間違った指摘を繰り返すなら意味がない
経済学者 嘉悦大学教 高橋洋一
さすがに黙っていられない
文部科学省の大学設置・学校法人審議会(設置審)が、11月9日、加計学園の獣医学部新設計画に対し「可」とする答申を行った(http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/daigaku/toushin/attach/1398164.htm , http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/daigaku/toushin/attach/__icsFiles/afieldfile/2017/11/10/1398164_1.pdf)。それに対して、マスコミがいろいろと報道をしているが、未だにお粗末であるから嘆かわしい。筆者は過去に何度も加計学園についての「疑惑報道」の問題点を指摘したが、本稿を改めて書いてみようと思ったのは、10日のNHKの報道(http://www3.nhk.or.jp/news/html/20171110/k10011219211000.html)があまりに酷かったからだ。
これを見ると、NHKは特区の役割と文科省設置審の役割がまったくわかっていないようだ。それであるのに、「文科省認可がおかしい」というトーンで報じている。
これらの報道を見ているときに思うことは、まず、マスコミは基本的なリテラシーがないということだ。役所から出す情報は、①法律・政省令・告示の公文書、②統計データ、③答申が基本である。ところがマスコミは、これらの基本情報すら読めない。これは筆者が官僚だった時代の実感でもある。
特に①と②については全滅、つまり理解できないのである。そこで、なんとか理解しようと官僚のレク(説明)を求めるのだが、こうなると官僚が記者を操作することが可能になる(いわゆる「役所ポチ」の誕生だ)。
さて、加計報道に関しては、まずメディアが①を読んでいないという致命的な欠陥が浮かんでくる。
本コラムの読者であれば、筆者が早い段階からこの問題について何度も書いてきたことをご承知だろう。その中で、一貫してマスコミは「加計学園獣医学部の設立に関しては、総理の意向があった」というが、各種の公表資料を見たうえで、「そんな意向はなかった」といってきた。
もちろん、マスコミが決定的な証拠を出せば、筆者の負けであるが、これまで週刊誌がこの問題を最初に報道してから9ヶ月程度がたっており、国会での関係者の証言などもあったが、総理の意向を証明するものはなかった。
マスコミにとっては、元文部科学省事務次官の前川喜平氏の証言だけが頼りであったが、結局前川氏も国会で明確にその「意向」を立証できず、その他の関係者は総理の意向を完全に否定していた。
筆者がなぜそうした結論に達したかは簡単だ。加計学園を特区で扱ったのは、大学学部認可の申請を行えるように告示改正をしたからだ。文科省設置審は、認可申請の後に認可審査を行うところであるのだが、NHK報道はこの点を無視しているのか、まったく言及していない。
大学学部認可というと大げさにみえるが、行政法では、「運転免許」と同じようなものである。行政の世界では、大学学部認可の申請といえば、大学が「自動車学校」に入学するような話であり、大学学部認可とは、大学に「運転免許」を与えることを意味する。その後、文科省の設置審が「可」の答申を出すことは、自動車学校において、学科・実地試験に合格することと同じである。
このたとえで、加計学園の問題の本質がわかるだろう。次ページでその本質を説明しよう。
しかも、大学学部認可は、50年以上も申請させていなかったという。これは本コラムで、認可制度の運用として、違法まがいであることを指摘してきた。たとえばある学生には自動車学校への入学をさせない、という規制であり、現実にそんなものがあれば問題になるだろう。
しかも、申請させないという規制は、法律ではなく告示という形でなされた、文科省だけの判断によるものである。
このたびの加計学園の問題では、50年以上も新学部の申請をさせないという「ゆがんだ行政」が、申請できるように「正された」だけである。
筆者がはじめて加計学園の問題を聞いたとき、認可の申請をさせるような規制緩和(告示改正)なら簡単にできると直感した。公表されている内閣府と文科省との間の議論をみれば内閣府の完勝である。だから、総理の意向なんてありえないと思ったところだ。
