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2019年9月10日火曜日

「韓国人観光客激減」は長い目で見れば、日本のためになる理由 ―【私の論評】日本の観光地がすべきは、情報発信の前に環境整備(゚д゚)!

「韓国人観光客激減」は長い目で見れば、日本のためになる理由 

[窪田順生ITmedia]

日韓の政治バトルによる「嫌日」の高まりから、韓国人観光客が激減している。

 観光庁が8月21日に発表した2019年1~7月の韓国からの訪日客は、昨年同期より約20万人減少。また、韓国最大手の旅行会社「ハナツアー」が9月2日に発表したデータによると、8月の日本旅行の販売数はなんと前年同月比で約8割も減ったという。これを受け、一部の観光地や観光業から「早く仲直りしてくれないと廃業だ!」なんて悲鳴が上がっている。

 ただ、気休めを言うわけではないが、韓国人観光客が減るのは悪いことばかりではない。というよりも、長い目で見れば、「日本のため」になる可能性が高いのだ。

 なんてことを言うと、昨今の風潮的に「嫌韓の差別主義者がいたぞ!」と石を投げられそうだが、反日なのでけしからんとか、徴用工問題で約束を破ったようなイデオロギー的な観点で申し上げているわけではない。日本が観光大国になるにはどうすればいいかを考えると、おのずとそのような結論になってしまうのである。

韓国文在寅大統領

 もし仮に、日本政府がご機嫌取りをして韓国人観光客の数が持ち直しても、両国間の歴史問題や過去の反日キャンペーンを踏まえれば、今後も同じようなことが繰り返されるのは目に見えている。そのたびに韓国人観光客が減った増えたと大騒ぎをするようでは、観光大国など夢のまた夢である。では、どうすればいいかというと、韓国以外の国からの観光客の比率をもっと引き上げていくのだ。そうすれば、一つの国との関係に振り回されることなく、観光業が安定的に成長ができる。

 もちろん、韓国人観光客など来なくていいなどと言っているわけではない。これまで通り日本に来てもらうのは当然としても、度のすぎた「韓国依存」はやめていく。そのように訪日観光客のバランスを健全なものへと変えていくということでは、今回の「韓国人観光客激減」はその格好の機会だと申し上げているのだ。

観光地の多様性が失われている

 と聞くと、「日本の観光はそんなに韓国に依存していない」とムキになる人も多いかもしれないが、事実として韓国人観光客がいないと商売上がったりというエリアがある。九州だ。

 「福岡県観光の現状と課題」(2018年7月13日)によれば、平成29年度に福岡を訪れた外国人観光客の中で、韓国人観光客は52%と過半数を占めており、中国人観光客は6%、欧米豪からの観光客は2%しかいない。日本全体で同時期の韓国人観光客は25%、中国人観光客が19%、欧米豪も13%という割合を考えると、異常ともいうべき「韓国一本足打法」になってしまっているのだ。

 「もともと九州と韓国は歴史的にもつながりが深いのだからそうなるのもしょうがない」というお叱りが飛んできそうだが、韓国人観光客がたくさん来ることが悪いと言っているわけではない。"韓国人観光客しか来ていない"ことが問題だと申し上げているのだ。その理由は以下の3つである。

(1)観光地としての多様性が失われる

(2)観光収入が減っていく

(3)観光と政治が混同される

 まず(1)から説明しよう。韓国人観光客ばかりが押し寄せる観光地では当然、韓国人が喜びそうな観光資源、韓国人が好むサービスから優先的に整備されていく。その代表が、長崎県対馬市だ。

 ご存じのようにかの地は、釜山からフェリーで1時間強ほどというロケーションから、韓国人からは「日帰りできる海外」として人気を博しているのだが、島内に点在する元寇の遺跡などはお世辞にも整備されているとは言い難い。対馬を訪れる韓国人の多くは、登山や釣りなどのアクティビティのほか、韓国資本のショッピングセンターなどで免税ショッピングを楽しむことが定番コースだからだ。

