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2018年1月6日土曜日

【日本の解き方】AI時代に消えゆく「士業」、役人の仕事こそ代替可能だ 残るのは付加価値生む仕事―【私の論評】コミュニケーション能力こそ、AIでは不十分な人間にとって最後の砦(゚д゚)!

【日本の解き方】AI時代に消えゆく「士業」、役人の仕事こそ代替可能だ 残るのは付加価値生む仕事


 人工知能(AI)やロボットの導入により、今後多くの仕事が失われるとの予測がある。今後も必要とされるスキルや身につけておくべきは何か。

 2013年に発表された英オックスフォード大のフライ氏とオズボーン氏による『雇用の未来-コンピューター化によって仕事は失われるのか』の中で、タクシー・トラック運転手、ネイリスト、銀行の融資担当者、弁護士助手らの仕事は、コンピューターに代替される確率が90%以上とされている。

 ほかにも、コールセンター業務、電話オペレーター、集金人、時計修理工、映写技師、カメラ・撮影機器修理工、ホテルの受付係、レジ係、レストランの案内係、不動産ブローカー、スポーツの審判、仕立屋(手縫い)、図書館員補助員などの伝統的な仕事もなくなるという。

 金融業界も大転換があり、投資判断、資産運用アドバイス、保険の審査担当者、税務申告書代行者、簿記・会計・監査の事務員などは消えるとしている。

 これらには、専門的なスキルといわれてきた「士業」が多く含まれている。法律などによる専門資格を要件としているが、そうした「専門的スキル」と称されるものがAIで代替可能になるというわけだ。

 例えば、弁護士は、難関の国家資格が必要とされる業務である。しかし、その実態といえば、過去の判例を調べることが中心ともいえる。過去の判例はデータベース化されているので、適切な類似例を調べるのは、今でもパソコンを使ってやっている。そうであれば、AIでもかなり代替できる可能性がある。

 筆者は、定型的な業務が多い役人こそAIに向いていると思っている。役所の業務は定型的であるとともに、えこひいきはご法度だ。それはAIの特徴とかなり適合する。

 国家公務員の残業の一因となっているのが国会対応だが、国会想定問答の大半は過去のものと同じである。筆者の経験では、一晩に100問以上の想定問答を作ったこともあるが、ほとんどは過去のパターンの繰り返しであるので、AIならもっと速くできるだろう。実際、経済産業省ではAIで国会想定問答に対応した結果、すでにこの種の残業がなくなっているといわれている。

 金融業界では、将来をにらんで大リストラ時代に入ってきている。

 定型的な労働はロボットでもできる。定型的な知的作業で資格規制によって守られている業務は将来なくなるので、そうした資格は今後必要とされなくなるだろう。

 冒頭の論文では、芸術など感性に基づいた仕事については代替確率は低い。芸術と限定することはないが、自分の力で付加価値を生み出せるものは、AI時代でも生き残れるというわけだ。

 それは、「言うは易く行うは難し」というのが現実だろう。というのは、簡単にできるのならばAIやロボットでもできてしまうからだ。難しいからこそ付加価値を生み出せるので、それを考えることこそが、重要なのではないだろうか。(元内閣参事官・嘉悦大教授、高橋洋一)

