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2016年2月11日木曜日

【主張】建国記念の日 政府自ら祝典を開催せよ―【私の論評】歴史ファンタジーを必要としない日本に日本人として生まれたこの幸せ(゚д゚)!



大きな節目となる50回目の「建国記念の日」を迎えたが、今年もまた、国として祝う式典は開かれない。残念というほかない。

日本の建国は神話的な伝説に基づいている。新しい国づくりを目指して日向国を出た神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレビコノミコト)は瀬戸内海を東進し、難波、熊野へと至る。やがて大和を平定すると橿原(奈良県)を都と定め天下を統治することになった。

古事記や日本書紀がつづる初代神武天皇即位の物語である。

明治6年、政府は即位の日を現行暦に換算した「2月11日」を紀元節と定めたが、先の敗戦後はGHQ(連合国軍総司令部)によって廃止された。建国記念の日として復活するのは昭和42年で、祝日法には「建国をしのび、国を愛する心を養う」と明記された。

半世紀を経て、法の趣旨が十分に浸透しているかは疑問である。戦後の学校教育では、神話や建国の歴史が皇国史観や軍国主義につながるとして避けられてきた。自国の歴史を否定する自虐まみれの教育で、どうして青少年の健全な愛国心を育てられよう。

日本の建国の日を知っている日本人は2割にも満たないとの調査結果もある。神話はそっくり史実ではないにしろ、先人の国づくりへの思いや日本人としての生き方がうかがい知れる、いわば民族の貴重な遺産なのである。

自国のそのような遺産を誇りに思わない国民が国際社会から評価されようか。学校教育を含めた国の役割は極めて重大だといわざるを得ない。

昨秋、大阪で開催された交声曲「海道東征」のコンサートで、大きなホールが聴衆の感動に満たされたことを改めて想起したい。北原白秋作詩、信時潔作曲によるこの曲は、壮大な建国の歴史を格調高くうたいあげたものだ。

新保祐司・都留文科大教授は、「(聴衆は)自分という人間が、日本の建国の歴史に精神の深みで繋(つな)がっていることに覚醒して、魂の感動を覚えた」と評した(昨年12月1日付本紙「正論」)。

いま国内外で直面している幾多の困難を乗り切るためにも、日本人としての誇りを抱き続けるこれら国民の熱い思いに、政府は真剣に応えるべきではなかろうか。政府が直接関与する祝典の開催が、まず何よりも望まれる。

【私の論評】歴史ファンタジーを必要としない日本に日本人として生まれたこの幸せ(゚д゚)!

今日は、お誕生日おめでとう日本と言いたいです。 今年は紀元2676年なので、本日は日本の2675回目の誕生日ということになります。現存する国としては、世界最古の国家に生まれたことを誇りに思います。

それにしても、本日は建国記念日に関する催しものが各地で開催されていますが、その中でも護憲派の集会も多く開催されています。

その中には仰天するようなものも多くあります。たとえば、水戸市のJR水戸駅南口では、「茨城のシールズ」を標榜する市民団体がバレンタインアピールとして、チョコ付きのティッシュやビラを配りながら「戦争法廃止」の街頭宣伝を行っていました。

産経新聞の取材に応じた共同代表の女性(38)は、「北のミサイル発射は日本には危害がない。北朝鮮と中国、米国がグルになっている」などと仰天の発言を連発したそうです。

それに建国記念の日に関係することで、神武天皇不在論というものもあります。初代の天皇がいらっしゃらなければ、今生天皇である125代は有りようがないわけです。

現在天皇陛下がいらっしゃる以上、誰かが初代だったのであり、その初代を「神武天皇」とお呼びしているのです。「神武天皇はいつの時代の人物か」等という問いは議論可能ですが、神武天皇不在論はまったく馬鹿げた主張です。

そんなことより、米国のように建国のときのいきさつについて、細かなことまで記録に残っているような国でも、当のアメリカ人や、多くの日本人が信じているアメリカの建国の歴史にはかなり疑わしいことが多くあります。

