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2016年3月17日木曜日

二度の世界大戦で敗れたドイツが、それでもヨーロッパの「頂点」に君臨し続ける本当の理由―【私の論評】「知覚」に鋭敏な日本人がドイツ流「体系知」を身につけたら世界最強になる?

二度の世界大戦で敗れたドイツが、それでもヨーロッパの「頂点」に君臨し続ける本当の理由


佐藤優直伝・社会人のための「教養」講座 現代ビジネス


ドイツのメルケル首相(左)は理系、フランスのオランド大統領は文系

20世紀は「ドイツの時代」

今、日本では大学教育改革が話題になっています。文部科学省は、「人文系を軽視しているわけではない」と言いながら、ごく一部の超エリート校だけを文理両方を教える総合大学とし、あとは○○大学という名前だけ残して、事実上の専門学校として再編しようと考えているようです。

しかし、本当に人文系の知識は役に立たず、経済学や工学などの「実学」といわれる学問だけが重要なのでしょうか。この講座には「役に立つ教養」という言葉が入っています。今回は、国際社会の中で教養が果たす役割について考えてみましょう。

近現代史の第一人者である、イギリスの歴史家エリック・ホブズボームは、「20世紀はドイツの時代だ」と述べています。

ドイツは、19世紀末から後発の工業国として急速に国力を増してきました。20世紀に入り、この新興国をどうやって取り込むかという問題に直面した世界は、2度の世界大戦を経て、どうにか軟着陸に至った。これが20世紀最大の事件であり、歴史の主役はドイツだったということです。

今、ミュンヘンのレストランで、ビールとシュニッツェル(カツレツ)を注文するとしましょう。

おそらく、その店の経営者はドイツ人で、清掃係はかなりの確率でチェコ人かハンガリー人です。カツに使われている豚肉はハンガリーから輸入されていて、そのハンガリーの養豚場で働いているのはウクライナ人が中心。豚のエサもウクライナから来ているはずです。

つまりドイツは、2度の世界大戦に敗れたにもかかわらず、ヨーロッパの中でドイツ人を頂点としたシステムを作り上げた。EUの統合通貨ユーロも、ドイツの通貨マルクを拡大させたものとみることができます。

では、なぜドイツは勝者になれたのか。見逃せないのが、大学教育です。ドイツの大学教育は、ヨーロッパにおけるライバル・フランスの教育とは対照的でした。

フランスでは19世紀初頭、ナポレオンによって学校改革が行われ、大学は徹底した実学重視になりました。神学や文学なんて教えるのはやめて、工学・経済学・軍事学などの実学だけにせよ、と。今も、フランスの国立大学のほとんどには神学部がありません。

ナポレオン 写真はブログ管理人挿入 以下同じ
一方、ドイツでは今でも、神学部がないと総合大学を名乗ることができない。ドイツがなぜ神学を重視するかというと、「目に見える世界だけでなく、目に見えない世界を学んでこそ、知はバランスを保てる」という考え方があるからです。こうした考え方をドイツに定着させたのが、18世紀から19世紀にかけて活躍した、フリードリヒ・シュライエルマッハーという神学者でした。

シュライエルマッハーの考え方は、「知は体系知でなければ意味がない」というものです。オタクのように、断片的な知識を山ほど持っていても意味はない。それらの知識がどう関係しているのか。そうした「体系知」を体得しないと、知は完成しないという考え方です。

ベルリン大学の神学部長だったシュライエルマッハーは、専門科目を教える教授にも教養科目を受け持たせた。そうしてさまざまな学問の交流をはかり、生きた「体系知」を生み出してこそ、初めて大学の存在意義があると彼は考えたわけです。

これが19世紀ドイツの大学教育をつらぬく方針になったのですが、実は21世紀の現在も、これと同じような考え方にもとづいて教育を実践している国があります。そう、アメリカです。

例えば、ハーバード大学の学部では教養重視の授業が行われていて、専門的なことは基本的に大学院で学びます。昔のドイツの大学と同じようなシステムです。ちなみにハーバード大学の授業料は年間7万ドル。日本円にするとおよそ800万円で、当然、ここで学べるのは富裕層の子供たちだけです。

日本が目指すべきもの

フランスのような実学志向ではなく、教養を中心とした「体系知」を重んじたドイツは、20世紀の主役となった。21世紀の今も、ヨーロッパでは「ドイツの世紀」が続いていると言っても過言ではないでしょう。

