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2013年10月18日金曜日

安倍首相、「参拝は決めている」 靖国に真榊奉納、時期見極め―【私の論評】世界の中でとやかく言うのは、中韓・北朝鮮だけ!この特殊異常な三国の言うことなど無視せよ!いずれ参拝が当たり前になる日は必ず来る(゚д゚)!

安倍首相、「参拝は決めている」 靖国に真榊奉納、時期見極め

2012年10月18日自民党総裁時代に靖国神社に参拝した安倍総理

安倍晋三首相は17日から始まった靖国神社(東京・九段北)の秋季例大祭にあわせ、内閣総理大臣名で「真(ま)榊(さかき)」という供物を私費で奉納した。春の例大祭時にも「真榊」を納め、参拝は控えたため、今回の例大祭期間中も参拝は見送りとの観測が流れている。ただ、首相は周囲に「どこかのタイミングで参拝することは決めている」と述べているほか、例大祭は20日まで続く。首相は例大祭期間中も含め、慎重に参拝時期を探っているとみられる。

「安倍さんは必ず靖国に行く。例大祭の期間外も許容範囲だろう」

首相側近は17日、こう語った。首相は第1次政権時に参拝しなかったことについて、繰り返し「痛恨の極み」と述べており、菅(すが)義(よし)偉(ひで)官房長官も同日のフジテレビ番組で「首相の気持ちは当初から全く変わっていないだろう」と指摘した。

首相は昨年12月、いったんは就任翌日の27日に靖国に「電撃参拝」することを計画したが、このときは周辺に慎重論があって見送った。就任直後でまだ中国、韓国など近隣国や同盟国の米国の反応や出方が見えにくかったこともある。

その意味では、今回の例大祭は一つのチャンスだ。もとより例大祭は靖国にとって最重要な祭事であり、参拝の時期としてふさわしいのは言うまでもない。

また、中韓両国には対日関係改善に向けた動きは特段見られない上、年内に首脳同士が顔を合わせる機会もなさそうだ。東アジア地域の緊張が高まるのを嫌う米国も、シリアの化学兵器使用問題や国内の債務上限引き上げ問題などで現在は靖国どころではない。

各種世論調査では、首相の靖国参拝を望む声の方が多数派だ。例大祭期間はまだ3日間ある。最後は「首相の腹一つ」(周辺)にしても、第1次政権時代からの宿題を果たすにはいい頃合いだろう。(阿比留瑠比)

【私の論評】世界の中でとやかく言うのは、中韓・北朝鮮だけ!この特殊異常な三国の言うことなど無視せよ!いずれ参拝が当たり前になる日は必ず来る(゚д゚)!



例大祭という言葉、何となく理解はできるものの、正式にはどういう意味なのか良く知られていない部分もあると思いますので、以下に整理しておきます。

例大祭が行われる日は、その神社の祭神、あるいは神社に特別の由緒がある日である事が多く、人物神を祀る神社では主にその人物の誕生日や命日となり、特別な由緒のある日を持たない神社では春祭り・秋祭りを例大祭とする場合が多いです。

なお、例大祭とは俗称であり、正式には大祭式例祭(たいさいしきれいさい)となります。

例会的に定期的に開催される神社の祭りなので「例祭」。

 そして、神社の祭りの規模を示す単位の「大祭(これ単体では『おおまつり』と読む)」である為、「例大祭」であり、「大祭式例祭」となります。

戦前は「例祭」・「例大祭」・「大祭式例祭」などの言葉は使われず、単に「大祭」と呼ばれていました。

例大祭の正式名称は「大祭式例祭」ですが、祭りの正式名称としては「○○神社例大祭」又は「○○神社例祭」とされている場合が多く、「○○神社大祭式例祭」とはなりません。

形式名称であるので、大抵の例大祭にはその祭りの正式名称や通称が用いられ、一般的に○○神社の例大祭と言って使う事は少ないです。

 ただし、一部には「例大祭」という言葉自体が通称となっている祭りも存在します。靖国神社の「例大祭」はその典型例です。

靖国参拝に反対するような国は、もう中国、韓国、北朝鮮くらいなものです。それも、かなり前からそうです。その証拠ともなる雑誌サピオの記事の一部を以下に抜粋そて掲載します。

