まとめ
2026年9月24日夜、ホワイトハウス。トランプ大統領が習主席を迎えた公式晩餐会で、習主席は「日本」の国名を二度挙げた。時事通信によれば、習主席は「80年以上前、中米両国人民は協力して日本軍国主義の侵略者と戦った」と述べた。米中の友好を祝う席で、第三国である日本の名を「共通の敵」として挙げるのは異例である。
- レアアースの威圧も外交圧力も裏目に出た中国は、見えにくい認知戦へ軸足を移している。習近平主席の「中米はともに日本と戦った」は、歴史のすり替えによる日米離反の物語づくりである
- 台湾・国家安全局の報告は、pixivでの対日工作や異常アカウント4万5000超を指摘した。我が国はすでに認知戦の標的である
- 認知戦は米国への不信を増幅する戦いだ。「反中国」の保守こそ、自分が広める物語が北京の狙いと重なっていないか点検すべきである
「私は中国の認知戦の標的となったのか」。ジャーナリストの古森義久氏が、そう題する報告を寄せた。ワシントンで米中首脳会談を取材した古森氏が、習近平国家主席の発言をXで速報したところ、予想もしなかった反応が返ってきたというのである。
認知戦とは、中国が「三戦」(世論戦・心理戦・法律戦)を総合した戦法であり、実際の戦争をせずに、相手の思考や判断そのものを操作して自国に有利にゆがめる戦いである。
古森氏の体験は一人の記者の話にとどまらない。我が国全体がすでに標的であり、その中には中国に最も警戒しているはずの保守派も含まれる。本稿はその構造を、公的な記録に即して検証する。
1️⃣習近平の歴史のすり替え2026年9月24日夜、ホワイトハウス。トランプ大統領が習主席を迎えた公式晩餐会で、習主席は「日本」の国名を二度挙げた。時事通信によれば、習主席は「80年以上前、中米両国人民は協力して日本軍国主義の侵略者と戦った」と述べた。米中の友好を祝う席で、第三国である日本の名を「共通の敵」として挙げるのは異例である。
| 首脳外交の晩餐会(イメージ、AI生成画像) |
古森氏はこの発言をXでいち早く報じた。投稿は3日ほどで180万ビューに達したという。当初の反応は日本語の投稿が中心で、「当時戦ったのは中華民国だ」という批判が多かった。ところが、そこに中国語の投稿が短時間で急増した。古森氏によれば、全体の3分の1にあたる約60万ほどが中国語で、内容はどれも習主席の擁護と日本への攻撃だった。中国国内の一般国民はXへのアクセスを禁じられている。だとすれば、この波は誰が送り込んだのか。古森氏は、中国当局がからむ認知戦の標的になったと判断した。もっとも、数字も割合も古森氏本人の観察であり、当局の関与はその観察に基づく推論である。この点は割り引いて読む必要がある。
それでも意図は明らかだ。産経新聞の榊原智論説委員長は、この動きを「日米離間策」と呼んだ。「共通の敵と戦った同盟国」という物語は、日米同盟の正統性を歴史の次元で掘り崩す。習主席の狙いは外交儀礼ではなく、日本とアメリカの間に物語のくさびを打ち込むことだ。
この日米離反の試みは、今回が初めてではない。筆者は2026年5月、トランプ大統領の訪中による米中首脳会談を論じた際、中国が日本国内の対中融和派や経済界、一部世論を利用して日米の結束を緩めようとしたが、高市政権の登場によってその目論見は失敗したと書いた(「中国が日本を脅す時代は終わった」)。レアアースを武器にした威圧も、脱中国の供給網を加速させるだけに終わった。直接の脅しが効かなくなったのである。だが北京は日米離反を諦めたのではない。戦場を、歴史の物語とSNSの増幅という認知の領域へ移しただけだ。なぜ今、認知戦なのか。脅しが効かない時代になったからである。
2️⃣日本はすでに戦場である
古森氏の体験を「一人の記者への嫌がらせ」で済ませられない理由がある。台湾の情報機関が、対日工作を含む認知戦の実態を公的な報告書で明らかにしているからだ。
台湾・国家安全局は2026年1月、報告書「2025年中共対台認知戦操作手法分析」を公表した。土屋貴裕・京都外国語大学教授の解説によれば、中国は党・政・軍と民間の資源を総動員し、ビッグデータや生成AI、不正アカウントを使って台湾社会に浸透している。2025年に確認された行動異常アカウントは4万5000以上で、前年より1万7000以上増えた。収集された偽情報は231万件を超える。
注目すべきは、報告書が対日工作の具体例まで挙げていることだ。中国公安部系のアカウント集団が、イラスト投稿サイト「pixiv」に「高市早苗首相が台湾有事を扇動した」と揶揄する虚偽の情報を投稿し、それをさまざまなプラットフォームに拡散させたという。政治色の薄い趣味の場は「ネタ」として扱われ、反証が難しい。笑いの形を取った工作は、警戒されずに広がる。