ところが、文科省は卑劣にも「総理の意向があった」と文科省内文書に書き、それをマスコミにリークした。それがほぼ半年前である。そのときは、安倍総理が改憲の意向を強めているという新聞記事が出た直後なので、改憲潰しに加計問題を利用するつもりかと思ったくらいだ。
そのとき、出てきたのが前川喜平氏である。筆者は、自らが手がけた天下り規制がようやく本格的に適用できた文科省の組織ぐるみの天下り斡旋問題で、その首謀者に前川氏がなっていたことを知っていた。
それが明るみに出たのが今年初めであり、前川氏は文科省天下りを組織ぐるみで行っていた責任をとって今年3月に辞任した。本来であれば懲戒免職ではないかと思い、官邸関係者に聞いたこともある。
しかも前川氏は、新国立競技場の建設をめぐっても、高額発注で問題を起こしたことがある人物だ。その段階で通常であれば役人を辞めるのだが、文科省ではなぜか生き残ってきたのは、役人の経験がある筆者から見れば不思議だった。文科省は一般に三流官庁と言われているため、人材が不足しているのだろう。
もともと、これは「悪魔の証明」であり、「そんなものはない」という人に挙証責任を負わせるべきものではなく、疑惑を指摘する側のマスコミが決定的な証拠を示さないと話にならない。
疑惑と言い続けているのは、マスコミが仕事をできないことを白状しているようなものだ。普通の民間企業であれば、半年も進展のないプロジェクトであれば、もう終わりにすべきだろう。
また、これを延々追及する国会議員も情けない。もちろん、これもマスコミと同じで、決定的な証拠をつかめたのなら話は別だ。ただ、彼らもさんざん血税を使って調べたはずだろう。それでも答えを出せないものを追及するのは、税金の無駄使いでしかない。
去る10日には、毎日新聞が改めて前川氏の話を聞いて「(加計学園獣医学部)「認可すべきではない」前川氏が疑問呈す」と報じた(https://mainichi.jp/articles/20171111/k00/00m/040/101000c)が、これも酷かった。
認可すべきでない、というのなら、どうして現役の官僚の時に、そうした行動をとらなかったのか。不思議で仕方ない。前川氏については、本コラムで何度もその主張の問題点を書いてきたが、この記事の中でも致命的なものがある。
ネットでは、前川氏の「(加計学園には)博士課程もないのに先端研究ができるわけがない」という主張に対して、飯田泰之氏が「一期生が最終学年になるまで博士課程は設置できない」といったことが取り上げられていた(https://anonymous-post.com/archives/15671)。
しかし、これはやや勘違いだろう。大学院は、大学院大学と言うくらいで、学部とは独立した存在である。学部のない大学院大学もある。つまり、学部がなくても大学院は設置できるわけだ。
そうであるので、飯田氏のいう「一期生が最終学年になるまで博士課程は設置できない!」というのは、ちょっと勘違いだとは思う。大学院設置の関係文書をみても、そうした規制は筆者の見る限りない。
医学部が37年ぶりに新設され、加計学園と並んで話題になった国際医療福祉大は、昨年の17年度に学部を開設している(http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/daigaku/toushin/attach/1376289.htm http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/daigaku/toushin/attach/__icsFiles/afieldfile/2016/08/26/1376289_02_2.pdf)。
そして大学院は、今年の18年度大学院開設になっている(http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/daigaku/toushin/attach/1398164.htm http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/daigaku/toushin/attach/__icsFiles/afieldfile/2017/11/10/1398164_2.pdf)。
これを見れば、学部と大学院は同時に開設しなくてもよいことが分かる。常識的に考えても、大学は学部申請をするだけで忙しく、大学院も同時に申請することはできないだろう。しかも、昨年の国際医療福祉大医学部の時には、前川氏が事務次官であったときだ。そのとき、大学院はまだ認可していない。
