高橋洋一:嘉悦大学教授
「長期停滞」脱却に
財政赤字拡大を主張
日本は悪性の『長期停滞』、つまり民間需要の不足に直面している。完全雇用を維持するには、金融政策は可能なことをすべて行った今、財政政策の役割が求められている――。
国際通貨基金(IMF)の元チーフエコノミスト、オリビエ・ブランシャール氏が、公債発行額とその元利払いの公債費を除いた財政の基礎的収支(プライマリーバランス)の赤字を維持し、さらに拡大すべきだというツイートを日本語で行ったことが話題になっている。
日本では相変わらずの「財政再建至上主義」の財務省や、財政健全化を唱える学者も多い。ブランジャール氏の一連のツイートでの主張との違いはどうして起きているのか。
ツイートのもとになっているのは、ブランシャール氏と田代毅氏が、二人が席を置くピーターソン国際経済研究所で5月に出したペーパーだ。それは日本語でも読める。
田代氏については、筆者は面識がないが経産官僚のようだ。そのペーパーでは、結論にこう書かれている。
「現在の日本の環境では、プライマリーバランス赤字を継続し、おそらくはプライマリーバランス赤字を拡大し、国債の増加を受け入れることが求められています」
「プライマリーバランス赤字は、需要と産出を支え、金融政策への負担を和らげ、将来の経済成長を促進するものです。 要するに、プライマリーバランス赤字によるコストは小さく、高水準の国債によるリスクは低いのです」との結論が書かれている。
ペーパーは、政府と中央銀行(日銀)の負債・資産を一体で見る「統合政府」論による分析がされており、「(政府の債務は)総債務ではなく純債務が正しい概念です(少なくとも良い概念です)」という前提だ。
こうした考え方による主張は、財政省が、狭義の政府で見た総債務の分析から導き出す情緒的な結論よりは、筆者にとっては信頼できる。
その内容も、筆者が本コラムなどでかねて主張しているおおよその方向性と同じだ。財政政策と金融政策の一体運用に基づいて、まだ財政政策の余地があるという主張に異論はない。
インフレ目標は
財政規律維持の枠組み
つまり、今の日本は、「2%インフレ目標」に達していないという現実から考えても、金融政策で物価を上げる余地がまだあるとともに、財政政策で需要を喚起する余地がある。
財政赤字拡大を問題視する論者がいるが、「統合政府」で見れば、政府が発行した国債を中央銀行が購入するのは、統合政府の負債としての国債と、日銀の供給するマネタリーベースの交換にしかならない。
ここで、マネタリーベースは基本的には無利息無償還である。
この場合、国債発行がやり過ぎかどうかはインフレ率に出てくる。
つまり、インフレ率がインフレ目標を上回ることになれば、財政赤字は過大ということになる。インフレ目標は、財政規律を維持するものとしても意味があり、財政規律維持の枠組みになり得るのだ。
日本では、こうした政府と中央銀行の連携を「財政ファイナンス」として禁じ手のように言う論者がいるが、インフレ目標の範囲であれば実体経済に弊害はなく、日銀の国債購入を否定する理由はない。
また、現状の日本経済を考えると、プライマリー赤字を過度に恐れる必要はなく、それによる成長を目指したほうが、結果としての経済やその一部である財政にとっても好影響になると思う。
財政健全化は
成長の後からついてくる
こうしてみると、財務省がマスコミや一般国民に垂れ流している考え方は、財政再建至上主義といえることがわかる。
財政が経済を動かすという世界観で、プライマリーバランスの均衡化が最優先になる。
一方、ブランシャール氏らの考え方の背景にあるのは、財政は経済の一部であり、マクロ経済学の基本通りに政策運営をすれば、経済成長で税収も増え財政(健全化)はおのずと後からついてくるという経済主義だ。
この考え方では、日本経済には一時的なプライマリーバランス赤字は問題でなく、経済再建のほうが優先される。
日本での議論を見ていくと、日本では財政再建至上主義の裏側に、「財政破綻論」が根強いのに気がつく。
筆者が考えるその一例は、東大金融教育センター内にある、すごい名称の研究会である。その名前は、“「財政破綻後の日本経済の姿」に関する研究会”だ。
代表は、井堀利宏(東京大学大学院経済学研究科教授)、貝塚啓明(東京大学名誉教授)、三輪芳朗(大阪学院大学教授)という日本の経済学会を代表する学者らだ。
井堀利宏氏 |
活動内容はホームページに記載されており、2012年6月22日が第1回会合で、2014年10月3日まで22回も開催されていた。
