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2011年1月15日土曜日

全国に広がる“タイガーマスク”現象―【私の論評】この現象は、財務官僚が財政民主主義的立場を堅持することから、やむなく発生してきたものという見方もできる?!

全国に広がる“タイガーマスク”現象


●政治・経済の停滞と関係あり!?

タイガーマスクの活躍で日本列島は大騒ぎだ。きっかけは12月25日、群馬県前橋市の児童養護施設に「タイガーマスク」の主人公・伊達直人を名乗る人物がランドセル10個を贈ったこと。これがニュースで報じられるや、全国の施設などに伊達の名でランドセルや現金が贈られるようになり、「あしたのジョー」の主人公・矢吹丈や「肝っ玉かあさん 京塚昌子」なんて名前も現れた。すでに90件以上に達している。

タイガーもジョーも肝っ玉かあさんも、1970年前後にテレビ放映された人気番組。彼らを名乗るのはどんな人たちなのか。明大講師の関修氏(心理学)が分析する。

「少年期にタイガーやジョーを見ていた50代の男性が中心でしょう。欧米人と違って、日本人は慈善活動で名前を売りたがらない。だけど何か善いことをしたいと思っている。そこで誰かが行動すると、自分もやりたいと思ってこっそり動くのです。いい意味での便乗です。善意のタイガーさんたちは普段は地味な仕事をコツコツしているタイプ。社会に喜ばれることで満足し、生きる励みにする人たちです。目立とう精神はありません」

いまや世の中は真っ暗闇。政治は迷走し、景気回復の手だても打てない。そうした現実もタイガー現象を後押ししているようだ。社会学者で作家の岳真也氏が言う。

「たしかに目頭が熱くなる美談ですが、その裏には一向に暮らしが良くならない現実に不満と不安を募らせる国民感情もあると思います。“景気が良くならないのなら、自分たちで明るい社会にしてみせる”と大衆が相互扶助に走っているのです。社会不安が善意に駆り立てていると言ってもいいでしょう」

政治の無策がもたらしたタイガー現象。菅首相はこれをどう見る?

(日刊ゲンダイ2011年1月12日掲載)

【私の論評】この現象は、財務官僚が財政民主主義的立場を堅持することから、やむなく発生してきたものという見方もできる?!
このタイガーマスク現象、確かに良いことであり、善意の人々が、善行を行うことに対して、私は何も反対するものではないし、非常に良いことだと思います。しかし、私はなぜか、これに対してしっくりこないところがあります。それは、何も、上記の心理学者や、社会学者の語っていることだけではなく、彼らが全く見えていない別の背景があります。本日はそれについて掲載します。

実は2年前までは、頻繁に書いていたのですが、特に人々の関心をひくでもなく、反応もほとんどないので、最近は掲載しなくなったことがあります。

それは、日本では一般的ではない、欧米型NPOのことです。これに関しては、あのドラッカーも、これからの特に都市社会においては、20世紀に政府や民間営利企業のような組織が興隆したのと同じように、21世紀には興隆しなければならないとしていますが、日本ではそのことについて、誰も論評を行ないません。

特に最近では、「もしドラ」などで、ドラッカーが見直されていますが、ドラッカーが「非営利組織のマネジメント」というNPOに関する書籍を書かれていることなど本当に全く誰も触れません。まるで、ドラッカーは、営利企業のマネジメントのグルであり、それ以外の何者でもないというような扱いです。しかし、ドラッカーは非営利組織が都市部のコミュニティーの復活に欠かせない存在であると終生強調し続けました。

さて、今回のこの現象について、結論からいいますが、私は、日本では、アメリカなどのようにたとえば、施設の子供たちを支援するような有力なNPOや、NPOに対して、多くの寄付金が集まる仕組みなどがないため、「タイガーマスク」のような人たちが、具体的に行動しようにもできないため、いわゆる現在いわれている「タイガーマスク現象」のような行動をしているのではないかと思うのです。

自分の善意を届けたいと思った場合、アメリカなどの場合は、子どもたちを支援するようなNPOが全国に星の数ほどあり、たいていのNPOは地域に密着しているので、かなり、具体的で本当に役立つ末永い活動ができます。しかも、身近な存在なので、寄付したり、何か行動しようとした場合に、誰もが思い立ったらすぐできます。

