心理学的なマジックにとらわれている―【私の論評】マネジメントは、根本的な帰属の誤りをどう防いできたか!!

他人の行動をしっかり評価できない人は、心理学的なマジックにとらわれている:


鍵が見つからないとき、あなたは「ツイてない」と思うでしょう。でも、あなたの友人は「不注意な人だな」と思うかもしれません。これを心理学用語でいうと「根本的な帰属の誤り(fundamental attribution error)」と呼びます。つまり、ある人の行動について、誤った部分に原因を当てはめる傾向のことです。イギリス「BBC」では、次のように説明しています。Photo by Thinkstock/Getty Images.

この記事の詳細はこちらから!!

【私の論評】マネジメントは、根本的な帰属の誤りをどう防いできたか!!

人間というものは上の記事のような、「根本的な帰属の誤り」をするのが普通です。これは、特に職場においては良くあることです。特に、仕事ができない人に対しては、こうした見かたをしがちです。愚かなマネジメントは、こうした人を「仕事ができない人」と決めつけ、アメリカなどでは、解雇したり、日本の職場であれば、人事などに誤った情報を流し続けることになります。


これに関しては、駄目な職場ということになると思いますが、こんな職場ばかりであれば、アメリカでも、日本でも、組織そのものが、駄目になり、組織は存続できなくなくなります。しかし、優秀なマネジメントは、このような見方をせず、組織を存続させ、さらに高めていきます。


では、マネジメントは、根本的な帰属の誤りをどう防いできたかきたのでしょうか?それには、いくつか原則がありますが、もっとも重要な原則を下に掲載します。


マネジメントが、成果をあげるには、人の強みを生かさなければなりません。弱みを気にすべきではありません。利用できるかぎりのあらゆる強み、すなわち同僚の強み、上司の強み、自らの強み、部下の強みを総動員しなければなりません。強みを生かすことは組織特有の機能です。組織における権力の正統性の基盤も、この人の強みを生かすという組織の機能に置くべきです。


組織といえども、人それぞれが持つ弱みを克服することはできません。しかし、組織は人の弱みを意味のないものにすることができます。成果をあげるには、強みを中心に据えて異動を行ない、昇進させなければなりません。人事には、人の弱みを最小限に抑えるよりも、人の強みを最大限に発揮させなければならないのです。


リンカーンは、グラント将軍の同僚の将軍たちから、「グラント将軍は酒好きだ」という話聞いたとき、即座に「だが奴は仕事ができる」と言ったという逸話が残っており、その後も、リンカーンは、グラント将軍を重要なところに配置し続け、結局は南北戦争で勝利を収めました。

人のできることではなく、できないことに気をとられ、弱みを避ける者は弱い人間です。しかし部下が強みを持ち、成果をあげることによって苦労させられた者など、一人もいません。

アメリカの鉄鋼王アンドリュー・カーネギーが自らの墓碑に刻ませた『おのれよりも優れた者に働いてもらう方法を知る男、ここに眠る』との言葉ほど大きな自慢はないと思います。これこそが成果をあげる処方であり、「根本的帰属の誤り」に陥ることを防ぐ処方箋だと思います。

こういった精神を組織のものとした、組織においては、「根本的帰属の誤り」などが付け入る隙はなくなります。なぜなら、人を見るときに、その人の弱いところを見るのではなく、強みを中心に据えるからです。しかし、これは、簡単なことのように見えて、そんなに易しいことではありません。人の弱みについては、小学生でも、いくつもあげることができます。しかし、人の強みについては、なかなか指摘するのは難しいです。それどころか、自分自身で、自分の強みをあげられる人も少ないです。しかし、あげられるようにする方法はあります。ただし、これは、本日の本題ではないので、ここで、詳細をあげることはしません。いずれ機会を設けて掲載するものとします。しかし、難しいからといって、手をこまねいているようでは、いつまでたっても、大きなな成果をあげることはできないし、いつも「根本的帰属の誤り」につきまとわれることになります。

上の記事では、「根本的帰属の誤り」について解説していますが、その解消法までは掲載していません。しかし、このようなことは、まともな組織では、「人の強み」に着目するということで、解消してきており、成功しています。そうして、この原則は、何も民間営利企業だけに当てはまるものではありません。学校でも、研究所でも、官庁でも、非営利組織などおおよそほぼすべての組織においてもあてはまることです。

このような原則を当てはめている組織は、これからも、「根本的帰属の誤り」に影響されることなく、発展し続けていくし、そうではない企業は淘汰されると思うのは、私だけでしょうか?


