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2016年5月19日木曜日

「自衛隊は要らない」という「9条信者」が忌み嫌う『カエルの楽園』―【私の論評】護憲派だけでなく保守ですら錯誤している憲法9条!宅配ピザは違憲ではない(゚д゚)!


カエルの楽園


■自衛隊は違憲だ

5月3日の憲法記念日に合わせて、新聞やテレビなどでは憲法9条や改憲に関する話題が多く扱われた。NHKの「日曜討論」には各政党の党首、幹部が出席して議論を繰り広げていたが、中でも異彩を放っていたのは日本共産党だろう。

「自衛隊を違憲と考えるのか」という問いに対し、志位和夫委員長は従来からの自説、すなわち、同党が以前より唱えている「段階的解消」論を述べた。

これは、ごく簡単にいえば、自衛隊を「当面は維持」するが、そもそも自衛隊は「憲法9条違反」の存在なのだから、軍縮を進めて、段階的に解消する、という方針のことである。

「それで国の安全は守れるの?」という素朴な疑問に対しては、すべてのことを話し合いで解決できるような状況を外交的努力によって実現すれば、自衛隊は不要であるし、政治の力でそういう状況を作ることはできる、というのが志位氏らの主張だ。

このスタンスはかなり極端だとしても、「憲法9条のおかげで日本は平和だったが、集団的自衛権の行使容認によってリスクが高まった」という主張をする政党、識者は多い。一方で、こうした立場に対して「9条信者」と揶揄する人も少なくはない。この古典的な対立の構図はいまだ健在で、「日曜討論」でも、お馴染みの言い合いが繰り広げられていたのである。

■争うための力は不要?

こうした議論に関して、「あの小説にそっくり」という声が一部で上がっている。百田尚樹氏の新作『カエルの楽園』だ。

百田尚樹氏

同書の主な舞台は「ナパージュ」というカエルたちの国。そこには「三戒」という教えが存在していて、国民(カエル)たちは皆、それを信じている。「三戒」とは、「カエルを信じろ」「カエルと争うな」「争うための力を持つな」というもの。

ナパージュのカエルの多くは、「自分たちが平和に暮らせているのは、『三戒』のおかげだ」と信じている。

しかし、外の世界から来たカエルには、到底信じられない話なので、あれこれ聞いてみるのだが、ナパージュのカエルたちの「信念」は揺るがない。その問答の一部を、同書から引用してみよう。

「もし(他の国から)襲われたら、どうするの?」

「襲われたって争いにはなりません」

「どうして?」

「ぼくらが争わなければ、争いにはならないからです」

「たしかに争わなければ争いにはならないだろうけど、襲われたら、どうやって身を守るんだい?」

「襲われないんですから、そんな話をしてもしかたがないでしょう。この国は三戒が誕生してから、一度だって他のカエルに襲われていないんですから」

「それって、たまたまじゃないのか」

「あなたはたまたまで平和が長く続くと思いますか? いいですか、この平和はぼくらの三戒の教えのおかげなんです。それ以外にはないんです」

徹底して、ある種の「カエル」たちを戯画化した同作は、これまでの百田作品以上に賛否両論を巻き起こしている。福岡県在住の共産党の町議会議員は「立ち読み」をしたうえで、「ひどいの一言」という感想をツイッターで述べたほどである(それに対し、そもそも丸ごと「立ち読み」というのはいかがなものか、という批判も出た)。ナパージュが迎える衝撃の結末が、癇に障ったのだろうか。

一方で「これからの日本を考えさせるために、子どもに読ませておきたい」といった感想も多く寄せられており、同作は寓話ながらも、これから憲法を考える上で、一つの入り口となっていくのかもしれない。

【私の論評】護憲派だけでなく保守ですら錯誤している憲法9条!宅配ピザは違憲ではない(゚д゚)!

