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2017年9月15日金曜日

山尾氏、男女関係ウソばれた!文春第2砲で「証拠」写真 「1人で宿泊」「政策の打ち合わせ」に反論―【私の論評】組織人は真摯さの欠如と、そのような人物を選ぶマネジメントだけは許さない(゚д゚)!

山尾氏、男女関係ウソばれた!文春第2砲で「証拠」写真 「1人で宿泊」「政策の打ち合わせ」に反論

山尾氏は「ホテルに1人で泊まった」と主張したが…
9歳下の妻子ある弁護士との「禁断愛」が週刊文春に報じられ、民進党を離党した山尾志桜里衆院議員(43)に新たな打撃となるのは確実だ。「ホテルには1人で宿泊」「男女関係はなく、政策立案などの打ち合わせや作業」という釈明に、14日発売の同誌で詳細な反論記事が掲載されたのだ。発言の信憑(しんぴょう)性に疑問が生じる事態で、法曹関係者は「政治家としても資質を問われることになる」と指摘する。

 同誌の先週号では、山尾氏と倉持麟太郎弁護士(34)が9月2日夜、東京都品川区のホテルに時間差で入る様子を写真付きで掲載。お互いに配偶者も子供もいる立場ながら、週に4回密会を重ねていたとも報じられた。

 「保育園落ちた日本死ね」というブログを国会で取り上げて注目され、自民党議員の不倫についても鋭く批判していた山尾氏だけに、「W不倫」を疑われる報道のショックは大きかった。ただ、山尾氏は離党した一方、「ホテルには私1人で宿泊した」と明言、「男女関係はなく、政策立案などの打ち合わせと作業だった」と釈明した。

 報道を否定された形の文春は今週号で第2弾を投じた。品川のホテル36階のエレベーターホールに姿を見せた倉持氏が、ある部屋の前に立ち、《内側から静かにドアが開かれると、倉持氏は中へと静かに足を踏み入れた》として、その瞬間の写真も掲載。そして、《この20分前には山尾志桜里衆院議員がチェックインを済ませ、一足早く入室していた》としたのだ。

9月2日夜山尾氏が宿泊したとされるダブルルーム
 部屋はダブルルームで、スペースの大半をダブルベッドが占め、背もたれのある椅子は一脚しかなく、《とても「政策立案や質問作成などの打ち合わせ」ができるとは思えない》と皮肉たっぷりに記している。そして《2人が翌朝5時までホテルに滞在していたことを確認している》とダメ押しした。

 男女問題に詳しい弁護士の高橋裕樹氏は、「倉持氏は自分のスーツケースを持って山尾氏のもとへ向かっているようだ。部屋を別にとってあるなら一度、荷物を置いてくるはずだ。性行為があったかどうかは当人同士にしか分からないが、部屋は事実上ラブホテルと同じような構造であり、ここで『政策立案』していたという説明はかなり苦しくなった」と指摘する。

 高橋氏は「証拠を小出しにされたことで、山尾氏はほころびをみせた。裁判に限ったことではないが、一度言ったことは簡単には撤回できない。政治家としても資質を問われることになるのではないか」と話している。

 山尾氏は7日の記者会見以降、14日朝の時点で公の場に姿を見せず、ブログやツイッターも更新していない。「説明責任」はどこへ行ったのか。

【私の論評】組織人は真摯さの欠如と、そのような人物を選ぶマネジメントだけは許さない(゚д゚)!

ブログ冒頭の記事で、弁護士の高橋氏は、山尾氏のことを政治家としても資質を問われるのではないかということを主張しています。政治の世界は複雑で、さらには外からはうかがい知れないことも多数あります。しかし、そのようなことに惑わされずに、今回はこの問題をマネジメントの観点から分析してみます。では、政治家としての資質とは一体何なのでしょう。嘘をつかないということでしょうか。


そのような単純なものではないと思います。以下にいわゆる組織人としての資質について以下に経営学の大家である、ドラッカー氏の考えを掲載します。
日頃言っていることを昇格人事に反映させなければ、 優れた組織をつくることはできない。 本気なことを示す決定打は、人事において、 断固、人格的な真摯さを評価することである。 なぜなら、リーダシップが発揮されるのは、 人格においてだからである。(『現代の経営』[上])
ドラッカーによれば、人間のすばらしさは、 強みと弱みを含め、多様性にあります。 同時に、組織のすばらしさは、その多様な人間一人ひとりの強みを フルに発揮させ、弱みを意味のないものにすることにあるといいます。

だから、ドラッカー氏は、弱みは気にしません。 山あれば谷あり。むしろ、まん丸の人間には魅力を感じないようです。 ところが、ひとつだけ気にせざるをえない弱みというものがあるようです。 それが真摯さの欠如です。 真摯さが欠如した者だけは高い地位につけてはならないといいくます。 ドラッカーは、この点に関しては恐ろしく具体的です。
人の強みでなく、弱みに焦点を合わせる者をマネジメントの地位につけてはならない。 人のできることはなにも見ず、できないことはすべて知っているという者は 組織の文化を損なう。 何が正しいかよりも、誰が正しいかに関心を持つ者も昇格させてはならない。 仕事よりも人を問題にすることは堕落である。
真摯さよりも、頭脳を重視する者を昇進させてはならない。そのような者は未熟である。 有能な部下を恐れる者を昇進させてもならない。そのような者は弱い。 
仕事に高い基準を設けない者も昇進させてはならない。 仕事や能力に対する侮りの風潮を招く。 
判断力が不足していても、害をもたらさないことはある。しかし、真摯さに欠けていたのでは、いかに知識があり、 才気があり、仕事ができようとも、組織を腐敗させ、業績を低下させる。 真摯さは習得できない。仕事についたときにもっていなければ、 あとで身につけることはできない。 真摯さはごまかしがきかない。 一緒に働けば、その者が真摯であるかどうかは数週間でわかる。 部下たちは、無能、無知、頼りなさ、無作法など、 ほとんどのことは許す。しかし、真摯さの欠如だけは許さない。 そして、そのような者を選ぶマネジメントを許さない。(『現代の経営』[上])
この"真摯さ"というキーワドに関しては、ドラッカーの書籍を読み始めた頃から疑問に感じていました。

真摯という言葉をヤフーの辞書検索(大辞林)で調べると、「まじめで熱心なこと」と出てきました。よく「皆様のお言葉を真摯に受け止め……」という言い方をしますので、「まじめ」とか「純粋」とか、そういう意味かなと前々から思っていました。 ドラッカーの言う「真摯さ」とは、どういうものなのでしょう。

この真摯さとは英語のどの言葉を訳しているかが気になって、ドラッカーの英語の原書をみてみました。その結果、「integrity」という単語が「真摯さ」と訳されていることが分かりました。 
"They may forgive a person for a great deal: incompetence, ignorance, insecurity, or bad manners. But they will not forgive a lack of integrity in that person.(無知や無能、態度の悪さや頼りなさには、寛大たりうる。だが、真摯さの欠如は許さない)"
integrityをヤフーの辞書(プログレッシブ英和中辞典)で調べると、「正直、誠実、高潔、廉直」という、やはりそうかといった訳が出てきました。英和ではなく、英英辞書(Longman)で調べたところ、以下のような説明が出てきました。
"the quality of being honest and strong about what you believe to be right"(あなたが「正しい」と信じていることに関する正直さと強さの質)
つまり、integrityとは、「正直さ」や「誠実さ」が一貫している、という意味なのではないかと思います。

これだけ重要なintegrityとは何なのでしょうか。ドラッカー氏でさえ「定義が難しい」と自身の書籍で書いています。ただしドラッカー氏は「真摯さの欠如は、定義が難しいということはない」とも書いています。ドラッカーが『現代の経営』で挙げている、integrityが欠如した人の例は以下の通りです。
・人の強みではなく、弱みに焦点を合わせる者
・冷笑家
・「何が正しいか」よりも、「だれが正しいか」に関心をもつ者
・人格よりも頭脳を重視する者
・有能な部下を恐れる者
・自らの仕事に高い基準を定めない者
米国企業の経営方針や社員が持つべき価値観を示した文書を読んでいると、integrityが実に頻繁に出て来ます。ある経営者を“He was known particularly for his integrity”と称したら、これは最高の誉めことばになるようです。