靖国神社を訪れたダライラマ
靖国に参拝した外国の要人リスト
S21年 1月 満州国 王充郷駐日大使
S21年 3月 アメリカ ロバート・G・ガード(GHQ関係者)
S31年 4月 中華民国 張道藩立法院院長
S34年 3月 トルコ エデム・メンデレス国防大臣・副首相
S35年 4月 ビルマ ウ・ヌー前首相
S36年12月 アルゼンチン フロンデシ大統領夫妻
S38年 6月 タイ プミポン国王夫妻
S40年 3月 西ドイツ ハーバード・デビットマン大使、練習艦隊仕官候補生
S40年 9月 ベトナム クエンドウイ・クワン大使
S41年 2月 ペルー ホセカルロス・フェイレイドス大使
S47年 8月 オーストラリア アルフ・サイモン第39大隊隊員一行
S48年 9月 トンガ ツポトア皇太子一行
S55年11月 チベット ダライ・ラマ14世
S57年11月 エジプト モハメッド・サミー・オーエイダ前世界イスラム審議会事務総長
S60年6月 エジプト モハメッド・サミー・サーベット公子
S63年8月 パキスタン ブリカディー・ムハマド.ネイブ・テナ大使館武官
H元年6月 アメリカ スティーブン・H・ハウエル横須賀基地司令官海軍大佐
H2年 1月 ソ連(ロシア) エリツィン人民代議員(社頭参拝)
H4年 3月 スリランカ C・マエンドラン大使
H4年 7月 フィンランド カリ・ベリホルム大使
H6年 6月 イギリス M・スミス大使館武官
H7年 6月 アメリカ ジェイムス・B・ケイン大東亜戦争参戦元パイロット
H8年 8月 イラン M・シャッケリ1等書記官
H8年 8月 スベロニア ダニ-ロ・チュルク国連大使
H8年11月 旧朝鮮 李玖旧朝鮮王朝王子(朝鮮王朝李垠皇太子と李方子皇太子妃との第2王子)
H9年 4月 トルコ、ルーマニア、インド、マレーシア、イスラエル、ロシア、タイほかの駐在武官
H10年4月 トルコ、ルーマニア、インド、イスラエル、ロシア、ブラジル、ポーランド、スイスほかの駐在武官
H11年4月 トルコ、ルーマニア、インド、タイ、イラン、、ロシア、ブラジル、マレーシアほかの駐在武官
H14年4月 ペルー アルベルト・フジモリ前ペルー大統領
H15年2月 南アフリカ アッパ・オマール前広報庁次官
H15年4月 スイス ハンズ・R・マイヤ大使館武官
 参照:SAPIO 平成17年3月9日号


平成15年あたりまでも、これだけ多くの外国の要人が靖国神社を訪れているわけです。また、
以上を含め靖国神社へ公式参拝をした国は以下です。
・インドネシア・スリランカ・タイ・ インド・ドイツ・スイス・フィンランド
・ポーランド・ルーマニア・ロシア・ フランス・イタリア・リトアニア・スロベニア
・エジプト・チリ・ブラジル・ イスラエル・トルコ・アメリカ・オーストラリア
・アルゼンチン・トンガ・スペイン・ペルー・ベトナム・カンボジア・シンガポール・台湾・パラオ等、
 世界各国の共通する認識は「いかなる国家も、その国家のために命を捧げた国民に対して敬意を払う権利と義務がある」というものです。これは、当然のことです。ベトナム戦争には、今でも様々な疑問があり、あからさまにこれに反対した団体など、アメリカ国内外に幾多とあります。

しかし、国のために命を犠牲にした英霊をアーリントン墓地に埋葬し、追悼の意を捧げることに、アメリカ内外のいかなる国の人も団体もそれに対して異議を唱えるような人はいません。そんなことをすれば、人非人として謗りを受けることも当然のことと思います。しかし、その人非人的に靖国参拝を問題にしているのが、中国、北朝鮮、韓国です。

日本の歴代首相は戦後のA級戦犯合祀前は、58回も参拝して、A級戦犯合祀後も20回以上参拝していました。そうして、靖国問題の歴史はそんなに古いものではありません。

1980年(昭和55年)田辺誠は総評から3000万円の建設資金を南京市に寄付し、その資金で南京大虐殺紀念館が建設されました。当時の3000万円ですから、今でいえば、億単位です。