 つまり、韓国人観光客というマジョリティーに合わせた開発が行われるあまり、対馬という観光地の多様性が失われてしまっているのだ。

近さがゆえ「日帰り」が多い

 この「多様性」というものが、観光戦略において最も大切であることは、「観光大国」を見れば明らかだ。世界中から観光客が訪れるフランスやスペイン、タイなども隣国からの観光客が多いが、どこかの一国が半分を占めるなんてことはなく、幅広い国から満遍(まんべん)なく訪れている。このような観光客の多様性が、観光資源やサービスの多様性につながっているのだ。

 例えば、フランスも隣国ドイツから多くの人が訪れているが、それでも割合としては15%程度でイギリス、スイス、アメリカ、中国など多種多様な国から観光客が来る。だから、14カ国の観光客の特徴を捉えた「国別対応マニュアル」なんてのがつくられ、ホテルやレストラン、タクシー運転手にも配布されているのだ。このように「客の多様性」があるので、幅広い層に満足してもらえるように観光資源も広く整備される。宿泊施設、サービス、楽しみ方にも「厚み」が生まれる。それは裏を返せば、「韓国人観光客が来ないともうおしまいだ!」なんて騒いでいるうちは、観光大国にはなれないということだ。

日韓関係が悪化する中、先月、対馬市を訪れた韓国人観光客が前の年から8割減った
次に、(2)「観光収入が減っていく」についてだが、実は韓国人観光客だけが増えても、観光収入的にはそれほどおいしくない。韓国人がケチだとかではなく、あまりの近さがゆえ「日帰り」が多いからだ。
 例えば、長崎県の「長崎県特定有人国境離島地域の地域社会の維持に関する計画」(平成30年4月)の中には「韓国人観光客は、宿泊を伴わない日帰り客も多く、一人当たりの観光消費額の拡大に結びついていない」とある。また、福岡県も、17年の訪日外国人の1人1回当たりの消費額は15万3921円だが、福岡県を訪れた外国人の消費額は9万7384円とガクンと落ちているというデータを引っ張りだして、「韓国、クルーズ船客に偏り、滞在日数が短いことに起因すると考えられる」と分析している。

 世界的にも、国際観光客は遠方からの旅行のほうが宿泊費や体験などにより多く出費する傾向があり、フェリーですぐに来れて、国内観光のノリで遊びに来れる日本であまりカネを落とさないのは当然のことなのだ。

 そこに加えて、韓国人観光客が増えれば増えるほど、日本の観光業へ落とすカネが減少していくという皮肉な現象も報告されている。増加する韓国人観光客をターゲットとして、韓国資本のホテルや飲食店が続々と日本に上陸しているからだ。観光客も気軽に来れることは、韓国資本の観光業も気軽に日本に参入できるということなのだ。

多種多様な国からの観光客を迎え入れる

 このあたりは、韓国人観光客をターゲットとして、韓国資本のリゾートホテルや別荘、飲食店、ショッピングセンターなどがいち早く参入した対馬市を見れば分かりやすいだろう。「韓国人観光消費額は平成19年に33,058万円の消費に対して平成24年22,084 円と約33%の減少を示している」(対馬市観光振興推進計画 平成29年3月)というのだ。

 つまり、隣国からじゃんじゃん観光客を呼ぶのは、昔から交流もあるのでハードルが低いというメリットがある一方で、隣国の観光業者の参入ハードルも低いので、彼らに観光客のサイフをガッツリともっていかれやすいというデメリットもあるのだ。

 最後の(3)「観光と政治が混同される」について、説明はいらないだろう。韓国人観光客への依存度が強い九州では、観光ビジネスとは日韓関係であり、すなわち政治だ。だから、九州選出の国会議員は地元対策として、政府に「韓国と仲良くすべきだ」と訴えるし、韓国の政治家も「日本旅行をボイコットせよ」なんて外交カードにする。

 本来、観光というのは民間交流であって、政治などとは切り離されるべきものであることは言うまでもないが、こんな不毛なやりとりを日本はもう何年も続けている。そして、現在のような「韓国依存」が続く限り、この「日韓関係によって乱高下する不安定な観光業」も永遠に続いていくということなのだ。

 では、どうすればいいのかというと、先ほども申し上げたように、多種多様な国からの観光客を迎え入れることで、反日デモのような影響を薄めていくのだ。

 「現実問題として九州は韓国人観光客が圧倒的に多いのだから、そんなのは机上の空論だ」とすぐに諦めてしまう方も多いが、佐賀県などは、タイ人観光客をターゲットにして「ロケツーリズム」に取り組んで、3年間でタイ人宿泊観光客数を約15倍に増やしたという実績がある。