経営手腕があり、しかも清廉潔白な経営トップがいれば素晴らしいことですが、なかなかそうはいかないようです。斬新な戦略を立案して遂行する力は十二分だが、叩くと少々ほこりが出る経営者と、身綺麗で家庭円満だが何も決められない経営者がいたとしたら、上半身を比較し、前者に軍配を上げ、後者に無能の烙印を押すことになります。

結局、「一貫した正直さと誠実さ」とを持って組織に貢献することが「真摯さ」なのだと思います。

この"真摯さ"の欠けている人間は確かに問題です。民進党という組織の中で、そうして、政治家として、この観点から、山尾志桜里氏はどうだったのでしょうか。

私自身は、確かに不倫は良いことではありませんが、それは家庭人や社会人として良くないことであると思います。

はっきりいえば、組織の中の組織人として、あるいは政治家として、不倫をするしないということは、"真摯さ"に欠る欠けないかということとは直接関係はないと思います。

しかし、ブログ冒頭の記事にもあるように、たとえ組織に直接関係はなく個人のことであったにしても一度言ったこと、それも記者会見などの公の場で言ったことは簡単には撤回できません。結局山尾氏は記者会見で嘘を言ったと思われても仕方ありません。これは、明らかに"真摯さ"に欠ける行為だといえると思います。

むしろ記者会見では、男女の関係を認めた上で、謝罪するべきところは謝罪すべきでした。そのほうかよほど政治家として"真摯さ"を多くの人々に訴求できたと思います。

ドラッカーの主張するように、"部下たちは、無能、無知、頼りなさ、無作法など、 ほとんどのことは許す。しかし、真摯さの欠如だけは許さない。 そして、そのような者を選ぶマネジメントを許さない"のです。だからこそ、この事件をきっかけに、民進党を離党す人たちがでてきたのです。

そうして、山尾氏は7日の記者会見以降、現在まで公の場に姿を見せず、ブログやツイッターも更新していません。明らかに嘘と思われる発言に対して未だ「説明責任」を果たしていいませんしこれから果たすという様子もありません。

山尾氏はいわゆる「保育園落ちた、日本死ね」と書かれた主婦のブログを国会でとりあげ、一躍有名になりました。そうして、山尾氏はこのことで、安倍政権を舌鋒鋭く批判しました。山尾氏の政治家としての仕事といえば、いままでのところは、目立ったものはこれだけだと思います。

しかし、この行動は"真摯"なものといえるでしょうか。私はにとても、そうとは思えません。

これについては、以前このブログにも掲載したことがあります。その記事のリンクを以下に掲載します。
【流行語大賞トップ10】俵万智さん「『死ね』が世の中動かした」「こんな言葉を使わなくて良い社会に」―【私の論評】「日本死ね」を正当化する人々には「日本から出て行け」と言いたい(゚д゚)!
俵万智
詳細は、この記事をご覧いただくものとして、この記事の結論部分のみ以下に掲載します。
国会での審議など、多くの国民の規範にもなるべきものと思います。そんなところで、平気で「死ね」などという言葉を審議過程で用いられ、あまつさえ流行語大賞になってしまえば、小学校などでも、「死ね」「殺す」が当たり前になってしまうのではないでしょうか。 
そうして、「死ね」「殺す」よりはまだましであると思われるような、「菌」などという言葉、何のてらいもなく大声で話される言葉になってしまいかねません。

国会議員、マスコミなどが、どんな文脈であれ、このような言葉を平気で使う日本社会は狂っているとしか思えません。
「死ね」などという言葉横行する組織は、学校であれ企業であれ、「いじめ」が横行しかねない 
国会議員や、マスコミなどが駄目なら、少なくとも私たちの日々過ごす組織の中では、こういうことは禁忌とすべきと思います。というより、国会議員やマスコミが狂っていても、日本の多くの組織の中では、このようなことは元々禁忌となっていると思います。だから、国会議員やマスコミが狂っていても、日本の社会は安定しているのです。 
組織の中では、禁忌とされることをしでかしてしまったものは、たとえ一見それが正しいことのために行われたようにみえても、いずれ懲罰を受けます。いつまでたっても、出世しないとか、給料が上がらないとか、禁忌を破った直後か、そうではなくとも、何年かたったあと左遷されたり、減給されたり、降格されたりします。そのとき、はじめて禁忌を破ったことの重大性に気づく愚か者も存在します。最近では、気づかいない人もいるです。しかし、これは組織の秩序を保つため当然のことです。 
国会議員やマスコミなども、今のままでは、さらに増長しとんでもないことになってしまいかねません。山尾志桜里のような議員には、選挙では票を入れないことです。マスコミは新聞・テレビなどの購読や視聴をやめることです。
とにかく、この狂った社会風潮は何十年かけてでも、是正すべきです。
「日本死ね」などというブログの内容を国会で平気で審議の過程で用いる議員など、とても"真摯"であるとは私には思えません。これは、まさに真摯さに欠ける行為であり"人の強みではなく、弱みに焦点を合わせる者"、"「何が正しいか」よりも、「だれが正しいか」に関心をもつ者"の所業といわれても仕方ないと思います。

そうして、民進党そのものが、政策論争(何が正しいか)ではなく、安倍政権や安倍総理個人を貶めること(誰が正しいか)を重視しているという点で、まさに「真摯さ」に欠けます。

今回の山尾氏の騒動に関しては、山尾氏の不倫問題ばかりがクローズアップされていますが、私はそれ自体はさして重要なことではないと思います。

それより重要なことは、もともと「真摯さ」に欠けた山尾氏を幹事長にしようとする人事が、さすがに民進党内部でも不興を招いたことだと思います。

まさに、「 部下たちは、無能、無知、頼りなさ、無作法など、 ほとんどのことは許す。しかし、真摯さの欠如だけは許さない。 そして、そのような者を選ぶマネジメントを許さない」のです。

それと、他人を不倫を厳しく批判しながら、自分もひそかに同じことをやる「ダブルスタンダードの偽善」も"真摯さの欠如"であることは言うまでもありません。

国民は、政治家の「真摯さの欠如」だけは許さないのです。

これは、政治の世界だけではなく、あらゆる組織にあてはまる原理であることを肝に銘じるべきです。

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2016年10月18日火曜日

「リフレ派敗北」という人の無知と無理解と統計オンチ デフレに逆戻りさせるのか―【私の論評】俗説、珍説を語る輩はエビデンス(証拠・根拠、証言、形跡)を出せ(゚д゚)!

「リフレ派敗北」という人の無知と無理解と統計オンチ デフレに逆戻りさせるのか

日銀が金融政策の検証を行ったことを受けて、金融緩和によるデフレ脱却を主張する「リフレ派」の「敗北」や「失敗」を強調する報道が見受けられる。「異端の理論を実験したが、失敗して路線変更を余儀なくされた」といった論調もある。

だが、「異端」というのは日本のマスコミや学会だけの話である。世界の中央銀行はリフレ的な考え方で運営されている。

こうした批判者は、日銀が「金利」重視に変更したことで、これまでお金の「量」が重要だと主張してきたリフレ派が敗北したと言いたいのだろう。

たしかに、名目金利にこだわる従来の金融政策を批判するために、実質金利に注目すべきことや、量的緩和が重要であることを筆者は主張してきた。

だが、金融理論では、実質金利を決めれば量が決まり、逆に量が決まれば実質金利が決まるという「1対1対応」の関係にある。この意味で、量か金利かというのは、さほど本質的なことではない。

この等式が頭に入っていないお粗末な経済記者や経済学者が多い
図表・写真はブログ管理人挿入以下同じ
「名目金利をゼロ以下に下げにくいのだから、もう金融政策は無効だ」という従来の金融政策に対して、「予想インフレ率を高めれば実質金利(名目金利から予想インフレ率を差し引いたもの)を大きくマイナスにすることもできる」と主張してきたのがリフレ派である。そのための手段の一つが量であるが、決して量だけを強調してきたわけではない。

筆者は、日銀の2013年以降の金融政策を評価している。なにより就業者数が増加し、失業率は低下するなど雇用環境が良くなった。これはマクロ経済政策としてクリアすべき必須条件だ。

こう言うと、冒頭の批判者は「人口、とりわけ生産年齢人口が減っているからだ」と反論する。しかし、人口減少は05年から、生産年齢人口減少は1995年から始まっており、アベノミクスの金融緩和による結果とは無関係だ。「リフレ派の敗北」といった記事を書く人は統計数字をまったく読めない人たちだというほかない。