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2012年8月14日火曜日

「あえてダラダラすること」があなたの毎日に健康と創造力をもたらす―【私の論評】常に新しいものに目がいくように、組織づくりをしておくことが肝要である!!

「あえてダラダラすること」があなたの毎日に健康と創造力をもたらす:

eコマースでは、最もイノベーティブなザッポスの社内
時間を節約するためのさまざまなテクニックをすでに試していても、まだ「時間が足りない」と感じてしまうのなぜでしょう? 時間ができたらできたで、そこを新たなタスクで埋めてしまうからです。生産性を上げる究極の方法は、あなたの生活の規模を縮小することかもしれません。 「ダラダラしていいよ」なんて言われたらびっくりするかもしれませんが、少し手を抜くことは、睡眠と同じぐらい脳にとって大切なことなのです。退屈したり、先延ばしにしたり、関係ないことを考えたりすると、脳の働きがよくなり、よりよい決断ができるようになると言われています。 今回は「退屈」、「注意力散漫」、「先延ばし」が、あなたにもたらすメリットについて詳しく分析していきます。 Title image remixed from Subbotina Anna (Shutterstock).

退屈
退屈には、膨大な量の情報から本当に必要なことをふるいにかける効果があるのです。退屈することで自分をリセットできるというわけです。私たちは退屈すると「もっと意味のあることをしたいと思うようになり、結果として社会的な行動に移るのだそうです。退屈で何もする気が起きないというのは、うつ病のサインでもありますが、退屈だから何かしようという気持ちは、想像力や生産性を向上させる鍵になります。


注意力散漫
注意力散漫になることが、既成概念にとらわれない考え方を生むことがあります。注意力散漫になることは、想像力や問題解決能力をアップさせるだけでなく、集中力を上げるのにも関係しているそうで、空想することによって、脳内でより遠くの神経同士がつながるので、結果的に集中力がアップするのだそうです。要するに、気が散ってどうでもいいことを考えている状態は、長い目で見れば、良い効果があり集中力もアップする、ということです。だからといって、気持ちが乗って生産性が上がっているときに、わざわざネットサーフィンをしなさいと言っているわけではありません。関係ないことを考えている自分に気づいたときに、無理に元の作業に戻る必要はないかもしれない、という話です。



先延ばし
先延ばしは、人間にとって必要なもので、時には意思決定を助ける役割を果たしているのです。実際の行動や決断に移すまで、最大どれだけ先延ばしできるかを考える。その期限のギリギリまで待つ。



これが、より良い決断をし、ハッピーであるための2つのステップです。この考え方に違和感を覚えるとしたら、私たちにはそもそも決断力がないのだから、先延ばしすることによって十分検討する時間を持つべきだなのです。

【私の論評】常に新しいものに目がいくように、組織づくりをしておくことが肝要である!!



さて、詳細は、上の記事を読んていただくものとして、上では、個人が創造性を発揮するためのヒントをあげているわけですが、これをマネジメントの視点からみてみるとどうなるか、ドラッカーの考えを以下にあげてみます。

革新を行う能力の重要性がとみに認識され、独創性の開発とか想像力の強化とかが、しきりに叫ばれています。特に人事担当者や心理学者は、いろいろな提言を次々に繰り出しています。しかし、こうした事態に対して、ドラッカーはかねてからあまり好感を抱いませんでした。



その理由として、オリジナリティーのある企業は、否が応でも必ず新しい面に日々進んでいかなければならないものとして現実に行動しているという事実を、ドラッカーは指摘しています。

