- 高市自民党316議席と沖縄県政交代は、「若者は投票しても勝てない」という諦めを現実によって覆した。
- 選挙で得た正統性は白紙委任ではない。減税など公約を実行し、変更するなら理由を説明して初めて信頼は維持される。
- 東大総長選考とドラッカーの全体主義論が示すのは、強い権力と正統な権力は別物だということだ。
「若者は選挙に行こう」。選挙のたびに繰り返される言葉である。これに対し、世代間格差を研究する関東学院大学教授の島澤諭氏は2021年、若者にとって投票とは「どうあがいても負ける選択肢しかない不公平な『ゲーム』」だと論じ、ロビー活動や国会・政党本部前での大規模な抗議デモなど、投票以外の政治参加も選択肢になると提起した。
少子高齢化の下で若年層の人口比率が低く、将来世代へ財政負担が先送りされやすいという問題は確かに存在する。しかし、「若者が少数である」ことと「若者の投票には意味がない」ことは同じではない。2026年の衆院選と沖縄県知事選は、その違いを現実によって示した。
ただし、本稿で問いたいのは「投票には力がある」というところまでではない。一票によって選ばれた側が、その意思をどう受け止めるのか。選挙で公約を掲げて権限を得た後、なぜその政策を実行するのか、あるいはなぜ変更するのかを説明できるのか。さらに、組織内部で人々に意思を示させながら、最終決定者が別の判断をしたとき、その権力行使はなお正統なものとして受け入れられるのか。
ここでピーター・ドラッカーの社会思想が重要になる。ドラッカーは、社会が機能するためには、個人が社会の中で「地位と役割」を持ち、社会を動かす決定的な権力が「正統な権力」でなければならないと考えた。この問題意識は、全体主義の台頭を分析した最初の主要著作 The End of Economic Man、邦題『「経済人」の終わり―全体主義はなぜ生まれたか』から、続く The Future of Industrial Man、邦題『産業人の未来』へと一貫している。国立国会図書館の書誌でも、それぞれの原題と邦題を確認できる。
2026年の衆院選、沖縄県政交代、高市政権の減税論議、東京大学の総長選考を並べてみると、実はすべてがこの「統治の正統性」という一点でつながってくる。
1️⃣316議席と沖縄県政交代――一票は統治の正統性を生み出す
2026年2月8日の衆議院総選挙で、高市早苗総裁率いる自民党は小選挙区249、比例代表67の計316議席を獲得した。これは1986年の300議席を上回る自民党結党以来最多の議席数であり、日本維新の会の36議席を合わせると与党は352議席に達した。自民党自身も、この結果を「過去最多」の316議席として公表している。
これは単なる政党の大勝ではない。少なくとも我が国の選挙制度の下では、高市政権が国民から極めて強い政治的委任を受けたことを意味する。しかも、自民党側の選挙総括でも、とりわけ若い世代から高い支持を得たことが勝因の一つとして挙げられている。
| 世代を超えた一票が、新しい多数派をつくる AI生成画像 |
沖縄では、そのことがさらに鮮明に表れた。2月の衆院選では自民党が県内4小選挙区をすべて制し、9月13日の県知事選では古謝玄太氏が初当選した。2014年から12年間続いた県政の流れが、選挙によって転換したのである。沖縄県選挙管理委員会も2026年知事選の候補者情報などを公式に公表している。
ここで重要なのは、単に「保守側が勝った」ということではない。有権者が自らの意思によって統治者を選び、その結果として政治権力が実際に移ったことである。ドラッカーの「地位と役割」という考え方を現代の代議制民主主義に引き付ければ、有権者として一票を投じることは、国民が統治の対象であるだけでなく、統治をつくる主体でもあることを示す行為だと言える。
だからこそ、「どうせ自分の一票では変わらない」という諦めは危険なのである。それは単に投票率を下げるだけではない。国民自身が、統治に参加する自らの役割を手放す方向へ進むからだ。一票は万能ではない。しかし無力でもない。2026年の全国選挙と沖縄が示したのは、国民が参加し、新しい多数派を形成すれば、統治そのものを変えられるという事実であった。
2️⃣選挙で得た正統性は、実行と説明によって維持される
しかし、選挙で大勝すれば、それですべてが終わるわけではない。316議席は白紙委任状ではない。むしろ、強い政治的委任を得た政権ほど、「何を約束し、何を実行したのか」を問われる責任は重くなる。
2026年衆院選で自民党は、若者や現役世代を含む中・低所得者の税・社会保険料負担を軽減する給付付き税額控除の制度設計を進めるとともに、飲食料品について2年間に限り消費税の対象としないことについて、財源やスケジュールを含め実現へ向けた検討を加速すると公約した。減税や負担軽減を掲げたのは自民党だけではなく、各党で方式、期間、財源は違っても、物価高の中で国民負担を軽くすることは選挙戦の大きな争点となった。