ただし、筆者は9月に日銀が決めた政策には不満がある。金融緩和か引き締めかでみれば、現状維持で、何もしていないのと同じだからだ。

筆者の計算では、失業率は現在の3・1%から2・7%程度まで下げることが可能だ。しかも、現状のインフレ率はゼロ近辺で、目標の2%まで達していないため、失業率を下げてインフレ率を高める金融緩和を実施するのは当然だ。

今回それを日銀はやらなかったので、筆者の評価は、やるべき時にやらなかったという意味で「日銀はサボった」となる。

野球の試合にたとえれば、日銀は5対0でリード、追加点2点を取ればコールドゲームというチャンスなのに、絶好球を打ち損じた-というところだ。

リフレの批判者は、ほぼ例外なく実質金利を理解できていない。冒頭のような批判者も、金融政策は無効であり、他の政策を行うべきだと主張する。しかし、これまで雇用増加に寄与し、さらなる増加も見込まれるのに、もう金融政策をやるなというのは、デフレに逆戻りせよというのと同じだ。失われた20年間の教訓がまったくない、デフレの犯人ともいえる。 (元内閣参事官・嘉悦大教授、高橋洋一)

【私の論評】俗説、珍説を語る輩はエビデンス(証拠・根拠、証言、形跡)を出せ(゚д゚)!

高橋洋一氏の上の記事では、「日銀はサボった」との記述もありますが、過去においてはまともに実行していた時期もあります。そうして、あまりにも当然のことなので、わざわざ触れていませんが、量的金融緩和政策をまともにやっていたときでも、8%増税などという馬鹿げた政策をやってしまったので、せっかくの量的金融緩和の腰を折ったというのも事実です。

もし、消費税増税をしていなければ、量的金融緩和の政策の効果が至るところに現れていて、「リフレ派」の「敗北」や「失敗」などという論調など全く影を潜めていたことでしょう。

さらに、量的金融緩和政策には、量的金融緩和政策には、一定期間のラグがあるということも理解すべきです。それに関しては、以下の表をご覧いただければご理解いただけるものと思います。

岩田規久男「デフレをとめよ」(日本経済新聞社)第6章 IS-LM2分析で記述

量的金融緩和政策を実行したからといって、その効果がGDPの上昇、失業率の上昇、インフレ率の上昇という形になってあらわれるのは、約2年かかるということです。これは、何も後付で解説しているのではなく、最初からわかっていたことです。

日銀の量的金融緩和政策は、2013年4月から実施されてます。もし、増税せずにそのまま金融緩和を続けていれば、2015年にはGDPも上昇していたことでしょう。

ただし、GDPは上昇してはいないものの、過去に量的金融緩和を実施し続けてきたことにより、失業率はかなり下がり、新卒の就職率もここ数十年ほどなかったほどの高水準です。実質賃金も上昇基調にあります。

特に新卒雇用に関しては、2013/03/09にはYouTubeで以下の様な動画が掲載されていたことを考えると、隔世の感があります。



この動画は、『「就活狂想曲」animation "Recruit Rhapsody"』というタイトルで、「ごく普通の大学生として何となく過ごしてきた主人公。ところが近頃友人たちの様子がおかしい。聞けば、彼らは噂の"就活"に躍起になっているらしい。それが一体どのようなものなのか見極められぬまま、主人公もまた「ニッポン式就活」の渦中へと引きずり込まれて行く」というストーリーです。

わずか3年ほど前には、このような悲惨で異様な就活が一般的だったのが現在のような状況になったのですから、現状までの量的金融緩和が失敗だったなどというのは全くの間違いです。

高校や大学の就職担当の先生方は、この違いを一番良く理解しているでしょう。それに、多くの若者達もこれをよく実感または、体感していることでしょう。そのためでしょうか、多くの若者はアベノミクスの継続を希望しています。

しかし、2014年4月から8%の消費税増税を実行してしまったため、その悪影響でGDPはいまだにはっきりとした上昇基調にはありません。

会社経営でも、一旦業績をかなり落とした企業が、回復して成長軌道にのるためには、何か対策を打ってそれが効き目があったにしても、数年かかります。量的金融緩和政策も同じことで、緩和したからといって、半年、1年で目に見えてすぐに効果でるというわけではありません。

それに、一旦業績を落とした企業が何か対策を打ったにせよ、まだ会社の業績が回復しきっていない状況にあるにもかかわらず、大規模な設備投資や賃上げを行ってしまえば、ふたたび会社の業績を落とすのは目に見えています。

このたとえが、良いものであるかはどうかはわかりませんが、量的金融緩和政策を実行中似、減税ではなく増税を実行してしまうというのは、企業経営でいえば回復途上にある会社が大規模な設備投資や賃上げを行ったのと、同様で、GDPがいまいち伸びないのは当然すぎるほど当然です。

量的金融緩和政策はまさに、失敗したのでも何でもなく、増税さえしなければ今頃十分に成果をあげていたはずなのが、増税をしてしまったために、その途上にあるということです。

その根拠として、ブログ冒頭の記事で高橋洋一氏は「失業率は現在の3・1%から2・7%程度まで下げることが可能だ。しかも、現状のインフレ率はゼロ近辺で、目標の2%まで達していないため、失業率を下げてインフレ率を高める金融緩和を実施するのは当然だ」としています。

特に、失業率に関してはまさに、高橋洋一氏の言うとおりです。それに関して以下に若干の説明を加えます。

総務省では、失業を発生原因によって、「需要不足失業」、「構造的失業」、「摩擦的失業」の3つに分類しています。
需要不足失業―景気後退期に労働需要(雇用の受け皿)が減少することにより生じる失業
構造的失業―企業が求める人材と求職者の持っている特性(職業能力や年齢)などが異なることにより生じる失業
摩擦的失業―企業と求職者の互いの情報が不完全であるため、両者が相手を探すのに時間がかかることによる失業(一時的に発生する失業)
この3つの失業のうち、需要不足失業は金融緩和などの政策によって、解消しうる失業です。構造的失業と、摩擦的失業は金融緩和などの政策によっては解消できない失業です。このうち、摩擦的失業は最近ではインターネットなどが発達したため、情報共有が進みあまりみられらなくなりました。現在では、あまり考慮しなくても良いといえるものです。

量的緩和政策により失業率が下がり需要不足失業が全くなくなったとしても、構造的失業は依然として残るわけです。この構造的失業率を高橋洋一氏は2.7%であると見ているわけです。

以下に、過去の完全失業率のグラフを見ておきます。過去の失業率でも、97年以降からは日本は完璧にデフレに突入しましたし、その数年前からデフレ気味でした。ですから、このあたりの失業率はあまり参考になりません。


それ以外の期間の失業率をみると、87年を例外として、ほとんどが2.0%と3%の間に収まっています。この前の年の1986年には、日本経済は円高不況に陥っていました。失業率の悪化はその影響であると思われます。

このように過去の傾向からみても、日本の失業率の下限(≒構造的失業率)は、やはり3%未満、おそらく2.7%であるとみるべきでしょう。これは、かつてデフレでなかった頃の、日本では失業率が3%を超えるとそろそろ赤信号と言われていたことと、符号します。

そうなると、失業率が2.7%になるまでは、量的金融緩和政策を続けるべきという結論に落ち着くのは当然のことです。

さらに、2%の物価目標も達成されていないわけですが、やはり量的金融緩和は絶対に必要であるという結論になります。

「リフレ派」の「敗北」や「失敗」等と主張する方々には、そのような主張をする前に、誰もが納得するエビデンスを出せといいたいです。

エビデンスがないのなら、日本を再びデフレ(証拠・根拠、証言、形跡)に戻すような主張をするのは厳に慎むべきです。

【関連記事】




2016年9月30日金曜日

『アゴラ』が蓮舫氏に公開質問状 “二重国籍問題”を追及「証拠示し説明を」―【私の論評】蓮舫氏が蓮舫氏自身を追求し追い詰めることに(゚д゚)!