ピンチをチャンスに

 九州エリアは、韓国以外のアジア圏、欧米豪からの観光客はまだまだ圧倒的に少ない。それは裏を返せば、それだけ多くの「伸び代」があるということなのだ。

 これは日本人の悪いところかもしれないが、改革だとか挑戦だとかは尻に火がついてからようやく重い腰を上げるところがある。だから、韓国人観光客が大挙として押し寄せている九州では佐賀のような取り組みに本腰を入れない。韓国人観光客相手だけでそれなりに食えてしまっているからだ。

 「韓国人観光客激減」を受けて、「韓国人観光客を呼び戻せ!」ではいつまでたっても九州のインバウンドは成長しない。そのようなポジションに甘んじていれば、気がつけば、韓国資本の観光業者が韓国のツアー客をさばき、日本側は観光資源とロケーションだけ提供する「観光植民地」になってしまう恐れもある。

 九州の自治体、観光業の皆さんはピンチをチャンスにではないが、「韓国人観光客激減」をなげいているだけではなく、「さらに成長する好機」と捉えてみてはいかがだろうか。

【私の論評】日本の観光地がすべきは、情報発信の前に環境整備(゚д゚)!

私自身は、北海道生まれで、札幌、函館、旭川と北海道の主要都市には、住んだことがあり、無論東京、仙台などにも住んだことがあります。考えてみると、いずれもいわゆる観光地であり、その点から以前から観光地について考える機会が他の人よりは多かったかもしれません。

そうして、全国チェーンの会社にいたこともあって、全国各地に出張などで行く機会も多かったです。その中には無論観光地といわれる場所もありました。というより、ほとんどが観光産業もある市町村でした。

その私が観光地に関して、以前から考えていたのは、外国人観光客を増やすという以前に、まずは国内の観光客を増やすべきだし、一度行った観光地に何度でもいきたくなるようにすべきだということです。それを実現することなく、単に外国人観光客を増やしても、長続きはしないということです。

政府は、2020年の8兆円に続いて、2030年には15兆円を観光収入の目標として掲げていますが、今のままではこの目標の達成も厳しいことが予想されます。

では、どうすれば2030年の15兆円の目標を達成する可能性が高くなるのでしょうか。今回はこの点について考えていきたいと思います。

2020年の8兆円の観光収入目標の達成が難しいのは、いろいろな問題が原因として入り組んでいるからです。

日本の観光業は、伝統的に生産性の低い業界でした。なぜ観光業の生産性が低かったのか、その原因にはさまざまな歴史的な背景があるのですが、中でも、人口激増がもたらした歪みが大きいように思います。

少し単純化しすぎかもしれませんが、人口が増加していた時代の日本の旅行の主流は、社員旅行や修学旅行など、いわゆる団体旅行でした。つまり、都市部から大量の人間を地方に送り届けるという行為が、日本の観光業界の主要な仕事だったのです。マス戦略です。

マス戦略なので、旅行先の地方でお客さん一人ひとりが落とす金額は少なかったのですが、やってくる人間の数が多いので、ある程度まとまったお金が地方にも落ちるようなシステムができていました。

当時の交通機関や旅行会社は、送り届ける人間の数を盾に、地方の受け入れ先の料金を下げさせました。その結果として、主に旅行会社や交通機関が儲かる仕組みが出来上がっていたのです。これはこれで、人口増加時代ならではの、賢い儲け方だったと言えると思います。

人口が増えていた時代の旅行のほとんどは国内旅行でした。そのため、滞在日数も短く、ゴールデンウィークや夏休みなどの特定の期間にお客さんが集中する一方、それ以外の季節はあまり人が集まらず、閑散期の長い非効率な業界でもありました。

一方、繁忙期には黙っていてもお客さんが集まります。この2つの要因によって、当時は個々の観光資源に付加価値をつけるというインセンティブが働かず、観光地としての整備レベルが相対的に低いまま放置されていました。当然、お客さんの満足度も決して高くはなかったはずですが、それすら「当たり前のこと」として見逃されていました。

