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2013年10月9日水曜日

日本の「成人力」世界で突出 「読解力」「数的思考力」トップ OECD調査―【私の論評】本当に重要なのは、モノでもカネでもない、新しい意味での「知識」だ!これがある限り日本は世界一!

日本の「成人力」世界で突出 「読解力」「数的思考力」トップ OECD調査

 社会生活で求められる成人の能力を測定した初めての「国際成人力調査」(PIAAC=ピアック)で、経済協力開発機構(OECD)加盟など先進24カ国・地域のうち、日本の国別平均点が「読解力」と「数的思考力」でトップだったことが8日、分かった。日本は各国に比べ、成績の下位者の割合が最も少なく、全体的に国民の社会適応能力が高かった。また、生産現場の労働者などいわゆるブルーカラーの能力が高いことも分かった。

 この調査はOECDが平成23年8月から翌年2月にかけ世界24カ国・地域の16~65歳の成人約15万7千人を対象に実施。日本では男女1万1千人を対象にして5173人が回答した。(1)社会に氾濫する言語情報を理解し利用する「読解力」(2)数学的な情報を分析し利用する「数的思考力」(3)パソコンなど「ITを活用した問題解決能力」-の3つの社会適応能力を調べた。




 それによると、日本は「読解力」の平均点が500点満点中296点で、OECD平均273点を大きく上回り1位になった。「数的思考力」も、OECD平均269点に対し日本は288点で、2位のフィンランドに6点の差をつけて1位だった。

 読解力と数的思考力の得点を「レベル1未満」から「レベル5」まで6段階にわけて分析したところ、日本は下位の「レベル1未満」と「レベル1」の解答者の割合が各国の中で最も少なく、逆に上位の「レベル3」と「レベル4」の割合が最も多かった。最上位の「レベル5」の割合は読解力で4番目、数的思考力で6番目だった。



 職業別にみると、各国では現場作業員や農林水産業者らいわゆるブルーカラーの平均点が、事務職やサービス業などいわゆるホワイトカラーの平均点に比べて明らかに低かった。しかし日本ではブルーカラーのレベルも高く、各国のホワイトカラーと同程度か、それ以上だった。

 一方「レベル1未満」から「レベル3」まで4段階で評価された「ITを活用した問題解決能力」については、日本は「レベル2」と「レベル3」の上位者の割合が35%にとどまりOECD平均の34%とほぼ同じだった。文部科学省では「ITの習熟度では課題が残ったが、全体的なレベルが高かったのは基礎基本を重視する義務教育の成果だ。このレベルを維持し、向上していきたい」としている。

【私の論評】本当重要なのは、モノでもカネでもない新しい意味での知識これがある限り日本世界一(゚д゚)!


上の調査の結果は、当然といえば当然です。最近日本の子供の学力は相対的に昔よりは落ちてる傾向がありますが、成人となるとこのくらいの差が出るのは当たり前です。

それは、何もこのような調査をしなくても、感覚的に理解できるところです。アメリカでは、地方や、労働者階層ということになると、かなり知的レベルは劣り、まともな話しなどできません。こんな言い方をすると、傲慢不遜に受け取られるかもしれませんが、日本と違って世界の他の国々は、明らかに階層があります。緩いきついだけで、多かれ少なかれ階層があります。特に、イギリスなどは、労働者階級の子供に生まれれば、偉くなるのは、教職か聖職者しかないというのが実情です。ただし、誤解のないように言っておきますが、私は階層社会が良いとか、悪いとか価値判断をするつもりはありません。現実として、日本以外の国には厳然として階層があるということを言いたいだけです。

イギリスのジェントルマンはもともとは、紳士という意味ではない、階層の呼び名である

それは、ドイツでさえ例外ではありません。ここが、日本と世界の他の国との大きな違いです。日本には、厳密な意味での階層はありません。貧乏人と金持ちがいるだけです。貧乏人が、一生続けて貧乏ということもありませんし、何代も続けて貧乏人ということもありません。

