2026年10月20日火曜日

パリとミラノで暴動——欧州の移民政策から日本は何を学ぶべきか


 まとめ
  • パリとミラノの暴動が浮き彫りにした、欧州の移民政策の課題。 外国籍の若者や移民第二・第三世代の関与を検証すると、受け入れ後も世代を超えて続く社会統合の難しさが見えてくる。
  • ドラッカーの「改革の原理としての保守主義」が問い直す、移民ありきの発想。 国家がまず守るべきものは何か。移民を受け入れる前に、自国の社会を安定させ、必要な改革を進めるという視点が重要である。
  • 欧州の問題を知りながら、日本はなぜ同じ道を進もうとするのか。 人手不足には国内人材の育成、設備投資、AIによる省力化という選択肢もある。移民受け入れを当然視する前に、我が国の国益と供給力再建を考えるべきではないか。

2026年10月17日、フランス各地で大規模な抗議行動が行われ、パリなどで警察との衝突、店舗の略奪、建物への放火が相次いだ。AP通信の10月19日の報道によれば、週末の騒乱では約2400人が逮捕され、商業施設や公共施設に広範な被害が生じた。同じ週末、イタリアのミラノでも若者らによる騒乱が発生した。ANSA通信が10月19日に報じた警察当局の集計によると、18日には271人が警察署へ連行され、32人が逮捕された。連行者のうち220人は未成年者だった。

抗議行動の背景には、生活費、教育、公共サービスへの不満がある。しかし、平和的な抗議と暴力行為は区別しなければならない。いかなる政治的要求も、他人の財産を奪い、公共施設を破壊する理由にはならない。同時に、欧州で長年進められてきた移民政策と社会統合の問題を、検証の対象から外すべきでもない。ミラノでは外国籍の逮捕者が相当数に上り、フランスでは過去の都市暴動に関する政府調査に、移民第二・第三世代の関与について重要な記録が残されている。ただし、今回の暴動が移民政策によって引き起こされたという因果関係まで立証されたわけではない。個々の事件の原因と、移民政策が長期的に社会へ及ぼす影響は分けて考える必要がある。

ここで、本稿が問うべき問題は明確である。そもそも、我が国はなぜ新たな経済移民を受け入れる必要があるのか。 移民を受け入れた後の社会統合を論じる前に、受け入れそのものの必要性を検証すべきではないか。この問いを、ピーター・ドラッカーの「改革の原理としての保守主義」を手掛かりに考えたい。

1️⃣パリとミラノの騒乱は何を示したのか

ミラノの騒乱では、警察当局が国籍別の数字を公表している。10月18日に連行された271人のうち外国籍は60人、逮捕者32人のうち13人、書類送検者28人のうち15人だった。外国籍の割合は、それぞれ22.1%、40.6%、53.6%である。この数字を曖昧にする必要はない。ただし、連行者には予防的な拘束を受けた人も含まれ、逮捕者の構成をそのまま外国籍住民全体の犯罪傾向とみなすこともできない。対象となった人々の年齢、居住地、容疑、司法手続き上の違いを考慮しなければ、数字の意味を正確に判断することはできないのである。

さらに、ANSA通信の続報では、捜査対象となった若者の一部に、外国にルーツを持つ移民第二世代が含まれていたと報じられている。国籍を取得した後も、教育、就労、地域社会への参加という課題が残り得ることを考える材料である。では、パリはどうか。ル・パリジャン紙の10月19日の分析は、治安情報の専門家による分析として、過激左派の集団と、政治的な組織に属さない大衆地区の若者が合流した可能性を指摘した。ただし、今回の暴動に参加した人々の移民背景別の割合は、現時点で確認できていない。

しかし、過去の暴動に関する政府の一次資料には、見逃せない記述がある。フランス内務省・司法省の合同調査報告書(2023年)によると、2023年の都市暴動で検挙された人々の79%はフランス国籍、75%はフランス生まれだった。一方、同報告書の23ページには、パリ警視庁が、その管轄地域で拘束された暴動参加者の大多数はフランス国籍を持つ移民第二・第三世代の若者だったとの見解を示したことが記録されている。主な出自として挙げられたのは、北アフリカのマグレブ諸国とサハラ以南のアフリカである。この記述は、外国籍人口だけでは移民政策の長期的な影響を把握できないことを示唆している。ただし、これは2023年のパリ警視庁管轄地域についての評価であり、2026年の暴動やフランス全国の参加者構成を示すものではない。

パリ郊外の街並み。移民第二・第三世代の社会統合を考える。AI生成画像。

社会統合の問題は、移民を受け入れた時点で終わらない。次の世代、さらにその次の世代にまで及ぶ可能性がある。だからこそ、移民政策は目先の労働力確保だけで判断できない。その難しさを示すのがスウェーデンの事例である。スウェーデン政府が2026年9月に公表した調査結果は、「並行社会」と呼ばれる非公式な権力関係や集団内部の規範が、個人の自由や社会統合を妨げる問題を指摘した。政府は、その背景として居住分離、社会的排除、差別なども挙げている。ここで問われているのは、文化の違いそのものではない。国家の法秩序と個人の権利が、社会の隅々まで保障されているかという問題である。