要するに、単価が低くても、数の原理で売り上げを増やせばいいというビジネスモデルだったと言えます。厳しい言い方をすれば「安易な稼ぎ方」でした。

昔の修学旅行

単価が低いから満足度も低くていいというのは、人口が増えているときには通用するロジックだったかもしれませんが、人口が減り始めた今、そんなことは言っていられません。

実際、1990年台に入ってから若い人が増加しなくなった途端、日本各地の観光地では観光客がどんどん減っていきました。しかし、そもそも利益水準ギリギリで運営していたので、時代に合わせてビジネスモデルを変更するための設備投資をする余裕もありません。

ビジネスモデルを時代に合わせられないのですから、必然的に衰退の一途をたどるというのが、日本国内の多くの観光地が陥った悪循環です。時代の変化によって、ビジネスモデルが崩壊してしまったのです。この状態は、まさに、生産性の低い業界や会社が陥る典型的な「負のスパイラル」です。

私は、観光地としては筆頭にあげられるの函館や札幌等に長い間住んでいたこともあり、その他にも出張で、いわゆる観光地とわれるとこにも、頻繁に行ったことがありますので、先ほど説明したような疲弊のプロセスを、嫌というほど目にしてきました。ですので、自信を持って言えますが、このような悪循環に陥ってしまったのは、一部の観光地に限った話ではないのです。

明日の日本を支える観光ビジョン構想会議を終え、報道陣に説明する石井啓一国交相(2016年3月)

国内を中心とした、「整備より、とりあえず多くの人に来てもらえばいい」というモデルからすると、当然、「観光施策=情報発信」が観光戦略の基本となります。なぜ観光収入8兆円の達成が難しいのか、その理由の根っこには、いまだに日本に根付いている、この「観光施策=情報発信」という昭和時代のマインドがあります。

事実、多くの観光地では現在、外国に対して「とりあえず情報発信すればいい」という観光施策を実施しています。

誰も見ていないホームページの開設や観光動画の掲載、誰もフォローしていないFacebookでの情報発信、ゆるキャラやキャッチコピーを使ったブランディング、交通機関頼みのデスティネーションキャンペーンなど、昭和時代のマインドのまま展開されている情報発信の事例は枚挙にいとまがありません。

ちなみに、世界遺産、日本遺産、国宝、重要文化財に登録されるなど、お墨付きさえもらえれば人が来ると期待するのも、同様に昭和時代のマインドです。

以前、観光関係の行政に関わったこともありますが、あまり有効な活動をしているとはとても思えませんでした。

何をしているかというと、とんでもないお金をかけて作った動画や集客につながらないことがほぼ確実なSNS、誰も見ないホームページ、NHKで紹介されたことなどを誇っていました。

本当にお粗末です。日本遺産のホームページを検索してもらえばわかりますが、情報はほとんどなく、写真が数枚、説明が数行だけというところも少なくありません。Wikipediaのほうがよっぽど充実しています。

残念ながら、日本遺産に認定されても、その観光地は認定される前と何も変わっていないことが多いのです。ただ単に、極めて高価な動画と、まったく意味のないホームページ、シンポジウムなどが無駄に作られただけです。情報発信を得意とする広告代理店などが儲けただけなのです。

その延長線で、「とりあえず情報発信をしておけば、観光客が見てくれて、たくさんの人が来る」という妄想を、観光業に携わっている多くの人が抱いているように思わざるをえません。

とくに、自分たちで外国への情報発信を開始したタイミングが、たまたま日本政府が国をあげて訪日観光客の誘致に力を入れ始めた時期と重なり、実際に外国人の訪日客が増えたため、来訪客が増えた理由が自分たちの情報発信によるものだと勘違いしてしまったところが多いようです。しかし、この認識は正しくありません。

言わずもがなですが、なんでもかんでも情報発信さえすればいいというものではありません。

例えば、ホームページを作ったものの、英語のページは自動翻訳の結果をそのまま使っているのか、何が書いてあるのか意味不明で、何の役にも立たないといったケースを目にすることが多々あります。

これでは、文字自体はアルファベットで外国人の目にも違和感なく映るかもしれませんが、ただ単に文字を並べただけなので、漢字の読めない外国人が形だけを見て並べた何の意味もなさない文章と変わりません。こういう意味不明、かつ無意味なものにも、それなりの費用が投下され、大金が浪費されているのを見るにつけ、いつももったいないなぁと思います。