対日工作の系譜はこれだけではない。2023年の処理水放出以降、我が国を標的にした偽情報が本格化し、2025年11月には高市首相の台湾有事をめぐる発言への「軍国主義の回帰」という攻撃に続いた。公安調査庁も「内外情勢の回顧と展望」で、中国の大学やシンクタンクが沖縄の独立を求める団体の関係者に接近し、分断を図る動きを継続的に記録している。台湾は認知戦の「試験場」であり、そこで試された手法は他の民主国家にも応用される。
我が国の備えは薄い。2022年の安保3文書には「認知領域への対処」が明記されたが、具体策は乏しいままである。年末の安保3文書改定で、認知領域を理念から実効ある対策に落とせるかが問われている。
3️⃣一番危ないのは「反中国」の側だ
対日工作の系譜はこれだけではない。2023年の処理水放出以降、我が国を標的にした偽情報が本格化し、2025年11月には高市首相の台湾有事をめぐる発言への「軍国主義の回帰」という攻撃に続いた。公安調査庁も「内外情勢の回顧と展望」で、中国の大学やシンクタンクが沖縄の独立を求める団体の関係者に接近し、分断を図る動きを継続的に記録している。台湾は認知戦の「試験場」であり、そこで試された手法は他の民主国家にも応用される。
我が国の備えは薄い。2022年の安保3文書には「認知領域への対処」が明記されたが、具体策は乏しいままである。年末の安保3文書改定で、認知領域を理念から実効ある対策に落とせるかが問われている。
3️⃣一番危ないのは「反中国」の側だ
認知戦とは、相手に中国の主張をそのまま唱えさせる戦いではない。相手の社会にもともとある不満や不信、不安を増幅し、分断を深めることで、その社会の判断を自国に有利な方向へゆがめていく戦いである。だから「自分は反中国だから関係ない」という油断が、一番危ない。
台湾・国家安全局の報告書は、中国が繰り返し拡散する物語として「米国懐疑論」と「軍事介入懐疑論」を挙げている。アメリカは当てにならない。アメリカは台湾も日本も守らない。台湾有事を煽る者は日本を戦争に巻き込む。こうした物語である。
台湾・国家安全局の報告書は、中国が繰り返し拡散する物語として「米国懐疑論」と「軍事介入懐疑論」を挙げている。アメリカは当てにならない。アメリカは台湾も日本も守らない。台湾有事を煽る者は日本を戦争に巻き込む。こうした物語である。
振り返って、我が国の言論空間はどうか。保守と目される人の中にも、「アメリカは結局、日本を見捨てる」「台湾有事に日本を巻き込むな」「防衛費を増やしても無駄だ」と繰り返す人が増えたように見える。これらの言い方は、台湾の報告書が挙げる中国の物語と、型の上で重なっている。本人に中国の意図などなく、我が国を思っての発言かもしれない。しかし認知戦の成否は、本人の意図では決まらない。その言説が日米の亀裂を広げ、我が国の防衛意思を痩せさせる結果をもたらすかどうかで決まる。意図せず北京の狙いを手伝うことは、十分にあり得るのである。
ここでもう一つ、情報環境の歪みを挙げておく。台湾有事をめぐる恐怖の前提である。筆者は以前、本ブログで台湾侵攻の困難さを論じた。結論は「台湾侵攻は、一般に考えられているよりは、はるかに困難なのである」というものだった。急峻な山岳地形、複雑な河川網、地下軍事施設、住民の国防意識。武力侵攻の障壁は極めて高い。詳細はリンク先に譲る。
ところが、この種の軍事的事実は、我が国ではほとんど報じられない。侵攻が間近で、しかも容易いかのような前提に立てば、「巻き込まれるな」という声は強まり、抑止への支持は痩せる。恐怖が広がる方が、北京には都合がよいのだ。困難だという事実が報じられにくいこと自体、中国の認知戦が作り出した情報環境の歪みである可能性がある。
もっとも、ここには引くべき一線がある。アメリカへの疑問や台湾有事への懸念そのものは、正当な議論である。それらを根拠もなく「中国の認知戦だ」と決めつければ、対策自体が陰謀論になり、国内の分断はかえって深まる。それこそ工作の思うつぼだ。工作と呼べるのは、台湾・国家安全局や公安調査庁の記録のように、出所と手口に裏付けのあるものだけである。点検すべきは、主張の是非の前に、その情報の出所と増幅のされ方である。
結論
ここでもう一つ、情報環境の歪みを挙げておく。台湾有事をめぐる恐怖の前提である。筆者は以前、本ブログで台湾侵攻の困難さを論じた。結論は「台湾侵攻は、一般に考えられているよりは、はるかに困難なのである」というものだった。急峻な山岳地形、複雑な河川網、地下軍事施設、住民の国防意識。武力侵攻の障壁は極めて高い。詳細はリンク先に譲る。