金持ちが、一生金持ちで、何代も続けて金持ちということもありません。だから、子供に対する教育も変わってきます。そもそも、子供たちが将来何になるかなどわからないものとしてし教育が施されます。しかし、日本以外の国であれば、かなり早い時期から、上の階層と下の階層の教育は、ある程度特定されてしまいます。

しかし、日本の場合は、戦前は天皇陛下の臣民となるべき、少国民に対して差別をしてはいけないという考え方から、戦後は、誤った民主主義の名のもとではありますが教育の公平性はある程度保たれる傾向がありました。

戦争中の週間少国民
こうした、基礎的な初等教育の他に、日本では企業に入ってからの教育があります。それは、何も大企業の体系的な教育だけではなく、中小企業でも、もっと規模の小さな企業でも、様々な形で行われています。特に、若者に対する教育は、それを研修という形で体系的に行うのか、修行ということで行うのかは、別にして必ず行われています。

とにかく、新卒とか、新人という考え方があり、特に若年者に対しては、きちんと職業訓練・教育をしなればならないという社会的コンセンサスが形成されています。

毎年4月に新卒を大量に採用するという雇用慣行は日本だけものもであり、海外にはない

これが、日本人の成人力を養う大きな原動力となっています。このあたりも、日本ではあまりに当たり前になっているので、この新卒や新人に対する扱いも世界的にみれば、特殊であることに気づかない人も大勢います。

そもそも、日本以外の国では、新卒などという考えはありません。企業は、必要があればその都度人を採用するというのが普通です。それも、「これこれの仕事が出来る人」という形で募集するのが普通です。だから、不況などになると、いわゆる新卒はかなり不利になります。真っ先に就職先がなくなります。しかし、日本では、不況であろうと、好況であろうと、毎年一定数の新卒を雇用する会社が優良企業とされます。

こうした、世界にない、日本独特の雇用慣行が、成人力の高さの基になっているものと考えます。そうして、新人・新卒の教育・訓練に関しては、単なる技能教育もさることながら、仕事に適用すべき知識も教えています。さらに、コミュニケーション教育にも時間が割かれています。特に、いわゆる現場での訓練のかなりの部分はコミュニケーションに割かれています。

特に知識に関しては、21世紀になってからその意味が変わっています。そうして、先進国のほとんどが、21世紀初頭に「知識社会に突入しました。「知識社会」はそれ以前の社会とはかなり異なります。知識社会の中心となる労働者は、テクノロジストと呼ばれ、肉体労働のみをするのではなく仕事に知識を適用する人々です。高度のテクノロジストの例としての脳外科医は、手先が器用でないとなれません、しかし手先が器用であるからといって脳外科医になれるわけではありません。仕事に高度の知識を適用しなければなりません。



これは、20世紀の後半にすでに多くの識者によって指摘されたことであったが、この間デフレであった日本では、デフレに対処することのほうの優先順位が高く、強く認識されてきませんでした。一部のIT企業のみが、知識社会にかなりうまく適用しています。多くの企業は、デフレ対応が大きな課題となり、これに対する対応が十分ではありませんでした。


新しい意味での知識という言葉定義のもとでは、知識は本の中にはないとされます。コンピュータでもたらされる、数値情報は、知識ではなく、情報とされます。新しい意味での知識とは、それらの情報を仕事や成果に結びつける能力を意味します。そして知識は、人間、すなわちその頭脳と技能の中のみに存在します。知識は事業そのものでもあります。物やサービスは、企業が持つ知識と、顧客が持つ購買力との交換の媒体であるにすぎません。


企業は、人間の質いかんによって、つくられも壊されもする人間組織です。肉体的労働はいつの日か、完全にオートメ化されるところまで機械によって行われるようになるかもしれません。あるいは大量の情報を活用したコンピュータが人間の頭脳のかなりの部分を代替することも考えられます。大量の情報処理では、人間はコンピュータよももはるかに劣っているかもしれません。しかし、知識そのものは、すぐれて人間的な資源です。