ほかにも残念な情報発信の例はたくさんあります。すばらしい出来の動画が掲載されているのですが、撮影された場所が立ち入り禁止だったり、一般の人には未公開だったり、行こうにも交通機関がまるでなかったり、泊まる場所もまったくない場所だったり、夕方5時になると真っ暗になる街中だったりです。

こんなものを見せられても、観光客が持続的に集まるわけがありません。これは、地元の魅力に酔いしれ、どうしても魅力的に見せたいという自分たちの願望が優先され、相手の観光客のことを考えていないことの表れです。

ほかにも、ピント外れな情報発信をしている例は少なくありません。例えば、「サムライの精神性に触れられる街」と盛んに宣伝している地域なのに、武家屋敷もなければ、道場も公開されていない。

何かの体験ができるようになっているわけでもなければ、博物館などサムライの文化を説明する施設もない。お城はあるにはあるものの、鉄筋コンクリートで中はほとんど空っぽの状態で、楽しめるものは何もない。

要するに、この地域における「サムライ文化」は、その地域の過去の特徴で、その地方の誇りですが、もはや現在では「架空の世界」なのです。お話にすぎません。

このような状態では、「日本の魅力の1つであるサムライ文化に触れられる」と期待して、有給休暇をとったうえ、高いお金を払ってやってきた国内外からのお客さんを困惑させるだけです。

歴史的な事実があっても、それを実感できるものが何も整備されていないようでは、外国人観光客を満足させることはできません。日本人であれば「何々の跡」という石碑をありがたがって足を運ぶ人もいるかもしれませんが、時間もお金も日本人の何倍、何十倍もかけてやってくる多くの外国人にとっては、石碑はただの石でしかなく、それほど魅力のあるものではありません。

日本で観光業に携わっている人に対して、声を大にして言いたい。重要なのは、まず観光地としての十分な整備をし、インフラを整えることです。情報発信はその後で十分です。

せっかく来てくれた観光客も、満足しなければお金を使ってくれません

ちょっと考えれば、私の言っていることが常識なのはすぐわかると思います。要は、情報発信をする前に、商品開発をきちんとやろうと言っているだけだからです。

まだ売る車が出来てもいないのに、車を作る技術、その車の名前、イメージを自慢する動画を作って発信したところで、ビジネスにはなりません。

多くの観光地は、これと同じことをやっているのです。道路表記はない、文化財の説明も多言語化していない、二次交通もなければ、十分な宿泊施設もない。各観光資源の連携もできていないのに、情報発信だけはしている。こんな観光地が日本中にあふれかえっています。

多少はマシなところでも、パッチワークのように部分的にしか整備ができていないのが現実です。車の例で言うと、エンジンの一部と、車体の一部しか出来ていないのに売ろうとしているのと同じです。観光地の場合、総合的な整備がされていないところが実に多いのです。それなのに情報発信にばかり熱心なのは、やはり順序が違うと思わざるをえません。

とくに、今はネットの普及によって、観光資源の魅力があれば勝手にネットなどの口コミで、従来では考えられないほど広がってくれるので、昔のように観光地が情報発信する必要性が薄れています。私は、観光地側の情報発信の必要性は、どちらかというと昔よりは今のほうが減っていると思うくらいです。

魅力的であれば、お客が代わりに発信してくれる。逆に魅力が足りない場合、どんなに観光地が発信しても、観光客が持続的に来ることはないのです。そのことを理解するべきです。

先走って情報発信を始める前に、訪れた観光客に満足してもらうには、まずは地域の可能性を探り、どういった観光資源をいかに整備し、どういう観光地開発をするかを決めるのが先決です。

やるべきことはたくさんあります。泊まる場所の確保、文化財ならば多言語対応、自然体験コースづくり、カフェや夜のバーなど飲食店の整備、それに交通手段の確保、各観光資源の連携。わかりやすい道路表記や、お昼のレストラン、文化体験、案内所などなど、整備しなくてはいけないことは山ほどあります。まずは、情報発信の前にこれらを完璧にすべきなのです。

