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2017年10月2日月曜日

開戦時の韓国の被害は? 注目集める12年前の予測―【私の論評】北朝鮮の横暴は、日本にイノベーションをもたらす(゚д゚)!

開戦時の韓国の被害は? 注目集める12年前の予測

「韓国が壊滅的な打撃を受けることはない」とする理由

韓国・慶尚北道の星州で、北朝鮮の核およびミサイルの脅威に
対抗するために高高度防衛ミサイル(サード)が配備されたゴルフ場
 米軍はまず空爆によって北朝鮮の核兵器関連施設を破壊する。北朝鮮の地上軍大部隊が南下して反撃してくるが、米韓両軍の迎撃で阻止する。ただし北朝鮮軍のロケット攻撃などにより、最初の数日間で少なくとも10万人の韓国軍民の死者が出る――。

 これは、米国の専門家集団が12年前に実施した米朝戦争開戦のシミュレーション(模擬演習)の結果である。このシミュレーションがいま改めてワシントンの政策研究機関の間で注目されるようになった。

今なお多い軍事攻撃への反対論

ワシントンではいま、北朝鮮の核兵器と長距離弾道ミサイルの開発の脅威にどう対応するかをめぐって政策、戦略が本格的に議論されている。

 トランプ大統領は、北朝鮮の核武装を阻止するための「軍事的手段を含むすべての選択肢がある」と宣言し、軍事攻撃の準備もできたと語る。だが、「北朝鮮の全面反撃による韓国側の被害があまりに大きすぎる」といった理由から軍事攻撃には今なお反対論が多い。

 そんななかで、「全面戦争が起きても韓国が壊滅的な打撃を受けることはなく、北朝鮮の国家態勢を破壊できる」というシミュレーションの結果が改めて注視されるようになった。

 このシミュレーションは、国防総省の軍事模擬演習の専門家らが、米国の総合雑誌「アトランティック・マンスリー」から委託されて、2005年4月に実施した。

 現在、北朝鮮問題の研究に正面から取り組む戦略国際問題研究所(CSIS)やピーターソン研究所の関係者たちが、このシミュレーション結果を今後の対策を講じる際の有力な資料とみなしている。

北朝鮮の核兵器への懸念が高まっていた2005年

米国は1994年に北朝鮮との間で米朝核合意枠組みという協定を結び、北朝鮮に核兵器開発の放棄を誓約させた。だが北朝鮮は秘密裡に核武装への歩みを進め、2003年には核拡散防止条約(NPT)から脱退して、核武装への意図を公然と表明していた。そして、2005年2月に核兵器保有を公式に宣言したのである。

 つまり、このシミュレーションが実施された2005年4月は、米側で北朝鮮の核兵器の脅威への懸念が非常に高まっていた時期である。米国は実際にその対処として軍事攻撃まで検討していた。

「アトランティック・マンスリー」は2005年8月号に、同シミュレーションの概要を「北朝鮮=ウォーゲーム」という記事として公表した。米国が北朝鮮の核兵器開発や保持を阻止するために軍事手段を行使した場合、なにが起きるか、というシミュレーションである。

 民間主体の模擬演習とはいえ、その中心人物は、国防総省直属の国防大学で長年、軍事模擬演習を専門としてきたサム・ガーディナー大佐だった。同大佐はイラク戦争、アフガン戦争などでも国防総省の軍事模擬演習を頻繁に主宰してきた実績があった。さらに、クリントン政権で北朝鮮核問題交渉の主役となったロバート・ガルーチ氏、中東での実戦経験の長い米空軍のトーマス・マキナーニー中将、歴代政権で軍事管理を担当してきたケネス・エーデルマン氏、イラクの大量破壊兵器の査察を実施したデービッド・ケイ氏など実務経験の豊富な専門家たちが、大統領や国防長官をはじめとする政府高官の役割としてシミュレーションに加わった。

韓国ではどれだけの死者が出るのか?

この時点における米国側の認識としては、北朝鮮はすでに10個前後の核爆弾を保持しているものの、米国本土への核弾頭搭載の長距離ミサイルはまだ開発していない。米国が北朝鮮への直接の軍事攻撃に踏み切るレッド・ラインとしては、「北朝鮮が自国の核兵器を、国際テロ組織を含む米国にとって危険な他の諸国に移転(売却)することが確実となった時点」とされていた。

 その状況におけるシミュレーション結果の概要は次のとおりだった。

・米軍の北朝鮮に対する軍事攻撃は、大規模な空爆を主体として、当初は1日4000回の爆撃出撃(1機が1回出撃して帰還する動きを1回の爆撃出撃とする。イラク戦争の当初の段階では1日最多800回だった)の規模となる。

・爆撃目標は北朝鮮の核関連施設、ミサイル、長距離砲、ロケットなどである。当初の数日間でそのほとんどの破壊を達成する。

・北朝鮮は地上の大部隊を南下させて反撃に出る。だが、この反撃は米軍と韓国軍の共同作戦により確実に阻止できる。

・ただし、北朝鮮の砲撃などにより、開戦当初の数日間に韓国側の軍民に少なくとも10万人の死者が出ることは防げられない。

 この内容について現在の米側の専門家たちがひそかに注視しているのは、「韓国軍民の10万の死者」という部分のようだ。この数字はいま米側で一般に語られている「数百万」という推定死者数よりもケタ違いに少ないからだ。

 この理由について、当時の「アトランティック・マンスリー」の記事は以下の2点を挙げていた。

(1)最初の大規模空爆によって、北朝鮮が南北境界線付近に集中して配備した攻撃用火力を、かなりの程度まで骨抜きにできる。

(2)北朝鮮軍が南下する際に火砲やミサイルによってソウルへの徹底攻撃を実施すると、その後の戦闘で用いる弾薬や兵器が不足してしまう。そのため、ソウル攻撃の規模を小さくする見通しが強い。

 いずれにせよ、緊迫をきわめる北朝鮮軍事情勢に関して、米国では12年前にすでに具体的な軍事衝突のシナリオが描かれていた。その要点が現在、改めて今後の戦略の有力指針とされているというわけだ。

【私の論評】北朝鮮の横暴は、日本にイノベーションをもたらす(゚д゚)!

ブログ冒頭の記事では、韓国の被害について12年前の予測が掲載されています。上の想定では、少なくとも韓国に対しては、核を用いることはないとの前提で想定しているようです。核を使えば、10万人規模ではすまないと思います。

では、もし北朝鮮が核を使わなかったとして、日本に攻撃を加えた場合日本はどのようになるのか、これに匹敵するような資料は残念ながらありません。

しかし、以下のような記事をみつけましたので、そのまま掲載します。
北朝鮮ミサイル 破壊されるのは小学校の体育館1つ分か
北朝鮮ミサイルの威力は?
 繰り返される北朝鮮のミサイル発射情報に慣れてはいないか──。海を狙ったのに、誤って日本本土に落としてしまうことがあるのがあの国だ。しかし私たちはミサイルが本当に飛んできたらどうなるのかを知らない。 
 各地で“その時”に備えた準備は着実に進んでいる。もしミサイルが飛んできたら、いったいどこに、どのように逃げるべきか。 
◆山手線の内側が危ない 
 日本に着弾する可能性のある弾道ミサイルは、日本全域を射程に収める「ノドン」(射程1300km)か「スカッドER」の改良型(射程1000km)とみられている。 
 問題は着弾場所と、弾頭搭載物である。北が狙う標的としては在日米軍基地に加え、原子力発電所や国会議事堂などがこれまで取り沙汰されてきた。一撃で日本に壊滅的ダメージを与える戦略だ。 
 しかし、軍事ジャーナリストの井上和彦氏はこんな見立てを語る。 
「もし北が日本を本気で攻撃するのなら、どこかの施設をピンポイントで狙うのではなく、例えば東京の山手線の内側など全国どこでも人口密集地に落とせばいい。 
 そうすればどこに落ちようが被害は甚大。即座に日本経済や国民生活に大打撃を与えることができます。ミサイルの命中精度も考慮せずに済む」 
◆破壊されるのは小学校の体育館1つ分 
 北朝鮮のミサイル発射についてシミュレーション経験のある防衛当局関係者が搭載弾頭についてこう話す。 
「北朝鮮が既に弾頭に搭載できるほど核の小型化技術を獲得しているとの見方があるが、本当だとしても核を使えばアメリカの激烈な報復は必至。同時に後ろ盾の中国やロシアからも見放され、世界で完全に孤立するだろう。だからミサイルに核を積むことは現実的ではない。生物・化学兵器についても同様で、通常弾頭(高性能爆薬)が使われる可能性が高い」 
 通常弾頭の威力については諸説あるが、弾道ミサイル1発で破壊可能な面積は「最大700平方メートル(小学校の体育館程度)」というのが有力だ。
この核を使わないという前提であれば、本当に良いのですが、それを前提にしても、北朝鮮が実際に日本に打ち込めるロケットをいくつ持っているのかということが問題になります。

これについては、米英の軍事調査報告を読むと韓国を目標にした HUWSENG火星=スカッドERが800発、日本を目標にした ノドン木星が360発、グアムを目標にした ムスダンが40発あります

ミサイルの詳細は 日本語資料があります
https://www6.atwiki.jp/namacha/pages/220.html

北朝鮮は2010年頃から核弾頭の量産に入りましたが2016年 時点で 20-40個の核弾頭があり、残りは 金正男殺害で使われたVXや、オウムで有名になった サリンなどの毒ガスが詰まった化学弾頭を装備していると言われています。

化学弾頭が上空で炸裂した場合半径数kmが死者だらけになって 地域も汚染されます。ただし、サリンであれば、水に触れると分解し無害になります。サリンの散布などがあったと想定された場合は、すぐにシャワーを浴びて水で流すなどのことをすれば、かなり有効であるとされています。