それにもかかわらず、今回の加計学園で「加計学園には大学院がないから問題」ということは、自分が現役官僚時代にやったこと否定するもので、いかにも前川氏らしい、二枚舌・ダブルスタンダードであり、自分への大ブーメランとなっている。
こんな人のコメントを載せるぐらいしか「追及」の方法がないのなら、もう報道する価値はないはずである。いったいいつまでマスコミはこのことについて報道するのか、さすがにあきれてしまう。
最後に、マスコミ報道も「やり過ぎ」というレベルになれば、「根拠なく加計学園の名誉を毀損し、営業を妨害した」となりかねないのではないだろうか…という懸念を表明しておきたい。
この受験生は、文部省大学が指定する、日付・日時に試験場におもむき、所定の試験を受けて、その後試験結果の判定を受けて合否が決定され、合格ということになれば、はじめて文部省大学に入学することができます。この段階では、文部省大学に入学できるかできないかは、受験生はもとより、文部省大学側もわかりません。(いわゆる加計問題で、大学学部認可の申請に相当する)
この段階で、この受験生は不正入試をしたと疑われ、学長と受験生は友達関係にあり、文部省大学は不正行為をしたとされ、マスコミがこれを報道し、国会議員は国会でこれを追求しました。こんなことは、あり得ないだろうと高橋洋一氏は主張しているわけです。
ただし、この段階でこの受験生が何やら不正をしていたことがはっきりとわかるような証拠があれば、にわかには信じられないとはしても、確かに不正があったとできるかもしれないですが、数ヶ月たっても何の証拠もあがってきていないのです。
そうして、その後文部省大学の、入試担当の教員(いわゆる加計問題での文部科学省の大学設置・学校法人審議会にあたる)が、11月9日、加計学園の獣医学部新設計画に対し「可」とする答申を行ったが所定の手続きにより、この受験生の合格を決定したということです。
この段階で、不正があったというのなら、まだ話は理解しやすいです。ただし、この段階ばすでに不正があったとするのも、不自然です。受験票の交付の段階で、不正ありとすでに疑われていたのですから、その後入試担当の教員らがわざわざ不正行為をすることは考えにくいです。教員らは所定の手続きにしたがって、合否を判定したと考えられます。そうて、その後不正行為をしたという証拠も無論あがっていません。
それに、この疑惑は、受験票の交付時点での疑惑が主なものであり、そもそも、マスコミも野党の政治家も最初から筋悪の追求をしていたとしか思えません。
高橋洋一氏は、さらに以下のような主張をしています。
やはり、マスコミも野党も、基本的なリテラシーに欠けているとしか思えません。これは、財務省や日銀関連の報道にも良くみられることです。マスコミは、役所の発表した資料や官僚が説明をした内容を咀嚼することもなく、そのまま報道していることがほとんでです。経済に関するまともな知見などないのでしょう。
このブログでは、マネジメントの原則から見た民進党消滅の要因を掲載したことがあります。これは、民進党に限らず、マスコミにもあてはまると思います。その記事のリンクを以下に掲載します。
この3つの要因は、そのままマスコミにも良くあてはまっていると思います。ただし、第3の項目は、さほど当てはまってはいないようにもみえます。政治の世界は、何を行うにしても妥協の産物にならざるをえないところがありますが、マスコミはビジネスであり、政治の世界ほどは妥協は少ないからです。
それにしても、ある程度は妥協は必要ですが、マスコミも妥協の仕方は下手なようです。おそらく、「加計問題」でも、正しい妥協ができないマスコミがでてくるのではないかと思います。
いくら自分たちの使命は「政権や権力と戦うこと」であり、「アベ政治を許さない」と言う揺るがない信念をもって報道にあたっても、今回の選挙でも野党はボロ負けしています。
希望の党と、立憲民主党をあわせて、130以上の議席でも獲得できれば、野党として政治にある程度大きく関与できたでしょうが、現実には105です。これでは、まともに立ち直るだけでも数年はかかるでしょう。
マスコミは良かれと思い、「加計問題」でも、野党を応援するような報道を行ったにもかかわらず、この有様です。