NPOというと、日本の場合は、あまりに規模小さく、それに経済的にも非力な組織が多いため、本当に限定的な活動しかできないためほとんど目立ちません。さらに、日本では、未だに多くの人々が「NPOとは、奇特な人々が手弁当で集まってやる事業」くらいの認識しか持ち合わせていないようです。そうして、ボランティアの意味をとり違えています。ボランティアの意味は、本来は、他人の意思や、地域とのしがらみなどで実施するのではなく、あくまで自分の意思で行うことを意味するのであって、もともとは、軍隊に志願するときなどに使われた言葉です、無給、無賃金で労働することを意味するものではありません。実際、アメリカでは有給のボランティア活動もいくらでもあります。

このあたり、なかなか理解してもらえないと思いますので、まずは資金面からお話してみようと思いす。

アメリカなどでは、まず、寄付金の文化が根づいています。何と、NPOなどに対して人々が行う寄付金は、年間で日本円で、9兆円にものぼります。イギリスでも、1兆円を超えています。しかし、こんなに豊な日本であるにもかかわらず、日本のそれは、1兆円はおろか全部合わせても数千億にすぎません。これでは、アメリカやイギリスに比較して、NPOも本当に限定的な活動しかできません。いくら、人々が思い立って、何かをしようと考えても、善意だけでは何もできません。

では、アメリカ人やイギリス人が日本人と比較して、道義心に溢れていて、日本人はそうではないから、寄付金が集まらないのかといえば、そんなことはありません。無論道義心の片鱗もなければ、寄付などできないとは思いますが、まず、イギリスやアメリカでは、個人でも、法人でもNPOなどに寄付をするとかなりの税制上の優遇措置を受けられます。それから、無論、政府からも熱い支援があります。これらをあわせると、アメリカのNPOの年間の歳入はアメリカの国家予算に匹敵するほどのものになります。

アメリカ、イギリスなどでは、国が認めたNPOに関しては、との組織に対しても寄付をすれば、すべて税制上の優遇措置が受けられます。これに対して、日本では、いわゆる寄付して税制上の優遇措置を受けられる対象があまりに限定されています。確か、何かの資料で見たところよると、日本全国で1000くらいしかないそうです。それに、寄付をするときに、手続きが煩雑であることと、それに、なんというか、書類でも何でも、「寄付をさせてやる」というような取り扱いだそうです。以前、自分の卒業した大学に寄付をした人がこのことについて、ぼやいていたのが思い出されます。これは、私学の学長として必要な能力として、寄付金集めもかなり上位にあげられるようなアメリカとは非常に異なります。

それからアメリカなどでは、NPOに関しては、日本よりもはるかに規模が大きいです。これは、法律が異なるので、日本とは単純比較はできませんが、いわゆる私立の大学、病院、それから、子供たちの入る福祉施設を含めた種種様々な非営利の福祉関連施設まで、NPOという位置づけで、日本よりはるかに奥行きも深く、間口も広いのがアメリカのNPOです。それこそ、これは政府のやるべきものだろうというものまで、NPOが実施しています。

このNPOの実体を知らない日本人には驚きですが、たとえば、デトロイトなどでは、都市計画のほとんどすべてをNPOが実施していて、かなり大きな成果を上げています。市は管理するだけで、実働するのは、NPOです。また、大きな都市には、たいてい、低所得層向け住居を提供するNPOがあって、これらが、あのサブ・プライム・ローンでアメリカの投資銀行が大失敗している最中でも、住宅を提供し続けており、大成功をおさめていました。

こういった、NPOの中には、銀行や、建築会社などがその構成員の中に最初から含まれていて、政府からの支援もうけつつ、日本などでは考えられないような大きな活動をしています。NPOで、有給で働く、正規職員の数も、給料自体も日本のそれよりはるかに上回っています。先立つものや、実際に実働する人もいなければ、NPOとて善意だけでは何もできないのです。そうして、NPOの仕事も、アメリカ人は、ビジネスといいます。決して、営利企業のそれと分けて考えてはいません。だからこそ、有名企業のCEOなどが、NPOのCEOに転身するなどということはアメリカでは、当たり前のことです。また、有名大学院の卒業生が、NPOに有給の正規職員として就職するというのも、普通に見られることです。中には、社会に役立つことを夢見て、最初からNPOに勤めようと強い動機を持っている人もいます。