北朝鮮の金正恩は 韓国の併合による 民族統一により、北朝鮮兵を1兵も 戦死させずに韓国を降伏・不戦敗させて 併合すれば金王朝への支持は飛躍的に高まると想定されるため、韓国を核で恫喝していると考えられます。

現状ままなら 当然 米国と戦争になり、北朝鮮は 負けてしまうので金正恩体制は崩壊します。

そのような愚かなことはせず、金正恩当面は 米国とは直接戦わず、核軍拡に 専念していずれ、ニューヨークや ワシントンDCに届く移動式弾道弾を 数百発配備して米国側からみて、「北朝鮮を 攻撃すると、 核戦争になって米国が勝っても 米国も破滅的被害をこうむる」という 相互確証破壊の状態に持っていこうとしています。

その後に、米国は無論、中国やロシアに対しても、対等な関係を構築することが最終目的であると考えられます。

しかし、昨日もこのブログで掲載したように、このことを米中露が黙って見過ごし、北朝鮮のなすがままにさせておくということは考えにくいです。いずれ、米中露と北朝鮮の間のバランスは必ず崩れます。このバランスが崩れたとき、戦争になる確率はかなり高まります。おそらく、この戦争は直接的には、想定外の思いもかけないところから起こるものと考えられます。

この想定外は、悪いことばかりではありません。実はイノベーションも生み出します。経営学の大家ドラッカー氏はイノベーションについて以下のように述べています。
予期せぬ成功ほど、イノベーションの機会となるものはない。だが、予期せぬ成功はほとんど無視される。困ったことには存在さえ否定される。(ドラッカー名著集『イノベーションと企業家精神』)
経営者にはビジョンがあります。夢もあります。技術もあれば、ノウハウもあります。そして無事、新製品、新サービスを世に出します。当然買いに来てくれる人をイメージしています。

そこへ全く想定外の客が現れるのです。腹が立ちます。

しかしドラッカーは、「変な客が来たら、それが本命の客だ」といいます。予期せぬ客というカモがネギならぬイノベーションを背負ってきたもので、手厚くもてなさなければならないとしています。

ドラッカーの調べたところでは、成功したイノベーションのなかで最も多いケースが、この予期せぬ成功でした。

初めコンピュータは科学計算用として開発されましたた。そこへ事務用としての需要が見つかりました。事務用の購入先である企業を真っ先にとらえたのがIBMでした。

当時、技術的にIBMに先行していたユニバックは、企業という予期せぬ客のニーズに応えようとしませんでした。精緻な芸術品たるメインフレーム・コンピュータは、給与計算などという俗なもののために開発したのではありませんでした。
マネジメントにとって、予期せぬ成功を認めることは容易ではない。勇気が要る。同時に現実を直視する姿勢と、間違っていたと率直に認めるだけの謙虚さがなければならない。(『イノベーションと企業家精神』)
以上は、営利企業の例ですが、国家レベルでも同じことがいえると思います。日本にとっては、北朝鮮の振る舞いは想定外です。日本にとって、金正恩はそれこそ、想定外の客のようなものかもしれません。

エリンギ頭の金正恩
日本に脅威をもたらしアジアの秩序を乱す、とんでもない人物と多くの人が考えているに違いありません。

しかし、この想定外に対処するため、安倍総理は衆院解散に踏み切りました。東京都議会地域政党都民ファーストの会」(東京都知事小池百合子の支持基盤)が国政進出する形で「希望の党」が、小池に近い議員が中心となって2017年(平成29年)9月25日に結成されました。

そうして、「希望の党」と「民進党」の合流話が持ち上がりました。元民進党で、憲法改正には反対との意思を表明してしていた多く人たちが、希望の党への合流を求めています。となると、これから先どうなるかはわかりませんが、結果として、憲法改正に賛成する議員が増える確率が高まることになります。

これは、良い悪いは別にして、政治的イノベーションともいえる出来事ではないかと思います。さらに、安倍総理がこれから北の想定外に対処するために、様々な対策を打つことにより、さらなるイノベーションが生まれるかもしれません。

その最大のものは、昨日もこのブログに掲載したように、日本が「北朝鮮版ヤルタ会談」に参加して、北朝鮮崩壊後の処理に関与するということかもしれません。

これに参加すれば、事実上第二次世界大戦後に戦勝国によって決められた戦後秩序であるいわゆる戦後体制が終焉するかもしれません。

そうして、新たな秩序には、日本の意向も反映されることになるかもしれません。そうなると、日本は完璧に戦後体制の軛から開放されることになります。

その他、もしかすると、安全保障や、金融政策、財政政策、成長戦略の分野でも、新たなイノベーションが生まれるかもしれません。北朝鮮と事を構えるということにでもなれば、戦争中に増税などしていられないということで財務省も政府の意向に逆らえないかもしれません。戦争を遂行するためには、戦時国債を刷るということも考えられます。

戦略家のルトワック氏は、『戦争にチャンスを与えよ』という著書で、旧ユーゴ内戦、ルワンダ内戦、シリア内戦といった紛争において、実は「良心」や「正義感」や「人道的配慮」にもとづく国連やNGOや他国による中途半端な「介入」が、「戦争」を終わらせるのではなく、「戦争」を長引かせていると断言しています。

ルトワック氏
だからといって「戦争」を奨励しているわけではありません。「戦争」を無理に「停戦」させても、「戦争の火種を凍結する」だけだという事実を指摘しているだけなのです。「本当の平和は、戦争の当事者自身が戦争を倦むほど、徹底的に戦った後でなければ訪れない」としています。

そのルトワック氏は、日本の北朝鮮に対する対処は「降伏」か「先制攻撃」(=敵基地攻撃能力を有することとその実行)しかないとしています。中途半端は悪い結果しか招かないとしています。中国に対しても、「平和のためにこそ尖閣に武装人員を常駐させろ」「日本の「あいまいさ」が中国の誤解を生むと警鐘を鳴らしています。

日本は、北朝鮮の横暴と想定外に対処することにより、今までの戦後体制の軛から解かれ、様々なイノベーションを成し遂げることになるかもしれません。実際過去においては、日本人は様々な危機を乗り越えてきています。

明治維新は、海外の列強と伍していくために様々なイノベーションをもたらしました。戦後の復興も凄まじいものでした。

日本は危機を乗り越えるたびにイノベーションを成し遂げました。過去70年は、日本人は、拉致問題などはあったものの、比較的安穏に過ごしてきました。そのため、多くの日本人が平和ボケとでも呼べるような状況にありました。

しかし、北朝鮮の想定外の行動により、この状況は大きく変わりました。今後のこの危機を乗り越えるため、日本人が叡智を発揮して、様々なイノベーションがなされることを期待したいものです。

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2016年10月8日土曜日

新聞テレビが絶対に報道しない「自分たちのスーパー既得権」―【私の論評】次世代のメディアの主役は新聞・テレビでないことだけは確か(゚д゚)!

新聞テレビが絶対に報道しない「自分たちのスーパー既得権」

だから日本の報道は「左巻き」になる
髙橋 洋一
 

東陶の新聞紙風トイレットペーパー。最近は便所紙にしかならないような新聞が増えてきた?

本サイトで連載中の高橋洋一・嘉悦大学教授が、このたび『これが世界と日本経済の真実だ』を上梓した。アメリカ大統領選挙やアベノミクス、さらには安全保障、格差社会、原発問題といった世界と日本の政治経済のニュースについて、お馴染みの高橋節が炸裂している。

本書の最大のテーマのひとつが、日本の報道はなぜ「左巻き(左派)」になってしまうのか、ということだ。今回、刊行を記念して、日本のメデイアの問題点を指摘したパートを特別公開!

 「日刊新聞紙法」をご存じか?

「左巻き」の人々は、どうしてウソのニュースを報道したり、間違った知識で議論をしてしまうのだろうか。

メディア関係者や、公務員、教員、大学教授などはそれぞれマスコミ、役所、学校、大学という既得権にまみれた環境に安住している。日々厳しいビジネスの世界で緊張感ある働き方をしていれば、どうやって儲けて、いかに生きていこうか必死になるはずだが、そういった切迫した危機感がない状況だから、左巻きの考え方をしていても平気でいられるのだ。

マスコミの中でも、新聞はとくに左巻きがのさばっているメディアだ。そうして的はずれな記事を平然と報道している。

新聞の報道が嘘八百になる原因が4つある。まずは、日刊新聞紙法という法律だ。もう1つは再販規制。そして3番目は最近新たに生まれた軽減税率だ。この3つで新聞はすべて守られている。

それにプラスして、これは実体の話だが、新聞社屋のための国有地の売却という問題が絡んでくる。日本の新聞社の多くが、総務省から国有地を安く払い下げてもらって、社屋をそこに建設している。ある種の優遇措置を受けてきたと言っていい。大手町や築地、竹橋などの一等地に新聞社が立ち並んでいるのには、そのような理由があるのだ。

ここから、新聞を既得権まみれとしている法律について見ていこう。

まず日刊新聞紙法というのはどういう法律か。すごく変わっている法律で、実は世界にこんな法律は日本にしかない。ポイントは、新聞社は全国紙のすべてが株式会社で、地方紙も株式会社が多いのだが、その「株主が誰か」ということだ。

商法の大原則だが、株式というのは譲渡制限がない。これは株式会社の株式会社たるゆえんと言える。譲渡制限がないからどんな時にもオーナーが代わり得る。この「オーナーが代わり得る」ということが重要だ。

要するにオーナーはのうのうと安住できないということだ。そうすることで会社の緊張感が保たれ、きちんとした経営をするということになる。

しかし新聞社の株式は、日刊新聞紙法によってなんと譲渡制限が設けられているのだ。

制限があるとどうなるか。

たとえば朝日新聞を例にとってみよう。朝日新聞は、村山家と上野家が代々ずっとオーナーとして存在する企業だ。株式の譲渡が制限されているのだからオーナーが代わることがない。このように完全に経営者が代わらないと、オーナーがどんな意見を言うか言わないかで、経営方針をはじめとする会社のすべてのことが決まってしまう。