今後も筋悪の「加計問題」を追求し続ければ、野党にとっては良いようにもみえますが、最初から何の生産性もない問題に野党を拘泥させることになり、野党は政策も、政局も見失いますます衰退していくことになると思います。
野党がますます衰退することになれば、今のままではあれば、マスコミも衰退することになるでしょう。この場合、マスコミも妥協を行い、「加計問題」からは距離をおくなどの正しい妥協を行えばよいのでしょうが、妥協の仕方を誤れば大変なことになるでしょう。
今回は、加計問題を受験生にたとえてみましたが、この架空の受験生のようなことが本当に起こったとして、私や私の家族がこの受験生だったとしたら、マスコミが疑惑を報道しつづけるというのなら、私は確実にマスコミや野党の議員を訴えます。
これは、高橋洋一氏も指摘していますが、今までも酷かったですが、これからも酷いことをすれば、加計学園が訴訟を起こすことになりかねません。そうなれば、当然のことながら、野党の関与も調べられることになります。不正の証拠がないということになれば、有罪になる可能性は高いです。
そうなれば、野党もマスコミもかつてないほどに、弱体化することになると思います。そうして、今のところはその確率が非常に高いと思います。
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筆者がなぜそうした結論に達したかは簡単だ。加計学園を特区で扱ったのは、大学学部認可の申請を行えるように告示改正をしたからだ。文科省設置審は、認可申請の後に認可審査を行うところであるのだが、NHK報道はこの点を無視しているのか、まったく言及していない。
大学学部認可というと大げさにみえるが、行政法では、「運転免許」と同じようなものである。行政の世界では、大学学部認可の申請といえば、大学が「自動車学校」に入学するような話であり、大学学部認可とは、大学に「運転免許」を与えることを意味する。その後、文科省の設置審が「可」の答申を出すことは、自動車学校において、学科・実地試験に合格することと同じである。
このたとえで、加計学園の問題の本質がわかるだろう。次ページでその本質を説明しよう。
文科省の開き直り
要するに、加計学園はもともと自動車学校へ入学する(新たな学部の申請を行う)という段階で、免許合格までは保障されたものではない。メディアはこの段階で「総理の意向があったはずだ」というのだが、そんな初期の段階で、偉い人の助けを借りるだろうか。筆者の役人の時の経験からいっても、入学の段階でわざわざ総理の意向なんて介在する余地などない。しかも、大学学部認可は、50年以上も申請させていなかったという。これは本コラムで、認可制度の運用として、違法まがいであることを指摘してきた。たとえばある学生には自動車学校への入学をさせない、という規制であり、現実にそんなものがあれば問題になるだろう。
しかも、申請させないという規制は、法律ではなく告示という形でなされた、文科省だけの判断によるものである。
このたびの加計学園の問題では、50年以上も新学部の申請をさせないという「ゆがんだ行政」が、申請できるように「正された」だけである。
筆者がはじめて加計学園の問題を聞いたとき、認可の申請をさせるような規制緩和(告示改正)なら簡単にできると直感した。公表されている内閣府と文科省との間の議論をみれば内閣府の完勝である。だから、総理の意向なんてありえないと思ったところだ。
ところが、文科省は卑劣にも「総理の意向があった」と文科省内文書に書き、それをマスコミにリークした。それがほぼ半年前である。そのときは、安倍総理が改憲の意向を強めているという新聞記事が出た直後なので、改憲潰しに加計問題を利用するつもりかと思ったくらいだ。
そのとき、出てきたのが前川喜平氏である。筆者は、自らが手がけた天下り規制がようやく本格的に適用できた文科省の組織ぐるみの天下り斡旋問題で、その首謀者に前川氏がなっていたことを知っていた。
それが明るみに出たのが今年初めであり、前川氏は文科省天下りを組織ぐるみで行っていた責任をとって今年3月に辞任した。本来であれば懲戒免職ではないかと思い、官邸関係者に聞いたこともある。
しかも前川氏は、新国立競技場の建設をめぐっても、高額発注で問題を起こしたことがある人物だ。その段階で通常であれば役人を辞めるのだが、文科省ではなぜか生き残ってきたのは、役人の経験がある筆者から見れば不思議だった。文科省は一般に三流官庁と言われているため、人材が不足しているのだろう。
これ以上は、税金の無駄遣いでは…?