これらのNPOは大抵、地元に蜜着しているため、それこそ、政府ではできないような、痒いところに手がとどくような、支援を行っています。低所得者に住宅を提供してそれでおしまいということはありません。たいていは、金融面での支援、職業訓練、就職の支援、他の家族や子供たちの支援まで含んだ包括的なプログラムを提供していることが多いです。

子供たちの支援でも、それこそ、様々なNPOがあり、素晴らしい包括的プログラムを提供しているNPOがあります。たとえば、あるNPOで運営している職業訓練学校では、複数の企業から委託を受けていて、職業訓練を引き受け、特定の企業に学校の卒業生を送り出すと、一人あたりいくらなどとして委託料を受け取るものもあります。このプログラムを受けたあるアフリカから移民してきた10代少女は最初はストリート・チルドレンをしていたのに、こプログラムにより、ある中堅企業に就職し、その後の努力の結果当該企業の社長にまで、上り詰めたなどというまさに、アメリカンドリームの典型的な美談などもあります。

こう書くと、良いことづくめのようですが、このような、日本から比較すれば、大きな力と組織力を持つNPOであるにもかかわらず、やはり、限界もあり、山積する社会問題をすべて解決するには程遠いというのが実情です。だから、こそ、アメリカでも、残念ながら多くの社会問題がまだまだ山積みになっていることも事実です。また、知識のない人、デジタルデバイドの人々が、こうしたNPOにアクセスする術を持たないため、こうしたNPOの恩恵にあずかることのできない場合もかなりあります。

しかしながら、これらのNPO、多くの人達の「何とかしたい、自分のできることで役立つことをしたい」という多くの人々の要求の受け皿になっていることは間違いありません。お金のある人は、お金を寄付し、お金がなくても、協力したい人は、ボランティアとして働くこともできます。アメリカの映画などみていると、有閑マダムがNPO活動を熱心にしていたり、子どもがクッキーを焼いて、近所のお宅を訪問して、それを売って、NPOの活動資金にするなどというシーンなどよくでてきます。おそらく、このシーンを見ても多くの日本人はほとんどその真の意味を理解できないかもしれません。

要するに、アメリカやイギリスでは、日本とは違い、誰もが、「タイガーマスク」のような活動をしたいと思えば、子供の頃から自分の意志で、やりたいと思えば、それをすることができるということです。お金がなければ、労働力を提供できるということです。知恵や、知識のある人は、それを提供できます。アメリカでは、16歳以上の人で、NPOでボランティアをする人々の割合は28%程度と、日本などに比較すると格段に高いです。この人達がNPOで働く時間は、中央値で年間52時間程度でした。無理せずに、できるときにできることをするということがわかるような数字です。これら詳細については、以下のURLをご覧になってください。

http://www.mext.go.jp/a_menu/shougai/houshi/07101511/004.pdf

さて、話が少しずれでしまいました。本筋に戻ります。先ほどのいわゆる「タイガーマスク現象」を引き起こしている人たち、もし、日本にアメリカのように、社会事業を行うNPOが沢山あれば、その中から自分の意図に沿った働きをしているNPOをみつけだし、そこに、寄付したり、あるいは、自分の知識や知恵をそこで役立てる道を選択できたかもしれません。

しかし、日本では、そのような組織がないため、考えあぐねた結果、自ら直接行動に出ているのだと思います。だから、本当は、日本にも、アメリカのようなNPOができる素地は十分にあるのだと思います。

しかし、日本がアメリカのように有力なNPOができないのには、それなりに理由と背景があります。それは、一つとして、まずは、まずは、日本は、アメリカやイギリスのようなNPOの歴史がないことがあげられます。実は、戦前には、アメリカやイギリスなどでは、現在の社会福祉のような事業はほとんどNPOがやっていたという歴史があります。その後、低調になりましたが、それについてはここでは詳細は述べません。また、30年前くらいから興隆してきたという事実があります。だから、NPOの活動が人々の生活に根付いています。

しかし、日本では、そのような歴史はありません。だから、NPOを理解しない日本人が少ないのも無理からぬ所だと思います。

それに、寄付金の文化が根づいていないことには、先に述べたように、日本では寄付をしても、税制上の優遇措置が少ないことを述べました。では、これは、なぜなのでしょうか?

