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2018年5月27日日曜日

日大アメフト内田前監督は「次の理事長」ともいわれた実力者―【私の論評】日大理事会は真摯さに欠ける理事を全員辞任させよ!さもなければ、組織が完全腐敗し、いずれ崩壊する(゚д゚)!

日大アメフト内田前監督は「次の理事長」ともいわれた実力者

2018年5月、アメリカンフットボールの悪質な反則行為問題について、
羽田空港で取材に応じ、うつむく日大の内田正人監督

 日本大学アメフト部が起こした悪質タックル事件は、監督を辞任することを表明した内田正人氏(62)が“首謀者”とされたことで、混迷を極めた。問題のプレーは5月6日、関西学院大学との定期戦で起こった。パスを投げ終えて2~3秒後の無防備なQBに、日大選手が背後から猛タックル。倒れた選手は全治3週間のケガを負った。

 タックルをした選手は、「“(反則)やるなら(試合に)出してやる”といわれた」と周囲に話していたことが相次いで報じられ、内田氏の指示が疑われている。日大選手は関東学生連盟から処分を受け、内田氏は辞任を表明した会見で「一連の問題は全て私の責任」と語ったが、反則を指示したかについては語らず、関学大側に文書で回答するとしている。

 日大は、本誌・週刊ポストの取材に対して「監督についてはラフプレーを指示した事実はありません。ですから、現在は責任を問う状況になっていません」(広報部)と話していたが、結局は辞任に追い込まれた形だ。大学側がそこまで擁護し続けた内田氏とは、どういった人物なのか。

 スパルタで知られる日大の名将、故・篠竹幹夫監督のもとでQBとして活躍し、後にコーチとなって支えた。2003年に監督に就任すると、大学日本一を決める甲子園ボウルに5度の出場を果たす。昨年は27年ぶり21度目の日本一に導いた名将である。

 監督であると同時に、日大卒業後は大学に就職した職員でもある。保健体育事務局長という役職から、理事を経て、現在は5人しかいない常務理事となっている。日大関係者が明かす。

「内田さんは出世街道を歩んできた“日大エリート”です。日大には体育会の入部人数や予算を差配する保健体育審議会があり、その事実上のトップが内田さん。前トップが今の田中英壽理事長で、このポジションは日大の出世コースといわれています。

 内田さんは人事部長も兼ねていて人事権も持つ。学内では田中理事長の側近と見られており、“理事長に万一のことがあれば次は内田”といわれている実力者です」

 アメフト部の監督は辞任したが、大学の常務理事という立場は続くことになる。

【私の論評】日大理事会は真摯さに欠ける理事を全員辞任させよ!さもなければ、組織が完全腐敗し、いずれ崩壊する(゚д゚)!

スポーツの世界では、スポーツ・インテグリティ(sports integrity)ということが最近いわれています。

これは、何かといえば、だいたい以下のことに集約されます。

1.「インテグリティ」とは、「高潔さ・品位」「完全な状態」を意味する言葉。 
2.スポーツにおけるインテグリティ(スポーツ・インテグリティ)とは、「スポーツが、様々な脅威により、欠けることなく、価値ある高潔な状態」。 
3.本来、スポーツには、人々を幸福にして、社会を善い方向に導く力があるといわれている。スポーツが本来持つ力を発揮するためには、誠実性・健全性・高潔性が守られていることが前提。
以下に、このスポーツ・インテグリティを脅かす要因についてのチャートを掲載します。



今回の事件はスポーツ・インテグリティを脅かすものであって、その結果あのような事件が起こってしまったものです。

スポーツ・インテグリティに関しては、笹川財団の行った昨年のセミナーのレジメが詳しいです。
「スポーツ・インテグリティについて考える」 

そうして、今回の事件では、スポーツ・インティグリティの毀損の理由としてガバナンスの欠如についてはあまり報道されていません。これに関しては、日大自体のガバナンスの欠如、それと学生スポーツそのものをガバナンスする機構が欠けているということをこのブログでは指摘しました。おそらく巷の報道よりは、かなりガバナンスについて突っ込んだものになっていると思います。

それに関する記事のリンクを以下に掲載します。
日大悪質タックル問題 醜聞にまみれた米名門大の「前例」―【私の論評】我が国では大学スポーツという巨大資源をガバナンスの範疇から外し腐らせている(゚д゚)!
日大選手の記者会見 

詳細はこの記事をご覧いただくものとして、この記事では、日本では学生スポーツ全体をガバナンスする機関もなく、日大のガバナンスにも問題があること、特に内田正人氏が、日大の常務理事と監督を兼任していたことが問題であることと、日大自体のガバナンスの正当性に問題があること等を指摘しました。

この記事では、ガバナンスとはそもそも何かというその定義や、あるべき姿なども掲載しました。

また、ガバナンス(統治)の正当性については、以下のようにまとめました。
社会においてリーダー的な階層にあるということは、本来の機能を果たすだけではすまないということである。成果をあげるだけでは不十分である。正統性が要求される。社会から、正統なものとしてその存在を是認されなければならない。
そのような正統性の根拠は一つしかない。すなわち、人の強みを生かすことである。これが組織なるものの特質である。したがって、マネジメントの権限の基盤となるものである。 
そうして、この記事では述べませんでしたが、ガバナンスの正当性の根拠である「人の強みを活かす」ことであることはかなり重要なことです。そうして、この点を理解していないマネジメントも多いです。

そうして、これはマネジメントするもの、すなわちマネジャーのインテグリティに多いに関わっています。インテグリティは、スポーツ界はもとよりありとあるゆる組織のマネジャーに必要不可欠な資質なのです。

「インテグリティ」(integrity)とは誠実、真摯、高潔、整合性などの概念を意味する言葉です。組織のリーダーやマネジメントに求められる最も重要な資質、価値観を示す表現として、特に欧米の企業社会でよく使われます。

あらゆる組織のーのインテグリティ(誠実さ)を最優先し、法令順守だけでなく、より幅広い社会的責任の遂行と組織の倫理の実践を目指す広義のコンプライアンス経営を、インテグリティ・マネジメントと呼びます。

米国企業の経営方針や社員が守るべき行動規範を記した文面には、「インテグリティ」という言葉が頻繁に使われています。「人を雇うときは三つの資質を求めるべきだ。すなわち、高潔さ、知性、活力である。高潔さに欠ける人を雇うと、他の二つの資質が組織に大損害をもたらす」(スティーブ・シーボルト著『一流の人に学ぶ自分の磨き方』より)と語ったのは、世界一の投資家と呼ばれるウォーレン・バフェット氏です。

ここで「高潔さ」と訳されている概念がインテグリティです。インテグリティを伴わない知性や活力は危険でさえあり、それならばいっそ愚かで怠惰な人間を雇うほうがましだと、バフェット氏は主張しています。


この言葉を好んで用い、インテグリティこそが組織のマネジメントを担う人材にとって“決定的に重要な資質”だと喝破したのが、経営学の大家ピーター・ドラッカーでした。ドラッカーはたとえば著書『現代の経営』で、次のように語っています。
マネジャーが学ぶことのできない資質、習得することができず、もともと持っていなければならない資質がある。(中略)それは、才能ではなく真摯(integrityの日本語訳)さである。 
部下たちは、無能、無知、頼りなさ、不作法など、ほとんどのことは許す。しかし、真摯さ(integrity)の欠如だけは許さない。 
真摯さ(integrity)に欠けるものは、いかに知識があり才気があり仕事ができようとも、組織を腐敗させる。
三番目の言葉には、先述したバフェット氏の指摘との共通性も感じられます。とはいえ、「高潔さ」「真摯さ」といわれても、あまりに漠然としていて、いまひとつピンとこないのも事実です。

人を雇ったり、リーダーを選んだりする場合、要するに、インテグリティに優れた人とはどういう人のことなのか、具体像がこの言葉だけからではつかみにくいです。

実はドラッカー本人でさえ、「インテグリティの定義は難しい」と語っています。ただし、“インテグリティの欠如”を定義するのは難しくないとしています。ドラッカーは、インテグリティの欠如した人物の具体例を、『現代の経営』中で次のように列挙しています。
  • 人の強みではなく、弱みに焦点を合わせる者
  • 冷笑家
  • 「何が正しいか」よりも「誰が正しいか」に関心をもつ者
  • 人格より頭脳を重視する者
  • 有能な部下を恐れる者
  • 自らの仕事に高い基準を定めない者
上記のような者は、たとえ他の何かが優れれていたとしても、真摯さ(integrity)に欠け、組織を腐らせるとしています。

マネジメントの担い手としてインテグリティに優れた人材を充てようと思ったら、逆に、このような“インテグリティの欠如”を物語る特徴にフォーカスして人を判別すべきだと思います。

ドラッカーは「真摯さ(integrity)は習得できない。仕事についたときにもっていなければ、 あとで身につけることはできない。 真摯さはごまかしがきかない。 一緒に働けば、その者が真摯であるかどうかは数週間でわかる。 部下たちは、無能、無知、頼りなさ、無作法など、 ほとんどのことは許す。しかし、真摯さの欠如だけは許さない。 そして、そのような者を選ぶマネジメントを許さない」としています。

さて、日大の内田正人常務理事はどうなのでしょうか。会見などでの発言を聴いている限りでは、真摯さに欠ける面があるようにも、思われます。

日大の理事会は、内田氏に限らず、理事の中に真摯さに欠ける人間がいるかどうかを精査すべきです。ドラッカーが指摘するように、理事会にともに他の理事働いたことのある理事は、すでにそれを判別できるはずです。



日大理事会は、真摯さに欠ける理事がいたら、すぐにもそのような人物は辞任させ、真摯さに欠けない人間だけで、理事会を構成するようにして、今一度スポーツだけではなく、すべての分野においての統治機能を強化するべきです。それが今回の不祥事のようなことを起こらないにするための第一歩です。

これをしなければ、日大の組織は完璧に腐敗し、いずれ崩壊することになります。なぜなら、どんな組織も社会が許容するから存続が許されているのであり、社会が許容しなければ、どんな巨大組織であっても一夜にして崩壊するからです。

現状を放置すれば、やがて日大もそのような運命をたどることになるでしょう。

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2017年12月15日金曜日

富岡八幡宮事件に見る、組織に「怨念」を抱く者の恐ろしさ―【私の論評】組織の精神を健全に保たなければ怨霊が輩出することになる(゚д゚)!