それに関しては、倉山満氏の『嘘だらけの日米近現代史』をご覧いただくか、以下の書評サイト(パピレス・プラズ)を御覧ください。

嘘だらけの日米近現代史[著]倉山満 [発行]扶桑社

さて、米国よりさらに新しい、中国や韓国ですが、これらの国々は、過去と断絶しており、中国も韓国も過去の国とは全く別物であり、文化や伝統を継承してはいません。

中華人民共和国の建国は、1949年10月1日のことです。これが建国の日だとすると、大東亜戦争が終了したのは、1945年ですから、現在の中国は日本とは戦争をしたことはありません。にもかかわらず、昨年には、中国では抗日70周年記念軍事パレードを挙行しました。

これは、全くの歴史ファンタジーです。日本と戦争をしたのは、現在台湾にある中華民国です。日本と毛沢東の共産党軍とは、戦争をしたことはありません。実際、生前毛沢東は、日本軍が中華民国と戦ってくれて、我々は助かったとしています。

1949年、天安門にて中華人民共和国の建国を宣言する毛沢東
大韓民国の建国は、昭和23(1948)年8月13日で、この日、首都・ソウルで、韓国樹立の宣布式が挙行されています。日付は「8月13日」です。ところが、韓国では、未だにこの正しい日付を建国記念日とはせずに、大韓民国は、1919年なのか、1948年8月15日なのかという、歴史ファンタジーのような論争が続けられています。

これについては、このブログにも以前掲載したことがあります。その記事のリンクを以下に掲載します。
【コラム】大韓民国建国は1919年なのか、1948年なのか―【私の論評】大韓民国の建国は、1919年ではないしましてや1945年8月15日でもない!未だに続く歴史ファンタジー!
韓国の独立記念式典 1948年8月13日
詳細はこの記事をご覧いただくものとして、韓国の建国は、1948年8月13日なのに、1948年8月15日を「光復節」として、韓国の建国の日としています。8月15日は、日本の敗戦記念日であり、この日を建国の日としたいというのでしょうが、これは完璧に歴史ファンタジーです。

そうして、歴史ファンタジーといえば、韓国でも、韓国は日本と戦って、独立を勝ち得たというような歴史ファンタシーがはびこっています。しかし、それは全くの虚偽です。韓国は、大東亜戦争中は日本が統治していました。

韓国が独立したのは、日本からではなく、終戦後日本の統治に変わってアメリカが統治をして、そのアメリカから独立したというのが史実です。

歴史の比較的新しい米国であるアメリカですら建国の逸話は疑わしいことがありますが、それよりもさらに建国の新しい中国や、韓国でもこのような歴史ファンタジーというか、はっきりいえば歴史の捏造があります。

なぜこのようなことをするかといえば、政府が国を統治する上での正当性を強調するためです。日本という国は、2000年以上の歴史がある国ですし、明治以降は、民主的な手続きを経て誕生した政府が統治をしているため、歴史ファンタジーを捏造するしなくても、その時々の政府が国民に対して統治の正当性をことさら強調する必要もありませんでした。

こういうことを考えれば、神武天皇の存在の有無など、議論することは間違いであることがはっきりすると思います。他国では、特に建国の歴史の浅い国では、歴史ファンタジーを捏造する必要がありますが、日本においては今生天皇が存在する以上、あまりにも歴史が古いからこそ故にはっきりと記録などに残ってはいないものの、初代天皇が存在したことは明白であり、その初代天皇のことを神武天皇とするということで、これは歴史ファンタジーでも何でもないです。

特に歴史の継続性ということでいえば、現存する国では、日本ほど明確な国は他にはありません。

たとえば、まだ記憶に新しい2013年に挙行された、伊勢神宮式年遷宮は、何も今に始まったことではありません。20年に一回このような遷宮が、1000年以上にわたって、繰り返されてきました。このような国など日本をおいて他には存在しません。

2013年に挙行された伊勢神宮式年遷宮
さて、このような古い歴史を持つ日本、建国されたのが、いつなのかあまりに古くて多くの人々が良くわからない国日本、それに対して、アメリカ、中国、韓国などの新興の国では、かなりのことが詳細に、歴史として残されています。しかし、古くから継続されてきた文化など存在しません。