これに関しては、財務省の官僚が関係しているようです。要するに、財務省側としては、財政民主主義の立場から、多くの資金が、直接NPOに寄付金などの形で集まるのは望ましくないとしていて、これが、日本では寄付をしても、税制上の優遇措置がほとんど受けられないことの背景にあります。

それであれば、補助金などの形で、もっともっと大きな資金がNPOに渡るようにすれば良いと思うのですが、そうではないです。財務省では、あの悪名高い特別会計とやらで、貯めこんで、このようなことには資金を提供しようとはしません。特別会計に関しては、日本が貧乏国だったころには、突然の災害に備えるためや、長期にわたって国のインフラを整備するためなどに必要不可欠のだったと思いますが、今では、その意味をほとんど失っていると思います。ちなみに、欧米はおろか、世界中を見回しても、特別会計なる不思議な制度は日本だけです。政府そのものが、これほど膨大な金融資産を有してる国は世界でも日本だけです。

これに関して、過去において小泉さんや、麻生さん、それに現政権でさえも、NPOに取り組もうとして形跡がありました。しかし、いずれも形跡だけで終わっています。やはり、現在でいえば、民主党がかがけた「政治主導」と同じようなものであり、おそらく財務官僚などの壁が予想以上に厚く、なかなか変えられないというのが実情なのだと思います。

なにか、風が吹くと桶屋が儲かる式の論法になってきましたが、あの、「タイガーマスク現象」が、何と、財務官僚が財政民主主義立場を堅持することから、やむなく発生したきたものという見方もできるということです。

日本が、いわゆる先進国でありながら、社会事業を実現する主体であるNPOの活動が低調であること、これは、何とか改革していく必要があるものと思います。というより、まずは、多くの日本人に啓蒙していく必要があると思います。なぜなら、日本では、社会問題に対処するセクターは、政府と、営利企業しかないと思い込んでいて、自分が何かやりたいと思っても、思っているだけで、結局は何もできず、閉塞感にさいなまされているような人が多数いるからです。また、多くの社会問題に日々さいなまされている人々は、これを、政府にぶつけても、民間企業にぶつけても解消の糸口もつかめず、本当に困っていると思います。

日本のように豊な社会になってからも、このような基本的な社会システムが整っておらず、人々の善意にだけ頼っているのは恥ずかしいことだと思います。また、タイガーマスク現象にも限界があります。大勢の子供たちの中には、ランドセルが足りないことだけが問題ではなく、他にも様々な社会問題が山積しています。

今の日本では、こうした子供たちに関わる社会問題はもとより、政府や民間企業などでは解決できない社会問題が山積しています。このままだと、金銭的には豊な社会であるはずなのに、このような問題は手付かずで放置されることになってしまいます。しかし、有力なNPOが日本にも存在すれば、すべての問題を解消できないまでも、多くの「タイガーマスク」のような人々が、少しずつでも、お金や、自分の時間を社会問題に割き、それぞれの特有の使命を持つNPOがその使命にこの人たちの力を結集すれば、少なくとも解決の糸口をつかみ、すこしずつでも前進することができるはすです。

さらには、国家予算に匹敵するような資金が実際にNPOを通じて動くわけですから、実体経済にもかなり良い影響を及ぼすように思います。こんなこと、日本ではできないと思われる方もいるかもしれませんが、日本にはあの特別予算というわけのわからない、予算があります。これの何分の1かでも、NPOにあてられたら、日本でも十分にできるはずです。それから、アメリカでは、NPOが政府に対しての報告制度や、監査制度なども、日本よりはるかに充実しています。また、自由主義経済のアメリカですから、NPO自体にもこの原則があてはめられ、使命を遂行できないNPOは毎年たくさん姿を消す代わりに、新しいNPOを数多く輩出し、新陳代謝が活発に行われています。これに関しては、ここで掲載すると長くなってしまうので、また別の機会に譲りたいと思います。

さて、上のようなことを考え合わせると、確かに、「タイガーマスク現象」は良いことであり、何も、反対したり、反論する気など毛頭はないのですが、もっと何とかならないものかという考えが頭をよぎり、私は、すっきりしないのです。皆さんは、どう思われますか?

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