【私の論評】コミュニケーション能力こそ、AIでは不十分な人間にとって最後の砦(゚д゚)!
さて、AIにより、これから世の中で様々なことが変わっていくことと思います。経営学大家ドラッカー氏は変化について以下のように語っています。
変化はコントロールできない。できるのは変化の先頭に立つことだけである。(『ドラッカー 365の金言』)
今日のような乱気流の時代、200年に一度という大転換期においては、変化が常態だとドラッカーは言います。変化はリスクに満ち、楽ではありません。
しかし、この変化の時代を乗り越える唯一の方法が、あえて変化の先頭に立ち、変化の生み手になることだというのです。
恐怖は、後方の席に深々と腰を落ち着かせたとき、高まります。変化は、最前列で腰を浮かせハンドルを握るとき、初めてコントロールできるものです。 
いわんや今日の乱気流下の悪路にレールはないのです。自らハンドルを握ることなく、転覆を避けることはできません。急激な構造変化の時代を生き残るのは、チェンジ・リーダーとなる者だけなのです。
そして、そのチェンジ・リーダーになるための方法が、変化を脅威でなく、チャンスとしてとらえることだといいます。進んで変化を探し、本物の変化を見分け、それら本物の変化を利用することです。
おそらくはこれこそが、ポストモダンにおける生き方、考え方、事業の仕方の王道、常識となるべきものです。
この方法が成功を保証してくれるわけではないのです。しかし、この方法なくして成功することはありません。
みずから未来をつくることにはリスクがともなう。しかし、みずから未来をつくろうとしないことのほうがリスクは大きい。(『ドラッカー 365の金言』
だかこそ、私達はAIによる変化の先頭に立たなければならないのです。AIによる、未来はどのようなものになるのでしょうか。
ドラッカー氏は「すでに起こった未来」について以下のように語っています。
社会的、経済的、文化的な出来事と、そのもたらす変化との間にはタイムラグがある。(『創造する経営者』)
あらゆる変化が、他の領域に変化をもたします。そして機会をもたらすのです。AIによる変化も例外ではありません。
人口、社会、政治、経済、産業、経営、文化、知識、意識が変化します。特にAIにもたらす変化は、知識の変化であると考えられます。その変化が次の変化をもたらすのです。ただちにではありません。そこには、タイムラグがあります。そこでドラッカーは、それらの変化を“すでに起こった未来”と呼ぶのです。
すでに起こった未来に資源を投じることにも、不確実性とリスクが伴います。しかし、そのリスクは限られています。
例えば、人口構造の変化は、労働力、市場、社会的圧力、経済的機会に基本的な変化をもたらします。人口の変化は逆転しにくいです。その変化は早く影響を現します。小学校の施設に対する圧力となって現れるのは、わずか5~6年後です。
20年後、25年後には労働力人口に重大な影響をもたらします。市場を変え、経済と社会を変えます。AIによる変化ももうすでに起こってしまったのです。
組織の内部にもすでに起こった未来を見つけることができます。新しい活動が組織内に変化を引き起こし、すでに受け入れられているものと対立します。知らずして急所に触るのです。
すでに起こった未来は、体系的に見つけることができる。(『創造する経営者』)
さて、人にはできて、AIにはできないことがあります。それは、大雑把にいうと以下に3つです。

1. クリエイティブ

0から1を作り出す事。これは機械には出来ません。AIは過去のデータを元に未来を予測する事は出来ますが、全く新しいものを作り出すのは人間にしか出来ません。デザイナーやエンジニア等のクリエイティブな仕事はこれからもどんどん必要とされていく一方になることでしょう。

2. リーダーシップ

優れたビジョンを掲げ、卓越したコミニュケーション能力で人々を導いて行く存在。人間との心の通じたやりとりができるそのスキルは自動化が進む現代こそ一層求められています。人間がロボットのリーダーに従って心が一つになる時代は恐らくしばらくは来ないでしょう。いや、永遠に来ないかもしれません。

3. 起業家

機械は基本的には起業しない。むしろ絶対にしないでしょう。交渉力、ビジネスセンス、問題解決能力が求められるのが起業的スキルです。その点においてはテクノロジーがどんなに進化しても、新しいプロダクトやビジネスを通じ社会を変えて行く起業家は世の中にとって今後もより一層必要とされるでしょう。
この3つを支えるのはやはり「言語能力」だと思います。上の3つをうまくするためには、飛び抜けた言語能力が必要です。

言語を理解することはとても難しいことです。それに関していえば、実は単純な翻訳技術の精度は相当上がっています。例えばGoogle翻訳ですが、米Googleは一昨年11月15日、ニューラルネットワーク技術を活用した新しい機械翻訳システム(Neural Machine Translation)を、日本語など8言語に適用したと発表した。従来より自然な翻訳が可能になり、「飛躍的な前進」としていました。

実はこれがかなりできるようになりました。精度が相当上がっているはずなので、ドイツ語やフランス語の文章などを日本語に翻訳するというのは、割とできるようになってきています。