 昭和60(1985年)年8月7日「朝日新聞」、加藤千洋記者が8月15日に予定している中曽根首相の靖国神社参拝を「中国が問題視」などと批判記事を掲載しました。


同8月15日、中曽根首相靖国神社参拝 ※中国からの抗議なし

同8月26日 社会党田辺総書記長らが訪中

同8月27日 中国副首相が初めて靖国神社参拝を批判

非公式のものは別として、靖国批判が公式的に始まったのは、1985年と比較的新しいことなのです。そうして、これは、特に中国では、江沢民の反日教育と密接に絡み合ったものであると考えられます。中国は、建国以来毎年平均2万件暴動があったといわれた国柄です。ここ数年では8万件あったとも言われています。この数の真偽の程は別にしても、とにかく毎年他国から比較すると、異常なほど暴動の数が多かったのは間違いないところです。

中国は人口が多いですから、日本におきかて、1/10にしてみたとしても、最近の8000件は異常に多いですし、2000件~3000件にしても、かなり多いです。これだけ、暴動の数が多いということは、いつも人民の憤怒のマグマが煮えたぎっていて、いつ大噴火するかわからないという状況ということです。

この大噴火をさせないために、当時の江沢民は中国以外の外に敵をつくりだし、人民の目をそらそうとしたのです。その敵を日本ということにして、人民の憎しみを日本に対して向けるように、組織的に体系だった反日教育を始めたのが、1980年代からです。そうして、靖国問題は、こうした反日教育の道具とされてしまったのです。