いずれにしても、マスコミが問題をみつけた当初の段階で「疑惑」と報道するのはいい。それは彼らの重要な役割でもある。しかし、最初の週刊誌報道から9か月も経っている。文科省文書のリークを朝日新聞が報じてからも半年経っている。その間、マスコミは疑惑を言い続けているが、何も新たな決定的な証拠を示していない。もともと、これは「悪魔の証明」であり、「そんなものはない」という人に挙証責任を負わせるべきものではなく、疑惑を指摘する側のマスコミが決定的な証拠を示さないと話にならない。
疑惑と言い続けているのは、マスコミが仕事をできないことを白状しているようなものだ。普通の民間企業であれば、半年も進展のないプロジェクトであれば、もう終わりにすべきだろう。
また、これを延々追及する国会議員も情けない。もちろん、これもマスコミと同じで、決定的な証拠をつかめたのなら話は別だ。ただ、彼らもさんざん血税を使って調べたはずだろう。それでも答えを出せないものを追及するのは、税金の無駄使いでしかない。
去る10日には、毎日新聞が改めて前川氏の話を聞いて「(加計学園獣医学部)「認可すべきではない」前川氏が疑問呈す」と報じた(https://mainichi.jp/articles/20171111/k00/00m/040/101000c)が、これも酷かった。
認可すべきでない、というのなら、どうして現役の官僚の時に、そうした行動をとらなかったのか。不思議で仕方ない。前川氏については、本コラムで何度もその主張の問題点を書いてきたが、この記事の中でも致命的なものがある。
ネットでは、前川氏の「(加計学園には)博士課程もないのに先端研究ができるわけがない」という主張に対して、飯田泰之氏が「一期生が最終学年になるまで博士課程は設置できない」といったことが取り上げられていた(https://anonymous-post.com/archives/15671)。
しかし、これはやや勘違いだろう。大学院は、大学院大学と言うくらいで、学部とは独立した存在である。学部のない大学院大学もある。つまり、学部がなくても大学院は設置できるわけだ。
そうであるので、飯田氏のいう「一期生が最終学年になるまで博士課程は設置できない!」というのは、ちょっと勘違いだとは思う。大学院設置の関係文書をみても、そうした規制は筆者の見る限りない。
医学部が37年ぶりに新設され、加計学園と並んで話題になった国際医療福祉大は、昨年の17年度に学部を開設している(http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/daigaku/toushin/attach/1376289.htm http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/daigaku/toushin/attach/__icsFiles/afieldfile/2016/08/26/1376289_02_2.pdf)。
そして大学院は、今年の18年度大学院開設になっている(http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/daigaku/toushin/attach/1398164.htm http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/daigaku/toushin/attach/__icsFiles/afieldfile/2017/11/10/1398164_2.pdf)。
これを見れば、学部と大学院は同時に開設しなくてもよいことが分かる。常識的に考えても、大学は学部申請をするだけで忙しく、大学院も同時に申請することはできないだろう。しかも、昨年の国際医療福祉大医学部の時には、前川氏が事務次官であったときだ。そのとき、大学院はまだ認可していない。
それにもかかわらず、今回の加計学園で「加計学園には大学院がないから問題」ということは、自分が現役官僚時代にやったこと否定するもので、いかにも前川氏らしい、二枚舌・ダブルスタンダードであり、自分への大ブーメランとなっている。
こんな人のコメントを載せるぐらいしか「追及」の方法がないのなら、もう報道する価値はないはずである。いったいいつまでマスコミはこのことについて報道するのか、さすがにあきれてしまう。
最後に、マスコミ報道も「やり過ぎ」というレベルになれば、「根拠なく加計学園の名誉を毀損し、営業を妨害した」となりかねないのではないだろうか…という懸念を表明しておきたい。
【私の論評】現状のままでは野党もマスコミもかつてない程弱体化する(゚д゚)!