私自身、Google翻訳がではじめた頃、実際に使ってみて、使用に耐えないと判断して、それからずっと使っていませんでした。ところが、一昨年SNSでかなり良くなったということを言う人がいたので実際使ってみたところ、かなり能力が上がっていることに驚きました。

このように大まかな外国語の理解は簡単なのですが、それを超えた言語の理解をするためには、人間の言語の理解に背景知識を相当必要とします。言葉の単語の意味だけ分かっていても、その背景の歴史的な経緯や、(例えば会話する)二人の人間性、あるいは社会のコミュニティーの雰囲気などを反映します。

同じ言葉を話していても、意味合いが違っているということがあるため、実はそういう背景知識や個性がすごく強いのです。そのため、AIに全てを理解させることは難しいのです。
サッカーのワールドカップの監督に外国人が来ます。日本チームの監督はずっと外国人で、それぞれに通訳が付きます。あの通訳の人たちは、実は全然正しく翻訳をしていません。

ワールドカップ日本代表のバヒド・ハリルホジッチ監督
NHKの番組で、過去の通訳の経験者3人ほどで鼎談(ていだん)をしている番組がありました。これが大変面白く、言語を翻訳するとはいったいどういうことかについての本質が見えてくるような番組でした。

そこで言われていたことは、「正しく伝える」「文字通りに翻訳する」ことが、監督の言葉を正しく伝えることではないということです。文字通り正しく伝えてしまうと、間違った意図として受け取ってしまうことがたくさんあるため、わざと違った言葉に置き換えるのです。

「ライオンが何とかをした」という比喩があるらしいのですが、その比喩をそのまま伝えると、日本人には全く伝わらないです。場合によると、ものすごく勇敢にやるという意味に取られてしまいます。

でも本当は、そんな意味では全然ないのです。そのことわざは、その言葉の歴史的な背景の下で出てきているからです。そこで通訳は、言葉を完全に言い換えてしまうのです。話を聞いていると、それは翻訳ではないだろうといったことを話しています。でもそれが必要なのです。そういうことは、AIにはできません。

ここに、人間の強みがあります。コミュニケーション能力の大事なポイントがあります。人間同士のコミュニケーションは、AIには完璧にできないのです。個別化が非常に強いからです。こうやってお話をして、微妙なニュアンスを伝えるのは、AIには無理で、人間だけがやれることなのです。

ドラッカー氏

コミュニケーションについてドラッカー氏は以下のように語っています。

上司の言動、些細な言葉じり、癖や習慣までが、計算され意図されたものと受け取られる。(『エッセンシャル・マネジメント』)
階層ごとに、ものの見方があって当然です。さもなければ仕事は行なわれません。しかし、階層ごとにものの見方があまりに違うため、同じことを話していても気づかないことや、逆に反対のことを話していながら、同じことを話していると錯覚することがあまりに多いのです。

コミュニケーションを成立させるのは受け手です。コミュニケーションの内容を発する者ではありません。彼は発するだけである。聞く者がいなければコミュニケーションは成立しないのです。

ドラッカーは「大工と話すときは、大工の言葉を使え」とのソクラテスの言葉を引用しています。コミュニケーションは受け手の言葉を使わなければ成立しないのです。受け手の経験に基づいた言葉を使わなければならないのです。

コミュニケーションを成立させるには受け手が何を見ているかを知らなければなりません。その原因を知らなければならないのです。

人の心は期待していないものを知覚することに抵抗し、期待しているものを知覚できないことに抵抗します。
受け手が期待しているものを知ることなく、コミュニケーションを行うことはできない。期待を知って初めてその期待を利用できる。あるいはまた、受け手の期待を破壊し、予期せぬことが起こりつつあることを認めさせるためのショックの必要を知る。(『エッセンシャル・マネジメント』)
受け手の期待していることを理解しなければ、報告をしようが受けようが、連絡しようが受けようが、相談しようがされようが、何をしても結局何も伝わりません。

では、相手の期待を知るためにはどうすれば良いのでしょう。それには、ドラッカー氏も言っているようにまずは、「コミュニケーションとは、私からあなたへ、あなたから私へと一方的に伝わるのではない」ということを理解しなければならないです。