この実例から分かることは、すぐに役に立つ「実学」は、短期的に、あるいは狭い範囲でしか役に立たず、一見すると役に立たなそうに見える「教養」こそが、案外役に立つことがあるということです。

私たちは普段、無意識のうちに、合理主義や近代的なものの見方にもとづいて行動しています。国と国の関係においても、国際法や国家の主権があることが、自明の前提になっている。

ところが世界には、この前提が通用しない地域も珍しくありません。例えば、中東で起きているイスラム教シーア派とスンニ派の紛争の背景には、近代以前の世界観が横たわっているといえます。

今年1月、サウジアラビアとイランが国交を断絶しました。きっかけとなったのは、昨年、サウジアラビアのメッカ近郊で起きた巡礼者の将棋倒し事故です。

日本ではあまり報じられていませんが、この事故で2000人以上が亡くなり、うち400人以上がイラン人でした。激怒したイラン最高指導者のハメネイ師は、「サウジに責任を取らせる」と言っています。

ところが、イランとサウジが国同士のレベルでは国交断絶しても、サウジはイランからの巡礼者を受け入れ続けています。ということは今後、メッカでイランとサウジの巡礼者がいつ大規模な衝突を起こしてもおかしくないわけです。

しかし「聖地巡礼」となると、その瞬間に、イスラム教徒の中では近代、すなわち国家という枠組みとは全く異なるスイッチが入ってしまうのです。

近代合理主義だけでは捉えきれない、この世界の成り立ちと、どう向きあっていけばよいのか。少なくとも、日本人がちやほやする「実学」だけでは、とうてい太刀打ちできません。「実学」には、限界があるのです。

【私の論評】「知覚」に鋭敏な日本人がドイツ流「体系知」を身につけたら世界最強になる?

確かに、「実学」だけではどうにもならないことがあります。特に、企業の中で働くにしても、作業や仕事レベルまでは「実学」だけでどうとでもなるのですが、本当の意味で顧客を知る、顧客の変化を知る、自分たちの顧客は誰かという根源的な問題を考える上では、「実学」だけではあまり役に立ちません。

いくら、昔ならとても扱えないような巨大なデータを集めて、これまた一昔前までは、考えられないような高度な処理能力を持つコンピュータで解析しても、自分たちの顧客を知ることはできない場合もおうおうにしてあります。

特にイノベーションを起こすときには、そのようなことが言えます。今までの延長線上で物事を考え、それを改善するというのなら、巨大データを集めて、コンピュータで解析すれば、答えは出るかもしれません。しかし、今までの延長線上にはないイノベーションを起こそうとするときには、それだけではどうにもなりません。

イノベーションのための7つの機会
出典:P.F.ドラッカー著『イノベーションと企業家精神』を基に藤田 勝利 氏が作成
その時には、知覚がものをいいます。イノベーションは分析だけで行なうことはできません。そもそもイノベーションに対する社会のニーズは分析では知ることはできません。

イノベーションの成果が、やがてそれを使うことになる人たちの期待、価値、ニーズにマッチしうるかは知覚によってしか知ることはできません。

そうして、知覚とは、 思慮分別をもって知ること。「物の道理を知覚する」という時の知覚と、目、耳、鼻、皮膚などの感覚器官を通して外界の事物や身体内部の状態を知る働きの両方を意味します。

そうしてそれを知覚することによって、初めて、それを使うことになる人たちが利益を見出すには何が必要かを考えられるようになります。これを考えられなければ、せっかくのイノベーションも間違ったかたちで世に出てしまうことになります。

イノベーションに成功する人は、右脳と左脳の両方を使うのです。数字を見るとともに人を見るのです、人の集まりである社会を見るのです。どのような、イノベーションが必要かを分析をもって知った後、実際に外に出て、知覚をもって顧客や利用者を知るのです。知覚をもって彼らの期待、価値、ニーズを知るのです。そうして、はじめて、イノベーションに成功するのです。

このようなことをするときに、「実学」だけでは、知覚もって顧客や利用者を知ることはできません。

ブログ冒頭の記事で示されていた、シュライエルマッハーの考え方は、「知は体系知でなければ意味がない」というものでした。断片的な知識を山ほど持っていても意味はないのです。それらの知識がどう関係しているのか、そうした「体系知」を体得しないと、知は完成しないというものです。