富岡八幡宮の殺人事件で、容疑者による、関係者やマスコミに宛てた長文の遺書が話題となっている。「怨霊」「祟り」など、真に受け難い文言が書かれているが、事件の舞台が神社である以上、これを「頭のおかしな容疑者の独り言」として片付けることは許されない。(ノンフィクションライター 窪田順生)

神道的に見れば大きな
意味を持つ遺言書の中身

 既にネットで公開されているのでご覧になった方も多いと思うが、「約30年に亘り続きました、富岡家の内紛」なるものを赤裸々にぶちまけるとともに、姉を「永久追放」して、自身の息子(最初の妻との子ども)を宮司に迎えることを要求し、最後に★印とともに、以下のような脅しともとれる「宣言」を行ったのだ。 

 年の瀬の日本に激震が走った富岡八幡宮の殺人事件。姉を弟夫婦が待ち伏せして日本刀でメッタ斬りにするという凄まじい手口もさることながら、衝撃的だったのは、犯人である富岡茂永氏が関係者やマスコミに宛てた「遺書」の内容だろう。
自殺した茂永氏の遺書を読むと、極めてよくできた内容であることが分かる。そして、このような
「組織に怨念を持つ人」は、なにも富永八幡宮に限らず、そこら中の企業にもいるものだ。 
 「もし、私の要求が実行されなかった時は、私は死後に於いてもこの世(富岡八幡宮)に残り、怨霊となり、私の要求に異議を唱えた責任役員とその子孫を永遠に祟り続けます」
 ああ、もうこの人は完全に頭のネジがぶっとんじゃっているんだな。そんな風に感じる方も多いかもしれないが、実は神道的に見ると、茂永容疑者のロジックはそれほどおかしくはない。むしろ、神職を追われた者が仕掛ける「復讐」のシナリオとしては、驚くほどよくできている。

この国では古代から権力争いに敗れ、憤怒の念を抱きながら死を遂げた者が「怨霊」となり、権力者のみならず、国全体に疫病や自然災害などの「祟り」をなしてきたという伝説がたくさんある。崇徳天皇、早良親王、長屋王、伊予親王、藤原夫人、観察使橘逸勢、文室宮田麻呂など例をあげればきりがない。

いやいや、そういう「御霊信仰」みたいな話ではなく、今回のは完全におかしな人の逆恨みじゃないか、という意見もあろうが、「怨霊」というものには、そのような恨みを抱くのも仕方ないというような情状酌量の余地だとか、主張の正当性なんて要素はまったく必要ではない。

大事なのは「祟りかも」という恐怖であって、それがあれば、「怨霊」なのだ。

茂永氏は祭りを人質に取って
息子を宮司にするよう迫った

 わかりやすいのが、全国の八幡宮の総本社である宇佐神宮(大分県)の「放生会」という神事だ。昨年亡くなった著名な古代史家である上田正昭・京都大学名誉教授は、この神事を研究して、その目的が古代の鹿児島・宮崎地域で暮らしていた民族「隼人」が大和朝廷に対して反乱を起こして征討されたことへの鎮魂だと「AERA」(1994年5月30日)の記事で主張した。
 大和朝廷からすれば、隼人は辺境から反乱を企てる「悪」以外の何物でもないので、当初は鎮魂など行わなかった。が、なぜそれが行われるようになったのかというと「祟り」のせいだ。

伝承では隼人に対して、1400人という夥しい数の大量虐殺が行われた数年後、宇佐神宮一帯で、蜷貝(にながい)が異常発生し、征討軍に関わった宇佐神宮の神官らが隼人の祟りでは、と恐れはじめたという。その後、海に蜷貝を放ち、殺生をたしなめる「放生会」が始まったという。

そのような「怨霊」というものの基本的性格を踏まえると、茂永氏の「怨霊宣言」というものが、富岡八幡宮や「(殺された姉の)長子派」の方たちにとって、行くも地獄、引くも地獄という非常に巧妙な「トラップ」となっている。

実は、この「遺書」の中で茂永氏は、息子が宮司になれなかった場合は「私が作らせた一の宮と二の宮神輿を出す事を今後一切禁止します」とも述べ、これが破られたら、神輿総代会の幹事総代やその子孫にまで「永遠に祟り続けます」と言っている。

一の宮神輿は1991年に佐川急便の故・佐川清会長が奉納したもの。ダイヤモンドやルビーがちりばめられ「日本最大の金ピカ神輿」として話題になったものだが、重すぎて担がれる機会もないので、このまま出せなくても特に問題はない。が、問題は97年に奉納された二の宮神輿の方である。こちらは毎年行われる「深川八幡祭り」で使われているものだからだ。

つまり、茂永氏は、江戸三大祭りの1つとして30万人もの人出があるとされ、地域活性化にも貢献する祭りを、いわば「人質」にとって、息子を宮司にするよう迫っているのだ。

茂永氏の遺言を富永八幡宮が
無視できない理由

 祭りはみんなものなんだから、そんなバカな要求はシカトすりゃいいんだよ、という言葉があちこちから聞こえてきそうだが、それは天にツバするような行為である。
 祭りとは、ただ神輿を担いで「粋だね」「いなせだね」と参加者が自己満足にひたる地域交流イベントではなく、宮司が執り行う、れっきとした「神事」である。その「神事」を取り仕切る者が、以前その神職についていた者から殺されたうえに、容疑者は自ら命を絶って「怨霊になる」と宣言しているのだ。
 この神職者間のトラブルを、「家族内トラブル」で片付けるというのは、「深川八幡祭り」の宗教的意味も否定することにつながってしまう。もし富岡家が「怨霊なんて非科学的なものはないから安心してください」と二の宮神輿を引っ張り出すことがあれば、それは宗教家としての「死」を意味することと同じであり、「富岡八幡宮」という宗教施設の意義を自ら否定する行為なのだ。
 伝えられている確執が事実なら、富岡家が茂永氏の息子を宮司にするという選択肢は難しそうだ。かといって、富岡八幡宮に潤沢な「カネ」を呼び込むための一大イベントである「深川八幡祭り」を中止にするなんてことは、できるわけがない。
 そうなると、祭りが行われる来年の夏までに新たな神輿をつくるしかないわけだが、それは世の中に対して、「富岡八幡宮は茂永氏を怨霊として恐れている」と公言しているに等しい。先ほどの「隼人」のケースを思い出してほしいが、「怨霊」というのは、非業の死を遂げた者が正しいとか間違っているとかは関係なく、「祟りかも」という恐怖心がつくるものだ。
 つまり、新たな神輿をつくるという選択は、富岡八幡宮がオフィシャルに茂永氏を「怨霊」と認定したことになってしまうのである。こうなると今後、富岡八幡宮や祭りで、何か不吉な出来事が起こるたびに「祟り」と結びつけられる。

茂永氏の遺書は
企業の怪文書に似ている

 もしそのようなことが続くようならば、富岡八幡宮の境内に茂永氏の怒りを鎮めるような碑、あるいは社も設けられるかもしれない。

それは裏を返せば、茂永氏が、菅原道真公や全国の御霊神社のように、「神」になるということである。富岡家や長子氏についている方からすれば、まさに「悪夢」と呼ぶにふさわしい展開だろう。

先ほど、行くも地獄、引くも地獄という非常に巧妙な「トラップ」だと評した理由がお分かりいただけただろうか。

この極めて完成度の高い「復讐シナリオ」が織り込められた「遺書」を見ているうちに、企業内でバラまかれる「怪文書」とよく似ていることに気づいた。仕事柄、いろいろな怪文書を目にするのだが、「敵」に向けられる激しい誹謗中傷、そして自分の主張こそが正しく、これが通らなければ死んでも死にきれないという強い思いは、茂永氏の筆致とそれほど変わらない。

確かに、内部告発などをして企業に「災い」をなす人の多くは、社内の権力闘争に敗れるなど、何かしらの恨みを抱いている人が圧倒的に多い。みなさんも、そのような「復讐劇」をよく耳にすることだろう。

たとえば、インサイダーによる調査報道に定評のある会員制情報誌「FACTA」が、日産の検査不正問題は、社内の品質保証関連部署の人員などが「西川降ろし」を画策してリークを行ったと報じている。

無論、日産側はリークを否定しているが、話としては妙な説得力がある。

同関連部署は、カルロス・ゴーン前社長が2000年頃に「血の流れる改革」を行った際、もっとも人員を減らされたということで、不満の声が多く上がっていたという。そのような部署の一部の人が「怨霊」となって、数十年前から現場で続いていた「社内ルール」を「不正」として発掘し、ゴーン前会長の懐刀である西川社長に「祟り」をなす、というのは極めて日本的な復讐劇で、いかにも「ありそう」である。