ただし、新聞社のオーナーは現場に意見を言わないケースがほとんどだ。するとどうなるかというと、現場の社長が経営のすべてを握ってしまう。そうして、絶対にクビにならない社長になるというわけだ。

もう1つの例として、読売新聞を見てみよう。渡邉恒雄代表取締役兼主筆がなぜ、あれだけの権力を持ち続けられるか考えてみて欲しい。読売は従業員持ち株会もあるのだが、結局会社はオーナーのものだ。

 そして新聞社が「既得権益集団」になる

株式が譲渡されない安泰な経営のなかで、オーナーが口出しをすることがないので経営陣にはなんのプレッシャーもかからない。そうして経営トップが大きな顔し続けることになる。

日経新聞などは企業の不祥事を追求する記事で「コーポレートガバナンスが重要」とよく書いているが、自分の会社が一番コーポレートガバナンスが利かないのだ。なぜなら、株式の譲渡制限があるからだ。それではガバナンスなど効きようがない。

新聞社の株式が譲渡されないということは、つまり絶対に買収されない仕組みになっているということだ。さらに、その新聞社がテレビ局の株を持つ。朝日新聞ならテレビ朝日、読売新聞は日本テレビといった具合だ。そうすると、テレビも新聞社と同じようにまったくガバナンスが利かなくなる。

そうして新聞社を頂点として構成されたメディアは、既得権の塊になってしまう。

以上のような仕組みになっているため、一度新聞社の経営陣に加わってしまえば絶対安泰だ。クビになることはまずない。これは、他の業界では絶対にあり得ない既得権を守る規制なのだ。

新聞紙風デザインのビキ二

 一番ガバナンスがないのは、新聞社だった

世界基準で見てもこの日本のメディア構造は異常である。普通の国ではメディアも普通に買収される。経営者が代わることもあるので、これが会社としてメディアとしての緊張感につながるのだ。

たとえば2015年の11月に、日経新聞が米フィナンシャル・タイムズを買収したことは記憶に新しい。日経新聞が、米フィナンシャル・タイムズの親会社だった英ピアソンから株式を買収して自らのグループに組み込んだのだが、これはごく普通の企業買収と言える。しかし、日経新聞のほうは株式が譲渡できないから、決して買収されない仕組みになっている。

そんなものは商法違反でないか、と憤る人もいるかもしれない。この状態を商法の適用除外にしているのが「日刊新聞紙法」なのだ。

日刊新聞紙法はすごく短い法律で、正式には「日刊新聞紙の発行を目的とする株式会社の株式の譲渡の制限等に関する法律」という。名前に書いてあることがこの法律のすべてで、「株式は譲渡されない」ということしか書いていない。新聞の既得権の最大のものと言っていい。

普通に働いている人たちには馴染みがないが、新聞社に務める人間ならみんな知っている法律だ。

しかし、新聞社の人間でこのことを堂々と記事で書く人間はいない。新聞は企業の不祥事があった時に「コーポレートガバナンスができていない」「社内制度が悪い」などと書き連ねるが、一番ガバナンスができていないはその新聞社なのだ。記者も、それが分かっているから日刊新聞紙法について恥ずかしくて書けないのだろう。

この法律が、新聞社を堕落させていることに、記者も早く気がつくべきだ。自分だけ安泰な身分では、他者に厳しいことがいえるはずない。自分には甘く他者に厳しいのはありえない。言論で勝負する人は、やせ我慢が必要なのだ。

 テレビ局も既得権の塊

ここでテレビ局に話題を移したい。新聞社が子会社のテレビ局を支配しているという構造的な問題は、前段で触れたとおり。さらに、そのテレビ局が既得権化している理由は、地上波放送事業への新規参入が実質的に不可能になっていることにある。

総務省の認可を受けた場合にしかテレビ放送事業はできない。「放送法」によって免許制度になっているわけだが、このことがテレビ局を既得権まみれにしている最大の原因だ。

はっきり言おう。「電波オークション」をやらないことが、テレビの問題なのだ。電波オークションとは、電波の周波数帯の利用権を競争入札にかけることだ。

日本では電波オークションが行われないために、電波の権利のほとんどを、既存のメディアが取ってしまっている。たとえば、地上波のテレビ局が、CS放送でもBS放送でも3つも4つチャンネルを持ってしまっているのもそのためだ。

電波オークションをしないために利権がそのままになり、テレビ局はその恩典に与っている。テレビ局は「電波利用料を取られている」と主張するのだが、その額は数十億円程度といったところだ。もしオークションにかければ、現在のテレビ局が支払うべき電波利用料は2000億円から3000億円は下らないだろう。現在のテレビ局は、100分の1、数十分の1の費用で特権を手にしているのだ。

つまり、テレビ局からすると、絶対に電波オークションは避けたいわけだ。そのために、放送法・放送政策を管轄する総務省に働きかけることになる。

その総務省も、実際は電波オークションを実施したら、その分収入があるのは分かっているはずだ。それをしないのは、テレビ局は新規参入を防いで既得権を守るため、総務省は「ある目的」のために、互いに協力関係を結んでいるからだ。

 放送法の大問題

そこで出てくるのが「放送法」だ。昨今、政治によるメディアへの介入を問題視するニュースがよく流れているので、ご存じの方も多いだろう。話題の中心になるのが、放送法の4条。放送法4条とは以下の様な条文だ。

放送事業者は、国内放送及び内外放送(以下「国内放送等」という。)の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。

一  公安及び善良な風俗を害しないこと。
二  政治的に公平であること。
三  報道は事実をまげないですること。
四  意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。

これを根拠に、政府側は「放送法を守り、政治的に公平な報道を心がけよ」と言い、さらに電波法76条に基づく「停波」もあり得るというわけだ。

一方で左巻きの人々は、放送法4条は「倫理規範だ」とする。つまり、単なる道徳上の努力義務しかない、と反論をしている。

しかし、筆者から見ればなんともつまらない議論だ。

そもそも、世界ではそんな議論をしている国はない。「放送法を守れ」「これは倫理規範だ」なんてつまらない議論をするのではなく、「市場原理に任せ、自由競争をすればいい」だけの話なのだ。

電波オークションによって放送局が自由に参入して競争が起これば、質の高い報道や番組が生まれるはずなのだ。おかしなことを言っていたら人気がなくなるし、人気があれば視聴者を獲得しスポンサーも付く。そうやって放送局が淘汰されれば、放送法など必要ないはずだ。

繰り返すが、電波オークションをやると一番困るのは既存の放送局だ。だから、必死になって電波オークションが行われないように世論を誘導している。

総務省はその事情を知っているから、「放送法」をチラつかせる。「テレビの利権を守ってやっているのだから、放送法を守れよ」というわけだ。それはテレビ局も重々承知。言ってしまえば、マスコミは役所と持ちつ持たれつの関係になっている。

 マスコミをダメにする「悪魔の一手」

最近では右派の人たちが、左巻きのメディアに対して「放送法を守れ」と息巻いている。筆者からするとそれはつまらないやり方だ。言葉は悪いが、もしマスコミを「潰したい」のなら、電波オークションで新規参入させるよう促せばいい。

「放送法は守らなくてもいいから、電波オークションにして誰でも意見を発信できるようにしろ」と言えばいいのだ。そうなるのが、テレビ局にとっては一番痛い。

この電波オークションの問題は、当然ながらテレビ界ではタブーとされている。電波オークションについて必要性を語る論者は、テレビ局にとっては要注意人物。筆者もそのひとりだ。

もし地上波で「実は電波利用料は数十億しか払ってないけど、本当は3000億円払わなければいけないですよね」などと言おうものなら、テレビ局の人間はみんな真っ青になって、番組はその場で終わってしまうだろう。テレビでコメンテーターをしているジャーナリストも、その利権の恩恵に与っているので大きな声で指摘しない。

電波オークションをすれば、もちろん巨大な資本が参入してくるだろう。ソフトバンクなどの国内企業をはじめ、外国資本にも新規参入したいという企業はたくさんある。

既存のテレビ局は巨大な社屋やスタジオを所有しているが、これだけ映像技術が進歩している現在では、放送のための費用はそこまでかからない。今では、インターネット上で自由に放送しているメディアがたくさんあるのだからそれは明らかだ。

既存の放送局の権利を電波オークションで競り落とすと考えれば費用は膨大に思えるが、電波だけではなくインターネットを含めて考えれば、放送局そのものは何百局あってもかまわないのだから、新規参入するのに費用は数百億円もかかるものではない。

資本力がある企業が有利ではあるかもしれないが、技術が進歩しているために放送をする費用そのものはたいしたものでなないのだから、誰にでも門は開かれている。

多様な放送が可能になれば、どんな局が入ってきても関係がない。今は地上波キー局の数局だけが支配しているから、それぞれのテレビ局が異常なまでに影響力を強めている。影響力が強いから放送法を守れという議論にもなる。しかし放送局が何百もの数になれば影響力も分散され、全体で公平になる。そのほうが、健全な報道が期待できるだろう。

しかし、筆者などが「既得権をぶち壊そう」と提言すると、いつも激しい反発を食らう。マスコミや、教員、公務員の既得権を批判すると、すぐに左派の学者が出てきて共闘を始める。

経済問題への無知さ加減はもちろんだが、それにも増して、こういった既得権にまみれながら厚顔でいるところも、筆者が「左巻きはバカばかり」と言いたくなる理由だ。

【私の論評】次世代のメディアの主役は新聞・テレビでないことだけは確か(゚д゚)!