高橋洋一氏の以下の主張を私なりにもう少しわかりやすくしてみようと思います。
加計学園はもともと自動車学校へ入学する(新たな学部の申請を行う)という段階で、免許合格までは保障されたものではない。メディアはこの段階で「総理の意向があったはずだ」というのだが、そんな初期の段階で、偉い人の助けを借りるだろうか。加計学園を受験生とします。これが、文部省大学という大学の入学試験を受けることになつたとします。この受験生は文部省大学に対して、受験の申請を行い、文部省大学が加計受験生に対して、受験票を交付しました。無論受験票を交付されたらといって、大学に即合格というわけではありません。
この受験生は、文部省大学が指定する、日付・日時に試験場におもむき、所定の試験を受けて、その後試験結果の判定を受けて合否が決定され、合格ということになれば、はじめて文部省大学に入学することができます。この段階では、文部省大学に入学できるかできないかは、受験生はもとより、文部省大学側もわかりません。(いわゆる加計問題で、大学学部認可の申請に相当する)
大学入試では受験票を交付されたからといって合格するわけではない。受験生は 大学等が指定する受験会場に所定の時間におもむき試験を受けなければならない |
ただし、この段階でこの受験生が何やら不正をしていたことがはっきりとわかるような証拠があれば、にわかには信じられないとはしても、確かに不正があったとできるかもしれないですが、数ヶ月たっても何の証拠もあがってきていないのです。
そうして、その後文部省大学の、入試担当の教員(いわゆる加計問題での文部科学省の大学設置・学校法人審議会にあたる)が、11月9日、加計学園の獣医学部新設計画に対し「可」とする答申を行ったが所定の手続きにより、この受験生の合格を決定したということです。
この段階で、不正があったというのなら、まだ話は理解しやすいです。ただし、この段階ばすでに不正があったとするのも、不自然です。受験票の交付の段階で、不正ありとすでに疑われていたのですから、その後入試担当の教員らがわざわざ不正行為をすることは考えにくいです。教員らは所定の手続きにしたがって、合否を判定したと考えられます。そうて、その後不正行為をしたという証拠も無論あがっていません。
それに、この疑惑は、受験票の交付時点での疑惑が主なものであり、そもそも、マスコミも野党の政治家も最初から筋悪の追求をしていたとしか思えません。
高橋洋一氏は、さらに以下のような主張をしています。
マスコミは基本的なリテラシーがないということだ。役所から出す情報は、①法律・政省令・告示の公文書、②統計データ、③答申が基本である。ところがマスコミは、これらの基本情報すら読めない。これは筆者が官僚だった時代の実感でもある。
特に①と②については全滅、つまり理解できないのである。そこで、なんとか理解しようと官僚のレク(説明)を求めるのだが、こうなると官僚が記者を操作することが可能になる(いわゆる「役所ポチ」の誕生だ)。①については、特区のワーキング・グループの議事録なども、私はこのブログにも掲載し、不正行為があり得ないことを主張しましたが、 マスコミはそれすらもしていません。マスコミや野党も、②の統計もほとんど閲覧している様子は伺えませんでした。
やはり、マスコミも野党も、基本的なリテラシーに欠けているとしか思えません。これは、財務省や日銀関連の報道にも良くみられることです。マスコミは、役所の発表した資料や官僚が説明をした内容を咀嚼することもなく、そのまま報道していることがほとんでです。経済に関するまともな知見などないのでしょう。
このブログでは、マネジメントの原則から見た民進党消滅の要因を掲載したことがあります。これは、民進党に限らず、マスコミにもあてはまると思います。その記事のリンクを以下に掲載します。
リベラル勢力たちの自業自得 「反安倍なら何でもあり」では国民から見捨てられるだけ―【私の論評】マネジメントの原則から見る民進党消滅の要因(゚д゚)!