コミュニケーションとは、「私達の中の一人から私達の中のもう一人」に伝わるものなのです。ですから、普段から「私達」という関係を築いておかなければ、コミュニケーションは成り立たないのです。

そうして、普段から「私達」といえる関係を構築して、コミュニケーションが成り立っていれば、たとえ何かの理由でかなり叱責したとしても、それが正当なものであれば、全く関係がこじれるなどということはありません。

このことを忘れている人が多いです。そうして、「私達」という関係を築くためには、ドラッカー氏は「目標管理」を第一にあげています。しかし、私はそれも重要だと思いますが、これはドラッカー氏も否定はしていませんが、「経験の共有」が一番だと思います。

親しい人などとは、コミニケーションが通じやすいことが多いものですが、これは知らず知らずのうちに、その親しい人と過去において「経験の共有」を積み重ねてきたからに他なりません。

このようなことはAIには不可能です。そうして、私自身はAIが知識労働者の仕事全部を奪ってしまうことはないと思います。比較的簡単で複雑でない知識労働はひよっとして、全部奪われるかもしれませんが、特に高いコミュニケーション能力を必要とする知識労働に関しては、完璧にAIに奪われることはないと思います。

むしろAIは人間の頭を使う部分のうち、計算とか、条件に基づく判断とか、膨大な知識を保存しておき、必要なときに必要な知識を取り出すことなどに使われ、コミュニケーションの部分はやはり人間が行うことになるのではないかと思います。

クリエイティブであったとしても、それを伝える能力がなけば、ないのと同じです。リーダーシップもコミュニケーション能力と不可分です。起業家にも、コミュニケーション能力は不可欠です。

そうして、なぜコミュニケーションが重要かといえば、結局AIは何のために存在するかといえば、人間のために存在しているということです。人間のために存在しない、AIなど全く意味を持たないからです。

AIは人間のために、人間がコミュニケーション能力を十分に発揮できるように補佐するとき最も威力を発揮できることになると思います。これが、AIの強みを発揮するということだと思います。

やはり、コミュニケーション能力こそ、AIでは不十分な人間にとって最後の砦なのかもしれません。

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2016年5月8日日曜日

熊本地震で露呈したテレビ局「失態の数々」救出劇の撮影、割り込み、ホテル占拠で大迷惑―【私の論評】震災時などの緊急時における行動にこそ、人間や組織の本性が現れる(・・;)