北朝鮮も韓国も似たようなものです。特に最近の韓国は、日本を憎しみの対象とすることで、何とか国体を維持してきたという情けない有様です。

これらの国以外のアジアを含む諸外国の日本の評価を以下に掲載します。

諸外国の日本に対する評価

タイ】 ククリット・プラモード 元首相
 日本のお陰でアジアの諸国はすべて独立した。日本というお母さんは難産して母体をそこなったが生まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジア諸国民がアメリカやイギリスと対等に話ができるのは一体誰のお陰であるのか。
 それは『身を殺して仁をなした』日本というお母さんがあった為である。12月8日は我々に、この重大な思想を示してくれたお母さんが一身を賭して重大決意された日である。更に8月15日は我々の大切なお母さんが病の床に伏した日である。我々この2つの日を忘れてはならない。
(12月8日 「サイアム・ラット新聞」)
【ビルマ (ミャンマー)】  バーモウ初代首相
 歴史的に見るならば、日本ほどアジアを白人支配から離脱させることに貢献した国はない。真実のビルマの独立宣言は1948年の1月4日ではなく、1943年8月1日に行われたのであって、真のビルマ解放者はアトリー率いる労働党政府ではなく、東条大将と大日本帝国政府であった
(バー・モウ博士著『ビルマの夜明け』より)
【ミャンマー】  テインセイン大統領
 野党に過ぎなかった「安倍晋三氏」が2012年1月、ネピドーを訪れてテインセイン大統領と会談した。その会談の中でテインセイン大統領はアウンサン将軍をはじめ、独立の英雄たちは日本軍から教えを受けた。大戦後、現地に残って独立義勇軍に合流した日本兵もいた。そして、今日のミャンマーがあると発言
【インド】 パール判事
 日本が戦争にふみきったのは「侵略のためではなく」独断的な政策をとった西洋諸国によって挑発された為であり、「東京裁判は正義の実現ではなく勝利者による復讐」であるとし、「日本は国際法に照らして無罪である」と主張したが、その主張を法廷で述べることを許されなかった。
【インド】 ラダ・ビノード・パール 法学者、極東国際軍事裁判判事
 欧米諸国は日本が侵略戦争を行ったということを歴史にとどめることによって、自分らのアジア侵略の正当性を誇示する目的であったにちがいない。
日本の子弟がゆがめられた罪悪感を背負って、卑屈、退廃に流れていくのを、私は平然と見過ごす訳にはゆかない。誤られた彼らの宣伝を払拭せよ。誤られた歴史は書き換えられなければならない。
【インド】 ラグ・クリシュナン元大統領
 インドは当時、イギリスの不沈戦艦を沈めるなどということは想像もできなかった。それを我々と同じ東洋人である日本人が見事に撃沈した。驚きもしたが、この快挙によって東洋人でもやれるという気持ちが起きた。
(昭和44年「日本経済新聞」より)
【インド】 ネルー初代首相
 1951年のサンフランシスコ講和条約には欠席し、これについて国会演説においてインド初代首相ネルーは「彼ら(日本)は謝罪が必要なことなど我々には何一つしていない。それ故に、インドは(サンフランシスコ)講和会議には参加しない。講和条約にも調印しない」と述べた。1952年4月に国交が樹立し、6月9日に平和条約が締結された。
【マレーシア】  ラジャー・ダト・ノンチック 元上院議員
 私たちは、マレー半島を進撃してゆく日本軍に歓呼の声をあげました。敗れて逃げてゆく英軍を見た時に今まで感じたことのない興奮を覚えました。しかもマレーシアを占領した日本軍は日本の植民地としないで将来のそれぞれの国の独立と発展の為に、それぞれの民族の国語を普及させ青少年の教育をおこなってくれたのです。
【マレーシア】 ガザリー・シャフェー 元外相
 どうしてそういう挨拶をなさるのですか。あの大戦で日本はよくやったではないですか。マレー人と同じ小さな躰の日本人が、大きなイギリス人を追い払ったではありませんか。その結果、マレーシアは独立できたのです。大東亜戦争なくしては、マレーシア人もシンガポールも、その他の東南アジア諸国の独立も考えられないんですよ?
【マレーシア】 ラジャー・ダト・ノンチック 元上院議員
 この国に来られた日本のある学校の先生は日本軍はマレー人を虐殺したに違いない。その事実を調べに来たのだと言っていました。私は驚きました。日本軍はマレー人を一人も殺していません。と私は答えてやりました。日本軍が殺したのは、戦闘で闘った英軍や、その英軍に協力した中国系の抗日ゲリラだけでした。
【マレーシア】 ガザリー・シャフェ外相
 とくに私が惜しいと思うのは、日本くらいアジアのために尽くした国はないのに、それを日本の政治家が否定することだ、責任感をもった政治家だったら、次のように言うだろう。
『その頃、アジア諸国はほとんど欧米の植民地になっていて、独立国はないに等しかった。日本軍は、その欧米の勢力を追い払ったのだ。それに対して、ゲリラやテロで歯向かってきたら、治安を守るために弾圧するのは当然でないか。諸君らは何十年何百年にわたって彼らからどんなひどい仕打ちを受けたか忘れたのか日本軍が進撃した時にはあんなに歓呼して迎えながら、負けたら自分のことは棚に上げて責任をすべて日本にかぶせてしまう。そのアジア人のことなかれ主義が、欧米の植民地から脱却できなかった原因ではないか。』
【フィリピン】 マバラカット市長