権力闘争の激しい企業には
「プチ茂永氏」が大勢いる

 では、このような権力闘争の「敗者」が「怨霊」にならないためにはどうすればいいか。哲学者の梅原猛氏は、敗者を排除するのではなく、「何らかの意味で鎮魂し、それによってかつての敗者の部下であった人たちが安んじて新しい権力に仕える道を用意すること」(日本経済新聞1991年8月31日)と述べている。

これはまったく同感だ。よく企業から「どういうわけかメディアに、うちの社長の悪い話ばかりが出る。しかも、メディアが知らないような内部事情ばかりだ」と相談を受けるが、たいがいその社長にかつて冷遇されたとか、政敵だったとかいうグループがリーク元であることが多い。

つまり、このグループは組織内でしっかりと「鎮魂」をされていないので、新しい権力に災いをなす「怨霊」となってしまうのだ。

マスコミ業界にいると、社内の権力争いが激しい大企業に勤めている方から、内部事情を話したいとの申し出がよく来る。実際に会って話を聞いてみると、「あいつだけは許せねえ」「会社を辞めることになってもいい。刺し違えてでも、あいつは引きずり下ろす」などと、「政敵」への怒りをぶちまける方も多い。

レベルは違えど、「プチ茂永氏」のような方は、世の中に山ほどいるのだ。

みなさんがいま働いている会社の同僚の中にも、「怨霊」になりかけている人がいるかもしれない。

【私の論評】組織の精神を健全に保たなければ怨霊が輩出することになる(゚д゚)!



ブログ冒頭の記事では以下のようなくだりがあります。
 この国では古代から権力争いに敗れ、憤怒の念を抱きながら死を遂げた者が「怨霊」となり、権力者のみならず、国全体に疫病や自然災害などの「祟り」をなしてきたという伝説がたくさんある。崇徳天皇、早良親王、長屋王、伊予親王、藤原夫人、観察使橘逸勢、文室宮田麻呂など例をあげればきりがない。
これは、確かにそうです。というより、日本の過去の歴史は怨霊の歴史だったといっても過言ではないのです。それについては、このブログでも随分前に掲載したことがあります。その記事のリンクを以下に掲載します。
日本の歴史は「怨霊」の歴史だった-自然や自らよりはるかに大きなものへの畏れをなくしたかのように見える日本人よどこへ行く!?
さて、以下にこの記事より「教科書に掲載されない歴史(怨霊の歴史)」について掲載されている部分を引用します。
■教科書に掲載されない歴史 
現代の教科書に掲載されない、歴史というものがあります。明治時代などに、非科学的とされて、あまり掲載されなくなり、第二次世界大戦後は、事実と確認されるもの以外は完全に排除されてしまったものです。しかし、教科書に正式には掲載はされなかったもののいわゆる「教科書に掲載されなくなった歴史」は、戦前から戦中にかけて親から子へとか、教師から教え子とか、いろいろな形で伝承されてきました。しかし、現代ではあまり伝承されなくなり、今では、知らない人も多くなりました。しかし、現代日本人は、もう一度こうした歴史にも、目を振り向けるべきだと思います。

その歴史の中に、「怨霊」の歴史があります。平安時代は、まさにその「悪霊や怨霊」の時代で、平安京は怨霊に対するシェルターだったとさえ言われています。なんと奈良の大仏様も実は怨霊封じのために建立されたのですが、結局役に立たちませんでした。平城京を捨て、長岡京も捨てて逃げる天皇たちの様は尋常ではありませんでした。優雅な貴族文化といわれる平安時代も、その実態はおどろおどろしい世界でもありました。
時の為政者の仕事は、悪霊や怨霊から国を守ることがその勤めでした。夜中眠っている間に悪霊や怨霊に魂を盗まれると信じた彼らは、夜ごと火を焚いて悪霊たちを近づけないようにしました。そこでは歌が詠まれ、雅楽などが奏でられる祭事がもようされていたのです。現在も政治のことを「政(まつりごと)」と呼ぶのはそのせいです。 
東海道四谷怪談 「神谷伊右エ門 於岩のばうこん」(歌川国芳)
この記事には、怨霊となった例をいくつかあげましたが、以下に崇徳上皇に関するものを引用します。
■日本一の大魔王崇徳上皇 
ところで「日本一の大魔王」になった怨霊もいます。それは「崇徳上皇」です。5歳の若さで天皇の位についた、崇徳天皇は、父鳥羽上皇から疎まれ、憎まれました。そうして、鳥羽上皇から22歳の若さで天皇の位を奪われた崇徳はクーデターを起こしました。これが「保元の乱」です。ところが、企ては失敗しました。その結果崇徳は四国讃岐に流罪となりました。

許しを乞うが願いは叶わず、しかも、自らの血染めでしたためた、写経を京都に「せめて自分の写経を京にかえしてくれ」との願いもむなしく、それをつき返され、願いもかなわず、激怒した崇徳は誓いを立てました。「日本国の大魔王となり、天皇家を没落させる。天皇家以外の者を王にする」と。そうして、その直後に憤死されたそうです。

恨みを抱いて死んだ者には、菅原道真や後醍醐天皇が思い浮かびます。しかし、正面切って天皇家を呪ったのは崇徳上皇だけです。果たしてその呪いは実現しました。崇徳の没後すぐに平家が政権を操るようになりました。そして次に本格的な武家政権、鎌倉幕府が成立しました。これ以降何かことが起こる度に、民衆には崇徳上皇の怨霊の仕業と広く信じられました。

日本の「明治維新」は、こうした崇徳の祟りを恐れ、崇徳を守り神にするという考えのもとで実行されたとう側面もあります。実は崇徳上皇の承認を得るという形式のもとに行われたのです。孝明天皇の崩御で、明治天皇が践祚したのは1867年1月。だが即位はしていませんでした。崇徳上皇の命日である同年8月26日、明治天皇は勅使を讃岐に派遣しました。勅使は上皇の「白峰御陵」の前で、次のような内容の宣命を読み上げています。「新しい宮を建立したので、長年の怨念を捨てて京にお帰りください」。明治天皇の即位の礼は、なんとその翌日8月27日に行われました。

そして9月6日崇徳上皇の霊は移され、700年ぶりに京へ帰って来ました。「明治」と改元されたのはその翌々日、1867年9月8日だったのです。今の世で怨霊を信じる信じないは勝手です。ただ、当時の人たちが信じたことだけは確かです。そうして、日本は「明治維新」という歴史上稀に見る、「明治維新」を大成功させ、その後の日本の発展は目覚しく大躍進しました。そうして、日清・日露の両戦役にも大勝利して、近代化の道を歩むことになったのです。
恨みを抱いて亡くなった崇徳上皇
さて、組織的にみると、今回の事件のようにかなり拗れてしまった場合は、何らかの方法で組織や組織内の有力者に恨みを持つものを組織内でしっかりと「鎮魂」をして、新しい権力に災いをなすような「怨霊」にしてしまわない措置が必要だということです。これは、かなり難しいことだと思います。だからこそ、今回のような事件が起こってしまったのでしょう。

昨年5月頃の富岡茂永氏 宮司だった頃の面影はない
しかし、普段から組織を健全に保つ方法はあるはずです。そうして、富岡八幡宮という神社もあれだけ大掛かりなものであれば、宮司だけではなく、組織で運営されているはずであり、その組織が普段から健全であれば、今回のような事件はなかったかもしれません。

今回の事件に関しては、マスコミはあいかわらず表面だけ説明しています。そのため、この事件の本質が多くの人々に理解し難いものになっています。多くの人々は、完全に頭のネジがぶっとんじゃた人の話ということで、あまり自分たちには関係のない話と思っていることでしょう。

しかし、ブログ冒頭の記事でも「組織」について述べているように、マネジメン的側面からみると様々なことが見えてきます。そうして、この事件を自ら属している組織とも付けて考えることができるかもしれません。

そもそも、組織の機能とは何なのでしょうか。それは、天才ではなく凡人に非凡な成果をあげさせることにあります。それは人の弱みを中和して、強みを最大限に発揮させることです。これが、組織の機能というものです。

つまり、組織の良否は成果中心の精神があるか否かによって決まります。神社の組織が、過去をただ継承するだけではなく、現代における神社のあり方を模索して地域社会に貢献することを成果であると考えていれば、組織を健全に保つことが可能だったかもしれません。