今臨時国会で、安倍総理を舌鋒鋭く批判し、質問した蓮舫氏
 民進党の蓮舫代表の「二重国籍」問題で、インターネットの言論プラットフォーム「アゴラ」が29日、蓮舫氏あてに公開質問状を提出した。国民にウソをついていた国籍問題について、野党第一党の党首として口頭ではなく、公文書などの証拠を示して説明を求めるものだ。蓮舫氏は「ごまかし」なく、国民に真実を提示できるのか。

注目の質問状は、アゴラ編集部が29日夕、蓮舫氏のツイッターに送付するとともに、ネット上で公開した。夕刊フジでも同問題を徹底追及した、徳島文理大学の八幡和郎教授が問題提起を続けてきたサイトだ。

国会議員の法令順守が問われる蓮舫氏の「二重国籍」問題を明らかにするため、アゴラは(1)(1985年に日本国籍を取得しているが)日本国籍を選択した日付の戸籍関係書類(2)9月6日に東京の台北駐日経済文化代表処に出した台湾旅券を含むすべての書類(3)9月23日に台湾の当局から受け取った国籍喪失証明書-の開示を求めている。

質問状を出した理由として、「現状では、国籍選択をされたのか、本当に『二重国籍』状態は解消されたのか、蓮舫氏の一方的な説明に過ぎない」「もし、蓮舫氏が疑惑を追及する立場だったら、舌鋒鋭く『なぜ、証拠書類を出さない』と迫っていたはず」と記している。

この問題については、日本維新の会が、国会議員や国家公務員の「二重国籍」を禁止する法案(いわゆる『蓮舫法案』)を、今回の臨時国会に提出している。民進党の同法案への対応が注目されるなか、この質問状への回答も関心を集めそうだ。

【私の論評】蓮舫氏が蓮舫氏自身を追求し追い詰めることに(゚д゚)!

ブログ冒頭の記事にも掲載されている徳島文理大学の八幡和郎教授のサイトのリンクを以下に掲載しておきます。
蓮舫氏の二重国籍解消で判明した点と未解決問題の整理【暫定版】
徳島文理大学の八幡和郎教授
八幡先生が語っておられるように、確かに本当に現在でも、二重国籍から台湾籍わ除籍して、日本籍のみになっているのかどうか、誰もわかりません。それを確認できるのは、今のところ本人だけです。

民主党内ですから、物的証拠を見たという人はいません。自身の二重国籍問題で発言が二転三転し、見苦しい言い訳をしてきた蓮舫氏です。やはり、この公開質問状にははっきりと、まともに応えてもらわないと信用が全くできません。言葉ではなく、物的証拠を提示すべきです。

蓮舫氏を追及させたら蓮舫氏が一番というパロディー動画が、動画共有サイト「YouTube(ユーチューブ)」で話題になっています。その動画を以下に掲載します。


この動画は「もしも蓮舫議員の二重国籍問題を蓮舫議員が追及したとしたら(笑)-ブーメランの女王はガソリーヌでなく私よ!」と題した14分57秒の作品です。テレビの複数のニュース番組を編集し、蓮舫氏を蓮舫氏が追及するという仕立てです。

動画の冒頭でテレビ司会者の辛坊氏が「週刊誌やネット等の噂で、二重国籍で台湾籍を持ちながらなのか?という噂があります」と質問すると、画面が切り替わり、蓮舫氏は「いま、そのような噂が流布されることがホント正直悲しいんです」と回答します。

すると次の瞬間、再び画面が切り替わり、国会で質問に立つ蓮舫氏が現れて、「週刊誌の報道内容は事実か確認されましたか?」と語気鋭く質問。さらに「確認はされましたか?」と重ねて詰め寄ります。

強い語調でただす蓮舫氏がそっくりそのまま自分自身を容赦なく攻め立てるように見える編集で、動画のタイトルも「ブーメランの女王」と名付けられた。9月24日の公開後、再生回数12万回以上の人気動画となっています。

この動画がこのように人気になるのも、当然のことです。蓮舫氏の、二重国籍問題に関して、一般人と同じような感覚で、あまり問題がないとか、差別であるかのように、問題を矮小化する人もいますが、国会議員や野党第一党の代表は公人であり、利益が相反する国の国籍を有したまま、国会議員や代表になるのは非常に問題です。

台湾と日本に関しては、このブログに以前掲載したように、はっきりと大きな利益相反があります。その記事のリンクを以下に掲載します。
「尖閣は台湾のもの?」“二重国籍”蓮舫新代表が知っておくべき日本と台湾の対立点―【私の論評】南京・尖閣問題で台湾は決して親日ではない(゚д゚)!
民進党代表決定の名前を呼ばれる直前にハンカチで目頭を押さえる 蓮舫新代表=9月15日
詳細は、この記事をご覧いただくものとして、台湾は現政権になってからも、尖閣は台湾領であるという主張を取り下げていません。また、南京虐殺に関しても、大陸中国と同様の主張をしています。

この記事にも掲載したのですが、台湾人とは決して一つの民族というわけではありません。まずは、本省人と内省人という区別があります。

本省人とは戦前から台湾に移住して住んでいる人達の事です。本省人には2種類あり、福建系(ほとんど)と客家系(少数)にわかれます。本省人(福建)は台湾語を話し、本省人(客家)は客家語を話します。

台湾は日本などとは異なり、多民族国家です。本省人の他に、外省人とは戦後に中国大陸からやってきて台湾に移住した人達のことです。

当時中国大陸で国民党と共産党の内戦があり、国民党は負けたので台湾に逃れました。元々は大陸に戻るつもりでしたが、大陸の中国共産党政府が強大になったため、その機会はなくなり、今でもその子孫も含めて台湾に残っています。彼らは、中国語を話し、台湾語は話せません。本省人と外省人の他に、元々台湾に住んでいた現地人もいます。

そもそも、蓮舫氏は上記の区分のどれに属するのかもはっきりしません。またたとえ区分がはっきりしたとしても、蓮舫氏が大陸中国に対して親和性があるかもしれないという疑念をはっきり拭うことはできません。それを知っているのは蓮舫氏自身です。もしそうだとすれば、大陸中国と日本との利益相反は、台湾と日本どころの話ではありません。ことごとく、利益が相反します。

日本で人気の台湾の唐揚げを揚げる女子の動画

そのような人が、民進党の代表であるのは無論のこと、国会議員ですらふさわしくはありません。なぜか、蓮舫氏自身も、そうして民進党の幹部なども、この問題を軽く考えているようです。

これは、あまりメデイアがこの問題をとりあげないからでしょうか。普通であれば、この問題連日連夜メディアで取り上げられても良い位の問題だと思いますが、なぜかあまりとりあげません。

だから、蓮舫氏自身も、民進党も時が過ぎれば何とかなるくらいに思っているのでしょうか。だとしたら、考えがかなり甘いです。

今回は、文春砲なども炸裂していません。しかし、アゴラやYouTubeが大爆発しています。これからも、大爆発がおこることでしょう。

この問題をこのまま放置しておけば、蓮舫氏も、民進党も茨の道を歩むことになるのは、必定です。

やはり、蓮舫氏は二重国籍問題を複雑化した責を負って、代表は辞任、できれば国会議員も辞任してけじめをつけるべきでしょう。そのままだとしたら、最近噂されている、年末・年始の衆院解散、選挙にでもなれば、民進党はとてつもない打撃を受けることになります。たとえ、年末・年始の選挙でなくても、大敗するのは間違いないです。

まさに、上の動画のように、このままだと蓮舫氏が、蓮舫氏自身を追求するのと同じことになるかもしれません。代表すら辞任しないで、選挙に臨めば、大敗するのは目に見えているし、選挙で多くの候補者が蓮舫氏の二重国籍問題を連呼するでしょう。選挙が終われば、当然のことながら、完膚なきまでに打ち負かされ、蓮舫執行部はほとんどが辞任ということになるでしょう。その結果、旧社会党と同じような運命をたどることになります。まさに、蓮舫氏自身の振る舞いが、自身を追い詰めることになります。

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2015年11月29日日曜日

「南京大虐殺の証拠ないと発信を」歴史捏造を正す国民会議が集会―【私の論評】南京虐殺はまともに考えればあり得ないし、証拠もない(゚д゚)!


