財務省は記者たちをなめていた…?
AbemaTVでこうした意見を述べた直後、夜中の12時からテレビ朝日の会見が行われた。その会見をテレビ朝日で放送しなかったのは奇妙であったが、ネット上でその中継を見ることが出来た。その中で、テレビ朝日は、「セクハラを受けたのは自社社員であったが、どの社員であるかを特定され、二次被害につながるから報じなかった」といったが、これはかなりの茶番、苦しい言い訳と言わざるをえない。
週刊新潮がこの問題を報じたあと、それがどの記者であるかは筆者にも特定ができた。他のメディアがこの問題を報じた結果、最終的には特定されてしまうことは、テレビ朝日もわかっていたはずだ(このコラムで特定する必要はないし、マスコミでは報道されることはないが、いまはもう、事実関係はネットで直ぐわかる時代になっている。それが良いか悪いかということより、現実としてそうなっている)。
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セクハラされたとするテレ朝の記者
写真はブログ管理人が挿入 |
だからこそ、一刻も早くテレビ朝日が報じるべきだったと思う。なにしろ、自ら情報発信できるマスコミの人であるならば、やはり一般人とは少し異なると考えるべきだろう。もちろん、当該の女性記者が財務省が委託した法律事務所に行くべきではない。個人でセクハラに立ち向かうというのではなく、組織がしっかりと盾になって、自分たちの問題として報じるべきである。
さて財務省は、相手が財研記者なので「与しやすい」とみていたのだろう。セクハラがあっても、財研記者が自ら名乗ることはできないと見越して、財研に対して変化球を投げていたと思われる。
実はこれこそが深刻な問題である。「与しやすい」などと思われているなら、なおさら財研のマスコミ(テレビ朝日はもちろん、それを見聞きしていただろう記者ら)は「独自情報」として記事を書くべきだった。
結局それができなかったのは、財務省とマスコミ財研がズブズブの関係であることに問題の根源があると思う。「堅物官僚から情報を取るべく、各局が送り込む才媛記者」(
https://www.news-postseven.com/archives/20180419_668016.html)という記事もあるが、財務省の役人であった筆者の経験からも、それほど間違っていないと思うところだ。
各社は財務次官からなんとか情報を取ろうと、記者を取材担当としてあてるわけだが、ちょっとひいて考えると、そもそも、財務事務次官が重要な情報源として意味があるという「官僚社会」自体が問題であろう。政治家ならともかく、官僚が最も重要な情報を持っている構造もおかしいし、官僚を情報源にしなければならないのも、そもそも論からすればおかしいだろう。
また、マスコミのほうにも「過剰供給」という問題がある。
記者らは財務次官(やその他の財務官僚)から必死にモリカケ問題についての情報を得ようとしているようだが、モリカケについては本コラムで何度も書いたように、マスコミの描く構図自体がほとんど間違いである。この問題について、財務事務次官が情報源として役に立つはずがない。それでも取材に行かざるを得ないとは、どういうことなのか。そこが筆者にはわからないのだ。
そもそもなぜ「弱み」を握られるのか
思えば、日本のマスコミは「供給過剰」である。例えば、日本の最大の発行部数の読売新聞は900万部といわれている。それに比べて、アメリカの最大発行部数のウォール・ストリート・ジャーナルが200万部だ。
日本の人口1.2億人、アメリカは3.2億人であることを考えると、読売新聞とウォール・ストリート・ジャーナルの格差は12倍ともいえる。当然のことながら、そこで働く記者数も1桁違いである。
実はこのことが、日本での官僚とマスコミとの力関係の「ねじれ」を生んでいるということに気づかねばならない。記者の数が多く、情報ソース(日本の場合、多くは官僚がそれにあたる)に限りがあるなら、圧倒的に官僚側が有利になる(情報を誰に与えるか、を官僚の側が決めることができるからだ)。
これが、日本独特の記者クラブの存在にもつながっている。供給過剰を、記者クラブという「カルテル」でカバーしようとしているわけだ。
しかし一般論であるが、カルテルは長期的にはその業界を決定的に弱める結果になる。カルテルは「退出すべきもの」も守るからだ。逆に言えばカルテルがなければ、守ってくれるものがなくなる結果、退出者が多くなって、供給過剰は速やかに是正されるわけだ。