フリードリヒ・シュライアマハー

知識は、高度化するほど専門化します。そうして、ある専門知識は、他の専門知識と結合するとき爆発してとてつもない力を発揮します。そのため、多様な専門知識への理解が不可欠です。このよらうに、自分の専門外の知識を持つ人こそ、知識社会における教養ある者人と呼ぶことができます。

ただし、専門知識のすべてに精通する必要はありません。しかし、それらのものが何についてのものか、何をしようとするものか、中心的な関心事は何か、中心的な理論、問題、課題が何かは知っておくべきです。だからこそ、幅広い本当の意味での教養が必要なのです。

しかし、専門知識を一般知識へと統合できない教養課程や一般教養は、教養ではありません。本当の意味での、教養は相互理解をもたらすこと、文明が存在しうるための条件である対話の世界を造り出すことができるものです。そうして、はじめて、知識は「体系知」となり、完成するのです。

確かに、今の日本の大学で行われている教養課程は、専門知識を一般知識へと統合できない部分があり、そのため、「体系知」を体得できず、知を完成させていない学生も多いのかもしれません。

最近の日本では、「体系知」を体得していない人々が増えたのだと思います。そのためでしょうか、過去の日本は、失われた20年というとんでもない状況に見まわれ、停滞しつづけました。

その主たる原因は、あまりにも長い間、デフレを放置してきたことです。そうして、このデフレの根本原因は、バブル期には土地や株式などの資産価格はあがっていたものの、一般物価はさほどでもなかったものを、日本銀行が金融引き締めに転じたことが、最初のきっかけでした。

その後も、日銀は長い間、金融引き締めを続け、さらに消費税の増税を二度にわたって、行い、日本はデフレスパイラルの泥沼に沈むとともに、超円高に苦しむことになりました。

日銀が、金融緩和に転じたのは、2013年からでした。しかし、それもつかの間、その後には、平成14年4月からは、8%増税が実施され、ご存知のように経済は停滞しています。愚かなエコノミストなどは、この経済の停滞を増税以外のせいにしています。まったく、愚かな連中です。こういう連中が、それこそ、日本の失われた20年の原因を創りだしたのです。彼らは、真の意味での教養のある人間ではないのです。

このようなことは、日本で多くの人、その中でも特に大学以上の学歴を持つ人々の多くが、「体系知」を体得していれば、起こらなかったものと思います。

そもそも、マクロ経済に関して多少の知識があれば、不景気のときには、金融緩和と積極財政を行うべきことは基本中の基本です。間違っても、金融引き締め、緊縮財政などすべきでないことはすぐに理解できます。

仮に、マクロ経済を勉強なかったにしても、過去の歴史を紐解けば、日本が世界恐慌(日本では、昭和恐慌と呼ばれ、その原因は1990年代の研究でデフレが原因であったことが明らかにされている)から金融緩和策、積極財政で世界で一番はやく脱却したことからも、理解できるはずです。

さらに、この歴史的事実を知らなくても、江戸時代の経済対策を遡れば、経済対策として、いわゆる節約令を出したものはのきなみ全部失敗しています。

成功した事例としては、「元文の改鋳」があります。江戸時代中期に徳川吉宗が行った緊縮財政(享保の改革)により日本経済はデフレーションに陥いりました。そこで町奉行の大岡忠相、荻生徂徠の提案を受け入れ政策転換し、元文元年(1736年)5月に元文の改鋳を行いました。改鋳は差益を得る目的ではなく、純粋に通貨供給量を増やすことが目的でした。現在でいえば、日銀による増刷に相当するものです。

元文の改鋳で鋳造された金貨
元文の改鋳は現在では、幕府初のリフレーション政策と位置づけられ、日本経済に好影響をもたらした数少ない改鋳であると積極的に評価されています。元文の通貨は以後80年間安定し続けました。江戸の経済対策というと、なにかといえば儒教思想にもとづく倹約道徳にもとづく、吉宗が行ったような緊縮財政であり、いわゆるこの事例のような、金融緩和策は数少ない成功事例の一つです。

たとえ、これを知らなくても、日本が増税を決める直前のEUをみれば、イギリス、スペイン、イタリア、ポルトガルなどの国々が景気が悪い中で、増税で失敗していました。


それに、現在でなくても、過去を調べれば、古今東西を通じて、デフレや不景気のときに、増税して、成功した国などありません。

これらのことを知っていれば、あるいは知らなくても調べれば、増税などすべきなどという考えにはならないはずです。さらに、金融政策についても同じことです。景気の悪いときに、金融引き締めを行って成功した国など古今東西存在しません。

