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2011年2月25日金曜日

<中国人が見た日本>日本のドラマが教える「大国の国民」の精神(レコード・チャイナ)―【私の論評】中国人は、本当の意味で「坂の上の雲」を理解することはできない。できるとすれば、中国が分裂したときだ!

<中国人が見た日本>日本のドラマが教える「大国の国民」の精神


2011年2月23日、中国誌「週末画報」の編集者、孫驍驥(スン・シャオジー)氏が「日本民族の個性とメロドラマ」と題した記事を中国のブログサイト・鳳凰博報に掲載した。以下はその内容。

その民族の個性を知るためにはどこを見れば良いか?それは、庶民が1 日の仕事を終えて帰宅した後に見る、いわゆるゴールデンタイムのメロドラマだ。例えば、筆者も疲れた身体をドカッとソファに投げ出し、気分転換しようとテレビをつけることがある。だが、ここで疲れは一気に倍増だ。画面に映し出されるのは「三国志」や「西遊記」といった類の人形劇か、主婦が好きそうな「惚れたはれた」系の恋愛ドラマばかりだからである。

さらに、インターネットでは官製メディアが「2010年の国産テレビの総まとめ:民族精神と想像力の相乗効果」を特集していた。そこにはこう書かれている。「2010年は影響力のある『紅色経典』(共産主義の模範的な)のドラマが数多く放送された。それは時を超え、革命のためなら命をも投げ出す覚悟を持つ当時の共産党員たちを現代の若者たちの目の前に蘇らせた―」。筆者は一瞬、わが中国外交部の馬朝旭(マー・チャオシュー)報道官の発言かと目を疑った。

ところが、驚いたことに対岸の隣人―1日中「馬鹿野郎」と叫ぶ野郎の方々も集団で自分たちの国の「革命テレビドラマ」を観ていることが分かった。ドラマの題名は「坂の上の雲」。近代国家へと歩み始めた明治時代を舞台にした話で、NHK「スペシャルドラマ」として2009年から断続的に放送されている。最初は軟弱な主人公が切磋琢磨して力をつけ頭角を表し、やがてかなわないと思っていた強敵を倒す。いかにも日本人が好きそうなドラマだ。

要するに日露戦争の話なのだが、興味深いのはこのドラマが「その国が近代国家の仲間入りを果たしたかどうか、最も重要な基準になるのは人々が『国民』意識を持っているかどうかだ」と訴えている点だ。では、「国民」とはなにか?このドラマの解釈によると、「国のために命を投げ捨てる覚悟がある人」を指す。

中国人が火鍋を食べながら連続ドラマ「毛岸英」(毛沢東の長男、朝鮮戦争で戦死)を観ている時、対岸の日本人は笑っている。何がそんなに可笑しいのか?100年前は「外国の技術を学び、外国を制する」と崇高な理念を掲げていた民族が、100年後には「父親が権力者でないこと」を嘆くようになっていることだ。これは人類の文明史上、最大の冗談としか言いようがない。父親に権力がないことを嘆くような国に「国民」意識は育たないだろう。

「前をのみ見つめながら歩く。のぼってゆく坂の上の青い天にもし一朶の白い雲が輝いているとすれば、それのみを見つめて坂をのぼってゆくであろう」―。これは「坂の上の雲」の冒頭文だ。これは明治時代の日本人の精神を表わしているだけでなく、大国の国民はどんな精神を持つべきかを我々に教えている。

たとえ小さな島国でも国民全体が強い向上心を持っていれば、どんなに苦しい山道でも一歩一歩、登り続けていける。だが、反対に国土が大きいことにあぐらをかき、少しも向上しようと思わない民族はいつまでも谷底に沈んだままだということだ。(レコード・チャイナ)

【私の論評】中国人は、本当の意味で「坂の上の雲」を理解することはできない。できるとすれば、中国が分裂したときだ!