そして組織は以下の4点を満たさなければ健全な精神を持っているとは言えません。
①組織の焦点は成果に合わせなければならない 
②組織の焦点は機会に合わせなければならない
③人事に関わる意思決定は組織の信条と価値観に沿って行わなければならない 
④真摯さこそが唯一絶対の条件である
①組織の焦点は成果に合わせなければならない
成果とは長期的なものであり常にあがり続けるものではありません。野球で言えば打率のことです。バッターは十回中三回ヒットを打てば優秀だと評価されます。しかし七回は失敗しているのです。失敗だけはしない人を信用してはいけません。 
このような人はただ単に無難な仕事だけをこなしているだけであり、挑戦することから逃げているだけです。人は何かに挑戦していれば、必ず失敗するものです。
弱みのないことを評価してはならないのです。優れた人程多くの失敗を犯しますし、新しいことに挑戦をするものです。
この事件に関していえば、 富岡八幡宮においては成果を当然のこととして、ほとんど定義もされていなかったのではないでしょうか。 
②組織の焦点は機会に合わせなければならない
問題に焦点を合わせている組織は守りに入っていてそれ以上成長することができません。
成果は組織の中ではなく外の世界にしか存在しません。神社という組織も成果は神社の中ではなく外の世界に存在するのです。地域社会の人々を何らかの形で良い方向に変えることこそが成果なのです。神社の中に成果はありません。 
組織は機会に資源とエネルギーと時間を使うことによって成長していけるのです。
成果が定義されていない組織においては、何が機会かもわからなくなってしまいます。 
 ③人事に関わる意思決定は組織の信条と価値観に沿って行わなければならない
成果中心の精神を高く維持するには、配置、昇進、昇給、降格、解雇などの人事に関わる意思決定が管理手段として大きな役目を果たします。 
そして組織には固有の信条とや価値観があり、人事の意思決定はそれに対して矛盾したものとなってはなりません。
矛盾していれば働くものが勘違いをしますし、また信頼を失うことになります。茂永氏も勘違いをしていたのではないでしょうか。
④真摯さこそが唯一絶対の条件である
真摯さを絶対視することが健全な組織の条件です。人事に関する意思決定においては真摯さという基準は絶対無視してはなりません。
特に真摯さに欠ける者をマネージャー(神社では宮司やその他の神職、管理者など)にしては絶対にいけません。
真摯さの定義は難しいです。これについては、このブログで詳細に述べたことがあります。これについて、詳細を知りたい方は、その記事を参照して下さい。 
真摯さを定義するのは難しいですが、真摯さに欠ける人はどのような人なのかは、示すことができます。以下の5つに該当する者をマネージャーにしてはなりません。
第一に、強みよりも弱みに目を向ける者。 
これは組織の基本的機能であり使命にも反します。強みよりも弱みに目を向ける者をマネージャーにおけば組織は弱体化していきます。
第二に、何が正しいかよりも誰が正しいかに関心を持つ者。
マネージャーの仕事は何が正しいかを分析することでもあります。
人の意見に左右されて本当の正しさを見失うような、もしくは人によって態度を変えるような人間はマネージャーとして不適合です。
マネージャーは人よりも仕事を重視しなければなりません。
第三に、誠実さよりも賢さを重視する者。
そういう者は人として未熟で、その未熟さは後天的に改善されることは難しいです。また、こういった人間を変えることもとても困難なことです。
第四に、部下に脅威を感じる者。
マネージャーは部下の失敗の最終責任を負う覚悟があってはじめてマネージャーたりえるのです。これは逆に言うと部下の成功を自らの成功と捉えることができるということです。 
部下の成功に脅威を感じる者は責任を理解していませんし弱い人間です。
第五に、自らの仕事に高い基準を設定しない者。
優れたマネージャーというものは自らに一流の仕事を要求しますまた、自らの仕事に高い基準を設定できなければ、他の者にも優れた仕事を要求することはできません。 
そういった者にマネジメントされる人間は基準の低い狭い範囲の仕事をやらされることになります。
また他人に高い基準の仕事を要求しておいて自らは低い基準の仕事を行う者に信頼をよせる人間がいるでしょうか。自分に甘く他人に厳しいという人間に人はついてきません。
いかに豊富な知識があり、いかに効率よく仕事をこなす者であっても真摯さが欠けていればそこで働く人間を破壊します。そうして、組織の精神を損ない業績は低下するでしょう。
真摯さこそが唯一絶対の条件なのです。茂永氏は真摯な人だったのでしょうか。もしそうでなければ、そもそも宮司にしたこと自体が間違いです。
 組織の精神を健全に保つには以上の4項目を満たす必要があります。これら4項目をだいたい満たしているような組織は、間違っても「怨霊」を出すような組織にはならないでしょう。逆にこれをほとんど満たしていないような組織は「怨霊」輩出する組織になり伏魔殿のようになることでしょう。

私は、富岡八幡宮の組織を分析したり、宮司や元宮司の方と直接話しをしたことはありません。しかし、現代の「怨霊」を生み出してしまったこの組織には、まともな組織の精神が宿っていたとは思えません。最近では、企業組織もそうですが、日本相撲協会にも組織的に何か問題があるのではないかと思えるようなことが、起こっています。

組織の精神に注目すれば、組織の様々な問題がみえてくると思います。

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2016年5月8日日曜日

熊本地震で露呈したテレビ局「失態の数々」救出劇の撮影、割り込み、ホテル占拠で大迷惑―【私の論評】震災時などの緊急時における行動にこそ、人間や組織の本性が現れる(・・;)



崩れそうな家の前で「待機」
何を喜んでいるのか!ハシャギすぎだよ、テレビ局
 「眠れますか?」じゃないよ
「夜寝られないから、昼間にウトウトしているところに、詳しい説明もなくカメラを向けられる。お年寄りは文句を言いませんが、若者は、テレビ局の人たちの不躾な態度に憤っていますよ。
どこの局か知らないけれど、十分に説明せずにお父さんと娘さんを並ばせて、インタビューした局があったんです。中継が終わった後、娘さんが『勝手に撮られた』って怒っていました。化粧もしていない顔で全国放送に映っちゃう、って」
こう話すのは、熊本市内で被災した60代の男性である。
他ならぬ熊本の被災者から、テレビ局クルーの非常識な行為を「告発」する声が上がっている。県内の避難所に身を寄せる50代女性も言う。
「避難所にヘルメットを被った人がいきなり入ってきて、深刻そうな顔で『どうですか、眠れますか』って聞いてくる。あんたらが来るから寝られないんだ、と言いたい。
夜の照明がまぶしい、と訴える人も多いです。中継で使うライトって、ものすごく強力なんですね。しかも、リハーサルの時も点けっぱなしだから、みんな早く終わらないかなって思ってますよ」
大きな災害が、マスコミにとってある意味で「チャンス」であることは否めない。しかし、今回の熊本大地震で現地入りしたテレビ局クルーのハシャギぶりは、少し度が過ぎている。
NHKの朝の人気情報番組『あさイチ』では、18日、有働由美子アナウンサーがこんなFAXを取り上げた。「熊本市内に住む友人から聞いた」という、視聴者の話だ。
「余震で崩れそうなお宅の前で、テレビ局がずっと待機しているのだそうです。すごく失礼なことではないでしょうか」
この視聴者が直に見聞きしたわけではなさそうだが、事実なら、「家が崩れる瞬間を撮るために張り込んでいた」ということだ。明らかに行き過ぎであり、これはもはや「取材」とは言えない。
「いい画」を撮るためなら何でもやる—そんなテレビクルーの姿勢は、番組からもにじんでいた。
巷で「やり過ぎ」という意見が特に多かったのが、17日にフジテレビ系『みんなのニュース』で放送された、消防隊に取材班が密着した映像だ。
暗闇の中に浮かび上がる、倒壊した家屋。画面右上には「奇跡の救出劇」という見出しが躍る。
「高齢の女性のようです。今、家屋の外へと出されました……」「おばあちゃん、無事なようです! 今救出されました! 大丈夫ですか!」
消防隊に救い出され、横たわる白髪の女性が大写しになる。夫とみられる男性に、リポーターは笑顔でマイクを向けた。
一見すれば美しい光景かもしれない。しかし、ネット上ではこんな意見が寄せられた。
〈救出された瞬間インタビューしたりそこまでする必要あったんかな〉
〈二次災害とかもあるかもしれないのに。足手まといにもなるかもしれないのに〉
この映像自体は、確かに「スクープ」だろう。だが、極限状態におかれた被災者にカメラとマイクを向けてまで、報じる必要があるのか。危険な状況下、しかも夜間。消防隊員たちに与えた負担も小さくなかったはずだ。
 ホテルも占拠していた
さらにネット上では、現地入りしたテレビクルーの無神経な行為が、「大炎上」を招いた。
「関西テレビの中継車が、熊本県内のガソリンスタンドで列に割り込んだ」
「毎日放送のアナウンサーが、豪勢な弁当を被災地で調達した」
といった情報が瞬く間に広がり、猛烈な批判を浴びたのだ。関西テレビと毎日放送は、これらを事実と認め、謝罪した。
動画はブログ管理人挿入 以下同じ
前出と別の、被災者の男性が言う。
「ガソリンスタンドは、どこに行っても長い行列で、30分で給油できればラッキー。だいたい1時間はかかります。コンビニやスーパーも、まだ商品がスカスカのところもある。割り込みや買い占めがあるとすれば、許しがたいことです。
ホテルもマスコミ関係者で一杯になっている、と聞きました。『避難所にいたくない』という親戚が部屋を取ろうとしたら、熊本市内や周辺のホテルはほとんど押さえられてしまっていたと。休息の場所を最も必要としているのは、地元の人じゃないんですか」
テレビ報道の現場は、誰に向かって何を伝えるべきか、また自分たちが視聴者や取材相手にどう思われているのか、見失っている。そう懸念するのは、ある民放キー局元幹部である。
「ヘルメットを被ったリポーターが、余震が起きると『危険です! 身の安全を確保してください!』と怒鳴っていたけど、視聴者からすれば『誰に向かって言ってるの?』と思ったでしょう。現地の被災者は、テレビなんて見られないんですから。
また、仕方なく車の中で寝ている人に向かって、東京のスタジオにいるキャスターが『車の中にずっといるとエコノミークラス症候群になるから、出てください!』と叫ぶ番組もあった。何様のつもりで作っているのか」
テレビ報道の存在意義とは—今回、被災地でテレビ関係者が見せた振る舞いは、そんな疑問を国民に抱かせた。
彼らが信頼を取り戻す術はあるのか。同志社女子大学教授で、元毎日放送プロデューサーの影山貴彦氏は、こう提言する。
「震災報道が過熱する最大の原因は、行き過ぎた視聴率競争だと思います。テレビのスタッフに、視聴率を考えない者はいない。いい映像が撮れそうだと興奮してしまうのです。
だからせめて、大きな災害の時だけでも各局とスポンサーが連携して、視聴率調査をストップするべきです。『抜いた、抜かれた』のスクープ競争をやめれば、報道の姿勢も変わるはず」
災害の時にテレビが担う役割を、もう一度考え直したほうがいい。
「週刊現代」2016年5月7日・14日合併号より
【私の論評】震災時などの緊急時における行動にこそ、人間や組織の本性が現れる(・・;)