新聞は購読しない、テレビは視聴しないというのが、メディアにとっては一番こたえるでしょう。実際、私もそのようにしています。ニュースはネット(産経新聞・夕刊フジはiPad)で、テレビはHuluやアマゾンで見るという具合で、ほとんど新聞は購読せず、テレビを視聴しなくてもすみます。

2012年の朝日新聞に記載された記事によると、国民の75%が「最近のテレビ番組はつまらない」と回答しています。当時は、平日でも平均3時間半もテレビを見て、「世界に冠たるテレビ好き」と言われる日本人だったのですが、当時からテレビ番組に対する不満は年々高まっていました。

それにしても、新聞やテレビのようなメディアには、上の記事でも明らかなように、イノベーションなど起ることはないでしょうし、起すつもりもないでしょう。道理で、最近は新聞記事を読んでももテレビを見てもつまらないし、偏向していて馬鹿丸出しだし、まるでやる気というものが感じられません。
イノベーションを行なう組織こそが、これからの時代において主役になると
すれば、新聞・テレビなどのメディアは最早これからの時代の主役ではない
マネジメントの大家ドラッカー氏は、イノベーションについて、『マネジメント・フロンティア』で以下のように語っていました。
イノベーションに優れた企業は、イノベーションのための活動を厳しく管理する。創造性などという言葉を口にすることはない。創造性とは、イノベーションを行なわない企業が使う中身のない言葉である。(『マネジメント・フロンティア』)
ドラッカーは、イノベーションを職能の一つと見ることは間違いだといいます。イノベーションは、企業のあらゆる部門、職能、活動に及ぶものです。製造業だけのものでもないです。流通業におけるイノベーションは、製造業におけるのと同じように重要な役割を果たします。新聞や、テレビなどのメディアの世界でも同じことです。

イノベーションに優れた企業は、仕事と自己規律について語っています。それらの企業は、このプロジェクトを次に見直すべき段階はどこか、そのときまでにいかなる成果を期待すべきか、そしてそれはいつなのかを自ら問いかけています。

また、優れた企業は、ほぼ三年ごとに、すべての製品、工程、技術、サービス、市場を“裁判”にかけます。今あらためて始めるつもりのものばかりか、今後その製品やサービスを手がけるかも問いかけています。

それらの企業は、もはや生産的でないものを組織的に廃棄する仕組みを持っています。品質さえよければ、馬車用の鞭の市場がいつまでもあるなどとは考えません。イノベーションを仕事としてこなしています。
イノベーションに優れた企業は、人のつくったものは遅かれ早かれ、通常は早く陳腐化することを知っている。競争相手によって陳腐化させられるのを待たずに、自ら陳腐化させ、廃棄することを選ぶ。(『マネジメント・フロンティア』)
イノベーションは、ひらめきや思いつきではなく、体系的・組織的に過去を捨て去ることです。そうして、上には掲載されていませんが、ドラッカー氏はイノベーションの究極の目的は、社会を変えることだとしています。社会が何らかの形で変わらなければイノベーションとは呼べないのです。そういうことを考えると、新聞やテレビなどのメディアにはイノベーションは最初から無理だということです。

そもそも、日刊新聞紙法や、電波法などにより電波オークションもなく、手厚く守られているため、体系的・組織的に過去を捨て去る必要性がないのですから。

電波オークションについては、このブログでも以前掲載しました。その記事のリンクを以下に掲載します。
【突破する日本】「偏った」放送を繰り返すテレビ局に電波を独占させる必要はない―【私の論評】遅れた電波行政を正し、無線事業者の競争を促し新産業を興せ(゚д゚)!
テレビ朝日本社
詳細は、この記事をご覧いただくものとして、以下にこの記事の結論部分のみ掲載します。
現状のままの電波行政では、政権与党にとっても、国民とって一つも良いことはありません。日本でも、一日はやく「電波オークション」を導入すべきです。

そうして、せっかく導入するのでしたから、国民にとって良いサービスがどんどん生まれるような形で導入すべきと思います。これによって、今までには考えられなかったような、新産業の興隆を促すことも可能だと思います。

そうすれば、旧態依然として、偏向報道を繰り返すような、面白みも何もないようなテレビ曲など競争に負けて自然と淘汰されていくと思います。
新聞・テレビなどのメデイアは過去はいざしらず、イノベーションができない組織なのですから、これからの時代の主役ではないということです。これから、どんどん衰退していくことでしょう。

これからのメディアの主役になるのは、やはりネットであるということです。

いつの時代でも、メディアの持つ力は非常に大きく、技術が社会の中に取り込まれたとき、イノベーションが発生します。例えば、ー昔前まで、電話はプライベート空間に存在するものでした。しかし携帯電話の普及で、個人的な行為を外に持ち出すことになり、プライベートとパブリックの境目が変わったのです。

この変化に付随して、電車の中で化粧をする女性が出現しました。化粧というきわめて個人的な行為が外に持ち出されたのではないかと推測されます。このように、社会のあり方さえも変化させる力を持つのがメディアなのです。

電車で化粧す女性
メディアの変遷を振り返ると、1950年代までは活字や映画の時代でした。1964年の東京オリンピックに向け、一般家庭にもテレビが爆発的に普及し、テレビの時代がスタートしました。そして、1995年にはWindows95が発売され、同時期に高速インターネット回線の整備も国策として進められ、少しずつインターネットが姿を現します。そして現代は、一人に一台以上の携帯電話の普及が進み、FacebookやTwitter、LINEといったソーシャル・ネットワーキング・サービスが利用され、時代はインターネット全盛期を迎えています。


テレビというメディアは随分前から衰退しつつありましたが、それを強烈に意識させられたのは、東日本大震災のときでした。それまでテレビというメディアは、信頼できる存在として圧倒的な力を誇っていたのですが、「テレビは何かを隠しているのではないか」といった疑心暗鬼が人々の間に広がりました。

同時にインターネット上では、本質的な情報がやりとりされ、人々は「真実を知ることのできるツール」として、ネットに向かったのです。この同じ年(2011年)には地上デジタル放送がスタートし、テレビを見ない人を多数生み出しました。3・11と地上デジタル放送開始という2つの要素が、テレビの衰退を決定的にしたのです。


このような状況からすると、やはりネットが次世代のメデイア主役であることは間違いないです。

ネットの世界では、誰がどのようなニュースを発信しようが、誰がどのような動画を掲載しようが自由です。今までは、既存の新聞やテレビがネットでニュースや動画を配信したり、個人が出したりしていましたが、今後は多くの企業が参入してくることでしょう。

そうして、多くの企業が自由に競争し、イノベーションを巻き起こしていくことでしょう。その時に、既存のメディアは衰退していくでしょう。ただし、ある程度残ることは残るでしょう。おそらく、現在のラジオ局のような存在になることでしょう。そうして、メディアの主役の座はネットに譲ることになります。

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2013年2月28日木曜日

左脳がアナタに仕掛ける「5つの罠」―【私の論評】 あなたは分析麻痺に陥っていないか? ポスト・モダンの現在において最も重要なのは、知覚だ!!

左脳がアナタに仕掛ける「5つの罠」:



アナタの独創的なアイデアは、自分の左脳によって奪い取られているかもしれません。 たいていの人は、これまでの経験をもとにして、段階的にものごとに取り組むほうが安心できます。整然とコントロールされ、秩序立った状況、論理的な世界が好きなのです。そして、バラバラで統制がとれていないと不安になります。

「たしかな裏付けがある枠組み」の外へと踏み出すなんて、非生産的で時間の無駄だ、と思うわけです。自分はそういうタイプだというアナタは、これまで多くの場面で、そうした考え方が役に立ってきたのでしょう。ただし、そこには創造性という要素が抜け落ちています。 実際のところ、左脳型の直線的思考に慣れ親しんだアナタは、自分は創造的な人間ではないと信じ込んでいるのではないでしょうか? 左脳の仕掛ける罠についてお話しする前に、右脳vs左脳という理論について紹介しましょう。

この記事の続きはこちらから!!


【私の論評】 あなたは分析麻痺に陥っていないか? ポスト・モダンの現在において最も重要なのは、知覚だ!!



上の記事では、左脳、右脳の働きを軸にして、創造性に関して述べていました。そうして、創造性を妨げる左脳の罠について説明しています。詳細については、上の記事をご覧いただくものとして、その罠を以下に掲載します。
■ 左脳がアナタにしかける5つの罠
1.視野を狭める
2.直線的=安全
3.論理と直観
4.パーツと全体像
5.「クリエイティブな人間ではない」と信じさせる
そうして、最後はこのように締めくくっています。
左脳人間の皆さん、騙されてはいけません。右脳思考を呼び込んでくれる行動に、積極的に挑みましょう。左脳型思考パターンの長所にクリエイティブな右脳思考が加われば、鬼に金棒。今の社会で成功するための、なくてはならない秘密兵器になるはずです。
さて、この締めくくり確かに重要な示唆をしているとは思うのですが、私達は、右脳と左脳を自由自在に使い分けることなどできません。では、どのようにして右脳を使ったり、活性化させるかについては具体的な示唆はないと思います。

私は、これに対する具体的な示唆を試みようと思います。

これに対する具体的な示唆としては、やはりマネジメント的なアプローチが良いと思います。このブログでも、以前にも指摘したように、心理学や脳科学における最新発見のようなものに関しても、実は学問的には証明されていないことでも、実務的にそのようなことに注目して実務的な解決方法が編み出されている場合が多いです。

ポスト・モダンの建築物

そんなことから、昔からマネジメント上でいわれてきた、モダンとポスト・モダンの考え方を掲載します。

ポストモダン(英: Postmodern)とは、「モダン(近代)の次」という意味であり、モダニズム(近代主義)がその成立の条件を失った(と思われた)時代のことです。ポストモダニズム(Postmodernism)とは、そのような時代を背景として成立した、モダニズムを批判する文化上の運動のことです。主に哲学・思想・文学・建築の分野で用いられる言葉です。ポスト・モダンそのものについては、ここでは本題ではないので、詳細を知りたいかたは、下に参考図書をあげますので、それを購読されるか、ネットで調べていただきたいと思います。