知識社会においては、いわゆる目に見える資産である、現金・預金、固定資産などだけではなく、情報、教育・企業文化・風土なども含めた目に見えない資産の拡張が重要になります。この資産を拡張するには現代的な意味での知識が最重要になります。

また、人間能力に関しては、ほかの者、特に同業他社と同じ知識を持つだけでは十分ではありません。そのような知識では、事業の成功に不可欠な市場におけるリーダーの地位を手に入れることはできません。既存の知識だけではなく、新たな知識の適用、知識そのものの改善・改革により他に抜きん出ること、すなわち、卓越性だけが利益をもたらします。

卓越性のみが利益をもたらす

経済的な業績が達成できるのは、すべて差別化の結果です。したがって、差別化の源泉、および事業の存続と成長の源泉は、企業の中の人たちが保有する圧倒的に優れた独自の知識ということになります。

さて、いろいろと知識社会について述べてきましが、いわゆる成人力とは、「知識」を得たり、創造したりする上での基となるものだと思います。これが優れているということは、知識社会においては、最大の優位性です。

知識社会においては、モノより金よりも、そうして情報よりも知識が重要です。この知識を得たり、創造したりする基がしっかりしている日本、やはり、凄いです。このような日本です、大東亜戦争の勝利者たちも、日本の凄さ、これは反面彼らからすれば、脅威でもあるわけですが、これを彼らは強く認識してからこそ、日本弱体化の方向で戦後体制を維持しようとしたのですが、子供や若年層の教育では、最近海外に負けている面はありますが、相変わらず、成人力は抜群に優れているということです。

この優位性は、なかなか他の国では、真似できないでしょう。いずれ、本当の意味で、日本が世界をリードする国になるのは必然です。経済の基は、今知識です。知識のない国は、優位性を発揮できません。

私はそう思います。皆さんは、どう思われますか?

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2013年3月29日金曜日

[注意] 「学生時代は遊んでおけ」というアドバイスは真っ赤な嘘―【私の論評】イケダハヤト氏言う「ポータブルなスキル」が必要だという指摘は本当だ!!ドラッカー先生も言っている!!

[注意] 「学生時代は遊んでおけ」というアドバイスは真っ赤な嘘

イケダ・ハヤト


社会人の中には未だに「学生時代は遊んでおけ!」みたいなアドバイスを与える人がいますが、あれは嘘です。

ポータブルなスキルを身につけろ

学生時代に遊んでいてもよかったのは、企業が新卒人材を育成する余裕があった、幸せな時代の話です。

企業の体力がなくなってきていること、長期雇用が一般的ではなくなりつつあることなどを要因に、企業は新卒学生にも「即戦力」を求めるように変化してきています。

    このため文科省は11月、経済同友会などの企業側と大学側が参加する懇話会を設置し、この席で企業側から 「大学教育の中で、即戦力となる人材を育ててほしい」と要望が出されていた。

    経済同友会の担当者は「長引く不況で研修費を削らざるを得ず、研修が最低限ですむ即戦力を求める傾向が強くなった」と分析している。 


 この記事の続きはこちらから!!



【私の論評】イケダハヤト氏言う「ポータブルなスキル」が必要だという指摘は本当だ!!ドラッカー先生も言っている!!


さて、上のイケダ・ハヤト氏の意見は、本当です。私も、最初は特に「ポータブルなスキル」というフレーズがよくわからなかつたのですが、これは知識ということです。知識ということで考えると、イケダ・ハヤトさんの言っていることは何も、新しいことでも何でもなく、ドラッカー氏がそれこそ、何十年も前から言っていることです。

しかし、知識と言ってもピンとこない方もいらっしゃるかもしれません。なぜなら、まだまだ多くの人達に知識のことが理解されていないからです。本日は、それも含めて掲載させていただきます。

まずは、ドラッカーの言う知識とは何かということを理解しなければ、イケダ・ハヤト氏のいう「ポータルなスキル」を理解できないと思います。

ドラッカー氏


ドラッカー氏の言う知識とは? 