「南京大虐殺」の歴史捏造を正す国民大集会で講演する渡部昇一氏=28日、東京都千代田区
中国が申請した「南京大虐殺文書」が国連教育科学文化機関(ユネスコ)記憶遺産に登録されたことを受け、有識者らでつくる「『南京大虐殺』の歴史捏造(ねつぞう)を正す国民会議」は28日、東京都内で集会を開いた。参加者からは、虐殺の証拠が存在しないことを政府が対外発信するよう求める声が相次いだ。

同会議議長の渡部昇一上智大名誉教授は「組織的な虐殺はあり得なかったと断言できる」と指摘。民主党の松原仁・元国家公安委員長は、日本兵と談笑しながら帰宅する女性の表情が修正されて強制連行の写真として利用されていることなどを紹介し、「証拠は存在しない」と強調した。

山田宏・元次世代の党幹事長は「国が責任を持って国際社会で発言してほしい」と述べるとともに、大虐殺があったとの誤解を国内に広める連載記事を書いた朝日新聞の本多勝一記者(当時)の国会招致を求めた。

【私の論評】南京虐殺はまともに考えればあり得ないし、証拠もない(゚д゚)!

以下の動画は、この集会の案内の動画と、南京虐殺があったとされる当時の南京の様子が映された動画が含まれたものです。


このような動画が残されているわけですが、もし 20万とか30万の虐殺があったとすれば、このような動画など残されていないと思います。動画などを撮影することなどできず、とにかく全員が虐殺と、遺体の処理にあたっており、そのような余裕などあるはずもありません。

上の動画もそうなのですが、他にどう考えても、南京大虐殺があったとは考えにくい、写真がいくつもあります。それも、日本のメディアでなく外国のメディアのものが残っています。以下は、その一つです。

南京市民に食料を配る日本兵。イギリス系新聞
「ノース・チャイナ・デイリー・ニュース」1937.12.24付 南京占領の11日後)

殺されたのが、数千とか、数万などであれば、まだ理解することもできます。当時は戦争中なのですから、あり得ることです。

私自身が過去に実際に読んでみた、南京虐殺に関することも含まれる、「日中歴史共同研究 の日本側論文」の内容では南京虐殺がどう扱われているか、以下に掲載しておきます。
国民政府は11月中旬の国防最高会議において重慶への遷都を決定したが、首都南京からの撤退には蒋介石が難色を示し、一定期間は固守する方針を定めた。首都衛戍司令官に任命された唐生智は、当初は南京の死守方針であり、松井司令官の開城投降勧告を拒否したが、12月11日、蒋介石から撤退の指示を受けると、12日に各所の防衛指揮官に包囲突破による撤退を命じた。しかし、計画通り撤退できた部隊はわずかで、揚子江によって退路が塞がれ、中国軍は混乱状態となり、多数の敗残兵が便衣に着替えて「難民区」に逃れた。 
中支那方面軍は、上海戦以来の不軍紀行為の頻発から、南京陥落後における城内進入部隊を想定して、「軍紀風紀を特に厳粛にし」という厳格な規制策(「南京攻略要領」)を通達していた。しかし、日本軍による捕虜、敗残兵、便衣兵、及び一部の市民に対して集団的、個別的な虐殺事件が発生し、強姦、略奪や放火も頻発した。日本軍による虐殺行為の犠牲者数は、極東国際軍事裁判における判決では20万人以上(松井司令官に対する判決文では10万人以上)、1947 年の南京戦犯裁判軍事法廷では30万人以上とされ、中国の見解は後者の判決に依拠している。一方、日本側の研究では20万人を上限として、4万人、2万人など様々な推計がなされている。このように犠牲者数に諸説がある背景には、「虐殺」(不法殺害)の定義、対象とする地域・期間、埋葬記録、人口統計など資料に対する検証の相違が存在している。

今一度抜き書きすると、「多数の敗残兵が便衣に着替えて「難民区」に逃れた」「日本軍による捕虜、敗残兵、便衣兵、及び一部の市民に対して集団的、個別的な虐殺事件が発生」「強姦、略奪や放火も頻発した」以上の3点が重要なポイントです。

このポイントを正しく読み解くには「清野戦術」と「便衣兵」を正しく理解しておかなければならないと思います。

「清野戦術」というのは、退却に際して、敵軍に利用させないために民家などをすべて焼き払ってしまうものです。

「便衣兵」というのは、中国兵が一般市民に変装して(便衣服に着替えて)、日本兵を背後から襲うというゲリラ戦法です。

上海から南京に進軍する過程で、日本軍は「清野戦術」のために窮乏状態になり、「便衣兵」の不意打ちによる恐怖に苛まされました。

共同研究の論文によれば、日本軍に虐殺されたのは「捕虜、敗残兵、便衣兵、及び一部の市民」です。

つまり殺害された非戦闘員は“一部”にすぎないということです。一部であれは、20万〜30万になるはずもありません。また、「多数の敗残兵が便衣に着替えて」いたわけですから、大半は「便衣兵」であると判断できます。

それまでの経緯を考慮すれば、日本軍兵士が、便衣兵に対して苛烈な対応をしたの当然のことです。国際法(ハーグ陸戦条約)では、便衣兵は捕虜待遇を受ける資格はありません。この違法なゲリラを処刑しても“虐殺”には当たりません。

当時は、米軍でも、米軍の兵装をしたドイツ兵を拘束した場合は、その場で銃殺しています。このようなことをする集団を第五列と呼び、憎しみの対象となり、どこの国でも当時はそのようにしていました。

殺害された「一部の市民」は、便衣兵と誤認された者及び「怪しい行動を取る民間人」と推察できます。もともと、南京は共産党の支持者が多い地域でした。そのため、日本軍は、立地上危険と思われる家屋を焼却し、怪しい行動を取る民間人(共産ゲリラ)を殺害する命令を出していました(日本兵の証言)。

放火や「一部の市民」の殺害には、こういう理由もあったのです。強姦について言えば、「安全区に侵入した中国便衣兵が乱暴狼藉を働いて日本軍のせいにした」というニューヨーク・タイムズの当時の報道も存在します。

私自身、各種参考資料を冷静に読んだ結果、かなり多くても1万~3万人あたりではなかろうかと思います。また、戦闘員ではなく市民の真の犠牲者は、1千~2千人のレベルだと思います。戦闘地域だったのですから、これくらいの犠牲が出ることは十分ありえると思います。

共同研究の論文には次のようにも書かれていました。
南京国際安全区委員長のジョン・ラーベは、唐司令官は「無分別にも、兵士はおろか一般市民も犠牲にするのではないか」と懸念し、中国国民の生命を省みない国民政府・軍首脳の無責任さを批判していた。
数千人の南京虐殺という事実があったとしても、その真の原因は「国民政府・軍首脳の無責任さ」にあります。一般市民が大勢存在するというのなら、避難させるとか、それもできないというのなら、最初から降伏するなどのことをすべきだったと思います。

それにしても、20万人〜30万人を虐殺などといことは、どう考えても非現実的です。この非現実さは、おそらく現在の中国は、そもそも日本と戦争をしておらず、戦争をしたのは、蒋介石の国民党軍なのですが、彼らですらまともに戦争したこともなく、会戦など経験したことがないので、このようなとんでもなでっちあげが平気でできるのだと思います。

そもそも、20万人〜30万人にも及ぶ人を抹殺するということは、想像を絶する労力であり、会戦レベルの軍隊を投入しないとできるものではありません。

会戦とは、敵味方双方とも、少なくとも数十万単位の軍団レベルの人数で行う、陸戦のことです。これは、非常に大規模な戦争ですから、現場にいる人でさえ、勝敗がなかなか理解できないほどのすさまじいものです。

こうした会戦ですら、敵軍の数十万人を全員殺害するまで戦争を継続するなど考えられません。どちから一方のほうが、目的を達成したと判断した場合、それ以上のことはしないのが普通です。

そもそも、南京攻略は会戦レベルではないです。会戦の一部というのなら、わかりますが、それにしても、南京陥落と、その後の治安維持を終えた後まで、南京市民を虐殺し続けるなどということは、とうていあり得ません。

通常の兵力などでは、数週間で物理的に不可能です。実施するとすれば、原爆などで、一挙に殺害するか、それこそ、ナチスのように体系的に、組織的にガス室などをつくりそれで時間をかけて処理するというやり方しかできません。

それにしても、少し深く考えれば、20万から30万の虐殺など不可能ということがわかります。それに、さらに噴飯ものなのは、南京市の人口が、南京陥落後増えているという記録もあります。こんなことを考えると、どう考えてもあり得ないことが良く理解できます。