にもかかわらず、いわゆる財務省の官僚や、いわゆる経済アナリスト、経済学者などで、増税や金融引き締めをすべきとした人たちは、軒並み無教養の謗りをうけても仕方ないです。そういう無教養な人が日本には、大勢います。

なぜ、そのようなことになってしまったのかといえば、やはり、高校や大学での教育の仕方にも問題があったものと思います。

そもそも、最近の金融政策や、財政政策の有り様を知るためには、過去のそれがどうなっているのか知らなければならないですが、高校ではそれを知る機会は、日本史や、世界史の現代史の部分にあたるのでしょうが、その部分は教科書の後ろのほうにあるし、それに、試験にはあまり出ないといいうことで、しっかりとは教えられていないようです。

実際に、金融アナリスやエコノミストと呼ばれる人でも、過去の経済対策に関する知識を持っている人は驚くほど少ないです。これらの人の多くは、せいぜい数ヶ月か、半年くらいの状況をみて判断していて、短期では予想が的中することもありますが、長期の予想はことごとく外してしまいます。とくに、増税の判断ではそうでした。

それに、今の日本の大学の教育で、それぞれの先生たちは、努力して教えたにしても、システム的に専門知識を一般知識へと統合できない教養課程になってしまっています。

そうして、大学生のほうも、結構厳しい受験勉強が終わって、緊張から開放され、教養の過程は、あまり勉強せず、高校生のときに蓄えた知識にブラスアルフアで、留年しない程度にしか勉強しません。学部に入ってから専門知識は、ある程度は勉強するようですが、教養過程はないがしろにされがちです。

この状況では、日本はいずれドイツの後塵を拝するようになりそうです。やはり、日本でも、真の教養というものを身につけさせるため、専門知識を一般知識へと統合できるようにして、多くの学生たちに「体系知」を体得させ、知を完成させるか、その端緒を築けるようにすべきものと思います。

さて、ここまではドイツの優れたところを掲載してきましたが、以下には、日本の優れたところを掲載します。

先に、イノベーションにおいては、知覚が重要であるということを掲載しました。実は、日本人の強みは、この「知覚」なのです。経済学の大家ドラッカー氏は、日本の近代社会の成立と経済活動の発展の根底には“知覚”の能力があるとしています。

ドラッカー氏
ドラッカー氏は、「分析に対置するものとしての知覚こそ、実に一〇世紀以降の日本画における継続的な特性である」と語っています。(『すでに起こった未来』)

日本の歴史と社会についての第一人者、エドウィン・O・ライシャワー元駐日大使が、その著『ザ・ジャパニーズ』において、日本は第一級の思想家を生み出していないと言ったとき、ドラッカー氏は、日本の特質は“分析”ではなく、“知覚”にあると言ってくれました。

ドラッカー氏は、中世における西洋最大の偉業、トマス・アクィナスの『神学大全』に対置するべきは、宮中の愛と病と死の描写からなる世界最高の小説、紫式部の『源氏物語』だといいます。

近松門左衛門の文楽と歌舞伎は、カメラとスクリーンこそ使いませんでしたが、高度に映画的だともいわれます。登場人物は、何を言うかよりも、どう見えるかによって性格づけされます。誰も台詞は引用しないのですが、場面は忘れません。

近松は、映画のための道具はなに一つ使わずに、映画の技法を先取りしていました。役者が不動の形を取る見得は、まさに映画のクローズアップそのものです。

歌舞伎の見得(みえ)
ドラッカー氏の洞察は、日本の近代社会の成立と経済活動の発展の根底には、その伝統における知覚の能力があると看破しました。これによって日本は西洋の制度と製品の本質を把握し、再構成することができたといいます。日本の真価はこの知覚の能力にあるのです。

ドラッカー氏は、以下のようにも語っています。「日本について言える最も重要なことは、日本は知覚的であるということである」(『すでに起こった未来』)

日本人には、このように知覚に優れているからこそ、失われた20年を経たあとでも、なんとか国を維持して来れたのだと思います。他の国であれば、20年近くも、緊縮財政、金融引き締めを続けていれば、完璧に破綻しています。

日本人である多くの人は、自らの知覚能力があまりに当たり前になっていて、その高さを意識していないようですが、外国人と比較すると日本人の知覚能力は高いようです。ただし、それが最近では悪い方面にもでているようです。