このような伝統文化が根付いたわが国においては、国民の求心力を高めるたり、政府の統治の正当性を強調するために、わざわざ歴史ファンタジーを捏造する必要もありません。そんなことをしなくても、私達の日々の暮らしの中に深く根付いていて、意識しなくても日々その影響は私達の潜在意識の中に刻み込まれています。

米国や中国、韓国などのような歴史の新しい国々も、建国から500年もすれば、無論その時に国自体が存在していればの話ですが、あまり幼稚な歴史ファンタジーを創作しなくても、国としての統一性や、継続性を保つことができるようになるでしょう。

しかし、これだけは、他の国はいくら日本のようになろうとしても、すぐにはできないということです。私たちにとっては、長い歴史と伝統を持つ日本があまりにも当たり前になっているため、そのような認識で他国を見ると理解しがたい面があります。

他国や他国民には日本や日本人のような、このような長い歴史に培われた、バックボーンがない根無し草であるため、程度の差こそあれ、ことさらそれを強調しないと、国や国民としての求心力が損なわれるという面があるということを忘れてはならないです。

そうでなければ、他国や他国民の考えや、行動を理解できなくなります。ニッポン人の中には、諸外国の人々がことさらそれを強調するのを見て、勘違いして、外国人には立派なバックボーンがあり、日本人にはそれがないと幻惑される人もいます。

建国記念日という日は、歴史ファンタジーを必要としない日本に日本人として生まれたこの幸せを私達に思い起こさせてくれる、大切な日です。

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2015年12月20日日曜日

【コラム】大韓民国建国は1919年なのか、1948年なのか―【私の論評】大韓民国の建国は、1919年ではないしましてや1945年8月15日でもない!未だに続く歴史ファンタジー!



大韓民国の出生証明書の再発行でもしなければならないようなありさまだ。教科書国定化をめぐる賛否の火の手が、最近では韓国の建国日をめぐる論争へ飛び火している。要するに「1919年建国論」と「1948年建国論」の対立だ。

 「19年建国論」は「わが大韓民国は三・一運動で建立された大韓民国臨時政府の法統を継承し」という韓国憲法の前文に依拠している。韓国が臨時政府の法統を受け継ぐと明示していることから、1919年に生まれたと見なすのが正しいという主張だ、これに対し「48年建国論」は、政府樹立記念日の1948年8月15日に韓国が誕生したと考える。双方はそれぞれ、強みと弱みを持っている。

 韓国現代史を断絶ではなく継承の観点から見ることができる点こそが「19年建国論」の魅力だ。植民地化という「挑戦」に対し、臨時政府樹立という「応戦」で堂々と韓国史を説明できる。ところがこの強みは、同時に弱みでもある。

 「19年建国論」は「政治学のいろは」とズレている。現代の政治学は、国家とは領土・国民・主権の3要素を持つものであって、3要素の一つが欠けただけでも国家とは見なし難い、と教えている。韓国が1919年に建国されたと見る場合、徴用や慰安婦問題といった植民地時代の苦難をどう説明するか、はっきりしない。「韓国の誕生」という事実判断と「臨時政府の法統継承」という価値判断を混同している、という批判も免れ難い。

 金九(キム・グ)主席の臨時政府も、1941年の「建国綱領」で「敵の統治機構を国内から完全に撲滅し、中央政府と議会の正式な活動で主権を行使する過程」を「建国の第1期」と規定した。建国を今後の課題として設定したのだ。こうした事実を見過ごすと、歴史がファンタジーの領域に退行する危険がある。 

 従って「韓国の誕生日は1948年8月15日」と見る方が自然だ。ところが「48年建国論」は、ここから一歩踏み出している。「1948年8月15日は韓国の建国節にもかかわらず、政府樹立記念日に格下げされている」と主張しているのだ。

 しかし「48年建国論」を強調し過ぎると、李承晩(イ・スンマン)初代大統領が1948年8月15日に行った記念の演説と衝突するのが問題だ。「政府樹立大統領記念辞」というタイトルのこの演説は「大韓民国30年8月15日 大統領李承晩」という文言で終わる。「大韓民国は1919年に樹立された臨時政府の法統を継承する」と宣言した人物は、ほかならぬ李承晩大統領だ。李大統領はこの記念の辞で、建国と政府樹立を、対比させるより、むしろ自然に併用している。