ブログ冒頭の記事においては、テレビ局がはた迷惑な取材をを淡々と掲載したでけで、その背後に何があるのかは、視聴率ということで、そこからは一歩も踏み込んで、全く分析していません。この点については、以下の記事が関係者の声として、かなり踏み込んでいます。
NHK以外はなっとらん!? 民放の被災地取材のヒドさに同僚からも不満噴出中! 
イメージ画像 文書の内容とは直接関係ありません
 熊本地震では多くのテレビ局が現地入りし、今も熊本県内各所からの中継を行っている。しかし、ガソリンスタンドにて中継車が給油待ちの列に割り込んだため、テレビ局が謝罪する事態となったほか、避難所で生活する男性が中継中のクルーに怒りをぶつける模様が生放送で流れてしまうなど、テレビ報道の取材姿勢に対して怒りの声は多い。 
 これらの問題に関してテレビ業界の関係者はどう考えているのか。話を聞いた。 
「生放送中に怒りの言葉を向けられたのは最悪ですね。ただ、あれは避難所の目の前に中継車を置いて邪魔だったのが原因だったようです。スタッフが取るべき行動として考えればたしかに理解はできるのですが、状況が状況だけに最悪でしたね」(番組関係者) 
 行動自体は理解できるとのことだが、一体どういうことか。 
「中継車とカメラはケーブルで結ぶので、両者の位置が近いほうがケーブルを敷く距離が短くてすみますからね。ですが、中継車が邪魔になるという状況であれば遠慮するべきだったと思います。NHKなどはたとえ離れていても近隣の駐車場などに中継車を置いて、そこから何百メートルもケーブルを敷いていますが、民放の場合にはまだまだこのような配慮が行き届かないケースも多いので、今回のようなトラブルを招いてしまったんです」(同) 
 意外にもこのような場面では、NHKのほうがマナーを守っているようだ。民放はなぜクレームが来そうな行為に走るのだろう。 
「機材が少なくケーブルが足りないなど物理的な原因もあります。ですが、それ以上に民放の報道部の人間は『報道の自由』を盾にすれば何をしてもいいと考えている輩が多いんです。NHKの場合にはきっちりした研修もありますが、民放の場合には報道と権力をはき違えた人間もたくさんいます。そういう気持ちの面での差もあると思います。当然、報道の自由と同時に個人のプライバシーや生活権も重視されるべきですから、今後は邪魔な中継車はどんどん110番通報するぐらいの対抗措置を市民側もとるべきですね」(同) 
 仲間をかばうのかと思いきや110番を進言するとは驚きだ。これはどういうことなのか。
「自分は報道の人間ではないのでハッキリ言えますが、テレビ業界の中で最も嫌われている存在は報道セクションなんです。あらゆる場所で横暴な取材を行い、それによっていろいろな町や企業に嫌われています。その影響を受けるのはバラエティやドキュメンタリーなどを作る我々なんです」(同) 
 具体的にはどのような影響があるのか。 
「たとえば商店街で失礼な取材をして、その商店街でほかのバラエティ番組がロケをしようと思っても拒否されたり、今まで取材可能だった店舗から出入り禁止にされたりします。また、ドキュメンタリーの分野で言えば、東日本大震災の現地ドキュメントを撮影しようと思っても、過去に報道の人間からひどい取材をされたなどの理由で、取材NGになるケースもあります。そのため、今回の熊本地震でも報道局のなりふり構わぬ取材態度には身内であっても批判の声が多いんですよ」(同) 
 世間からのバッシングばかりかと思ったが、実際には身内からも嫌われているのが報道部の実情のようだ。一体彼らの報道は誰のために、何のために存在しているのだろうか。
(文=吉沢ひかる)
 結局この記事からも理解できるように、民放の報道部の人間は『報道の自由』を盾にすれば何をしてもいいと考えている輩が多いということが震災地での報道の傍若無人ぶりの背後にあるということです。報道と権力をはき違え、個人のプライバシーや生活権報道の自由よりも報道の自由のほうが上であると勘違いしているところがあるということです。

さて、上記まででは、震災の被災者に関する報道のみがクローズアップされていますが、震災に関するもので、NHKも含む各放送局でほとんど報道しないものもありました。

それは、何かといえば、あのオスプレイです。オスプレイが、救援物資を運んだという報道はテレビではほとんど報道されませんでした。だから、デレビのみが情報源になっている人の中には、オスプレイが救援活動をしたことを知らない人も大勢います。

これは、新聞報道とは対照的です。オスプレイ報道にもいろいろあって、大手新聞のほとんどは、熊本震災の救援活動にオスプレイは必要ないとか、危険であるとか、実績づくりのためのPRだとか、ネガティブではありながら、報道はしました。産経新聞は、ポジティブな内容で掲載したり、他紙のネガティブな報道の仕方を批判する内容の記事でした。

ネカティブであれ、ポジティブであり、ほとんどの新聞はオスプレイが熊本震災の救援活動に出動したことを掲載していました。



ところが、テレビ局ではほとんど局が、オスプレイに関しては報道しませんでした。これは、一体どうしたことでしょうか。テレビ局の中には、前々からオスプレイが危険だなどと、報道しているところがありました。そういうテレビ局も含めて、ほとんどのテレビが報道しなかったということは、各テレビ局の報道部による恣意的な取捨選択以外の何ものでもありません。

これは、テレビ局が「報道の自由」を行使するのは、当然のこととして「報道しない自由」を行使するのも当然のことと捉えてるということを示す証左としてとらえるべきです。ネガティブな内容でも流すというのならわかりますが、完全無視で、何も報道しないというのですから、とんでもないです。

これらの報道姿勢をテレビ局の傲慢といわずして、何を傲慢というべきでしょうか。このテレビ局の傲慢は、特に各テレビ局の報道部の傲慢さに直結しているのだと思います。だからこそ、テレビ局の報道部は、震災地であのような傲慢な姿勢を見せるのです。このテレビ局の傲慢さに関しては、以前にもこのブログで掲載したことがあります。

その記事のリンクを以下に掲載します。
K・ギルバート氏“偏向報道番組”斬り「日本のテレビ局の態度は傲慢に見える」―【私の論評】日本のテレビ局の態度は、傲慢どころか日本の民主主義の破壊者(゚д゚)!

詳細は、この記事をご覧いただくものとして、この記事では、TBS系「NEWS23」の安保法制報道が放送法違反だったとして、作曲家のすぎやまこういち氏が代表呼びかけ人を務める任意団体「放送法遵守を求める視聴者の会」が昨年11月26日、記者会見を開き、番組アンカーを務める岸井成格(しげただ)氏やTBSなどに対し、公開質問状を送ったことを明らかにしたことを掲載しました

この記事より、ケント・ギルバート氏の発言の部分のみ掲載せせていただきます。
呼びかけ人の1人で、夕刊フジで「ニッポンの新常識」を連載(金曜掲載)する米カリフォルニア州弁護士、ケント・ギルバート氏は「日本のテレビ局の態度は傲慢に見える。『自分たちは賢く、バカな国民を誘導しなくてはダメ』という態度に見える。決めるのは国民で、意見を押しつけることは正しくない姿勢。もっと謙虚にやってもらいたい」と訴えた。
この記事にもあるように、テレビ局の安保法制に関する報道は、TBSに限らずどの局も傲慢そのものでした。その中でも、得にTBS系の「NEWS23」の報道は極めつけのものでした。

とにかく、テレビは、集団的自由権の行使を含む安保法制に反対し「戦争法案」などとレッテル貼りをする野党の主張や、市民団体のデモばかり報道して、与党側の主張や、保守派などの意見などほとんど報道しませんでした。

これは、「戦争法案」という主張を「報道の自由」として徹底的にとりあげ、その一方で与党側や保守派の人々の主張は「報道しない自由」として徹底的に無視して報道しなかったということで、テレビ局傲慢さを白日の下に晒しました。

とにかく、テレビ局の特に報道部は、ニュースなどを取捨選択し自分たちの主張に合う事柄は、「報道の自由」として長時間報道し、自分たちの主張に合わないものは、徹底して報道しないという「報道しない自由」を貫き通したのです。

一体彼らの報道は誰のために、何のために存在しているかといえば、明らかです。いわゆるパヨクのために、パヨクの主張があたかも世の中の大勢を占めているかのごとく装うために存在しているとしか言いようがありません。

熊本の震災報道でも、視聴率欲しさに無理な報道をしたというよりは、普段からの傲慢ぶりが露呈してしまったに過ぎません。【私の論評】の冒頭に掲載した動画のスチル画像を以下にもう一度掲載します。