知覚に頼りすぎて、分析をせず、それこそ、先に述べた増税せよ、金融引締せよなどとのたまっていたエコノミストのような人々もいます。

私自身は、日本人の多くは、外国人と比較すれば、知覚に優れていると思います。たとえば、日本人なら、虫の鳴き声を聴いて、元気な声とか、うら寂しいなどと感じますが、多くの外国人にとっては、虫の声は単なる雑音に過ぎないようです。

それに、現在世界でトレンドになってる、和食など、知覚に鋭敏な日本人だからこそ、できたものです。ドイツの食べ物は、日本と比較すると、味付けも大雑把で、季節感にも乏しく、本当に食べ物であって、和食のように見たり、香りを楽しんだり、出汁などの微妙な味付けを楽しむようなものではありません。

典型的なドイツ料理 日々このような食事では確かに知覚は研ぎ澄まされない?
それに、対人関係に関しても、日本人からすると、かなり大雑把で、あまり相手の感情など知覚できないようです。そのためですか、何でも細かなとこまで話し合いをしようとします。

ドイツ人などと話していると、あまり知覚に鋭敏でないようで、日本人ならば話さなくてもわかりそうなところも、合理的な判断にもとづく話し合いをするので、彼らの合理性にはほんとうに辟易とするところがあります。

これに対して、日本人は、もともと知覚が優れた日本人の子孫として生まれたので、子供の頃からそのような環境に育ち、自然と知覚が研ぎ澄まされていったものだと思います。

日本人として生まれた私たちは、知覚に優れているという生来の能力を最大限に活かすべきものと思います。そうして、ドイツ人のように、専門知識を一般知識へと統合し、「体系知」を体得し、知を完成するか、完成のための端緒をつかむには、何も大学でそのような教育を受けられなかったからといって、悲観する必要はありません。その方法は、あります。それは、「読書」です。読書の習慣をつけることです。それも、できたら体系的な読書をすべきです。

そうして、ドイツ人の「体系知」を体得できた日本人は世界最強になれるかもしれません。

それについては、ここで述べだすと長くなりますので、また機会があれば、改めて掲載したいと思います。

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2012年3月25日日曜日

胸を小さく見せるブラジャーが人気 「草食女子」が増えているのか−【私の論評】ポストモダン的見方により、閉塞感を打ち破れ!!

胸を小さく見せるブラジャーが人気 「草食女子」が増えているのか:



胸をできるだけ豊かに見せる。寄せて上げて美しい形に整える――。そんなブラジャーの常識を覆すような現象が生じている。(上は、ワコール発売の「小さく見えるブラ」)


続きは「J-CASTニュース」へ

【私の論評】ポストモダン的見方により、閉塞感を打ち破れ!!
小さく見えるブラについては、このブログでも以前掲載したことがあります。上の記事は、このブラが結構売れているという話です。さて、上の記事の詳細は、実際に記事をみていただくこととして、論評するために、結論部分というか、核心的な部分のみ以下に掲載させていただきます。
通信販売のフェリシモ(神戸市)でも、数年前から販売している胸のボリュームを抑えたブラジャー「フラットブラ」が人気という。今年5月には、カップの内部に工夫を施した新商品「ワンサイズダウンブラ」も発売する計画だ。ほかのメーカーでも胸の大きさを強調しないブラジャーが売れている。

女性たちは今、なぜ胸を小さく見せようとするのか。「そもそもスリム志向の女性は、胸が大きいとふくよかで太って見えてしまうから嫌だ、という人は少なくない」という。「昔から『デカパイ』などとからかわれ、嫌がっていた女性はいたし、職場や同性の前ではバストで目立ちたくないと思う人は多い」ともいう。
一方、女性の意識の変化を指摘する声も多い。あるファッション関係者は「胸や外見で男性にアピールしようという時代はバブル期のもの。景気低迷の中で女性は堅実に動こうとしている」と話す。「草食系男子」に象徴されるように、男性が弱体化しているとの指摘は多い。男性に頼らず、自立して生きようという女性の姿勢が「胸を小さく見せる」という行動に映し出されているのかもしれない。
さて本日は、この記事に着目したのには、また別の記事もみて、かなり興味をもったためです。その記事の内容を以下に掲載しておきます。

豊胸手術はもういらない?極小バストを一晩でサイズアップさせる方法


体験レポーターのマキです。皆さんは自分の体にコンプレックスはありませんか?