ところが、この種の軍事的事実は、我が国ではほとんど報じられない。侵攻が間近で、しかも容易いかのような前提に立てば、「巻き込まれるな」という声は強まり、抑止への支持は痩せる。恐怖が広がる方が、北京には都合がよいのだ。困難だという事実が報じられにくいこと自体、中国の認知戦が作り出した情報環境の歪みである可能性がある。
もっとも、ここには引くべき一線がある。アメリカへの疑問や台湾有事への懸念そのものは、正当な議論である。それらを根拠もなく「中国の認知戦だ」と決めつければ、対策自体が陰謀論になり、国内の分断はかえって深まる。それこそ工作の思うつぼだ。工作と呼べるのは、台湾・国家安全局や公安調査庁の記録のように、出所と手口に裏付けのあるものだけである。点検すべきは、主張の是非の前に、その情報の出所と増幅のされ方である。
結論
中国の認知戦は、もう対岸の出来事ではない。国家元首自らが歴史の物語を仕掛け、情報機関の報告書が対日工作を記録し、趣味のサイトにまで偽情報が入り込む時代である。
筆者は5月に「中国が日本を脅す時代は終わった」と書いた。その判断は今も変わらない。ただし、脅しが消えたのではない。姿を変えたのである。見える脅しに屈しなくなった我が国に対して、北京は見えない戦いを強めている。中国が強く出るほど日本の戦略価値が上がるという優位の構図は、認知の領域では自動的には働かない。不信と分断は、価値が上がる前に社会の足元を崩す。優位の時代にこそ、認知の防衛が要る。
備えは二層で考えるしかない。国家の層では、年末の安保3文書改定において認知領域への対処を理念で終わらせず、台湾など最前線の知見を共有する仕組みまで含めた具体策に落とすこと。個人の層では、出所を確かめ、一次資料に当たり、煽られるままに拡散しないことである。
そして最後に、保守への自戒を込めて書く。認知戦の標的は、親中の人だけではない。中国に最も警戒する人々の不信と不安こそ、増幅の材料として狙われている。戦わずして相手の判断をゆがめる戦いは、すでに始まっている。我が国を守るというなら、まず自分が拡散する物語が、誰の狙いと重なっているかを点検すべきである。
筆者は5月に「中国が日本を脅す時代は終わった」と書いた。その判断は今も変わらない。ただし、脅しが消えたのではない。姿を変えたのである。見える脅しに屈しなくなった我が国に対して、北京は見えない戦いを強めている。中国が強く出るほど日本の戦略価値が上がるという優位の構図は、認知の領域では自動的には働かない。不信と分断は、価値が上がる前に社会の足元を崩す。優位の時代にこそ、認知の防衛が要る。
備えは二層で考えるしかない。国家の層では、年末の安保3文書改定において認知領域への対処を理念で終わらせず、台湾など最前線の知見を共有する仕組みまで含めた具体策に落とすこと。個人の層では、出所を確かめ、一次資料に当たり、煽られるままに拡散しないことである。
そして最後に、保守への自戒を込めて書く。認知戦の標的は、親中の人だけではない。中国に最も警戒する人々の不信と不安こそ、増幅の材料として狙われている。戦わずして相手の判断をゆがめる戦いは、すでに始まっている。我が国を守るというなら、まず自分が拡散する物語が、誰の狙いと重なっているかを点検すべきである。
中国に日本の選挙を触らせるな――トランプ演説と高市圧勝が突きつけた「見えない介入」 2026年7月19日
中国の手は、日本の選挙にまで伸びている。「見えない介入」の実態を追った記事。認知戦はSNSの中だけの話ではない。
中国の偽文書工作は文春報道以下だった――「高市首相に台湾が宝石の賄賂」が示す中国崩壊の前兆 2026年6月25日
高市首相を狙った偽文書工作を取り上げた記事。文書をでっち上げて世論を動かす手口は、認知戦の典型である。
中国が日本を脅す時代は終わった――米中首脳会談が示した高市政権と日本の優位 2026年5月16日
米中首脳会談を読み解き、中国の直接的な脅しや威圧が効かなくなった転換を論じた記事。脅しが裏目に出たからこそ、中国は認知戦へ戦場を移した。
台湾侵攻にうってつけのバージ(艀)建造が露見、「中国版ノルマンディー上陸作戦」か―台湾侵攻がとてつもなく困難な理由: ルトワックのパラドックスと地理的障壁 2025年1月20日
台湾侵攻はノルマンディー上陸作戦よりはるかに困難である。その軍事的事実を、ルトワックのパラドックスと地理的障壁から論じた記事。本文で短く引用した元記事である。



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