 フィリピン人は日本で伝えられているような“反日”などではなく、むしろ親日的ですよ…。フィリピンの人々は戦争に対しては日本人よりも“リアリスト”です。戦争があれぱ多少なりとも悲劇はあると、現実的な考え方をしています。ですからフィリピンの人々は日本を責めようなどとは思っていません
【インドネシア】
 オランダからのインドネシア独立戦争で死亡した1000人の日本兵はインドネシアの国営英雄墓地に埋葬。うち6人には独立名誉勲章が捧げられた。インドネシアの独立記念日には男女2人と共に日本軍の格好をした3人によって国旗が掲揚される。
日本の敗戦直後の賠償交渉にて「独立のお祝いというつもりで賠償金をください。日本が悪いことをしたから賠償しろというのではありません。」
 村山政権時に日本が賠償金を出そうとすると「我々には、日本を批判するだけの韓国や中国と違って歴史とプライドがある。「お金を出せ」などとは、360年間、わが国を支配した、オランダにさえ要求しない。」
【インドネシア】 モハメッド・ナチール元首相
 アジアの希望は植民地体制の粉砕でした。大東亜戦争は私たちアジア人の戦争を日本が代表して敢行したものです。大東亜戦争というものは本来なら私達インドネシア人が、独立のために戦うべき戦争だったと思います。
 もしあの時、私たちに軍事力があったなら、私たちが植民地主義者と戦ったでしょう。大東亜戦争はそういう戦いだったんです。
【インドネシア】 アラムシャ陸軍中将
 平成5年7月、インドネシアのアラムシャ陸軍中将は大統領特使として来日しました。その時福田元首相や塩川自治大臣(当時)などと会見し、大東亜戦争について「大東亜戦争が長引いたばかりに労務問題などで、ご迷惑おかけしました。」と述べると「とんでもない。むしろ大東亜戦争を途中でやめたことが残念であったと思ってる。あと5年はやるべきであった。これは私だけの意見ではない。
アフリカに行けば、みんなから聞く意見だ。中東に行けばみんなから聞く意見だ。」
「どういうことですか?」
 「なぜアフリカがあんな状態なのか。我々と同じく40数年前に独立すべきであったがそうできなかったからだ。あそこはオランダ人とイギリス人とユダヤ人が握っているから、どうしようもない。もし日本があと5年大東亜戦争を続けていたならば恐らく中東まで進出していただろうから、中東諸国ももっと早く独立できたであろうし、日本軍の大変な勢いがアフリカにも伝わって、アフリカ諸国もインドネシアのようにもっと早く独立できただろう。そうすれば、南アフリカも現在のように苦しまずに済んだはずなのだ」
【インドネシア】 ブン・トモ 元情報相
 我々アジア・アフリカの有色民族はヨーロッパ人に対して何度となく独立戦争を試みたが全部失敗した。インドネシアの場合は、350年間も失敗が続いた。
 それなのに、日本軍が米・英・蘭・仏を我々の面前で徹底的に打ちのめしてくれた。我々は白人の弱体と醜態ぶりをみてアジア人全部が自信をもち、独立は近いと知った。一度持った自信は決して崩壊しない。そもそも大東亜戦争は我々の戦争であり、我々がやらねばならなかった。そして実は我々の力でやりたかった。 
【インドネシア】 サンバス長官
 日本の戦争目的は植民地主義の打倒であった。その目的の大半は達成したが、南アフリカ、アジアにまだ残っている。そんな時に行った村山演説は、植民地主義打倒の悲願を放棄したことになる。
 村山さんは日本の果たしてきた歴史を踏まえ、アジア・アフリカの悲願を代表して、まだ残る植民地主義を攻撃すべきであった。かつての日本は、スカルノ、ハッタ、バー・モウ(アウンサン)、ラウレル、アキノ、汪兆銘、チャンドラ・ボース等を応援したのに、たった一度の敗戦で大切な目的を忘れてしまったのは遺憾である
【オランダ】 サンティン・アムステルダム市長(現内務大臣)
 本当に悪いのは侵略して権力を振るっていた西欧人の方です。日本は敗戦したが、その東亜の解放は実現した。
即ち日本軍は戦勝国の全てを東亜から追放して終わった。その結果、アジア諸民族は各々独立を達成した。日本の功績は偉大であり、血を流して闘ったあなた方こそ最高の功労者です。自分を蔑むことを止め、その誇りを取り戻すべきであります。
【イギリス】 歴史学者 H・G・ウェルズ
この大戦は植民地主義に終止符を打ち、白人と有色人種との平等をもたらし、世界連邦の礎石をおいた。
【イギリス】 歴史学者 アーノルド・J・トインビー
 第2次大戦において日本人は日本の為というよりも、むしろ戦争によって利益を得た国々の為に偉大なる歴史を残したといわねばならない。その国々とは日本の掲げた短命な理想であった大東亜共栄圏に含まれていた国々である。
【イギリス】 国際法の権威ハンキー卿
『戦犯裁判の錯誤』という本の中で「日本無罪論のパール判事の主張は絶対に正しい」と明言。
【アメリカ】 リチャード・アーミテ-ジ前国務副長官
 主権国家である日本の総理大臣が、中国に限らず他の国から靖国神社に参拝してはいけないと指図されるようなことがあれば、逆に参拝すべきだと思います。なぜなら内政干渉を許してはいけないからです。もう一つは、全ての国が戦死者をまつりますが、それぞれのやり方で良いのだと思います 
【アメリカ】 マッカーサー元帥
 昭和25年10月トルーマン大統領に対して東京裁判は誤りであったと告白。さらに昭和26年に米国上院において「日本がおこなった戦争は 正当防衛であり侵略戦争ではなかった」と公式に証言。