私は以前、「西欧の移民政策はすべて失敗した──日本が今すぐ学ぶべき“移民5%と10%の壁”」で、受け入れ人数と社会統合の関係を論じた。もっとも、5%や10%という人口比率は、暴動が必ず起こる科学的な臨界点として確認されたものではない。移民、外国籍住民、外国生まれ人口では統計上の定義も異なる。それでも、受け入れの規模や速度、特定地域への集中、教育や住宅などの供給力を検証する必要性は変わらない。欧州から学ぶべきなのは、社会統合に問題が生じた後の対策だけではない。そうした長期的な責任を負う必要性を、受け入れる前に検証することである。

2️⃣ドラッカーの「改革の原理としての保守主義」で考える

ピーター・ドラッカーは1942年の著書『産業人の未来』で、自由で機能する社会を維持するための原理として保守主義を論じた。訳者の上田惇生氏による解説でも明らかなように、ドラッカーの保守主義は、昔に戻ることでも、変化を拒むことでもない。すでに存在する制度や経験を基盤として、将来のために具体的な問題を解決する。その目的は、自由で機能する社会を維持することにある。この考え方を移民政策に当てはめると、議論の順序が変わる。人口が減少するから移民を受け入れる。人手不足だから外国人労働者を増やす。しかし、人口減少や人手不足が存在することと、移民受け入れが必要であることは同義ではない。

ドラッカーの「改革の原理としての保守主義」。守るために改革する。AI生成画像。クリックすれば拡大します。

問うべきなのは、我が国の産業と国民生活を将来へ残すために、何を改革しなければならないかということである。国内人材の育成、賃金や労働条件の改善、設備投資、AIやロボットによる省力化など、まず検証すべき選択肢がある。ドラッカーは、機能する社会における人々の位置と役割、権力の正統性も重視した。移民政策についても、政府が何を目的として決定し、その政策が国民生活にどのような影響を及ぼすのかを問わなければならない。守るべき社会があるから改革するのであり、改革すること自体が目的なのではない。

ここで国際法上の原則も重要となる。先進国だからという理由で、経済移民を一定人数受け入れなければならないという一般的な国際法上の義務は存在しない。国連の「安全で秩序ある正規移住のためのグローバル・コンパクト」は、法的拘束力を持たない協力枠組みであり、国家主権を確認している。さらに、EU機能条約第79条第5項は、加盟国が第三国から就労目的で入国する人々の受け入れ人数を決定する権利を保持すると定めている。ただし、難民保護、EU域内の自由移動、国際人権法、家族生活の保護などによる義務は別である。これらを、新たな経済移民の受け入れ人数を決める権限と混同してはならない。

つまり、法的義務を守る範囲で、経済移民の受け入れ規模は国家が政策として判断できるのである。ならば、移民を受け入れることを当然の前提としてはならない。まず自国の雇用、教育、住宅、医療、治安などの基本的な制度が安定しているかを確認し、深刻な問題が残るなら、その改善を優先するという政策原則が考えられる。私は、この厳格な事前条件を重視する。社会問題を完全になくすことはできないが、少なくとも公共サービスの深刻な不足や制度的な機能不全が常態化している段階で、新たな受け入れを拡大する必要性は慎重に検証すべきである。

もちろん、外国人材が既存の人手不足を緩和する場合もある。したがって、受け入れない場合の経済的影響も調べなければならない。しかし、それは受け入れ拡大を最初から決定する理由にはならない。なお、ドラッカー自身が経済移民の受け入れを一律に否定したわけではない。ここで示した厳格な受け入れ条件は、彼の保守主義を現代日本の政策に応用した本稿の立場である。

移民を受け入れることが改革なのではない。守るべき社会を明確にし、その社会を維持するために必要な制度を改革することが重要なのである。

3️⃣日本は欧州を後追いする前に、何を改革すべきか

我が国でも外国人住民は増加している。しかし、その事実から直ちに経済移民の受け入れをさらに拡大すべきだという結論は導かれない。まず、日本経済の現状を正確に確認する必要がある。総務省統計局の2026年8月の消費者物価指数によると、前年同月比は総合1.9%、生鮮食品を除く総合1.7%、生鮮食品とエネルギーを除く総合1.9%だった。日本で一般にコア、コアコアと呼ばれる指数は、欧州の基調的な物価指標と定義が異なる。日本の生鮮食品・エネルギー除外指数には加工食品が含まれる一方、欧州で用いられる食料・エネルギー等を除く指数では除外される。比較には、対象品目、ウエイト、住宅費の扱いなどにも注意が必要である。

したがって、欧州の物価問題をそのまま日本に当てはめるのは適切ではない。物価上昇率の鈍化は価格水準の下落を意味しないものの、現在の日本を深刻な物価高騰の国として描くことも正確ではない。雇用についても、総務省の2026年8月の労働力調査では完全失業率が2.5%、就業者数は前年同月比14万人増だった。全国的な大量失業よりも、産業や地域によって生じる人手不足への対応が重要な課題となっている。では、その人手不足を移民で補うことが、我が国の経済政策として必要なのだろうか。