崩れそうな家の前で「待機」
何を喜んでいるのか!ハシャギすぎだよ、テレビ局
 「眠れますか?」じゃないよ
「夜寝られないから、昼間にウトウトしているところに、詳しい説明もなくカメラを向けられる。お年寄りは文句を言いませんが、若者は、テレビ局の人たちの不躾な態度に憤っていますよ。
どこの局か知らないけれど、十分に説明せずにお父さんと娘さんを並ばせて、インタビューした局があったんです。中継が終わった後、娘さんが『勝手に撮られた』って怒っていました。化粧もしていない顔で全国放送に映っちゃう、って」
こう話すのは、熊本市内で被災した60代の男性である。
他ならぬ熊本の被災者から、テレビ局クルーの非常識な行為を「告発」する声が上がっている。県内の避難所に身を寄せる50代女性も言う。
「避難所にヘルメットを被った人がいきなり入ってきて、深刻そうな顔で『どうですか、眠れますか』って聞いてくる。あんたらが来るから寝られないんだ、と言いたい。
夜の照明がまぶしい、と訴える人も多いです。中継で使うライトって、ものすごく強力なんですね。しかも、リハーサルの時も点けっぱなしだから、みんな早く終わらないかなって思ってますよ」
大きな災害が、マスコミにとってある意味で「チャンス」であることは否めない。しかし、今回の熊本大地震で現地入りしたテレビ局クルーのハシャギぶりは、少し度が過ぎている。
NHKの朝の人気情報番組『あさイチ』では、18日、有働由美子アナウンサーがこんなFAXを取り上げた。「熊本市内に住む友人から聞いた」という、視聴者の話だ。
「余震で崩れそうなお宅の前で、テレビ局がずっと待機しているのだそうです。すごく失礼なことではないでしょうか」
この視聴者が直に見聞きしたわけではなさそうだが、事実なら、「家が崩れる瞬間を撮るために張り込んでいた」ということだ。明らかに行き過ぎであり、これはもはや「取材」とは言えない。
「いい画」を撮るためなら何でもやる—そんなテレビクルーの姿勢は、番組からもにじんでいた。
巷で「やり過ぎ」という意見が特に多かったのが、17日にフジテレビ系『みんなのニュース』で放送された、消防隊に取材班が密着した映像だ。
暗闇の中に浮かび上がる、倒壊した家屋。画面右上には「奇跡の救出劇」という見出しが躍る。
「高齢の女性のようです。今、家屋の外へと出されました……」「おばあちゃん、無事なようです! 今救出されました! 大丈夫ですか!」
消防隊に救い出され、横たわる白髪の女性が大写しになる。夫とみられる男性に、リポーターは笑顔でマイクを向けた。
一見すれば美しい光景かもしれない。しかし、ネット上ではこんな意見が寄せられた。
〈救出された瞬間インタビューしたりそこまでする必要あったんかな〉
〈二次災害とかもあるかもしれないのに。足手まといにもなるかもしれないのに〉
この映像自体は、確かに「スクープ」だろう。だが、極限状態におかれた被災者にカメラとマイクを向けてまで、報じる必要があるのか。危険な状況下、しかも夜間。消防隊員たちに与えた負担も小さくなかったはずだ。
 ホテルも占拠していた
さらにネット上では、現地入りしたテレビクルーの無神経な行為が、「大炎上」を招いた。
「関西テレビの中継車が、熊本県内のガソリンスタンドで列に割り込んだ」
「毎日放送のアナウンサーが、豪勢な弁当を被災地で調達した」
といった情報が瞬く間に広がり、猛烈な批判を浴びたのだ。関西テレビと毎日放送は、これらを事実と認め、謝罪した。
動画はブログ管理人挿入 以下同じ
前出と別の、被災者の男性が言う。
「ガソリンスタンドは、どこに行っても長い行列で、30分で給油できればラッキー。だいたい1時間はかかります。コンビニやスーパーも、まだ商品がスカスカのところもある。割り込みや買い占めがあるとすれば、許しがたいことです。
ホテルもマスコミ関係者で一杯になっている、と聞きました。『避難所にいたくない』という親戚が部屋を取ろうとしたら、熊本市内や周辺のホテルはほとんど押さえられてしまっていたと。休息の場所を最も必要としているのは、地元の人じゃないんですか」
テレビ報道の現場は、誰に向かって何を伝えるべきか、また自分たちが視聴者や取材相手にどう思われているのか、見失っている。そう懸念するのは、ある民放キー局元幹部である。
「ヘルメットを被ったリポーターが、余震が起きると『危険です! 身の安全を確保してください!』と怒鳴っていたけど、視聴者からすれば『誰に向かって言ってるの?』と思ったでしょう。現地の被災者は、テレビなんて見られないんですから。
また、仕方なく車の中で寝ている人に向かって、東京のスタジオにいるキャスターが『車の中にずっといるとエコノミークラス症候群になるから、出てください!』と叫ぶ番組もあった。何様のつもりで作っているのか」
テレビ報道の存在意義とは—今回、被災地でテレビ関係者が見せた振る舞いは、そんな疑問を国民に抱かせた。
彼らが信頼を取り戻す術はあるのか。同志社女子大学教授で、元毎日放送プロデューサーの影山貴彦氏は、こう提言する。
「震災報道が過熱する最大の原因は、行き過ぎた視聴率競争だと思います。テレビのスタッフに、視聴率を考えない者はいない。いい映像が撮れそうだと興奮してしまうのです。
だからせめて、大きな災害の時だけでも各局とスポンサーが連携して、視聴率調査をストップするべきです。『抜いた、抜かれた』のスクープ競争をやめれば、報道の姿勢も変わるはず」
災害の時にテレビが担う役割を、もう一度考え直したほうがいい。
「週刊現代」2016年5月7日・14日合併号より
【私の論評】震災時などの緊急時における行動にこそ、人間や組織の本性が現れる(・・;)