ドラッカー氏は、知識は、本の中にはないと言います。本の中にあるのは情報のみであると・・・・・。知識とは、それらの情報を仕事や成果に結びつける能力のことです。そして知識は、人間、すなわちその頭脳と技能のうちのみに存在するというのがドラッカー氏の主張で。さらにドラッカーは「知識は事業でもある」とも指摘し、物やサービスは、企業が持つ知識と、顧客が持つ購買力との交換の媒体であるにすぎないということも見抜いていました
 

そして企業は、人間の質いかんによって、つくられも壊されもする人間組織だとしています。労働はいつの日か、完全にオートメ化されるところまで機械によって行われるようになるかもしれません。しかし、「知識は、すぐれて人間的な資源である」と知識の重要性トコトン強調しています
 

また、人間能力に関しては、ほかの者と同じ能力を持つだけでは十分ではなく、そのような能力では、事業の成功に不可欠な市場におけるリーダーの地位を手に入れることはできないとしています。そこで、他に抜きん出ること、すなわち、卓越性だけが利益をもたらすとし、さらに純粋の利益は、こうしたエクセレントな力でイノベーションを果たす革新者の利益だけであるとも言っています





しかも経済的な業績は、すべて差別化の結果であるとしています。したがって、差別化の源泉、および事業の存続と成長の源泉は、企業の中の人たちが保有する圧倒的に優れた独自の知識であるとしています。
 

こういう文脈でいうと、ドラッカーの言う「知識」とは、イケダハヤト氏の言う、「ポータルブルなスキル」そのものであり、それをさらに超える概念であることがわかります。とはいいながら、現代人にとっては「ポータブルなスキル」という表現はわかりやすいです。知識とは、知識労働者の頭の中にだけ存在するものです。知識労働者が、他の会社に移動したとしても、その知識を持っていれば、他の会社で十分通用します。しかし、日本の会社のように、会社独自の慣行があり、その会社の中でしか通用しない知識は、知識とも呼べないものだと思います。

 「知識労働者自身」に上下はない

かねてから知識労働者(ノウレッジ・ワーカー)の台頭を重視してきたドラッカーは、その本質やあり方について、しばしば随所で言及しているが、特に「知識労働者自身」に上下はないと語っています
 

この言葉に続いてドラッカーは、高級な知識、低級な知識というものはないからだと、この発言の理由を説明しています。知識の評価については与えられた仕事に関して適切か適切でないかがあるだけだと喝破し、しかも課題解決自体によって必要とされる経験や予算によって、その従事者の組織内のランクは決まるといっていっています。


よく様々の事柄を医者にたとえるのが好きなドラッカーは、さらに、眼病には眼科医が適切であり、胆嚢の切除にあたるのは腹部専門の外科医だとも述べています。したがってドラッカーは、知識労働を中心とした組織は、権威や権力志向の組織ではなくて、課題解決や目的によって規定されるべき業績志向組織を必要とすると結論づけています
 

さて、ドラッカーは知識労働者について、もう一つ大事なことを説いています。それは、優れた仕事をするためには、常に努力をしなければならないという点についてで
 

「ようやくできた」とか「辛うじて成し遂げた」などという言い方は、知識労働では物の役に立たないと厳しく突き放しています。いつも腕の冴えを示せることが、卓越した知識労働者のあり方だとしています。そして、仕事への貢献度の向上を絶えず意識の最先端へおいて、腕を磨くことを片時も忘れないでいるべきだとしています。

 
 

したがって知識労働者の動機づけは、その効果性に―――つまり、どれだけ効果をあげることができるかということに依存するところが大きいとしています。だから、もしその仕事が十分効果的でない場合には、知識労働者自身の働く意欲も、組織目的に貢献する意欲もやがて枯渇し、午前九時から午後五時まで、期待された動作をただ単に繰り返すご都合主義者に堕してしまうと訴えています。
 