にもかかわらず、有田芳生民主党議員は、ブログ冒頭の記事に出てきた、国民会議を批判して以下のようなツイートをしています。
歴史についての無知はどちらかと言いたいです。南京虐殺については、Willでもおなじみのあの現在は日本籍の、中国人評論家石平氏も以下のように述べています。
日本に来るまで南京大虐殺など一度も聞いたことがなかった。中国の小学校、中学校の教科書にも南京大虐殺なんて載ってませんでした。……蒋介石自身も抗議していない。 
日本留学から中国に帰ったとき、南京出身の大学のクラスメイトに、「親父さんかお祖父さんから、大虐殺の噂を聞いたことがあるか」と聞いたら、やはり「ない」と言っていました。中国では、歴史的な大虐殺が何度もありました。……そういう所を掘り返すと、たしかに人骨がいっぱい出てくるんです。面白いことに、二千年前の記述でも嘘じゃなくて、必ず出てくる。しかし、南京から何十万体の骨が出てきたなんて話、一つも聞いたことがない』と述べている。
確かに、たとえば、カチンの森事件では、1940年の春から夏にかけて、ソ連軍がポーランド軍の将校ら数千人を殺害しましたが、その骨は戦後何度もいろいろな場所で見つかっています。
 カチンの森事件で犠牲となった人の頭蓋骨
現在なら、古い遺骨であっても、炭素測定で年代はもとより、DNA検定をすれば、かなりのことがわかるはずです。中国が、虐殺30万人説を唱えるなら、その証拠である遺骨などを出して、いずれか中立的な機関で調査してもらえば、かなりのことがわかるはずです。それを実行していないということは、まさに、虐殺そのものがなかったからでしょう。

確かに、どう考えても、南京の大虐殺はあり得ないことです。それを根拠がないと発信することは、正しいことです。

私は、そう思います。皆さんは、どう思われますか?

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2015年4月25日土曜日

【ニッポンの新常識】GHQ、日本人洗脳工作の証拠 マスコミが守る「プレス・コード」の存在 ―【私の論評】すべての日本人は、大東亜戦争は日本の一方的侵略戦争や、無謀な戦いでもなく、防衛戦争であり、アジアの開放戦争であったと心得よ(゚д゚)!

【ニッポンの新常識】GHQ、日本人洗脳工作の証拠 マスコミが守る「プレス・コード」の存在 

日本人を洗脳する作戦の基本が記された公文書【拡大】
前回の連載で、GHQ(連合国軍総司令部)が日本の占領政策の1つとして行った、WGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)の存在について触れた。戦争についての罪悪感を日本人の心に植え付ける宣伝計画である。

日本人で最初にこの言葉を使ったのは、保守派の論客、江藤淳氏である。1989年出版の『閉された言語空間』(文藝春秋)で、GHQの内部文書に基づくものだと主張している。しかし、江藤氏はその内部文書を公開することなく99年に亡くなった。

私もWGIPという言葉は以前から聞いており、戦後の日本の状況を見れば、そのような計画が行われたことは確実と思えた。ただ、1次資料を入手できなかったので、今まで、この言葉の使用を避けてきた。

しかし、近現代史研究家の関野通夫氏が一念発起して、GHQの内部文書を発掘してくれた。意外なことに、WGIPについて記載した公文書は日本国内で保管されていた。あるルートを通じて、関野氏と同じ内容の文書を入手したので、この「CONFIDENTIAL」(機密)のスタンプが押された英文を少しずつ読んでいる。

読者の方々には、私も購入した関野氏の小冊子『日本人を狂わせた洗脳工作 いまなお続く占領軍の心理作戦 』(自由社、540円)の購入をお勧めしたい。

GHQは、ラジオや新聞で流す情報を検閲などでコントロールし、戦後の日本人が「戦争は日本が悪かった」「連合国は悪い日本を懲らしめた」「愛国心は戦争に繋がる悪いものだ」と考えるよう、さまざまな方法で洗脳工作を行ったのだ。

1945年9月21日に通達された正式名称「日本に与うる新聞遵則」は、通称「プレス・コード」と呼ばれる。WGIPの重要要素の1つである。新聞などの報道機関を統制するために、30個の禁止項目を定め、違反した場合は発禁などの処分が行えた。日本のマスコミは今でもこのプレス・コードを守っているように感じる。

例えば、安倍晋三首相は、日本国憲法の草案を法律の素人のGHQ職員が英語で書いたという歴史的事実を、自身の公式サイトに記載し、国会でも話している。ところが、マスコミはこれを無視する。プレス・コードの第3項で禁じられているからだろう。マスコミは日本国民の洗脳を解かれたくないらしい。

ところで、第28項は「虚偽の報道」を禁止している。この項目だけは堂々と破るのかと思ったら、もともとGHQが虚偽の報道ばかりさせたから、最初から何も変わっていないと気がついた。

■ケント・ギルバート

【私の論評】すべての日本人は、大東亜戦争は日本の一方的侵略戦争や、無謀な戦いでもなく、防衛戦争であり、アジアの開放戦争であったと心得よ(゚д゚)!

上のケント・ギルバート氏の記事、まさしく氏の語られている通りで、特に付け加えることはありません。しかし、日本人であってもそうして、ケント・ギルバート氏と同じかあるいはもっと上の年齢層の人でも、上記でギルバート氏が述べたようなことを知らない人も大勢います。

これは、はっきり言って日本人としては恥ずかしいことです。外国人の彼が、日本にながくいたとはいえ、このような真実を知っているのです。私達日本人としては、こんなことは本来知っていて当然のことなのです。

百歩譲って、一般人が知らないというのならまだ許せるような気がします。しかしながら、マスコミやいわゆる識者という人までが、この真実を知らないというのは、本来許されないことだと思います。

日本だけが悪いということはありえない
ましてや、今や戦後70年もの長い年月がたって、GHQなどとうに日本に存在しなくなってから久しいのですから、アメリカも進駐直後のような直接的な刷り込みなどできないわけですから、マスコミなどが未だに米国側の刷り込みによる真実の歴史ではない、修正された歴史観に立脚して報道を続けるなどということは、本当に異常なことです。

まるで、占領中の米国側の刷り込みの呪縛にそのままはまったように、以下のような立場で報道をし続けることはやめるべきです。

1.大東亜戦争は日本の一方的侵略戦争である。戦勝国側は何も悪いことはしていないにもかかわらず、日本が一方的に侵略をした。

日本の大東亜戦争が何もかも正しいなどとはいいません。しかし、日本だけが悪くて、戦勝国がすべて正しいなどということはありません。戦勝国だって、多くの間違いがありました。戦争はそもそも、悪であって、戦争したすべての国が悪であって、日本だけが悪であるということは絶対にありません。

特に当時は、欧米列強諸国は、アジアを含む広い地域を自分たちの植民地にしており、現代の感覚で捉えるとすべての国が悪です。日本は、日露戦争と大東亜戦争により、西洋列強から自らの身を守るだけではなく、アジアを開放しようとしたのです。

2.大東亜戦争は、最初から無謀な戦いであった。物量の差に雲泥の差があるアメリカとの戦争は、最初から勝ち目がなく、全く無謀な戦いであり、日本は多くの戦没者は無駄死をしてしまった。

これは、以前のこのブログにも掲載しましたが、特に日米戦争に関して、日本が一方的に劣勢で、最初から全く勝つ見込みがなかったというのは明らかな間違いです。少なくとも、日本は日露戦争の時のように、大東亜戦争に勝利して、戦勝国といわれた国々と有利な条件で講話できる可能性は十分にありました。

しかしながら、戦略のまずさで、負けるはずのない戦で負けてしまったという点は否めません。それに、アメリカ人も含める多くの人々が日米対戦が必然的であったという考えも全くの間違いです。

本来日米は戦う必要など全くありませんでした。そもそも、アメリカは新興国で、開戦当初は軍事的にも弱小国でした。今日の米国の姿と、当時のアメリカを同等に考えるのは、全く間違いです。

それに、ベノナ文書でも明らかになっているように、当時の米国には300人以上ものソビエトのスパイが潜り込んでいたし、日本の開戦当時の近衛内閣にもかなりソ連スパイが浸透しており、これら両国のスパイが、両国を戦争するように仕向けたという事実があります。

以上述べたことは、本当に簡略化をさら簡略化したような内容ではありますが、少なくとも最低このくらいの事実は、日本人など知っていてしかるべきです。

これは、上下左右などの立場の違いがあっても、詳細は知らなくても最低限このくらい知っていなければ、現代史を正しく語ることもできませんし、現代の世界や、現代の日本の立場を正しい理解することもできません。

私は、そう思います。皆さんは、どう思われますか?