ブログ冒頭の記事においては、テレビ局がはた迷惑な取材をを淡々と掲載したでけで、その背後に何があるのかは、視聴率ということで、そこからは一歩も踏み込んで、全く分析していません。この点については、以下の記事が関係者の声として、かなり踏み込んでいます。
NHK以外はなっとらん!? 民放の被災地取材のヒドさに同僚からも不満噴出中! 
イメージ画像 文書の内容とは直接関係ありません
 熊本地震では多くのテレビ局が現地入りし、今も熊本県内各所からの中継を行っている。しかし、ガソリンスタンドにて中継車が給油待ちの列に割り込んだため、テレビ局が謝罪する事態となったほか、避難所で生活する男性が中継中のクルーに怒りをぶつける模様が生放送で流れてしまうなど、テレビ報道の取材姿勢に対して怒りの声は多い。 
 これらの問題に関してテレビ業界の関係者はどう考えているのか。話を聞いた。 
「生放送中に怒りの言葉を向けられたのは最悪ですね。ただ、あれは避難所の目の前に中継車を置いて邪魔だったのが原因だったようです。スタッフが取るべき行動として考えればたしかに理解はできるのですが、状況が状況だけに最悪でしたね」(番組関係者) 
 行動自体は理解できるとのことだが、一体どういうことか。 
「中継車とカメラはケーブルで結ぶので、両者の位置が近いほうがケーブルを敷く距離が短くてすみますからね。ですが、中継車が邪魔になるという状況であれば遠慮するべきだったと思います。NHKなどはたとえ離れていても近隣の駐車場などに中継車を置いて、そこから何百メートルもケーブルを敷いていますが、民放の場合にはまだまだこのような配慮が行き届かないケースも多いので、今回のようなトラブルを招いてしまったんです」(同) 
 意外にもこのような場面では、NHKのほうがマナーを守っているようだ。民放はなぜクレームが来そうな行為に走るのだろう。 
「機材が少なくケーブルが足りないなど物理的な原因もあります。ですが、それ以上に民放の報道部の人間は『報道の自由』を盾にすれば何をしてもいいと考えている輩が多いんです。NHKの場合にはきっちりした研修もありますが、民放の場合には報道と権力をはき違えた人間もたくさんいます。そういう気持ちの面での差もあると思います。当然、報道の自由と同時に個人のプライバシーや生活権も重視されるべきですから、今後は邪魔な中継車はどんどん110番通報するぐらいの対抗措置を市民側もとるべきですね」(同) 
 仲間をかばうのかと思いきや110番を進言するとは驚きだ。これはどういうことなのか。
「自分は報道の人間ではないのでハッキリ言えますが、テレビ業界の中で最も嫌われている存在は報道セクションなんです。あらゆる場所で横暴な取材を行い、それによっていろいろな町や企業に嫌われています。その影響を受けるのはバラエティやドキュメンタリーなどを作る我々なんです」(同) 
 具体的にはどのような影響があるのか。 
「たとえば商店街で失礼な取材をして、その商店街でほかのバラエティ番組がロケをしようと思っても拒否されたり、今まで取材可能だった店舗から出入り禁止にされたりします。また、ドキュメンタリーの分野で言えば、東日本大震災の現地ドキュメントを撮影しようと思っても、過去に報道の人間からひどい取材をされたなどの理由で、取材NGになるケースもあります。そのため、今回の熊本地震でも報道局のなりふり構わぬ取材態度には身内であっても批判の声が多いんですよ」(同) 
 世間からのバッシングばかりかと思ったが、実際には身内からも嫌われているのが報道部の実情のようだ。一体彼らの報道は誰のために、何のために存在しているのだろうか。
(文=吉沢ひかる)
 結局この記事からも理解できるように、民放の報道部の人間は『報道の自由』を盾にすれば何をしてもいいと考えている輩が多いということが震災地での報道の傍若無人ぶりの背後にあるということです。報道と権力をはき違え、個人のプライバシーや生活権報道の自由よりも報道の自由のほうが上であると勘違いしているところがあるということです。