さて、会社などで仕事をするにしても、モダニズム的な仕事の仕方、ポスト・モダニズム的な仕事の仕方があると思います。これは、まさに上記でいうところの、左脳による仕事の仕方、右脳による仕事の仕方に相当するものと思います。どちらが欠けても、仕事はうまくいきません。

ポストモダンのアート アンディ・ウォホール

モダニズム的仕事の仕方としては、仕事上で何かを改善・改革するときに、対象を見る場合に、分析を丹念に行うというアプローチです。分析とは、何かの対象を細かく分けて、仔細に調べて、最終的にそれを統合すれば、すべてを理解できるという考え方です。

たとえば、時計を持ってきて、それを細かく分解し、全部を調べてしまえば、その時計のすべてを理解できるということです。確かに、時計ならば、細かく分解して、どのような部品で成り立っているかを知ることができます。このような考え方がモダニズムであり、確かにこのアプローチはかなり成果をあげ、現在の西洋文明の礎になったと思います。

しかし、時計や物体の運動のような場合は、いくら複雑に見えてもこのようなアプローチでその本質を知ることはできますが、複雑な社会現象や、人体などの複雑で高度なシステムではそのようなわけにはいきません。たとえば、人がつくった半分のパンはなりたっても、そうではない半分のあかちゃんはなりたちません。

人体をいくら細かく分析しても本質はみえてこない

人体を細かく分解して、仔細に調べたとしても、複雑なシステム体系としての人体は理解できません。人体を解剖して、皮膚、欠陥、爪や、内蔵などを細かく調べただけでは、総体としての人体の本質を知ることはできません。爪や内蔵レベルではなくさらに細かく、分子レベルで調べる方法として、分子生物学なども現在はありますが、分子生物学だけで、人体の本質を知ることはできません。だからといって、さらに細かく、人体を構成している原子や量子を調べたとしても、人体の本質はみえてきません。ますます、わからなくなることでしょう。

では、複雑な社会現象を理解したり、人体を理解したりするには、どうしたら良いのでしょうか?それは、知覚です。ポスト・モダニズムでは分析ではなく、この知覚が重要視されるようになったのです。

では、知覚とは何かといえば、動物が外界からの刺激を感じ取り、意味づけすることです。 視覚、聴覚、嗅覚、味覚、体性感覚、平衡感覚などの感覚情報をもとに、「熱い」「重い」「固い」などという自覚的な体験として再構成する処理です。人間の場合だと、さらに、文脈を構成するとか、さらに高度な概念を構成する処理をすることです。

それでは、マネジメトでは知覚に関してどのようなことがいわれているのか、マネジメントの大家ドラッカー氏論考を以下に紹介させていただきます。

ポストモダン(脱近代)社会の七つ作法・論理ですべてが分かるわけではない

ドラッカー氏は彼の著書『変貌する産業社会』において、モダンからポストモダンへの重心の移行を宣言したとき、「新たなポストモダンが、手段と道具を持ち合わせることなく、われわれの行動を事実上支配している」と語っています。

しかし、多少なりとも丁寧に見ていくならば、その後のドラッカー氏の著作の多くが、われわれにこのポストモダンのための手段と道具を与えるための作業だったことがわかります。

実に、3分の2世紀以上にわたって書かれた全著作において、折に触れドラッカー氏が教えてくれたポストモダンのための方法論をまとめてみるならば、次の七つの作法ということになるでしょう。これは、以前のブログにも掲載したことなのですが、本日は再び装いを新たに掲載させていただきます。

1.見る 
第一に、「見る」ことです。全体を「見る」ことです。全体を命あるものとして「見る」ことです。しかも緻密に「見る」ことです。しらみ潰しに見ていくことです。 
イノベーションの種としての機会を探るべく、ドラッカーは1000件を越える成功事例を調べたといいます。それは、ニューヨーク大学大学院の夜のセミナーで行われました。しらみ潰しのローラー作戦でした。 
そして、見ることの補完として、「聞く」ことです。人は同時に2点に立つことはできません。他の者が「見る」ものを「聞か」なければなりません。自らの強みさえ、誰かに「聞か」なければわかりません。アウトサイド・インサイダーとしてのコンサルタントとしての値打ちも、ここにあります。
2.わかったものを使う 
第二に、「わかったものを使う」ことです。とくに、当初予期せずにわかったことを使うことです。原因や理由はわからないままでもよいのです。学者に付き合って原因の解明を待っている暇はありません。いずれにせよ、理論を体系化したとしても創造することはできません。重要なことは、わかったことを使って行動することです。 
「何が起こりそうか」を考えて行動してはならないのです。「すでにわかったこと、すなわち起こったことをもとに行動せよ」ということなのです。「そのわかった事に自らの強みを合わせよ」ということです。ということは、「トレンドを使え」ということでもあります。 
さらにもっと重要なこととして、「すでに起こった未来を使え」ということです。何事にも、インパクトをもたらすにはリードタイム、あるいはタイムラグがあります。このリードタイムが未来を教えてくれるのです。
3.基本と原則を使う  
第三に、基本あるいは原則となるものを知って使うことである。 
ただし、それらのものを一律に適用すべき万能の原理としてではなく、補助線として使うことである。あらゆる事業に、「世のため人のため」という補助線を引いてみることである。あらゆる意思決定に「世のため人のため」という補助線を引くことである。組織構造についても、透明さ、平板さという補助線を引いてみることである。
4.欠けたものを探す  
第四に、欠けたものを探すことです。キャップを探し、ニーズを見つけることです。「宇宙には何らかの秩序があるはず」との確信をもつことです。「すべては目的が規定する」と楽観することなのです。 
元素の周期律表を発見したメンデレーエフは、見えないものの存在とその位置づけを明らかにしただけでなく、そこから、すでに見えているものの位置づけを明らかにしました。すなわち、全体の形態を明らかにしました。 
未知なるものは無数にあります。解決が喫緊であるにもかかわらず、その全容が知られていない問題はたくさんあります。大事なものの多くは目に見えません。現実は目に見えない大事なものによって支えられています。それらのものを、いま見えるものとの関係のもとに明らかにしていくことが、「未知なるものの体系化」です。 
それは、見えないものを明らかにするのみならず、見えるものの意味を示します。ドラッカーのイノベーション論の根底にあるのは、この方法にほかなりません。そして、ドラッカーによる最初にして最大のイノベーションがマネジメントの発見でした。 
加えて、ドラッカーのマーケティング論の根底にあるものも、この方法にほかなりません。ドラッカーが事業の先を見るうえでカスタマー(顧客)よりも大事だといっているノンカスタマー(非顧客)こそ、そもそも体系化すべき未知なるものだったのではないでしょうか。
5.自らを陳腐化させる 
第五に、あらゆるものが陳腐化するがゆえに、自らが陳腐化の主導権を握ることです。とくに乱気流の時代にあっては、自らがチェンジ・リーダーとなることです。 
デュポンは品質、用途、価格において、自らの製品を陳腐化していくことにより、業界リーダーの地位を不動にしてきました。 
この自らを陳腐化させるという努力を怠ったために、他社によって陳腐化させられてしまった企業や事業は枚挙にいとまがありません。しかも、他社を陳腐化させることに成功した企業が、その成功に自ら学ぶことをせず、今度は第三の企業によって陳腐化させられつつあります。
6.仕掛けをつくる 
第六に、「仕掛け」をつくっておくことです。しかも成功に焦点を合わせ、成功を慣習化してしまうことです。今日一般に目にする失敗と不調についての報告に加えて、成功と好調についての報告をまとめ、それらについて検討することです。 
あるいは、「あらゆる事業活動について目標を定め、結果と参照する」というフィードバック分析を習慣化することです。
さらには、理想を現実化するために、「何をもって憶えられたいか」を考えることを日常化することです。 
ドラッカーは「ぜひともアクションプランをつくれ」といいます。「緻密にアクションプランをつくり、状況の変化に一歩先駆けて修正していけ」といいます。歴史上、ナポレオンのアクションプランほど緻密な作戦計画はなく、ナポレオンのアクションプランほど修正されたものはありませんでした。 
ただし、この「仕掛けをつくる」という作法には、「拘束衣や足枷になりかねない仕掛けはつくらない」という心得が付随します。アメリカ建国の父たちは、当初、憲法の草案に人権条項を入れていませんでした。それは、人権条項を抜きでは批准せずとの各植民地からの要求があって、仕方なく入れたものでした。ただひとえに後世を縛りたくないからでした。 
ドラッカーは『産業人の未来』において、「アメリカはこの戦争に参戦するだろう。そして勝つだろう。しかし、勝つためだからといって国家統制的なことは何もしてはならない。それは戦後も続くから」と書いていました。 
「戦争が終わる日とは、一つの旅が終わる日でも、一つの旅がはじまる日でもないのだから」といっていました。「それは馬を替える日にすぎないから」といっていました。日本では戦争が終わって半世紀もたってから、戦争中にはじめたものの見直しを行っています。
7.モダンの手法を使う
チャップリンのモダンタイムズより
そして第七に、限界をわきまえつつ、モダンの方法を使うことです。論理と分析を使うことです。何しろ350年間磨きをかけてきた方法です。それも単に think するだけではありません。 Think through すること、つまり徹底して考えることです。ドラッカーの口癖が、この think throughです。 
これらがポストモダンの作法です。しかし当然のこととして、このポストモダンの作法も人それぞれのものです。人それぞれにドラッカー直伝のものです。しかもそれぞれに発見、発展、蓄積していくべきものです。
七つにまとめる人もいれば、九つの人もいるでしょう。それぞれがそれぞれの作法を武器に、「世のため人のため」に行動することが、組織社会における新しい慣習の形成をもたらすことになります。
ポストモダンの作法は手間暇のかかるものばかりです。そもそも、ポストモダン自体を論ずることが困難です。ポストモダンが意識されて50年、あるいは70年にすぎないからか、それとも本質的に論じにくいものなのかはわかりません。

しかし、この世界とは、もともとがそのようなものと覚悟すべきであると思います。因果の太い線だけをさぐるというモダンの方法が、そもそも無精者のする仕事だったのかもしれません。解析幾何学で普遍学を開拓しようとすることに無理がありました。世の中、捨象してよいものはありません。大雑把にくくってよしとすることのできるものはありません。


とにかく、論理の世界だけで、分析だけを重視していたのでは、分析麻痺に陥るだけです。たとえば、あなたが清涼飲料水を売る会社に勤めていたとして、過去に売れたものだけを分析することは簡単ですが、それだけではオロナミンCや、ポカリスエットや、最近売れているエネジー系ドリンクもトクホ系のコーラも、生まれてこなかったでしょう。分析も大事ですが、分析だけではイノベーションは生まれてこないのです。やはり、知覚が重要なのです。分析と知覚は、イノベーションの両輪であり、どちらが欠けても満足なイノベーションはできないということです。


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【参考図書】

 




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2012年11月9日金曜日

『海賊のジレンマ』が教えてくれる「未来のアイデアを育てる」方法−【私の論評】単なる天才のひらめきで、イノベーションはできない体系的なRemixのみが社会を変える!!