ところが、選挙が終わり政策を具体化する段階になると、財源、実施方法、期限をめぐって野党だけでなく自民党内部からも異論が出た。これは議会制民主主義として不自然なことではない。選挙後にも政策の検討は続き、より良い制度へ修正されることは当然ある。問題は、その過程で選挙前の約束そのものが消えてしまうことである。
| 減税と家計負担が直結する国民生活の現場 AI生成画像 |
高市政権と与党は、減税方針そのものを捨てたわけではない。その後も公約実現を政権運営の軸に据えており、高市首相自身も9月の第2次改造内閣発足時、2月の衆院選で得た大きな負託と政権公約を実現する責任を強調している。
ここで「正統性」の意味が一段深くなる。
選挙は統治に正統性を与える。だが、その正統性を維持するのは、実行と説明である。
どれほど大勝した政権でも、選挙で掲げた政策を無視し続ければ、正統性は摩耗する。逆に、難しい政策であっても、公約を実行し、変更が必要なら理由を正面から説明し、国民生活の改善という成果を示せば、選挙で得た正統性は強くなる。
これは野党も同じである。選挙前に減税や負担軽減を掲げ、選挙後に政府案へ反対するのであれば、単に反対するだけでは足りない。自らの公約と政府案の何が違い、どの方法なら国民負担を実際に下げられるのかを示す必要がある。
減税も、選挙用の人気取りで終わらせてはならない。国民生活を守り、可処分所得を増やし、消費と民間投資を支え、我が国の供給力再建や国家資産形成へつなげてこそ意味がある。権限を与えられた側には、選挙で示された民意を具体的な政策成果へ変える責任がある。
3️⃣東大の51.0%対25.5%――合法な権力と正統な権力は同じではない
この問題をさらに鮮明にするのが、2026年9月の東京大学総長選考である。9月28日の学内意向投票では、第2回投票で染谷隆夫氏が1107票、51.0%、藤垣裕子氏が553票、25.5%、山本隆司氏が451票、20.8%となった。その日の総長選考・監察会議が次期総長予定者として選出したのは藤垣氏だった。東京大学も9月28日、藤垣氏を次期総長予定者に選出したことを正式に発表している。
ここで制度を混同してはならない。東大の意向投票は衆院選や県知事選のような直接選挙ではなく、次期総長予定者を決定する権限は総長選考・監察会議にある。したがって、51.0%の候補を選ばなかったこと自体を「選挙結果を覆した」「違法だ」と表現するのは正確ではない。
しかし、だから問題がないわけでもない。
意向投票を実施し、学内構成員の意思を制度として尋ねる以上、その結果と異なる判断をする場合には、なぜそうしたのかを説明する必要がある。51.0%対25.5%という大きな差が示されたにもかかわらず別の候補を選ぶのであれば、投票結果を上回るどのような評価があったのかを構成員が理解できなければならない。問われているのは藤垣氏個人の能力ではなく、その決定が制度参加者から正当なものとして受け入れられるかという統治の問題である。
| 権限と説明責任、統治の正統性が問われる東大大学選考のイメージ (実物ではありません) A(精製画像 |
ここで、ドラッカーがなぜ「正統な権力」にこだわったのかを思い出す必要がある。ドラッカーの出発点は、企業経営の技法ではなかった。The End of Economic Man『「経済人」の終わり―全体主義はなぜ生まれたか』でナチズムとファシズムの台頭を分析し、続く The Future of Industrial Man『産業人の未来』では、全体主義に代わる「機能する社会」がどのような原理に立つべきかを考えたのである。後者の日本語版にも「改革の原理としての保守主義」という副題を持つ版があり、ドラッカーが全体主義批判から社会の再建原理へ進んだことがよく分かる。
この問題は現在にも通じる。中国、ロシア、北朝鮮には国家権力が存在し、統治そのものが成り立っていないわけではない。しかし、自由で競争的な選挙によって政権を選び直し、平和的に権力を交代させるという民主的正統性の回路は極めて弱いか、事実上存在しない。その不足を、党・国家による統制、監視、検閲、反対派への抑圧といった強制力で補う面が大きい。Freedom Houseの2026年評価では、中国は9点、ロシアは12点、北朝鮮は3点で、いずれも「Not Free」とされており、中国とロシアでは反対意見への抑圧強化、北朝鮮では一党独裁、広範な監視、恣意的拘束などが指摘されている。