さて、上記まででは、震災の被災者に関する報道のみがクローズアップされていますが、震災に関するもので、NHKも含む各放送局でほとんど報道しないものもありました。

それは、何かといえば、あのオスプレイです。オスプレイが、救援物資を運んだという報道はテレビではほとんど報道されませんでした。だから、デレビのみが情報源になっている人の中には、オスプレイが救援活動をしたことを知らない人も大勢います。

これは、新聞報道とは対照的です。オスプレイ報道にもいろいろあって、大手新聞のほとんどは、熊本震災の救援活動にオスプレイは必要ないとか、危険であるとか、実績づくりのためのPRだとか、ネガティブではありながら、報道はしました。産経新聞は、ポジティブな内容で掲載したり、他紙のネガティブな報道の仕方を批判する内容の記事でした。

ネカティブであれ、ポジティブであり、ほとんどの新聞はオスプレイが熊本震災の救援活動に出動したことを掲載していました。



ところが、テレビ局ではほとんど局が、オスプレイに関しては報道しませんでした。これは、一体どうしたことでしょうか。テレビ局の中には、前々からオスプレイが危険だなどと、報道しているところがありました。そういうテレビ局も含めて、ほとんどのテレビが報道しなかったということは、各テレビ局の報道部による恣意的な取捨選択以外の何ものでもありません。

これは、テレビ局が「報道の自由」を行使するのは、当然のこととして「報道しない自由」を行使するのも当然のことと捉えてるということを示す証左としてとらえるべきです。ネガティブな内容でも流すというのならわかりますが、完全無視で、何も報道しないというのですから、とんでもないです。

これらの報道姿勢をテレビ局の傲慢といわずして、何を傲慢というべきでしょうか。このテレビ局の傲慢は、特に各テレビ局の報道部の傲慢さに直結しているのだと思います。だからこそ、テレビ局の報道部は、震災地であのような傲慢な姿勢を見せるのです。このテレビ局の傲慢さに関しては、以前にもこのブログで掲載したことがあります。

その記事のリンクを以下に掲載します。
K・ギルバート氏“偏向報道番組”斬り「日本のテレビ局の態度は傲慢に見える」―【私の論評】日本のテレビ局の態度は、傲慢どころか日本の民主主義の破壊者(゚д゚)!

詳細は、この記事をご覧いただくものとして、この記事では、TBS系「NEWS23」の安保法制報道が放送法違反だったとして、作曲家のすぎやまこういち氏が代表呼びかけ人を務める任意団体「放送法遵守を求める視聴者の会」が昨年11月26日、記者会見を開き、番組アンカーを務める岸井成格(しげただ)氏やTBSなどに対し、公開質問状を送ったことを明らかにしたことを掲載しました

この記事より、ケント・ギルバート氏の発言の部分のみ掲載せせていただきます。
呼びかけ人の1人で、夕刊フジで「ニッポンの新常識」を連載(金曜掲載)する米カリフォルニア州弁護士、ケント・ギルバート氏は「日本のテレビ局の態度は傲慢に見える。『自分たちは賢く、バカな国民を誘導しなくてはダメ』という態度に見える。決めるのは国民で、意見を押しつけることは正しくない姿勢。もっと謙虚にやってもらいたい」と訴えた。
この記事にもあるように、テレビ局の安保法制に関する報道は、TBSに限らずどの局も傲慢そのものでした。その中でも、得にTBS系の「NEWS23」の報道は極めつけのものでした。

とにかく、テレビは、集団的自由権の行使を含む安保法制に反対し「戦争法案」などとレッテル貼りをする野党の主張や、市民団体のデモばかり報道して、与党側の主張や、保守派などの意見などほとんど報道しませんでした。

これは、「戦争法案」という主張を「報道の自由」として徹底的にとりあげ、その一方で与党側や保守派の人々の主張は「報道しない自由」として徹底的に無視して報道しなかったということで、テレビ局傲慢さを白日の下に晒しました。

とにかく、テレビ局の特に報道部は、ニュースなどを取捨選択し自分たちの主張に合う事柄は、「報道の自由」として長時間報道し、自分たちの主張に合わないものは、徹底して報道しないという「報道しない自由」を貫き通したのです。