「脚が細くなりたい!」「もっと目が大きかったら」など悩みってつきないですよね。

私の一番の悩みは小さい胸。しかも形まで悪くて見る度に凹んじゃうんです。

サプリやジェルをやっても効果はイマイチだし、かといって豊胸手術する勇気もないし…。

でも、この長年の悩みにも解決の兆しが見えてきました。

というのも友人にすすめられて購入したナイトブラなんだかイイ感じなんです。
最近使い始めたばかりですが、ふっくらハリが出できた感じで、背中のムダ肉が胸にぎゅーっと移動し始めている気がします。

どうやら背中部分がクロスになっていることで、背筋矯正しながら代謝UP。脂肪を燃焼させてくれる効果もあるそうなんです。

しかも特殊吸湿テクノロジーが乳腺を刺激し、女性ホルモン体温を一気に上昇させ胸が大きくなるそう。

私が愛用しているこのブラは「バルーンナイトボディ」というのですが、モニターの成功率はなんと98%で、中には男性並みのバストがたった一晩で1カップもサイズアップした方もいるそうだから期待が高まります。

飽きっぽい私には簡単に続けられるこのナイトブラがぴったりだったみたい。夏までには自信をもってビキニを着れるようになるのが目標です。(モデルプレス

■寝ている間に簡単バストアップ「バルーンナイトボディ」
http://bit.ly/GMKHgP
2012/3/24 23:45 更新


この二つの事例、両極端です。しかし、この両方とも売れているというようです。特に、小さく見せるブラに関しては、従来のやりかたでは、なかなか製品化されることもなかったかもしれません。これらを従来のマーケティング理論にしたがて、セグメントの問題としてしまうと、大事なことを見失ってしまうかもしれません。

セグメントの問題とは、要するに従来からあるマーケット理論で、胸を大きくしたい層の女性、胸を小さく見せるたい層の女性などと、実際に売れているブラの数や、消費者に対するアンケートから分類して開発していく方法のことです。無論、開発にあたっては、こういう分析的アプローチも行ってはいるとは、思いますが、私はそれだけでは、バルーンナイトボディは生まれることはあっても、小さく見せるブラは、日の目をみなかったのではないかと思います。

私は小さく見せるブラの開発に関しては、ポストモダン的な見方によるものも、かなり含まれていると思います。そうして、これからは、ポストモダン的な見方が重要になっていくと思います。さて、ポストモダンという言葉がでてきたので、最初にこれを解説しておきます。


ものごとの見方としては、大きく分けてモダン的な見方と、ポストモダン的見方があります。日本語でいえば、近代合理主義的な見方と、脱近代合理主義的見方とということができると思います。これに関しての詳細は、他のサイトをご覧になってください。ここでは、本当に簡単に説明しておきます。

さて、モダンの源流は、どこにあるかといえば、あのドイツの哲学者カントにまでさかのぼります。カントは、 「純粋理性批判」という書籍の中で、科学の中に思考の客観性を見出し、その因果律によって世界を描き出そうとしました。


ついで1637年、デカルト(写真上)が「方法序説」を書いて、近代合理主義としてのモダンの時代が始まりました。彼は、膨大な複雑な世界を前にして、西洋文明はそれを解き明かそうとした。そうして、この見方は、かなり成果を発揮して、科学技術が急速に発展しました。これが、いわゆる近代西欧の基礎となりました。

「我思う、ゆえに我あり」。ただ一つでも確実なものがあれば、論理の力によって因果を辿り、少なくとも、もう一つの事実を明らかにできる。そうすればもう一つ、さらにもう一つ。そうすればすべてを明らかに出来るという考え方です。「我思う、ゆえに我あり」、この種から広がった近代合理主義は、量で測れるものだけを対象としその因果関係を探求しましたが、それ以外の形而上の存在を無いものとして見えない振りをしてしまいました。これによれば、人体など、部品のように、爪、耳、眼、鼻などと、一つ一つ分析していけば、いずれ全体像が掴めるということになります。

しかし、これは、現代人ならおかしいということは、ご理解いただけるものと思います。このやり方では、いずれ限界がきます。いくらパーツを調べても全体としての人間は見ることはできません。まして、人間と自然との関わり合いまで、考えると、全く絶望的といわざるをえません。