ここで大切なのは、強制力を持つことと正統性を持つことを混同しないことである。国家は法を執行する以上、どの民主国家も最終的には強制力を持つ。しかし自由社会では、その前に自由な選挙、法の支配、権力交代可能性、説明責任といった回路があり、権力を「従わざるを得ないもの」ではなく「従うに値するもの」にしている。ドラッカーが全体主義への反対から正統な権力を考えた意味は、まさにそこにある。
したがって、東大の問題も単純な多数決論ではない。総長選考・監察会議が独自に判断する制度には合理性があり得る。しかし、制度上の権限があるという事実だけでは、その権力行使の正統性までは保証しない。
権限があることと、正統性があることは同じではない。
国政でも大学でも、権力を持つ者がその権力をなぜそのように使ったのかを説明し、人々がその制度に参加する意味を感じられる状態を維持することが、正統性には不可欠なのである。
結論 統治の正統性は、国民と権力の間でつくられる
ここまで来れば、「投票しても無駄」という問いへの答えも変わってくる。単に「いや、投票には意味がある」で終わる話ではない。
ドラッカーが考えた「機能する社会」とは、個人が社会の中で自らの地位と役割を持ち、社会を動かす権力が正統なものとして受け入れられている社会である。現在の我が国の代議制民主主義に引き付ければ、有権者が一票を投じることは、自らが統治されるだけの存在ではなく、統治をつくる主体でもあることを示す行為である。
だから、若者に「君たちは少数だから投票しても負ける」と教えるべきではない。若者だけでは多数派でなくても、他の世代を説得し、共通する政策を見いだし、新しい多数派を形成できる。2026年の衆院選と沖縄県知事選は、それを現実によって示した。
一方、統治する側にも重い責任がある。選挙で大きな支持を得たからといって、何をしてもよいわけではない。選挙で何を約束したのか。その約束をなぜ実行するのか。変えるならなぜ変えるのか。結果として国民生活をどう良くしたのか。それを説明し続けなければならない。
つまり、
選挙が正統性を与え、実行と説明が正統性を維持する。
この循環が続くとき、国民は「自分が参加する意味」を感じ、統治する側も「権限とは責任である」ことを忘れずに済む。
民主主義の危機とは、自分の支持する候補が選挙で負けることではない。負けても次の選挙で多数派をつくることができる。政策が修正されることでもない。合理的な理由があり、それが説明されるなら制度は前へ進める。
本当の危機は、国民が「参加しても意味がない」と思い、権力を持つ側が「説明しなくてもよい」と考えることである。
中国、ロシア、北朝鮮のような体制は、権力そのものが弱いのではない。むしろ国家権力は強い。しかし、権力が強いことと、統治の正統性が強いことは別である。強制によって秩序を維持することはできても、強制だけでは「機能する社会」はつくれない。ドラッカーが全体主義の経験から導き出したのは、その厳しい現実だった。
我が国が守るべきなのは、一票という形式だけではない。
一票によって国民が統治へ参加し、その一票によって権限を与えられた者が責任を果たし、成果と説明を国民へ返す。そして国民が次の選挙で再び判断する。この往復によって、統治の正統性は繰り返し確認される。
だから、一票は単なる紙切れではない。
一票は、国民と権力を結び、統治を正統なものにするための接点なのである。
国民の参加と、統治者の責任。この往復がある限り、民主主義は八方塞がりにはならない。
2026年の衆院選、沖縄県政交代、高市政権の減税論議、そして東京大学の総長選考が我々に問いかけているのは、結局ここである。
我々は統治を誰かに任せるだけの存在なのか。それとも、自ら参加し、権力に責任を求め、正統な統治をつくる主体なのか。
ドラッカーが『「経済人」の終わり』から『産業人の未来』へと追究した「機能する社会」という問いは、80年以上を経た今も古びていない。
機能する社会は、強い権力によってつくられるのではない。役割を引き受ける国民と、責任を引き受ける統治者、その両者を結ぶ正統性によってつくられるのである。
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316議席という歴史的勝利を、減税、積極財政、供給力再建を進める政治的基盤として分析。本稿の出発点となる衆院選の意味を掘り下げている。
1 件のコメント:
東大総長選出の解説動画です。
選挙で多数の正当性とは違った観点での説明です。
参考まで。
■ 2026/10/03【今野忍vs中室牧子】聞きたいニュース!簗大臣の音声…立民本部縮小へ…視聴者の質問に答えるニュース番組【ReHacQ】
https://www.youtube.com/live/K76sI5utlcM?si=cs7fSWh53suwE6Zw&t=54m33
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