上の動画は、日本海海戦の勝利を高らかに歌った『日本海海戦』という軍歌です。海戦の模様を詳しく描写した内容です。『坂の上の雲』は、もう皆さんご存じですね。特に、1部、2部に関しては、もう説明するまでもないですが、今年の11月放映予定の第三部では、いよいよこのドラマのクライマックスともいえるロシア海軍と、日本海軍による日本海海戦が放映されます。

この戦争は、大日本帝国とロシア帝国との間で朝鮮半島と満洲南部を主戦場として発生した戦争です。結局日本が一方的ともいわれる大勝利を収め、両国はアメリカ合衆国の仲介の下で終戦交渉に臨み、1905年9月5日に締結されたポーツマス条約により講和しました。

これによって、日本は、当時懸念された、ロシアのアジアへの南下を完璧に封鎖してしまいました。そして、ご存じのその後のロシアの革命にも大きな影響を与えたといえます。日露戦争がなければ、帝政ロシアはもう少し長く続いたかもしれません。

この戦いは、大きな歴史の流れの文脈からは、ウエストファリア条約締結以来、複数の大国の力の均衡(パワー・オブ・バランス)で平和が成り立ってきたものが、その均衡が崩れて、新たな秩序をつくりだすまでの間の戦争の初戦の一部という位置づけということができると思います。

ただし、それまでの力の均衡は、ヨーロッパ列強によるもののみを意味したのですが、新たな、アメリカや、日本が加わったということです。

この戦いは、アジアへの列強の進出を踏みとどまらせ、遅らせるという役割もしました。その後、世界は、第一次世界大戦、第二次世界大戦と進みその後の冷戦構造ができあがり、ここにアメリカとソビエトという二国間による力の均衡が成立しました。

しかし、これも、ソビエト崩壊により崩れ、世界は今に至っています。アメリカは、ソビエト崩壊後においては、本来は、いくつかの国による力の均衡を模索すべきだったのですが、どうやら、一極支配を目論んだようで、現在世界の警察官を自認したようですが、その試みは失敗しつつあります。

そうして、ロシアと東欧は少なくとも、ソビエト崩壊前からは、随分変化しました。少なくとも、東欧諸国は、随分変わり、民主的な政権ができあがりました。しかし、アジアは、何の変化もなく、北朝鮮、中国は、そのまま継続し、冷戦構造のときのままの体制が残っています。

さらに、この流れのなかで、ヨーロッパ列強の力の均衡が最初に崩れたあたりから、多くの知識人が、国民国家の終焉を予言しました。最初に言い出したのは、カントです。その後、アメリカの知識人もそのようなことを言い出しました。本当に一部、そのような国もでてきました。それが、ソビエトであり、中華人民共和国であり、いまはなきユーゴスラビアです。これらの国、多くの民族からなる多民族国家であり、実際に、ソビエトは、多くの国々が集まるソビエト連邦であったことは、多くの人が覚えておられるでしょう。

ソビエトが存在したときには、国連には、ソビエトの代表とともに、ソビエト内のロシア共和国など国々の代表も参加していたことは多くの人が覚えていらっしゃることでしょう。

しかし、国民国家がなくなるという知識層の予想は、ことごとく外れてしまったというのが、今日の世界です。そうです。冷戦崩壊後、ソビエトも、ユーゴスラビアも、なくなり民族国家あるいは、比較的少数の民族からなる国民国家が成立しました。今でも、この流れは変わっていません。最近、中東の騒ぎの中にも、いわゆる国民国家への流れというものが感じられると思います。

こうした歴史の流れからみてみると、今の大陸中国に関しては、実は、こうした本来の国民国家設立に自ら尽力して、海外と勢力と戦争をしたということは一度もありません。そんなばかな、という方もいらっしゃるかもしれません。実際に日中戦争があったではないかという方もいらっしゃると思います。