詳細は、この記事をご覧いただくものとして、以下に短くまとめます。
第1は、自分たちの使命は「政権や権力と戦うこと」と定義してしまうと、本来の使命を考えなくなってしまうことです。これは、誰が考えてもわかります。「政権や権力と戦うこと」自体は、手段に過ぎません。「政権や権力」と戦って、相手を潰したり、あるいは弱めたりすれば、自分たちの主張が通りやすくなります。
これは、あくまで自分たちの主張を通すための手段です。戦って、相手を潰したり、弱めた後には、自分たちは何をしたいのか、何をするのかはっきりしていなければ、全く意味がありません。
経営学の大家であるドラッカー氏はリーダーシップと、使命について以下のように語っています。真のリーダーは、妥協を受け入れる前に、何が正しく、望ましいかを考え抜く。リーダーの仕事は、明快な音を出すトランペットになることである。(『プロフェッショナルの条件』)ドラッカーは、リーダーシップとは、人を引きつける個性のことではないといいます。そのようなものは煽動的資質にすぎないとしています。まさに、「安倍政治を許さない」は、扇動的キャッチフレーズに過ぎないものです。
第2に、「アベ政治を許さない」では、まともな意思決定ができないということがあります。経営学の大家ドラッカー氏は、意思決定について以下のように述べています。
決定においては何が正しいかを考えなければならない。やがては妥協が必要になるからこそ、最初から誰が正しいか、何が受け入れられやすいかという観点からスタートしてはならない。(『経営者の条件』)決定においては何が正しいかを考えなければならないというのは、別な方面からると、誰が正しいか、誰が間違いであるかを考えてはならないということです。これは、誰でも理解できます。社会問題を解決したり議論するときに、「誰が正しい、誰が間違い」などと議論することは不毛な結果しか招きません。やはり、「何が正しい、何が間違い」という議論をすべきです。
第3に、民進党は、「アベ政治を許さない」という信念に凝り固まって、妥協の仕方が下手だということもあります。ドラッカーは次のようにも述べています。
頭のよい人、しかも責任感のある人は、せっかくの意思決定も実行されなければ意味がないと思う。そのため、最初から落としどころとしての妥協を考える。(『経営者の条件』)安倍総理は、意思決定においては、最初から落とし所の妥協を考えているわけではありません。無論政治の世界には妥協はつきものなので、全く考えないということはないですが、少なくとも、野党と比較するとその度合いはかなり少ないです。ドラッカーは、妥協について以下のように述べています。
妥協には2つの種類がある。1つは古い諺の「半切れのパンでも、ないよりはまし」、1つはソロモンの裁きの「半分の赤ん坊は、いないより悪い」との認識に基づく。前者では半分は必要条件を満足させる。パンの目的は食用であり、半切れのパンは食用となる。半分の赤ん坊では妥協にもならない。(『経営者の条件』)
ソロモン王の裁きの故事に基づく絵画 「ジェームズ・ティソ作 19世紀」 |
この3つの要因は、そのままマスコミにも良くあてはまっていると思います。ただし、第3の項目は、さほど当てはまってはいないようにもみえます。政治の世界は、何を行うにしても妥協の産物にならざるをえないところがありますが、マスコミはビジネスであり、政治の世界ほどは妥協は少ないからです。
それにしても、ある程度は妥協は必要ですが、マスコミも妥協の仕方は下手なようです。おそらく、「加計問題」でも、正しい妥協ができないマスコミがでてくるのではないかと思います。
いくら自分たちの使命は「政権や権力と戦うこと」であり、「アベ政治を許さない」と言う揺るがない信念をもって報道にあたっても、今回の選挙でも野党はボロ負けしています。
希望の党と、立憲民主党をあわせて、130以上の議席でも獲得できれば、野党として政治にある程度大きく関与できたでしょうが、現実には105です。これでは、まともに立ち直るだけでも数年はかかるでしょう。
マスコミは良かれと思い、「加計問題」でも、野党を応援するような報道を行ったにもかかわらず、この有様です。
今後も筋悪の「加計問題」を追求し続ければ、野党にとっては良いようにもみえますが、最初から何の生産性もない問題に野党を拘泥させることになり、野党は政策も、政局も見失いますます衰退していくことになると思います。
野党がますます衰退することになれば、今のままではあれば、マスコミも衰退することになるでしょう。この場合、マスコミも妥協を行い、「加計問題」からは距離をおくなどの正しい妥協を行えばよいのでしょうが、妥協の仕方を誤れば大変なことになるでしょう。
今回は、加計問題を受験生にたとえてみましたが、この架空の受験生のようなことが本当に起こったとして、私や私の家族がこの受験生だったとしたら、マスコミが疑惑を報道しつづけるというのなら、私は確実にマスコミや野党の議員を訴えます。
これは、高橋洋一氏も指摘していますが、今までも酷かったですが、これからも酷いことをすれば、加計学園が訴訟を起こすことになりかねません。そうなれば、当然のことながら、野党の関与も調べられることになります。不正の証拠がないということになれば、有罪になる可能性は高いです。
そうなれば、野党もマスコミもかつてないほどに、弱体化することになると思います。そうして、今のところはその確率が非常に高いと思います。
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