テレビ局の人は別として、なぜか辛嶋友香里(からしま ゆかり)というピースボートの人間がMCを実施しています。この辛嶋なる人物の経歴を以下に掲載します。
ピースボート災害ボランティアセンター スタッフ 
教員を目指して大学へ進学。卒業するも、ゆとり教育よりも社会経験だ!と思い、総合美容サロンに勤務。営業、美容、マネージメントを経験し、独立。個人サロンを立ち上げる。26歳でピースボートクルーズに参加。その後も旅を続けていたところ、東日本大震災が発生。急いで帰国し、ボランティアとして東北へ。その後、ピースボート災害ボランティア センターの初期運営メンバーとして支援に携わりそのまま職員となる。被災地に向かう数万人のボランティアをオーガナイズ。現在は、将来の災害に備えるため、主に防災・減災の取り組みに力を入れている。

ピースボート(Peace Boat)とは、国際交流を目的として設立された日本の非政府組織(NGO)、もしくは、その団体が主催している船舶旅行の名称です。設立当初はアジアをめぐるクルーズの運営を主体としていたが、1990年以降は世界各地をめぐる「地球一周の船旅」を繰り返し行っています。後に政治家となった辻元清美ら早稲田大学の学生数名が1983年(昭和58年)に設立しました。創設メンバーで現在も運営に関わっているのは、吉岡達也のみです。

この藤岡達也は現在ピースボートの共同代表です。2008年には『9条世界会議』の共同代表に選ばれました。2012年1月14-15日にパシフィコ横浜開催されたた「脱原発世界会議 2012 YOKOHAMA」では運営代表を務めました。

要するに、ピースボートはこてこてのパヨク団体です。このようなパヨクをわざわざ震災報道でMCのように使用するというのが、そもそも感覚がずれています。

報道するなら、報道に専念するべきです。こんなところには、パヨクが随伴するのも非常におかしな話ですが、もしも保守の人間が行ったとしても浮いてしまうのではないでしょうか。

そうして、被災民の人から迷惑がられて、叱責され、放送を中断してしまうという不手際を起こしてしまったのです。

とにかく、今のテレビ局のあり方は、この番組報道に凝縮されています。

普段から、「報道の自由」という錦の御旗を笠に着て、やりたい放題の報道内容の取捨選択を行い「報道しない自由」も享受し、震災地でもそれと同じく、とにかく視聴率を稼ぐためにやりたい放題をしたり、パヨクまで随伴するというやりたい放題をしても、そのことに何の疑問も感じないのです。



日々傲慢でやり過ごしてきて、何も批判されず、ましてやパヨクたちからもてはやされるので、感覚が鈍り、被災地でも人を人とも思わない傍若無人を働き、激しく非難されてから、ようやく気がつくという体たらくぶりを発揮しているのです。

ブログ冒頭の記事や、【私の論評】の冒頭に掲載された記事でもNHKのことはあまり批判していませんが、これは記事中にあったように、NHKの報道局の人間など被災地での行動のあり方を教育されているから、今回も被災地でも被災者に直接迷惑をかけることはなかったものの、傲慢さにかけては、他局の報道部とあまり変わりありません。それは、普段の報道ぶりを見ていれば、良くわかります。

人間の本性、本質はピンチのとき、緊急事態のときに表れます。こんなときに、普段はどうであれ、責任を他の人間になすりつけたり、傲慢であったり、小心者であったりのその人間の本質が露呈します。テレビ局などの報道部などの組織も同じことです。今回、震災の報道でみせた彼らの姿勢こそ、彼らの本質なのです。

【関連記事】

【熊本地震】「原発止めろ」の非常識…停電のリスク高まる 懸命の復旧作業の妨げに―【私の論評】被災地の救援、復興よりも、原発を停止を重要視するパヨク(゚д゚)!



【熊本地震】「食料最低限なのに…」MBS山中アナ、取材用弁当写真をツイッターに上げ批判続出 「配慮欠けた」謝罪―【私の論評】自己満足だけで、被災地に支援物資を送ったり赴く「意識高い系」にはウンザリ(゚д゚)!



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2016年1月19日火曜日

「朝日は不治の病」 OBの敏腕記者が激白 著書『崩壊 朝日新聞』が話題に ―【私の論評】昭和20年代から考えが変わらない組織は、偏向して崩壊するのが当然(゚д゚)!


慰安婦や安保法制をめぐる報道でOBの厳しい批判を受けた朝日新聞本社
元朝日新聞の敏腕記者、長谷川●(=熈のノを取り、巳が己)(ひろし)氏(82)が、朝日の「マルクス主義的体質」をあぶり出し、事実に基づかない恣意(しい)的報道を容認する「社風」に切り込んだ著書『崩壊 朝日新聞』(WAC)が話題となっている。日韓両国は昨年末、慰安婦問題をめぐって「最終的かつ不可逆的に解決」で合意したが、両国関係の悪化における「朝日の責任」を問う声は多い。安全保障法制をめぐる報道への疑問も含めて、長谷川氏が夕刊フジの取材に応じた。

「朝日は『不治の病』に侵されている。処方箋は見当たらない。相対的に部数が多いこともあり、日本にとって不幸ではないか」

長谷川氏は言葉を選びながら、古巣への思いをこう吐露した。

長谷川氏は慶応大文学部卒業後、1961年に朝日に入社。93年の定年退社まで、経済部や週刊誌「AERA」などで記者として活躍した。90年前後には、東西ドイツや旧ソ連内各地で取材した経験を持つ。退社後も2014年8月までは、社外筆者として「AERA」で健筆を振るった。敏腕記者で知られ、「数々のスクープをモノにしてきた」(週刊誌編集者)と言われている。

執筆の動機は、朝日が14年8月5日、慰安婦強制連行の根拠としてきた「吉田清治証言」を32年もの後に虚偽と判断し、一連の大誤報を認めた特集記事を同日朝刊にあっさり掲載したからだ。

「愕然(がくぜん)とした…」

長谷川氏は特集記事を読んだ感想を、こう語った。日本と日本人の名誉を傷つけ、国内外に深刻な影響を及ぼしてきた虚報を裏付けも取らずに紙面に載せ、長く放置してきたことへの「おわび」もなく、問題を官憲による強制連行ではなく、慰安婦が存在したことにすり替えていたからだ。

同書のまえがきに、長谷川氏は《この威張り返った、そして物事をごまかす態度》《この新聞社は(中略)八月五日をもって最終的に新聞の実質は終わった、崩壊した、と感じた》と痛烈に記している。

今回の取材で、長谷川氏は「吉田証言報道は、朝日新聞の『本質的な問題』を端的に示した例だ」と語った。朝日には、事実に即していないことでも、思想傾向に沿っていれば報じても許されるという「体質」があり、その伝統は今も引き継がれている-というのだ。

これでは、真実を伝える報道機関とは、とてもいえない。

朝日的体質や思想傾向の根源とは一体何か。

長谷川氏は「昭和20年代にさかのぼる。マルクス主義を信奉する、もしくはそれに近い立場の記者たちが、紙面形成の主流を担った。それが今もなお続いている」と解説する。

こんな例があったという。

1972年、モスクワ特派員の記事が、ソ連側から「反ソ的だ」と批判された。東京の朝日新聞本社はソ連の意向に沿い、この特派員を社命で突然帰国させた。長谷川氏は「根本が狂っている。この新聞社は一体どっちを向いているのか」とあきれたという。

同書は3部7章に分かれ、朝日の戦前戦後の歴史が丹念にひもとかれている。《過去を『悪』と見る条件反射》《朝日にたなびくマルクス主義》《視野が狭くなる伝統》《方向感覚喪失の百年》といった、部や章のタイトルだけを見ても、いかに朝日が共産主義に毒されているかが伝わってくる。

慰安婦問題の大誤報を受け、朝日新聞は再出発した。だが、昨年の安保法制をめぐる報道に接して、長谷川氏は「新編集陣になっても、まったく体質は変わっていない」といい、続けた。

「安保法制について、朝日は『戦争法案』とのレッテルを貼って報じ、特殊な政党と連携したかのような一大キャンペーンを行った。私が読んだ限り、安保法制は現状の憲法体制の中で、『日本が守りを固めるには、どうすればいいか』を考えた法律だ。まさに(朝日は)驚くべきメディアだ。吉田証言報道の過ちをまったく反省していない」

こうした姿勢は、事実を探求する一線記者にも影響を及ぼしているという。長谷川氏はいう。

「残念なのは近年、『どうせ朝日だから、いい加減に、誇大に書くに決まっている』と思われていることだ。私が取材を申し入れても断られることがあった。安保法制も『本当は戦争法案ではない』と思っている記者もいたはずだ。昔から朝日は自由にモノが言えなかった」

朝日新聞は大丈夫なのか。

【私の論評】昭和20年代から考えが変わらない組織は、偏向して潰れるのが当然(゚д゚)!