しかし、現在の共産主義中国である、中華人民共和国と、日本国とは一度も正式に戦争をしたことはありません。無論散発的に小競り合い程度のことはあったとは思います。そもそも、中国での争いは、中華民国と、大日本帝国との争いでした。しかし、これとても、本来の戦争の定義からすれば、戦争ではなく、事変というほうが正しいです。そうして、現在の中華人民共和国は、中華民国との戦争というより、内乱により、中華民国を台湾に追いだして建国しました。

以下に、この話を分かりやすくするために、以下に戦争の定義を掲載しておきます。
(1)主権国家
(2)軍事力
(3)規模
戦争の定義では、上記の3点がポイントとなるという。

(1)に関しては、戦争は主として、主権国家の行為であるということです。
(2)に関しては、
軍事的対立といっても、それは、攻撃・防御・砲撃・爆撃というような、流血を伴う軍事力による直接的戦闘行為だけにはかぎりません。軍事力による封鎖、示威、脅威、護衛などという間接的な軍事行動も含まれます。
(3)に関しては、
a.参加兵力、b.継続期間、c.戦闘行為による損害
からなる諸要素の規模であることが条件です。

これを簡単にまとめると、軍事力による軍事行為を伴う、主として主権国家間の相互作用であって、ある程度の規模を有するものということになります。
さて、上の中国人の「坂の上の雲」に関する憧憬ともみられる、記述ですが、彼らが、国民国家として、一度も海外の敵と戦ったことがなく、本当に、国民国家の独立を本来の意味で勝ち取ったり守ったりしたことがないということとも関係していると思います。

それに、大局的な見地からすれば、日本がロシアと戦争をしたとか、大東亜戦争でイギリス、オランダ、アメリカなど戦争したということは、時代背景を考えれば、日本がアジアの自主独立をその当時のやり方で行ない、アジアの国々を守ったということになります。もし、日本があの当時戦争をしなければ、アジアは、アフリカのように列強の植民地となったままで、独立も随分遅れたに違いありません。

無論私は、単純な戦争肯定論者ではありません。しかし、あの当時日本が戦争をしなかったとしても、中国や韓国など、結局はソビエトを含むヨーロッパの列強や、アメリカなどにより統治されていたことでしょう。いずれ独立はしたものの、今日の中華人民共和国とは随分異なったものとなっていたことでしょう。そういう意味では、日本は現在の中華人民共和国成立の立役者であった側面は否めません。

現在の中華人民共和国も、国民国家とはいえる状況ではないと思います。民族も言葉も全く異なる人々が人為的に、それも、軍事力を背景にまとまったというだけで、一つにすること自体にかなり無理があります。だからこそ、中国では、建国以来毎年平均、2万件に及ぶ暴動が繰り返し起こっています。いずれ、中国も現在中東でおこっているような、騒乱に巻き込まれるときがくるでしょう。そうして、いずれ、いくつかに分裂して、国民国家ができあがるに違いありません。その時になって、はじめて、中国人(このようなものは存在していないだろうが)は、国民国家の意味を理解し、日本の「坂の上の雲」を真に理解することでしょう。

そうして、日本国の国民は、上記のような正しい歴史観(少なくとも、日本や中国、韓国以外の海外で認められるまともな歴史観)ではなく、誤った自虐的史観にとらわれていますが、さすがに、国民国家の象徴的な、日露戦争に関しては、それを客観的に理解出来るのだと思います。だからこそ、このドラマも人気が高いのだと思います。

今の世界は、大きな流れとして新秩序を求めて、まだ胎動中であるとみるべきです。尖閣の問題も、現在の中東の騒乱もそうした文脈から理解すべきことと思います。そういう意味では、「坂の上の雲」は本当は終わっておらず、まだ続いているし、これかもしばらく続くことと思います。

しかし、いずれ、誤った自虐史観など捨て去らなければ、日本の国民国家自体も危うくなります。早く、多くの人々が誤った歴史観の呪縛から解かれる日がくることを願ってやみません。

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