記者クラブでも同じことがいえる。記者クラブは結果として供給過剰なマスコミ・記者を温存させて、競争力を奪ってしまった。その延長線上で、マスコミ各社が過剰な取材合戦をすることになったり(これは政治部ではよく見られる光景だ)、夜でも電話一本で呼び出されてしまうことになっている。結果として記者クラブが「記者側の弱み」を生んでしまっているように思える。
そういえば、役人時代、「高橋、ハトに豆、撒いてこい」と上司に言われたことを思い出した。これは「財研の記者にネタを配ってこい」という意味だ。本来ならネタは自分たちで取ってくるべきものだが、彼らは豆(ネタ)をもらいに近づいてくる。それぐらい、財研記者は財務省に依存している、というのも事実だ。
おそらく財務省が情報を出さなければ、多くのマスコミは成り立たないだろう。それほど、マスコミは財務省に依存している。そこを「弱み」として握られているから、財務省が「財政危機」を煽れば、それがデマであっても、マスコミは平気で垂れ流すのだ。
福田次官の個人的な行動は決して容認されないだろうし、官僚がマスコミの「弱み」につけいり、法に触れるような行為を行うのは問題である。一方で、なぜ記者が彼らに「弱み」を握られているのかという問題に向きあい、それを是正することも必要ではないか。でなければ、第二、第三の被害者が生まれてしまうだろう。
これが、ちょっと斜めから見た、セクハラ問題についての筆者の感想である。
【私の論評】財務省を完全解体すれば、財政研究会も消え日本の経済報道もまともになる(゚д゚)!
ブログ冒頭の高橋洋一氏の記事でも指摘されているように、記者クラブそのものにも問題があります。
日本のジャーナリズムについて論じる際、いまだに問題とされるのが「記者クラブ」制度です。記者クラブ制度とは、簡単にいえば主に官公庁に記者室を間借りして、新聞、通信社、テレビの担当記者が常勤するシステムのことです。
この制度の問題点はいくつか挙げられますが、その一つが「排他性」です。多くの場合、記者クラブに加盟していない社の記者が会見などに出席することを、クラブ加盟社は嫌がります。もしくは拒否をします。
本来、官公庁など公の機関が発表する内容を特定の会社だけが聞く権利はないにもかかわらず、会見にフリーの記者が入ることを拒否され、排除されてしまうのです。最近はさすがにかなり会見の場もオープンになってきたので、完全に排除するといったことは少なくなってきたようですが、理不尽な締め出しを喰らった経験を持つジャーナリストは少なくありません。
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清水潔氏 |
桶川ストーカー事件や
足利事件の報道で知られる清水潔氏は、著書『
騙されてたまるか』の中で、かつて経験した理不尽すぎる「締め出し」の様子を振り返っています。
1992年、「FOCUS」のカメラマンだった清水氏は、当時の埼玉県知事が引退することを聞き、その引退会見の撮影に出向きました。
県庁の広報課を訪ねると、スーツ姿の若い男性が出てきて冷たく言い放ったのです。
「会見は記者クラブ員だけになります」
またか、と思いながら、清水氏は
「後ろから写真を撮るだけだから問題ないでしょう」
と言いながら男に名刺を渡した。相手は渋りながら自分の名刺を出してきた。
驚いたことに、なんとそれは通信社の名刺だったのです。彼は県庁職員ではなく通信社の記者で、たまたまクラブの幹事を務めていたのです。
なぜ通信社の社員が、公の会見に出席する人間を選別できるのか。清水氏は食い下がったのですが、相手は「クラブで決めたことなんで」と言うばかりだったそうです。
話にならない、と無視して会場に向かうと何百人も収容できるホールで、ガラガラの状態。それなのに先ほどの男が前に立ちふさがってきました。騒ぎはさらに大きくなっていきました。以下、『騙されてたまるか』から引用します。
「一通信社が他社の取材行為に采配を揮うという。何とも解せない話だ。しかも当時の私は、たまたまだが『埼玉県民』だった。つまり有権者であり、納税者なのだ。
他の雑誌記者たちは、大人しく廊下に出て行ったが、私はそのまま居座った。すると、『出て行け!』の大合唱が始まった。
見回すと、総勢百人近くのクラブ員に囲まれていた。
その昔、二百人以上のヤクザの団体様に囲まれても撮影を続けたこともある私だ。サラリーマンの烏合の衆などに動じるはずもない。知らぬ顔でなおも居座っていると、TBSのカメラマンが大声を張り上げた。
『がたがた言わずに、出て行け!』
なにゆえ『東京放送』が『埼玉県民』に『出て行け!』と言うのだろうか。それに私も視聴者の一人なのだぞ……。」
この騒ぎの最中、知事が入室してきた。すでにテレビは生中継を始めている。そこで件の通信社の記者も「それではアタマ5分だけ写真撮影を許可します!」と声を張り上げた。