『海賊のジレンマ』が教えてくれる「未来のアイデアを育てる」方法:


『海賊のジレンマ ──ユースカルチャーがいかにして新しい資本主義をつくったか』(マット・メイソン著、玉川千絵子・八田真行・鈴木沓子・鳴戸麻子訳、扶桑社)は、時代とカルチャーとの関係性を把握するうえでとても刺激的かつ重要な書籍です。著者が訴えているのは、「今日の<海賊(パイレート)>は、明日の<開拓者(パイオニア)>」であるということ。既成概念に捕われず、アイデアを凝らした自由な精神で神出鬼没に跳梁する人物たちを「海賊」と称し、彼らが社会にもたらす影響力の大きさを説いているのです。

この記事の続きはこちらから!!

【私の論評】単なる天才のひらめきでイノベーションはできない体系的なRemixのみが社会を変える!!


上の記事で紹介している書籍、私はまだ読んでいません。読んでみようと思い、Amazonを探してみましたが、物理的書籍は、売っていましたが、Kindle本では販売されていないからです。なぜかというと、最近では、物理的な本よりも、電子書籍をなるべく購入するようにしているからです。これも、なぜかというと、最近も理由があって、物理的書籍の整理をして、いるものいないもの、読む可能性が高いもの、所有することを決めても、おそらくほとんど読まないものに分類して、いらないものは捨てたりしましたが、その苦労は半端ではなかったからです。

とにかく、物理的書籍には、嫌気がさしていて、よほど定評のある書籍で物理的書籍がしかない場合は、購入するのですが、その他は購入しないようにしているからです。ちなみに、最近では、Amazonでは、物理的書籍の販売画面で、電子書籍化リクエストができるようになったので、さっさくリクエストしました。電子書籍化されれば、是非読んでみたい書籍ではあります。しかし、これは本日の本題ではないので、さっそく本題に入らせていただきます。

上の書籍紹介においては、Remixの重要性と、Remixのやりかたの例があげられていました。このRemixについては、私も前々から興味があり、このブログにも以前掲載したことがあります。以下のそのURLを掲載しておきます。

なんかヘンだよ?「スマート家電」 いちいち「タッチ」面倒くさい−【私の論評】Everything is a Remix?!!

詳細は、このブログ記事をごらんいただくものとして、本題の話題Remixに関わる部分のみ以下ににコピペさせていただきます。
新しいものが、全くの無から生まれてくることはありません。バッハも、同時代の先輩格のビバルディやコレルリの曲を何曲も編曲して新しい楽曲を生み出しています。特に、バロック時代にはそのようなことは、日常茶飯事に行われていました。今のように著作権法などはありませんでした。このようなことを行っていくうちに、バッハも自分独自の素晴らしい楽曲を作成するに至りました。アインシュタインだってそうです。彼自身が、自分がやったことは、過去の人がやったことに1%を付け加えたに過ぎないと言っています。その1%が素晴らしいことだったのです。彼でさえ、99%は、リミックスだったのです。
特に、社会変革に関する企画に関してはそういうことがいえます。今まで社会でどの時代のものであれ、うまくいったことは、すべて手本にすべきです。近江商人など昔の商人のやったことだって、多いに役立ちます。だから、過去に行われたこと、現在多くの人が行っていることは、徹底的に調べて、まずは、著作権法、商標法などに違反しないかたちで、複写・変形・結合することによって、新しいものを生み出すべきです。
複写・変形は、すぐに著作権侵害をしてしまう恐れがあります。ただし、誰が最初にやったのかわからない形で、世の中に広まってものは、そのようなことはありません。複数のものを結合して新しいものをつくってしまえば、それは最早、複写・変形の域を超えています。だからこそ、結合が重要なのです。そうして、努力を重ねて、さらに運がよければ、アインシュタインのように、1%の全く新しいものを付け加えられるかもしれないです。そのとき私たちは天才と呼ばれるのかもしれません。しかし、天才と呼ばれることがなくても、商売や事業は十分やっていけます。だから、凡人は、まずは、リミックスすべきなのです。 


上で、「特に、社会変革に関する企画」と書いていますが、私の場合「社会変革」とは、広い意味でとらえています。その中には、当然、新たしい商製品を開発して、多くのお客様に使っていただくことも含めています。新た商製品などは、珍奇な発明などしても、それが、お客様に使っていただけなければ、何にもなりません。お客様に使っていただいて、はじめてイノベーションであり社会貢献・社会変革ということになります。そういう意味での社会変革ということです。

そうして、上の私のブログ記事は、Vimeoというアメリカの動画サイトに4会シリーズで掲載されていた"Everything is a Reimx"という動画を視聴して、それに触発を受けて掲載したものです。その動画のURLは、上のブログ記事の中に掲載されていますので、興味のある方は、是非ご覧になってください。ただし、こちらは英語のみです。


最近、この動画の作者が、あのTEDでも公演しました。そのときの、動画が以下のものです。こちらは、日本語字幕つきですので、わかりやすいです。そうして、Vimeoの動画の内容をぎっしり凝縮して、伝えています。こちらも是非ご覧になってください。


いずれにしても、あのボブ・ディランもかなりRemixしていたし、スティーブ・ジョブズ氏もそうだったということです。それどころか、上の動画では掲載されていませんが、あのアインシュタインですら、自ら自分業績のほとんどは、過去の人々の業績によるものであり、自分はそれに新たに1%を付け加えたにすぎないとしています。

これは、当然と思います。とにかく、何か新しいことを始めようとしてもまずは、古今東西の人が似たようなことをしていないかどうか調べるのは、当然のことと思います。それをしないで、ただ思いつきで、何も新しいことをして、やってみて、新しいものだと自己満足していても、それは大抵の場合違います。


おおよそ、人間の思いつくようなことは、ほとんどが過去に試みられていると考えて良いです。たとえば、コンピュータもそれこそ、前々世紀の19世紀に考え方としては、ありましたが、その当時は、半導体もトランジスターもなく、それを実現することができなかっただけです。20世紀にはいって、忽然と、コンピュータの考え方が現れて実現したわけではありません。

こんなことは、レオナルド・ダビンチのスケッチなどみると、グライダーや、ヘリコプターの原型のようなものがあることでもわかります。考えても、ダビンチの時代には、エンジンも軽い素材もなかったので、考えが考えに終わっただけです。そんなことはいくらでもあります。

Heaven feat. Glance - Sexy Girl(Vdj Rossonero Remix 2012)HD

それに、こんなことは、化学を学んだ人なら、おそらくご存知と思いますが、世界的な規模のケミカル・アブストラクトという巨大なデータベースがあります。何か新しい物質を化学合成して作ろうとした場合、まずはケミカル・アブストラクトを検索して、当該物質が作られているかどうか確認するのが当たり前です。それをしないで、自分の作ったことのない新しい物質を作ったとしても、それは、すでに他の人が作っているということのほうが多いです。そんなことをしても、新発見にはなりません。


だから、このようなことを無視して、古今東西のことを調べもしないで、何か新しいものを作ろうとしても、失敗することのほうが多いです。なぜなら、古今東西で誰かかがやってみて、失敗したことは、その後何かが変わらなければ、今でも失敗する確率が高いからです。しかし、新しい技術や、素材、それに社会の変化があった場合には、成功するかもしれません。そうして、こんなことは、何も企業の開発や、学問の世界だけのことだけではありません。政治の世界でも同じことです。今の政治は、古今東西のことを調べもせず、最初から失敗しそうなことを平気でやろうとしたりします。

これは、たとえば、イギリスでは、財政赤字の解消のため2010年に付加価値税(日本の消費税)の大幅増税しましたが、その後、イングランド銀行(イギリスの中央銀行)が、大幅な金融緩和をしても、景気が低迷して、現在でも低迷しており、未だ財政赤字解消の目処がたっていないという事例があるにもかかわらず、日本では、いわゆる自民公の三党合意で、消費税増税法案を成立させました。このようなことは、どのような業界にでもみられることです。


また、新しい技術や、素材、新しい社会の変化を見出したとき、古今東西で失敗した事例を調べて、失敗した時点ではなかったの現在ではこれらを活用することができ、そうして過去に失敗したことがが今の時点であれば、これらを活用して、かなり成功する確率が高まっているなどということもあります。そんなことを調べもせずに、何か新しいことをやろうとするのは、無謀というものです。こうした背景からも、Remixは絶対に必要です。特に商製品開発では、そのようなことがいえます。何もなしに、新しいものを開発しようというのは、あってはならないことです。Remixをするからこそ、新しい発見ができるのであり、本当に新しい1%を付け加えることができとしたら、個人であれば天才といわれ、企業であれば、革新的な会社と呼ばれるのです。