個別の整備もぬかりないようにして、日本人の観光客が一度ならず、何度でも来たくなるような環境を整えて、はじめて外国人のお客様も迎えることができるのです。

しかし、日本人のお客さまを迎える体制ができたとし、本気で外国人のお客様を迎え入れたいなら無論外国人のお客様も迎えられるように整備をしなければなりません。

例えば、多言語対応は完璧を期すべきです。英語であれば、英語圏のネイテイブが書かなくてはいけません。それも、日本のことを熟知しているネイティブでなけばなりません。日本語を英語に「翻訳する」だけでは、訪日客を満足させることはできません。

ほとんどの外国人は日本の歴史や文化に関する基礎知識が乏しいので、それもわかりやすく、面白く説明する必要があります。日本について学ぶことは、彼らにとって日本に来る重要な楽しみの1つなので、丁寧にやらなくてはいけません。

このように細心の注意をもって外国人に対応すべきだと私が言うと、必ず「そんなこと、できている国がどこかにあるのか」と批判めいたことを言う人が現れます。しかし、どこかの国ができているか否かは、日本でやるべきかどうかという議論とはなんの関係もありません。

ほかの国以下に甘んじることは論外ですが、ほかの国がやっていないのであれば、諸外国を凌駕するレベルの外国人対応の準備を日本がやって、世界にお手本を示してやればいいのです。

情報発信はこういう整備をやりながら、もしくは終わってから、初めてやるべきでなのです。私が、2020年の観光収入8兆円の達成が難しいのではないかと考える根拠は、日本では日本人の観光客にですら、十分にお金を落としてもらえるだけの整備ができていないからなのからです。このような状況では、外国人観光客にお金を落としてもらえるのも難しいです。

「郷に入れば、郷に従え」「観光客なんだから、あるがままの観光資源で満足しろ」という上から目線の反論が聞こえてきそうですが、この考え方は間違いであり、愚かだと断言しておきます。

観光戦略は、地方がお金を稼ぐため、要は地方創生のために実行されています。今のままでは、観光客が落としてくれるはずのお金を、落としてくれはしません。そのための準備が整っていないために、みすみす取り逃しているのです。つまり、日本の地方には機会損失が発生しているのです。観光戦略の本質的な目的に反していることになります。

観光客の満足は、地方の利益に直結していることを、観光業に携わる人にはぜひ肝に銘じてほしいと思います。せっかく来てもらった観光客に十分なお金を落としてもらわないと、観光戦略の意味がないのです。

たいした金額を落とさない観光客がたくさん来ても、それは単なる観光公害でしかありません。外国人だろうが、日本人だろうが、満足できる観光地にしなければならないのです。今までの誘致人数主義を1日も早くやめて、稼ぐ戦略を実行するべきです。稼ぐ戦略に必要なのは間違いなく、整備型の戦略です。情報発信ではありません。

ただし、整備ができたら、今度はきめ細かい情報の発信が重要になってきます。単に、ホームページを作成するような紋切り型であってはならないと思います。

一度訪れた観光地でも、何もしなければそれこそ人々の記憶から消え去っていきます。いくら「良い想い出」になっても、年月が経てばその感動も薄れていくでしょう。

そうならないために、観光地側は工夫が必要です。

このため、訪れた観光客に御礼をフォローメールで送ったり、適切なタイミングを見計らって再来店を促すこと有効です。地元の情報を何らかの手段(例えばメルマガ)で送る、といった活動を展開することも検討できます。

メール文面等も一括ではなく、ある程度顧客に沿ってアレンジするなどの工夫をこらすことも必要です。顧客がチェックしやすいようにWebサイト更新したり、リニューアルすることも必要です。

さらに、こうした情報発信も、さらに環境整備をしたり、新たなイベントを企画したりで、情報発信をするべきです。素晴らしい観光資源に恵まれた地域であっても、いつまでも観光資源の内容をそのまま発信するだけでは、いずれ人々の記憶から消え去ります。

いかに素晴らしい観光資源があっても、その資源だけを売り物にしていたのでは、いずれ飽きられてしまい、「前いったからもう良い」「もう行ったから、別のところに行きたい」ということになってしまいます。

新規の観光客を増やすためにも、リピーターの観光客を増やすためにも、新たな環境整備、イベントの企画などは欠かせないです。

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