 二つの建国論がどちらも弱みを持っているのは、事後的な解釈だからだ。にもかかわらず、自分の弱みからは目を背け、他人の弱みばかり暴こうと言い争いを続けると「兄弟の目にある塵(ちり)を見て、おのが目にある梁木(うつばり)を認めぬ」(マタイ7章3節)ことになりやすい。再評価は歴史家の領分だが、だからといって自分の希望する事項まで史実に混ぜる権利は歴史家にもない。

キム・ソンヒョン文化部次長
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

【私の論評】大韓民国の建国は、1919年ではないしましてや1945年8月15日でもない!未だに続く歴史ファンタジー!

上の記事を読んでいると、未だに韓国では歴史ファンタジーが続いているのだと思い知り、忸怩たる思いがします。ブログ冒頭の記事では、「こうした事実を見過ごすと、歴史がファンタジーの領域に退行する危険がある」などとしていますが、1948年8月15日建国説も歴史ファンタジーです。

ロンドンオリンピックでの韓国のサポーター
まずは、1919年建国説は、どう考えても歴史ファンタジーです。この時期の朝鮮半島は、日本に併合(植民地化ではない)されていました確かに1919年4月11日に設定された上海臨時政府やその他の一時的な政府と9月11日に設定された統合上海臨時政府などがありましたが、どれも国家ではありませんでした。

だから、この時期に建国したというのは、どう考えても単なる過去の歴史の修正であり、歴史ファンタジーに他なりません。こんなことは、一時でも他国の支配下にあった韓国以外国でも考え付きもしない歴史の自国にとって都合の良い解釈に過ぎないです。

「光復節」(カンボッチョル) ── これは、「解放記念日」(日本の支配から解放された日)・「独立記念日」(日本から独立した日)とされている韓国の祝日(8月15日)です。昭和20(1945)年8月15日、日本の終戦に伴い、祖国・韓国は日本の植民地支配から「解放」され、そして「独立」したのだと言う訳です。

しかし、この「光復節」とされる日 ── 8月15日は、実は「解放記念日」・「独立記念日」等では決してありません。と言う訳で、今回は「光復節」を通して、韓国の独立事情について触れてみたいと思います。

大韓民国(以下、「韓国」と略)。この項目(用語)を歴史事典で調べてみると、「1948年8月15日、アメリカの支援の下、南朝鮮に成立した国(後略)」と書かれています。日付は終戦と同じ「8月15日」です。しかし、これがそもそもの間違いなのです。

韓国が独立(建国)した日は、昭和23(1948)年8月13日で、この日、首都・ソウルで、韓国樹立の宣布式が挙行されているのです。日付は「8月13日」です。つまり、「独立記念日」(建国記念日)は、8月15日では無く、正しくは8月13日と言う事になります。

韓国の独立記念式典 1948年8月13日
しかし、何故、独立記念日を2日も鯖(さば)をよんだのでしょうか? これは、早い話が、「終戦の日」と「独立記念日」を、同じ8月15日とする事で、韓国は終戦によって日本の植民地支配から独立したのだ、と言う事を強調したかったからなのです。では本当に、韓国は日本から独立したのでしょうか? 実は、韓国は日本から独立した訳では無かったのです。

昭和20年8月15日、日本の終戦に伴い、当時の朝鮮総督、阿部信行・陸軍大将と、朝鮮軍司令官、上月良夫・陸軍中将の二人が、朝鮮総督府から日章旗(日の丸)を下ろし、太極旗(現・韓国国旗)を掲揚させると共に、朝鮮建国準備委員会を結成させ、朝鮮に自治権を付与しました。

つまり、終戦の日、朝鮮は「自治権」を獲得したのであって、決して日本から「独立」したのでは無いのです。しかし、その自治権も、同年9月8日、米軍が南朝鮮(後の韓国)に進駐してくると、解消されてしまいます。