この小説『カエルの楽園』は、私も読みました。非常に読みやすいので、半日もあればゆっくりと読んでも、十分読めます。非常に寓意に満ちた書籍です。この書籍を読めば、現在の日本の状況はまさに「カエルの楽園」であり、いかに危険なのかが理解できます。

そうして、当然のことながら、いわゆる多くの護憲派の憲法9条の解釈がいかに危険なものであるのか、良く理解できます。ここで、わざわざ「護憲派の憲法九条の解釈」と掲載したのにはわけがあります。

とにかく、護憲派は憲法九条に書いてあるから、日本はそもそも武装はできないし、どのような場合にもそれを行使してはならないと主張します。そうして、憲法9条にそう書かれているのだから、自衛隊は違憲であると主張します。

しかしながら、私はここにはっきりと言いたいのですが、これはいくつかある憲法9条の解釈のうちの一解釈に過ぎないです。

私は、常々驚いているのですが、百田尚樹氏も憲法九条について、このような解釈しかないと考えておられるようで、ある動画では「確かに憲法九条を読めば、日本は武装はできないし、自衛隊も意見なのです」という趣旨のことを語っておられました。

これについては、ご本人に直接確かめたことはないので、いずれ確かめてみようと思っています。ただし、私の周りの改憲派の人に聞いてみたところでは、全員が「憲法9条により、日本はいかなる武力も持てないし、いかなるときも武力を行使してはならない」と解釈していました。おそらく、他の改憲派の方々も同じように考えていらっしゃるのだと思います。

『かえるの楽園』にでてくる挿絵

なぜか、日本では、護憲派はもとより、改憲派や保守派の人々の多くまでが、憲法九条の解釈は一つしかないと考えておられるようです。

しかし、これは間違いです。たとえば、Wikipediaで憲法九条と検索してみてください。Wikipediaの憲法9条の中に、第9条の解釈上の問題という項目があります。

これをご覧いただければ、憲法9条の解釈は一つだけではなく、複数あることがおわかりになると思います。

詳細は、これをご覧いただくものとして、この憲法解釈の中に、佐々木惣一氏による解釈が以下のように掲載されています。

  • 戦力限定不保持説(自衛戦力肯定説)
憲法第9条第2項は自衛のための「戦力」まで禁ずるものではないとする説。
佐々木惣一氏は、憲法学会の中でも、京都学派といわれる学派の重鎮です。残念ながら、Wikipedia にはこの一行しか掲載されていません。"・戦力全面不保持説"については、いくつか掲載されていて、若干の説明もあるのですが、"・戦力限定不保持説(自衛戦力肯定説)"については、これしか触れられていません。
これ一つとっても、日本では"・戦力全面不保持説"が圧倒的に主流であり、自衛戦力肯定説は少数派であることがわかります。確かに、自衛戦力肯定説については、ここ20年くらいは全く影を潜めて、まるでなきがごときです。
しかし、この自衛戦力肯定説は、今から30年くらいまでは、新聞やテレビ報道でも紹介されていたものです。そのため、一般の人でもこれを理解している人も存在していました。しかし、いつの間にか完璧に消えてしまいました。
この説明だけでは何を意味する説なのか、あまりにも簡素な説明で、理解不能であると思います。
これについては、以前このブログにも掲載したことがあります。その記事のリンクを以下に掲載します。
佐々木惣一の「憲法第九条と自衛権」―【私の論評】安保法制=戦争法案としてデモをする人々は、まるで抗日70周年記念軍事パレードをする人民解放軍の若者と同じか?
佐々木惣一氏
詳細は、この記事をご覧いただくものとして、以下に、元記事の田中秀臣氏の記事から一部分を引用します。
佐々木の「憲法第九条と自衛権」をめぐる主張は、まずは純法理論的に行われている。この憲法第九条と自衛権の関係については、佐々木の『憲法学論文選(三)』(有斐閣)を中心に収録されている。ここでは、以下の著作から引用しておく。 
「国際関係複雑を極め,諸国間の対立激甚を極める今日,いかなる場合にも,いかなる国家よりも,侵略をうけることがないとは限らぬ。そういう場合に,国家としては,自己の存在を防衛するの態度をとるの必要を思うことがあろう。これに備えるものとして戦力を保持することは,国際紛争を解決するの手段として戦力を保持することではないから,憲法はこれを禁じていない。このことは,わが国が世界平和を念願としている,ということと何ら矛盾するものではない。これは,今日いずれの国家も世界平和を希求していること,何人も疑わないにもかかわらず,戦力を保持しているのと同じである。」(佐々木惣一『改定 日本国憲法論』)。
これらの佐々木惣一の解釈をもとに、憲法9条を読みなおしてみると、確かに、憲法9条は国際紛争を解決する手段として、戦力を保持することははっきりと認めていませんが、集団的、個別的を問わず、自国の防衛をすることまでは、はっきりとは否定していません。