ドラッカー氏は、イノベーションについて以下にのように語っています。
イノベーションとは、天才のひらめきによって、生み出された目の覚めるような新しい発明ではなく、社会や経済の文脈の中で仕事に携わる人々が、体系的に取り組むべき仕事の一つであり、社会の変化を利用したり、社会変化を起こすもであり、社会を変えるものでなければならない。
さて、この記事の冒頭では、Amazonの話をくだくだしく述べました。それには、意図があります。Amazonは、事業を開始したばかりのころを覚えていらっしゃると思いますが、最初の商品は、何と電子書籍ではなく、物理的な書籍でした。この商売のことを最初聞いたときには、今時、インターネットで、情報そのものが届くし、電子書籍や電子新聞などではなく、このような商売が本当に成り立つのだろうかと、思ったものです。しかし、そのような私の杞憂などは、無論あたらず、Amazonの事業はどんどんと伸びていきました。


Amazon.comでは、昨年あたりですか、ようやっと電子書籍のほうが物理的書籍よりも、売り上げが上がったそうですが、今でも、かなり売れていることは確かです。そうして、なぜ、物理的書籍を商売に選んだのか、サイトで掲載されていましたので、そのURLを以下に掲載しておきます。

Amazonはなぜ本を売るのか〜その戦略にビジネスを学ぶ

このなかに、なぜ書籍を選んだのか、八つの理由が書いてあります。これを読めば納得がいきます。Amazonが事業を始めたばかりのときは、まだまだ、電子書籍に社会は対応していなかったのです。しかし、それから事業を開始して、書籍で市場に地位を築き、電子書籍リーダーkindleをはじめて世の中に出したのは、2007年です。そうして、その後アップルのiPadが世の中にでて、これもAmazonに有利に働いたと思います。これを機会に多くの人が電子書籍だけではなく、音楽を聴いたり、アプリを使うようになりました。そうして、その社会の変化対応して、Amazonは、電子書籍リーダーkindleだけではなく、タブレットと端末のKindle Fireを世に出したのです。そうして、とうとう日本でも、kindle本が売られるようになり、Kindleだけでなく、Kindle Fire(HD)の予約受付をするようになりました。


考えてみると、日本では、まだフロッピーディスクが使われていたような時代に、電子書籍リーダーが開発され、発売されていました。私は、このときは、電子書籍リーダーは購入しませんでしたが、フロッピーディスクに収められた電子書籍をいくつか購入して、パソコンで読んでみたことがあります。しかし、その当時のパソコンのディスプレイなど、まだ、600×400くらいだったと思います。あまり読みやすいものとはいえず、その後は、購入はしませんでした。そうして、これらは、ものの見事に失敗しました。そうして、現在電子書籍リーダーでは、後発であったはずのAmazonが日本の電子初期市場を席巻しようとしています。

この日本のメーカーと、Amazonの違いはどこからきているかといえば、やはり社会変化に適切に対応したかしないかの差だと思います。考えてみると、かつては、Amazonで書籍をかなり購入しました。とにかく、物理的書籍であっても、どこにいても買えるというのが魅力でした。それだけで十分でした。とにかく、どんな書籍でも、オンラインですぐ買えることは、とてつもない魅力でした。

そうして、次には、電子書籍で勝負して、見事に勝利をおさめています。こうしたAmazonの戦略は、単なる天才の閃きではないことは明らかです。きっと、AmazonのCEOのベゾス氏は、緻密で、体系的なRemixを重ねていたに違いありません。Kindle FireもiPadや他社のタブレットを研究して、Remixして、開発していることは間違いないです。日本のメーカーのように、フロッピーディスクの時代に電子書籍リーダーにこだわっていたら、Amazonの今日の姿はなかったと思います。

こうしたAmazonの事例をみても、イノベーションとは、単なるひらめきではなく、上記のようなRemixを仕事として、体系的に常日頃行うことによって生まれるということが理解できます。天才の単なるひらめきではイノベーションなどできないということです。ひらめきは、一時のものにすぎず、そんなものに頼って継続的なイノベーションなどできません。日々体系的に、仕事としてとりくむべきものです。皆さんはどう思われますか?




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2012年10月11日木曜日

グーグルがApp Storeに忍び込ませたスティーブ・ジョブズの名言―【私の論評】ジョブズ氏は、ドラッカーのイノベーションの原則を守り、さらに日本的な考え方でそれを補強していた!!

グーグルがApp Storeに忍び込ませたスティーブ・ジョブズの名言:


121010_gmail_steve_ipad.jpg
グーグルのこういうところ、いいね。

上の画像はApp StoreにあるGmailアプリのスクリーンショットなんですが、よく見てみるとここに、ついこのあいだ亡くなってから1年が経ったアップルの創業者スティーブ・ジョブズの名言が載っていることをThe Next Webが発見しました。

その名言がこちら。日本語訳も一緒に。
That's been one of my mantras -focus and simplicity. Simple can be harder than complex. You have to work hard to get your thinking clean and simple. But it's worth it in the end because once you get there, you can move mountains.
集中することとシンプルであることは私の信念である。シンプルであることは複雑であることよりも難しい。思考を整理し、シンプルになるまで考えぬかなければならない。しかし、それにはものすごい価値がある。もし、それを達成することができれば、山をも動かせる。

今のいままで全然気づかれてなかったってことなのか、最近こうなったのかわからないですが、これを忍ばせたグーグルの担当者、粋なことしますね。

121010_gmail_steve.jpg

The Next Web via ラシカル開発記
Gmail[App Store]
(鈴木康太)

【私の論評】ジョブズ氏は、ドラッカーのイノベーションの原則を守り、さらに日本的な考え方でそれを補強していた!!



上の記事に掲載されていた、以下の名言は、素晴らしいです。集中することと、シンプルさの重要性を力強く訴えています。何回読んでも、ぐっときます。
That's been one of my mantras -focus and simplicity. Simple can be harder than complex. You have to work hard to get your thinking clean and simple. But it's worth it in the end because once you get there, you can move mountains.
この名言に近いことは、ドラッカー氏も何十年も前から語っていることです。それに関しては、このブログにも掲載したことがあります。


詳細は、上のURLからご覧いただくものとして、この記事には、「イノベーションに成功するには3つの心得」、「イノベーションの三つのタブー」を掲載しています。


心得のうち、ドラッカーが、第一にあげているのが以下です。
第一に、集中しなければならない。複数の異なる分野でイノベーションに成功することはほとんどない。あのトーマス・エジソンさえ、発明を発明したといわれるほど発明の方法論に通暁しながら、電気の分野でしかイノベーションを行なわなかった。
 イノベーションには、勤勉、持続、献身を必要とする。集中することなくして、これらのものを手にすることはできない。知識は多分野のものを必要とするであろう。だが、目指すものについては、集中がなければならない。 
タブーの第一は、以下です。
 第一に、凝り過ぎてはならない。凝り過ぎは失敗の元であり、生産者側の自己満足にすぎない。懲り過ぎた財・サービスに大事な時間とおカネを使う者はいない。博物館で見せてもらえばよい。  
 大きな事業にしたいのであれば、時間もおカネもさほど余裕のない人たちが、気軽に買って気軽に使えるものでなければならない。ドラッカーは、組み立て方や使い方の凝ったイノベーションは、ほとんど例外なく失敗してきたという。 
凝りすぎてはならないという言葉を使っていますが、これは、要するにシンプルさを追求せよと言っているのと同じことです。

イノベーションには、『集中』と、『シンプル』が必須であることをまさに、ドラッカー氏が原理原則として示し、ジョブズ氏が、実践して見せたということだと思います。

ジョブズ氏がドラッカーの提唱した、イノベーションの心得と、タブーについて知っていたかどうかは、わかりませんが、それは別として、自ら実践していたということは間違いありません。


それから、ジョブズ氏は、日本文化にも傾倒していました。これも、以前このブログに掲載したことがあります。


詳細は、上のURLをご覧いただくものとして、庭園デザイナーであり、曹洞宗徳雄山建功寺住職でもある、枡野 俊明氏は、以下のようにジョブズ氏について語っています。
「ジョブズの手がけたアップル製品には一切の無駄がなく、枯山水のような美しさがあります。彼は、毎日鏡に向かい『今日が人生最後の日だとしたら、今日やることはこれでいいのだろうか』と問いかけたと言います。今やりたいことに集中する、まさに禅の発想です」 
私は、ドラッカーのイノベーションの原理原則をジョブズ氏が実践し、ジョブズ氏は、その原理原則を貫くために、日本文化に傾倒し、良いところを取り入れていたのだと思います。ドラッカーの名言には、他にも様々なものがありますが、私の好きなものに、"社会にone more thingを付け加えよ"というものがあります。社会に、もう一つ何かを付け加えることを生きがいにせよということです。これも、もともとの日本人の考え方に馴染むものだと思います。これも、イノベーションの本質を語っています。イノベーションとは、技術に関するものではなく、社会に関するものであり、社会を変えるものです。


そうして、現在の私たちは、ジョブズ氏の大成功をみるときに、特に日本文化が大きな役割を果たしていることをすっかり忘れているのではないかと思います。、

多くの人が、グローバル化とか、英語の能力向上だとか、皮相なことにとらわれすぎ本質を見失っていると思います。今の私達が、世界に通用するイノベーションを実践しようとした場合、まずは、日本文化の伝統を思い返すべきなのではないかと思います。ドラッカー氏が、「武士道とは死ぬことと見つけたり」という考え方を体現していたこと、常にシンプルさを追求していたことの根底には、昔の日本人の価値観や、物の考え方に大きな影響を受けていたという事実に思いを馳せるべきと思います。

皆さんは、どう思われますか?


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2012年9月21日金曜日

ちょっとイイ話! 愛から生まれた世界的ヒット商品の開発秘話−【私の論評】愛は社会を変革する!!