進駐してきた米軍は、ソウルの空にはためいていた太極旗を引きずり下ろし、再び日章旗を掲揚させたのです。つまり、アメリカは、朝鮮をあくまでも「日本の一部」として扱った訳で、その「日本の一部」である朝鮮が、やれ「自治権」だの、やれ「独立」等とは、以ての外と言う訳です。

李承晩(左)とマッカーサー(右)
そして、進駐の翌日(9月9日)、連合国軍最高司令官 ダグラス=マッカーサーが、南朝鮮に対して、アメリカによる「軍政」を布告、ソウルの空には星条旗(アメリカ国旗)が翻(ひるがえ)る事となったのです。つまり、韓国の前身 ── 南朝鮮は、終戦の日、日本から「独立」する事無く、今度はアメリカによる「軍政」の下に置かれる事となった訳で、8月15日は、決して「韓国の解放」(独立)等では無いのです。

以下の二枚の写真がその証拠写真です。以下の写真は、1946年朝鮮総督府で、日本の国旗が降ろされているところです。


以下の写真は、同じ朝鮮総督府で、日本の国旗を下ろした直後に、米国の星条旗が掲揚される直前の写真です。


沖縄同様、アメリカの軍政下にあった南朝鮮が「独立」を達成したのは、終戦から3年後の昭和23年8月13日でした。つまり、韓国にとって本当の意味での「祖国の解放」(独立) ── 「光復節」は、8月13日だった訳です。

しかし、この事実を韓国初代大統領・李承晩(イ・スンマン)等韓国指導部は歪曲してしまいました。本当はアメリカから独立したのにも関わらず、「我々は日本の敗戦によって、(日本の)植民地支配から解放された」と喧伝(けんでん)し、国民の愛国心を煽(あお)った訳です。

「反日」で国民の結束を維持する。未だに日韓関係において「後遺症」を残す李承晩の「反日教育」の原点が、ここにあると言えます。そして、8月13日が本来の「独立記念日」であるにも関わらず、敢えて、8月15日を「光復節」としたのには、多分に「政治的配慮」が働いていたと言う事です。

この点を踏まえた上で、「光復節」 ── 韓国の独立事情を捉えないと、日韓関係において日本は、とんでも無い勘違いをする事となるのです。

以上のような事情があるためか、韓国には光復節(8月15日)はあるものの、建国記念日はありません。大韓民国が1948年8月13日から始まったということすらも、知らない韓国人が多いようです。

建国について色んな説が競合している現在の大韓民国は、人間で言えば、誕生日が存在しないか、誕生日が複数ある奇妙な人間であることになります。韓国の建国は国の構成の必須要素を完全に備えた1948年8月13日に行われたことに議論の余地などありえません。

建国の日すら定められない韓国の歴史ファンタジーが是正されないかぎり、韓国の歴史修正はいつまでたっても、直ることはないでしょう。

トンデモ韓国歴史書「大朝鮮帝国史」より
このような国と、慰安婦問題や強制連行などまともに論じようとしても、埒が明きません。韓国の歴史認識は、建国の日のファンタジーもありますが、それ以前古代、中世はほとんど出鱈目です。近代ですら怪しいです。

日本として、今までのように、歴史修正を続けるというのなら、その度に明確な根拠をもって反論して、水掛け論に持って行き、その後は一切かかわらないという姿勢を堅持すべきです。

国際関係では、いずれかの国が何かを最初に主張し、それに対して他国が抗議をして水掛け論になった場合、最初に主張した国が負けという判断をします。たとえ、韓国がそれを認めないとしても、水掛け論にもっていけば、世界は韓国の主張など無視して、日本の勝ちだと認めるわけです。

現状のままの韓国であれば、今後新たに何か日本と韓国が対立することになった場合、いつでも、何度でも平気で自分の都合の良いように、後から歴史を修正することでしょう。

そういう国とまともな付き合いはできません。やはり、日本は、韓国が日本に対して何か難癖をつけた場合、それに対しては反論して、水掛け論に持って行き、後は冠婚葬祭程度のこと以外は韓国とは今後一切かかわらないという姿勢を堅持すべきです。

私は、そう思います。皆さんは、どう思われますか?

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