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「国立大で国旗、国歌を」首相、入学式などで―【私の論評】「筋」を通し、「けじめ」をつける社会にするためには、まずは国立大学から国旗・国歌を(゚д゚)!


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以下の三冊の書籍をご覧いただければ、いかにGHQの日本占領時の歴史修正が徹底していたか、その刷り込みを今に至るまで、遵守し続けるマスコミや識者の愚かさをその背景を含めて全体像を把握することができます。

閉された言語空間―占領軍の検閲と戦後日本 (文春文庫)
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GHQの日本洗脳 70年続いた「支配システム」の呪縛から日本を解放せよ!
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2012年8月25日土曜日

「尖閣諸島は日本領土」広東の企業幹部が人民日報記事など証拠挙げ、賛同広がる―【私の論評】中国は、一枚岩ではないことと、反日デモは、反共産党デモの裏返しでもあることを認識すべき!!

「尖閣諸島は日本領土」広東の企業幹部が人民日報記事など証拠挙げ、賛同広がる:

微博の画面
【上海=河崎真澄】中国広東省の民間企業幹部が24日、中国版ツイッター「微博」で「1949年から71年まで中国政府は釣魚島(尖閣諸島)を日本の領土と認めていた」と異例の発言をした。日本領有を示す53年1月の中国共産党機関紙、人民日報の記事や、複数の公式地図など根拠を挙げている。微博では中国国内からの感情的な反論に加え、「知識のない大衆が中国共産党に踊らされたことが分かった」などと賛同する見方も広がっている。

発言をしたのは同省広州の電子サービス企業、広東捷盈電子科技の取締役会副主席との肩書を持つ女性の林凡氏。林氏は微博の運営会社、新浪微博から「実名」の認証を受けており、10万人以上の読者をもつ。

林氏の資料によると、人民日報は53年1月8日付の紙面(下の画像)に掲載した記事で「琉球群島(沖縄)は台湾の東北に点在し、尖閣諸島や先島諸島、沖縄諸島など7組の島嶼からなる」と表記していた。中国当局が監修した53年、58年、60年、67年に発行した地図の画像も示したが、その多くが「尖閣群島」「魚釣島」などと表記。日中境界線も明らかに日本領土を示している。


林氏は冷静に証拠を積み重ねた上で「中国政府はこれでも釣魚島はわれわれの領土だといえるのか」と疑問を投げかけた。中国国内からの反応には、「資料をみて(尖閣諸島が)日本領だったことが明白に分かった」「(当局に)タダで使われて反日デモを行う連中には困る」などと、林氏支持の発言が出ている。

一方、25、26の両日も、尖閣諸島の問題を巡る反日デモが、四川省南充や浙江省諸曁、広東省東莞、海南省海口など、地方都市で呼びかけられており、混乱は今後も続きそうだ。

この記事の詳細はこちらから!!

【私の論評】中国は、一枚岩ではないことと、反日デモは、反共産党デモの裏返しでもあることを認識すべき!!

先日は、尖閣に中国人が上陸して、物議を醸しました。そうして、中国各地で反日デモが行われました。このデモでは、日本製の警察車両や個人車両が破壊されたり、経営者、従業員ともに中国人の日本料理店舗が破壊されたりと、なにやら、おかしげな動きもありました。

尖閣諸島は、そもそも、日本の固有の領土であり、領有権を主張して、尖閣に上陸すること自体が、日本人の感覚からすれば、理解に苦しむことです。そうして、さらに、反日デモとなれば、大方の日本人からすれば、理解不能どころか、理不尽であるとさえ思われます。

反日デモに参加して駐車場に戻ってみたら、
自分の日産車が打ち壊しにあっていた女性
これに対して、微博で上記のようなツイートがされているというわけです。それにしても、上記のようなツイートを封鎖しない中国当局は一体どうなっているのか、皆さんも理解に苦しむところがあると思います。

さらに理解に苦しむような動きがあります。


上の画像は、中国のサイトで流されていた動画のキャプチャ画像です。この中国国旗を焼いている人間に見覚えはないでしょうか?そうです。この人物、実際は、先日尖閣列島に上陸した中国人のうちの一人です。

これに関しては、詳細は、以下のURLをご覧いただければ、よく解ると思います。

尖閣諸島上陸の中国人活動家が中国国旗を燃やしていたことが判明 / 中国人「えっ?」

以下に、要約を掲載しておきます。
8月15日に香港と台湾の活動家が尖閣諸島に上陸、中華人民共和国と中華民国(台湾)の旗を立てた。すでに全員強制送還済みだが、日本では「現地では英雄視されている」と報じられている。 
その「英雄」の一人が中国の国旗を燃やしていたことが判明したそうだ。中国ネットユーザーに少なくない驚きを与えている。 
「英雄」のまさかの行動。活動家が国旗を燃やしている画像は、香港のネットユーザーから投稿されたものだという。 
まさかの行動をとったのは、島に上陸・逮捕された色黒、白ひげが印象的な初老の男性。彼は日本のテレビにも何度も映っており、見覚えがある人もいるのではないだろうか。その人物が、2011年の9月には別の活動で中華人民共和国の国旗を燃やしていたのだ。 
この活動家の名は古思堯(66才)である。香港では「社会活動家」として有名な人物だそうだ。若い頃は熱心な中国共産党支持者であったが、1989年の天安門事件をきっかけに反中国共産党に転じ、以後、家族を中国大陸に残し、香港を拠点に様々な抗議運動をしている。 
昨年、中国国旗を燃やしたというのもその一環だったようだ。なお、香港での活動では数度の逮捕歴を持つ。 
「愛国の英雄」のために「都合が悪い」と考えられる国旗を燃やしている画像は一部の掲示板ではすでに削除済だ。しかし、全てをネット上から消すのは困難だろう。
国旗を焼いた人物が、今度は国旗を立てる。ネット上ではどこかからか資金を得てパフォーマンスとして上陸したのではという憶測まで飛び交っている。黒幕がいたのかどうか真相のほどは定かではない。
さて、こうした、理解に苦しむ中国の現状から浮かび上がってくるものがあります。それは、以前にもこのブログに掲載したように、中国は決して一枚岩ではないということです。無論どこの国だって、体制派、反体制派の違いはあります。日本だって与党と野党があります。同じ国の中で、利害が異なる複数の集団があるのは、当たり前のことです。



しかし、たとえば、尖閣の問題で、日本国内で、はっきりとあれは中国の領土であるなど述べる人はいないでしょう。竹島だって同じことです。日本育ちの日本国籍の生粋の日本人であれば、どんなイデオロギーや、信条をもっていようとも、この点はブレないと思います。そんな主張をする人がいたとしても、それは、ごく少数であり、たとえ主張したとしても誰にも受け入れられないでしょう。そういう観点からすれば、少なくとも日本は、まだ、国民国家として一枚岩の国といえると思います。

しかし、中国は、そうではないということです。このことについて、以前のこのブログの記事にも掲載しています。

強硬な中国と友好的な中国=2つの中国が存在する理由とは?―米誌―【私の論評】中国はもともと一枚岩の国家ではない!!