ということは、マネジメントする立場からいえば、その努力と成果に対して、厳しい要求をすべきことを意味しますが、他方、知識労働者のほうも自らの職務上の充足感と刺激の有無に対して高い要求をすべきであるとドラッカーは述べています




しかも知識労働者自身に当を得た意思決定をさせるには、課題での成果と、どういうやり方でその達成をすべきかをよく知らせておかねばならないとしています。自分の知識と技能と作業が、いかに企業全体に寄与するのかがわからなければ、自分自身をマネジメントしたりモーティベートし得ないとしています
 

したがって、知識労働者が非常に立派な業績をあげている組織では、どこでもトップが一定の規則的なスケジュールに従って、特に時間をさいて知識労働者たちとテーブルを囲んで座り、寛いで話し合うことをしていると指摘しています。
 

これを欠くような場合は、知識労働者は働く意欲を失って、上述したような単に時間に縛られて働く人間になり下がるか、その精力と関心をごく狭い専門分野にのみ向けてしまって、組織自体の持つ機会や要求するところからは、ますます離れていってしまうかのどちらかになってしまうとしています。  

イケダハヤト氏にもドラッカーを是非読んでいただきたい 
イケダハヤト氏の論考など、このブログでも時々掲載させていただいています。それは、表現が今風でありながら、ドラッカー氏のマネジメントの原理・原則を踏まえているからです。今まで、私が読んだイケダハヤト氏の論考は、この原理・原則から離れているものはほとんどありません。

だから、少々残念な気がします。イケダハヤト氏は、おそらく、ドラッカーは読んでいないか、読み込んでいないと思うのです。もし、読み込でいたら、ドラッカーの知識という文脈と「ポータブルなスキル」に関して、さらに深い論考と、考察ができるのではないかと思います。

それにしても、彼の論考は、非常に今風なので、非常にわかりやすく、現代のマネジメントを考える上で、かなり役にたちそうです。本日の例でも、特に若い世代に対しては、「知識」などというよりは、最初は「ポータブルなスキル」と言ったほうが、ドンピシャとわかってもらえるのではないか思います。確かに、新卒などどこの会社での、「ポータブルなスキル」をいくつか持っていてほしいものです。


これから、若い世代に「知識」の重要性を語るときに、「ポータブルなスキル」という言葉も使っていこうと思います。

こうした若い世代の言葉、論考もよく熟知しておけば、特に若い世代に対して話をするときに、互いに理解が深まると思います。そう思うのは、私だけでしょうか?皆さんは、どう思われますか?

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2012年11月2日金曜日

あなたの「情報依存度」はどれくらい?―【私の論評】本当に重要なのは、情報ではない知識だ!!

あなたの「情報依存度」はどれくらい?


情報化時代といわれる現代では、いち早くいい情報を取り入れることが人生を豊かにするコツだといわれています。新しい情報に触れていないと、時代に取り残されるような不安感を覚えることもあるでしょう。しかし、情報に頼りすぎると、主体的に物事を判断する力を養えなくなることも事実です。また、物事に素直に感動する心や、直感力を失いがちになることも否めません。

この記事の続きは、こちらから!!

【私の論評】本当に重要なのは、情報ではない知識だ!!


上の記事で、情報依存度をチエックする項目として以下があげられていました。

● 作品を見る(読む)より先に、つい「解説」に目がいってしまう
● いつも最新のニュースをチェックしていないと不安になる
● 気がつけば、「話題のもの」ばかりを追いかけている
● ガイドブックや情報誌がないと、旅行や街歩きを楽しめない
● 何につけても、人の意見が気になる
● パソコンや携帯電話など、情報ツールがそばにないと不安になる

皆さんは、何項目あたはまったでしょうか?私は、2項目だけあてはまりました。ちなみに、どの項目かというと、2番目の「いつも最新のニュースのチェック」、一番最後の「情報ツールがそばにないと不安になる」というものです。であれば、半分未満なので、情報への依存度は低いということになります。