長谷川●(=熈のノを取り、巳が己)(ひろし)氏(82)

朝日新聞といえば、このブログでも昨日AIIBの報道に関して、批判したばかりです。その記事のリンクを以下に掲載します。
AIIB「開店休業」状態 融資1号案件大幅遅れ 日米に参加“懇願”―【私の論評】日本のAIIB参加を呼びかけた奴らは、中国スパイか馬鹿のいずれか(゚д゚)!
2015年3月28日朝日新聞朝刊 馬鹿の証、それとも中国スパイの証?
詳細は、この記事をご覧いただくものとして、この記事では、中国主催のAIIBが実質上の「開店休業状態」になっていることを掲載し、このようなことは、中国によるAIIB構想の発表の頃から十分に予測がついたことを解説しました。

そうして、このようになることが予想できたにもかかわらず、AIIBバス乗り遅れ論などを吹聴した連中は、馬鹿かスパイであると断定しました。そうして、中国のAIIB構想発表の頃の朝日新聞の紙面(上の写真)を掲載しました。

上の写真をご覧いただければ、おわかりになると思いますが、朝日新聞はAIIBの加入に関して、参加に慎重な姿勢をとっていた米国に関して「追い込まれる米国」などと報道していました。

この記事に限らず、朝日新聞は、日本はAIIBに加入すべきという主張をしていました。このような主張をする朝日新聞は私は馬鹿か、中国スパイのいずれかであると断定します。

いずれであったとしても、日本を代表するような大新聞がそのようなことではいけないことは、言うまでもありません。

結局朝日新聞は、長谷川氏が言うように、「昭和20年代にさかのぼる。マルクス主義を信奉する、もしくはそれに近い立場の記者たちが、紙面形成の主流を担った。それが今もなお続いている」から、AIIBに関しても偏った報道をするということだと思います。

昭和20年代から、考えが変わっていないとしたら、マルクス主義に限らず、たとえそれがどのような主義・主張であったとしても、考え方が偏向してしまうのは、当然のことだと思います。

今年は、終戦から71目です。70年近く前の、主義・主張をそのまま信奉して、その枠組みで物事を考えていれば、誰でも時代遅れの馬鹿になります。

朝日新聞は、中国スパイかどうかは確かめようがないので、何ともいいようがないですが、馬鹿であること、個々人はどうかは別にして、組織としては大馬鹿であると言い切って良いものと思います。

慰安婦問題といえば、上の記事で長谷川氏は、いわゆる朝日による慰安婦問題を「問題を官憲による強制連行ではなく、慰安婦が存在したことにすり替えていた」と喝破しています。

まさしく、そのとおりだと思います。問題の本質は、婦女子を性奴隷として、官憲が関与して、強制連行したかどうかということです。そうして、これに関する記録は今までのところ、発見されていません。

慰安婦問題というと、最近韓国国内のネットで従軍慰安婦と呼ばれている売春婦の収入が公開されました。かなりの高給です。
元慰安婦の戦時中の郵便貯金通帳
その収入とは、1992年に元慰安婦が、日本の郵便局に戦争中の払い戻し請求の裁判を起こしたことから明るみに出ました。 このときに、1943年6月から1945年9月まで12回にわたって入金した26,145円(今換算約4000万円)が証拠として提出されました。

以下に、月収比較として1943年当時の給料を掲載します。
・総理大臣800円(東条英機)である東条英機
・陸軍大将550円
・曹長助長32~75円
・軍曹軍装23~32円
・伍長、五臓20円
・兵長兵長13、5円
・上等兵上等兵10、5円
・一等兵一等兵9円
・二等兵二等兵9~6円
当時の慰安婦は、300円から1500円を前払いされて、親の借金を返済しました。それがどれほど高額だったのかこの表を見ればお分かりになると思います。
2016.01.02 20:11:54 www.ilbe.com/7230593171

このほかにも、現在でも歴史の古い企業では、たとえば、戦争中の朝鮮半島の人々が、日本で働いていたときの賃金台帳が残っていたりいます。これを、みると、まともに賃金が支払われていたことがわかります。賃金を支払って働かせた場合は、徴用というのであって、強制労働とは言いません。

資料や歴史を大事にしない、韓国や北朝鮮などでは、このような資料はほとんど残っていないでしょうが、日本ではまだ残っている場合が結構あります。日本政府は、このような資料これからも、どんどん公開して、世界中に知ってもらう努力をすべきものと思います。

この訴訟を起こした金学順は「戦時中の貯金の返却」という訴えをおこしたのですが、弁護士の福島瑞穂が金を性奴隷の被害者に仕立てあげました。

これについては、このブログでも以前掲載したことがあります。その記事のURLを以下に掲載します。
慰安婦問題の「主犯」は福島瑞穂弁護士―【私の論評】まずは、日本の悪人を始末しないことには慰安婦問題は解決しないし、「戦後体制からの脱却」は難しい(゚д゚)!
詳細は、この記事をご覧いただくものとして、福島瑞穂が慰安婦問題の発端になったことを示す部分を以下に掲載します。

"
日本の悪人その1 吉田清治 
慰安婦問題の特異性は、日本人が創作した話だということだ。ふつう「私が犯罪者だ」と嘘をつく人はいないが、奇妙なことに戦争についてはそういう「詐話師」がいる。この問題の発端となった吉田清治がその最たるもので、彼の『私の戦争犯罪』には、済州島で「慰安婦狩り」をした様子が詳細に書かれているが、なんとすべて嘘なのだ。本人ものちに「フィクションだ」と認めた。

日本の悪人2でありかつ主犯の福島瑞穂
ところが吉田の話に目をつけて日本政府を相手に訴訟を起こそうとしたのが、福島瑞穂氏や高木健一氏などの弁護士で、彼らは韓国に渡って原告になる元慰安婦を募集した。そこで見つけたのが金学順で、彼女はNHKにも出演して「親に売られてキーセンになり、義父に連れられて日本軍の慰安所に行った」と証言した。この話をNHKに売り込んできたのが福島氏で、彼女はスタジオに立ち会って金にせりふを教えていた。目的は、軍票(敗戦で無効になった)で支払われた給与の賠償だった。

日本の悪人3 高木健一
しかし朝日新聞の植村記者がこれを(吉田のストーリーにそって)「女子挺身隊として強制連行された」と誤って報じたため、福島氏らは訴状を「軍に連行された」と書き換えた(だから彼女は「強制連行」が嘘であることを知っているはずだ)。その原告団長は植村記者の義母だったが、のちに裁判費用を詐取したとして逮捕され、行方をくらました。

要するに戦争をネタにもうけようとたくらんだ旧軍人が「軍の性奴隷」という猟奇的な話をでっち上げ、それを政治的に利用しようとした日本の弁護士が韓国人をけしかけ、朝日新聞がそれに乗せられたという構図だ。したがって主犯は福島氏で、朝日は問題を拡大した共犯である。

この騒動で福島氏は「人権派弁護士」としてマスコミにデビューし、国会議員にもなったが、彼女のおかげで日韓関係はめちゃくちゃになった。今回の慰安婦騒動に彼女が沈黙を守っているのは、ここまで嘘がばれてしまうと取り繕いようがないからだろう。朝日新聞とともに彼女にも説明責任がある。国会で説明すべきだ。
"

これをきっかけに福島は人権派弁護士を名乗って国会議員にまでのし上りました。それどころか、つい最近までは、社民党の党首でした。

少なくとも、以上のようなことで、いわゆる慰安婦は、性奴隷でなく売春婦だったことは明白であると思います。日本も1958年まで売春は合法でした。日本以外の国では、今でも売春が合法の国も多くあります。

あの時代にいわゆる、売春で辛い思いをした女性もいるとは思いますが、それと官憲による強制連行による性奴隷とは別次元の話です。現在の日本でも、借金苦などで、自分の意思にそぐわない形で、実質上の売春婦(これは非合法)になる人や、AV女優になる人もいます。

実際、最近テレビを見ていたら、高木えみりさんという方が、テレビ朝日羽鳥慎一モーニングショー」(2016年1月7日放送)のコーナー「そもそも総研」にVTR出演して「女性の貧困」と題した内容で取材に応じて貧困生活の末にAV女優になったことを告白していまた。

高山えみりさん
父親の借金のためによる家族離散、大学生だった頃に学費が払えず毎日のように呼び出されては学費を払わないと退学処分になると言われ一週間後に7~80万円を作らなきゃいけない瀬戸際までに追い詰められていたと、そういう事があってAV女優になったと経緯を告白、また内定も貰い就職先も決まっていたことも告白し「人は簡単にお金で崩れる、お金で憂鬱にもなるし人間関係も崩れる、仕事をする前のことを思うと本当に辛い」と話しました。

また内定先をどうしたかまでは触れなかったのですが、母親からは「一生分かり合えない」と告げられたそうです。現在は前向きに考えるようにしているそうです。

これは、マクロ的に見れば、日本政府の経済政策(過去のデフレ、昨年の8%増税など)が悪かったのですから、日本政府の責任でもあります。しかし、高木エミリさんが、自分の意思にそぐわない形で、AV女優の道を選ばざるを得なかったからといって、仮に彼女がそれを国の責任であるとして、裁判をおこして賠償しろと迫っても、国の責任は問えないです。

無論、高木えみりさんは、もとより日本のAV女優でそのようなことをする人は、誰もいないことでしょう。そもそも、そんなことをしても、無意味だからです。

慰安婦問題も同じようなものです。官憲による強制性があったという証拠があれば、それは別の話ですが、軍医が慰安婦の健康診断をしたというくらいの証拠ならありますが、これではとても強制性があったという証拠にはなりません。

以上のようなことは、私が、サイトなどを通じて知り得た情報です。パソコンがあれば、私のような素人でさえ、現在以上のような情報が簡単に収集できます。

1980年代末から、1990年代にはインターネットのプロパイダーが出現していました。朝日新聞の記者であった、植村氏は、1991年(平成3年)8月11日と12月25日に2度、誤った内容の慰安婦問題の記事を書いています。

この時代には、もうそろそろインターネットも使えたような時代です。植村氏がインターネットをその時に使えたかどうかまではわかりません。私の記憶では、この時代はまだ、ぎりぎりでパソコン通信も使われてと思います。

いずれにせよ、新聞社といえば、その当時から様々な情報が集まるし、情報を集められたということは確かだと思います。にもかかわらず、植村元記者があのような記事を書き、それを朝日新聞が掲載し、長きにわたって放置していたし、この新聞記事を訂正を掲載した後も、まともに謝罪していなし説明も不十分です。

ブログ冒頭の記事のように、長谷川氏が「朝日は不治の病」という激白は正しいものと思います。昭和20年代から考えが変わらないというのなら、朝日に限らずどんな組織も考え方は偏向するのが当たり前です。何しろ、昭和20年代に生まれた人は、もう全員が60歳以上です。普通の会社なら、時代にそぐわなくなって、とっくに廃業しているはずです。

私は、そう思います。皆さんは、どう思われますか?