ホームページには、研究会発足にあたり、「われわれは日本の財政破綻は『想定外の事態』ではないと考える。参加メンバーには、破綻は遠い将来のことではないと考える者も少なくない」と書かれている。
第1回会合では、三輪氏が「もはや『このままでは日本の財政は破綻する』などと言っている悠長な状況ではない?」という論点整理メモを出して、勇ましい議論をしている。
要するに、財政破綻は当然起こるので、破綻後のことを考えようというわけだ。
はじめのうちは、財務省、日銀らの実務家を呼んで議論をしていたようだが、その後、安倍政権が誕生し、アベノミクスに研究会の関心も移った。
2013年4月12日の第11回では、インフレ激化、財政破綻が顕在化する問題が指摘され、アベノミクスにかなり懐疑的な様子だ。ところが、長期金利は一向に上がらず、歴史やテクニカルな金融分析を行うようになる。
2014年8月27日の第21回会合では、〈8月末時点の長期債の最終利回りは0.5%を下回っている。ある意味、不可解な現象である。われわれは過去2年間「現状の日本でなぜ国債価格の大幅下落、急激なインフレを伴う「財政破綻」は現実化しない、その予兆も見えないのはなぜか…?」という問題意識を抱き、研究会を続けてきた〉と、もどかしさを隠しきれない様子だ。
彼らの本音は、自分たちは正しいのに、世間の現実が間違っているということだろう。
こうした研究がおかしいとは思わない。学者というのはどこか浮世離れしているもので、そこに存在意義があるともいえるからだ。
曖昧な政府債務の定義「財政破綻本」の警鐘当たらず
ただし、この研究会の危機感は、債務残高対GDP比が発散すると考えているようだ。
日本の数字をいえば、「借金1000兆円でGDP500兆円の200%」というのが財務省の常套句だが、いつも疑問に思うのは、どうして資産を引いてネットで考えないのだろうか、ということだ。
政府単体だけでも資産を相殺したネットで考えれば、対GDP比100%にはならない。ちなみにネットでアメリカと比較すれば、日本のほうが低い。
政府単体ではなく、政府子会社(日銀は政府子会社である)も含めた連結ベースで見たらどうか。
ブランシャール氏のように「統合政府」というのでもいい。
その上でネットで見ると、債務は0%に近い。こうなると、先進国の中でトップクラスの出来である。
研究会で勉強をするのは結構なことだが、そもそも議論のスタートである「財政破綻があるはず」という認識がかなり怪しかったのだろう。
結局、研究会自体も今から4年半前の2014年10月3日の22回で終わり、現在は休止になっているようだ。
こうした議論の根本的な問題は、日本の財政状況をしっかりと数量的に把握していなかったことだ。
財政破綻というのは、債務残高対GDP比率が発散するということだとは認識していたと思うが、この場合の債務残高について、グロスなのか、ネットなのかさえ明確でない。
筆者にはなんとなくグロスと思い込んでいるように思える。
参加している経済学者は、会計的な知識が乏しく、国のバランスシートさえ頭に浮かばなかったようだ。
経済学者によるいわゆる「財政破綻本」もかなり出ている。
例えば『2020年、日本が破綻する日』(2010年8月)、『日本経済「余命3年」』(2010年11月)、『金融緩和で日本は破綻する』(2013年2月)などなどだ。
しかしこれらの本が“警鐘”を鳴らした「財政破綻」は現実に起こらなかった。財政破綻は面白い材料なのか、これらの本以外にも、それに類する本は少なくない。
ある国会議員は、財政破綻の問題を国会質疑で20年近くも主張しており、筆者が、予言は当たっていないと指摘すると、当たっていないことは認めるが、言わざるを得ないと言っていた。
実現したら困るので、根拠なしでも言う必要があるというものだ。この意味では、ノストラダムスの予言と大差ない。
一方で、財務省はこうした「財政破綻本」は増税の根拠にできるので、放置している。むしろ、財政破綻論を書きたい著者には財政資料をレクチャーするなどして後押しすることもある。
『絶対に受けたい授業「国家財政破綻」』(2010年6月)は興味深い本だ。財政破綻論が書かれている。
その本の筆者は、私にも見解を求めてきて、まず財政は破綻しないという私の意見も掲載されている希有な本だ。
破綻のリスク試算
「5年以内では確率1%未満」
筆者が日本財政はまず破綻しない、と言ってきたのには理由がある。
各国国債の信用度は、それらの関わる「保険料」(CDSレート、債券などの債務不履行のリスクを対象にした金融派生商品の取引レート)から算出される。
危ない国債に対する「保険料」は高くなるはずだからだ。