かつてデュポン社についてドラッカーは、同社のトップ・マネジメントは事業部に対して独創性が必要だとか、新製品を考えろとか、創造性をもっと発揮しろなどというお説教は絶対にしない、と語っていたことがあります。それはデュポンの事業部長は、わずかでも新しいものを常に考えて用意していかないと、自分の仕事がいずれなくなってしまうことを肝に銘じて知っているからだといいます。つまり、古い製品や考えはどんどん廃れていく現実にしっかりと目を向けているのです。

またデュポンでは、研究者は自分の時間の3分の1を、自分の担当の仕事とは一見、何ら関係のないことの研究調査に当てなければいけない。こうして常に新しいものに目が行くようなシステムづくりを行っているのです。


現にデュポン・ジャパンでも社員は、自分の専門性の練磨だけではなくて、それ以外の分野の拡大強化に励むことを大いに奨励されています。

ドラッカーは、こうした新しいものを考えるのは、「妙な言い方だが」と断った上で、ちょうど健康な子どもが食事をして排泄すれば、次に新しいものを必ず食べていかなければならないのと同じであると言っています。


実績を上げている企業や効率的な企業は、健康な子どもと同じように便通をよくしているのだと続けています。創造性の開発を、単なるお題目ではなく、日々のマネジメント活動にビルト・インさせておかないような企業は駄目な企業であり、新しい可能性を追求していて、障害に逢着しても臨機応変な措置が取れるようでなければお話にならない、と明言しているほどです。

そうできるのは、観念論者ではなく実行派の人間をこうしたことにあてること、適切な処理ができる能力を持っている優秀な人間をこれにあてるということを、第一義的な原則にしているところでなければならないと断言しています。


マネジメントが、このことを理解していなければならないということです。これを理解しているマネジメントが、否が応でも必ず新しい面に日々進んでいかなければならないものとして現実に行動しているし、行動させるような組織をつくりあげてこそ、上記の個々人の創造性を高める方法も生きてくるというわけです。

確かに、そのような体制になっていない組織の社員が、退屈したり、注意力散漫だったり、先延ばしたりばかりしていたら、恐ろしく非効率的な組織になってしまうと思います。しかし、常に新しいものに目がいくようになっているデュポンのような組織であれば、たとえば、自分に割り当てられている、時間の3分の1の中では、たまには、こうしたことをやってみる価値は十分にあると思います。それが、実際に効果があるのなら、会社側も認めてくれるでしょう。


それと、個人で知識労働をして働いている人は、このような原則すぐにも取り入れても良いと思います。個人なら、誰にも迷惑をかけることはありません。もし、これらの原則を取り入れて、失敗したとしても、その影響を被るのは、自分だけですから。

いずれにせよ、イノベーションに取り組まなければ、いずれ、個人でも、組織でも駄目になってしまうのは確かです。ドラッカーは、 「長い航海を続けてきた船は、船底に付着した貝を洗い落とす。さもなければ、スピードは落ち、機動力は失われる」と語っています。

あらゆる製品、あらゆるサービス、あらゆるプロセスが、常時、見直されなければならないのです。多少の改善ではなく、根本からの見直しが必要なのです。顧客が変わっているのに、前の顧客に提供するのと同じ商品やサービスを提供していてはいけないということです。

これはイノベーティブというより、変?
あらゆるものが、出来上がった途端に陳腐化を始めます。そして、何もしなければ明日を切り開くべき有能な人材がそこに縛り付けられてしまいます。こうした陳腐化を防ぐためには、まず古いものを廃棄しなければなりません。廃棄せずして、新しいことは始められません。

自らが陳腐化させられることを防ぐには、自らのものはすべて自らが陳腐化するしかありません。そのためには人材が必要です。その人材はどこで手に入れますか。外から探してくるのでは遅いのです。だかこそ、デュポンのように常に新しいものに目がいくように組織づくりをしておかなければならないのです。

成長の基盤は変化します。企業にとっては、自らの強みを発揮できる成長分野を探し出し、もはや成果を期待できない分野から人材を引き揚げ、機会のあるところに移すことが必要なのです。昨日を組織的に切り捨てるとともに、資源を体系的に集中することが、成長のための戦略の基本なのです。




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