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2013年11月15日金曜日

小泉氏「反原発」発言の背後にある「組織」―【私の論評】最低30年くらいは原発は止められないことはわかっている!次世代エネルギーの先鞭をつけることは意義深いこと!しかし小泉氏はこれに先鞭をつけられない!それは、次世代の消費者が決めること(゚д゚)!

小泉氏「反原発」発言の背後にある「組織」



「反原発」に転じた? 小泉純一郎元首相だが、先日、日本記者クラブで「将来は原発をゼロにする」などと力強く講演し、各種メディアで大きく報道された。しかし、マスコミは皆分かっているが、背後の組織のことを伝えていない。その背後とは何か。さらには「ダメ元でノーベル平和賞を狙っているのでは」との声も出ており、ミステリアスな部分も多い。

・・・・・・・・・・・・・・・<中略>・・・・・・・・・・・・・・・

小泉氏の政界引退後の活動を一般には知られていなかったものの、実は背後関係はなかなか「派手」なものであることはマスコミ関係者の間では周知であった。

「国際公共政策研究センター」という民間シンクタンクで顧問に就任しているのが小泉氏。これはどういったシンクタンクなのか。

 同センターは、理事長に政治・経済評論家の田中直毅氏、会長には元トヨタ会長で元経団連会長の奥田碩氏が、また理事にも御手洗冨士夫キヤノン会長兼社長ら、そうそうたる面々がそろっている。

 小泉氏はセンターでの肩書きこそ顧問であるが、「政界を引退した小泉氏を支えるために立ち上げられた団体で、財界が資金を集めたようです。特に発起人は奥田さんで、何の意向もないのか、とは言い切れません」とマスコミ関係者が言う。

 活動は同センターが後ろ盾にあり、8月のオンカロ視察の際には、不思議なことに東芝、日立など原発プラントメーカーも帯同だったそうで、財界とは蜜月を保ちながらも、意図が不明で謎も多い。

この記事の詳細ははこちらから(゚д゚)!

【私の論評】最低30年くらいは原発は止められないことはわかっている!次世代エネルギーの先鞭をつけることは意義深いこと!しかし小泉氏はこれに先鞭をつけられない!それは、次世代の消費者が決めること(゚д゚)!

原発を廃炉にしたからといって、すぐ安全になるわけではない

上の記事から、小泉元首相は、「国際公共政策研究センター」という組織がバックにあり、この組織は次世代エネルギーを開発するシンクタンクであり、小泉氏は、このシンクタンクによって、世界の次世代エネルギーに先鞭をつけたいというのが真相のようです。

原発を、即刻廃炉にしたとしても、現在使用されている現在の原発の燃料、使用済み核燃料ともに、これからも長年わたって、存在しつづけ危険であることには全く変りがありません。廃炉イコール安全ではいないのです。なのに、急に原発廃炉などを言い出したのは、本当はそんなことは不可能であると最初からわかってはいるものの、首相時代にも披瀝された小泉氏のパフォーマンスであり、今のところあまりかえりみられていない、次世代エネルギーの周知のための下準備であると考えられます。

そうしてこの背景として、一時脚光を浴びた風力、太陽光発電などのドイツ型自然エネルギーは、アメリカなどもそれを踏襲する動きがあったのですが、実際に様々な国で稼働してみたものの、実際にはエネルギー効率も良くなく、今後いかに何かこれに関わる技術が開発されたにしても、サブ的エネルギーとしては使えるものの、それ以上にはなり得ないということがはっきりと認識されつつ有るのだと思います。

次世代エネルギーに関しては、世界各国でありとあらゆるものが開発されたり、実用化されつつあります。しかし、今のところどれが本命になるかは全くわかりません。

こうした小泉氏の動きに対して、穿った見方をする人もいます。その典型例は、以下の動画を御覧ください。



上の動画では、小泉氏はアメポチで、一目瞭然であり、要するに日本がこれからもアメリカの石油メジャーのために、日本の原発を廃炉して、毎年4兆円もの石油代金をアメリカに収めるための、活動であるとしています。

私は、無論石油メジャーはそのような考えはあるとは思いますが、それは成功するとはとても思えません。それほど、日本の政治家や官僚が馬鹿だとは思えません。

考えてみれば、アメリカだって、トウモロコシを材料にして、バイオエタノールをつくっていますし、そのスタンドが様々なところに設置されるようになっています。今では、負の遺産となっています。ただ、法律が生き残っているので、ほんどの人が使用しないにもかかわらず、配給体制は維持されているという異常な状況になっています。

バイオエタノール配給スタンド


小泉氏は、いずれ次世代エネルギーの時代は間違いなく来るものとして、これに日本が先鞭をつけるべきであり、そのために、余生を捧げようと考えているのだと思います。

しかし、バイオエタノールの教訓をみてもわかるように、あるいは、過去の化石燃料である石炭から、石油への転換が行なわれた歴史をみてみれば、小泉氏はエネルギー転換に先鞭を付けらる人にはなり得ません。

小泉氏と、その背後の組織が次世代エネルギーへの先鞭をつけらるということを信じるに足る、エビデンスはありません。もし、頭の良い人間が、設計してエネルギー転換を計画的に実現できるというのなら、共産主義も成功しているはずです。しかし、共産主義による設計主義は、全くの間違いであったことが今日明らかになっています。

とにかく、小泉氏は、一大ムーブメントを起こそうとしているようですが、それは現状では無理です。それは、過去の歴史が厳然としてそれが不可能であることを実証しています。

エネルギーだけではなく、世界で大成功を収めている産業はすべて、共産主義のように、頭の良い人や、組織が計画して実現したものは一つもなく、様々な民間企業が、互いに他社を出し抜こうといろいろ研究していて、最初がどの企業のものが成功するのかどうか全くわからず、しばらくやっているうちに、結局どれが一番かということが消費者が継続的に購入することが明らかになり、そうなった時にはじめて、その産業が成り立つことがわかり、その産業が勃興することになります。

そうして、過去の化石燃料の中でも、最初は石炭エネルギーなどが使われていて、石油エネルギーへ転換したときの事を考えていただきたいと思います。特に、移動の手段としての、車の普及にともない、石油エネルギーが一番の座を占めていきました。しかし、それでも他の化石燃料などもまだ、用いられていましたが、車の普及により、石油が手に入りやすくなると、それが暖房などにも一般に用いられ、さらに消費量が増え、今や何からなにまで石油ということになりました。

これは、私たちも、その一部を実際に見てきた変化です。石炭などが、石油に転換するにも、最初から現在までの道のりをたどれば、軽く30年以上はたっています。

これから、次世代エネルギーに転換していくには、過去の歴史のように、原発、石油、その他がいろいろ使われ、いずれどれかが、長い時間をかけて、消費者に選ばれ続けるようになり、転換していくものと思います。30年以上もかかるということであれば、とても小泉氏などが今の時点で先鞭をつけるなど、夢物語であり、とても無理です。この動き、いずれ時がたてば、多くの人に忘れ去られると思います。

最新のiPadAir ノキアはiPad、iPhoneの原型をすでにアップルが発売する
数年前に開発していたという。民間企業ですら、このような間違いがある。
ましてや、政府やシンクタンクのような組織がいくら頑張っても次世代産業
やエネルギーを開発することはできない。



石油メジャーなども、いくら小泉氏をもちあげたとしても、日本に4兆円も毎年石油代金をさらに支払わせるなど、なかなかできるものではありません。やはり、消費者が選ぶエネルギーが一番です。しばらくは、現在原発に反対している人でも、今すぐ廃炉にしても、安全性は確保されないことなどを理解すれば、原発も使用するということになると思います。

それに、30年もすれば、危険な核融合ではなく、核分裂による比較的安全な核エネルギーを使用できる条件が整うかもしれません。これ以外も、かなり多くのエネルギー源が見つかっている可能性も大です。

今から50年前の、世界の大都市で最大の問題は、馬糞の処理でした。そのようなものは、今日では、全く問題ではありません。30年後以降の世界を今と同じように考えれば、そこに誤謬が生まれます。

小泉氏はもとより、私たちもそのような誤謬にとらわれるべきではありません。小泉氏がこれからできることといえば、次世代エネルギーの開発に先鞭をつけることではなく、現在使用中や、使用済みの核燃料の安全で合理的な処分方法の開発です。

私は、そう思います。皆さんは、どう思われますか?

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