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卒業式の君が代斉唱で起立しなかったことを理由に定年後の再雇用を拒否されたのは不当だとして、都立高校元教諭(64)が東京都に損害賠償などを求めた訴訟の上告審判決で、最高裁第2小法廷(須藤正彦裁判長)は30日、「起立や斉唱を命じた校長の職務命令は合憲」として、元教諭側の上告を棄却した。請求を退けた二審判決が確定した。
君が代をめぐる職務命令について最高裁が憲法判断するのは、ピアノ伴奏命令を合憲と判断した2007年以来2回目で、起立命令では初めて。都教委によると、係争中の同様の訴訟は23件あり、影響を与えそうだ。
職務命令が憲法の定める思想良心の自由に反するかが最大の争点だった。判決は命令に基づく起立斉唱について、特定の思想を強制するものではないものの、個人の歴史観とは異なる行動を求められることで、間接的に思想良心の自由を制限していると判断した。
その上で、入学式や卒業式は教育上重要な行事で秩序の確保が必要なことや、法律で国旗国歌が定められていること、全体の奉仕者としての公務員の地位などを踏まえると、命令には自由の制限が許されるだけの必要性や合理性が認められ、憲法に違反しないと結論付けた。
判決は4裁判官全員一致の意見。須藤裁判長は「強制や不利益処分はできる限り抑制的であるべきだ」とし、千葉勝美裁判官は「国旗、国歌の問題は、強制的ではなく自発的な敬愛対象となるよう環境を整えることが重要」とする補足意見を、それぞれ述べた。
元教諭は04年の卒業式で起立を拒否して戒告処分を受け、定年後に再雇用を申請したが、07年に不合格とされた。一審では原告の主張が一部認められたが、二審で逆転敗訴していた。
【私の論評】日本国民として、国歌斉唱は当たり前、それが嫌なら日本国民を辞めるしかない!!
「入学式や卒業式は教育上重要な行事で秩序の確保が必要なことや、法律で国旗国歌が定められていること、全体の奉仕者としての公務員の地位などを踏まえると、命令には自由の制限が許されるだけの必要性や合理性が認められ、憲法に違反しない」これは、本当にまともな判断です。
このようなことが係争になる事自体が、遺憾なことです。上は、バンクーバーオリンピックのひとこまですが、日本の人が、日本の国旗を尊敬し、国家を斉唱するのは当然のことです。これは、外国でも同じことです。韓国の人が、韓国の国旗を尊敬し、韓国国家を斉唱する。カナダの人が、カナダの国旗を尊敬し、カナダ国家を斉唱する。
この当たり前の行為ができない、高校教師がいたということ自体が本当に残念なことです。
私は、人が、国旗や、国家を尊敬したり、斉唱しない権利なるものは、存在すると思います。しかし、人には、自由とともに、それに対応した責任というものがあります。それなしの自由などありません。では、国旗や、国家に関する自由とは何なのでしょうか?そうです。日本に限らず、およそ、どこの国でも、その国の国旗に敬意を評したくない、国歌も歌いたくない自由を謳歌したいなら、その国の国民を辞めるべきです。その国から、いっさい、恩恵など受けないようにしてから、そうした主張をすべきです。
これは、あまりに簡単な理屈です。こんな、簡単な理屈がときおり、通らなくなる今の日本。本当に情けないです。
会社に入れば、その会社の社歌を歌う、社旗があれば、それを尊敬する。学校に入れば、その学校の校歌を歌い、校旗を尊敬するというのは当たり前です。それが嫌なら、最初から、そのような会社に入社しなければ良いし、そのような学校に入学しなければ良いというだけの話です。
国家だって、同じです。日本という国の国旗を愛せない、国家も歌えないというのであれば、何も無理して日本国民である必要はありません。日本国民をやめて、他国民になれば良いことです。
こんなことは、海外では聴いたことがありません。どうして、日本だけがこんなことになってしまったのでしょう。本当に困ったものです。こんなことを許しておけば、社会の規範も緩み、ジャングルのようになってしまいます。私たちは、文明人であり、日本は、文明国です。このような、未開人のような元、高校教師が日本に存在する事自体が情けないです。国民国家の意味や、歴史すら、真の意味で理解していないものなど、今後、教師などの責任のある職業につけるべきではないと思います。
まったく、本当に不愉快な本日のエントリーでした!!
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