大東亜戦争は米・英などからの
自衛とアジア解放のための戦い

大東亜戦争直前のアジア。独立国は、日本、タイのみ
 太平洋戦争前の国際法(万国公法)ではアジア(未開国)も、たとえそこに人が住んでおり、独自の国家が形成されていても、国際法上は「無主の地」とみなされ、征服の対象となり、「先占の法理」によって欧米諸国(文明国)の中の先占(先占取得)した国の領土となります。

 当時、世界中が欧米の支配下にあった。中東では旧大国トルコがヨーロッパとロシアに屈服し、
 リビア、エジプト、シリアなどは英仏伊の植民地。イランもイギリスの支配下。インドはイギリスの植民地。

パキスタン・スリランカ・ミャンマー・マレーシア・シンガポールはイギリスの植民地。

カンボジア・ベトナムはフランスの植民地。

インドネシアはオランダ、フィリピンはアメリカの植民地でした。

中国は、ロシア(ソ連)、イギリス、フランス、大日本帝国が勢力・利権をもっていた。南アフリカはイギリスの植民地、韓国は日本に併合、ブラジルはポルトガル人の支配国でした。

アジアで、植民地支配を受けていないのは緩衝地帯のタイと日本だけです。

日本に戦争犯罪者は一人もいない

大東亜戦争終結後の「極東国際軍事裁判」(東京裁判)とは、戦勝国が敗戦国を一方的に裁くとの理不尽で、裁判との名を借りただけの、連合国(国連)による日本への復讐の儀式でした。

A級戦犯「平和に対する罪」
B級戦犯「通例の戦争犯罪」
C級戦犯「人道に対する罪」

当時の国際法ではB級戦犯のみが国際法で有効でした。

A級戦犯とC級戦犯は、事後法で国際法的な根拠がなかったのものです。

1952年(昭和27年)4月28日のサンフランシスコ平和条約発効で、日本が主権を回復しました。
1952年5月1日、木村篤太郎法務総裁から戦犯の国内法上の解釈についての変更が通達されて、戦犯拘禁中の死者はすべて「公務死」として、戦犯逮捕者は「抑留又は逮捕された者」として取り扱われる事になりました。

1952年4月に施行された「戦傷病者戦没者遺族等援護法」も一部改正されて、戦犯としての拘留逮捕者については「被拘禁者」として扱い、当該拘禁中に死亡した場合は、その遺族に扶助料を支給する事になりました。

戦犯とされた方々のために、衆参合わせて4回の国会決議もされて、名誉回復がされました。1952年6月9日に、「戦犯在所者の釈放等に関する決議」が、12月9日に「戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議」が全会一致で可決されました。

1953年8月3日に「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」が、1955年7月19日に「戦争受刑者の即時釈放要請に関する決議」が可決されました。

日本はサンフランシスコ講和条約11条により、東京裁判を受け入れたので戦犯が有効という主張は誤りで、日本が受け入れたのは、「刑の執行継承」であり「裁判の判決事由」ではありません。

つまり、連合国が戦犯として裁いた人たちは罪人ではないのですから、級戦犯を含めた「戦犯」という方々とは、すでに国内的にも国際的にも存在しません。



1952年6月9日「戦犯在所者の釈放等に関する決議」、

1952年12月9日「戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議」、

1953年8月3日、「戦犯」とされた者を赦免し、名誉を回復させる

戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」が社会党を含めて圧倒的多数で可決されました。この議決は前年(1952年)に、戦犯とされた者を即時に釈放すべしという国民運動が発生し、4千万人の(日本国民の半数)署名が集まった事に起因します。

また法治国家に於ては法の定める刑の執行が完了した時点で罪人から前科者へと立場が変わるので、刑の執行が既に済んだ者をその後も罪人扱いすること自体が法治国家にそぐわない野蛮な行為です。

安部総理が、普通に靖国神社に参拝に行けるようになったとき、日本は、「戦後体制から脱却」に一歩近づくことなります。その日が早く来てほしいのはやまやまですが、現在行かないというより、行けないからといって、私たち日本は、「戦後体制からの脱却」を諦めたわけではありません。いずれ必ず、なせるものとして、最後まで頑張りぬきましょう。日本がこのまま、終わることなどあってはなりません。

私は、そう思います。皆さんは、どう思われますか?

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