一体彼らの報道は誰のために、何のために存在しているかといえば、明らかです。いわゆるパヨクのために、パヨクの主張があたかも世の中の大勢を占めているかのごとく装うために存在しているとしか言いようがありません。

熊本の震災報道でも、視聴率欲しさに無理な報道をしたというよりは、普段からの傲慢ぶりが露呈してしまったに過ぎません。【私の論評】の冒頭に掲載した動画のスチル画像を以下にもう一度掲載します。



テレビ局の人は別として、なぜか辛嶋友香里(からしま ゆかり)というピースボートの人間がMCを実施しています。この辛嶋なる人物の経歴を以下に掲載します。
ピースボート災害ボランティアセンター スタッフ 
教員を目指して大学へ進学。卒業するも、ゆとり教育よりも社会経験だ!と思い、総合美容サロンに勤務。営業、美容、マネージメントを経験し、独立。個人サロンを立ち上げる。26歳でピースボートクルーズに参加。その後も旅を続けていたところ、東日本大震災が発生。急いで帰国し、ボランティアとして東北へ。その後、ピースボート災害ボランティア センターの初期運営メンバーとして支援に携わりそのまま職員となる。被災地に向かう数万人のボランティアをオーガナイズ。現在は、将来の災害に備えるため、主に防災・減災の取り組みに力を入れている。

ピースボート(Peace Boat)とは、国際交流を目的として設立された日本の非政府組織(NGO)、もしくは、その団体が主催している船舶旅行の名称です。設立当初はアジアをめぐるクルーズの運営を主体としていたが、1990年以降は世界各地をめぐる「地球一周の船旅」を繰り返し行っています。後に政治家となった辻元清美ら早稲田大学の学生数名が1983年(昭和58年)に設立しました。創設メンバーで現在も運営に関わっているのは、吉岡達也のみです。

この藤岡達也は現在ピースボートの共同代表です。2008年には『9条世界会議』の共同代表に選ばれました。2012年1月14-15日にパシフィコ横浜開催されたた「脱原発世界会議 2012 YOKOHAMA」では運営代表を務めました。

要するに、ピースボートはこてこてのパヨク団体です。このようなパヨクをわざわざ震災報道でMCのように使用するというのが、そもそも感覚がずれています。

報道するなら、報道に専念するべきです。こんなところには、パヨクが随伴するのも非常におかしな話ですが、もしも保守の人間が行ったとしても浮いてしまうのではないでしょうか。

そうして、被災民の人から迷惑がられて、叱責され、放送を中断してしまうという不手際を起こしてしまったのです。

とにかく、今のテレビ局のあり方は、この番組報道に凝縮されています。

普段から、「報道の自由」という錦の御旗を笠に着て、やりたい放題の報道内容の取捨選択を行い「報道しない自由」も享受し、震災地でもそれと同じく、とにかく視聴率を稼ぐためにやりたい放題をしたり、パヨクまで随伴するというやりたい放題をしても、そのことに何の疑問も感じないのです。



日々傲慢でやり過ごしてきて、何も批判されず、ましてやパヨクたちからもてはやされるので、感覚が鈍り、被災地でも人を人とも思わない傍若無人を働き、激しく非難されてから、ようやく気がつくという体たらくぶりを発揮しているのです。

ブログ冒頭の記事や、【私の論評】の冒頭に掲載された記事でもNHKのことはあまり批判していませんが、これは記事中にあったように、NHKの報道局の人間など被災地での行動のあり方を教育されているから、今回も被災地でも被災者に直接迷惑をかけることはなかったものの、傲慢さにかけては、他局の報道部とあまり変わりありません。それは、普段の報道ぶりを見ていれば、良くわかります。

人間の本性、本質はピンチのとき、緊急事態のときに表れます。こんなときに、普段はどうであれ、責任を他の人間になすりつけたり、傲慢であったり、小心者であったりのその人間の本質が露呈します。テレビ局などの報道部などの組織も同じことです。今回、震災の報道でみせた彼らの姿勢こそ、彼らの本質なのです。

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