皆さんも、もう一度憲法9条を読みなおして見てください。憲法9条には、自国の防衛のための軍備もするなとか、自国の防衛のために武力を行使できないと、はっきりと明示はされていません。

ということは、自衛のための軍備はしても、行使をしても良いという解釈は成り立つものと思います。

しかし、これは今の日本の東大を頂点とする日本の主流の憲法学会の憲法解釈とは明らかに違います。

そうして、この解釈は、佐々木惣一氏自身が述べているように、どんなに憲法解釈が純法理的にすばらしくても、現実に平和が維持されないでは意味をなさないのです。そこに佐々木の平和主義的な立場が濃厚に表れています。現在の安保法制議論でも単なる憲法学者の「違憲」表明だけで法案の現実政策的側面が忘却されがちですが、その点を合わせて考えると、佐々木氏の視点はいまも鋭いです。

いずれにせよ、以下に少数派ではあれ、憲法9条の解釈は唯一無二でないことだけは確かです。

自衛隊は合憲であるという憲法解釈も存在する
そうして、多くの人々は、あまりにも"・戦力全面不保持説"を刷り込まれてしまっていると思われるので、以前も掲載したことなのですが、以下に再度"戦力限定不保持説(自衛戦力肯定説)"も憲法解釈として十分成り立ち得ることを示す事実をいくつかあげておきます。

まず、自衛に関しては、国際連合の憲章にも、独立国に認められる当然の権利であることが掲載されています。

さらに、ほとんどの国々の憲法典(文章化された憲法)には、自衛に関しては集団的自衛権、個別自衛権にかかわらず、当然の権利であるとして、わざわざ憲法典に盛り込んでいません。憲法に書かれていないのですが、当然の権利として、行使できるものとしています。

さらに、日本の護憲派は、集団的自衛権については、これを認めると戦争になると主張しますが、これも本当に正しい見方であるのか、はなはだ疑問です。なぜなら、たとえばドイツには個別自衛権が認められていません。あくまで、NATOの管轄下での集団的自衛権しか認められていません。なぜかといえば、ドイツの個別自衛権を認めてしまえば、ドイツ一国で戦争を始めることができるという理由からです。

こんなことを掲載すると、護憲派の方々の中には、憲法9条に書かれていない、自衛権など行使できるはずはないと反論されるかもしれません。

しかし、そんな反論に対しては、以下のような反論をさせていただきます。

上記のような主張をする人は、「憲法典にはピザのことが書かれていない、よって宅配ピザの注文は違憲である」と主張しているのと何も変わりありません。全く非合理的です。もし、憲法に書いていないことを実行すれば、すべて違憲というのであれば、私たちは、そもそも憲法にしたがって生活することはできません。

宅配ピザを注文するのは違憲?


憲法9条の解釈は、このように"戦力全面不保持説"だけではなく、"戦力限定不保持説(自衛戦力肯定説)"も存在しているのであり、この解釈も十分に成り立つものです。

この解釈に従えば、そもそも自衛隊は違憲ではないし、自衛に限るならば、自衛隊が武力を行使することも違憲ではありません。そうして、集団的自衛権の行使も無論のこと、違憲ではありません。

この解釈をもっと多くの人々に広めるべきと思います。

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