移民受け入れの前に、日本の人材育成と供給力強化を。AI生成画像。クリックすれば拡大します。
人手不足は、賃金、設備投資、生産性を見直す契機にもなる。省力化技術への投資を進め、労働者1人当たりの付加価値を高め、その成果を賃金上昇へと結び付ける。そうした改革は、人口減少が進む日本の供給力を維持・強化し、設備や技術という国家資産を形成することにもつながる。北海道の農業におけるAIや自動化技術の活用は、その可能性を考える具体例となる。私は以前、「高市首相の十勝AI農業特区——北海道を強く豊かにし、何を未来へ残すのか」で、技術革新を通じて地域産業と暮らしを将来へ引き継ぐ意義を論じた。

もちろん、設備投資だけでは短期間に補えない技能や人員もある。しかし、その不足をどう補うかは、分野ごとの判断である。人手不足という言葉だけで、恒常的な受け入れ拡大まで正当化することはできない。ここで、国と地方自治体の権限関係も確認しておきたい。外国人の入国・在留に関する基本制度は国が定め、個別の許可や審査は法令に基づいて国の行政機関が行う。国会は法律と予算の審議を通じ、政府の政策を統制する。一方、学校、福祉、防災、生活相談などでは地方自治体が重要な役割を担う。

札幌市の「誰もがつながり合う共生のまちづくり条例」は、外国人の受け入れ人数を決める制度ではない。年齢や障害の有無なども含め、幅広い住民を対象とした条例である。したがって、国の受け入れ制度と自治体の共生施策を混同してはならない。国が受け入れに関する基本制度を決め、その結果として自治体の行政需要が変化するのであれば、国は政策の必要性と地方への影響を説明すべきである。自治体も、実際の行政需要、費用、施策の成果を住民が検証できるようにしなければならない。

ここで最も重要なのは、国民生活と国益という判断基準である。新たな経済移民の受け入れによって、国内の賃金、雇用、供給力、財政、公共サービスはどう変わるのか。国内人材の活用や設備投資では対応できないのか。受け入れない場合には、どのような影響が生じるのか。

政策を決める前に、これらを検証することが必要である。 

我が国の将来を決めるのは、欧州の政策をどこまで模倣するかではない。日本社会を維持し、発展させるために何が必要なのかという、我が国自身の判断である。

結論 守るべきものを明確にしてこそ、改革は始まる

パリとミラノの暴動は、欧州の治安と社会統合をめぐる問題を改めて浮き彫りにした。ミラノでは外国籍の逮捕者や移民第二世代の関与が報じられた。パリでも今回の騒乱への郊外地区の若者の参加が報じられ、2023年の政府調査には、移民第二・第三世代の関与について警察当局の重要な見解が残されている。ただし、こうした事実だけで今回の暴動を移民政策の直接的な結果と断定することはできない。検証すべきなのは、暴動参加者の実態と、その背景にある長期的な制度の問題である。

スウェーデン政府が認める並行社会の問題も、社会統合が理念だけでは実現しないことを示している。欧州には移民受け入れによる経済的な成果もあるが、制度的な問題が存在することも否定できない。ここでドラッカーの「改革の原理としての保守主義」を思い起こしたい。社会を守るとは、変化を拒むことではない。守るべき社会を明確にし、その社会を維持するために必要な改革を進めることである。

我が国が優先すべきなのは、移民受け入れそのものではない。国民が働き、所得を得て、安全に暮らせる社会を維持し、生産性の向上によって国家の供給力を強化することである。そのために国内人材を育成し、設備投資を進め、技術と産業の基盤を強くする。こうした改革の可能性を十分に検討したうえで、なお新たな経済移民を受け入れる必要があるのかを判断すべきである。

先進国に経済移民を一定人数受け入れる一般的な国際法上の義務はない。難民保護などの法的義務を守りながら、受け入れないという選択肢も含めて政策を検討できる。

移民政策の出発点は、何人受け入れられるかではない。なぜ受け入れる必要があるのかという問いである。 欧州の経験を踏まえるなら、この問いを避けてはならない。

そして、国家の責任とは、受け入れた後に生じる問題へ対応することだけではない。国民生活、国家の供給力、地域社会への影響を事前に検証し、その政策が本当に必要なのかを判断することである。

移民を受け入れること自体が改革なのではない。新たな試みをすることや美しい理念を啓蒙すること自体が真の改革というわけではない。我が国の社会を将来へ引き継ぐために、何を守り、何を変えるべきかを決めて実行すること、制度・法律・手順を社会に実装することこそ、真の改革なのである。

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パリとミラノで暴動——欧州の移民政策から日本は何を学ぶべきか

  まとめ パリとミラノの暴動が浮き彫りにした、欧州の移民政策の課題。 外国籍の若者や移民第二・第三世代の関与を検証すると、受け入れ後も世代を超えて続く社会統合の難しさが見えてくる。 ドラッカーの「改革の原理としての保守主義」が問い直す、移民ありきの発想。 国家がまず守るべきもの...