しかも、この「保険料」がもっともらしいのは、それがネット債務比率対GDPと、かなり(逆)相関の関係を持つことだ(下図)。
これは、ファイナンス理論と整合的な結果である。
これをもとに考えれば、筆者の試算では、今後5年間以内における日本の財政破綻の確率は1%未満だ。
日本の財政破綻について言及する人について不思議に思うのは、財政破綻のリスクがあるという言い方をしている人が多いことだ。
「財政破綻本」の中には、財政破綻までの期間を明示したものもなくはないが、リスクという表現は、もともと確率を表現できるものをいう。
それにもかかわらず、ほとんどの財政破綻論者は確率表現を用いることができず、感覚的に使っている。
天気予報の降水確率でも、「今日の降水確率○%」という言い方をし、地震でも「今後○年間以内に発生確率は○%」と言うのに、なぜか、財政破綻のリスクについては“雰囲気”でしか論じない。
その割に、財政破綻がいかにもすぐに起こり得るかのようにいって、緊縮財政を目論むのが財務省であり、それをうのみにしているのがマスコミである。
確率表現できないのに、財政破綻リスクを言うのは、筆者には考えられないことだ。
今の財政破綻に関する議論の状況を例えれば、降水確率0%なのに、万が一天候が急変するかもしれないので、外出を控えましょうと言っているようなものだ。
(嘉悦大学教授 高橋洋一)
【私の論評】確率論でなくても、日本国を家族にたとえれば、財政破綻するはずがないことがわかるが・・・(゚д゚)!
日本政府が財政破綻しないことは、確率論でなくても説明はできます。本日はそのような説明をします。
政府の財政を家計にたとえて、「給料等の収入が631万円しかないのに975万円も使っていて、不足分の344万円は銀行から借りているような家計は、早晩破産するでしょう」と言う人がいますが、これは大変ミスリーディングなたとえです。全くの誤りです。
財政を家計のように捉えるのは全くの間違い |
これは、政府の財政とは全く状況が異なります。実際の経済では、政府が歳出を削減すれば、民間部門の収入が減ります。それにより、国民が貧しくなり、失業が増えたり、政府の税収が減ったり失業対策で歳出が膨らんだりするわけです。
政府にとっては、国民は赤の他人ではありません。国民が失業しようと貧しくなろうと、自分の財布が潤えば良い、というものではありません。そこを無視した議論は、現実的ではありません。
一方、日本国を4人家族(構成員はサラリーマンである夫、専業主婦である妻、夫の親、夫婦間の子)とすれば、上手に説明ができます。日本政府を夫、民間部門を親と妻と子にたとえるわけです。
日本国を四人家族にたとえると・・・・・ |
日本政府の一般会計予算の歳出(平成31年度)を見ると、社会保障が34兆587億円、国債費が223兆5082億円、地方交付税交付金等が15兆9850億円、となっています。
社会保障は主に高齢者への給付ですから、家計で言えば夫から親への小遣いに相当します。地方交付税交付金は、収入の多い人から少ない人への移転ですから、家計で言えば夫から妻と子への小遣いに相当します。国債費は、過去の借金の元利払いです。夫は親や妻や子から借金をしているので、その分の元利払いが必要なのです。公共投資等々は、電気ガス水道代、妻への家事担当の対価(後述)、等々に相当しますが、金額的には妻に支払う家事労働の対価が主です。
親は多額の預貯金を持っていますが、生活費を負担する気はありません。夫が給料の範囲で暮らせないことは知っていますが、不足分を親が貸すことはあっても、負担はお断り、というわけです。小遣いも、多額に要求します。「嫁が家事を担当していることで、それに対する対価を要求される。その分は預貯金を取り崩すのは嫌だから、その分くらいは小遣いをよこせ」というわけです。
妻は、家事労働の対価を要求します。それが相当高いので、夫の公共投資等々の支出の多くは、妻の手に渡ります。親や子からも、家事を担当していることの対価をもらうので、ますます妻は潤います。一方で妻は倹約家なので、収入はあってもあまり消費はせず、残りを夫に貸し出します。夫が借りない分は、銀行に貯金します。
子は、小遣いをもらいますが、倹約家なので、あまり使いません。妻に家事の対価を支払い、残りは夫に貸すか、銀行に貯金します。
夫は、稼いだ給料以上に金を使っているので、赤字です。その分は親や妻や子から借りています。借金の残高は膨大で、元利払い額も巨額です。
妻は、家事一切を担当し、夫や親や子から対価を得ていますが、電気ガス水道は全額夫が負担しているので、妻は家事労働の対価として得た収入を夫に貸しています。夫は、妻などからの借金に対し、元利払いを行なっています。