当然といえば、当然とも思います。なぜなら、私は、情報自体は、さほど重要なことではないと思っているからです。21世紀に入ってから、私たちの社会は完璧に知識社会に突入しました。知識社会に入ってから、それまで以前とは異なる大きな動きがあります。


まず、知識という言葉の意味が変わりました。20年前まで言われていた、知識とは、今や情報です。たとえば、百科事典にあるような情報、サイトに掲載されているような情報、あるい自ら見聞きしたり、直接体験したりしたものです。これらをいくら頭の中に大量に詰め込んだからといって、それ自体はいずれ何かの役にたつかもしれませんが、すぐに仕事に適用できるわけではありません。

どんな情報でも、仕事にするためには、知っているだけでなく、仕事に適用できるように加工しなければなりません。こうして加工して実際に仕事にできるようになった情報体系を知識と呼びます。体系化されていない情報は、知識とはなり得ません。


知識とは、たとえば、緊急救命室(ER)で用いられている実際に救急患者を救命するための知識や知識体系です。このような応用医学や応用工学などにおける知識および知識体系と同義です。知識工学(knowledge engineering)という言葉における知識と同義でもあります。場合によっては、言葉で記載できない暗黙知(言葉に表現できない情報)も含む、情報の体系です。これは、一昔前は知恵ともいわれていたものの大部分も含みます。そうして、新しい意味での知識は、管理対象、変革、破棄の対象です。

一方20年ほど前から知恵の意味も変わっています。これは、たとえば、企業でいえば、経営者のアート、企業の文化、それも基底の文化ともいえる分野のものです。これは管理、改革、改善の対象とはなりえなません。また、改革・改善されるべき筋合いのものでもありません。捨て去るべきものでもありません。たとえば、昨年なくなったアップルの元CEOのスティーブ・ジョブズの知恵は、このブログでも掲載したことがありますが、集中することと、シンプルさの重要性を伝えています。この知恵は、その後アップルの経営者にも引き継がれ、おそらくアップルが存続する限り継承され続けるでしょう。なぜなら、これを失えば、もはやアップは、アップルではなくなるからです。


従来知恵と呼ばれていたものは、幅が広く、現代でいうところの、知識と、知恵の両方が含まれた概念であり、単に知恵といった場合どの範囲を含むのかが曖昧でしたが、新たな言葉の定義によって、曖昧さがなくなりました。そうして、知識とは管理できるものであり、革新できるもの、破棄すべきものでもあります。

特に、今世紀に入ってから、先進国のほとんどが知識社会に突入し、現在では完璧に知識社会となった現在においては、知識の陳腐化は著しくはやく、知識の革新や、知識を捨て去り、新たな知識を取り入れることは、今日多くの企業の基本的な課題です。


以上のことから、私自身は、情報を得ること自体には、あまり価値を見出せないのです。ただし、知識を得るにしても、普段からある程度情報に接しておかなければならないことも、確かに重要です。しかし、だからといて、年がら年中、日がな一日情報を得る必要などありません。

普段は、さっと目を通すくらいで十分です。しかし、何か企画を考えるとか、ものを考えるという段階になれば、特定の項目に関して徹底的に調べます。そのときには、現在のITの進化は、確かに素晴らしいです。一昔前なら、情報が集約された都内にでも住んでいて、あちこち、書籍や、資料館、図書館などを巡り歩いてようやっと得ていたような情報をパソコンの前に座っていてすぐに集めることができるからです。

しかし、モノを知っていることだけでは、今の時代何にもなりません。それは、単にスタート段階に立ったことを意味しているだけです。それだけであれば、単なる「物知り」に過ぎません。そこから先、様々な情報をどのように加工するのかが、本当に意味のあることであり、情報集めは、そのための準備にすぎません。

こうしたことを考えると、過度に普段から情報に依存することは単なる時間潰しにすぎないかもしれません。自分の仕事であれ、趣味であれ、何であれ、情報に接するだけではなく、自分にとって重要な知識に高めることを想定して、情報に接するべきと思います。そう思うのは、私だけでしょうか?




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