詳細は、上の記事をごらんいただくものとして、以下に少し長めになってしまいましたが、要約だけ掲載しておきます。
中国は長期一党独裁の国家です。しかし、党内における権力争いは、熾烈を極めています。代表なのは、共産主義(毛沢東忠実派)と、改革開放派の争いです。そのほかにも、利権をあさる長老・二世らと、汚職の撤廃を考える者の対立です。
また、「軍事・経済ともに大国」になったように見えるあるいは、見せかけている、中国、2つの考えに分裂しています。 
一つは、アメリカのように、国際的義務を果たし、一人前の先進国の誇りを得ようとする勢力。 
もう一つは、アメリカのように、国際社会に我を通し、覇権主義に走ろうとする勢力があります。 
「竹のカーテン」から漏れ聞く政局は掴みどころがないですが、あらゆる面において、中国政治が一枚岩でないことが窺えます。 
加えて、増長する軍部もあり、権力・利権の争いはまるで、バトル・ロワイアルの様相です。それに、増長する軍部ではありますが、実は正式に中国には存在しません。そうなのです、中国の人民解放軍は、そもそも、中国以外の他の国との軍隊とは全く異なります。 
そもそも、人民解放軍は、共産党の私兵であり、共産党が直轄している組織です。 
中国人民解放軍の軍区
人民解放軍の組織としては、中華人民共和国軍事委員会の下に総参謀部、総政治部、総後勤部、総装備部の四総部があり、その下に海軍、空軍、第二砲兵(戦略ミサイル部隊)および七大軍区が置かれています。 また国防科学技術工業委員会、軍事科学院、国防大学なども軍区級組織です。国務院の国防部は外国との軍事交流などを担当しているだけで、人民解放軍に対する指揮権を持っていません。国務院の管轄下にない解放軍はあくまで党の軍隊であり、国家の軍隊ではありません。 
党と軍の関係については、憲法で中央軍事委員会の指導下にあると規定されているが党主席とは記載されていない。そのため、毛沢東など歴代の最高指導者は中央軍事委員会主席を兼任している。 
それに、この七大軍区というのが曲者で、法律はともかく、現実には、この軍区の上に、地方の共産党があり、これらの軍は、地方共産党の私兵というのが実体です。こうして、地方の共産党の直下にある、人民解放軍が、独自に私兵軍団をもっており、そのなかには、核兵器を持つ軍区が複数あったり、海軍を持つ軍区が複数あるという具合です。全く普通の国の軍隊とは、根本からして異なるのです。 
このような、かなり多くの価値観が存在して、分裂していて、統一国家としてのまとまりのない中国、それは、当然中国の「外交のブレ」にもつながっています。 
あの尖閣問題で、中国が傍若無人とも受け取れる対応をしたのは、私の類推では、おそらく、2012年の人民代表大会における、代表者の選挙、すなわち、次の主席選びに標準をあわせた、保守派の揺さぶりと見ています。これは、以前のブログにも書いたことですが、たとえ、この類推が外れていたとしても、似たような構図の中でおこったものと思われます。 
ただ、どこのどの派閥であれ、いったん起こってしまったものに関して、あそこで日本政府にたいして軟弱な姿勢をみせれば、反対派につけいる隙を与えることになってしまうことを恐れて威圧的な態度をとったというのが真相だと思います。その背景には、何等の深謀遠慮もなく、ただただ、日本を含む他国のことなど考える余裕もなく、即物的に反応していたというところだと思います。 
尖閣問題を冷静に振り返ってみてほしいと思います。この問題で中国が得たものは、国際的な批判だけです。オリンピックや、万博で、一定の国家の威信を高めることに成功したにもかかわらず、ふたたび異質な中国の実態が暴かれてしまいました。世界を相手にして、中国が勝ち取れたものは、何もありません。それに、最近では、中国が対外的に外交で成功した試しなどほとんどありません。長年の中ソ国境紛争の火種となっていた、領土問題に関しても、結局は中国はロシアに対して、ほとんど一方的といえるほど、譲歩して解決したばかりです。このことは、日本でもほとんど報道されませんが、中国国内では、皆無といって良いほど、報道されていないようです。これを知ったら、多くの中国人民は憤激することでしょう。 
日本とのイザコザでも、結果として、尖閣列島を奪ったわけでもなく、何かしらの既成事実を得たわけでもありません。民主党のミスジャッジで行った「船長の解放」は、それ自体が日本の主権を譲ったことにはなりません。それが国内外にどう取られたかはともかく、少なくとも中国は、日本および他国に警戒されるようになり、逆に目立った強硬策を取れないようになっています。特に、アメリカの態度を硬化させ、終戦後日本の自衛隊も含んだ、演習では最大規模の演習であった「キーン・ソード」を実行させる結果となりました。この戦後最大級の演習にたいして、中国の軍区レベルや、一部のマスコミからは抗議の声明が一部からはあったようですが、上層部からは目立った抗議はありませんでした。 
現実には、分裂した中国が、「右往左往」したあげくに、強硬措置を取らざるをえなくなってしまったことを、日本政府がそうとも知らずに、勝手に、翻弄されていたというのが真相です。 
このような背景を知って対処していれば、日本政府としても、翻弄されず、冷静に受け止めるなり受け流すなりしていたと思います。そんなところで、慌てるから、多くの国民が、本来外交ベタの中国に対して、「中国のほうが日本よりも外交が数段上手」などと見られる結果を招いてしまったのだと思います。全く、民主党困ったものです。自力でできないというのなら、外務官僚の優秀な人間にでも任せておけば、これほどの醜態を晒さずにすんだことだと思います。この問題実際には、政府(というより、仙谷氏など)が懸念したような、戦争になるとか、日本国民が憤激するとか、中国との関係が悪化するなどの心配など杞憂といっても良かったと思います。
この記事には書きませんでしたが、中国が一枚岩ではないことは、中国の地理や、歴史など考えれば、最初からわかりきったことです。もともと、少数民族まで含めると、50以上もの民族からなる国家であり、言葉も複数があります。共産党ですら、一枚岩ではなく、有力な上海派閥と、北京派閥とその他の派閥があります。歴史的にいっても、中国など最初から存在せず、もともと、その時々の国々の集合体であり、その集合も、いっときは、統一されたかと思えば、また分裂するというように、集合離散を交互に繰り返してきました。

中国の少数民族
日本の場合は、確かに、豊臣秀吉が日本を平定し、徳川家康が、それを安定したものにするまでは、分散していましたが、それにしても、かなり昔から、日本という概念はあり、朝廷を頂点として国が別れていても、日本という全体いのまとまりのなかの一つという概念がありました。そうして、言葉も、生活習慣、宗教にいたるまで、同じような慣習が根付いていました。中国は、これとは、全く異なります。

日本車を壊す反日デモ参加者
こうした背景および、中国は、いまだ、民主化はもとより、法治国家、政治と経済が分離されておらず、そのため、人民の不満は建国以来鬱積しており、実際毎年平均2万件の暴動があり、いつ憤怒のマグマが大爆発してもおかしくない状況にあることを理解していれば、中国の不可解な行動も理解できます。

中国国内の、反日デモは、実は中国共産党中央政府にも向けられたものであり、現状では反日デモではあるのですが、それが、加熱すればいつ反政府デモになるかわからない状態にあるということです。特に最近では、反日デモは、許容されていますが、反政府デモだと許可がおりない状況になっています。反日デモは、人民の憂さ晴らしをする唯一の合法的な方途であると考えるべきです。
キャノンのカメラを首にぶらさげ、日本製品を買うなーーー
せんかくは中国のものだーと叫ぶ反日デモ主導者
それに、もともと、反日感情など、中国人民の中にはなかったということを認識すべきです。なぜ、反日活動が盛んになったかといえば、江沢民が、反日教育を組織的体型的にはじめたからです。なぜ、そのようなことをしたかといえば、上記のように、中国は一枚岩でないこと、さらには、人民の憤怒のマグマが大爆発するかもしれないので、人民の怒りの矛先を政府にむけさせることなく、矛先を外に向け、共通の敵をつくりだし一枚岩にしようとするためです。

このような動きなかなかうまくはいかないようです。実際以前尖閣で中国漁船が海上保安庁の船に体当たりしたときに、中国国内で、反日サイトがかなりできましてたが、これらは、中国政府によって、ほとんどが閉鎖されています。なぜなら、反日の書き込みいつのまにやら、反政府の書き込みにかわっていて、それも、かわるだけではなく、大炎上するということがくりかえされていたからです。

だから、先日、尖閣に上陸して、中国の旗をたてたその同じ人物が、過去においては、中国の国旗を焼いていて、反政府デモをやっていたなどということは十分あり得ることなのです。そうして、その時々で、サイトに尖閣が日本固有の領土と書き込めば、ある場合には、逮捕され、またある場合は、今回のように許容されてしまうということもあるのです。いずれにせよ、反日デモが過激化すれば、それがいつの間にか反政府デモにまで発展するので、中国中央政府は、反日デモも取り締まらざるを得ないようになり、反日デモも下火になっていくことでしょう。

中国は、海の魚でいえば、カタクチイワシ等が巨大な塊となって巨大魚に擬態しているようなものです。本来日本の政府や外務省など、このような一枚岩ではない中国を手玉にとる方法はいくらでもあると思うのですが、虚構の一枚岩の中国に翻弄されているというのが実態のようです。

中国の問題を語るには、このような実情を踏まえて論ずるべきだし、対策を考えるべきと思うのは、私だけでしょうか?

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