すると、それまで追い出されても黙っていた他誌のカメラマンも入室してきた。清水氏は思わず、
「お前らさあ、戦わずして取材するなよ」
とぼやいてしまったといいます。
前述の通り、今はもう少しオープンになっているとはいえ、それでも記者クラブの問題点がなくなったわけではありません。清水氏は同書の中で次のように指摘している。
記者クラブは官公庁内に置かれ、その食堂で役人と『同じ釜の飯』を食う記者たち。そうした関係性の中で提供される情報が次第に『御用報道』を招いていく。
『自分の頭で考える』という基本を失い、『○○によれば……』という担保が無ければ記事にできない記者たち。それは結果的に、自力で取材する力を衰退させ、記者の“足腰”を弱らせていくはずだ。
そうした報道にどう向き合えばいいのか。その答えの一つが「おかしいものは、おかしい」という気持ちを持ち、常に「騙されてたまるか」という姿勢で情報に接することだ、と清水氏は語っています。
清水氏の事例は、財務省のものではありませんが、やはり公官庁の中にある記者クラブということで、財務省の記者クラブである財務研究会も同じような欠点を持っているといえると思います。
高橋洋一氏は、上の記事で、「財務省が情報を出さなければ、多くのマスコミは成り立たないだろう。それほど、マスコミは財務省に依存している。そこを「弱み」として握られているから、財務省が「財政危機」を煽れば、それがデマであっても、マスコミは平気で垂れ流すのだ」と主張しています。
確かに、大手新聞や大手テレビ局の財政に関する報道は、まるで財務省のスポークスマンのようであり、財務省の報道を何ら吟味することも、確認することもなくそのまま垂れ流しているというような状況です。
たとえば、財政研究会の記者らは、財務省の虚偽「1000兆円超の国債発行残高がある日本の財政再建のためには消費増税が絶対に必要」という考えを単純に信じ込んでいるようです。そのため、デフレのときでも何のためらいも、罪悪感すらも感じないで、財務省の消費増税は絶対に必要という嘘を記事にしてしまいます。
しかし、現実には、過去にのこのブログで何度が主張してきたように、政府の子会社ともいえる日銀が国債の相当額を保有しているので、連結で見れば日本の財政再建はすでに昨年でほぼ終わっており、消費増税は不要です。にもかかわらず、増税しなければならないという財務省のデマを財政研究会の記者たちは、財務省のいうなりで記事にしてしまうのです。
これは、清水氏が指摘するように、『自分の頭で考える』という基本を失い、財務研究会の記者たちは、『◯◯によれば……』という担保が無ければ記事にできなくなってしまったのです。そうして結果的に、自力で取材する力を衰退させ、記者の“足腰”を弱らせてしまったのです。
だから、世界中のマクロ経済学で教える、デフレのときには金融緩和と、積極財政を、インフレのときには、金融引締めと緊縮財政を行うべきというあまりにも自明なことでも、財務省がこれに違えることを発表しても、何の疑問もなく受け入れて記事にしてしまうのです。
これでは、財務省の犬といわれてもしかたないです。さらに、悪いことに財務官僚は、自分たちの「とんでも財政理論」を広めるためのツールとして「オフレコ」や「リーク」を使いこなします。
そんな官僚側の思惑を知らず、記者会見だけだと他者との差別化が図れないため、記者たちは、オフレコ取材を日常的に繰り返し、リーク情報をありがたがって、さらに事実を歪める記事を書き連ねるのです。
そうして、このような頻繁なオフレコ取材が今回のセクハラの温床になったのは間違いありません。そもそも、記者クラブなどなければ、今回のような事件は起こらなかったでしょう。
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福田淳一元財務次官 |
他社の記事との差別化を図るため、オフレコ取材やリークを期待している女性記者とスケベ官僚が頻繁に会えば、セクハラを助長するようなものです。今のまま、財政研究会をそのまま残しておけば、このような構図は変わらず、一時なりを潜めてもこれからもセクハラが起こり続ける可能性もあります。
財務省の完全解体うべきという主張は、このブログで過去に何度か掲載してきました。財務省が解体されれば、当然のことながら、財政研究会もなくなります。そうなれば、日本の経済報道も今よりは相当まともになるのではないかと思います。
そうして、財務研究会に限らず、このような問題のある記者クラブはもう廃止すべきと思います。
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