そのようなモダンに対する批判は、いろいろ、ありました。下に代表的なものだけ、二例掲載しておきます。


1.ポアンカレの三体問題
三つ以上の天体がお互いに影響しあうとき、その変化の先は読めない、複雑系の世界になる。

2.バタフライ効果
アマゾンのジャングルで一羽の蝶が羽ばたく。その羽ばたきがあたえる極微の大気の揺らぎが、翌週のシカゴの雨との関係があるかどうか。その関係に関係が無いことは証明できないということが証明されている。

2.のバタフライ効果に関しては、マネジメントとの大家である、ドラッカー氏も、その著書のなかでとりあげ、「理性によってすべてを理解できるとしてはならない」としています。

モダン的な見方では、いわゆる分析をかなり重要視します。しかし、分析だけでは、物事は見えてきません。特に社会現象ではおてあげです、これが、モダン的見方の限界でもあります。そこで、ポストモダン的な見方では、知覚を重視します。



ドラッカー氏(写真上)は、『変貌する産業社会』という書籍の中で、「ポストモダン(脱近代合理主義)の七つの作法」として、以下の事柄を重視しています。

1.見る、そして聞く
あらゆるものを命あるものとして全体を見る。しかも自分の視点で見るだけでなく、他人の視点で見たものを広く聞く。意思決定において、事実ではなく、意見から始めることが重要なのはこのためである。

2.わかったものを使う
複雑な時代だからこそ、わかったものを大切に使うべきである。
「すでに怒った未来」は重要な示唆を含んでいる。現実を注意深く観察し、来るべきうねりを知る手がかりとする「予期せぬ成功」もしかり。これもまた、すでにわかったものだからである。

3.基本と原則を使う
経営の目的はつまるところ、世のため人のためであるが、それをあらゆる事業の補助線とする。基本を忘れた経営は必ずや失敗する。

4.欠けたものを探す
わからないもの、未知なるものにイノベーションの種がある。ギャップや欠けたところにチャンスは隠されている。

5.自らを陳腐化させる
人の手になるものはすべてが陳腐化する。画期的な新製品しかり、知識しかり、あらゆるものが陳腐化するがゆえに、自ら先手を打って自らを陳腐化し、主導権を握らなければならない。

6.仕掛けをつくる
成功を追求していく仕掛けをつくる。ドラッカーは、うまくいかなかったことの検討に時間を費やすならば、うまくいったことの検討に同じ時間を使えと言う。

7.モダンの手法を使う
むろんモダン合理的な手法を完全否定するのも間違いである。その限界を意識し、使えるものは使う。分解して組立て直すというモダンの手法は、時間管理などにおいてはいまだに有効である。
※アセスメント(事前評価)よりもモニタリング(観察・監視)が重要 
私は、ワコールの開発の人たちが、モダン的な見方だけではなく、ポストモダン的な見方をしたからこそ、「小さく見せるブラ」の開発ができたのだと思います。モダン的な見方とだけで、実際に売れたブラの数だけ細かく分析していただけでは、このような発想は生まれなかったと思います。

下の写真は、ランニング時にバストの揺れを低減するブラです。ワコールにはワコール人間科学研究所という研究施設があり、女性を総合的な観点から、観察して、様々なデーターをつみあげ、さらに、そこから得られる知覚・知見を商品開発に生かしています。まさに、分析だけではなく、知覚にももとづいて、商品開発を行っています。


ワコールでは、様々な消費者の声を聞いてみたり、あるいは、様々な消費者の立場に立って、分析するだけではなく、ポストモダン的に知覚したからこそ、このような製品開発に成功しているのだと思います。

これからの商品開発は、基本は今でもモダン的見方であり、最低限分析をしなければなりませんが、それだけでは、済ませられないと思います。これは、これで行った上で、さらに、全体像をポストモダン的に知覚して、開発を行っていく姿勢が重要になっていくと思います。ワコールの「小さく見せるブラ」は、こうしたことの格好のケーススタディーであると思います。(下の写真は、テレビCMでもお馴染み、新製品のリボンブラ)


そうして、このボスとモダン的な見方、製品開発だけではな、政治・経済・社会をみていく上でも、本当にかなり重要だと思います。政治家や官僚など、このような見方ができないからこそ、現状では麻痺しているのだと思います。この閉塞感を打ち破り新たな価値観を打ち立てていくには、ポストモダン的な見方が重要だと思います。このポスモダン的な見方、日本人は古から行っているものだと思います。現代人は、このことをすっかり忘れているのではないかと思い、残念でなりません。


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