まとめ
- ドイツはナチスを絶対悪として切り離し、国民全体の責任を曖昧にすることで、過去と真に向き合うことを避けている。
- ナチスによるポーランド支配は、教育の抹殺や知識人の排除など、民族文化そのものを破壊する苛烈なものであった。
- 現代ドイツはAfDの支持拡大を「極右」「ファシズム」と決めつけ、移民問題への国民の批判すら封じようとしている。
- 日本は台湾や朝鮮に帝国大学を設け、現地人が学問の機会を得ていた事実を、欧米型植民地とは異なる歴史として正当に語るべきである。
- 「ドイツは立派に謝罪した、日本は反省していない」という言説は虚像であり、ドイツの責任回避の欺瞞と、日本の自虐史観が合わさった危険な幻想である。
「戦後80年、ドイツはいまだにナチスと向き合い続けている」。そんな美談が日本のメディアでは繰り返し報じられている。だが、現実のドイツは“歴史との対決”などしていない。ただひたすら「ナチス」という虚構の悪魔を仕立て上げ、自らの罪をそちらに押しつけているだけだ。
ナチスの罪とは、ヒトラーと側近だけが犯したものなのか。違う。数百万のドイツ国民が選挙でナチスを支持し、歓声を上げて戦争に協力した。ナチスを選び、熱狂し、最後まで支えたのは紛れもないドイツ国民そのものである。にもかかわらず、ドイツは「ナチス=別物」という構図をつくり、自国民の加担責任から目を背け続けている。
ナチス党大会 |
その背景には、歴史の文脈を意図的に切り離す姿勢がある。第一次世界大戦の敗北、ヴェルサイユ条約による国民の屈辱、共産主義の脅威、社会の混乱——こうした要因に触れようとしない。まるで、ナチスは地獄から突然湧いて出た“絶対悪”だったかのような語り口である。
この“ナチスの悪魔化”は、実はドイツ社会の責任逃れに他ならない。そして、こうした歪んだ歴史観に異を唱える学者は、国内で徹底的に封殺されてきた。歴史家エルンスト・ノルテは、ナチスの所業をスターリン体制など他の全体主義と比較する文脈で理解すべきだと主張したが、彼は“歴史修正主義者”と糾弾され、学界から追放同然の扱いを受けた。
西尾幹二氏もこう指摘する。ドイツは“ナチス”を悪魔に仕立て、その陰に自国民の責任を隠した。しかも、その手法を日本にまで輸出した。戦後日本の知識人の多くが「ドイツは立派に反省した」と持ち上げたが、実態は違ったのである。
ナチスの「悪」を隠れ蓑にしたドイツの抑圧と矛盾
ドイツ軍のポーランド侵攻 |
そして今、ドイツではAfD(ドイツのための選択肢)という保守政党が支持を伸ばしている。だが、識者やメディアも彼らの政策には目を向けず、「ナチスの再来」とレッテルを貼って排除しようとする。移民問題やEUの暴走に苦しむ国民の声に耳を傾けるどころか、それを“過去の亡霊”に仕立てて黙らせようとするのだ。
これは、まさに「歴史との対決」ではなく、「歴史を盾にした現在の否認」である。いかなる過去も、現在の国民の口を封じる理由にはなり得ない。過去を道具にして国民の怒りを抑え込むことほど卑劣な行為はない。
自虐史観に呑まれた日本こそ立ち止まれ
一方、日本はどうか。日本もまた、「ドイツは反省した、だから日本も見習え」と言われ続けてきた。だが、ドイツがナチスに責任を押しつけ、国民の加担を曖昧にしたのに対し、日本はあらゆる戦争責任を“国家全体の罪”として引き受け、自国を徹底的に否定してきた。
たとえば、日本が朝鮮半島や台湾に設立した台北帝国大学や京城帝国大学では、現地出身の学生が実際に入学し、学問の道を歩んでいた。当時の朝鮮の道議会(日本の県議会などに当たる)の議員の8割は朝鮮人だったとされる。これらは単なる「支配」ではない。文明の共有であり、教育という未来への投資だった。
京城帝国大学医学部卒業記念アルバムのオークションサイトの紹介画像(右下の写真が実物の写真) |
日本は鉄道を敷き、上下水道を整え、法制度と医療を導入した。ポーランドを破壊しつくしたドイツとはまったく違う道を歩んできた。にもかかわらず、我々自身がそれを正面から語ろうとしない。
2005年、小泉純一郎首相が「ドイツは謝罪したが、日本はしていない」と言われた際、堂々と反論すべきだった。日本は何度も謝罪してきた。にもかかわらず、その事実すら発信しようとしない。これでは国家の誇りも主権も守れない。
日本の教科書では、「ドイツは謝罪し、国際社会から尊敬された」と書かれ続けてきたが、実際のドイツは、謝罪の仮面の裏で国民の責任を巧妙に免れ、今なお歴史の罠に囚われ続けている。ドイツが“歴史修正の罠”から抜け出さない限り、真の民主主義国家にはなれないだろう。
日本よ、偽りの“模範国家”を崇めるな
そして、日本もまた、「ドイツ=善、日本=悪」という歪んだ史観から目を覚まさぬ限り、国家として健全にはなれない。過去の一部を針小棒大に語り、文明の成果や正当な行為を黙殺するような国が、どうして世界に誇れる未来を築けるのか。
歴史とは、過去を使って現在を縛るための道具ではない。過去を正しく見つめ、未来をつくるための礎である。
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