ちょっとイイ話! 愛から生まれた世界的ヒット商品の開発秘話:


世の中にはたったひとりの愛する女性のために作ったもの大ヒット商品となることがあります。

そこにはピュアな愛と思いやりで溢れ、商売根性な計算はありません。
そんな世界的ヒット商品のエピソードをまとめてみました。
■マスカラ
ある薬剤師トーマスが妹メイベルのためにワセリンと石炭粉をブレンドし、世界初のマスカラを開発。目が小さいことが悩みだった妹は、兄が考案したマスカラ... 続きを読む

■著者データ

マイスピ

ウェブサイト: http://www.myspiritual.jp/news/



【私の論評】愛は社会を変革する!!

メイベルへの愛がなければ、メイベリンは生まれなかった?!
上の記事、ちょっとイイ話としていますが、これは「かなり良い」話だと思います。「マスカラ、医療用ゴム手袋、原動機付自転車、バンドエイド」これらの製品が、すべて身の回りの本当に親しい人のために生まれたというのは、全く偶然でありません。これは、どれも起こるべくして起こった、イノベーションだと思います。(本日は、インパクトのあるマスカラ美人の写真とともに、掲載させて頂きます【笑い】!!)

さて、イノベーションとはなんでしょう。ドラッカーは以下のように言っています。
イノベーションは企業家の道具−イノベーションに成功するには3つの心得がある 
「企業家はイノベーションを行う。イノベーションは企業家に特有の道具である。イノベーションは、富を創造する能力を資源に与える。それどころか、イノベーションが資源を創造する」(ドラッカー名著集(5)『イノベーションと企業家精神』) 
 ドラッカーは、イノベーションに成功するには、3つの心得が必要だという。いずれも当たり前のことでありながら、しばしば無視される。 
 第一に、集中しなければならない。複数の異なる分野でイノベーションに成功することはほとんどない。あのトーマス・エジソンさえ、発明を発明したといわれるほど発明の方法論に通暁しながら、電気の分野でしかイノベーションを行なわなかった。 
 イノベーションには、勤勉、持続、献身を必要とする。集中することなくして、これらのものを手にすることはできない。知識は多分野のものを必要とするであろう。だが、目指すものについては、集中がなければならない。 
 第二に、強みを基盤としなければならない。あらゆる人、あらゆる組織に、得意と不得意がある。イノベーションに利用できるのは、得意とする能力である。あらゆる機会を検討し、自らの能力を最も生かしてくれる機会を探す。 
 相性も必要である。狙いとするものの価値を心底信じていなければならない。さもなければ、忍耐を必要とするイノベーションの仕事はできない。 
 ありがたいことに、多くの場合、強みと価値観は一致する。 
 第三に、世の中を大きく変えるものでなければならない。イノベーションとは、あくまでも市場志向たるべきものである。誰かが買って、使ってくれなければ、イノベーションとはならない。イノベーションとは、市場に発し、市場で花開き、市場で実を結ぶべきものである。 
 イノベーションのためのイノベーションは、珍奇なものは生んでも、イノベーションとはならない。 
「企業家として成功する者は、その目的が金であれ、力であれ、あるいは好奇心であれ名声であれ、価値を創造し社会に貢献しようとする。その目指すものは大きい。すでに存在するものの修正や改善では満足しない」(『イノベーションと企業家精神』)
クリックすると拡大します。拡大するとマスカラの凄さがわかります!!
さて、上の記事の、身近な愛する人への贈り物としてのイノベーションは、まさに、この三つを満たしています。第一の集中というこでは、これらを実施した人たちは、まずは、身近な人の嫌がること、大変なことに、集中しています。集中しなければ、これらのことはなし得なかったことでしょう。

第二の強みを基盤とすることでも、これらの偉業を成し遂げた人たちは、すべて自分の強みを基盤としてこれらをなしとげています。メーベリンは、薬剤師という能力を最大限に活かしています。その他の事例もまさにそうです。

第三の、世の中を大きく変えるものということでも、確かに、すべての事例が、大きく変えています。メーベリンも、世の中、社会をずいぶん変えたと思います。無論世の中を大きく変えようと思って、着手したわけではないのですが、どの試みも、自分の身近な愛しい人のために、努力したのですが、結局世の中には、自分の身近な人だけではなく、同じことで悩んでいる人がたくさんいたので、結局社会を大きく変えることにつながっていました。

「ドラッカーは、企業家として成功するものは、価値を創造し社会に貢献しようとする」としています。まさに、これこそが、企業家がイノベーティブになる最短の近道だと思います。ただし、社会とはいっても、広範囲ですから、まずは身近な人に着目するということが、大きな社会貢献につながる可能性が高いです。まずは、身近な人のことに、関心を持たない人は、多くの人たちで構成されている社会にだって関心を持てるはずがありません。

まずは、身近な人に焦点をあてて、その人が困っていること、あるいはもっと便利にしてあれげることなどを考え、さらに、それが、本当に社会に貢献するかまで見通すことによって、はじめて、イノベーションが可能になります。



ドラかーは、さらに同じ『イノベーションと起業家精神で』イノベーションでやってはいいなことを述べています。
イノベーションの三つのタブー 
「企業家たる者は、体系的にイノベーションを行わなければならない」(ドラッカー名著集(5)『イノベーションと企業家精神』) 
 イノベーションは思いつきではない。地道な作業である。 
 しかもドラッカーは、イノベーションに成功するには避けるべきタブーが3つあるという。それはちょうど、イノベーションに成功するための心得を反対側から見た注意事項でもある。 
 第一に、凝り過ぎてはならない。凝り過ぎは失敗の元であり、生産者側の自己満足にすぎない。懲り過ぎた財・サービスに大事な時間とおカネを使う者はいない。博物館で見せてもらえばよい。 
 大きな事業にしたいのであれば、時間もおカネもさほど余裕のない人たちが、気軽に買って気軽に使えるものでなければならない。ドラッカーは、組み立て方や使い方の凝ったイノベーションは、ほとんど例外なく失敗してきたという。 
 第二に、多角化してはならない。これは、イノベーションに成功するには集中しなければならないとの心得と同義である。核のないイノベーションは、雲散してアイディアにとどまり、イノベーションには至らない。 
 イノベーションの成功には大勢の人たちの参画が必要である。共通の核がなければ、参画に必要な理解も不可能となる。 
 第三に、明日のためにイノベーションを行なってはならない。イノベーションはすべて、今日のために行なわなければならない。 
 イノベーションが完成するには日にちを要するかもしれない。しかし、「20年後には大勢の高齢者がこれを必要とする」といえるだけでは十分ではない。「これを必要とする高齢者はすでに大勢いる。20年後にはもっと大勢いる」といえなければならない。
医薬品の開発では、10年を要することが珍しくない。しかし今日、医療上のニーズがない開発に取りかかる製薬会社はない。 
「成功したイノベーションのほとんどが平凡である。単に変化を利用したものにすぎない。したがって、イノベーションの体系とは、具体的、処方的な体系である。すなわちそれは、変化に関わる方法論、企業家的な機会を提供してくれる典型的な変化を体系的に調べるための方法論である」(『イノベーションと企業家精神』)

身近な人たちに対する愛によって、イノベーションを行った人たちも、見事にこのタブーは破っていません。第一の凝り過ぎてということは、ありませんでした。一番最初のメーベリンだって、今のマスカラと基本的には変わりません。もし、凝ってつくっていたら、一部のお金持ちしか使わず、結局珍奇な発明として、博物館入りしていたかもしれません。そうして、他の人が開発した現在あるようなマスカラが、主流になっていたことは間違いありません。

第二の多角化もしていません。すべて自分達の持てる力を最大限に活かして、新しいことに挑戦しています。またったく新しい技術や、考え方を投入して行っていることは一つもありません。

中国の女の子のメイク前と、メイク後、落差が激しいですな!!これも偉大な社会変革?

第三の明日のためのイノベーションも誰も行っていません。メーベリンは、妹の現在のニーズにあっていたものでしたが、将来数多く女性たちが使うことは十分予想することができました。他のイノベーションも同じことがいえました。だからこそ、大成功したのです。

それにしても、身近な愛しい人に着目した人たちがイノベーションに大成功しているということです。以上で、私が最初に掲載した、これらのイノベーションは起こるべくして起こったという意味がお分かりいただけたち思います。このような事上記の記事に経済されているのは、ほんのわずかであり、探せばまだまだあります。

では、私たちは、このような事実からどのような教訓を読み取るべきでしょうか?

私は、企業家のやることは、確かに、社会に貢献することなのですが、結果としてそうなることは良くわかります。しかし、社会というとあまりに広く茫漠としています。社会に対して、感受性が高い人などは、最初から社会に着目して、社会貢献できるのでしょうが、普通の人は、なかなかそういうわけにはいきません。


であれば、まずは、自分の本当大切な人から、その人たちのニーズや困っていること、シーズなどを注目するということからはじめては、いかがでしょうか。そうしつつ、広げていくのです。会社の同僚とか、町内会の人などから始めるのです。であれば、やりやすいし、かなり具体的にイメージできます。こうしたことを日常的に行えるようになれば、いずれ、新聞や、テレビでみたような社会の大きな動きも、さらに、具体的に見えるようになるはずです。

そうして、その根底にあるのは、「愛」です。「愛」という言葉が、重すぎるとか、気恥ずかしいと思う方などは、無理に「愛」という言葉を遣わなくても良いと思います。「思いやり」、「良い意味での関心を持つ」とか、そんな言い方でもかまわないと思います。

そうして、それが、本当に当人たちにとってイノベーションになるようなことが発見できたとすれば、それが、本当に社会に大きく影響を与えて、社会貢献になるかどうかを考えて、市場に投入することを決めればよいのです。

私は、そう思います。皆さんは、どうお考えになりますか?

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