上記をよく見ると容易に理解できるように、給料として外部から得てきた金は、家庭内で動き回っているだけで、外部にはあまり出ていっていません。せいぜい電気ガス水道代と、家族の趣味の費用(皆が倹約するので、少額)くらいです。
夫は、親や子に小遣いをやりすぎているのかもしれません。妻に家事担当の対価を払い過ぎているのかもしれません。人気取りのためだとすれば、やめましょう。というわけで、ある時「借金が嫌だから、親と子の小遣いを半分にする」と宣言したとします。
親と子は妻に「家事は半分で良いから謝礼も半分にしてくれ」と言うでしょう。妻がそれを飲めば、妻の収入が減りますから、妻が夫に貸し出せる金額が減ります。夫としては、「借りる必要のある金額」と「借りることができる金額」が同時に減るだけなので、家計は何も変わりません。
もっとも、妻が仕事と収入を半分失い、親と子が手抜きの料理で我慢させられることになる分だけ、家族の生活水準は落ちます。場合によっては、親と子の栄養失調を気にして夫が親と子に御馳走してあげる必要が生じるかもしれませんね。そうなると、その分だけ家計が悪化する可能性さえ、あるわけです。
これは、夫にとっては由々しき事態です。夫にとっては、自分が破産しないことと同じくらい、妻や親や子の生活を守ることが重要で、家族を犠牲にして自分の財布を豊かにすることが重要なわけではないのです。
強いていえば、親も妻も子も貧しくなるので、家の外で使う金が一層減るかもしれません。その分は家計が改善されるでしょう。もっとも、もともと家の外での出費が収入に占める割合は大きくありませんから、これは無視しても良いでしょう。
家族の仲が悪くなれば、様々な問題が生じるでしょう。妻は夫に「金は貸さない」と言い、夫は親と子に「小遣いを払わない」と言い、家族は崩壊するかもしれませんが、各人がそれを知っているので、無茶は言いません。夫が不足している分は妻(および親および子)が借りたいだけ貸してあげます。夫もそれを知っているので、赤字を気にする必要もありません。
日本国債の見本 |
つまり、民間部門が喜んで国債を買い続けることを前提とすれば、政府の赤字は気にする必要が無いのです。
上記のように、政府の財政を夫の財布にたとえれば、夫が倹約した場合(親や子への小遣いを減らした場合)、親や子の収入が減ります。上の例では、妻が半分失業したり、親や子が手抜き料理で我慢させられたり、夫が親や子に御馳走したりする必要が出てくるかもしれないわけです。
それが望ましいことなのか否かは、「将来、家族の仲が悪くなり、もう貸さない、といった最悪の事態」が起きるか否かにかかっています。この最悪の自体が起これば、確かに政府の財政は破綻するかもしれません。
最悪の事態を避けるためならば、家族の生活水準を落としてでも、夫は親などへの小遣いを減らすべきでしょう。しかし、そうした必要性は今の日本では全くありません。
「将来、家族の仲が悪くなり、もう貸さない」という状況は現実にはどういう現象でしょうか。それは、政府の発行する国債の金利が高騰して大暴落してしまった状態です。しかし、多くの方もご存知のとおり、日本の国債は暴落するどころか、低金利の状態が続いています。
この状況では、どう考えてみても、財政が破綻することはほんどありえないのです。現実の世界でみても、国債の金利が突然大幅にあがった場合には、注意が必要ですが、現実にはそのようなことはありませんでした。これからも、そうなる見込みはほとんどありません。
無論、短期で0.5%とか、0.数%あがったとか、下がったとかで、大騒ぎしている人もいたようですが、そんなことで一喜一憂する必要もありまません。やはり、長期でみていくべきでしょう。
しかし、国債の金利の動きを見ていれば、どう考えても、現在の日本政府が近い将来に破綻するとは考えられません。
ほとんどの財政破綻論者は、財政を単純に家計のように考えているか、あるいは何かの目的のためにそのように見せかけているということなのでしょう。
ただし、政策論的にはやはり確率で語ることができないのは、問題であるとは思います。数%にすぎないのか、50%を超えているかでは、対処方法も大きく変わるはずです。そもそも、数値で語れば、危険か危険でないか誰にでもすぐにわかります。
これが、自然災害か地震予知のように、不確定要素が多すぎるならまだしも、財政破綻に関してはかなり容易に正確に計算できます。
確率抜きで財政破綻を語る人は、信用すべぎないです。
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